ゆちりち

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第十章 《 冒険の第二幕 》

 車が走り出すと、身体に付いた粉を払いながら母親が「お腹空いてない?」と後部座席を振り返る。
 すると振り返った姿勢でぴたりと静止した。三秒ほど時間が止まっただろうか。再び時間が流れ出すと、小春がぎこちなくお辞儀した。
 母親は何事もなかったように正面を向くと「パパ、小百合が若返ったわ」と冗談なのか本気なのか判別しにくい言葉で報告した。
「なにを馬鹿なことを言ってる」
 母親はもう一度振り返ると、再び父親に向き直り「娘が一人増えたみたい」と訂正した。
 ああ? と言いながら、バックミラーで後部座席を確認する父親。
「なんだよ、別になにも……」
 そこで言葉を失った。
「あの、私、小春といいます」
 と細い声を出すと、初めて父親はブレーキを踏んだ。後部座席の僕らの頭ががくんと前方に傾げると、父親はまるで飛び上がるように後部座席を振り返る。
「い、いやっ、すまん、気づかずに車を出しちまって」
 怒鳴り散らすと思いきや、うろたえたように謝りだした。
「悪いな。すぐに戻るから」
「いえ、違うんです」
 正面に向き直りかけた父親が、再び小春を見る。
「違うって。君は紀美子の……」
 紀美子とは、先ほどお邪魔した家の叔母である。要するに父親の妹。
 僕も加わって父親に事情を説明すると、父親はほっと運転席に埋もれた。
「いやあ、妹の娘を攫って来ちまったんだと思ってヒヤッとしたぜ」
 父親が額に溜めた冷や汗をぬぐった。母親が心配そうに振り返る。
「でも、大丈夫なの? 麓まで連れて行ってあげるのは構わないけど、ご両親には説明したのかしら」
「それでしたら大丈夫です。私、麓で一人暮らししてるんです。年末休みで今日は村の両親のところに来ただけですから。本当は歩いて山を降りようと思ったんですが」
「それならいいのよ。お安い御用。車の中に花が咲いたみたいで嬉しいわ」
 私は雑草かい、と姉ちゃんが呟いたのが僕だけに聞こえてきた。
 小春はニコニコしながら「すみません、よろしくお願いします」と可愛らしい声を出すと、父親が「お安い御用だよ。なんならその旅行先まで連れて行ってあげちゃうよ」と調子に乗った。
 母親の怨念が空気を伝ってきたが、気づかない振りをした。

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