ゆちりち

-----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
-----------------------------------------------------------------------


第一章 《 冒険の始まり 》


 とんまやまぬけの親兄弟を紹介したいところだが、それはおいおい嫌でも分かっていくことなので割愛する。
 自他共に認めるシッカリ者の僕と、愛らしい弟以外の家族はみんな底を競うような阿呆ばかりである。その際たるものは遺伝子の根源である父親で、僕が電話を掛けようものなら通話料を懸念して「市外にかけると爆発するぞ」と説けば、僕が本気で信じると思ってる筋金入りだ。
 市外局番を回すことを禁じられた電話はすでに差し押さえられて存在しなくなっているが、その電話を置くための家すら、もう失いかけているのだ。
 唯一、我が家に光を灯す白熱電球は台所の一箇所だけで、夜に風呂に入るときやトイレに行くときはちょっとした肝試し気分だった。
 さて、家がない、金がないはこの際どうでもよく、なによりも一週間も前に拾ってきた皺くちゃな読売朝刊が重要だった。早朝、失業して時間を持て余した父が、先週の読売朝刊を開いたことからこの事件は始まる。
「これだ!」
 思えば、父親の張り上げたこの声が、悲劇へ向かうスタートの合図だった。辛うじてライフラインの残る台所で朝食の用意をしていた母親が「なにごと?」振り返る。黄ばんだ短パンと、着古したちゃんちゃんこ姿の父親は、勢いよく立ち上がったと思うと目を剥いた。
「おい、ママ。小百合は家にいるんだよな」
「いるわよ。部屋で寝てるはずだから」
「シー坊はそこにいるな」
 そこを動くな、と僕に手を突き出しながら「トシ坊はいつ学校から帰ってくる?」と必死な形相で訊ねてくる。
 小百合はトルコ風呂で働く長女で、トシ坊は小学一年生の三男である。シー坊が僕のことであるが、中学生になった今、この呼び名が嫌いでたまらない。
 母親はエプロンで手を拭きながら台所から居間にやってくると、不思議そうに「トシは今日終了式だから、そろそろ帰ってくるわよ」と答える。
 父親は動かせば爆発する爆弾を抱えているかのように慎重に口を開く。
「よし、シー坊とママ、よく聞いてくれ。俺たちは今月中にこの家を出ていかにゃならん。それは分かってるな?」
 僕は神妙に頷いてみせる。一体この父親はなにを言おうとしているのか。
「全てを差し押さえられ、俺たちにはなんの持ち物もない。文字通り着の身着のまま出ていかにゃならん。――ところがだ。実はワンボックスを兄の家に預けてある」
 売り飛ばされたとばかり思っていた我が家唯一の自動車が、実は差し押さえられないように隠されていたのだ。僕が畳みの下にキョンキョンの生写真とチェッカーズのカセットテープを隠しておいたのと同じだ。
「そいつを使って、我が家は旅に出るぞ」
「は?」
 母親がはにかんだ。父親の言うことは一切合財否定することだけを生きがいにする母親だ。また何を言い出すのかロクデナシ、そんな侮蔑を物語る表情。怯んだようにわななく父親は、助けを求めるように僕を見る。
「シー坊、お前は賛成だよな。お前は我が家の希望の星だ。とても利口な子だ。俺の言ってること、お前なら理解できるな?」
 半ば強制的に同意を求められた。ところが父親の言うとおり利口な僕は、父親の言っている事がほとんど理解できていない。
 我が家のホープである僕は、こうして度々脅迫される。父親の強制と母親の期待の間でいつも苦しむ羽目になる。父親は僕がにっこり笑って肯定することを望み、母親は利口な僕に父親のようにだけはなるなと期待する。
 母親が困っていた僕に助け舟を出す。
「うちの子を巻き込まないでよ。旅するならあんた一人で行って。どれだけ清々するか」
「うちの子だと。シー坊は俺の子でもあるだろ」
「あんたみたいな間抜けな種から、こんな利口な子が生まれるわけがない」
 それが事実であった場合、僕は別の男の種から生まれたことになる。それはそれで少しショックである。
「いいか、シー坊」
 母親の意味深な前言などまるで気に留める余裕のない父親は、必死な顔で新聞の一説を僕に向ける。
「ここをみろ」
 指差された文章を読んでみる。新聞記事の一角。手のひらにも満たない小さな枠に設けられた、ちょっとした時事ネタなどが書かれるコラム欄。そこにはこう表題がうたれている。
「わらしべ長者を現実にした男」
 わらしべ長者? はてなんだったか。僕が首を傾げると「ちゃんと読め」と新聞紙を近づけてくる。すると母親が横から新聞を掠め取り、くしゃくしゃに丸めてしまった。
「これ以上、馬鹿を息子にうつさないで」
「馬鹿をうつすとはなんだ!」
「新聞は三面しか見せちゃ駄目なの。テレビ欄やスポーツ欄ばかり読んでるとあんたみたいになるでしょ」
「ええいっ」
 憤怒した父親がちゃぶ台をひっくり返した。ところがちゃぶ台は一回転して、元の位置に着地した。母親が感心して「おおう、見事」と声を上げると、「馬鹿にするんじゃねえ」と父親が怒鳴った。
「いいか、一家の大黒柱の命令だ。トシ坊が帰ってきたらすぐに兄ちゃんの家に車を取りに行って旅に出るぞ。ママは小百合を起こして来い。トシ坊が帰ってくるまでに、みんなに身支度を整えさせるんだぞ」
 母親がやれやれと肩を竦める。なんだかんだ言って、最終的には父親のやりたいようにやらせる母親も僕にとっては父親と愚かさでためを張っている。
 母親がこっそり僕に耳打ちした
「いい、ちゃんと見とくのよ。あんな父親になっては駄目だからね」
 僕は曖昧に頷いた。



-----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
-----------------------------------------------------------------------


【訪問者】  【閲覧者】

inserted by FC2 system