ゆちりち

-----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
-----------------------------------------------------------------------

第十五章 《 冒険の最初の不思議 》

 銭湯から帰ってくると、途中の商店で購入したパンや牛乳をかじりながら車の中で夕食をとった。
 寝るにはまだ少し早く、窮屈な車内から抜け出して川沿いを散歩した。
 静かな河川敷を、時々ちゃぷんと水がはじける音がする。夜の力で真っ黒に染められた川は異世界のうねりにも見え、畏怖を抱いた。
 水面には対岸に並ぶ民家の光が反射し、夜空の月を映し出す。川岸にしゃがみこみ、ぼんやりと対岸の民家を眺めた。
 テレビで見た。会社員のお給料が、過去最高によくなっているそうだ。ボーナスも破格の金額で支払われ、誰もが沢山お金を持っている時代の到来らしい。誰もが好きなものを手に入れる事の出来る世界。
 なのに、僕のこのざまはなんだろう。家を失い、こんな夜に川を眺めてる。八つ当たりのように近くの石を川に投げ込んだ。
「魚がびっくりしちゃうよ」
 その声に驚いたのは僕のほうで、振り返ると小春がいた。小春は僕の横にしゃがみこんで、同じ風景を眺めた。
 湿った石鹸のにおいがした。小春の肩まで伸びる髪はまだ濡れており、風呂上りの白い肌は、夜でもまるで発光しているかのようにはっきり見て取れる。
 特別な夜である予感した。こんな風に女の子と夜の川岸で並んで座ることなど、これから先の人生にありえると思えなかった。
 宝物。そう思ってはいけない。そう思った途端に取り上げられてしまうのが、どうやら世の中の仕組らしい。
「小春ちゃんの宝物ってなに?」
 唐突に僕が訊ねたものだから、小春は「え?」と聞き返した。
「一番大切なもの。一番価値があるもの」
「ううん」
 小春は顎を突き上げて、星空を見上げながら考え込んだ。
「宝物か。なんだろう」
 この質問をして、少しだけ後悔した。くだらない質問だからだ。この質問に、飾った綺麗な答えを聞きたくなかった。
「晋之介くん。秘密、守れる?」
 秘密? 甘美な響きに小春を見ると、小春も僕を見ていた。少し微笑んだような問いかける目。小春のことを僕の財布に入れて一緒に持ち歩けたら。
「守れるよ」
 答えると、小春は足元の小石を掴んで川に投げ込んだ。魚がびっくりするよ、そう言う前に小春が言った。
「この小石」
 小春の手のひらに、人差し指の爪ほどの小石が乗っている。
「私の宝物はこれ」
 小石。いま拾ったものだろうか。そんなものが宝物? それとも以前から持っていた、なにか思い出深い石なのか。
「どんな石に見える?」
「普通の石」
 ふふ、と笑ってから、小春は手のひらの小石を目線の高さまで持ち上げる。
 妙な幻想的な感覚を抱く。青を基調とした月明かりの元、小春の指が仄かに光って見える。じっと小石を見つめ、なにか特別なものがあるのかと捜してみる。小石にまつわる色々な物語が脳裏を巡る。
「よく見てね」
 小春がゆっくりと持ち上げた手を下ろした。下ろした手はしゃがみこんだ膝の上に置かれ、もう片方の手と重ねられる。
 だが、注目すべき箇所はそんなところではない。瞬時に全身が粟立ち、地面が波打つような錯覚を覚えた。見ている現実が信じられない。目の前の現象に対して納得できる説明を必死に考える。
 下ろされた手。ただし、手に乗っていたはずの小石は、そのまま宙に置き去りにされたままなのだ。微動だにせず、浮かび続ける小石。目の錯覚なのか。もしかしたら近くに見えて、小石のように見えるものは遠くの風景の一部なのではないか。
「これが私の宝物」
 小春がそう言った途端、釣った糸が切れたかのように小石が川に落ちた。落ちた小石を探し出すことは、もはや不可能だ。
「どうやったの?」
 呆然とした声を上げる僕。ほくそ笑んでこちらを見た小春が「内緒」と囁く。
「手品?」
 訊ねても、小春はゆっくりと首を横に振るだけ。
「私はね。これで沢山お金を稼ぐの。だから、きっと数年後にはお金持ちになってるはず。そのお金の分の価値があるはず」
 僕は直前の出来事を認識するのに必死だ。
「きっと美少女超能力者として有名人になるはずだから、テレビで見かけたら私のこと思い出してね」
 そう言われて、自分で美少女という小春が妙に愛おしくなってクスリと笑った。
 ほら、いつまでも外にいると身体を冷やすわよ。そう母親の声がして、僕らは車に戻ることにした。
 車に戻って、座席に横になってからも、父親のイビキが響く車内で先ほどの出来事を思い出していた。窓の外から見える星空を眺めながら、あれは本当だったのだろうかと、夢を見ているような夜を過ごした。

-----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
-----------------------------------------------------------------------


【訪問者】  【閲覧者】

inserted by FC2 system