ゆちりち

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第四章 《 冒険の始まりの頓挫 》


「なにしてんのよ!」
 母親が聞いたこともないような声を上げると「だ、だって」と半ベソをかく父親を置き去りにして、母親が車を飛び出した。
 運転席のハンドルに顔を埋めてガタガタと震える父親は、一心不乱に「俺のせいじゃねえ」と呟いている。
「もおっ、どうしたっていうの」
 姉ちゃんの声は僕には届いていない。どこか打ったのか、痛い痛いと泣き喚く弟をよそに、僕は恐怖で動悸が早まった。絶望感がじわじわと全身を満たしていくと、夢と希望が汗と一緒に噴き出した。
「あんた、降りてきなさい」
 車外から母親の声が聞こえてくる。父親は駄々をこねるように首を横に振っている。姉ちゃんが腰をさすりながら立ち上がり、窓から顔を出した。
「あらら」
 のんきな声を出す姉ちゃんは、顔を引っ込めると「最悪だわ」と漏らした。本当に泣きそうだった父親が顔を上げ、フロントガラス越しに恐る恐る前方を覗った。
 僕は弟を姉ちゃんに預けてから、どんな凄惨な光景が広がっているのかと怯えながら車を降りる。
 車の外では横たわるバイクがエンジンを唸らせながら倒れていた。その先に足首をさする若い男性の姿があった。
「大丈夫かい。飛び出しちゃ駄目じゃないの」
 母親が窘めると、若い男性は申し訳なさそうに頭を下げている。
 近寄って行くと、母親が「バイクのエンジン停めて」と僕に指示した。ところがバイクのエンジンなどどうやって停止して良いのか分からない。
 若い男性が「大丈夫」と自分でバイクを起こし、エンジンを止めた。足を怪我したようで痛そうに顔を歪ませている。
 どうやら、僕の思い抱いていた最悪な結末は、良い形で裏切られたようだ。
「大丈夫? その様子じゃ、病院にいかないと」
 母親が労わるように声を掛けたが、運転席から顔を出した父親が「放っておけい」と怒鳴った。
「いきなり飛び出してきやがってこん畜生が。放っておけばいいんだ」
「そんなわけにいかないでしょ」
「俺は悪くないぞ。悪いのは飛び出してきたそいつなんだ」
 若い男性が所在無さげに顔を伏せたとき、地響きのような怒声が耳を劈いた。
「くぉの、ろくでなしが!」
 母親がスカートを捲り上げ、車のバンパーを蹴飛ばした。車ががくんと揺れて父親が悲鳴を上げた。車が数センチずれた気がして僕は母のパワーに愕然とした。
「子供の前でなんてことを言うんだ! どちらが悪かろうと、怪我した人を見捨てるような真似して世間様に顔向けできるかい!」
「そ……そんなに怒るなよ」
 ふうふうと息を付く母親は「ほら、車に乗りな」と青年に命令すると、青年は怒鳴られては溜まらんと肩を竦めた。
「僕は本当に大丈夫ですから」
「なに言ってんの。そりゃ、バイクを弁償しろと言われても家にはそんなお金はないけど、怪我した人を放って置いたら夢見が悪いのよ」
「でも、僕は用事が……」
「自分のことなのよ」
 母親がずいっと足を踏み出すと、気圧されたように青年が後ずさりする。だが、すぐに合点がいったように母親を見て懇願するように言った。
「僕を五色記念病院まで連れて行ってくれませんか?」
「五色記念病院?」
 がしりと音を立てて母親の両肩を掴む青年。父親が「お、おい」と慌てて車を降りてこようとするのを他所に、先ほどとは立場が逆になった母親が後ずさりする。
「僕の父が危篤なんです。連絡を受けて急いでいたものですから……」
 言葉を失う母親と、車を降りかけて固まる父親。
 おそらく物々交換の旅をもくろんでいた僕らの冒険は、いきなり脇道に外れたのだろうと直感した。



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