あっちから変なの出てきた

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第一章 【 長いプロローグ 】


 二十年前に現れた異国の女性は、探し人の行方を訊いてきた。
 探し人は男にとって良く知っている人物であったが、それを答えることはためらわれた。なにより秘密にしなければならないもっとも重要なことであったし、相手が誰なのか分からなかったからだ。
 彼女に簡単な自己紹介を受けたとき、男は衝撃を覚え、同時に男は逡巡したものの、正直に答えることを選択した。
 話を聞いた彼女は物悲しそうに目を伏せた。
 彼女は行くところがなく、しばらく一緒に暮らせないかと言うので、男は了承した。
 男は彼女に興味を惹かれたのだ。男はもっと詳しい彼女の生い立ちや生活を知りたがった。
 一月近く一緒に暮らしながら、男は彼女の語った人生を聞く。
 そのお返しに彼女の探し人を、知る限り話して聞かせた。
 ――男はこのとき、全てを知った。
 このとき、男はまだ半信半疑だった。
 やがて彼女は変える準備ができたと告げて、自分の住処へと帰っていった。
 
 
 
 十年前、あの人は一度だけ予知を誤った。
 後にも先にもその一度だけ。
 それがあの人を狂わせた。
 
 
 
 十年前に再び現れた女性は、一人の子供を抱えていた。
 また現れるとは思っていなかった男は、彼女の来訪を歓迎し、また同時に警戒もした。
 彼女は妖艶に笑って、ひとつのお願い事をした。
「この子を守ってくれませんか? とても良い子です。ぜひ、あなたに任せたいのです。私の子孫であるあなたに」
 お願いされた瞬間こそ戸惑ったものの、男は子供を受け取った。
「渦の中心。常にそこにいる宿命の子。この子の宿命、これから先の未来の話。すべてあなたに聞かせます」
 しばらく一緒に暮らしたい。
 彼女がそう言ったので、男は了承して、この子供が背負った宿命を一ヶ月掛けて聞いたのだった。
 
 
 
 ――長いプロローグ。
 
 
 
 今から十年前。
 この世界は時間を掛けて季節が移り変わる。
 五年掛けて、暑い季節と寒い季節が循環する。
 今は寒い季節。
 窓の外に見える風景は、白一色の雪景色だった。
 しんしんと降り続ける純白の粒が、世界のあらゆる音を吸収し、白銀と静寂が招く幻想世界を演出していた。
 ユベリア宮殿と呼ばれる王宮が、三つの城に囲まれるように存在しており、壮麗な館は彼女の住まいとなっている。
 ユベリア宮殿は、かつてこの国が帝国であった時代に建てられた王宮であり、旧体制の中で育まれたユベリア教の信仰神も祭られている。
 かつてのユベリア帝国を象徴する建物である。
 彼女はこの宮殿を壊すことを禁じ、自らの住まいとした。
 たった一人、彼女は此処に暮らす。
 誰にも会わず、関わらず、一人窓の外ばかりを眺めて過ごす毎日。
 五年ぶりの雪。
 自然の奏でる音さえ消し去った雪景色は、強烈な孤独を突きつけてくるようであった。
 来客があるのは数年に一度。
 あの人がやってくるのみ。
 そして今日、あの人がやってきた。
 おおよそ二十年前に予告したとおりの日付、時刻にやってきた。
 あの人は今日、雪が降ると知っていたし、彼女が色彩を失った白銀の世界と静寂に、孤独にさいなまれることを知っていた。
 あの人が今日を選んだことが、今になって理解できる。
 訪れる悲しみに耐え切れなくなったとき、あの人はやってきてくれる。
 彼女は上着を羽織り、宮殿の中央にある神々の肖像、絵画に囲まれた礼拝堂にやってきた。
 大理石で埋め尽くされた、埃ひとつない礼拝堂の中央に、あの人はいた。
 二十メートルの高さがある天井に描かれた神々の姿を見上げながら、まるで空間一部かのようにたたずむ彼は、油断すれば見失ってしまいそうなほどに存在が希薄だった。
 彼はゆっくりと顔を戻し、こちらを見て穏やかに笑みを作った。
 笑みを返して、彼に近寄った。
「ひさしぶりだね」
「ええ」
「君は相変わらず、誰にも会わないのかい?」
「前に会った人はあなたです。そんなこと、占えば分かるのではないですか?」
「分かっているが、僕はあなたとの会話を楽しみたい」
「……言葉なんて」
 なんの意味もない。
 私はもう、終わりたいのだ。
 だけど、彼はそれを許してはくれない。
「僕が来た意味……。分かってるよね」
「分かっています。ですが、私の想いも言わずとも分かっているはずです」
 彼は応えず、目を細めただけだった。
「私はもう、耐えられないのです。あるいはあなたが傍にいてくれたら、わたしはこれほど絶望せずにはすんだのかもしれません。ですが、あなたはいつも旅に出て、五年か十年かに一度だけしか戻ってこない。私がその間、どれほど苦痛に満ちた日々を過ごしているか、あなたに分かりますか? 一日がどれほど長いか。その積み重ねがどれほど苦しいか」
「……僕はもう、君を守らないよ」
 その言葉に、私は目を丸くした。
「本当ですか……? 私はもう休んでも?」
「分かったんだ。僕が考えていた節目のとき。幾ら考えても、どんな策を凝らしても、とうとう運命に逆らうことができなかった」
 知っている。
 彼は私の苦悩と絶望をなくすために、ずっと旅に出て戦ってきたのである。
 この千年という間。
 それが私への罪滅ぼしになると信じて。
「とうとう、千年間。あなたは分かってくれませんでしたね」
「分かってるさ」
「いいえ、分かっていません。すべての理を知っているあなたでも、分からないことはあるのです」
 二人の間に沈黙が生まれる。
 いつからか。
 二人の間には見えない刺々しい何かがあって、近づこうとすれば傷つけあう。それに気付いてからは、お互いが距離を保つようになった。
「僕はもう諦めたよ。ちょうど千年たったこの日に、君と一緒に僕もいなくなろう」
 突然、涙があふれた。
 一体、何年ぶりの涙なのか。
 思い出そうとしても思い出せないほどの遠い昔。
「やっぱり、あなたは分かってくれていなかった……」
「いいや、分かっていたさ。結局、僕は千年掛けても君を救えなかった。君を世界の脅威から救えなかった」
「脅威などありません。いくら言ってもあなたは分かってくれない。私が恐れているのは、世界が私を消し去ろうとすることではありません。どんな脅威があっても、あなたさえいたら……」
 彼はやさしく笑って首を横に振った。
 私も分かっている。
 渦が私を巻き込み消し去る運命を、彼は消そうとしてくれた。
 この存在感に満ち溢れた世界で、まるで存在しないかのように隠れて暮らす私を解放してくれようとした。
 でも、そうじゃない。
 こうしてひっそりと、なにもかもかかわらず、動かず、存在していないかのように過ごすことこそ苦痛であり、一度でいいから、あなたと激しく高ぶる想いをぶつけ合いたかった。
 それをすれば私たちは運命に見つけられて、封じられる。
 だからこそ、私たちは感情を殺したのである。
 隠れるように。
 消え入るように。
 いま感情を昂ぶらせ、涙を流す行為は自殺行為。
 おそらく、私は運命に見つけられた。
「こんな別れになるなんて……」
 心残りは当然あった。
 しかし、彼は最後まで私に触れようとしなかった。
 千年間、一度も。
 私が吐き出す一呼吸さえ、避けるように距離を置く。
「あなたを想うことも禁じられ、存在することも禁じられた私は、命を取り戻したとしても、たった一度も幸せではありませんでした。千年の年月は私になんの喜びももたらしませんでした。私は一瞬の人生でも、その瞬間に幸福を感じたかったです。愛する人と触れ合いたかった……」
 彼は悲しそうに笑みを称えるばかり。
 おそらく、運命が私を封じるその瞬間も、彼はその笑みを絶やさないだろう。
 もう、お互いに心は死んでしまっている。
 後戻りすることも、感情を取り戻すこともない。
 どんなに言葉を重ねても、お互いの声は螺旋状に交わるばかりで、決して重なることはない。
 そうあることが正しいから。
 重なり合えば、悪いことが起こるから。
 だけど、それだけではない。
 彼は千年間、ずっと憚っていたのである。
 無二の親友である男に。
 彼はなんの気苦労もない、運命に脅かされることのない理想郷を築き、そこに親友を招いて、私と暮らすことが悲願だった。
 たったひとつ、それだけのために彼は過酷な旅を続けてきた。
 運命たる神の真似事をしながら。
「あなたがかつてのユベリア帝国を滅ぼし、ユベリア大衆国を建国したとき、旧体制の象徴であるこの宮殿を壊さなかったのは……」
「ポタラ宮を思い出したから……です。私は私なりに理想郷を目指したのです。三ツ目族によって統治される、二ツ目族の世界。冷静な三ツ目族が、争いを好む二ツ目族を統治すれば、この世界からは争いごとがなくなると……」
「そうはならない、と僕は何度も忠告した」
「でも、やってみなければわからないと思ったのです。そう信じて、いつかこの宮殿を二ツ目族に返還して、神々のもと、みなが平穏に暮らせるように。千年前のあなただって、万能の占い師ではなかったはずです。あの時点ではあなたにも結末は分からなかったはず」
「確かに。完全に分かっていたわけではなかった。ただの洞察に過ぎなかったかもしれない。だけど結果、あなたの理想は、僕らがかつて暮らしていた世界と同じになった。強い者が弱い者を支配する世の中。二ツ目族を統治しようとした結果、反乱を恐れるあまりに奴隷化した。いつしか三ツ目族は高貴な種族となり、二ツ目族は下劣な種族となり、主従関係が生まれた。その歯止めは利かなかった。僕らは分かっていたはずなのにね」
「でも、もう終わりにします。この国を二ツ目族に返還し、元の世界に戻します」
「そう。僕らはなにもかもに失敗した。なにもかも実現できなかった。懐かしいね、理想郷を築こうと三人、ポタラ宮を修復していたあのころ……」
「言わないで……」
 あのころを思うと苦しくなる。
 あの時、途中で終わった私たちの理想郷を築くため、私も彼も、それぞれの方法で戦ったのだ。いずれも敗北に終わったが。
「三ツ目族はどうなる。僕らが生み出した三ツ目族」
「彼らは永遠ではありません。数百年もすれば、寿命とともに消え去ります」
「二ツ目族に国を返還すれば、彼らを奴隷として酷使してきた三ツ目族は当然、みな糾弾され、処刑されるだろう」
「そのための準備をしてきています。ユベリア帝国を滅ぼしたときに、一緒に誕生させた組織」
「帝国旅団が、約束を守ると?」
「あなたには分かっているのでしょう。私は約束を守ると信じています。あなたには未来が見えているはず。おっしゃってくれてもいいのです。本当のことを」
 彼は言わないだろう。
 答えがいずれにしても、私を苦しめることになるからだ。
 私たちは、最初から二ツ目族に国を戻すために、三ツ目族の国を作る一方、二ツ目族の反乱組織を支援してきた。
「救世主が生まれました。ヴァルアラトスが研究によって生み出した、私と同じ能力者」
「万能系の召喚士か。そのための犠牲は……」
「私の思惑を大きく逸脱し、人体実験をヴァルアラトスは繰り返しました。それを制御できなくなってしまった私に罪があります。三ツ目族の魂でもあるヴァルアラトスは必要な存在でした。国が国たることを維持するために。ヴァルアラトスも悪意があるわけではありません。すべては私のためにしたこと。第三の目を埋め込まれた代償は、あのころの私たちにもわかっていなかった。人間らしい感情の大部分を失うことは」
「……僕も一緒に罪を背負う。最初の三ツ目族であるヴァルアラトスを作り出したのは僕だ」
「それを眷族にしたのは私です。眷族にして心的世界に送らなければ、あの手術でヴァルアラトスは命を落としていたでしょう。彼を産んだのは私です。この世界を作ったのも私。私がもっとも忌み嫌った奴隷制を作ってしまったのも私。すべてを元に戻すのです」
「救世主……か」
「ミユナアラトス。ヴァルアラトスの子。彼女が帝国旅団、しいては二ツ目族の救世主となり、国を二ツ目族のもとへ取り戻す。心優しい彼女が、世界を正しい方向へ導いてくれるでしょう。コソビュティルや、トレミのときの失敗は繰り返しません」
 彼はなにも答えなかった。
 かつて試みたコソビュティルとトレミの叛乱である。この国を滅ぼそうとした一手は、ルウディによって潰されてしまったのである。世界があるべき姿に戻ろうとする運命を、またもやルウディが捻じ曲げた。ヴァルアラトスも、それが私を守る手段と信じて疑わず、ルウディとともに二人を封じたのである。
 二度目の画策。
 それがミユナである。ヴァルアラトスは私を守りながらも、私の課した命令を忠実に守り続ける。ヴァルアラトスの矛盾する苦悩は分かっている。私の課した命令は、主人である私を滅ぼせ、と言っているに等しいからだ。
 誕生したミユナは、トレミを上回る力を持っていながらも、とても心優しい二ツ目族であった。彼女であれば、力の使い方を誤らないはず。そう彼女は信じている。
 だが、本当のところは分からない。いまは心優しいミユナが、いつ心変わりをして世界を暗澹とさせるかは分からないのだ。
 だけど、そうなったとしても、それが世界の流れ。
 私が作った歪みの世界は、運命の渦に淘汰される運命。
 無駄な足掻きかもしれないし、彼の言葉を借りるならば「運命は変えられない」のだ。
 私はその運命の流れに沿って、元の形に戻すことが最後の役目。
「お別れ……だな、エレーナ」
 彼は私の名を口にした。
 いつ以来だろう。
 彼が私の名を呼んでくれたのは。
 最後のはなむけ。
 私は胸が感激で膨らんだ。
「あ、ありがとう……、コート」
 声にならない声で、彼の名を呼んだ。
 その彼の背後。
 礼拝堂の観音開きの扉が開く。
 コートは一瞬だけ、その目に悲しみを宿した。
 千年掛けて戦った。
 理想郷を築くため。
 私たちの周囲に取り巻く、私たちを消そうとたくらむ運命の渦から逃れるため。
 とてつもなく強大な敵に立ち向かった。
 なにがあろうと、絶対に敵わない敵に。
 コートは静かに歩き出す。
 礼拝堂の正面には、人を象った巨大な肖像。これがこの国の神の姿。
 振り返ることなく、像を見上げた。
 私は礼拝堂にやってきた人物に注目した。
 少年である。
 生まれたままの姿。なにも身に着けていない。
 たったいま生まれたのである。
 運命という名の神が生み出した異物。
 存在してはいけない私という異物を無かったことにするために。
「待っていました」
 私がそう声を掛けると、少年は獣のような瞳で私を睨んだ。
 私に向かって手のひらを向けながら、ゆっくりと歩いてくる。
「繰り返しであっても……。永い眠りに付かせてくれるあなたは、私の救世主です」
 少年に言葉が届いている様子はない。ただ、私を封じるためだけの意志だけ持ち合わせている。それ以外は必要ないのである。理由も必要ない。ただ、運命という名の神に植え付けられた純粋な意志だけ。
「……待ってる。僕はまた君が圧縮から解かれ、目を覚ましたときに傍にいよう。また圧縮されるそのときも。その永遠の輪廻、僕はいつも君の傍にいる」
 涙はとどまることを知らない。
 全身が震えだし、立っていることもできなかった。
 膝から崩れ落ちて中腰になると、少年と目線が同じ高さになった。
 唇は勝手にわななき、恐怖に胸が振動する。
 怖い。
 でも、コートは言った。
 永い眠りの後、目を覚ましたとき、コートが傍にいてくれると。
 少年は氷のように冷たい無表情を顔に貼り付けたまま、私の目の前までやってきた。年のころで言えば十に満たない人間の子供である。
「ごめんね、こんなことに巻き込んでしまって。あなたを生み出したのも私。こんな私の絶望に付き合わせてしまって、本当にごめんなさい」
 少年と目線を合わせるように私はひざまづいた。
 少年の手が、私の顔面を覆う。
 これが圧縮……。
 コートに守られ、私は一度も圧縮をされたことがなかった。未知の領域に踏み込んでいく。百年か、二百年か。深く永い眠りに付く。
「……どうして」
 ふと、少年が口走った。
 少年が私の顔面を覆っていた手を引く。
 何事かと私は少年を見る。
 その顔には相変わらずデスマスクのような感情味のない表情が張り付いている。その目が空中を泳いでいた。
「なぜ……やめるの?」
 少年は二歩、後ずさりした。
「……どうして……、泣いてる?」
 声は、子供らしい愛らしい声。
 背後で何かが倒れる音がして、私は驚きつつ祭壇のほうを振り返った。
 そこには驚愕の表情で立ちすくむコートがいた。
 この世の終わりを見るような血走った目でこちらを見ていた。先ほどの何かが倒れる音は、祭壇の上にあった蝋燭台のようだ。床に蝋燭が散乱している。
 コートの異様な様子に、私も動揺する。
「どういうことだ……!? いまなんて言った……!」
 コートの上ずった声。コートがあれほど取り乱すなんて、この千年間であっただろうか。なにが起こったのかまるで分からない私は戸惑うばかり。
 少年は再び二歩、後ずさりして言った。
「お前は……、悪いやつ……。だから封じる。悪いやつなのに、なんでそんなふうに泣いてる……?」
「……どうして、そんなことを?」
「僕はお前を封じる……、だけど……」
 少年は突然、苦痛に顔をゆがませた。手首をこめかみにこすりつけ、強烈な頭痛を堪えるようにうめき声を上げた。
 少年の足元がおぼつかなくなる。
「お前を封じる……! 封じるんだ……!」
 少年は再び私に向かって手のひらを向ける。悪霊を退散させるような鬼気迫る様子で近寄ってくるが、直前になって再び手を引っ込める。
 手を引っ込めると、少年は全身に電流を流されたかのように痙攣する。
 一体、なにが起きているのか。
「教えろ……! 封じる前に……!」
「なにを……? なにを知りたいの……?」
 少年は葛藤するかのように、私に向かって手を伸ばしたり、引っ込めたりする。少年の手が勝手に意志を持って動き出すのを、必死に抵抗しているかのように見える。
「お前は……、どうして僕に封じられる……?」
「どうしてって……、それがあなたの役目。あなたは私を封じて、世界を救うのです」
「世界を救う……」
 再び少年は苦痛にうめく。
 さらに私から数歩遠ざかったと思うと、今度は猛獣のように駆け寄ってきて、私の顔面を掴んだ。
 ところがすぐに手を引っ込めて、逃げるように距離を置く。
 私には少年の行動の意味が分からなかった。
「僕は……、どうしてこの人を封じる……?」
 それは少年の独り言。
「この人が……、なにをやったかも知らないのに……」
 気付くと、私の傍にコートが立っていた。
 コートを見上げると、コートはぞっとするかのような冷たい表情をしていた。
「コート?」
「これは一体どういうことだ。この少年が此処に現れるのは分かっていた。もちろん、時間も分かっていたし、このままエレーナが封じられるはずだった。一言も発することもなく、淡々と……」
 封じられる「はずだった」?
 コートがおおよそ口にしない言葉である。
 それではまるで……。
「僕の占いが、外れた。こんなはずはない。ただ一度だって、誤った未来を見通したことなんてない。この少年はなぜ、占いどおりに行動しない?」
 コートの占いが外れた?
 少年は床にうずくまって、震えながらうめき声を上げている。
 コートは恐怖に染まった顔をエレーナに向けた。
 コートにとってはそれほどの事態。
 そのとき、少年が勢い良く立ち上がったと思うと、天井に描かれた神々に向かって怒号を上げた。
 私は肩を震わせて少年に注目した。
 少年は獣を思わせる動作で私を見る。
「まだ封じない……! 知るまでは……!」
「なにを知りたい、少年」
 コートがそう尋ねた。
「悪人かどうか……。そんな風に涙を流す人が……、本当に悪人なのか」
「運命は君に『エレーナを封じろ』と命じているはず。なぜ、それに逆らう?」
「逆らう? 僕は知りたいだけ……。その人が、悪人かどう――」
 言いかけて、少年は操り人形の糸が途切れたように、白目を剥いたかと思うと床に崩れ落ちたのだった。
 
 

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