ゆちりち

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第五章 《 冒険の始まりの行き詰まり 》


 見たいテレビもあったし、好きな女の子と初詣に出かける約束だってあった。とても楽しみにしてたのに。
 望むことなんて、なにひとつ叶わないものなのだ。脅迫的に将来を期待された僕は、きっとこの両親の奴隷のように慕われ、頼られ、愛されながら人生を犠牲にし続けるに違いない。
 そんなことを考えながら、馴染みのない大病院の待合室で弟の相手をしていた。両親と姉ちゃんは怪我をした青年と一緒に、危篤であるという彼の父親の病室まで付き添った。
「ねえ、ママは?」
 弟が訊ねてくる。
「ちょっと用事を済ませに行ったんだよ」
 小学一年生の弟に曖昧なことを言っても納得してくれないし、大人の事情を察してもくれない。弟は不安がって「ママのところに行こうよ」と駄々をこねる。
「すぐ帰ってくるから」
「やだよ。行こうよ。エリマキトカゲはいつ行くの?」
 軽はずみな父親の嘘の尻ぬぐいは、いつでも僕の役目である。
「ママが戻ってきたら、すぐにいけるよ」
 結局僕も結論を先延ばしにする作戦しか取れない。
「ママのところに行こうよ」
 弟はそればかりを繰り返す。退屈しているのだ。健康を害している人が集まる、辛気臭い病院の待合室。僕だって時間をもてあましている。弟はこの恐怖に似た退屈が、母親の元へ行けば解消されると思っているのだ。
「しょうがないな。行こうか」
 僕は弟の手を取って立ち上がった。僕にも両親の居場所は分からなかったし、本当に母親のところに行こうとは思っていない。適当に周囲を歩き回って、ころあいを見計らって戻ってくる作戦だ。
 行ってはいけなさそうな場所を避けて歩いていると、弟が売店を発見した。待合室の一角に設けられた売店には飲料や雑誌、生活用品などに紛れて駄菓子や玩具も売られており、弟の気を逸らすには格好の場所に思えた。
 二人で売店に入ると、店員のおばちゃんに声をかけられる。
「あらあら、どなたのお見舞いでいらしたの?」
 僕は言葉に窮して愛想笑いを返す。誰かの見舞いに来たわけではない。だからといって、のっぴきならない理由を説明するのも億劫である。
 ところが大人の癖に、答えづらそうな僕の態度を見ても「入院されてるのはご両親? ご兄弟?」などと質問を重ねてくる。
 兄弟で居れば当然見舞いは身内であろう。そんなこと、汲み取ってくれてもいいじゃないか。
「父親を見舞いに……」
 嘘で誤魔化した。
「あらそう。お母さんは一緒?」
 なんで話しかけてくるのだろう。こんなに話しづらそうな空気を出しているのだから、察してくれてもよさそうなのに。
「父親が癌で危篤なんです。母親はつきそってます」
 そう言うと、店員のおばちゃんはばつが悪そうに「あらそうなの……」と目を逸らし、ようやく口を閉ざした。
 弟は棚に置かれた玩具で遊んでいる。シャボン玉が気になるようだ。値札を見ると百円もする。財布には百円玉十枚しかない。これは僕の命綱だ。こんなところで消費するわけにはいかない。
「ねえ、兄ちゃん、これ買っていい?」
「ママに相談しような」
 誤魔化すと、弟は口を尖らせた。
「ママはお金ないから」
 そう言って弟はポケットからエリマキトカゲの人形と、小さな鍵と、百円玉を取り出した。僕はどきりと胸を鳴らした。弟はどこまで家庭の事情を把握してるんだろう。胸が苦しくなって、慌ててその手をポケットに押し戻した。
「それ貸しな」
 弟が持っていたシャボン玉セットを受け取るとレジまで持っていった。百円払って購入。僕の資産がマイナス百円。残り九百円になってしまった。
 購入したシャボン玉を弟に手渡すと、思った以上に弟は喜び、けろけろと無邪気に笑った。でも、買ったはいいが、どこでシャボン玉を飛ばせばいいのだろう、と思ったとき「中庭で遊ぶといいよ」と売店のおばちゃんが優しい声で教えてくれた。
 振り返ると、おばちゃんが目を細めて微笑んだ。
 ――なんだか、ひどく後味が悪かった。



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