桃色くも


-------------------------------------------------------
0/1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/00

-------------------------------------------------------

第十二章 〔 選択 〕


  秋の精神が不安定だった。
 思考は一向に纏まらず、恐怖に全身がぶるぶると震え出した。
 深呼吸をしようとしたが、出来なかった。肺が縮まってしまったかのように、空気が吸い込めない。
 強烈な静寂が意識される。空気の流れはない。耳鳴りを催しそうな、苦痛だらけの静寂。
 手に持つ紙切れが震えで乾いた音を立てる。そこに書かれた文字。
『月原秋様、アザー編、お疲れ様でした』
 手書きのその文字は、まるで遊園地に来た客に対して、食事の最は、ぜひ、わがレストランのご利用を! という、陽気な広告みたいだった。
 秋は脳天から血の気が引いていくのが分かった。タイルの床が、海上に敷いたシートのように波打ち、バランスを保つのがやっとだ。
 アザー編とは一体なんだ。
 一体、誰があれを書いたんだ?
 これは誰かが自分宛に書いたものなのか。それともまったく別の意図で書かれた何かのショップの招待状などだろうか。
『おそらく、想像しうる最短である航海二日目にて月原様はこの用紙を手にしたことになるでしょう。ここまでの月原様の行動は予定外の事態もほぼなく、一番オーソドックスな結末を迎えようとしております』
 航海二日目。オーソドックスな結末。
 再び、全身の毛が硬くなったような悪寒。
 得体の知れない紙切れには続きがあった。ひどい二日酔いのような気分の悪さ、文字を眼で追うだけでも苦痛を伴う。
『アザー編に進んだ以上、シナリオ中に散りばめられた多くの伏線は回収されることはありませんが、ここからは有終の結末へ向かう緩やかな下り坂です。水がより低きを選択するように、月原秋様が選択に間違わなければ、きっと自然のうちにエンディングを迎えるでしょう。
 まずは3F浴場のレストエリアへ向かってください』
 指示をされた。
 混乱は収まらない。
 名指しでそこへ向かえとある。
 そこに誰かがいるというのだろうか。
 エンディング。
 エンディングとはなんだ。
「どういう意味なんだ」
 秋は強く目を瞑る。
 ここは豪華客船アカシックレコード号の船上。広い太平洋上。そしてこの部屋はフォーチュンホール。ほかに人は居らず、みな消えてしまった。
 いま置かれている現状を振り返り、再び目を開けたとき、この紙切れの奇妙さが改めて意識された。
 人々が船上から次々に失踪していく奇妙な現実に拍車を掛け、この奇妙な紙切れはとんでもなく奇妙な事が書かれている。
 どうにか紙に書かれていることの意図と理由を結論付けたいが、思考はまったく纏まらない。
 何れにしても秋は指示通り進むしかなかった。誰かが書いた紙切れ。そこには確かに生存者のぬくもりを感じたからだ。
 誰かが生きていて、これを書いた。生き残っているのは自分ひとりではない。今はそれだけでよい。行った先に何があるかなんて、そのとき考えればいい。
 秋はフォーチュンホールの出入り口を顧みた。行くしかないのだ。そこに生存者も答えもあるだろう。
 
 
 
 浴場はフォーチュンホールからほど近くに存在する。浴場の外には無人のリクライニングシートやマッサージシートが大型スクリーンに向いて立ち並んでいる。そこがレストルーム。フォーチュンホールにあった蛍光灯式のライトを頭上に掲げ、暗闇のレストルームを照らす。
 見渡す限り誰もいない。でも、誰もいなくて良かった。無数に立ち並ぶ黒皮のシートの幾つかに、断末魔を物語るような乗客やクルーの死体があったほうがよほど恐ろしいからだ。
 恐怖は身体を硬直させる。精神は前進を拒もうとする。だが、行かなければならない。レストルームのほぼ中央に赤い光が見えたからだ。
 光がレストルームの中央付近、マッサージシートの肘掛部分を赤く縁取っている。人影はない。だが、なぜ赤い光なのか。短絡的に血の連想をする。
 近寄ると、マッサージチャアの上に置かれていたのは秋の持っているものと同じ蛍光灯式のライト。何の暖かみもない赤い明かり。
 秋は明かりを手に取った。そして、その手が乾燥した血が張り付いてひび割れたようになっていることに初めて気づいた。
 予想通り、赤いライトの下には紙切れがあり、なにかメッセージが書かれている。
「誰か」が書いた紙。そのメッセージを照らして慎重に観察する。
 字も赤かった。なぜ赤いのかは分からないし、想像もしたくない。文字は大人の字、と言えばいいのか、簡単に書かれていて、達筆だ。だからといって誰の字か特定できるわけでもない。
 ただのコピー用紙らしく、何の異常もない。特に血のりの跡も発見できないし、書いた人間の形跡もない。
 何より重要なのは、目の前にあるこの紙が明らかに人為的に書かれ、そこに置かれたと言うことだ。
 相手は人間だ。得体の知れない異世界の住人ではないのだ。秋と同じ肉に血の通ったか弱い人間。
 秋は書かれている内容を読んだ。
『月原秋様、お疲れ様です。ご足労ですが、次に向かう場所はシアタールーム。5Fのエレベータ正面です。エレベータは生きていますので、ご使用ください』
 普段の状態なら、ここに書かれている奇妙な文章に対するある程度の予想も出来るかもしれない。
 だけど今はだめだ。簡単な問題なことは分かっている。だが今はだめだ。全身に巻き付いて行動を戒めている鉛の管と、頭の中のハンマーで、絶えず脳みそを叩き続けられるのが収まるまで、なにも考えられない。
 今はなにも考えるな。ひらめきを待つしかない。知恵の輪と一緒だ。無駄に弄繰り回しているより、じっと見詰めながら、ひらめきを待ったほうが解決は早い。
 秋は紙を折りたたんで後ろポケットに仕舞い込んで、蛍光灯で付近を照らしながら歩みを進めた。
 
 
 
 ――誘われている。
 間違いない。どこへ導かれているのか。
 アザー編。エンディング。それは何か。どこなのか。そこには満面の笑みで手を叩き、紙吹雪で迎える大学生や叔父さんがいるとでも言うのだろうか。
 秋は繋ぎとめているのか曖昧な意識の中、亡者の行進のようにシアタールームまでやってきた。エレベータは何の電子音も発さずに扉を開く。5Fのシアタールーム。小型の映画館。正面には防火扉のように重たそうな扉が二つ。その片方が黒い口をぽっかりと開けている。
 その時、頭の中の脳みそを支える一本の糸が切れる音がした。自分の息遣いが遠くから聞こえる。警戒音のように耳鳴りが響き、上下左右の感覚を失い、目の前が灰色になった。
 弦を弾くような音が余韻を残して消えて行く頃、遠くへ行っていた意識が戻ってくる。
 数秒、気を失っていたらしいことに気づく。血を流しすぎた。流血は止まっているが、ライトに照らされた手やシャツを見る限り、大量の血を流した事が分かる。氷の洋服をまとったように皮膚が冷えて硬くなっている。
 進めるところまで進もう。そう思って重たい足を踏み出す。黒く縁取ったシアタールームの入り口に立つと、見下ろす場所にある映画のスクリーン手前が青く光っている。
 今度は青い光。色に意味を見出せないまま、ゆっくりと足を踏みだす。
 スクリーンまでは緩やかな下り階段になっている。劇場にあるような半円のお椀型。お椀の中央へ歩みを進める。
 秋からの視界は、持っている蛍光灯の光が届く半径五メートルと、その誘導灯だけ。秋は宇宙空間に漂う漂流物になってしまった気がした。孤独に輝く星。隣の星は、何万光年と離れている。そんな孤独な空間に浮かんでいる。
 スクリーン手前まで来て、置かれたライトの傍に腰掛ける。歩くのも辛い。意識を繋ぎとめておくのも辛い。少し眠りたい。これ以上進むのは、一眠りした夜明けからでもいいじゃないか。
 秋は蛍光灯式の携帯ライトを床に置き、案の定置かれていた紙切れを手に取った。青い字でメッセージが書かれている。読むしかない。それしか選択を許されていない。それしか出来ないのだ。
 
『月原秋様。ここまで来られたという事は、これからもお付き合いいただけると理解しています。月原秋様がこれまでに抱かれている懸念がこれから晴らされようとしています。しかし、全てではありません。月原秋様が知りたい真実を下記よりご選択ください。
 
【1】アカシックレコード号失踪事件の真相
→2Fオープンデッキのプールサイドへ
 
【2】十三年前の風木島失踪事件の真実
→3Fオープンデッキのテニスコートへ
 
【3】超能力研究会サークルメンバーたちの真実について
→4Fライティングルームへ
 
以下、必ずお読みください。
 ※制約事項。
@上記選択肢以外の選択をした場合、その時点でエンディングとします。その場合は月原秋様の満足のいかれる情報は得られません。
Aこれより制限時間が発生します。制限時間はシアタールームを入った時点でカウントを開始しています。』
 
「……一体、何だこれは……」
 思わず、声に出して呟く秋。
 ――誰がこんなものを……。
 秋は顔を上げた。見えるのは周囲五メートルの座席の羅列と、その先に溶け込む闇。
 一体何の冗談なんだ。
 アカシックレコード号失踪事件の真実?
 十三年前の失踪事件の真実?
 超能力研究会サークルメンバーたちの真実について?
 なぜ大学生たちの事が書かれているのだろうか。これを書いたのは大学生たちだとでも言うのか。
 アカシックレコード号の失踪事件の真実とはなんなのか。何か秘密でも隠されているのか。
 十三年前の失踪事件。
 なぜ、いまここでその事件について書かれているのか。この現状と何か関係すると?
 制限時間とはなんだ。時間内に次の目的地まで行かないと、一体どうなるというんだろうか。
 秋はシアタールームを出た。
 落ち着いてものを考える心境ではなかった。誰が何の目的でこれを書いて、自分に何をさせたいのか。
 制限時間の発生。なぜ、その時間を明記していないのだろう。あと何分あるのか。何時間あるのか。制限時間が過ぎると一体なにが起こるのか。
 誰かの茶番にいいように踊らされているのだろうか。まさか自分以外の人間が全て失踪してしまった現状も茶番だとでも言うのか。まさか、そんな茶番劇を演じて何の得がある。
 三つの条件が示された。分岐である。選択しなかった場合に何が起こるのか、秋は恐ろしくて堪らなかった。この紙を書いている人物が、人々を消し去っている張本人かもしれないし、他の失踪者たちはこのくだらない紙の指示に従わなかったために消されたのかもしれない。とにかく今は何れかの選択をしなければならない。
 行くと何がある?
 そこに何がある?
 混乱の中、廊下で立ち止まり、秋はもう一度その紙を読み返した。
 もう一度読んだが、混乱した頭では簡単な文章も理解することが出来なかった。自分を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。
 左手手首の付け根を眉間のあたりにぐりぐりと押し付けた。何かいい考えを絞り出そうとしたが無理だった。
 考えている時間が無い。
 制限時間とは一体なんなのか分からないし、何のために存在するのかも分からないし、どれくらいあるかさえ分からない。制限時間をオーバーした瞬間、暗闇に潜んでいた異形の化け物が大口を開けて秋の腹や胸の筋肉を食いちぎり……。
 時間が分からない。
 それが、どれほど冷静な考えの邪魔をするものか、秋は痛感した。
 何も出来ない。
 この紙に従うしかなかった。
 アカシックレコード号失踪事件の真実。
 いま、リアルタイムに起こっていることだ。どこかの悪意のある誰か(この用紙を書いた人物、あるいは集団)によって引き起こされた「事件」であるのだ。「失踪事件」と明確に記されているのは、これが超常現象ではなく人為的な事件であることを示唆している。
 それになぜ十三年前の風木島失踪事件が選択肢に入っているのか。あの世紀の大事件である未解決集団失踪事件。神隠し事件とも言われる奇妙な事件が、今回と関係があるのか。
 大学生たちの真実。なぜ、数々の失踪者を出していながら大学生たちのみを示唆しているのか。この失踪事件に重要に関わっているということなのか。いや、関わっているというより、秋は揺さぶられている。
 失踪事件ではなく、今の秋にとって何がもっとも重要なのか、それがこの選択肢の意図なのだ。
「心が読まれてる……」
 一人呟くと、一時忘れていた孤独が思い知らされるようだった。
 そして秋はライティングルームの前に立っていた。
 
 
 
 喉がからからだった。もちろん腹も空いていたが、頭の中では甘い飲み物の映像が駆け巡る。コップに結露するほど冷えたオレンジジュース。りんごジュース、ぶどうジュース……。
 清涼なイメージに垣間見える星名ひゆりの仕草や表情。欲しているもののひとつなのだろうか。証拠に、こうして秋はライティングルームの前に立つ。
 ライティングルームは4Fの中央部にあり、窓はない。だが部屋の名前の通り、ライティングに志向を凝らした部屋となっており、通電されていれば眩しすぎず朗らかなライトアップされた部屋となる。様々な書簡が壁際に並べられ、雑誌、図書、専門書、新聞等と、図書館の様相を呈している。インターネット端末や会議室も用意され、空港のラウンジのような様相である。
 ただし、明かりがあればの話である。手に持った蛍光灯式のライトに照らされた暗闇のライティングルームは、窓もないせいか息苦しい圧迫感と閉塞感に酸素さえも薄く感じる。
 ――制限時間は間に合っているんだろうか。
 心の片隅で懸念しながら、テニスコートほどの面積のライティングルームの一番奥に、明かりがともっているのを発見した。
 ――ディスプレイ?
 テレビか、パソコン端末のモニターか。ディスプレイから漏れる光が、壁に掛けられた奇妙な絵画を照らし出している。秋からすればモニターは後ろを向いているので、映っている内容までは分からない。
 誰もいないが、整然と立ち並ぶソファーとテーブルに足を取られないように、部屋の一番奥にあるディスクに向かう。
 ディスクを一周してモニターの前に来ると、モニターには見慣れたパソコンのOS画面が映っている。ディスクトップと呼ばれる初期画面である。
 そのモニター明かりに照らされ、ディスクの上に一枚の紙。反射的に取り上げて文字を追う。
『月原秋様がご選択されたのは【3】超能力研究会サークルメンバーたちの真実についてです。ここからは船内LANシステムで繋がれた端末が利用できます。お手前のパソコンのディスクトップにあるテキストファイル〔3:サークルメンバーについて.txt〕を開いてください』
 従わなければならないのか。これは一体何の茶番だ。
「くそ」
 秋は拳で思い切りディスクを叩いた。どん、という音は暗闇の無人空間にむなしく反響を生むだけ。誰も何の音だと振り返ったり、怪訝そうに睨みつけたりもしない。
 いっそ、この場で舌を噛んで絶命したら、この茶番を仕掛けている誰かを動揺させる事が出来るかもしれない。
 そんな真似などできはしない。そこまで茶番を仕掛けている誰かに読まれている気がした。
 渇きと空腹と疲労。そのマイナス因子を全てぶつけるかのように、荒々しくマウスを掴み、叩きつけるように〔3:サークルメンバーについて.txt〕をダブルクリックした。
 程なくして画面に開いたのは、テキストファイル。画像も絵柄も何もない箇条書きの文字列。
「くそ」
 拒否したい。読みたくない。でも、生存本能がそれを許さない。秋は苦々しくパソコンのモニターを睨みつけた。
『1:あなたが一人であったら、4Fスモーキングルームへ。
 2:あなたが二人、もしくはそれ以上であったなら5F医務室へ。
 3:条件1、2を拒否なさる場合、制限時間を待ってメインエントランスへ。
 ※制約事項。
 ・制限時間は、あなたが1人であれば20分。2人ならば15分。以降、1人増える毎に五分のマイナス。
 ※特記事項。
 ・当該ディスクの引き出しにアイテムあり。四桁の数字入力でカギを開けることが出来る。
 ヒントはこの紙の中』
 
 秋はディスクを確認した。
 ディスクの引き出しには、確かにカギがかかっている。南京錠の形をしていてダイヤルで四桁の数字を合わせるタイプのものだ。秋はそのダイヤルを「1254」と合わせ南京錠を引っ張るとあっさりと開いた。
 これはただの時間稼ぎだろう。焦らせるための作戦だ。かといって絶対的に難解な問題でもない。明らかに「アイテム」を掴ませたがっている。もしくは、この引き出しの中にあるものを見せたがっている。
 引き出しの中にはなにが入っている?
 秋は引き出しを開く前にもう一度良く考えてみようと思った。
 このままではいけない。
 
 
 
 制限時間は条件にあった二十分。二十分はそれほど長くはない。分かっているものを整理しようと思った。
 まず、これはまさしくゲームだ。誰かが悪い冗談で作り出したお遊戯である。
 おそらく、この紙の指示に従って目的地に赴いたとしても、またこれと同じような選択を迫られるだろう。このまま大人しく指示に従いたくなどないが、逆を言えばこの紙の指示に従っている間は、正体不明の「誰か」に秋は危害を加えられないということだ。
 それになりより、船上の人間達がいなくなっていった事が明らかに人の手によるものだと確信できたことが大きかった。いや、そんなのは最初から分かっていたはずだ。
 人の手によるものだとイメージできた、というほうが正しい。超常現象じみた空想を秋は頭から振り払うことが出来た。
 この紙を書いたものは、この豪華客船の何処かにいる。どこからか秋の様子をじっと覗っているに違いない。その理解は秋に希望をもたらす。
 もしかしたら星名ひゆりはまだ生きているかもしれない。他にも生きている人間が。
 秋はディスクに座り込むとパソコンのディスクトップ上の時計を確認して、慎重に二十分を計った。最低でも五分前にはこの部屋を出なくてはならない。
 もう一度、パソコン画面に表示されたメッセージを読み返す。
『1:あなたが一人であったら、4Fスモーキングルームへ。
 2:あなたが二人、もしくはそれ以上であったなら5F医務室へ。
 3:条件1、2を拒否なさる場合、制限時間を待ってメインエントランスへ。
 ※制約事項。
 ・制限時間は、あなたが1人であれば20分。2人ならば15分。以降、1人増える毎に五分のマイナス。
 ※特記事項。
 ・当該ディスクの引き出しにアイテムあり。四桁の数字入力でカギを開けることが出来る。
 ヒントはこの紙の中』
 人数を示唆している。
 一人であったら、二人であったら、それ以上であったら。
 秋がほかに誰か一緒に、この場にいるという可能性を示している。確かに、それはありえない話ではないが矛盾点がある。
 手書きの紙には確かに「月原秋」と名指ししていることだ。ということは、秋は必ず訪れると分かっていた? いや、最後に月原秋が残ったからこそ、月原秋を名指ししているとも言える。
 もし、最後に残ったのが月原秋以外、例えば星名ひゆりだったら、名指しは彼女のものになっていたのだろう。
 でも、人数を指定している理由が分からなくなる。
「……」
 不意に、思考が止まった。
 頭の中が空白になったかと思うと、目の前がブラックアウトした。
 次に自分の額がディスク上に衝突した音で目が覚めた。
 目の前にはディスクの木目。はっとして顔を上げると、額にじくじくとした痛み。
 唐突の意識の途切れだった。何の脈絡もなく、前兆もなかった。自分がかなり参っていると自覚して寒気を覚えた。
 気絶したのだ。気絶して、頭をディスク上にぶつけなければ、そのまま気絶して制限時間オーバーになっていたかもしれない。
 気絶する直前まで、なにかひらめきそうな気がしていた。この茶番の答えを理解できそうな気がしたが、いま確実に頭は真っ白に初期化されている。
 仕方がない。もう一度最初から整理――。
 秋は思わず、席から飛び上がるように立ち上がった。
 制限時間は二十分。残り三分しかない。理解できない。考えに耽っていたとしてもせいぜい五分程度。残り十分弱あるはずだ。一瞬だと思っていた気絶していた時間は思ったより長かったのか。
 秋は慌ててライティングルームを出た。条件どおりに行くとすれば、4Fスモーキングルーム。同じ階にある喫煙所である。ものの一分でたどり着くと、飛び込むようにスモーキングコーナに駆け込んだ。
 壁に埋め込み式のベンチと、灰皿の置かれた円形のテーブル。空気清浄機は停電のため、停止しているのでここも不気味な静寂が漂っている。
 三つある円形のテーブルのひとつに、ノートパソコンが明かりを点していた。
 制限時間は間に合っているはず。
 今回は用紙が見当たらない。
 ベンチに腰掛け、ノートパソコンのディスクトップを見た。
 
 
 
 ディスクトップには何らかのアプリケーションが立ち上げられており、グラフィカルなウィンドウが開いている。
『最初にここをクリック!』と大きな文字でリンクが張られており、自分の荒い息遣いを聞きながらクリックする。すると別ウィンドウで文字列が出現した。
『ここから、次のポイントまでの制限時間は二十分です。ただし、前のポイントでアイテムを入手している場合は制限時間にプラス五分のボーナスが与えられます。制限時間のカウントは部屋に入ってきた時点から開始されます。
 ではまず「ネットワーク」ボタンを押し、新しいウィンドウを開いてください。
 そこには三つのボタンがあると思います。それぞれが三つの部屋の端末にリンクされています。ボタンの名称も「5FステートルームB 5012」「6Fカードルーム」「6Fオープンバー」の部屋の名前になっています。
 あなたはその三つの部屋の端末にアクセスし、情報を得て次のポイントを見つけてください。
1:行き先は「5FステートルームB 5012」「6Fカードルーム」「6Fオープンバー」のいずれかです。
2:行き先によって、あなたにプラスになる事もありますし、マイナスになることもあります。今の現状を判断し、より良いポイントに進むことをお勧めします。
3:制限時間をオーバーした場合、あるいは棄権する場合、制限時間を待ってメインエントランスへ。
4:これより、制限時間をオーバーした場合、制限時間をオーバーしてから五分の新たな制限時間を設け、メインエントランスへの扉をロックして入れないようにします』
 
 秋は目の前のモニターを見詰めた。ボタンを押せ? 一体どんな目的で「誰か」は自分にこんなことをさせるんだ?
 確かに「ネットワーク」というボタンがあり、押すと別画面に遷移し、三つのボタンが現れた。
「5FステートルームB 5012」と「6Fカードルーム」と「6Fオープンバー」の三つのボタン。
 秋は順番通り「5FステートルームB 5012」のボタンを開いた。
 現在のウィンドウからさらに重ねて現れる
新たなウィンドウ。そこには「5FステートルームB 5012.exe」のボタンがひとつだけ存在した。秋は訳も分からないままボタンをクリックした。
 瞬間に、何かが起動した。カラフルでグラフィカルな画面が登場した。同時にスピーカーからオーケストラの重くて不気味な音楽が流れてくる。その音楽に驚いて、椅子から尻を三センチほどバウンドさせた後、深呼吸してからその画面をじっと眺めた。
 そのウィンドウ内には暗い大地に立てられた三つの墓石があった。その墓石の背後の暗雲立ち込める空には縦横と稲妻が走っていて、それが走ると同時に雷の効果音もスピーカーから飛び出してくる。
 秋は呆然としながら、それを見ていたが、時間が無いことに気づいてその三つの墓石を観察した。墓石には文字が書かれている。
「――なんだこれは……」
 思わず口ずさむ。
 その画面を前に瞬きすら出来ずにいる。
 その墓石には人の名前が書かれていた。
 一番左の墓石には「赤嶺未来」。
 真ん中の墓石には「笹川由利子」。
 一番右の墓石には「福田守」。
 秋はそれを目にして何を思っていいのか分からなかった。
 そこには、確かにいなくなった学生のうち、三名の名前があった。
 何を思えばいい? 「やつら」は秋にこれを見せて、一体どんなリアクションを望んだのだろうか。
 ふと思い出す。このスモーキングルームにやってくるために選んだ選択肢は確かに「大学生たちの真実」だった。
 秋は呆然としながら、ポインタを「赤嶺未来」の墓石の上に持ってくる。
 ダブルクリックをすると、画面が変わった。
 次に現れたのは、趣味の悪い絵画の額縁が現われ、その額縁の中に文字列が現れた。
 額縁の左上に、小さく赤嶺美紀の写真があった。その右には名前と生年月日、血液型、星座にいたるまでが書かれている。
 全体的な印象は、履歴書のような感覚。
 写真や名前の下には、少ないが、文字列があった。
 秋はそれを読んで、再び驚愕することになる。
 
 赤嶺未来、20歳、1980年3月21日生まれ、A型。
 8月10日、10時13分、乗船。
 8月11日、20時05分、失踪。
 
 たったこれだけであったが、そこには赤嶺未来が乗船した時間、それから失踪した日時まで書かれている。
 そして、それは突然起こった。
 秋の悪寒は、悪性のウィルスのように全身を駆け巡って侵食していった。
 あまりの悪寒のひどさに、秋は気分が悪くなり気を失いかけた。
 秋はディスクの上の両腕に額を置いて、その悪寒が少なからず去っていくまで顔を上げることが出来なかった。
 貧血、疲労、寝不足。
 すべての要因が重なり、耐え切れないような極寒の風が、秋の身体を駆け巡ったのだ。
 しばらく経って、秋は顔を上げる。
 無気力の色が濃く秋の顔を染めていた。
 秋の絶望感が渦巻きのように、胸の中の希望をはがし、混沌に巻き込んでいく。
 ――もう、止めてもいいかな。何もしたくなくなってきた。
 防波堤となっていた気力が薄れていくとたんに、それまで塞き止められていたストレスが秋の胸に流れ込んできた。
 轟音を立てながら、紫色の水が秋の全身に満ちはじめる。
 紫の水はひどく重量を持っていて、それは液体窒素のように冷たい。
 もう動けない。
 いったん入り込んでしまった紫の水を、排水することが出来ないことを秋は知っている。
 秋はそのまま顔を伏せてじっと時間が過ぎていくのを待つことに決めた。
 
 
 
 どれほどそうしていたか分からない。
 今は何より、このゲームに参加することが一番腹立たしかった。
 いつまでこの茶番に付き合わなければならないのか。
 もう恐れること自体に疲れきった。恐怖とは平和な日本で暮らしてきた秋にとって、あまりにも使わない筋肉だった。使わない筋肉は退化していき、持久力も瞬発力も無い。疲労しきって今はもう千切れてしまうそうだった。
 秋は時間の流れを知るために、端末の一番下にあるデジタルの時刻を見た。12時32分を表示している。正確に表示を現すと「0:32」だ。
 日付が変わった。
 今日は8月12日。
 日付を思い出して、これほど無意味に感じたことはない。今日が12日だろうと、13日だろうと、秋の運命は何も変わりはしない。一体、日付など誰が決めたんだ? 良く考えたら、始まりはいつなんだろう。時間なんて、ビックバンに始まってずっと流れつづけてる。決め事にしたがって、時間が流れるわけはない。今日がいつであろうと、今が何時何分であろうと、秋にとってたいした問題ではない。
 なのに、秋は時間に縛られて生きている。時間が秋の生活のほとんどを埋めている。二十四時を過ぎれば深夜だから、そろそろ寝なくてはならない。だって明日の朝6時からは仕事があるんだ。それから、正午になれば昼飯を食わなければならない。それ以外は食べてはいけない。だって、昼休みは正午からの一時間しかないんだから。
 誰が決めたわけでもない。誰が強要しているわけでもない。でも、秋はそれにしたがっている。どうしてしたがっているのだろう。
 それは自由が息苦しいからだ。
 秋は生まれてからこのかた、自由だった。
 自由とは空洞だった。ただっぴろい空洞だった。何も無い、宇宙空間のようにただそこに黙って浮かんでいる。
 人は自由の刑に処された囚人。
 自由は人に科せられた宿命だ。この世に生まれ落ちてから、生まれた意味など秋には知らされないし、いくら考えても分からない。何かに生まれた意味を見つけたとしても、それは適当なこじ付けで、自分の人生は意味を持っていると慰めているだけだったし、生きる意味を見つけることなんて、不可能だと思っていた。
 秋は進んで、規則に縛られることを望んだ。時間に縛られることや、法律に縛られていきることは、秋にとって道標と同じ事だった。
 何も無い、がらんとした空洞に道を作ってくれた。
 自由は地獄だ。
 だから、人は人生というレールを自ら作り出して、それに沿わせて人間を生活させた。生きることの意味を導いた。
 束縛は幸福だ。
 全てが決められた人生があるからこそ、人は幸せでいられる。
 生まれてから、人は必ず目の前の巨大な空洞に恐怖する。自分の未来はまったくの空洞だと悟りはじめる。
 そこにはただ、自由だけしか存在しない。自由を恐れ、人はそこに束縛を造る。
 レールを敷くのだ。過去の人々が用意した道具の中から、好きなのを選んで、道を作り上げる。その決められたレールの上を走っている間だけ、人は安心できる。
 日付や時間、それに法律やマナーや道徳は、秋の自由という苦しみを和らげてくれるクスリだった。
 そのたった一つの良薬がこの端末の選択肢というわけだ。
 もう、秋はこのくだらないゲームに依存しなくては生きていけなかった
 
 
 
 後どれくらいの時間が残っているのだろう。
 秋は渦巻く思考の中でそう思った。
 秋はポケットや懐に持っていたものをすべてディスクの上に広げてみた。
 ディスクの上に並べられたのは、ここに来るまでに読んだA4の紙が三枚。そして、前の部屋で手に入れたディスクの中に入っていたアイテム。B5サイズの冊子だった。幼児向けの絵本のようだ。
 中を読む気力はない。脇にどけると、目的を失った気がして強烈な虚無感が襲ってくる。ゲームを続けろ。無意識が秋に語りかける。色々な疑問が残っている。何か分かりそうで、なにも分からない。
 行動しなければならない。秋は自分の体の中に、少しでも生きて帰ろうという意志があるかどうか探ってみた。
 発見できなかった。
 秋は再び画面に向かった。
 いま開いている赤嶺未来のプロフィール画面を消し、赤嶺未来の墓石の隣にあった笹川由利子の墓石をクリックした。
 赤嶺未来のときと同じような画面が開く。
 
 笹川由利子、1980年1月29日生まれ、A型。
 8月10日、10時50分、乗船。
 8月10日、17時50分、失踪。
 
 これだけの情報。
 秋はいったんこの画面を閉じ、笹川のとなり、一番右にあった福田の墓石をクリックする。
 現れたのは、やはり履歴書のような画面。
 
 福田守、1979年5月3日生まれ、O型。
 8月10日、10時51分、乗船。
 8月11日、10時44分、失踪。
 
 やはり、これだけの情報。
 秋は三つの墓標が立つ画面を閉じ、別の部屋「6Fカードルーム」のボタンを押す。
 予想通りにグラフィカルな画面が登場する。前の部屋と同じ、暗雲立ち込める空をバックに、三つの墓石が立っている。
 左から「小山内康平」「榊巻信二」「矢的秋良」。
 秋はもう、悠長にそれを観察もせず、すぐに「小山内康平」の墓石をクリックする。
 表示される情報。
 
 小山内康平、1964年8月29日生まれ、AB型。
 8月10日、10時50分、乗船。
 8月11日、02時59分、失踪。
 
 そのウィンドウを閉じ「榊巻信二」の墓石をクリックする。
 
 榊巻信二、1979年4月9日生まれ、B型。
 8月10日、10時50分、乗船。
 8月11日、17時10分、失踪。
 
 そのウィンドウを閉じ、さらに「矢的秋良」の墓石をクリック。
 
 矢的秋良、1979年5月30日生まれ、B型。
 8月11日、13時20分、乗船予定。
 8月13日、17時55分、失踪予定。
 
 読み終えて気づく。
 矢的明良とは一体誰だ?
 8月11日乗船予定?
 予定だと?
 秋は制限時間を意識した。
 もう、あまり残っていないはずだ。
 秋は重なっている画面を閉じていき、次の部屋のボタン「6Fオープンバー」をクリックした。
 
 やはり、三つの墓石の画面。
 注目すべきは、まさにこの画面だった。
 そこにあった名前は、左から「森山祥二」「星名ひゆり」「月原秋」。
 秋の名前があった。
 秋の墓標には一体何が書かれているのか。
 とりあえず、秋は順を追って「森山祥二」の墓石をクリックする。
 前の画面でもあった矢的明良、そして森山祥二は八月十二日に遅れて乗船するはずだった二人の大学生だ。
 その理解は、べつの新しい理解を生んだ。
 
 森山祥二、1979年11月11日生まれ、O型。
 8月11日、13時20分、乗船予定。
 8月12日、21時03分、失踪予定。
 
 画面を閉じる。
 失踪予定――これはもし仮に、乗船していたらの予定。
 つまり、二人の大学生たちが乗船してきた場合も、これを作った「誰か」は想定していたということ。
 この極上にくだらないゲームを作ったのは、大学生の関係者。もしかしたら、ここに名前の載っている誰かかもしれない。
 そして次の墓標。秋は緊張した。
 秋が知りたかったのは、ここからだ。
 最後に残った星名ひゆりと月原秋の名前。
 もし、月原秋の墓標に「失踪」と記されていて、星名ひゆりが「失踪」とされていなかったら――失踪したのが、星名ひゆりではなくて、秋のほうだったら? 星名ひゆりはまだ船の中でさまよっているということにならないだろうか?
 あるいは、星名ひゆりが「失踪」と書かれていて、秋も「失踪」と書かれていたら、いま生きている秋も「失踪」なのだから、星名ひゆりが「失踪」と書かれていても、それは生存の可能性を意味する。同時に、他の人間の生存の可能性もだ。
 最悪なのが秋の墓石だけ「失踪」と書かれていなかったときだ。
 まだ生きている秋だけ、失踪していないということは――。
 その先は考えたくなかった。
 
 秋は「星名ひゆり」の墓石をクリックした。
 画面が開く。
 星名ひゆりの小さな写真映像が、ウィンドウの右上に現れる。免許所に貼られた写真のように無表情な顔でも、秋はその顔に胸を苦しくした。
 秋は情報を読む。
 
 星名ひゆり、1980年8月24日生まれ、O型。
 8月10日、10時51分、乗船。
 8月11日、20時11分、失踪。
 
 失踪とされていた。
 秋の下腹が急に重くなる。
 腸が鉛に変化したみたいだ。
 秋は「月原秋」の画面を開くのが恐ろしかった。
 秋の履歴書が「失踪」とされていれば、みんなの生存の確率が上がる。
 秋の履歴書に「失踪」の文字が無ければ、それは絶望に変わる。たった一人なのだと突きつけられてしまう。
 秋はポインターを自分の墓石の上に持ってきたまま、どうしてもマウスの左クリックを押せないでいた。
 秋は目を閉じる。
 クリックした。
 画面が開いたはずだ。
 秋は眼を開く。
 ゆっくりと履歴書を見た。
 
 月原秋、1978年12月31日生まれ、A型。
 8月10日、10時50分、乗船。
 
 情報はそれだけだった。
 失踪の二文字はどこを探しても無かった。
 それが伝える事実はいくつかある。
 秋が最後に残った一人であるということ。
 秋が生きていて、さらに「誰か」の巣窟の真ん中にいながらも「失踪」でないということは、他のみんなは自分とは違う状況にあるということだ。つまり監禁されているか殺されているか。
 秋は最悪なクジを引いてしまった気分だった。
 
 時間が後どれほど残されているのか。
 秋は動くべきか、留まるべきか、そんな事に頭を悩ませている。
 秋は画面に残されたウィンドウをすべて閉じ、緑色の画面をただ眺めていた。
 残り時間がどれほど残っているのか分からないが、残り5分も残っているとは思えなかった。
 秋は何だかおかしくなって、くっくっく、と笑った。頭がおかしくなる瞬間、人は笑ったりするらしい。
 秋はいままでの部屋にあったA4サイズの紙を手にとって、それを高く掲げてみる。そこには赤や青の文字でいろいろと書かれている。
 秋はそれを見ると、さらにおかしくなって、ついには大声で笑いはじめた。
「ご苦労様。がんばって考えて造ったゲームなんだろうけど、俺はもうやめた。馬鹿馬鹿しくてやってられないよ」
 秋はおかしくて溜まらず、腸が捩れるほどに大笑いした。苦しくなって涙を流したが、それでも込み上げてくる笑気が落ち着くことはなかった。
「一体誰なんだよ、お前は。何でこんなことをしてるんだ? 楽しいか? お前は馬鹿なのか? 俺はちっとも楽しくないぞ」
 秋はそれからしばらく悪態を吐きながら笑った後、さらに衝動は込み上げてきて、声に出してモニター上に浮かぶ文字を読み上げてはひーひーと笑った。
「ここから、次のポイントまでの制限時間は二十分です。ただし、前のポイントでアイテムを入手している場合は制限時間にプラス五分のボーナスが与えられます」
 そう読み上げて、しばらく笑った。
「カウントは部屋に入ってきた時点から開始されます」
 秋は腹を抱えながら、必死に読む。
「それから『ネットワーク』ボタンを押してください。そこには三つのボタンが存在します。それぞれが三つの部屋の端末にリンクされています」
 まるで、他人がもらったラブレターを友達に読んで聞かせる悪ガキのようだった。
「ボタンの名称も『5FステートルームB 5012』『6Fカードルーム』『6Fオープンバー』の部屋の名前になっています。あなたはその三つの部屋の端末にアクセスし、情報を得て次のポイントを見つけてください」
 秋はそこを読んで、少し笑うのを止めた。ニヤケ顔が戻らなくなったまま、もう一度そこを読み返す。
「5FステートルームB 5012」「6Fカードルーム」「6Fオープンバー」から行き先を選ぶ。どの部屋に行きたいかは、それぞれの部屋にリンクしているボタン内から情報を得て、好きなところに行けということだ。
「5FステートルームB 5012」にリンクしたら「赤嶺未来」と「笹川由利子」と「福田守」の情報があった。
「6Fカードルーム」は「小山内康平」「榊巻信二」「矢的秋良」の情報。
「6Fオープンバー」には「森山祥二」「星名ひゆり」そして「月原秋」の情報。
 これを見て、行き先を決めろ?
 一体この情報が何を意味するのもなのか、全く分からない。
 こんな情報を見せられたって、なんの確信も持てないじゃないか。
 ――それぞれの部屋にアクセスして、得た情報?
 秋の表情からはすっかりと笑みが消えていた。
 しばらくその状態で、硬直していた。
 しばらく。
 数秒の間。
 そして、次の瞬間に弾け飛ぶように立ち上がった。
 ひどい立ち眩みを覚えたが、無視をした。
 秋は机の上に広げた荷物を慌ててかき集めた。
 すぐに部屋を駆け出て次の目的地に走る。
 制限時間が後どれほど残っているのか分からない。
 随分時間が経ったはずだ。
 ほとんど残っていないだろう。
 秋は走るしかない。
 目的の部屋がどこにあるのか、正確な位置が分からない。
 黄色いライトに前方を照らしながら走る。
 残り時間があるのか無いのか。
 秋はエレベータで6Fにやってくるとライトを振り回しながら、ドアプレートを確認していく。秋の脇を次々に通りすぎていくドア。
「ダイニングサロン」「ピアノサロン」「セルフランドリー」。
 ――ここはさっき通った。
 秋はパニックになった頭を落ち着かせる余裕も無いまま、がむしゃらに走った。
「スタッフオンリー」「オープンデッキ」「リネン室」「ステートルーム」。
 ――どこだ。
 時間は確かに、確実に過ぎていく。
 秋の目的地は、見つからない。
 秋は泣きそうな心境で走る。
 時間より早く走れたら。
「非常用室内階段」
「ステートルーム」
「レストエリア」
「スモーキングコーナー」
「カードルーム」
「オープンバー」
「ステートルーム」
「ステートルーム」
 そこまで走って、秋ははっとする。
 秋は慌てて、ばたばたと足音を立てて立ち止まった。
 秋は慌てて踵を返すと、来た道を戻った。
 目的の場所を発見した。
 時間が無い。
 秋は有無を言わず「オープンバー」の扉を開いた。
 秋は、はあああ、と息を吐き出した。
 めいいっぱい空気を吸い込んで、吐いていなかったことに、いま気づいた。
 ドアを開けた瞬間に、零れてくる緑の光。
 秋はその場にへたり込みたい気分だった。
 今度は制限時間に惑わされないように、秋は入室時間を確認した。12時44分だ。
 緑色の部屋は、やはり不気味でしかない。
 秋の持った黄色いライトと混じって、部屋の半分が黄緑に変色している。
 オープンバーは前に行ったライティングルームと同じくらいの広さ。だが、この部屋は暗闇ではない。不気味な緑色が部屋全体を仄かに覆っている。
 非常灯のようだ。不気味極まりない。誰もいない空虚な広さを意識させられ、見たくないものも見えてしまいそうだった。
 カウンターに置かれたノートパソコンが見える。電源は入っているようで、またあのふざけたメッセージと選択肢があるに違いない。
 何度深呼吸しても、胸の苦しさが去ってくれない。何百メートルも全力疾走してきたわけではないのに。
 これが体力の低下か。改めて意識する。過去に飯も満足に食えない時期はあったが、そこかしらに水道はあり水には困らないし、腹が減ればコンビニの廃棄時間を待って弁当を貰いに行く方法もとれた。
 ここはオープンバー。飲み物が腐るほどあるはずであるが、カウンター越しに見えるバーには頑固なシャッターが下ろされている。
 落ち着いてくると、秋はまずメッセージを確認しようと思った。それから飲み物だ。喉の渇きは限界。全身に掻いたべたつく汗は引く様子もなく、体内の水分を常に奪っていく。
 
『基本制限時間は25分です。ただし前の部屋にての自分の名前のある墓標の部屋を選択した場合、一人につきマイナス5分です。制限時間は正確です。それだけは気を付けてください。
 ここからの分岐の条件は複雑になります。時間制限もありますから、すばやく条件を理解し、次のポイントを間違えないように気を付けてください。
1:前回の要領で「ネットワーク」のボタンをクリックしてください。
以下、前回と同様です。
※特記事項。
 今回はアイテムの入手はありません。また、今回からリタイヤが出来なくなりました。メインエントランスへの扉は締め切られておりますので、戻られないよう注意してください。
 これからの行動はくれぐれも慎重に』
 
 秋はすでに端末のマウスに手を伸ばしている。
 時間に余裕があればあるほどいい。
 自分の心は弱い。
 それは理解した。
 また挫折するかもしれないという不安が付きまとうが、その時はその時だ。
 とにかく、前の部屋で見せられた情報。
 このホスト制御室は、森山祥二と星名ひゆりと、月原秋の情報だった。
 ただ、いつ乗船し、いつ失踪したか、それだけのことだった。
 いまいる「オープンバー」にアクセスすることで、三人の情報を得て、一体何の意味があったのかが重要だ。それに、この情報で行き先を決めろという指示。
 それは、アクセスした先の部屋にあった名前の人物の情報が、その部屋に行けば入手できる、という意味ではないか。秋はそう考えた。
 九人いて、三人ずつに分けられた三択だった。でも、迷うことはなかった。この部屋には、自分自身の名前があったし、それに何より。
 秋は「ネットワーク」を開いた。開いたウィンドウには4つのボタンがあった。上から「森山祥二」のボタン。「星名ひゆり」のボタン。「月原秋」のボタン。
 そして、最後のボタンが問題だ。
 ボタン名は、ただ「X」とだけある。
 これはどういう意味なのだろう。
 開くと何かの仕掛けが起動して、コンピュータが止ってしまう、とか。
 どれを先に開くべきなのか。
 ――くれぐれも慎重に。
 秋の心境を表すかのように、画面上のポインタがうろうろと徨う。
 時間が流れる。
 時間制限。
 全く厄介だった。
 秋は、決意も半ばに「X」のボタンをクリックした。
 ウィンドウが開く。
 ぞくぞくする瞬間。
 ウィンドウには、一つのボタンがあった。紙の上にペンの置かれたアイコン。テキストを意味するものだろう。
「X.txt」のボタンをクリックすると、文書の画面が開いた。
 そこには文章がある。
 
『このウィンドウは一度開いて、閉じると二度と開けなくなります。それから、1分後に自動的に閉じられるようにプログラムされています。注意してください。
 この「X」では重要なヒントを差し上げます。ただし他のボタン押下によりを別ウィンドウを開いた瞬間、このウィンドウはプロテクトされて開けなくなります。したがって、あなたがこれを読んでいるということは一番最初に「X」開いたということになります。
 判断力の優れたあなたにヒントを差し上げます。
 まず、このテキストウィンドウの制限時間は1分です。全てを読むのは不可能ですが、出来る限り読み進めることをお勧めします。先を読めばそれだけ多くのヒントを得るということです。また、どのヒントも等しく重要で、最後のほうに重大なヒントがあるということは有り得ませんので、読み方はご判断にお任せします。
 それでは以下よりヒント。
「ネットワーク」ウィンドウにあるボタンは、どれか一つ開くと他のウィンドウが開けなくなります。最初に選んだボタンは何度でも閲覧可能ですが、他のボタンは二度と開けなくなります。したがって、最初に開くボタンは慎重に決めてください。あなたが一番重要だとお思いになったボタンだけを開くことです。
 しかも、ボタン内には更にいくつかのボタンが存在し、そこでも前の記述通り、最初に選んだボタンしか開けません。選べるのは一つだけです。階層は非常に複雑に分岐しており、慎重で迅速な判断力が必要です。あまり考えすぎると制限時間がなくなりますので、くれぐれも慎重に。
 このシステムは、以降の部屋でも採用されていますので、ご注意ください。
 次に制限時間のことですが、これより制限時間がプラスされる、またはマイナスされるイベント、またはアイテムが存在します。あなたの行動によっては、プラスされますし、マイナスにされます。
 繰り返すようですが、行動は慎重に慎重をきすことを心がけてく――。
 
 ウィンドウが消え去った。
 タイムリミットだ。
 秋は舌打ちをした。
 スクロールバーを見る限り、いま読んだ情報の十倍以上の文書量があった。どんな情報があったのかはもう羨むしかない。
 とにかくこれから早急な選択が要求されている。
 時間稼ぎが困難な状況だ。
 計算され尽くしているのか。
 このゲームに参加したら最後、後戻りできずに進めていくしかないように巧妙に仕組まれている。
 その証拠にこのポイントから、リタイヤが出来ないと明記されている。リタイヤの意味するところは分からないが、もうゲームを続けるしかないと、秋は洗脳されてしまっている。
 奥に入り込めば入り込むほど、背後の圧力も迫ってくる。進むしか道はない。そう思わされているし、そう強制されている。
 他の部屋には入るなだとか、指示どうりに動けだの、制限時間が過ぎるとドアがロックされるだの、実際、それが事実かどうか分からないし、全てでっち上げかもしれない。実際、制限時間を過ぎてもドアなんてロックされないし、他の部屋に入ったって、なにも起こらないのではないか。秋はただ躍らされているだけ。
 懸念はあっても、残念ながら秋にそれを確かめる勇気はない。
 秋は「X」のテキストウィンドウが消えたあとに現れた「ネットワーク」のボタンを睨みつけた。
 そこには「森山祥二」「星名ひゆり」「月原秋」「X」のボタンが並んでいる。さっきの文書に依れば「X」のボタンはもう開けないということだった。まず、それを確認した。
「X」をクリックした瞬間、警告音とともに小さなウィンドウが開いて「プロテクトされているために開けません」と表示された。
 秋は再び「ネットワーク」のウィンドウを睨みつける。
 どれを開くって?
 これを選ぶことによって、一体なんの情報が得られるのか。
「森山祥二」を選べば「星名ひゆり」と「月原秋」の情報は見ることは出来ない。
「星名ひゆり」を選べば、他の二つの情報は見ることが出来ない。
「月原秋」を選んでも同様。
 このボタンの中は、間違いなく個人情報が入っている。行方の情報なのか、それとも生死の情報なのか。それともふざけたプロフィールか。
 前回の情報は生年月日、血液型、乗船した時間、失踪した時間。
 それ以上の情報が手に入るということだろうか。
 どれを選ぶべきが迷った。
 ここで特定の誰かを選ぶことによって、その他の誰かを犠牲にすることになるかもしれない。あるいは、選ばなかった誰かは、死を迎える結果になるかもしれない。それは考えすぎだろうか。
 秋は選ぶ人間を絞られている。三択で選ばされている。
 選ばされているのである。自分の意志で決めているようで、実は用意された「3択」以外を選択することが出来ないのである。はたして、その意味は?
 A4の紙には、自分の名前のボタンがあった場合、マイナス5分のペナルティが課せられると書かれている。それは自分のボタンに存在する情報には、重要なものがあると暗示しているのだろうか。
 時間制限があることを思い出した。
 それほど悠長に考えている暇はない。
 秋は時計を見た。
 12時57分。
 すでにこの部屋に来てから13分が経過していた。
 あと7分しかない。
 あと7分!?
 移動の時間を考えると、それは恐ろしく短い。
 秋はもう、自分に素直になるしか手立てが無かった。
 秋はボタンを選んだ。
「星名ひゆり」をクリックする。
 
 現れたのは3つのボタン。
 ボタン名は、
「重要度1(一分のペナルティ)」
「重要度2(二分のペナルティ)」
「重要度3(三分のペナルティ)」。
 秋は時計を見た。
 後六分。
 ペナルティは、あまり取られたくない。
 秋は「重要度1(一分のペナルティ)」を選んだ。
 6分マイナス1分。つまり、5分。
 慌てて選んだせいで、少しの後悔があった。
 その中に、再び三つのボタンがあった。
「ヒント1(一分のペナルティ)」
「ヒント2(二分のペナルティ)」
「ヒント3(三分のペナルティ)」。
 ――ふざけるな!
 秋は悪態を吐く。
 ペナルティをもらうほどの余裕はない。
 しかし、どれかに選ばなければ次の目的地すら分からないのだ。
「ヒント1(一分のペナルティ)」を選ぶ。
 残り時間、4分マイナス1分。つまり3分。
 秋は額に汗を掻いた。
 頭がかゆくなったが掻く余裕さえない。
 そのボタンの中にあったのは一つのテキストファイル。
「ヒント1」と書かれたそのファイル名にはペナルティーの文字はなかった。
 秋は半分安堵し、半分焦ってアイコンをクリックする。
 のろのろと開く文書のウィンドウ。
 開ききったとき、その表れた文章が意外に短いことに半分安堵し、半分失望した。
 秋はそれを一目で読む。
 秋は荷物をかき集めるとオープンバーを飛び出した。
 時計を見る。
 あと2分しかない。
 イチモツが縮み上がるような感触。決して心地いい感覚ではない。
 落ちていくような感覚。
 気ばかりが前に進んで、秋は何度も足をもつれさせた。
 しかし、幸運だったことがある。
 秋は「オープンバー」に入る前、6Fの施設を走り回っていた。
 そのおかげで次の部屋の場所がすぐに分かった。
「ピアノサロン」
 
 
 
 秋は30秒の余裕を残してピアノに駆け込んだ。入った瞬間、暗闇の中、グランドピアノの上にノートパソコン。秋はもういちいち戸惑っている余裕はない。
 ノートパソコンのモニターにはいつもどおりの指示があった。
『基本制限時間20分。自分の名前のボタンを選んだ場合、マイナス5分。前回ポイントでペナルティとしてマイナスされた時間の合計を2で割り、求まった数字から端数を切り捨てた分を制限時間に加算(たとえば5分なら、2で割って2.5分。端数切捨てで、2分のプラスになる)。
 以下、前回のポイントとルールは同様』
 
 秋はとりあえず傍にあった高そうな椅子を思いっきり壁に投げつけた。椅子は壁に突き刺さり、ぱらぱらと壁の破片を落としながら椅子も床に落ちた。秋はいいかげん一度は感情を爆発させないと、この馬鹿げたゲームに付き合っていられなかった。
 秋は何事も無かったかのようにノートパソコンの前に立つ。制限時間について細かい指定があったが、計算している余裕も体力も無い。とにかく取り憑かれたようにマウスを操作した。
「ネットワーク」のアイコンをクリックすると、ウィンドウが開き、三つのボタンが出現した。
 前の部屋「オープンバー」で読んだ「ヒント1」のテキストの内容を思い起こす。
 
『次の部屋で「ネットワーク」を開いたとき、最初に三つのボタンが現れる。その時「重要度2(2分のペナルティ)」を選ぶと、重要アイテム入手の可能性がある。
 次のポイントは「6Fピアノサロン」』
 
 たいした情報ではなかった。ペナルティ1分の情報はこんなものなのだろうか。
 さて、ピアノサロンの端末から現れたボタンは以下の3つ。
「重要度1(1分のペナルティ)」
「重要度2(2分のペナルティ)」
「重要度3(3分のペナルティ)」
 3つのボタンが縦に並んでいる。まだ制限時間に余裕がある。
「重要度2(2分のペナルティ)」をクリックする。
 次に現れたのは、二つのボタン。
 上から、
「星名ひゆりについて(2分のペナルティ)」
「桃色くもについて(7分のペナルティ)」
 秋のマウスを持つ手が止った。
 一体、桃色くもとは何だ? 7分ものペナルティを課せられるほどに、重要なことなのか。
 秋は閃光のように記憶が蘇った。
 十三年前の失踪事件。風木島で起こった前代未聞の神隠し事件で、たった一人の生存者がいた。その生存者がたった一言、テレビの前で残した言葉。
「ももいろくも」
 ――どうして十三年前のことが……。
 今回の事件に関係があるとでもいうのだろうか。
 だが、迷ったのは一瞬だ。
「星名ひゆりについて(2分のペナルティ)」をクリックすると、さらにボタンが現れた。
 上から、
「重要アイテム入手(2分のペナルティ)」
「個人情報(2分のペナルティ)」
 秋は再び迷う。
 一つ前のボタン名が「星名ひゆりについて」だったのだから、どちらを選んでも星名ひゆりに関係した情報に違いない。アイテムがいいのか、それとも情報がいいのか。
 どちらにしても、ペナルティが課せられる以上、急がなくてはならない。
 秋は時計を見る。
 7分が経過している。
 残り時間9分マイナス4で残り5分。細かい制限時間加算があったが、計算する暇は無い。
 ボタンを選んだ次の画面で、ファイルではなく再びペナルティ付きのボタンであった場合、それこそ余裕がなくなる。迷っている暇はない。
 秋は「重要アイテム入手(2分のペナルティ)」を選んだ。
 次に現れたのはテキストファイル。
 ペナルティはない。
 安堵して、それを開く。
 テキストウィンドウが開き、文字列が出現した。
 それは秋の期待を裏切らないものだった。
 
『ピアノの鍵盤部分にアイテムがあります。
 南京錠の暗証番号は「9385」。
 次のポイントは「7FコンファレンスルームF」』
 
 確かにピアノの鍵盤の蓋部分に南京錠がついていた。ふと気づく。グランドピアノの弦部分の蓋にも南京錠が付いている。どういう事だろう。ボタンの選び方によっては違うアイテムを入手できるということだろうか。
 秋は鍵盤蓋の南京錠を解除し、中のアイテムを手に取った。
 何だこれは。
 秋はその黒い箱をライトに近づけてみる。
 ――カセットテープ。
 これに何か吹き込まれているのか?
 秋はピアノサロンを見回した。
 そこにカセットデッキは存在しない。
 これが、星名ひゆりの手がかり?
 時計を見る。
 もう二分しかない。
 このゲームは秋に余計なことを考えさせてはくれない。
 秋はとにかく走った。
 
 
 7FコンファレンスルームF。様相は会議室だ。実際は英会話教室や陶芸教室などの目的で使用される。
 まず始めに、ライトを縦横無尽に照らしてカセットデッキを探したが、この部屋には無かった。
 秋は部屋に入って、質素な組み立て式のテーブルの上に置かれた端末を操作した。
 まず、メッセージがあった。
 
『そろそろ、ゲームの趣向がお分かりいただけた頃かと存じます。
 重ね重ね申します。一度選んだボタンを変更することは出来ません。
 嘘はつかないように。
 基本制限時間は25分。選択した名前によるペナルティはなし。前回受けたペナルティの総数を2で割り、端数を切り捨てた数を制限時間に加算。
1:ルールは前回同様「ネットワーク」からボタンを選んでください。
 ※特記事項。
ここでの選択は重要です。ここで選択を誤ると、二度とは手に入らない物もありますので、慎重に』
 
 すでに習慣化した手つきでマウスを操作し「ネットワーク」のウィンドウを開く。開いた画面にはボタンが5つあった。それぞれのボタンには文章が書かれている。
 
「あなたが1人のとき、これを押してください」
「あなたが2人のとき、これを押してください」
「あなたが3人のとき、これを押してください」
「あなたが4人のとき、これを押してください」
「それ以外のとき、これを押してください」
 
 嘘はつかないように――。
 前置きされた言葉を思い起こす。
 秋は一人である。
 秋が独りで来ることは予定されていることではなかった。二人かもしれなかったし、三人かもしれなかった。それぞれのボタンに書かれた文章がそのことを示しているが、ワナであることは否定できない。
 秋は前の部屋にあったA4用紙を見た。
 こんな記述があった。
『制限時間は、あなたが1人であれば20分。2人ならば15分。以降、1人増える毎に五分のマイナス』
 5人いたら、制限時間は0分。ようするに、このくだらない茶番ゲームには4人までの参加が「あらかじめ想定されていた」ということ。5人以上だったらどうなるか。ゲーム自体発生しない?
 秋は制限時間を意識する。急いだほうがいい。
「1人のとき開く」ボタンをクリックする。
 2つのボタンが現わる。
 
「飲料水、食料を得たい場合(制限時間プラス5)」
「星名ひゆりの情報について(ペナルティ5分)」
 
 とりあえず周囲にあるパイプ椅子を放り投げ、蹴飛ばした。なにをしたいのだろうか。こんな選択を迫って秋を試している。食料か、星名ひゆりか。なぜそんな選択をしなければならない。
「なんだって言うんだ。俺が何をしたって言うんだ」
 どちらがより重要か。それを選べと言っている。これを作ったやつは、どこかで薄ら笑いを浮かべながら秋が迷い戸惑う姿を見ているに違いない。
 喉の渇きは焼け付くようで、先ほどまで脳裏に駆け巡っていた甘い飲み物はなくなり、今ただた水。清涼な滝から流れ落ちる冷たく清潔な水のイメージばかりだ。
 どちらかを選ばなくてはならない。それは秋にとって「10分」という貴重で多大な時間を要した。
 迷っている暇など無いのは分かっている。こんな選択に何分も掛けるくらいなら、目を瞑ってランダムに選んだ方が効率的だ。
 渇きは秋の舌や喉を苦痛にべたつかせ、明らかに体は水分を欲している。水分を得て、口の中、喉、胃袋が潤った瞬間、秋の体力はかけがえの無いエネルギーを得ることになるだろう。
 必要なものだ。水は、何よりも必要なものだ。
 これから先も星名ひゆりの情報は得られるかもしれない。このカセットテープもある。水や食料は、いつ得られるか分からない。「誰か」の用意がなければ、水をろくに口にすることが出来ないのだ。
 秋は拳でディスクを叩いた。
 どん、と音がし、ディスクトップがぐらぐらとぐらつく。
「人を弄んでそんなに面白いか。俺が水や食料を手に入れるのも、全てお前らの指示に従わなくちゃならないということか。こうやって目の前に餌をちらつかせて、ゲームを進行せざるを得なくするのが目的だろう。……畜生」
 秋は涙を流して、何度も机の上を殴った。
 最後にあった言葉。
『ここでの選択は重要です。ここで選択を誤ると、二度と手に入らない物もありますので、選択は慎重に』
「俺に水か星名さんか、選べというんだな。どちらかを選んだら、どちらかはもう2度と手に入らないと言いたいんだな。――ほんと腹が立つよ」
 
 
 
 みんな生きているのだろうか。
 このくだらないゲームを造ったやつが、みんなを一人一人攫っていったのは間違い無いが、秋は誰の屍体も見たわけではない。
 すべては「誰か」が知っている。全てを知っていて、仕組んでる人間がいる。あるいは人間じゃないかもしれない。
 化け物。
 そう、この船には化け物が住んでいる。それは十三年前に突然現れて、風木島にいた人間を一人残らず(月原秋の幼馴染だけを残して)飲み込んでしまった。その時も、一体も屍体は発見されていないし、生存者も発見されていない。
 そして、十三年後に再び失踪者が出た。
 今度は豪華客船の上。日本海のど真ん中。
 近い未来に秋も失踪者の仲間入りをする。
 失踪した人間を発見した者はいない。帰ってきた者もいない。
「誰か」が、いなくなった人間達を「失踪」となぞったのは十三年前の事件を臭わせたかったからかもしれない。
 これは十三年前の風木島失踪事件の続きなのである。
 続きだ。
「桃色くも」って何だ?
 秋の幼馴染、倉本京子は何を見た?
 倉本京子は今も生きている。
 精神病院で生活しているはずだ。
 だったら、十三年前の失踪事件を誰かに話しているかもしれない。失踪事件は本当に、謎を残したままなのだろうか。
 本当は、このからくりが解けているんじゃないのか? 失踪事件の解明くらいは、されているのかもしれない。ただ公表されていないだけだ。
 そうだとしたら、桃色くもって何だろう。
 桃色、要するにピンク。ピンクのくも。ピンクの蜘蛛。ピンクの雲。ピンクの雲?
 秋は全身が電撃を打たれたかのように痺れた。見たではないか。ピンク色の雲。あれは一体なんだったのか。なにか失踪事件と関係があるというのだろうか。
 幼馴染の女の子が口走った「ももいろくも」。秋も見た「桃色くも」。同じ「失踪事件」という条件下で。
 どうして幼馴染の女の子だけ生き残ったんだ?
 彼女はなぜ、失踪しなかった?
 同じ、桃色くもを見たから?
 秋は自分の手を睨みつけながら、じっと考え込んでいた。
 秋はすでに選択をしていた。
 水が、星名ひゆりか。
 そろそろ、制限時間が迫っている。
 秋は腰を上げた。
 
 
 
 秋は先のほとんど見えない廊下を、黙って歩いてた。喋る相手もいないから、黙っているのは当たり前だ。
 少し眠りたい。
 この焼け付くような喉を冷たい水で潤し、そして少し眠りたい。そしたらこの悪い気分も少しは晴れる。一体いつから眠っていないのだろうか。いつまでこの苦痛に堪え忍べば、解放がやってくるのだろう。苦痛なだけだ。これ以上これを続けても、ただ苦痛なだけだ。
 亡者のように歩く。
 眠ってしまえ。
 テストの点数なんて、もうどうでもいいじゃないか。テストの点数が低いからって、いまさら自分の評価に変わりはないし、眠いのなら眠ってしまったほうが自分らしい。眠ってしまっても、どうにでもなるよ。
 いなくなってしまいたかった。こんな思いをするのなら、失踪者の一人になってしまったほうがよほど楽だった。
 どうして生きているのか。
 星名ひゆりとの最後。
 秋が彼女を襲おうとしたとき、クーラーボックスで頭を殴打した拍子に死んでしまえば良かったのに。
 思い出す。
 彼女の最後の表情。
 恐怖に歪んだ顔。
 あんな顔させたくなかったのに。
 あのときの秋は、ひゆりの恐怖に歪んだ顔や、悲しんだり不安になったりする顔が見たかった。
 ――あなたの事が気になっている人がいます。それは誰でしょう。
 秋が星名ひゆりに投げかけた問題。
 彼女が答えられなかった唯一の問題。
 答えは「福田」だ。
 そう答えた。
 だけど、本心ではひゆりにそう答えて欲しかったわけじゃない。
 臆病で卑怯な秋は、その答えを「秋」と答えて欲しかった。
 
 
 
 このゲームに参加している限り、誰かに襲われる心配はない。それに他の人間の屍体を見てしまう心配も無かった。
「誰か」は秋に他の人間が生きているか死んでいるかを知らせず、迷わせるのが目的だと思った。迷わせたいのだから、正解である屍体を見せる必要はない。
 脅かされる心配はない。
 ただ孤独なだけだ。
 その孤独は「誰か」に利用されている。
 もし、全ての欲を禁じられた男に、ベッドと食事と裸の女のどれかを与えると言われたら、どれを取るのだろう。どれかひとつだけだ。生きるために必要なものを取る。必要なのは睡眠か食事か。いずれにしても女ではないだろう。
 食料と水、あるいは星名ひゆり。
 秋が生存するために必要な選択。
 秋は8Fスイートルームの前に立っていた。
 秋は倒れ込むように視界に入った椅子に座った。ギシ、と音をたてて沈むリクライニングシート。
 ミニバーのカウンターには見慣れたノートパソコンのモニター。
 徐々にこのモニターに安堵を抱くようになる。このモニターの中だけに人のぬくもりがある。
 
『森は静か。
 暗くて寒い。
 十三の風は誰の頬もなでないし、誰の髪もなびかせない。
 そこにいるのは二人。
 もしかしたら、一人。
 雨も降らない、熱い陽射しもないのに傘を差す。
 そのまま立ち尽くし、十三の風を耐え、じっと待つ。
 隣にいる誰かをじっと待つ。
 あなたが来るのをじっと待つ。
 待ちくたびれてもじっと待つ』
 
 これが「星名ひゆり」の情報だった。
 居場所を示した言葉だということを秋は見当付けた。
 ――森は静か。暗くて寒くて風も来ない。
 そんな場所に星名ひゆりがいる、ということか?
 雨も陽射しも届かないような屋根のあるところで、二人でいる。でも、本当は一人。星名ひゆりと一緒にいる人間は死んでしまっている?
 立ち尽くしながら、誰かの助けをじっと待っている。
 立ち尽くす?
 何かに吊るされているか、柱などに立った状態で縛り付けられているのだろうか。
 居場所を示していたとしても、それがどこなのか分かるはずも無い。何処かに居場所の分かるキーワードでも隠されていると思ったが、結局分からなかった。
 しかし、これは星名ひゆりが生きていると暗示している文章ではないだろうか。
「待っている」という言葉は、星名ひゆりが生きているという意味ではないか。
 でも「もしかしたら一人」というのは、もう一人は死んでいるかもしれない、という意味に受け取った場合、それが星名ひゆりじゃないとは言いきれない。
 この言葉の全体図が見えないことには、どうとでも捉えることの出来る文章だ。
 もう、進めないよ。
 眠りたいよ。
 ここはスイートルーム。
 部屋には柔らかい天国のようなベッドがある。
 
 
 秋はノートパソコンの前で、もう開いているのか閉じているのか分からない目でモニターを見た。
『基本制限時間30分。前回ペナルティを受けた時間、割る2で求まった数から端数を切り捨てる。その数字を制限時間にプラス。
 制限時間が増えたということは、選択肢が増えたということです。それに、その他のイベントがあるということかもしれません。選択に迷う、ということかもしれません。それだけ重要度も高くなるということです。
 再三言うようですが、アイテムは有効に活用してますか?
 ルールは前回同様。もう、説明するまでもありませんね』
 
 自由の牢獄。
 生まれてすぐに、自由という地獄に人間は放り出される。何の意味合いも持たない人生という大広場。何も無いことに不安になり、憤る。
 誰も、何も教えてくれない。だれも束縛してくれない。ルールを作ってくれない。
 だけど今はルールがあった。
 それはこのノートパソコンが示してくれる。
 道を歩けば、危険の無いように標識が秋を導いてくれる。それを守っていれば、秋は前に進んでいると実感が出来たし、心が満ち足りた。
 もし、分からないことがあっても、標識が教えてくれる。
 もし、迷うことがあっても、標識が目的地を教えてくれる。
 決められたシナリオと、道に沿って歩くことは幸福なことだ。全てが決められた人生こそ、幸福と言えるのだ。
 
 秋は「ネットワーク」を開く。
 そこに現れたファイル。
 
 画面が変わった。
 黒い画面上半分に額縁が現れる。そこに文字が走った。
 
「欲しい情報を選んでください」
 
 その額縁の下に、選択肢が現れた。
 
「エンディングまでの分岐状況」
「重要アイテム入手」
「その他」
 
 秋はぼんやりとそれを見る。
 ルールさえも忘れてしまった。
 ここまでの習慣的なものが、秋のマウスを握る左手を動かす。
「その他」を選んだ。
 次に現れたウィンドウはテキストファイルがある。
 
「その他.txt」
 
 秋は、そのファイルをダブルクリックで開いた。
 内容は、以下の通りだ。
 
「このボタンを開いたあなたは、エンディングや、アイテム入手などの目先の事よりも、その他という甘美な謎に興味を持ったのですね。好奇心旺盛な方なのでしょう。こちらとしても、とても望ましいことです。そう、この選択をしたあなたは、この先重要な情報を得ることになります。なにより、あなたが進むべき道は、全てを知ることにあることを覚えておいてください。全てを知るのです。
 あなたは、招待客が何人いたかご存知ですか? また乗船クルーは何人いたかご存知ですか?
 たずねましたが、実は訊くまでもない質問です。あなたは実は招待客もクルーも、人数を把握していません」
 
 文章にはまだ続きかがあった。しかし、そこまで読んで、急に睡魔が襲ってきた。そのうち、後頭部を後ろにそらすように、椅子から転げ落ちそうになった。
 秋は、大げさなアクションで、体勢を立て直すと、余計なことで再び体力を使った気分になり、さらに気分が落ち込んだ。
 もう、少しでも文章を読もうとすれば、まるでそれが強力な催眠術であるかのように、眠り引きずり込まれる。
 秋は、頬を叩いてみる。しかし、ただ不愉快なだけだった。すべてに無関心で無気力だ。精神力とか意志の力とか、ぼんやり考えてみるが、考えることが今は何よりもつらい。
 一体、いつまでこんなことを眠らず続けていなければならないのか。
 秋はコンピュータのディスクトップを見た。
 途端に霞んで二重になる視界。
 ――あなたのことが気になっている人がいます。
 それは、とてもとても気になっている。
 
 
 ――森は静か。
 ――暗くて寒い。
 ――十三の風は誰の頬もなでないし、誰の髪もなびかせない。
 ――そこにいるのは二人。
 ――もしかしたら、一人。
 ――雨も降らない、熱い陽射しもないのに傘を差す。
 ――そのまま立ち尽くし、十三の風を耐え、じっと待つ。
 ――隣にいる誰かをじっと待つ。
 ――あなたが来るのをじっと待つ。
 ――待ちくたびれてもじっと待つ。
 
 
 君は十三年前の風木島失踪事件の生き残りだったのか。
 そうなのか。
 ――森は静か。
 君の心の歌だ。森は僕らの追憶の地。
 ――暗くて寒い。
 君が書いた歌なのか。
 ――十三の風は誰の頬もなでないし、誰の髪もなびかせない。
 風は時の流れ。十三年の時は何も動かさなかった。倉本京子、君は十三年前から時が止まったままなのか。
 ――そこにいるのは二人。
 幼馴染の女の子と星名ひゆり。
 ――もしかしたら一人。
 倉本京子。あるいは星名ひゆり。
 ――雨も降らない、熱い陽射しもないのに傘を差す。
 僕らは別荘の玄関の扉に、相合傘を書いた。覚えている。
 ――そのまま立ち尽くし、十三の風を耐え、じっと待つ。
 君はずっとあそこにいたのか。
 ――隣にいる誰かをじっと待つ。
 相合傘で幼馴染の隣に書かれた言葉は、月原秋。
 ――あなたが来るのをじっと待つ。
 待っていたのか。僕のことを待っていたのか。
 ――待ちくたびれてもじっと待つ。
 今日は、8月12日。
 幼馴染だった女の子の二十歳の誕生日。
 君は僕が約束を忘れてしまったことを怒っているのか。だから、こんなことをしたのか。
 そうなのか。星名さん。
 ここまでの選択肢は、君の情報を得るための選択だった。ならば、この文章は星名ひゆりを指し示すものだと考えて間違いない。だが、この言葉、あるいは詩は、同時に倉本京子のことを唄っている。
 そうなのか?
 あなたは十三年前の風木島失踪事件のたった一人の生き残りなのか?
 
 
「すべてを知れ、だと?」
 秋は、遠くにいってしまった意識の中、そう呟いた。
 秋は目を見開いた。必死に、必死に眉間に力を込めて、視界の焦点を合わせディスクトップに開かれた文書を睨みつける。
「なにより、あなたが進むべき道は、全てを知ることにあることを覚えておいてください。全てを知るのです」
 ――知ることが、ゲームの目的。
「僕に、すべての謎を知れと言っているのか。十三年前の事件、それと今回の事件。それを、知れと……」
 再び、意識が落ちていく。
 どうやったら、この意識を繋ぎ止めておけるというのだろうか。
 痛み。
 痛みだ。
 眠ってしまえば楽なのに、何のために辛い思いをするんだ。
 秋はぼんやりと、もう半分白目を剥いたような目で、ゆっくりと首を回した。
 何もない。
 どうしたらいい?
 このまま、この椅子から固い床に倒れこんだら、極上の苦痛が目を覚ましてくれる。
 意識が遠くなる。
 意識が遠くなるのは好都合だ。
 右腕が床に激突する、その瞬間の恐怖を味あわなくて済む。
 このまま右側に倒れこむように、意識を失えばいい。
 ――右側に倒れるように……。
 
 
 
 気づいたとき、秋は床の上で寝返りをうつように、ごろごろと転がっていた。
「ああ……」
 ひどい苦痛。吐き気を催す、苦痛。
 しかし絶叫する力も、呻く力もない。
 秋は右腕が床に激突する瞬間、またはその瞬間の痛みを覚えていない。その瞬間、意識を失っており、意識を取り戻したのは床に激突した数秒後。
 右腕に広がる、骨の中に通った神経に折れた骨が突き刺さっているような苦痛。まるで腕の痛みに、今目覚めたような感覚。
 目覚めてから、ああ、床に右腕を打ちつけたんだな、と気づく。
 成功だったのか、失敗だったのか。
 失敗して、眠りこけてしまうことはなかったが、眠気が覚めたとも思えない。秋は深海に潜っていくような感覚で、上半身を起こした。
 右腕が、苦しい。
 そういう表現しかない。
 骨が折れたか、砕けたか。
 何れにしても右腕が邪魔だ。
 これほどまでに苦痛なら、いっそ右腕を切り落としてしまいたい。こんな痛みだけの、役立たずな右腕は要らない。切り落として、眠ってしまいたい。
 後悔した。
 あきらめるとき苦痛も少なく、安らかに眠りたい。
 これでは苦痛を伴う最後になってしまう。
 秋は10倍になってしまった地球の重力を煩わしい思いながら、椅子に腰掛ける。
 ディスクトップを見た。
 焦点は狂っていない。
 秋は、文書の続きを読んだ。
 
 
『あなたは、招待客、クルーの人数を把握していません』
 知ってるさ。乗客は52名。クルーは全て併せて520名。併せて572名。
『それは、あなたが全ての人間を一人一人確認したわけではないということです』
 確かにその通りだが、それが何の意味がある。
『あなたも、うすうす気づいていたのではないですか? 乗客、クルーを合わせてこの船には80名あまりしか乗船していません。それの意味する多くのことを、賢明なあなたのことですから、きっと察していることでしょう』
 
 恐ろしいことだった。それが本当のことならば。
 秋は気づいていた。乗船しているのが実は150名ほど。公式に発表されているのは572名。それが虚像であるというならば、のこりの400人はどこに消えた?
 失踪事件? 572名が失踪する。その非現実さ。すなわち、400人近くはもともと居なかったと文章は言っている。いなかった人間なんだから、消失もクソもない。
 失踪事件のカラクリの一部が紐解ける。
 実際に秋から「見えなくなった」のはたった150人。150人ならこの広大な客船に監禁することは容易だろう。
 エキストラルームでさえ、それくらいの収容キャパシティはあるのだ。
 572人をひとりひとり確認したわけではない。同時に視界に入るのはせいぜい50人程度。
 パーティがあった時、果たしてあの場に150人以上いたかどうか、秋には思い出せない。
 そして間違いないことは、この失踪事件には犯人がいて、事前に秋が取得する情報を操作できる立場の人間。
「寝てる場合じゃない。よく考えろ。客観的に考えろ。僕は第三者だ。これは映画で、健康で眠くない僕が映画のスクリーンから、このゲームの登場人物を見てる」
 呪文のように呟く秋。
 あるいは、その呪文が効力を発したのか、秋は脳みそに滞っていた血液が供給されるのを感じた。
「僕が置かれてる状況は、とても危機的状況なんだ。殺されるかもしれない。殺されるかもしれないのに、僕は眠ることばかり考えている。見てるほうはやきもきする。いらいらする。もっとがんばれと思う。見てる側というのは将来の自分だ。一年後でもいい。一年後、もし生きていたら、ここでがんばれたことを誇りにできる。心の底から頑張った自分に安堵するはずだ」
 秋は、ほんの少しだけ、意識がはっきりしてきた気がした。
 文書の続きを読む。
 
 
『では、次の移動場所です。
 制限時間が見えないので、急ぎましょう。
 【10Fスポーツデッキ】です。
 『その他』のファイルを選んだ勇気ある貴方に最後の特典です。次回の制限時間は60分です。休息されるのも、推理されるのも自由。それでは頑張ってください』
 
 
 文書が終わった。
 制限時間がどのくらい残っているのかも分からない。そして、この部屋でどれくらいの時間を過ごしたかというと、これもまったく分からなかった。二十分かもしれないし、三十分かもしれないし、一時間かもしれない。
 秋は荷物をまとめ「スイートルーム」を後にした。
 右手はもはや、指先まで感覚がなく、肘から広がる漠然とした痛みだけが、右腕の存在を知らせている。
 廊下に出る。感覚が麻痺しているのは、右腕だけではなかった。神経もだいぶ麻痺しているようだ。
 麻痺しているのだ。慣れたわけではない。
 前向きなわけでもない。
 秋は歩いた。
 廊下は、前後五メートルの範囲しかライトで照らせない。
 どうやって歩いているのかも分からない。歩く、という今までの習慣が、秋を前進させている。
 オープンデッキを横切り、ガラス張りの一面越しに深夜の屋外が見えた。
 スポーツデッキは10Fの船首部分にあるスポーツの出来る屋外空間。テニスコートやゴルフの打ちっぱなし、バレーボールやテーブルスポーツも出来る広い空間。
 深夜の太平洋の真ん中。屋外に出ると潮風が前髪を揺らした。
 そこから船体を眺めた。あと二階分の階層があり、11Fには展望台やスポーツジム、緑園などがある。12Fには加賀山瑞穂が歌っていたサンルームやプールがある。そしてその上に聳えるのは船を操縦するブリッジ。明かりが完全に落ちているため、その様相は大きな影でしか見えない。
 秋はスポーツデッキに出ると、周囲を見渡してノートパソコンの存在を捜した。
 懐中電灯を周囲に照らし出し、広いスポーツデッキを探し回ったが、ノートパソコンは見つからなかった。
 ぞっとする思いで、自分の位置を確認する。
 確かにスポーツデッキと書かれていた。ここは間違いなくスポーツデッキである。今から戻って確認しなおすか? もしかしたら引き返すことでゲームオーバーの条件になるかもしれない。
 時間は一時間あったはず。その時間は必要だからそのくらいの時間があるのだ。
 もう一度よく探せ。
 すると、資材置き場らしいプレハブの入り口付近にカセットデッキを発見した。
 電源を入れると、電池式らしく電源が入った。
 これでテープを聴けというのか。
 秋はポケットから黒いカセットテープを取り出すと、デッキに入れて再生ボタンを押した。
 しばらく、雑音が続く。
 不審な音はなにも聞こえない。
 しばらく耳を澄ましていると、スピーカーから声が漏れた。
「……ここはどこ?」
 星名ひゆりの声だった。
 秋はかぶりつくようにカセットデッキを抱え込んで、スピーカーに耳を近づけた。
「誰か……誰かいますか?」
 大きな声ではない。囁くような声。悪霊を避け、人にだけ聞こえる声だと思っているかのようにか細く擦れた声。
「ここは……森の中?」
 森の中? 森の中のような場所。サンルームか緑園か。
「あれは……家……明かりが見える」
 誰かに話しかけている? 一人ではない?
「いっぱい並んでる。三軒……もっと」
 森のような場所で、近くに三件以上の家の見える場所。そんなところ、この船の上にはない。
 不意に、土を踏みしめる音。がさがさと足音が聞こえたと思うと、足音が遠ざかって行った。
 スピーカーの音量を上げ、スピーカに耳を押し付けたが、ひどい雑音とともに、テープは途切れた。
 早送りや巻き戻しで何度もテープの中身を確認したが、それ以上の録音はなかった。
「どういうことだ」
 星名ひゆりの居場所を示しているものに違いない。そういう選択肢を選んできたのだから。彼女のぬくもりを感じたいがために、ここまでやってきたのだから。
 なにかヒントはないか。
 手荷物を全て地面に広げる。A4のメッセージが書かれた用紙、絵本。
 絵本は一体何のためのアイテムなのか。
 秋は絵本を開いてみる。
 最初の一文を読んだ瞬間、ひどい悪寒とともに睡魔が襲ってきた。もう意識を繋ぎとめておくのも限界だ。このくだらないゲームはどこまで続くのか。もう付き合えない。必死に目を擦り、痛む右腕を揉むように痛みをぶり返させる。
 眠ってしまったら、きっと目を覚ます事はできないだろう。ここで、考えろというのだ。今までで得た情報をまとめ、事件の真相を推理しろというのだろう。
 もはや、引き返す事はできない。
 もちろん、立ち向かう事もできない。
 ならば、知りたい。
 
 
 
 秋は絵本をめくっていた。
「自由な不自由」
 と題された、絵本。
 最初のページには、未知の町並みを高台の丘から見下ろす絵があった。近未来なのか、それとも御伽噺の幻想の世界なのか、良くわからない。
 そのページの反対側に、ひらがなの大きな文字が並んでいる。
「ここは・じゆうの・まち。
 なんでも・じゆうの・まち。
 なにを・するのも・じぶんの・じゆうに・できる・まち。
 わたしは・そこに・すんでいる・おんなのこ。
 なんでも・じゆうな・まち。
 きょうは・おさんぽ」
 ページをめくる。
 そこには、登場人物の視点なのか、低い位置から見る商店街のような町並みの絵が見えた。
 反対のページにはひらがなだらけの文章。
「きょうも・ひとが・たくさん。
 かいものしたり・うりものしたり・おしゃべりしたり。
 どこかの・おくさん・ふたりの・おしゃべりが・きこえてきます。
『とーすとの・おこげは・がんの・げんいんに・なるらしいですわよ。』
『まあ!・でも・わたしの・そぼには・ききめが・なかったですわよ』
 くすくすと・わらう・おくさん・ふたり。
 わたしは・おさんぽ・します」
 ページをめくる。
 背の高い女性が、小さな子供の手を引いている。
 ページの反対側は会話文だった。
「『これって・なに? 』
『ほけんの・しょるいよ。』
『ほけんて? 』
『ぱぱが・しんじゃったり・したとき・おかねが・もらえるの。』
『ああ・だから・のこぎりを・かったんだね!』」
 ページをめくる。
 老人二人が、民家の縁側に腰をかけている絵があった。普通の縁側ではない。全てが金属的な銀色をしている。色褪せた白黒写真のようだった。
 やはり、そのページも会話文だった。
「『あなた・みて・しんせきの・ひとたちが・かってに・こんなものを』
『なんだい?』
『おとうさんの・いさんの・はいぶん』
『なんだって? うちは・これだけしか・いさんが・もらえないのか?』
『まったく・わたしたちには・いけんを・きかないで・かってに・きめて・しまうんだから』
『しかたないさ・みんな・おとうさんの・めんどうは・よくみてたからな』
『どうする?・おなかの・こども』
『これだけしか・いさんが・もらえないんじゃ・しょうがないな』
『そうね・おろしましょ』」
 秋は本を閉じた。
 きっとこの絵本はこんな調子で続いていくのだろう。
 おおよそ、こどもに見せるような内容ではない。一体、誰がこんな物を造ったのか。秋は絵本の裏表紙を覗いてみた。
 
「デザインー立川光秀」
「著者―月原楠美」
「発行者―月原楠美」
「製本―(有)立川製本所」
 
 秋はどうリアクションしていいものか迷った。
 その後、すぐに深く考えないことにした。
 混乱するだけだ。
 著者と、発行者のところに、秋の母親の名前があったとしても、今はそんなものはたいした問題じゃない。
 問題は、絵本の間から落ちてきた三枚の紙。ノートの切れ端のようだった。
 そこには細かい字がびっしりと書きつめられている。
 それは簡単な日記のようだった。日付もまばら。思いつきの言葉をメモしておくような、質素なものだった。
 
 
 ――7月14日。アキ君は黙ってどこかへいったまま、いつまでたっても会いに来てくれない。
 
 ――7月16日。研究所に連れて行かれた。サルとか、ちんぱんじーとかを見せられた。なんか、かわいそうな気がしたけど、とっても可愛がってもらってるから大丈夫って、先生が言ってた。
 
 ――7月17日。アキ君、どこにいるの? 私はもしかしたら、殺されるかもしれない。助けて。
 
 
 アキ君? それは俺のことなのか?
 明らかに子供が書いたと分かる字。
 そして、連想されるのは十三年前、風木島失踪事件で唯一残った幼馴染の女の子。
 研究所とは、あの松平総合医療研究所のことなのか。
 合点は合う。
 秋はもう一度その疑問を頭に浮かべてから、続きを読んだ。
 
 
 ――7月20日。また研究所に呼ばれた。私の頭に変な王冠みたいのが付けられて、ガラスの向こうで先生達がまじめな顔をして話ししてた。私はきっと殺されるんだ。アキ君、きょう、あなたにテレパシーを送ったの。会いに来てくれるよね。
 
 ――7月23日。おサルが文字を書いてたから、びっくりした。ちゃんと、鉛筆を持って「おなかがへった」って書いてた。先生達はそれを当たり前のように見てる。そう言えばアキ君のお母さんがいない。
 
 
 サルが文字を書く? そんな馬鹿な。
 
 
 ――7月24日。今日は、なんだか研究所のほうがさわがしくて、なんだろうと思ったけど、ママがお外に出てはだめと言ったので、一日中家にいたけど、ちょっとだけ外に出て遊んだ。その時に、見たの。研究所で字を書いてたおサルが、穴を掘ってたの。私はびっくりしておサルにちかよって「なにしてるの?」って聞いたら「あなのなかにはいる」っていってた。そんなところに入ったらくるしいよって教えてあげると、おサルは「でもはいる」っていったから、私はつちをかぶせてあげたの。なんの遊びだったんだろう。
 
 
 感想はなかった。続きを読む。
 
 
 ――7月28日。研究所にいったら、おサルはもういなかった。あのまま逃げちゃったのかな。私はいつもの通り、頭にへんてこなぼうしをかぶされて、頭の中身を見られてた。わたし、きっところされるんだ。わたしの脳みそがそのうちそとにだされて、私は馬鹿になってしまうから、殺されてしまうんだ。アキ君、私が馬鹿になったらもう会いに来てくれないかな。
 
 ――7月30日。私は病気なんだって。脳みその病気。だから、研究所に入院しなくちゃならないんだ。研究所はその辺の病院より、すごいせつびのととのってるところだから、きっとなおしてくれるって。
 
 ――8月1日。12日が私の7歳の誕生日。それから、入院する日。アキ君、来てくれないかな。
 
 ――8月2日。おサルが私のところに来た。夜中に来た。私がベッドの中にいると、窓の外で私のことを呼んでたから、お外にでてお話をした。おサルは「にげよう」って言った。でも、何の事だか分からないから、どうしてって聞くと「ぼくみたいになる」って言った。僕みたいにって、何? ってきくと「こわがりになる」っていわれて、こわいのはいやだから逃げようと思った。それから、穴からどうやって出たのかと聞いたら「くるしくなったから、がまんができなかった」っていってた。やっぱりくるしかったんだ。おサルは私の手を引いて一緒に逃げようとしたけど、私は病気で入院しなくちゃならないって言ったら「あたまをおかしくされるから、いっちゃだめだ」って言われた。やっぱり、脳みそを取られちゃうんだ。「おとなになるまで、けんきゅうじょにとじこめられるよ」とおサルがいったので、わたしはママにおわかれがいいたいから、逃げるのは明日にするって言ったら、おサルは「それじゃあ、またあしたくる」っていった。ママにおきてがみを書くから、日記は終わり。
 
 ――8月3日。ママに「おサルと逃げます。心配しないで」って、おきてがみを書いたのに、おサルは来てくれなかった。ママに手紙を読まれて、すごく怒られた。もう、誰も私を助けてくれない。アキ君。今日もテレパシーを送ったのに、どうして来てくれないの?
 
 ――8月4日。おサルは来ないし、なんだか、まいにち家に先生達がやってきては私にいろいろな質問をして、帰ってく。丸とか三角とか、四角とかを順番にならべたり、わけのわからないへんてこな記号を先生の言われた通りにならべたりした。何でこんなことをするのかって聞いたら、先生は笑って「脳の病気をこうやって退治するんだ」って言ってた。
 
 ――8月8日。雨が降ってたので、お外で遊べなかった。おサルはどうしてるんだろう。雨に濡れちゃうから、うちにくればいいのに。もうすぐ私は脳みそを取られちゃう。馬鹿になっちゃう前に、アキ君に会いたい。
 
 ――8月11日。あした、パパともママともしばらくあえなくなる。アキ君とも。アキ君、私のテレパシーが届いてないの? 私を助けて。わたし、アキ君に手紙を書いた。馬鹿になっちゃったらかけないもんね。その手紙は宝石箱に入れて、アキ君と私の相合傘の下に埋めとくからね。テレパシー通じるといいな。
 
 秋はその日記に見入っていた。どれほどの時間が流れたのか、皆目見当がつかない。腕時計を見た。
 2時30分。
 まだ夜は何時間も続く。見なければ良かったと後悔した。
 日記はそれで終わっている。
 入院、喋るサル、脳みそを取られる。相合傘。
 秋は自分の記憶と、それらのキーワードを必死に参照した。
 8月12日が彼女の誕生日で、入院する日。
 秋は最後に幼馴染の女の子に会った日を思い返した。
 あの日、彼女は研究員達に連れられて、別れを告げ、二十歳になったら迎えに来てと言った。
 秋は目を丸くする。記憶がつながったのを感じ身震いした。
 あの日彼女は訪れた秋と最後に遊ぶことを許された。だが時間制限がある。その間、研究員達は彼女の家の前で待っていた。入院させるためだ。その日は8月12日。彼女の誕生日でもある。秋が最後に彼女にあったのは8月12日なのだ。
 だから、そこで日記は終わっているし、秋が訪れた日のことは書かれていない。
 喋るサル? サルが喋るわけがない。だとしたら、ここで出てくるサルとは一体なんだ? サルに良く似た子供? ちょっと毛深い子供が彼女をからかった? でも研究所で字を書いたサルだと言ってるし、さすがに7歳になれば、サルと人間の区別ぐらいつくだろう。
 不可解な点が多いものの、多くの記憶が蘇り、多くの符号点があった。
 やはり、導き出される結末はひとつしかない。
 秋は立ち上がる。
 眠らない為に、歩き回る。
 無音の屋外。
 空気の停まったスポーツデッキ。
 秋は、その停まった空気の中を泳ぐかのように歩き回る。
「最初に僕をこの船に誘ったのは叔父さんだ。幼馴染の倉本京子が約束の二十歳の誕生日に、僕をこの場に呼び寄せたとすると叔父さんもグルだったのかもしれない。叔父さんがグル?」
 その発想が、秋の頭に血液を巡らせ始めた。
「あの星名さんの情報で得た詩は、明らかに星名さんと倉本京子の子が一緒であることを詠っていた。あれが確かだとすれば、星名ひゆりがこのクルーズを企画して、叔父さんに僕を呼ばせた事になる」
 眠らないように、声を出す。
「でも、僕を呼び出すためだけにこんな大掛かりなクルーズを企画して、大人数を失踪させる意味が見出せない。クルーズでなくてもいいし、570人も失踪していると見せかける必要もない。彼女が僕に怒っているならば、こんな金や手間をかけなくても」
 もう、結論は出ている。
 整理の時間。
 そのための長い制限時間だ。
 分からないことのほうが多い。秋が見えている事実など、今回の事件のほんの一端。でも、全てを知る必要はない。
 この茶番の結末がどう括られるか。
 それが重要だ。
 
 
 
 汽笛が鳴った。
 物語の終焉を知らせる合図。怪物が嘆きの咆哮を上げるかのような音。
 秋は空を仰ぎ見た。
 なにも見えない。だが、予感した。
 終わる。
 おそらくは、秋がいま想像する通りの結末が訪れるはずだ。
 それはこのくだらない茶番を仕掛けた張本人の望むところでもあるはずだ。
 
-------------
 
 邑崎はその時、自分の胸の中で眠る凛子に心の中で何度も謝っていた。そのときが来る瞬間は、せめて凛子は眠ったまま。邑崎は凛子を起こさないよう、ゆっくりと横たえ、凛子の傍を離れた。
 
-------------
 
 月原秋はその時、スポーツデッキから巨大な島の暗影を眺めていた。あるいは予感していたかもしれない。だからこそ、こうして明かりひとつと灯らない島の暗影を目撃しても驚くことはなかったし、むしろようやくこの茶番が終わるのだろうという安堵を抱いていた。


-------------------------------------------------------
0/1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/00

-------------------------------------------------------

【訪問者】  【閲覧者】

inserted by FC2 system