あっちから変なの出てきた

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第六章 【 そして……孤独へと続く道 】


 奏が目を覚ましたとき、目の前にいた少年を目撃した瞬間、奏の頭は混乱を来たし、現世にいたときの記憶が脈絡無く思い返された。
 もしかしたら、まだ現世にいる幻想の中から抜け出せていないのかと思ったが、目を覚ましたその場所が牢獄であったことで、自分がいまどこにいて、どんな状況にあるのかを思い出した。
 目の前の少年は目を丸くしている。目を覚ました奏を、驚愕の表情で見ているのである。お互いに口を開けない。
 少年とは別に、奏のすぐ傍で人の気配がした。奏の腰掛けるベッドが揺れた。奏が揺らしたものではない。
 同じベッドに誰かが座っている。右側を見ると、そこに居たのは佐々倉想平だった。佐々倉は奏の顔を見ると、次に額に手を当てて思い悩むように動かなくなった。
 佐々倉は重々しく口を開く。
「整理させてくれ……。覚えてる。あの幻想世界は覚えてる。だけど、この現状は思い出せない……」
 どういう経緯で奏と佐々倉が同じ牢屋にいるのか。
 いや、二人ではない。
「ううん……あれ……」
 佐々倉の頭上で目を覚ます小さな少女。
「あ、カナデ」
 そう声を上げたのは、佐々倉の頭上を住処とするトレミである。
「トレミ……」
 覚えている。直前まで居た幻想世界。
 そこで三人は……。
 佐々倉がようやく顔を起こす。
「成功したんだな、奏。俺たちがここに居るということは……」
 幻想世界からの脱出に成功し、隔世に戻ってきた。
 それは分かる。幻想世界に居たときのような存在の希薄感は無い。幻想世界に居たときには気づかなかったが、こうして現実に戻ってきた今、あの世界が夢であったことは明白に感じる。
 トレミは合点がいったのか「そうか!」と声を上げた。
「成功したんだな、カナデ! 戻ってきたんだ!」
 ようやく実感が沸く。あの世界が閉じる瞬間の恐怖と悲壮が思い起こされ、死の淵から蘇ったような安堵が胸の奥から沸き起こってきた。
「そうだよ、トレミ。俺たちは帰ってきた」
「やったな! カナデ!」
 ああ、そうだ。
 世界が混沌の渦に飲み込まれようとしていた最後。トレミを守るかのように三人がしっかりと抱き合った。
 奏がトレミに語りかけ、佐々倉がトレミを守り、トレミが奏の言葉を信じ、奏と佐々倉を隔世に召喚した。
 現実との結びつきを、トレミの召喚で強めて、ここに戻ってきた。
「トレミ、お前のおかげだよ」
 奏がそう言うと、トレミは恥ずかしそうに頭を掻いた。
 これで明らかになった。
 あのファミリアの洞窟で眷族になったのは、トレミではなく奏のほう。あの時交わした契約は、奏がトレミの眷族となるものだった。
 後に佐々倉とも契約を交わし、佐々倉の命をつなげる結果になった。だからこそ、トレミは召喚状態を解除されない。いや、もともと召喚された状態ではないのだ。
「まさか、俺たちがトレミの眷族だとは……」
 佐々倉がため息混じりに言った。
「眷族は獣族に近い存在だと言ってなかったか? 俺たちは人間だぞ」
「人間も丸く言えば動物だし……」
「トレミは爬虫類も眷族にしてたぞ。そもそも、眷族はハザマの世界の住人じゃないのか。なんだか滅茶苦茶だ……」
「……万能系の召喚士だよ、彼女は」
 その言葉を発したのは奏ではない。佐々倉でもトレミでもない。
 そうだ。
 この牢屋の中には奏、佐々倉、トレミの三人以外にもう一人居た。
 奏が目を覚ましたときに、最初に視界に飛び込んできた少年。
 その少年は、見覚えがあった。
 忘れもしない。
「ナユタ……」
「お兄ちゃん、久しぶり」
 間違うはずが無い。
 目の前にいるのは、ユーナの弟であるナユタ。
 だが、なぜ。
「ものすごく衝撃的だよ。僕の眷族の術を破るなんて」
 ナユタがしゃべっている。
 違和感は最初に目を覚ました瞬間から感じていた。
 佐々倉が思い出したのか「こいつは」と目を凝らす。
「現世に来た人外か……?」
 ナユタは無感情に佐々倉を見る。
「僕からすれば、君のほうが人外だよ」
 奏はナユタのしぐさ、表情、言葉すべてから目が離せない。
「佐々倉さん。ナユタは……俺たちを幻想世界に送った張本人だよ。思い出した。あの世界に飛ばされる前の記憶……」
 
 
 
 夢に陥る前の出来事。
 
 がたん
 
 この音がするたび、奏は生命力を削られている思いがした。
 四ツ目族がここにやってくる。
 
 がたん
 
 何重にも立てられた鉄格子の扉。
 
 がたん
 
 最後の扉を開いた後、足音が聞こえた。
「決意は固まったか?」
 鉄の甲冑を纏った四ツ目族の兵士二人が、奏の牢の前に立っていた。
 奏はベッドに腰掛けたままの体勢で、二人の四ツ目族を見上げていた。
 眷族の譲渡。
 もちろん、答えは決まっていた。
「譲渡するわけがないだろ」
 チリル・ルイサが史上最強の眷族だというのなら、死んでも譲渡するつもりはない。
「もう一度聞く……」
 どんな拷問が待っているのか。死んだほうがマシと思える熾烈な拷問だろうか。
 奏は立ち上がった。
 鉄格子に近寄っていくと、はるか頭上にそびえる四ツ目族の二つの頭を見上げる。
「何度聞かれても同じだよ。お前らには絶対譲渡しない」
 四ツ目族は冷たく奏を見下ろしている。
「そうか……」
 四ツ目族はおもむろに視線を逸らすと、今入ってきた入り口のほうを見た。
「おい。こっちだ。お前の出番のようだ」
 そう言って、誰かを手招いた。
 こちらに近づいてくる足音が聞こえる。
 牢屋内の奏からは近づいてくる人物は見えない。
 ゆっくり、焦らすように近づいてくる足音。
 こつ、こつ、こつ。
 まるで催眠を掛けるかのように、定間隔で聞こえてくる。
 こつ、こつ、こつ……。
 
 果たして、姿を現したのはナユタだった。
 奏は最初、ナユタが囚人としてここに連れてこられたのかと思った。しかし、牢に放り込まれたのはナユタではなく、拘束された佐々倉とトレミだった。
「っく、くそやろうが」
「佐々倉さん! トレミ! どうしてここに?」
 縛られていた手首をさすりながら、佐々倉は苦々しそうに歯軋りしている。
「話せば長くなる。だが、どうやら呼び寄せられたらしいぜ。さっき、あのチビスケが言っていたことを信用するなら、どうやら俺とトレミは『人質』として、この場所に呼び寄せられたらしい」
「そうだ! 卑怯な奴め!」
 トレミも怒り心頭の様子。
 牢に入れられると拘束は解かれたが、鉄格子の前には仁王立ちする強靭な四ツ目族と、四ツ目族の股間くらいまでしか身長のないナユタに阻まれ、小さいトレミといえども脱出できそうに無い。
 そもそも、ナユタは拘束されていなかったし、怯えるような様子もない。凄まじい違和感とともにたたずむナユタに、奏は恐怖に似た薄気味悪さを感じた。
 どうしてナユタが? 再会を喜ぶより、冷ややかに奏を見つめるナユタの相貌が気になった。
 覚えているのは、そこでナユタが発した第一声。
 その言葉の後に続く記憶は、どうやら思い出せそうに無い。
 最後に焼きついた、ナユタの言葉。
 ことあるごとにフラッシュバックし、一生涯かけて奏を苦しめる、深い深い傷を負わせる言葉。
「大人しく眷族を譲ってよ、お兄ちゃん。言うことを聞かないと、ササクラを生きたまま四肢をぶった切って、トレミをあらゆる下品な方法で陵辱するよ」
 
 
 
 これが夢の世界に陥る直前までの記憶だ。
 回想から戻ってくると、やはり訳の分からない現実が目の前に展開されていた。
 なんの説明もなされなかった。
 なぜナユタが四ツ目族と一緒に?
 ユーナは?
 一緒にいないのか?
「どうして……僕の術は破られたの? いままで一度も破られたことが無いのに……」
 ナユタは不思議そうに奏の顔を見ている。
 それより、この違和感は何だ。
 いろいろ疑問はあるし、説明してほしいことはあるが、なにより奏の知っているナユタは目の前に居ない。
「おい、奏。このガキはなにを言ってる?」
 佐々倉がナユタに向かって顎をしゃくる。
 ナユタは冷ややかに佐々倉へ視線を移す。
「ガキ……じゃないよ。僕のこと、馬鹿にすると殺すからね」
 佐々倉が不振そうに眉をひそめる。
「殺す……? 穏やかじゃないな。現世でのお前を良く知らないが、どうやら別人と思ったほうがいいらしい」
「同じだよ。僕はナユタ。ミユナお姉ちゃんの弟。でも、僕とミユナは同じところから生まれたけど、ぜんぜん違うんだ」
「ユーナを知ってるのか?」
 そう声を上げたのは、佐々倉の頭上に居たトレミ。
「知ってるよ。お姉ちゃんだもの。トレミのことも知ってるよ。コソボ・カユウの連れだったよね」
「コソボ婆も知ってるのか!?」
「知ってるよ。でもお婆さんじゃないよ。コソボ・カユウは君と同じ。叛乱に敗北してから、ヴァルアラトスに封じられたんだよ。コソボ・カユウ、トレミ、そしてチリル・ルイサも、みんなヴァルアラトスに逆らって、封じられたんだ」
「わたしが……?」
 なにを言っているのか。
 ナユタが訳の分からないことを言っている。
 俺の知っているナユタは……。
「僕らの力では、あのコソボ・カユウのいるファミリアの洞窟を攻略できなかった。コソボ・カユウ、トレミ、チリル・ルイサが力を戻しつつあるのは分かっていたんだ。でも、あの洞窟に入り込んだ仲間たちは、誰一人として戻ってこなかった」
 まだ夢の中にいる。
 まだ目を覚ましきれて居ない。
 なにか、最もそうな理由を必死に考える。
「チリル・ルイサはもともとトレミの眷族だよ。覚えていないだろうけど。力を封じられた際、コソボ・カユウは老化し、トレミは縮小し、チリル・ルイサは契約解除され、鎖に巻かれる形で力を封じられた。力の封じられ方は、封じられる側によって形はさまざまらしいけど、永遠じゃない。三百年経って、その封じられる力が弱まってる。トレミがいままでファミリアの洞窟に現れた人々と契約できなかったのは、単純に力を封じられていたから。奏兄ちゃんと契約できたのは、力が戻りつつあるから。君はもともと、成人女性と同じ身体の大きさを持っていたんだよ」
「叛乱……? 力を封じる……? トレミ……なんのことか……」
「記憶を失っている。もともと、君は万能系の召喚士だった。理屈はまったく分かっていないけど、ハザマの世界の住人以外でも、トレミは眷族の契約が可能だったんだ。虫でも植物でも人間でもね。トレミの眷族となったものは、特殊な能力を得ることが出来る。例えば、史上最強の眷族と契約できるようになったりね」
 ナユタの言葉はほとんど頭に入ってこない。
 ナユタは目の前で、一体なぜ意味の分からない言葉を羅列しているのか。
「種明かししてあげるよ。全部ね。でも、聞かせてほしいんだ。僕の幻術は、絶対に抜け出すことはできないはずだった。その世界に身をゆだねた瞬間に、眷族とのつながりも断裂されて、僕は強制的に眷族を奪えるはずだった。それなのになぜ、目を覚ますことが出来たの? それも三人一緒に……」
 それより俺の疑問を……。
 ナユタ、なぜ。
 君は一体、何者なんだ。
「私がカギだったんだ!」
 トレミが揚々と声を上げる。
「私がカナデとササクラを、こっちの世界に召喚したんだ。だから目が覚めたんだ!」
 トレミのその説明だけで十分のようだった。ナユタは目を丸くしている。
「要するに、トレミも一緒に術にかけたのが穴になったということ? そんなことが……」
「ナユタ」
 奏はそんな会話などどうでも良かった。それより教えてほしかった。
「ナユタ、どうしてここにいるんだ? 意味が分からない。俺たちを幻想の世界に送ったのはナユタなのか?」
 ナユタはゆっくりと首をかしげるようにカナデを見た。その目。その表情。奏の知っているナユタではない。
「救世主が生まれた。長い長い間、ずっと待ち望んでた救世主が生まれて、僕らの長い旅が終わろうとしてる。だから僕はここにいる」
「説明になってない。ナユタ、お前がこれを仕組んだんだな? 何のために? お前は一体、何をしようと……」
「眷族が欲しかったと言ったじゃないか。僕とミユナおねえちゃんは同じように生まれた。だけど、お姉ちゃんのほうが遥かに救世主としての資質が高かった」
 ちょっと待て。
 話の筋が見えてこない。
 お姉ちゃんのほうが遥かに救世主として……。
「話さなかったっけ。救世主はミユナお姉ちゃんだって。ミユナお姉ちゃんはトレミと同じ。特別な召喚士なんだよ。僕はカナデから眷族をもらって、お姉ちゃんに渡すつもりだったんだ」
 何も整理が付かない思考。
 一体、ナユタは何をしゃべっている?
「全部説明するけど、その代わり眷族はもらうよ。いい? お兄ちゃん」
「ユーナは最初から……」
「お姉ちゃんは何も知らないよ。知っているのは僕だけ。カナデ兄ちゃんの世界で出会ったお姉ちゃんは、嘘偽りの無いそのままの姉ちゃんだよ。だけど、何も知らない」
「知らないってなんだ。ユーナは何を知らないんだ?」
「自分が救世主だってことも、特殊系の召喚士だってことも、僕がお姉ちゃんを操作してるってことも何も知らない。今となっては、副作用でお姉ちゃんは僕のことを忘れてしまったしね」
「だから、救世主ってなんなんだ。ナユタ、お前は一体何者なんだ」
「僕は帝国旅団の一人だよ」
 奏は思考が完全に停止し、呼吸すら忘れてナユタを見つめていた。
 意味は分かってるが、頭脳は何も解析しない。
 ナユタの口からは結論ばかりが発せられ、それまでの経緯や事情は何も語られない。順序だてて整理されない情報は、奏の情報を受け取る通路の入り口あたりでくすぶって、ちっとも理解されることはない。
 だが、感情だけは膨らみつつある。
 なにか、奏の思いもしなかったシナリオが、奏の見えないところで進行していた。
 最初から。
 ユーナとナユタが現世にやってきたときから。
 そうだ。
 そもそも、現世にユーナとナユタを送ったのはヴァルアラトス。
 ヴァルアラトスはなぜ、ユーナとナユタを現世に送った?
 ユーナはもともと王族だった?
 だけど、ラナ・カンは最初から言っていなかったか?
 現世にやってきたのは隔世における二ツ目族の叛乱軍――帝国旅団であると。
 そして、いまナユタが言ったじゃないか。
 ユーナは救世主。
 帝国旅団の救世主。
「お兄ちゃん。知りたいことは教えてあげるし、ここも出して自由にしてあげる。だけど、約束してくれないかな? 大人しく僕に眷族を譲ってほしい」
「チリル・ルイサをか?」
「うん」
 いまナユタにチリル・ルイサを譲渡したら……。一体どうなる?
「ここは眷族が封じられている。しかもササクラとトレミの命を握っている。もっと言うならササクラの妻と子供もね」
 佐々倉は動揺しなかった。少なくとも表向きは。それが佐々倉。奏が想像すらできない過酷な修行を経てきた男の強靭な精神力である。
 佐々倉は鼻先で笑い飛ばすと言った。
「奏が眷族を譲渡した後、俺たちや俺の家族の安全をどうやって保障する気だ?」
「それは信じてもらうしかない。約束は必ず守るよ」
「ここは四ツ目族の研究施設だったはず。四ツ目族は、帝国旅団と何か関係があるのか? 帝国旅団のナユタが約束したからと言って、四ツ目族が約束を守る保証なんてない」
 そう言ったのは奏。ナユタはじっと奏を見つめる。そのときだけ、奏の良く知っている純真で無邪気なナユタの瞳の輝きを見た気がした。
「それについても信じてもらうしかない。なにしろ、譲渡する約束をしてくれないと、僕は何も教えてあげられない」
 現状、なす術がない。ナユタの言うことを聞いて、相手が約束を守るという希薄な約束に期待するほか、なにも可能性がない。
 奏は佐々倉を見た。佐々倉は奏を見返さなかった。
 夢の中で、佐々倉が言った言葉を思い出す。
 ――すぐに絶望したり、復活したりするお前が大嫌いだ。
 もっともな言葉。自分なんて幼稚で、精神力が脆弱なんだろう。家族を人質に取られた現状の佐々倉は、同様を少しも見せず平然としているというのに。
 ――だけど、期待してる。気に入らないが、こんな絶望的な現状でも、お前が何とかしてくれるんじゃないかと期待してるんだよ。
 奏は油断すると泣いてしまいそうだった。
「佐々倉さん、ありがとう」
 奏がそう言うと、佐々倉は睨むように奏を見た。
 同時に目を逸らすようにナユタを見た。
「約束するよ。眷族を譲渡しよう」
 ナユタは探るように奏の瞳を見返すと、口の端を吊り上げて笑みを造った。
「でも、条件がある、って顔をしてる。いいよ、言ってみて。出来る限り譲歩するから」
「おい、奏」
 佐々倉が声を掛けてくるのを無視して言った。
「まず、佐々倉さんとトレミ、それから佐々倉さんの家族を開放してくれ。俺だけ残り、みんなの安全が確認できたら眷族を譲渡する」
「おい、てめえ……」
 佐々倉が殴り掛からんばかりの勢いで、奏の胸倉をつかんだ。怒り心頭の佐々倉の瞳をまっすぐに見返す奏。
 その目を見た佐々倉が、怒りの言葉を飲み込んで、胸倉をつかんだ手を離した。
 ――何か考えがあるんだな?
 佐々倉はそう思ったはず。奏は「俺には考えがある。任せてくれ」と目で訴えたつもりだった。佐々倉は察したはずだ。
 どさくさにまぎれて、佐々倉にこっそりと渡したものがある。佐々倉はそれがなんなのか知っている。
 それを持って――。
「だめだね」
 ところがナユタが了承しなかった。
「カナデ兄ちゃん以外を逃がした場合、その後、まんまとカナデ兄ちゃんもろとも逃げ出すことの出来る方法が、少なくとも五つは思いつく。容認できないね」
 奏は前かがみになって、ナユタに顔を近づけた。ナユタだけに聞こえる声で。もしかしたら佐々倉にも聞こえるかもしれないが、佐々倉は口を閉ざしてくれるはずだ。
「なら、この場でトレミとの契約を解除しよう。これでナユタが考えてる五つの脱出法は全て不可能になるはずだよ」
 ナユタはいぶかしげに奏を見る。
「どうやって契約の解除を?」
「ナユタにはできるんだろ? 俺の合意さえあれば、契約の強制解除が」
 ナユタは停止ボタンを押されたかのように動かなくなった。周囲の空気さえ硬直させたかのような静止状態。
 おもむろにナユタは表情を和らげる。
「なるほどね」
 すぐに油断の無い表情に戻ると言った。
「でも、疑問はのこる。仮に僕が約束を守ってカナデ兄ちゃん以外を解放したとして、ササクラたちが安全なところまで逃げたと、カナデ兄ちゃんはどうやって確認するんだい? それこそ、この約束自体、信用取引になるんじゃないの?」
「確認する方法がある。だけど、その方法は教えられない。知られてしまったら、妨害されるかもしれないからね。この条件、飲めるのならチリル・ルイサを譲渡しよう」
 ナユタは後ろに居た四ツ目族を振り返った。再びカナデを見ると、その表情に迷いが消えているのが分かった。
「その条件、断ったら?」
「死んでも譲渡しない。自分自身で死ぬ方法はいくらでもある。譲渡するくらいなら、死を選ぶ」
 ナユタは三回うなずいた。
「まあ、いずれにしても最初の約束は守るつもりでいたからね。僕が恐れているのは、出し抜かれて眷族を奪えない事態。眷族さえ譲渡してもらえれば、カナデ兄ちゃんもちゃんと解放する」
「じゃあ、成立だな?」
「いいよ」
 ナユタは背後を振り返った。その背中に向かって、奏は慌てて声を掛ける。
「忘れてた」
 ナユタが無表情で振り返る。
「ノエルっていう、ウサギの眷族を知らない? 何の力もない読書好きの眷族なんだけど」
「知ってるよ。僕らのあとを付けて来たから、捕獲した。でも、あれはカナデ兄ちゃんの眷族じゃないよね?」
「俺の眷族じゃないけど、友達なんだ。ノエルも解放してくれないか? ここに連れてきてくれ」
 ナユタがため息ひとつ付くと肩をすくめた。
「いいよ。連れてくる。あの眷族に何か起こせるとも思えないし」
 それは正しい。
 ノエルは博識の頼れる眷族だが、危機を乗り越えるような力は持っていない。
 ナユタが背後に控えていた四ツ目族に指示すると、一人の四ツ目族がいなくなる。
 ナユタが四ツ目族を指示している。明らかに位はナユタのほうが高い。
 この現状は不明だが、後でナユタが正解を解説する約束。
 奏が隔世で学び、目撃してきた現状は、きっと裏側では複雑に捩れている。三ツ目族、二ツ目族の単純な対立構造ではない。いままで考えもしなかった思想に基づく団体が存在し、世界構造を覆そうと何かを進行しているのか。
 まもなく戻ってきた四ツ目族に抱えられ、ノエルが姿を現した。奏の牢に放り込まれると、ノエルは「カナデさん!」と声を上げて、涙を流しながら奏に抱きついてきた。
 ノエルを受け止めると、奏は胸が痛くなった。
「ノエル、本当にごめん。ノエルを一人だけにしてごめん。俺はあの時、どうかしてたんだ」
「いいえ! カナデさんが無事でよかった! わたくしはもう……!」
 奏の胸で「おいおい」と泣くノエルの長い耳に、そっと口ずさむ。ノエルにしか聞こえない声で。
 ノエルは聞こえていたはずだし、カナデがノエルに何か言ったのはナユタたちにも分かったはずだが、ナユタたちはそれをただの慰めの囁きぐらいにしか思わなかったはずだ。
「さあ、感激の再会のところ悪いけど、そろそろカナデ兄ちゃん以外は牢を出てもらう。約束どおり好きなところへ行けばいい。ササクラの家族も外で待機してる」
 佐々倉の家族。麻由美さんと沙紀ちゃん。
 覚えている。
 牢屋でカナデに手を差し伸べて、赤い飴玉をくれた沙紀ちゃん。
 やっと、現実でお父さんに会えるね。
 奏は思いがけず、涙を流した。
 奏自身でさえ、理解できない熱い涙だった。
 どういうわけか、この涙は止まらない。
「奏……」
 佐々倉が奏の様子を見て、怪訝そうにする。
「どうしたんだ、カナデ? 大丈夫か?」
 佐々倉の頭の上からトレミが心配そうに声を上げている。
 そうか。
 奏は涙のわけを、ようやく理解する。
 これが別れの涙だ。
 ユーナが隔世に帰るときも流れなかった。
 隔世に渡るために、琴や弦、階、父さんに別れを告げるときも、流れなかった。
 流れたのはラナ・カンを失った瞬間だけ。
 そして、理解した。
 この涙はラナ・カンを失ったときと同じ。
「死別」したときだけに流れる涙なのだと。
「ごめん、佐々倉さんが家族に再会できると思ったら嬉しくて」
 そう言うと佐々倉はおもむろに奏の頭をぺシャリと叩く。
「馬鹿やろうが……あとで俺の家族をちゃんと紹介してやる」
「そうだ! トレミにも紹介しろ」
「うるせえ、ちびっ子」
 トレミは佐々倉の髪の毛を引っ張って「ちびっ子じゃない!」と憤慨した。
 ナユタはイラついたように鉄格子をガンガン叩いて、奏以外の退場を促した。
「分かったよ、そう急くなって」
 佐々倉はトレミを頭に乗せたまま立ち上がる。
 牢を出たところで、佐々倉は一度、牢の中に残る奏を振り返った。同様の瞳で、トレミも奏を見ていた。
 最後に奏の意思を確かめるような視線。
 ――本当にお前には考えがあるんだな?
 そう念を押された気がした。
 奏は無言で目を細める。
 ――大丈夫。きっとうまくいくよ。
 そういう意味を込めた微笑だった。
 佐々倉が四ツ目族に促されて、奏の視界から消える。
 孤独が奏の胸を貫いた、
 おおよそ、隔世にやってきてから、ほとんどの行動をともにしてきた佐々倉とトレミ。三人の絆は、夢の世界で深まったと感じた。
 孤独を覚悟していたはずの奏は、すでに絆という繋がりに支配されてしまっていた。佐々倉とトレミの背中が、これほどまでに孤独を突きつけるとは思っても見なかった。
「さあ、ノエル。君も佐々倉たちと行くんだ」
 ノエルは涙目で奏を見上げて、顔をふるふると横に振る。
「わたくしはカナデさんと一緒にいます。一人になんてするものですか!」
「なに言ってるんだよ。君はプティシラの眷族だろ。プティシラの傍にいて、彼女を支えないと」
「もちろんです。ですが、だからと言ってカナデさんを見捨てる理由にはなりません。私は命を懸けてでも――」
「ああ、わずらわしい!」
 ナユタが声を荒げて、鉄格子を思い切り叩いた。があん、という音が無音の牢獄に響き渡る。
「その眷族、残りたいのなら残れ。約束は守るから、カナデ兄ちゃんから眷族を譲渡されたら、一緒に解放してやる」
 そう言って、世界が痺れるほどの轟音を立てて鉄格子を閉めた。


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