処女+童貞=○○の法則

三章 《 オナニー禁止が招く因果律 》


 時間は午後一時半。動物園に入ってから三時間ほどしかたっていないが、今の現状が信じられなかった。
 先にシャワーを浴びると、バスルームに入っていった沙耶ちゃん。
 全身いたるところが石のように硬くなって、ベッドの上に鎮座する俺。
 心臓が胸を破って出てきそうだ。どうしてこんな夢のような展開に。
 現実の女。生身の女。しかも可愛らしくて胸の大きな女。
 機械仕掛けのようになった首を回して周囲をうかがう。
 ピンク色の塗装をされた一室。ベッドの傍らには大きな鏡。石像になった俺が嫌らしそうに俺を見ている。
 バスルームから聞こえるシャワーの音。テーブルに置かれた、ティッシュの箱とコンドーム。
 そう、ここは夢の楽園ラブホテル。
 吐息をつくと、まるで炎のように熱い。全身を駆け巡る血は、股間を中心に渦巻いている。
 できるのか? 方法は知っている。誰よりも研究を重ねたではないか。でも、実際に秘密の壷はどの辺にあるのだろう。触ってみれば分かるはずだ。
 ぬれてるって、どんな感じなのだろう。あそこは普通より温度が高いというが、本当に暖かいのだろうか。
 女の子のあえぎ声など、実際に聞いたことはない。ところが、この手で秘密のあの声を上げさせることができるのだ。
 あ、ヘタクソ、とか言われたらどうしよう。まてよ、俺の息子は普通より大きいのか? 小さいのか? この短小、といわれたらどうしよう。
 おっぱいは柔らかいのだろうか。想像の限りを尽くしたあの柔らかい感触どおりなのだろうか。
 ああ、口づけは? あの唇を吸ってしまってもいいのか? 本当に? どんな感じだ? 嫌がれることなく、相手も同意の上で体を重ね合わせる行為は、一体どんな喜びなんだ?
 待ち遠しい。ああ、待てない。早く出てこないかな。
 指が勝手にいやらしく動いてシミュレーションを繰り返す。一体、どんな気持ちのいい体験が待ち受けているのか。
 シャワーの音が消えた。
 いよいよだ。
 なんだ、この恐怖は。
 体が震える。震えをとめろ。かっこ悪いだろ。
 クリトリスの位置はどこだ? コンドームの位置はベッドの脇だ。手を伸ばせはすぐ取れる場所だ。大丈夫だ。
 発射するときはどうするんだ? 顔にかければいんだっけ?
 バスルームから出てくる気配がした。
 出てきた沙耶ちゃんは、髪の毛を上げた、バスタオル一枚の姿だった。胸元からは豊満な胸があふれ出しそうだった。
 間違っても固唾など飲むなよ。そう言い聞かせたものの、視線は白い足とぬれた胸元から離せない。
 沙耶ちゃんが恥ずかしそうに「あまり見ないでよ」と可愛らしい声を出す。
 思わず目をそらすが、もっと見たい。でも、少しの我慢だ。好きなだけあの体を弄繰り回すことができるのだ。
 今すぐむしゃぶりつきたい。猛獣と化して、好きなだけ弄繰り回したい。
「月波君も浴びてきて」
 そう言われて、そうかと気づく。
 俺もシャワーを浴びなくては。
 彼女は巧妙に股間や胸元を隠して布団に包まった。悩ましげな光景だ。
 沙耶ちゃんは恥ずかしそうに顔を布団から半分出している。
 俺はバスルームに一目散にーー駆け込まなかった。
 脳裏によぎった紀乃原の顔。
「あ」
 俺が立ち止まって、動かないで居ると、「どうしたの?」と沙耶ちゃんから声がかかった。振り返ると、不思議そうにこちらを見ている沙耶ちゃん。
「いや、なんでもない」
 いざ、バスルームへ――いけなかった。
 もし、紀乃原があのサッカー青年と気の強い女と出くわしたら?
 また、あのときの繰り返しになるのではないか。
 くそ。額を押さえる。あの広い動物園で紀乃原と二人がかち合う可能性なんて、万に一つだ。でも、あいつのことだ。絶対何かする。
 俺は振り返って沙耶ちゃんを見る。そこには極上の肉体。じくじくと股間が疼く。
「なんであいつはいつも俺を……」
 あのときの繰り返し。あんなことがなければ、俺は何の気兼ねもなく思う存分――。
「どうしたの?」
 沙耶ちゃんが再び尋ねてきた。俺は悲痛な思いで沙耶ちゃんを見る。
「……ごめん、沙耶ちゃん」
「どうして謝るの?」
「俺、行かなくちゃいけないところがあるんだ」
「え? どこ?」
「いや、どこって……」
 沙耶ちゃん口を尖らせて、俺を責めるようににらんだ。
「それって、私より大事なところ?」
 なんて卑怯な質問をするのだろう。
 俺だって行きたくない。でも、仕方ないじゃないか。あいつに、もう二度と同じ思いは。
「行ったら? その代わり、行ったらもう私は月波君とは会わないからね」
「そ、そんな」
「当たり前でしょ。ここでいなくなるってことが、どういうことは分かってるでしょ」
 女性を残して、男だけ何もせずに部屋を出る。そんなことが許されるわけはない。
 あるいは事情を説明すれば分かってくれるかもしれない。
「あのさ、紀乃原なんだけど」
「紀乃原君は関係ないでしょ」
 ぴしゃりと斬って落とされる。
 口ごもってしまう。究極の選択だ。いや、今すぐシャワーを浴びてベッドにダイビングすることが正解だ。だって、紀乃原とあの二人が鉢合わせる可能性などほとんどないのだ。
 でも、鉢合わせたら。
「どうするの?」
 どうする? また写真の中の君たちのお世話になるか、生身の女の気持ちいい感触に生きるか。
 ああ、誰か助けて。
 
 
 
 天見は不用意にも動揺してしまった。
 なぜこんなところまでついてきてしまったのか。
 バスタオル一枚を体に巻いた麻美を目の前にして、頭の中が真っ白だ。
「天見君もシャワー浴びてきてよ」
 子供のような甘ったるい声。この子の特徴だ。容姿だって捨てたものじゃない。でも、この子にはあるジンクスがある。
 セックスすると相手の男は死ぬ。
「どうしたの?」
「こんなの良くないよ」
「なにが良くないの?」
「だって、いきなり……」
「私じゃ嫌?」
「そういうわけじゃ……」
 おもむろに麻美が近寄ってきた。急速に距離が縮まる。彼女は僕の座っていたベッドの脇に座り、僕の手を握った。
 かちん、と音を立てて、体が石化した。
 顔の距離が近い。ちらりと見ると、薄暗い部屋の照明が彼女の瞳を反射している。
 風呂上りの石鹸のにおい。彼女の胸元の谷間。
「震えてる。そんなに怖い?」
「違う。噂なんて信じない」
「それじゃ、何で震えてるの?」
「それは……」
 緊張しているわけでは決してない。断じてない。こんなことで動揺するなんて。
 座った麻美は、再び距離を縮めてくる。前かがみのように顔を近づけてきた。
 バスタオルの端がめくれて、彼女の太ももがあらわになる。でも、大切な部分はかろうじて隠されていた。
「そんなに嫌?」
「だから」
 取り戻せ。いつもの自分だ。
 考える自分。それが唯一誇りに思える自分だ。
「分かった。分かったよ」
 彼女と距離を置くように天見は立ち上がった。
「証明してやる。噂なんて嘘っぱちだって、僕が証明してやる」
「じゃあ」
「シャワーは浴びない。セックスしなくったって、証明はできる」
「うそ。意気地なし。誰だって初めては怖いんだよ」
 神経を逆なでするのがうまい女だ。絶対に初めての体験が、こんなのなんて嫌だ。
「証明する。どんなことがあっても。だから服を着て、僕に話して。君の噂はどうして流れたんだ? きっかけがあったはずなんだ」
 そういうと、彼女はふいっと顔を背けた。一体どういう反応なのか。
「何にもないよ。女の子って嫉妬深いから、誰かがいたずらで流したんじゃないの?」
「それなら、セックスしなくても証明されたろ。噂なんて嘘っぱちだ」
 彼女はたたかれたように僕を見た。その瞳には若干の怒りが見えた。
「屁理屈言って、逃げ出したいだけじゃない。カッコウつけたって、怖くて逃げたことに変わりはないわよ」
「じゃあ説明してみろよ。なにがあって、あんな噂が流れたんだ?」
「噂じゃない。本当だからよ。私とセックスすると、本当に死ぬからよ」
「そんなわけないだろ」
「本当よ。中学のときの彼氏、高校になってできた彼氏、二人とも死んだのよ」
 天見は口が聞けなくなった。
 彼女が嘘を言っているように見えなかったからだ。
「死んだって、本当に? それ以外の人とは、そういう関係になってないの?」
「なってない。私だってただの噂だったらどんなに良いかと思った。でも、本当なんだから仕方ないじゃない」
「いや、そうだとしてもただの偶然だよ」
 彼女は恨めしそうに、突き刺すように僕をにらんだ。
「慰めてるつもり? そんなこと言ったって、どうせエッチできないんでしょ」
「どうしてそんなにしたいんだよ。おかしいだろ。セックスは愛し合った人同士がするもんなんだ」
 そう言った瞬間、今度は麻美が石になったかのように動かなくなった。突然電池が切れてしまった人形のようだ。
 すると、次には大口を開けて麻美は笑い出した。胸元が揺れ、徐々にバスタオルが落ちてくるのがはらはらしてみていられない。
「そう。それはそうね、坊や」
 坊や呼ばわりされた天見は羞恥で全身に汗をかくとともに、憤怒が沸き起こった。
「証明してやる。その代わり、どんなことになっても知らないぞ」
「好きにしたら。どうせ、なんだかんだ言って逃げるだけなんでしょ」
「僕は絶対に逃げない。そんなに言うならセックスしてやる」
 麻美は笑いをやめて天見を見た。天見は続けて言った。
「セックスすると死ぬ、そんな馬鹿馬鹿しいジンクスなんてありえないって証明した後、君とセックスする。それで良いだろ」
 彼女は無表情だった。
「いいよ。約束できる?」
「できる。僕は言ったことは絶対守る。絶対に証明してみせる」
 ふうん、と鼻を鳴らす麻美。
「でも、きっと天見君はそのどちらもやらないと思うよ」
「だんでだよ。僕は言ったことはやるんだ」
「でも、やらない。私には分かる」
「そんなことない」
「あるの。残念だけど」
 不意に、天見は気になった。なんか様子が変だと思った。
 どちらもやらない? 私には分かる?
 なにを知ってるって?
 
 
 
 紀乃原はシャワーを浴びて出てくると、布団に包まって待っていた芙由子ちゃんに話しかけた。
「本当に俺でいいの? だって、まだ出会ったばかりだし」
 そんなことを言いながら、今さらなかったことになるなんて微塵も思っていない紀乃原。
 芙由子ちゃんが布団から顔を出した。
「お願いします。わたし、紀乃原君なら大丈夫」
「でも、なんで……」
 泣いていた彼女。悩んでいた彼女。そこからこういう展開は腑に落ちない気持ちもある。それを考えないように男の欲望が邪魔しているのも確かだが、このままでは罪悪感を残しそうな予感があった。
「そうだよね。おかしいよね。でも本気なの。お願い」
 本当はこちらが頭を床にこすり付けて「一回だけお願い」と言いたいくらいなのに、エッチしてくれとお願いされているのだ。何たることか。これは本当に現実か。
 固まったままの俺に、芙由子ちゃんは静かに言った。
「私、今施設で暮らしてるの。養護施設。両親が居なくて、五年前から養護施設で暮らしているの」
 芙由子はようやく悩みを打ち明けようとしていた。本音は今すぐにでも欲棒をどうにかしてやりたかったが、それは我慢だ。彼女が打ち明け話をしている途中で、行為に及ぶなどもってのほかだ。
「施設には男の子も居る。同じくらいの年の男の子。昔は仲が良かった。でも、最近ちょっと変わってきたのが分かった」
「変わってきた?」
「すごく、男の子たちが怖く見えるようになったの。私を見る目、私の体を見る目。なんか怖い。そう思ってたら、ある夜に私の部屋に数人の男の子が入ってきたの」
「同じ施設の子?」
「そう。私は口を押さえつけられた。その後、体のあちこちを触られたの。悲鳴を上げたかったけど、男の子の力を強くて。数日置きに私は男の子たちに体を触られて、それを誰にも相談できなくて」
 なんだ、この話は。
 何でそんな話を……。
「私が何も言わないから、男の子たちはだんだんエスカレートした。私の股間も触ってくるようになった。多分、私はもうすぐ最後までされちゃうんだって思った」
 紀乃原は立ち尽くしたまま、口を開けなかった。
「だから、その前に……。紀乃原君みたいな人に、私の最初に人になって欲しくて」
 紀乃原の全身に力がこもる。
 なんだ? 俺はなんだ。一体俺はなにを考えていたのか。
 同じじゃないか。俺は同じような間違いを、もう一度犯そうとしていたのか。
 俺はこんなにも汚い人間だったのか。あの時誓ったのではなかったか。
 六郎、俺はお前との約束は守るぞ。
「服を着よう」
「え?」
「君の言ってることは良くわかった。だから服を着よう。こんなのは間違ってる。君が危険な目に遭っているのなら、俺がどうにかする。だってそうだろ。俺が初めての相手になったって、何にも解決してない。君が危険な目に遭わないように、安心できるように暮らせるようになったとき、それでもまだ俺が初めての相手でもいいって思えたら、そのときはーー」
 そのときはエッチしよう。そう言いかけて、言えなかった。突然、部屋のドアをたたく音がしたからだ。
 俺は驚いてドアのほうを見る。
 開けろ、開けろと複数の男の声でドアを激しくたたいている。
「なんだ?」
 おもむろに芙由子が立ち上がった。見れば服を着ているではないか。
 なんだ? 頭が混乱する。
 芙由子ちゃんはドアに駆け寄ると、鍵を開けてドアを開いた。
 とたんにどやどやと数人の男が立ち入ってきた。俺は思わず自分の衣服を探す。
 そのときだった。閃光が目の前を走り、暗がりに目が慣れた俺の網膜を焼いた。
 フラッシュが続けさまに炊かれ、俺は手で目を隠す。
「この変態野郎が!」
 男の怒号が聞こえてくる。
「な、なんなんだ!」 
「うるせえ、スケベ野郎。本当にヤレルと思ったのか、ばーか」
 むか、と頭にきて目を開けると、中腰になる俺の周りには三人の男が取り囲んで、無遠慮にカメラのシャッターを切っていた。
「誰だてめえらは!」
 怒鳴っても、男達はうひゃうひゃと笑い声を立てるばかり。不意に、一人の男が俺の腰に巻きつけられたバスタオルを引き剥がした。俺の息子があらわになる。
 すると、大切な部分を集中してシャッターを切る男達。
「やめろ! 撮るな!」
 必死に股間を隠すが、背後から男に羽交い絞めにされる。
「おい、勃起させろよ」
「やだよ。なんで男のチンポコなんて触るんだよ」
 下品な笑い声とフラッシュにめまいがした。なんだ、これは。なにが起こった?
 遠くで、芙由子の声が聞こえてきた。
「もっと早く来てよね。本当にやられちゃったら、どうするのよ」
 何か分かった気がするが、整理する時間が欲しい。
「よし、表に放り出すぞ」
 誰かの声が聞こえてきた。憤怒が沸き起こる。そんなことされたら一生ものの恥だ。
 現状は理解できないが、危機的状況であるのは間違いない。
 俺は羽交い絞めにしている男を振りほどこうと暴れる。
「おっ、こいつ、意外と力が強えぞ」
「押さえつけろ」
 三人の男にのしかかれて、俺は素っ裸のまま床をなめた。
「おいよく聞け。あの女を口説こうなんて百万年早いんだよ。夢見せてもらえただけでありがたいと思え、童貞野郎」
「ああ? こら、殺すぞ!」
 ようやく気勢を上げると、お返しに頭を押さえつけられた。男の一人が顔を近づけてきた。
「いいか、俺達はディスペアだ。知ってるよな」
 ディスペア?
 すぐに出てこなかった。
 何言ってやがる、こいつら。
 俺は無理やり立たされると、息子をぶらぶらさせられながら、部屋の外まで連れてこられる。
「やめろ、なにするつもりだ!」
「お前をこのまま表に放り出すんだよ」
「ふざけんな! やめろ、やめてくれ」
 最後のほうは悲鳴だった。
 ふと、違う場所から同じような悲鳴が聞こえてきた。
 どうにか顔を動かしてラブホテル内の廊下を見ると、同じように数人の男に押さえつけられて、全裸のまま引きづられて居る奴が居た。
「ろ、六郎!」
 俺の声に気づいた六郎が、驚愕の目で俺を見た。
「お前らは、俺達の女を口説いた罰で、素っ裸で放り出されるんだよ」
 ひ、ひどい。
 それはあまりにもひどいんじゃないか?
 何もそこまでしなくても。
 涙が出そうだった。懇願したら、許してもらえるか。
 女のように悲鳴を上げながら、ラブホテルの玄関を放り出された俺達は、思いのほか多い通行人に悲鳴を上げられ、嘲笑された。
 すぐさまホテル内に逃げ出そうとした俺と六郎は、次に担ぎ出されてきた天見を見て、愕然とした。
 天見も女の子のように悲鳴を上げながら、ホテル前の路上に放り出される。
 天見が俺達に気づくと、暫時、呆然と見詰め合った。
「これはなんなんだ?」
 六郎が呟いたが、こっちが聞きたいくらいだ。
「とにかく逃げるぞ」
 俺が怒鳴って、走り出すと後から股間を押さえた天見と六郎がついてきた。
「なんなんだよ、どうなってんだよ!」
 六郎が叫んでいる。
「とにかく今は逃げろ!」
 そう。醜態をさらすのは必要最低限でいい。ここからなら、六郎の家が一番近い。全力疾走すれば、そう遠くないはずだ。
 背後から、さっきの男達が騒ぎ立てながら追いかけてきた。
 あいつら変態です、変質者です、とわざわざ注目を浴びるような言動を繰り消す。
 本当に泣けてくる。このやろう、という声にも迫力がない。
 そのうち飽きたのか、男達は追いかけてこなくなったが、それでも俺達が裸であることには変わりはない。
 俺達は結局、六郎の家に着くまで周囲の住民を騒然とさせながら帰ってきたのだった。

 

 どうにか家まで帰ってきた六郎達は、両親に何事だと驚愕されながら自室に駆け込んだ。股間を押さえ続ける天見と紀乃原に俺の服を渡して着させた。
「最低だよ! なんだってんだよ! どうして僕まであんな恥を掻かなくちゃいけないんだ!」
 天見の憤慨っぷりは家を痺れさせるほどだった。
「最低最悪だ! ホテルから裸で放り出されるなんて……この先どうやってこの土地で生きていけばいいんだよ!」
「大げさだな、高々裸で近所を走り回ってくらいで」
 俺が気休めに言ってみると、さらに憤慨した天見は顔を真っ赤にして怒ったが、怒りすぎて何も口について出てこないようで、魚のように口をパクパクさせた。
 一番怒り出して良さそうな紀乃原であるが、なぜかおとなしい。表情は鬼のように険しいが、口を開かないで居るのが不気味だった。このままでは、紀乃原に殺人を犯させてしまうと思った俺は、どうにか紀乃原を落ち着かせる文句を考えた。
「落ち着けよ、紀乃原」
「落ち着いてるよ。見てわかるだろ」
「そう言われても……」
 紀乃原はため息をつくと、俺のベッドに腰掛けた。
「思い出したんだよ。あいつらのこと」
「思い出した?」
 紀乃原は疲弊しきったようにうなだれ、額をなでた。
「あいつら、ディスペアだって言ってた。しってるか?」
 怒り心頭の天見が「絶望」と答えた。
「ああ。絶望だ。あいつら、この辺で暴れまわってるギャングだ」
「は? ギャング?」
 ギャングなんて言葉は、洋画などでしか耳にしない。日本の若者に向けた言葉にすると、少々滑稽な響きになる。
「甘く見ないほうが良いぜ。あいつらは最低だ。俺達はなんだって、あんな奴らにかかわっちまったんだ」
 紀乃原の様子が俺を落ち着かなくさせる。天見が補足するように言った。
「ギャングって、直訳すると集団とか、群れって意味だけど、現在の解釈だと、犯罪集団って意味になる」
「そのままだよ。あいつらは犯罪を犯すために集まった物騒な奴らだ。ウィリアー、ハスラーとか、かっこつけた役割つけて、広範囲にわたって暴走族を牛耳ってるグループだよ」
 俺は鳥肌が立った。まるで日常からかけ離れた話だ。
「心配すんなよ、多分、俺達はからかわれただけだ。この上、何かしようってわけじゃないだろうよ。だからーー」
 思いため息をつくと、紀乃原は暗い声で言った。
「忘れろ。このことは。その辺でディスペアの連中を見つけてもちょっかい出したりするなよ」
 天見が同じように思いため息をついた。
「当たり前だろ。僕と六郎が仕返しなんて考えたりするかよ。紀乃原じゃないんだから」
 文句のひとつでも言い返しそうな紀乃原は、黙って天見の言葉を呑んだ。
 それほどまでに危険な集団なのか。
 俺は重い空気を払拭するように言った。
「だから裸で走り回ったくらい、たいしたことないって。若気の至りだろ」
 再び天見がため息を漏らす。
「君たちはそれで良いかもしれないけど、僕はもっとスマートに生きていくはずだったんだ。あんな女達にだまされて、コケにされて恥ずかしくないの?」
「そういうお前だって、ちゃっかり全裸だったじゃんか」
「僕はあいつらに脱がされたんだ!」
「どうだか。裸で近所走り回っておいて、今さらかっこつけんなよ、みっともない」
「みっともない!?」
 きーっ、と天見が癇癪を起こしたが「もう帰っていいか?」という紀乃原の暗い声に、俺達は固まった。
 紀乃原の様子は、このまま消えうせてしまうほど暗かった。
 このとき、忘れろと言った紀乃原がなにを考えていたのかなんて、俺にはまったくわからなかった。



 翌日の学校で、俺達の醜態が話題に上ることはなかった。裸で近所を走り回った不届き者の噂の立つ心配はないようだ。
 放課後になって、天見が俺の教室までやってきた。前日の怒りはどうにか静めたようだが、まだ機嫌が悪い。
「不名誉な事件の追及はまた後にして、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
 珍しいこともあると思った。俺達が知っているようなことなど、何でも知っている天見が質問するなど、珍しいことこの上ない。
 俺と天見は紀乃原の教室まで向かった。紀乃原も「お前が俺に質問とはな。何でも聞いてくれたまえ」と、えらそうにネクタイを直すしぐさをした。
 自転車を平行に走らせながら、下校途中に天見が口を開いた。
「セックスをすると死ぬ女って覚えてる?」
 セックスをすると死ぬ女? その一文に、俺はセックスをすると、気持ちよすぎて死んでしまう女を想像した。絶叫しながらイキまくってそのまま昇天。
 俺の理解と異なって、死ぬのはセックスをした女ではなく、相手の男だという。ある女とセックスした男は、死んでしまうというジンクスらしい。
「ああ、あれか」
 紀乃原が思い出したようだ。俺はまったく思い出せない。というよりは、はなから知らない可能性が強い。
「それがどうしたんだよ」
「そんなことがあるのかなって」
 なんか、不自然なものに俺は気づいたが、紀乃原は気づかないで、話し始める。
「たしか、どこかの女の付き合った男が、二人続けて死んだって話だよな」
「誰に聞いたの?」
「クラスの誰かだな。覚えてねえよ。でも、本当らしいぜ」
「いつくらいの話かな?」
「今年の初めくらいだったと思うけど。近所で結構話題になったしな」
「近所って」
「今年の初めに、自殺した奴いたろ。どこの高校だっけか」
「湯山工業高校の男子生徒」
 天見が呟くように答えた。
「なんだ、知ってんじゃねえか」
「自殺は知ってる。そのことが噂の根源なの?」
 俺は黙って聞いているが、天見の瞳の色は見逃していない。どうしてそんなことを尋ねるのか。
 天見は続けて尋ねる。
「もう一人の方は? 二人死んでるんでしょ?」
「もう一人はしらねえよ。中学のときの話だって言うし」
「中学のときか……」
 天見がそう呟いたとき、文化祭で言った女子高の近くを通った。下校途中の名門女子高校の生徒達をたくさん見かける。高嶺の花だった。関係を持てるなど思っていなかった。
 事実、その通りだった。
 三人はなにを意識してか、一様に押し黙った。なんだか、俺は自分が滑稽に思えた。
「簡単そうな女の子を捜して、童貞を捨てようなんて不純なことを考えたから、俺達は痛い目にあったんだ」
 天見が「僕は違うけどね」とぼそりと呟いたが無視をした。
「これからは純情だ。こう、清楚でおしとやかな、普通の女の子とお付き合いするんだ」
 俺の意見に同意した紀乃原が、強くうなずいた。
 きっといい経験になったのだ。不純はいけない、道徳の神様が俺達にそう告げてくれたのだ。
 そう思ったのもつかの間、下校途中の女生徒に、例の気の強い女を発見した。サッカー青年と一緒にいた女だ。
 嫌な予感がして紀乃原を見ると、紀乃原も気づいていた。顔面が怖い。明らかに標的をロックオンしている獣の目だった。
 俺の視線に気づいた紀乃原が「大丈夫だよ。心配するな」と信用ならない言葉を吐く。
「でも、ちょっと話をつけてくる。せめてサッカー野郎の高校くらいは聞きだしてやる」
 そういうと、確か緑川芽衣という女の下へ歩いていった。
「あれ、紀乃原どこに行ったの?」
 天見が紀乃原の背中を見ていった。俺は慌てて「一緒に来てくれ」と紀乃原を追った。
「おいちょっと待てよ」
 紀乃原が緑川芽衣を呼び止めた。緑川芽衣ともう一人、連れの女の子が振り返った。
 俺は紀乃原に追いつくと、女が作った表情に一瞬たじろいだ。
 女は振り返るなり、目を真ん丸くして口元をゆがめたのだ。そんなに紀乃原が恐ろしいのか、緑川芽衣は連れの女の子の腕を掴んで慌てて逃げ出そうとした。
「逃げんじゃねえよ!」
 紀乃原が追いかける。
「追いかけてこないでよ!」
「待てよ!」
 紀乃原が緑川芽衣の肩を掴むと、彼女はひどい悲鳴を上げた。思わず俺と天見は両耳を押さえた。
「最低! 何で話しかけてくるのよ! 知り合いだと思われたらどうしてくれるの!」
「ああ? どういう意味だ!」
「自分で考えてよ、変態三人組!」
 変態三人組?
 俺はふと、周囲が気になって視線をめぐらせると、下校途中の女子生徒たちが俺達を見て含み笑いを浮かべては、ちらちらと見ている。俺達はいつから有名人になったのか。
 いや、なったではないか、昨日。まさか、もう知れ渡っている?
「うちの学校の掲示板に、あんた三人の素っ裸の写真が張り出されてたのよ。変態トリオってタイトルで」
「な、なんだとぉ」
 うろたえるような、怒りに震えるような声を出す紀乃原。
 慌てて身を乗り出してきたのは天見で、「僕は違うよ。僕は無理やり脱がされたんだ!」と弁解したが、聞いてもらえるはずもなく、嫌悪そうに一瞥されただけだった。
「知り合いだと思われるじゃない! 声かけないでよ!」
 俺はなんだか、ひざの関節が三つも四つも増えてしまったような感覚が襲ってきた。目の前ぐにゃぐにゃと歪んで、今まで現実だと思ってきた世界が、アニメチックな異世界に変貌してしまったような錯覚。
「もう絶対に近寄らないでしょ。ほんと最低! 何で声かけてくるのよ! 最近のストーカー騒ぎとか、変質者騒ぎは全部あんたらのせいにされてるのよ! 私まで同じだと思われたらどうするの! いこ、春枝!」
 さっさといなくなっていく緑川芽衣と春枝と呼ばれた女の子の背中を眺めながら、通り過ぎる女子高生達に嘲笑を浴びつつ、俺達はいつまでも呆然と立ち尽くしていた。
「終わった。俺達の青春……」
 俺の呟きは、絶望という混沌の中に溶け込み、二度と戻ってはこなかった。


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