処女+童貞=○○の法則

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四章 《 完全なる貞操に至る結論 》


「まだ、朝倉くんのことがなにも分かってない」
 これが結末を見届けることの芽衣の言い分。
 春枝はただの好奇心だろう。
 理屈なんてどうだっていい。とにかく結末を知りたい。
 幸いにして倉本阿佐美の連絡先は知っており(前の動物園デートの前に連絡先は入手していた)、家の近くまで行くと近くの公園に呼び出した。果たして呼び出しに応じるものかと危惧したが、公衆電話から帰ってきた天見は「大丈夫、ここまで来るってよ」と軽い調子で答えた。
 十数分して倉本阿佐美が公園に現れた。無表情で俺と天見の元へやってくる。
「やあ」
 阿佐美は答えず、俺たちの目の前に佇んでいる。
「なにしにきたの?」
 第一印象のときとはまるで別人のような冷たさ。六郎は阿佐美の顔を見るだけで動悸が激しくなる。怒りと同様が血を逆流させるようだ。
「前に約束したろ。セックスすると死ぬ女。そんな噂、嘘っぱちだって証明するって」
 阿佐美はふんと鼻先で笑い飛ばした。
「馬鹿じゃない。そんなのどうでもいいよ。本当でも嘘でも」
「でも約束は約束だ」
「いいよ、聞いてあげる。それで、噂は本当だったの? 嘘だったの?」
 春枝と芽衣は黙って天見の背後で会話を聞いている。二人は倉本阿佐美と同じ学校で同学年だ。顔見知りであっても不思議はないが、挨拶どころか、目を合わせるような様子もない。
 天見は肩をすくめた。
「行き成り結論? 僕たちがどれだけ苦労したか経緯から話したいんだけど」
「そんな長い時間付き合わないよ。さっさとしてくれない?」
「分かったよ」
 天見は手帳片手に話し始めた。
「結論。噂は嘘っぱちです」
 ふうん、と鼻を鳴らしてあざ笑う倉本阿佐美。その態度は余裕か、動揺を隠すためのフェイクか。
「それで……どうして嘘だと思うの?」
「まず、噂の内容。阿佐美ちゃんとセックスした相手は死んでしまう。死んだのは中学生の頃交際していた人と、高校に入って一年生の頃交際していた他校の男子。それから高校二年生になってもう一人死んだね」
「そうよ」
「中学のときに交際していた人なんだけど、その人死んでないんだ。中学の同級生に問い合わせてね。親しい人の話だと、借金負って一家夜逃げしたそうだよ」
「……そこまで調べたの?」
「うん。でも、そんなことはすぐに分かった。それに二人目の他校の男子生徒。彼は確かに亡くなってたけど、自分の将来を悲観しての自殺だった。遺書も残ってる。君の事は一切掛かれていないし、自殺したのは君との交際が終わってからずっと後のこと」
「それで?」
「三人目の男、高梨も実際に話してきたよ。怪我はしてたけど、元気に生きてた」
 表情を変えず聞く倉本阿佐美。
「以上のことから、噂なんて嘘。君だってそんなこと知ってるんじゃないのか」
「そう。なら、私とセックスしてみる? それが一番早いんじゃない?」
 天見の動揺を誘うような言葉。だが、心のない天見は動揺など言葉すら知らない様子で澄ましている。
「そんなにセックスしたいならしてもいいよ。でも、まだ駄目だ。噂の男たちが死んだかどうかなんてたいした問題じゃない」
「なにが問題なのよ」
「僕はあのときの事が悔しくて堪らないんだ。何で僕があんな目に遭わなくちゃいけなかったのか。何のために? ただのお遊び?」
 倉本阿佐美は再び一笑に付した。
「楽しかったよ。笑いが止まらなかった。あの無様な三人の姿ったらなかった」
「楽しかっただろうね。だから、僕はやり返そうと思ったんだ。だから噂の調査をした。噂なんて嘘っぱちだって証明して、僕はこう言いたかった。『これは君自身が同情を得たいために作った自作自演の噂だ。悲劇のヒロインを演出したかったんだろ』って」
 倉本阿佐美はさぞ可笑しそうに笑っている。
「でも、調査しているうちにだんだん分かってきたよ。僕はよく知ってるよ、春日井のこと」
 倉本阿佐美の笑いが止まった。
「聞きたいんだ。君は本当に望んで春日井と付き合ってるのか?」
 倉本阿佐美は無表情に戻って、光のない目で天見を見た。
「春日井と付き合ってるよ。それで? 私が無理矢理交際させられてるとでも言うの?」
「違うのか?」
「たとえ、そうだとして、それがどうしたって言うの?」
 天見は黙った。
 じっと倉本阿佐美を見つめる。
 倉本阿佐美は動じる様子もなく天見を見返す。
「さっきも言ったけど、最初、君は悲劇のヒロインを演じたくて、そんな噂を自分から流したのかと思った。目立ちたい、注目されたい。そんな理由。始まりはそんな想像から始まった」
「どっちでもいいよ、そんなの」
「良くないよ。僕は君に勝負を挑まれた。君は最後まで受けて立つ義務がある」
 倉本阿佐美はつん、と顔を背ける。
「僕らは噂の元をたどっていって、その噂の大本は君であることを証明しようとしたんだ。でも、行き着いた先は君じゃなくて春日井だった。噂を作ったのも春日井。高梨を死んだことにして、君の周りから厄を除けるように『君とセックスした男は、死ぬ』なんていうジンクスを広めたんだ。そうやって、春日井は君のことを囲おうとしたんだ」
 倉本阿佐美は顔を背けたまま、何も言わない。
 天見は同じ調子で話し続ける。
「だけど、それはここ一ヶ月くらいのこと。三人目の死者の高梨のうわさは、最近のものなんだ。それ以前から、噂は広まってた。ちょうど、新学期が始まったころ。君がこの学校に入学したてのころからだよね」
 倉本阿佐美が「かっ」と音を立てるように天見を睨みつけた。それ以上言ったら殺す。そんな尋常ではない殺意が目に篭っていた。
 それでも天見は黙らなかった。
「事実の糸は二通り。表面を撫で付けたような薄っぺらい真実と、本当の真実。ねえ、君は……」
 倉本阿佐美は苦しそうに眉をひそめた。
 思わず、天見の言葉を遮りたくなる六郎。
 でも、これは天見と倉本阿佐美の問題。
「君は春日井に交際を迫られた。入学してすぐにね。でも、君は断れなかった。怖かったから。断ったらどんな目に遭うか。君は脅されていた。断れない君は身の危険を感じて、自分からある噂を流した」
 天見の声が大きくなった。
「自分とセックスしたら、相手の男が死ぬ。そんな噂を流して、自分のことを守ったんじゃないのか? この噂は君が流したんだ」
 倉本阿佐美は、さすような眼光で天見を睨みつける。
「ねえ、そうだとして、それが真実だとしても何の意味もないんじゃないの?」
「どうして?」
「まさか、私を助けてくれるなんて言い出す気?」
 天見は答えない。
「知ってるでしょ。春日井はこの辺の悪い奴を牛耳ってるチームのリーダなのよ。逆らう度胸があるの? そんな人たちに。あなたたちが」
「それは、僕の言ったことが真実だって認めたと思っていいのか?」
「認めるも何もない。意味がないって言ってるの」
 天見は再び黙る。次に吐くべき言葉を思案しているのか。
「君は望んであんな奴らと一緒にいるのか? 君は半ば脅されて一緒にいたりするんじゃないのか?」
「だから? だったらなんなの? いたいけな私を助けてくれるって? 守ってくれるって?」
 なんだろう。この沸き起こってくる憤怒は。
 天見は腹が立たないのか。
「阿佐美ちゃん。もう一度聞くよ。僕が今言ったことは真実なのか?」
「ばかばかしい。あんたたち、そろいもそろって馬鹿」
 はっきりしない倉本阿佐美に腹を立てた俺は口を尖らせて、天見の前に身を乗り出した。
 天見は制止しなかった。むしろ静かに一歩引いた。
 怒り心頭の様子で倉本阿佐美に詰め寄ろうとする六郎を咎めたのは芽衣だった。「ちょっと」と俺の肩を掴む。
 俺は肩に乗った芽衣の手の甲を「うが」と声を上げて噛み付いてやった。悲鳴を上げて手を引く芽衣。
 俺は改めて倉本阿佐美に詰め寄った。頭に来すぎてもうどうだっていい。
「いいか、この最低女。なんださっきから。だからどうなんだとか、意味がないとか。別にお前なんか助けないよ。助ける気もないよ。俺たちは噂がうそっぱちだって証明しに来ただけなんだからな」
「だからーー」
「うるせえ。噂はお前が流したんだろ。何のためだかどうでもいいって? どうでもいいよ。とにかく、お前はそれを認めるんだろ。認めるか認めないかどっちなんだ」
「そんなの、何で教えてやらなくちゃいけないのよ」
「俺たちが知りたいからだ。お前が最初に仕掛けてきたからだよ。くだらない方法で俺たちをはめやがって。これは俺たちの復讐なんだよ。お前ら演劇部の連中、これから一人一人復讐してやる。お前は最初の一人。最初の復讐だ。お前のくだらない噂を俺たちが嘘っぱちだって暴露いてやったんだ」
「な、なによ。そんなの復讐にも何にもならないじゃない」
「なったんだよ。ああ、気が晴れた。いい気分だぜ。お前のくだらない嘘を見破ってやった。ああ、浅薄な奴だ。お前のくだらない思惑なんて俺たちにはお見通しなんだよ」
「瞞されたくせに。そんなわけの分からない理屈で、勝手に勝った気になってれば?」
「俺たちは最初から人を疑ったりしないんだよ。俺たちは正義だからだ。お前は悪魔だな。人をだますし、くだらない恥ずかしい嘘を流すし。お前がそんなくだらないやつだと思うことで俺たちは復讐するんだよ」
 なにか、六郎の言葉の中に琴線に触れた部分があったのか、倉本阿佐美は顔を真っ赤にして怒り出した。
「な、なにが分かるのよ、あんたなんかに!」
「分かるよ。お前が寂しい残念な奴だって事が。くだらない嘘を垂れ流して、真実だって嘯いて。だけど俺たちなんかに嘘を暴かれて。まったく浅はかで頭の悪い女だな。ああ、清々した。俺たちはこれで復讐終わり。もう用はねえよ。もうどうでもいいよお前。近くにいたら不幸がうつる」
 倉本阿佐美は何かを言い返そうと口をわななかせたが、ついには言葉を飲み込み、強烈な痛みに耐えるように顔を伏せた。
 見てられなくなったのか、春枝が足を踏み出すと、天見が春枝の前に腕を差し出して制した。春枝が地団駄をふんでいるのをよそに、強烈な腹痛を耐えるように倉本阿佐美が声を上げる。
「だったらもう帰ってよ! 気が済んだのならもう帰って!」
「帰るよ。帰るけど、俺たちはもう言いたいことはないけど、なんならお前が反論したいって言うなら聞いてやってもいいぞ。俺たちは清々してるからな。お前が何か言いたい事があるんなら勝手に言えよ」
「何を言ってるのよ。あんたの言ってることは何から何まで分からない」
「だから、フェアにいこうぜって言ってるんだよ。俺は言いたいこといったんだから、お前だって言えばいい。いや、待てよ。やっぱり聞きたくない。だって、どうせお前、嘘つくんだろ。馬鹿でアホな嘘をつくんだろ。そんなのくだらなくて聞いてらんない。この馬鹿女」
「この……」
 歯軋りの音が聞こえそうなほど歯を食いしばって、倉本阿佐美はようやく怒りを六郎に向けた。
「なら言わせて貰うけどね、あんたみたいな不細工が、すぐに女子高生とヤレるなんて思った? モテたとでも思ったの? おめでたい馬鹿よね」
「だから? 別に腹立たないけど?」
 六郎の澄ました態度が、さらに倉本阿佐美の怒りに火をつけた。
「やれると思ったのかよ。お前、自分のがどんな男かちゃんと判ってる? お前みたいな奴に女の子が言い寄ってくるわけないでしょ」
「残念な女の言うことなんかで動揺しないけど。他にある?」
「じゃあ言うけど、私の彼氏は春日井って言ったわよね。あいつ、私にほれてるから、私が何か言ったらあんたらに復讐してくれるわよ」
「やっぱり残念な女だ。自分で復讐できないのかよ。自分じゃ何も出来ないんだろ。自分じゃ言いたいことなんて何も言えないんだろ」
「このー!」
 阿佐美が拳を振り上げてきた。六郎はその腕を掴む。もう片方の腕で俺を殴ろうとしてくるが、もう片方の腕を掴むと、彼女に残っているのは足だけである。予想通り、阿佐美が膝蹴りを喰らわしてくるので、俺は腕を掴んだまま阿佐美の背後に回る。
「腕力ないな。ああ、女はひ弱だ。これじゃ何も出来ないよな。自分のこと自分じゃ守れないよな」
「うるさい! 私がどんな思いで自分のことを守ってきたか。あんたなんかに分かるもんか!」
「そんなくだらないもの分かってるものか。嘘をつくくらいのことしか出来ない残念な女の癖に」
「残念な女って言うな!」
 阿佐美は俺の手を振り解き、正面に向き直った。よほど悔しいのか、目を真っ赤にして涙をためている。それでも腕力で叶わないと知った倉本阿佐美は、殴りかかってこようとしない。もう、倉本阿佐美の持っている武器は。
「私が唯一身を守る方法が、あの噂しかなかった! あんな野蛮な連中の中で、性欲の塊みたいな奴らの中で、私が自分の身体を守るには、あの噂を流すしかなかった!」
 倉本阿佐美が大粒の涙が頬を流れる。激情に震えた声が、いま彼女に残された唯一の武器。
「どんなに恐かったか……! どんなに不安だったか……! いつ犯されるのか、いつ殴られるのか、そんなことに怯える毎日がお前に分かるか!」
 俺が口を開かないでいると、倉本阿佐美はその場に崩れ落ちた。わーと泣き始めると、呆然と立つ六郎と天見は静かに阿佐美を見下ろしていた。
 六郎は乱れていた呼吸を整えると、天見を見た。天見は阿佐美の傍に胡坐をかくと、相変わらず心無いような口調で言った。
「何で抜け出さないんだ? 逃げ出せば良いだろう」
「あん、あんたになんかなにが分かるのよ」
「分からないよ。六郎が言ったろ。僕たちは言いたいこと言ったんだ。君が僕らに何か言いたければ、僕らは聞くよ」
 そう言うと、阿佐美は天見の胸を叩く。
「放っておいて。あんたらなんかに春日井がどうにかできるわけない」
「春日井をどうにかして欲しいのか? あいつを懲らしめたら君は満足なの?」
「満足なわけないでしょ。私は女優になりたいの。ただそれだけなの。あのクラブにさえいれば、卒業までがんばってあのクラブにさえいれば……」
「女優になれるって言うのか?」
「そうよ!」
 阿佐美が勢いよく顔を起こした。高潮した顔、涙と鼻水でぬれた顔で天見に詰め寄る。
「いつか、春日井にやられちゃうかもしれない。春日井以外の男かもしれない。あのクラブにいる限り、誰かに玩具にされる。でも、少なくとも可能性のないオーディションを受けたり、芸能事務所に所属して、来ない仕事を待ったりするよりは可能性があるの!」
「腑に落ちないよ。なんで演劇部に所属してるだけで誰かの玩具にされなくちゃいけないんだ?」
「あのクラブは普通じゃないの」
「どう普通じゃないんだ?」
「もう放っておいて!」
 阿佐美が立ち上がる。
「もう復讐は果たしたんでしょ。おかげで私の心はぼろぼろよ。なんでそんな酷いことするの? 私だって仕方無くあなたたちをだましたんだから。本当はあんなことしたくなかった。死ぬほど恥ずかしかったし、本当にやられちゃったらどうしようって怖かった!」
 阿佐美は身体についた土を払うと「さよなら」といって駆け出した。だが、六郎が阿佐美の腕を掴んで阻止した。
 阿佐美は物言わず俺を睨みつける。
「もうやめて! これ以上、なにを言うつもりなの! 私は――」
「放っておくと思うのかよ」
 俺がそう言うと、電池が切れたロボットのように停止する阿佐美。
「そんな話を聞いて、俺たちがはいそうですかなんて言うと思ってるのかよ」
「思ってるわよ……」
 六郎は阿佐美の両肩を掴んで自分のほうに向けた。
「なんでそんなに苦しんでんだよ。おい、俺を見ろ。不細工な俺の顔を見ろ。お前の大嫌いな俺の顔を見ろ」
 阿佐美が恐怖に引きつったような顔を上げる。
「道端でレイプされてる女を見かけても、殺されそうになってる女を見かけても、そいつが何も言わなかったら、俺たちは何も出来ないんだよ」
「な、なにが言いたいのよ」
「俺たちに出来ることはないかって言ってんだよ!」
 六郎が激高すると、阿佐美が目を皿のように見開く。
「なに言ってるのよ!」
「お前はむかつくよ! 嫌いだよ! でも事情を聞いたのに何もしなかったら、俺たちが悪者になるじゃないか!」
「馬鹿なこと言わないで!」
「馬鹿なことじゃないよ」
 天見が言った。
「正直、また春日井みたいな奴と関わりたくなんかないよ。でも、幾つかあるよ。君を助けてあげられる方法」
 阿佐美が愕然と天見を見た。
「助けれる……どこまで私のことを馬鹿に……!」
「僕には色々考えがある。そのために準備だってしてきた。だから、君が一言だけ言ってくれれば……」
 一言でいい。たった一言だけ。
 阿佐美は顔を伏せた。六郎は掴んでいた両肩から手を離す。阿佐美は俯いたまま、自分自身を抱きかかえるように肩を抱き、しばらく何も言わなかった。
 しばらく誰も口を利かなかった。
 ただ一言。
 言ってくれれば。
 どれくらい経ったのか。
 その間に、倉本阿佐美にどんな葛藤があったのか。
 人の気持ちは分からない。
 なんなこと分かってる。
 阿佐美は顔を上げた。ゆっくりと、憂いそうな表情で六郎、天見と顔を見る。
「……私は」
 長い沈黙の中で彼女は結論を出したのか。それとも何も考えるまでも無く、最初から答えなど決まっていたのか。
 阿佐美は小さな声で言った。
「私は……あんたたちなんか頼らない」
 頼らない。その言葉の裏側にあるものは分かった。だけど、人と人は所詮、はっきりとした言葉を交わさなければ通じ合えない。
「ふたりとも、私、瞞したりして……本当は後悔してた」
 六郎たちは黙って聞く。
「二人なんて赤の他人だけど、どうなったっていいと思ってたけど、やっぱりわだかまりはあって……」
 倉本阿佐美は決して顔を起こさない。
「でも謝らない。私はあんたたちみたいな甘い世界に住んでない。他人のことなんて利用して、蹴落としていかなくちゃ、何も掴めないんだから。あんたたちが馬鹿だっただけ。だまされるほうが悪い」
 違う。俺たちが聞きたいのは、そんな言葉ではない。
「でも、これ以上はかかわらないほうがいい。私だって、好き好んで人を騙したりなんかしたくない……だから……」
 倉本阿佐美は顔を起こした。そのまなざしに称えられるのは、やはり侮蔑のよどんだ光。
「私は私のやり方でやる。誰の力も借りない。あなたたちも春日井みたいな奴と関わらないで」
 ああ、と胸がなった。
「仕方無いね」
 天見が言った。天見も納得いかなそうな顔だ。
 倉本阿佐美はぬれた顔をぬぐって、何度か息を吐いてから言った。
「私のことはもう忘れて。もうこれっきりにして」
 倉本阿佐美は再度、六郎と天見の顔を一度づつ見た。
「それとね……本当はそんなに不細工だと思ってないよ……天見くんはね」
「どういう意味だこの――」
 六郎が突っかかろうとすると、天見が止める。
「ややこしくなるから」
 阿佐美は立ち去ろうと背を向けた。
 だが次にはためらうように立ち止まり、半分だけこちらに顔を向ける。ところが再び立ち去ろうとして、やっぱり足を止めた。
「だめだ……やっぱりだめだ……」
 倉本阿佐美は振り返った。
「どうしてもなり切れない……全部、あなたたちのせいだからね」
 何かの置き土産のようにそう言った。倉本阿佐美は再度うつむくと、もうなにも言わずにきびすを返した。
 最後にもう一言。
 言おうとしたが叶わなかった。六郎の喉からは、この場面にふさわしい言葉が生まれてくることはなかった。
 走り去っていった阿佐美の背中を呆然と眺める。
 仕方ないね。
 先ほどの天見の言葉が頭の中でリフレインする。六郎は天見を見た。
「どうする、天見」
「どうするって、本人が嫌がってんなら僕らは何も出来ないよ」
「そうだけど、なんか気持ち悪いよな」
 天見はため息を漏らす。
 ぽりぽりと頭をかくと、ぼそりと呟くように言った。
「……彼女はきっと強いんだよ。僕らが想像するよりもずっと。彼女の言うとおり、この噂を利用して、どうにか切り抜けるんじゃないのか」
「切り抜けられないかもしれないだろ」
 天見が六郎を見た。六郎はどきりと胸を鳴らす。時々、天見はそんな顔をする。心のないはずの天見が、少しだけ温かみのある表情をするときが。
「僕、思うんだよ最近」
 天見は少し目を細め、心なしか唇を尖らせた。
「僕たち、だんだん大人になってるんだと思うんだ」
「大人?」
「ああ。自分で成し遂げられずに、与えられた幸運なんて価値がない、とか。それが自立心って言うのかな。きっと自分で何とかしなくちゃって思う様になってるんだよ。一年前、僕らが出会った頃とはもう違う。だから」
 俺たちが思う正義など、幼稚な紙芝居。そう言っているのか。
 助けられることを望んでいない。自立心? 自尊心? そんなもの……。
 俺は何も言うことが出来なかった。
「ちょっと」
 ふいに声がして、天見と俺は声のほうを振り返る。そこには、こちらを睨みつける芽衣がいた。また怒ってる。いつも怒ってる。思えば笑った顔を見たことがない。
「なんなよの、あんたたち」
 ずい、と詰め寄ってくる芽衣の背後には不安そうな春枝。
「なんなのって、なにがだよ」
 俺が言い返すと、芽衣は「だから」といったまま言いよどんだ。
 言葉を待ってると、春枝が横から割り込んでくる。
「あなたたち、なんなの? って、私も思う。あの子を助けたいの? それとも復讐して傷つけたいの?」
「そんなこと言われても……」
 芽衣が発言を整理できたのか、再び口を開く。
「あの子達に騙されたんでしょ。それも女子高の掲示板に全裸の写真まで貼られて」
「お、思い出させるなよ。結構トラウマなんだから」
「じゃあ、なんで……」
 そこまで言って、芽衣は再び言いよどむ。
 天見と俺は顔を見合わせる。すると、芽衣はさらに俺に詰め寄ってきた。芽衣は意識していないだろうが、距離が近くなって芽衣のかわいらしい唇が近づく。思わず股間がうずく俺。このまま欲望に任せて抱きしめてしまおうか。どうせ嫌われてるんだし、嫌がらせのように……。
「こんな復讐の仕方、最低。女の子を泣かして帰すなんて、小学生だってそんなことしない」
「お前には関係ないだろ」
「ほら、また言った! ここまでつき合わせて関係ないですって!」
 ああ、かんしゃくを起こした。助けを求めるように天見を見るが、天見はそっぽを向いている。
「今度はだれに復讐するつもりなの?」
 春枝が聞いた。すっかり、六郎たちがやっていることが復讐だと決め付けている。
 ――そして、それは間違っていない。
「次は決めてないよ」
 俺が答えると「いや」と天見が俺の背後で口を開く。
「次は芙由子だよ。紀乃原を騙した芙由子。実は昨日、紀乃原から連絡があったんだ。協力して欲しいんだって。交換条件は出したけどね」
「交換条件?」
「もう、この件が終わったら二度と僕に関わらないこと」
「関わらないって、絶交するってこと?」
「もともと僕らは友達なんかじゃないんだ。そろそろ腐れ縁も終わり」
「おいおい、そりゃないだろ」
 俺と天見は正式な契約関係。そう言おうとしたが。
「あんたたちの友情なんてどうだっていいのよ!」
 芽衣が突然怒鳴ったので、俺は肩をすくめて驚いた。
「いい? もう関係ないなんて言わせないからね。あんたたちのやり方は許せないし、なにより私は朝倉くんのことが気になる。あんたたち、朝倉くんがどうのこうの言ってたでしょ」
「何か言ったっけ?」
 天見が俺に問いかけてきたが、どうのこうの言った覚えはない。そういえば、朝倉は四天王とかいった野暮ったい連中の一人らしいというのは突き止めたが。
「ちゃんと朝倉くんに謝ってよね。でたらめ言って迷惑かけたんだから」
「迷惑をかけた謝罪もお礼も言ったじゃないか。ごめんなさい、ありがとうございました、って。それに朝倉本人に『君は四天王の一人だ』って言ったこともないし、それにサインまでねだってご機嫌もとったじゃないか」
 確かに言った。芽衣は気にいらなそうに「うぐぐ」と唸る。
 空気を読んだ春枝が「ほらほら」と引きつった笑みを作りながら手を叩く。
「要するに、この先のことが気になるってことなのよ。噂の検証。これ、結構面白かったし、最後は思いもしない展開でドキドキしちゃった。ねえ、またこんなことやるの?」
「もうやらないよ。紀乃原は紀乃原のやり方でやると思うし。僕は手を貸すだけ」
「なら、芙由子の同級生として、君たちがひどいことしないように監視する責任があると思うのよ」
「ちょっと春枝」
「芽衣は黙ってて」
 意外と毅然とした春枝の態度に、芽衣がたじろいで口をつぐむ。
「だからね」
 春枝は真剣なまなざしを天見に向ける。
「次の復讐、また私たちを誘ってね。ほら、今回だって結構役に立ったでしょ?」
 そこまで言うと、春枝はわざとらしく「ね?」と可愛い声を出して小首をかしげた。
 天見は困ったように俺を見たが、好奇心旺盛な春枝のお茶目さが可愛らしいな、と俺はころっと思ってしまったのだった。
 
 
 
 これは前日譚。
 まだ夏休み前のこと。
 噂の検証を始める数日前のこと。
 天見は春枝に対して、ひそかに接触を試みていた。
 春枝の下駄箱に、ラブレターを扮した置手紙をしたのだ。
 内容は以下のとおり。
「この手紙は君と話をするためのきっかけにするものです。決して疚しい気持ちがあるわけではありません。こうしなければ君と話できないから、仕方なくこうしています。さて、僕は君の親友の緑川芽衣の重大な秘密を知っています。知りたければ裏町二丁目の喫茶店『ディープパープル』に来てください。このことを本人、または第三者に話したら秘密を暴露します。来てくれたら、秘密を教えます。君をくどく目的でも、悪いことをする目的でもありません、だから人の多い喫茶店を待ち合わせ場所に選びました。実は君にお願いがあります。それは会って話させてください」
 そんな内容の手紙。
 一人、喫茶店で待つ天見は、春枝が必ずやってくるという算段があった。なにしろ、親友の身を案じるという口実さえ与えてあげれば、「秘密」という甘美な誘惑に食らい付いてくるタイプと調べが済んでいたからだ。
 しばらくして喫茶店に現れた春枝。天見は手を上げて彼女を呼んだ。
 最初、春枝はいぶかしげに同じ席に着いた。当然だろう。顔を合わせたことはあるが、ほとんど知らない男に、脅迫まがいに呼び出されたのだ。
「あなたが……手紙の」
「はい。こんな風におよびだてして済みませんでした」
 丁重に、好印象に。あくまで悪意はないことを示すように。
「話ってなんですか? 芽衣の秘密って……」
「実は、ここ数日、僕は学校を休んである調査をしてるんです。それにはどうしてもあなたの協力が必要でした」
「あなたは変態トリオの」
「ああ、そうです。写真の男です。でも、警戒しないでください。僕はあなたに何かしようとは思いません。ただ、協力をしてほしいんです」
「いきなり呼び出して協力って……なんなんですか、芽衣の秘密って」
「前提から話させてください。いいですか? ちゃんとお話しますから。お時間は取らせません」
 断らないはず。彼女は気になっているはず。芽衣の秘密とは? 用とは? 協力とは?
「先ほども言いましたが、僕はある調査をしてるんです。春枝さんと同じ高校の倉本阿佐美さん、ご存知ですか?」
「阿佐美ちゃん……」
「彼女から頼まれたんです。ある調査をしてほしいと」
 怪訝そうな春枝。まだ警戒は深い。
「たぶん、知ってますよね。阿佐美さんと……その……性交渉をすると、相手の男が死んでしまう都市伝説」
 春枝は肯定も否定もしない。かまわず喋る。
「その噂を流したのが誰なのか、調べてくれって言われてます。おおかた噂の根源の出所は想像できてるんですけど、裏取りがまだ出来てません」
「それが芽衣の秘密と何の関係が?」
「気になりませんか? この噂、結構有名ですよね。どうしてそんな噂が生まれたのか。それは本当のことなのか。そもそも、そういう出所不明の噂って、どうやって生まれるのか。出所はどこなのか」
 春枝は答えなかったが、天見の甘い囁きに耳を傾け始めたのが分かった。
「僕はその出所と、発生原因を突き止めました。ただ、まだ想像の範疇です。それを証明するために、証拠を集めたいんです」
「どうやって?」
 きた。話題に乗ってきた。
「ひとりひとり、噂を誰に聞いたのか、元をたどっていきます。そうすれば必然的に噂の元にたどり着くでしょう」
「そう簡単にいくとも思えないけど」
「でも、僕には算段があります。たぶん、最初は僕の友人がスタートになります。その友人から噂の元をたどるために、噂を誰に聞いたかたどっていきます。そうすると、たぶん一人の女性に必ず突き当たると思うんです」
「一人の女性?」
「そう。それが緑川芽衣さんです」
 春枝の表情が微妙に変化した。芽衣の秘密、という言葉を結びつけることは容易だろう。だがそれはただの呼び水。芽衣の秘密とはまったく関係ない。
 春枝が何か口を開こうとするのに被せて、天見は言った。
「なぜ緑川芽衣さんに行き着くのか。それは、第一の噂の根源が緑川芽衣さんだからです」
「芽衣が?」
「迷路をご存知ですか?」
「は?」
 突然変化した会話に、春枝は顔をはにかませた。
「迷路はスタート地点から始めると、ゴールすることが困難なように作られています。ですが、ゴールからはじめると、案外すんなりスタート地点まで線を結べるものです。矢じりのようなもので、刺すときは簡単に刺さりますが、抜くときは返しが引っかかってなかなか抜けない。同じように、ゴールからスタート地点を線で結ぶのは、矢を刺すことに似ています。要するに、僕は結論を仮説だてて、結論から噂の検証を始めたんです。すると見えてきたのは緑川芽衣さん。なぜかというと、緑川匠のお姉さんだし、朝倉祐樹と親しい仲だからです。彼女は利用されました。緑川匠と朝倉祐樹に。噂の発信源として」
「どういう意味ですか? 二人とも知ってますが、人を利用するような人たちでは……」
「四天王というのはご存知ですか? この辺の不良たちを束ねる悪がき集団です。耳慣れないかもしれませんが、四天王の四人のうち、二人は緑川匠さんと朝倉祐樹さんです。知らなかったかもしれませんが」
「そんな滅茶苦茶なこと、信じると思いますか?」
「信じますよ、きっと。僕に協力してくれれば」
 釣れただろうか。
 少し早かったか。
 まだ餌の端っこを摘んだくらいだろうか。
 餌をくわえ込んだ瞬間、思い切り引いて、返しの付いた釣り針でがっちり釣り上げてやる。
「四天王の一人、春日井という男がいて、四天王の中でも地位のある男です。この男は悪がき集団の中にあって、ひどいことを繰り返してきた悪人です」
「ひどいこと?」
「性犯罪、暴行、もしかしたら人殺しも……」
 春枝が息を呑んだ。
「そんな男に、倉本阿佐美は交際を迫られています。僕はこの噂、春日井が流したのではないかと思ってます。春日井が噂を流すように、緑川匠や朝倉祐樹に命令したのでは、と。そうすることで倉本阿佐美をほかの男から遠ざけようとしたのではないかと」
「そこまで分かってるのなら……」
「確証がありません。証拠も何もありません。すべて仮定で想像です。だから、調査しないといけないんです。まだ、結論を想像してみただけ。それを外堀から調べ上げたいと思うんです。それで、春枝さんに協力を……」
「私になにをしてほしいんですか?」
 来た。
 釣れた。
 もうこっちのものだ。
「僕は調査の過程で、かならず緑川芽衣さんに突き当たる。だけど、彼女の性格では、きっと話も聞いてもらえないし、協力もしてもらえない。だから、春枝さんに、芽衣さんが協力してくれるように取り計らってもらえないかと……」
「取り計らうって……そんなこと」
「大丈夫です。あなたなら。親友のあなたの言うことなら、芽衣さんはきっと話を聞きます。僕の知る限り、彼女はあなた一人にしか、本当の意味で心を許していない」
 春枝は小さく頷くようなしぐさを見せた。
 いまの言葉は、少なからず彼女にとってうれしい言葉のはず。
「真実は二通りあると思ってます」
 そう言うと、先ほどまでの怪訝そうな表情は消えうせ、完全に興味を掌握された無邪気な表情がそこにあった。
「表面を撫で付けたような薄っぺらい事実。でも、その裏にはきっと、本当の真実が隠されてる」
「本当の真実って?]
[それを調べたいための調査です。ぜひ、協力してほしいんです。調査の結果、もしかしたらとても悲しい事実が判明するかもしれない」
「悲しいって、どうしてそうなるの?」
「それはなんとも言えません。でも協力してくれれば、きっと分かると思います。この裏にある真実について」
 春枝は押し黙って、目の前のお冷の入ったコップを睨みつけた。
 コップの表面には結露した水滴が表面を撫で付けたあとが幾重にも出来ていた。
「それと、緑川芽衣さんの秘密の話ですが……」
 うつむいていた春枝が勢い良く顔を上げた。
 天見は微笑んで見せた。
「実は、そんな重大な秘密ではないんです。暴露するも何も、喋ったところで誰も傷つかない秘密です」
「それは?」
「僕はこの調査に、二通りの意味を持ってます。一つは噂の調査。もうひとつは、緑川芽衣さんの秘密。くだらないですよ。聞きたいですか?」
 春枝はすっかり子供のような顔をして三度頷いた。
「実は、緑川芽衣さんは昔……」
 その秘密は春枝を協力させる最大の材料となった。


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