ゆちりち

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第二章 《 冒険の始まりに壁 》


 身支度といっても、差し押さえられていない僕の持ち物は、学校の教科書と日記とチェッカーズのカセットテープとキョンキョンの生写真しかない。それと弟にエリマキトカゲを見せてやろうと貯めた十枚の百円玉。これが僕の所持品の全てである。
 カセットテープ、生写真、百円玉十枚を財布に放り込み、日記と教材をバッグに詰め込み終わった頃、ちょうど弟が帰ってきた。
 嫌だ嫌だと泣き喚く弟を強制連行し、寝起きで眠気眼の姉ちゃんが訳も分からず付いてきた。
 生まれ育った我が家に哀愁を抱く暇もなく、鉄工所を営む近所の伯父の家までやってくる。
「兄ちゃん、預けた車を返してくれ」
 鉄工所で金属片を磨いていた伯父が不機嫌そうに現れる。仕事を手伝っていた伯父の息子も現れたが、同じように不機嫌そうだ。
「お前の車は俺が預かっておくことにした」
 伯父がそんなことを言いだした。
「おい、そりゃなんでだよ」
「お前、俺に幾ら借金してると思ってんだよ。今回だけじゃないぞ。前のときの借金もろくに返してもらってないぞ」
 何も反論できず、気まずそうに目を伏せる父親。
 伯父の息子が顔を出してくる。僕の父親に軽蔑そうな眼差しを向けている。その眼差しを僕に向けられては溜まらんと、姉ちゃんの背後に隠れるように戦線離脱した。
「そりゃ、迷惑かけてると思ってるよ。でも、あの車は俺の家族に残された唯一の財産なんだよ」
「おめえ、娘にトルコ風呂行かせて、自分は家でごろごろしてるらしいじゃねえか」
 父親の顔色が変ったのが分かった。母親が慌ててトシの頭を抱きかかえる。不穏な空気を感じたが、僕には嗅げない匂いだ。
「おめえがシッカリ働いて、俺に借金返しに来たら、車を返してやらあ」
 なによ、えらそうに……。姉ちゃんがぼそりと呟いた。その声は僕にしか届いていないようだ。
「頼むよ、兄ちゃん。借金は必ず返す。働くにしたって車が必要なんだ」
「その言葉、何度聞いた事か」
 すっかり背中が丸くなった父親が、それでも必死に車を取り返そうと食い下がっているのをよそに、伯父の息子がこちらに近寄ってきた。
「久しぶりだな、小百合」
「元気そうで、良臣くん」
 親戚の集まりで、何度か良臣のことを見たことがあったが、親しく話したことは無い。良臣は馴れ馴れしそうに姉ちゃんの肩に手を置き、耳元に口を近づける。
「なあ、どこの店で働いてるんだ?」
「あれ、言ってなかったっけ」
 姉がくすりと喉を鳴らすと、「へっへ」と良臣が口の端を吊り上げた。良臣が舐めまわすように、姉ちゃんの胸元からつま先まで視線を落としたとき、僕の中に言い知れぬ嫌悪感がうず巻いた。
 考えるよりも先に体が動き、姉ちゃんに寄り添う良臣を両手で突き飛ばした。僕より頭二つも大きい良臣は後ずさりする程度だったが、姉ちゃんからは離れた。
 良臣を睨みつけると、良臣は「このガキ」と腕まくりをして見せた。
「ほらほら、熱くならないで」
 怯んだ僕と良臣の間に入った姉ちゃんが「今度うちに来たらいい思いさせてあげるからさ」と紙切れを差し出した。まんざらでもなさそうな良臣は機嫌を直し、にたにた笑いながら工場へ戻って行く。姉ちゃんは恋人を見送るように良臣に手を振った。
 僕がむすりとしていると、姉ちゃんが僕の頭を撫でた。僕がその手を払いのけたとき、両親が戻ってきた。
「悪いな、車は駄目そうだ。仕方無いからレンタカーを借りよう」
 家庭では殿下の父親は、一歩表に出ると妙に小さく見える。母親は呆れたように「小百合、ごめんね」と言った。
「いいわよ」
 姉ちゃんはバックから財布を取り出すと、財布ごと父親に渡した。
「おう」
 当たり前のように受け取る父親に、やっぱりまぬけな姉ちゃんはにこにこしている。僕は、僕だけはこの百円玉十枚を死守しなければと決意した。
 泣き止んだ弟の手を握り、僕ら一家は寒々しい中、レンタカー屋まで行進を始めた。



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