ゆちりち

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第十三章 《 冒険の出会いの終わり 》

 走り出した車内は妙な空気が流れていたが、その空気に唯一気づかない弟だけが、「涙のリクエスト」の歌を小春に教えてとねだっている。
 麓にたどり着いたのはもう日暮れで、弟はその間に小春から涙のリクエストのワンフレーズを伝授されていた。
「ここでいいの?」
 小春ちゃんを降ろしたのは、麓の町の駅前だった。
「はい。このまま電車に乗りますから」
 ふと気づく。旅行に行くと言っていた小春の手荷物はハンドバッグひとつ。
「日も暮れたし、気をつけてね」
 姉ちゃんがそう言うと、小春ちゃんは「ありがとうございます」と夢のような笑顔を残す。僕はなにも言えないでいた。これは恋心だったのだろうかと考える。出会って数時間。恋をするまでに時間は関係ないというけれど……。
 想いをめぐらせるうち、別れの場にいる事がとても躇われた。
 弟はすっかり小春になつき、隣に立って小春と一緒に旅行に出かけるかのように手を繋いでいる。
 父親といえば、運転席から出てくる様子は無い。
「本当、遅くなってごめんね」
「いいんです。なんか貴重な体験をさせてもらった気がしますし」
 そう言うと、母親が困ったように笑った。
 僕は俯いたまま言葉が見つけられないでいた。別れたくないな、という本心を裏切って、別れの言葉など告げるほど僕は強くない。
「ほら、シー坊。まだむくれてんの?」
 姉ちゃんが僕の頭をくしゃくしゃと撫でる。子ども扱いして欲しくなかったが、なによりもまずシー坊という呼び名をやめて欲しかった。
 小春ちゃんが僕の肩に手を置いて「晋之介くん、元気でね」と俯いた僕の顔を覗き込む。
 出会ってから一番距離が近くなった。僕が答えないものだから、しばらく気まずい沈黙が流れた。
 すると、運転席から父親が大声を出す。
「ホントに、旅行先まで送っていってもいいくらいだ」
 それが父親なりの別れの言葉。えへへと可愛らしい声を出した小春は「皆さんはこれからどこに行くんですか?」と訊ねる。母親が「次は新潟ね」と答えると、小春が目を丸くした。
「本当ですか? 実は私もこれから新潟に行こうと思ってたんですよ」
 父親が運転席からにょきっと顔を出す。
「スキーに行こうとしてたんですよ。冬休みの間、向こうで住み込みのバイトしようと思ってて」
「かっかっか」と父親が笑った。
「それじゃ、電車賃もったいないな」
 小春が母親にずいっと近寄る。
「もしよければ、新潟までご一緒できれば」
「え、ええ! 喜んで。嬉しいわ。小春ちゃんがいなくなったら、車の中暗くなっちゃうからね」
 小春がにっこり笑った。
「ほら、乗りな。まったく、初めからそういやいいものを」
 そう言った父親を、僕は少しだけ見直した。
 母親に促され、車内の乗り込む小春。
「良かったな」と姉ちゃんが僕に耳打ちをした。弟は浮かれたように「涙のリクエスト」の続きをねだっていた。
「パパも罪滅ぼしのつもりなんだよ」
 最後にぽろりともらした姉ちゃんの言葉。
 ふうん、と鼻を鳴らしながら車に乗り込む。
 もう少しだけ、小春と旅が続けられる。なんてドラマティックな幸運なのか。胸が膨らむような期待感と喜びだったが、同時に不安がよぎる。
 僕が望むことなんて、いつだって裏目に出るに決まってるのだ。僕がここで浮かれたりはしゃいだりするものなら、この舞い込んできた幸運は、悪戯な神様に取り上げられてしまうに違いない。
 喜んではいけない。普通に。普通に。大切に。大切に。
 僕が座席に付くと、僕の後ろの席から小春が身を乗り出して「もうちょっとだけよろしくね、晋之介くん」と魅惑な声で囁いた。
 嬉しくて笑みを作らずにはいられなかったのだった。

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