ゆちりち

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第十一章 《 冒険の最初の悲劇 》

 後部座席で弟が居眠りを始め、最後部座席では姉ちゃんが横になりながら本を読み始めたので、後部座席の最前列で小春と僕は並んで座った。
 父親が小春ちゃんに「歳は?」「学生?」「彼氏は?」などと無粋な質問ばかり繰り返すのを、小春ちゃんは丁寧にひとつひとつ答えていく。
「彼氏は募集中です」
 彼氏は居ない。嬉しいような、空しいような。彼氏が居ないからといって代役に名乗り出るには、僕はきっと子供過ぎるだろう。
 母親が「家の息子の嫁に来ないかい?」と言うと「ええ機会があれば」と小春は嫌みなく答えた。我が家には息子は三人居るが、どの息子のことなのかはあえて訊ねなかった。
 山の麓へ付けば、この一期一会は終わってしまう。父親が言った通り、小春の旅行先まで一緒に旅が出来たら、この悲壮な旅も少しは明るくなるのではないか。でも期待してはならない。僕が期待することはいつだって裏目に出るのだから。
 会話は長続きせず、打ち上げ花火のようにぱっと咲いてはぱっと散る。僕は沈黙を埋めるように父親に提案した。
「ねえ、ラジカセでコレをかけてよ」
 年頃の女性はきっとチェッカーズが好きなはず。小春に少しでも楽しい時間を過ごしてもらえれば嬉しかった。
 カセットテープを父親に手渡すと、裏表と眺めながら「どこで拾ったんだ、こんなもの」と言うので、ヘソクリで買ったとは言えず「友達から貰った」と誤魔化した。
「かけてよ。いい曲なんだよ」
 すると、とてもとても信じられないことが起こった。
 父親は無言で窓を開けると、なんと僕の唯一の宝物であるカセットテープを、まるで煙草を投げ捨てるかのように、ぽいっと窓の外から捨ててしまったのだ。
 僕は「ああ!」と悲鳴を上げて窓の外を見た。獣道である。雑草が茂った轍に捨てられたカセットテープの行方は分からなかった。
「なにするんだよ!」
 僕が出したこともないような声を上げると「な、なにがだよ」と父親が低い声を出す。なにも目撃していなかった母親が何事だと振り返った。
 僕は必死に叫んだ。
「停めてよ! 停めてったら!」
「うるせえ」
 母親が訝しげに「あんた、なにしたの?」と父親に問い詰めると、父親は憮然と「あんなもの聞いてたら頭が悪くなる」と言い放った。
「そんなわけないだろ! ひどい! 僕の宝物だったんだ! 早く停まってよ!」
 母親が「なにを捨てたの?」と僕に聞いてくる。こうして間にも、カセットテープと僕との距離は開いていき、どこに捨てたか分からなくなってしまう。
 弟が起き出し「どうしたの?」と不安げな声を上げる。姉ちゃんは我関せずと読書中。
「ねえ、どうしたの?」
 弟の疑問を無視して「早く戻ってよ! どこに落ちてるか分からなくなっちゃうじゃないか」と怒鳴る。
「あんた、なにを捨てたの?」と母親が訊ねると、すねた様に「どうせステレオは壊れてるんだ」と言い訳っぽく答える。
「ねえ、どうしたのっ」
 無視され続ける弟は苛立った声を上げるが、僕が「トシは黙ってて」とないがしろにすると、弟は気に食わんとばかりに声を上げて泣き出した。
「早く戻ってよ! 僕の宝物なんだ!」
「わがまま言うんじゃない。いい加減あきらめろ」
 理不尽な言葉を叩きつける父親に、とうとう僕の堪忍袋の緒が切れた。
「早く戻れ! この馬鹿親父!」
 僕が怒鳴った瞬間だった。ようやく車が停まった。ところが停まった理由はカセットテープのためなどではない。
 父親はケダモノになってしまったかのように勢いよく車を降りると、ドアが壊れるのではないかと思うほどの轟音を立てて後部座席のドアを開いた。開いたドアの先にあったのは真っ赤に染まった父親の顔と、猛獣と化した目の光だった。
「あんた!」
 母親は悲鳴を上げると、慌ててシートベルトをはずしにかかる。父親は僕を殺すのだと思った。恐れおののいて竦み上がると、父親がカミソリのように鋭い爪の生えた太い腕を僕に伸ばした。
「お父さん、落ち着いてください」
 小春が割って入った。僕の無償の味方である母親が僕を救ってくれるまで、シートベルトをはずして車を降りて――。お母さん、早く来て!
 母親が到着するよりも早く、鬼と化した父親は僕の胸倉を掴むと、信じられない大人の力で引き寄せ、僕の横っ面を引っぱたいた。
 頭の中に爆竹が爆ぜたような衝撃が走り、一瞬呆然となる。
「それが父親に向かって聞く口か!」
 耳元で怒鳴られて恐怖で全身が痺れた。なにも言えない。胸が苦しくなって喉から勝手に呻き声が漏れ、加えて顔の中心が熱くなって涙が目に溜まった。
「それが父親に向かって聞く口かって聞いてんだ! 答えてみろ! お前は俺になんて言った!?」
 全身が震えだし、汗が噴出した。なにを口を開いても、父親が再び僕を恐怖のどん底まで突き落とすのだと思うと口が開けない。
「なにやってんだコラ!」
 ようやく救世主は現れ、父親の胸倉を掴むと、首を締め上げるように母親が父親に顔を近づけた。
「私の息子に手を上げやがったな、クズ野郎!」
 父親が車の外まで引き釣り出されると、母親に蹂躙されるように引き摺り回された。
「こいつが俺のことを――」
「ああ!? なんて言った? あんたのこと馬鹿親父だって? その通りだろ! あんたのようなクソカスが親父面してるんじゃないよ!」
「俺だって父お――」
「ごくつぶしが一著前な聞くんじゃない。息子にしたこと、あんたにそのまま返してやろうか!」
 車外で父親と母親の罵声が聞こえる中、小春が僕に声をかけてくる。
「大丈夫、晋之介くん」
 僕は答えられなかった。胸は勝手に躍り、うめき声とともに口の中がねばこくなる。必死に自分はなにも悪くない理由を頭の中に思い描き、父親を悪者にしようと、その理由ばかり考えた。
 悔しくて溜まらす、恐ろしくて身体が震え、出会ったばかりの小春の前で恥を掻かされて情けなくて涙が溢れ出した。
「うえ、うえ」と嗚咽する僕に「大丈夫?」と繰り返す小春の声が優しく、心苦しい。
 弟は僕に負けじと泣き叫ぶ。誰かが相手してくれるまでそのままだろう。
 姉ちゃんは――言うまでもない。

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