ゆちりち

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第十二章 《 冒険の最初の喪失 》

 誰もいない、森の獣道で両親の罵声がとどろく中、落ち着いてきた僕の腕を引いて、小春と車外に出た。
 ワンボックスカーの後部で激しくぶつかり合う両親に、小春が「晋之介くんとカセットテープを捜してきます」と告げた。
 母親が気づいて「ああ、ごめんね小春ちゃん」答えた。僕は父親と目を合わせないように小春を盾にする。
 父親が「俺は悪くねえよ」と迫力のなくなった声をあげると「あんたはまだ分からないのか」と母親の上げた怒号を背後に、小春とカセットテープを捜しに向かった。
 しばらく歩くと「この辺かなあ」と小春が獣道の轍を捜し始める。僕はいちいち先ほどの悲劇を思い出し、鼻をぐずらせながら無言でカセットテープを捜した。
 必死に探したけれど、見つかるわけもない。どの付近で捨てられたかも見当付かないのだ。雑草の茂る奥に落ちていたとしたら、見つけるのは至難の業である。
 よみがえる宝物のカセットテープとの思い出に、再び涙が滲んでくる。夜になるとこっそり車に忍び込み、カーラジカセで音量を下げて聞いたチェッカーズのメロディ。なにも楽しくない日々の合間に訪れた宝石のような時間。たった三十分。片面だけ聞いて、もう片面は翌日の楽しみに取っておいた。
 なのに、あんなに簡単に捨ててしまうなんて。僕の気持ちなんてなにも分からないんだ。僕がどれだけ大切にしてたなんてなにも分からないんだ。心がないんだ。たいしたことじゃないと思ってるんだ。
 三度涙の衝動に駆られた頃、小春が「見つからないねえ」と腰を上げた。僕は答えられない。いま声を上げたら、どんな情けない声が上がることか。
「私のために、カセットテープをかけてくれようとしたんでしょ?」
 小春がそう言った。僕は顔をそむける。小春の言う通りだったが、見破られたくなかった僕の内面。
 一心不乱に捜し続ける僕の耳に届く足音。顔を起こすと、弟を抱きかかえた姉ちゃんが呆れ顔で歩いてきた。
「馬鹿ね、あんた。宝物ならパパなんかに見せなきゃいいのに」
 充分に思い知らされた愚かさを、改めて指摘されて腹が立った。無視をしてカセットテープを捜す作業に戻る。
「ほら、トシ坊も兄ちゃんの大切なカセットを一緒に捜してあげられるよね」
 姉ちゃんが問いかけると、弟は小さく「うん」と頷いて、カセットテープ捜索に加わった。
 四人で捜し始めても、誰も「見つかった」などという声は上がらなかったし、「もうあきらめようよ」とも言わなかった。
「ごめんね、小春ちゃん。いきなり面倒に巻き込んで」
 姉ちゃんが声をかけると、「いいんです」と小春が答える。僕はどきりと胸を鳴らす。自分勝手な感情から少しだけ解き放たれる。
「もしあれだったら、パパに頼んで先に麓まで連れてってもらおうか」
「いえ、いいんです。こうなったら見つかるまでがんばっちゃおうかなって」
 姉ちゃんがクスリと笑った。
「ほら、シー坊。トシ坊が不安がるでしょ。あんたがそんなだと弟は誰を頼るのよ」
 姉ちゃんは僕の動揺を誘う言葉ばかりを吐く。僕だって誰のことも気にしないで好き勝手に拗ねたりむくれたりしたい。誰かに甘えたいし、誰かに話したい。
 僕はなにも言わず、弟の傍に寄る。弟に二言三言声をかけ、手を握って一緒にカセットテープを探した。
 カセットテープならもう諦めてもいい。悲しいし、人生の楽しみがなくなるし、将来になんの夢も持てなくなるが、そうだとしても諦めてもいい。
 でも、車には戻れない。
 気づくと周囲が暗くなり始めていた。日暮れである。潮時だと思った。でも戻れない。
「分かった。分かった分かった。お姉ちゃんが買ってあげる。麓まで行ったらチェッカーズでもキョンキョンでもなんでも買ってあげるわよ」
「そんな金ないだろ」
 久しぶりに声を出した。随分落ち着いてきた証拠だ。
「だからって仕方無いでしょ」
 あのカセットテープじゃないと意味がない。僕と同じ濃密な時間を過ごしてきた、あのカセットテープではなければ、宝物とはいえない。そう説いたって、姉ちゃんに分かるとは思えない。
「小春ちゃんを足止めするわけにはいかないでしょ」
 分かってる。そんなの充分すぎるほど分かってる。だからって戻れないものは戻れないんだ。仕方無いじゃないか。
「姉ちゃんもビシっと言ってやっから。今度パパがあんたになにかしようとしたら、姉ちゃんが自慢の鉄拳で」
 と腕を捲り上げる。小春ちゃんがその様子を見てころころと笑った。
 励ましてるつもりだろうか。
 それでも多少気が晴れた気がした。
「お腹減ったよ」
 弟のその言葉が僕を決意させた。

 

 四人が並んで、「涙のリクエスト」を合唱しながら道を引き返した。小春、姉ちゃん、弟、僕の順に並び、弟の訳も分からずはしゃぐ様子に、僕もようやく笑顔を作れた。
 車が見えてきた。僕の動悸が高まる。見える限りに両親の姿はない。
「大丈夫だって」
 小春が僕の背中を叩いた。
「お父さんも悪いなって思ってるよ」
 小春は分かってない。あの馬鹿親父が反省するはずはない。他人には臆病なのに、家族に関してはなにがなんでも唯我独尊なのだ。
「見えないわね」
 両親の姿も声も聞こえない。なんだか奇妙な空気が漂っている気がした。一抹の不安。まさか、あのまま口論がエスカレートして殺し合いにまで発展するなんてことは――なかった。
 リアウィンドウから車内を覗き込んだとき、運転席と助手席から向かい合うように両親が濃厚な口付けを交わしていたのだった。
 まるで、この世で一番おぞましい光景を見せられた気がして、全身が粟立って腰が抜けそうになった。

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