あっちから変なの出てきた

----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
----------------------------------------------------------------------

第十四章 【 孤独 】


 奏の膝の上に居たはずのノエルが、突然煙に巻かれたと思うと、膝の上から消えうせた。
 その様子に思わず身構えたナユタだが、消えうせたのを見て「なにが起こった?」と目を丸くした。
「佐々倉さんとトレミが安全なところまでたどり着いた合図、だよ」
「これが……。なるほど」
 ナユタは合点がいったように頷いた。
「あの眷族は奏兄ちゃんのものではなくて、あの二人のどちらかの眷族だったってことか」
 正確にはプティシラの眷族であるが、それをわざわざ伝えても仕方がない。
「ということは、奏兄ちゃん、いよいよ僕のこと信用してくれたかな?」
「ああ。これで眷族を引き渡す約束、守ることができるな」
「僕も約束は守る」
「ひとつ聞いてもいいか?」
「いいよ。なんでも教えてあげる」
 佐々倉とトレミが安全なところまで逃げることができて、奏はとりあえずほっとした。そこにはノエルも一緒。ノエルを巻き込まずに済んだ。
 となると、残る気がかりは後ひとつだけ。
「眷族を譲渡したら、ナユタがいったん預かり、その後にユーナに引き継がれるんだな?」
「そうだよ。それは間違いない。それが僕の最大の希望なんだから。救世主を救世主たる人間にする。そのための交渉じゃないか」
 それなら良かった。
 眷族を譲渡する相手がユーナなら、チリル・ルイサもラナ・カンもひどい扱いを受けたりしない。
 ナユタが手を差し出した。
「じゃあ、話しの続きもあるだろうけど、まずは眷族の譲渡を済ませてしまおうか。トレミとの繋がりがなくなったいま、奏兄ちゃんも、チリル・ルイサみたいな強力な眷族と契約してたら、すぐ死んじゃうからね」
「ああ」
 覚悟は決まった。
 ラナ・カン。長い間、俺を助けてくれてありがとう。思えば、ずっと傍にいたのはラナ・カンだけだった。事が始まって今まで、ラナ・カンが傍を離れたことなんてなかった。
 強烈な寂しさを覚えた。
 さようなら。
 もう会えないかもしれない。
 いや、もう会えないだろう。別れも言えず、ごめん。
「眷族の譲渡は、相手の胸と胸を合わせて行うんだ。奏兄ちゃん、僕を抱きかかえてくれる?」
 ナユタが両腕を広げた。
 抱きしめるように胸を合わせる。
 ナユタと触れ合ったのは、現世にやってきたナユタを結界から逃がし、琴姉ちゃんから逃げるときだったか。
 皮肉なものである。あの時と同じ、人間のぬくもりが。
 ふと、身体が軽くなったような感覚がした。
 なにも起こっていない。なにかが沸き起こったり、発生したり、音ができることもなく。
「終わったよ」
 そう言って、ナユタが離れた。
「二体の眷族、確かに僕が受け取った。安心して、約束は守るから。奏兄ちゃんはこれで自由の身。すぐに牢屋から――」
 ナユタはそこまで喋って、突然閉口した。
 まるで電池切れのように。
 まるでゼンマイの途切れた機械仕掛けのように。
 どうしたんだ?
 そう思った刹那、ナユタが胸を張るように仰け反った。
 突然の出来事に、驚愕する奏。
「おい、ナユタ!」
 ナユタは背中を蹴られたかのようにさらに仰け反ってみせる。
 何度か痙攣が続いた後、「んむむむむっ」とナユタが唸りだした。
 なにが起きてる。
 なにが。
「ぶはあああぁあぁっぁああ!」
 ナユタが口から大量の煙を吐いた。それはたちまち牢獄内を埋め尽くし、奏は視界を失った。
 だしぬけに、なにかの衝撃波を胸に受けた。それは胸を叩かれた程度の衝撃ではない。鉄の棍棒でフルスイングされたかのような衝撃とともに、身体が大きく弾き飛ばされた。
 その身体がまたどこかに衝突する前に、奏の意識は失われていた。
 
 
 
 プティシラの生体が埋め込まれたカードを両手で挟み、神頼みするように祈りを捧げた。
 こんなカードで眷族を戻すなんて、やりようがない。ただひたすら、念じてみるしかなかった。
 すると、風が吹いた。
 締め切りの屋内である。風が吹くわけがない。となれば。
 どろん、音がして煙が舞った。
 やがて煙が薄れていく。たいまつの火のもと、姿を現したのはプティシラの眷族であるシエル。
 シエルは目を瞬かせて、あたりを見渡した。
「あれ、カナデさんは……」
「お、おい、奏は……」
 シエルと佐々倉は顔を見合わせた。
「おい、シエル。奏は?」
「え……。さっきまで一緒に……」
 佐々倉は悟った。このシエルの様子。
 ――この方法じゃない?
 佐々倉は頭上に乗ったトレミを掴み上げると、目の前に掲げた。
 悲鳴を上げるトレミに「あれをもう一回やれ!」と怒鳴ると、肩をすくめたトレミは「あれって?」と首をかしげる。
「奏を召喚するんだ。この場所に」
「そうか!」
 トレミは合点がいったように手を打った。
 早速トレミは「もどれー、もどれー」と念じ始める。
 ところが、すぐにトレミは気付いた。
「だめだ……。ササクラ、だめだよ」
「なにがだめなんだ。一度やっただろう。もう一度やればいいだけだ」
「そうじゃない、ササクラ……」
 トレミの様子に、一抹の不安。
 どういうことだ。どうしてできない?
「カナデと繋がってない……。カナデ、一方的に私との契約を切っちゃったみたいだ」
「契約を切っただと……!」
 佐々倉は激高を表しにした。近くにあったものを蹴り上げる。
「畜生! やりやがったな奏!」
「なんだ、どうした、ササクラ!」
 頭上で振り落とされまいと必死に髪の毛を掴むトレミ。
「奏のやつ、嵌めやがった! あいつ、自分が脱出するアイデアなんてなかったんだよ! 俺らを外に出し、シエルも外に出すアイデアしかなかった。そのために残りやがったんだ!」
「なんですって!」
 そう声を上げたのはシエルだ。
「私はカナデさんと運命をともにしようと……! そんな、私を助けるために……!」
「ゆるせねえ……! こんなに怒りを覚えたことはねえ……! こんな風に裏切られたこともねえ……!」
「ササクラ! トレミが頭の上に居ることを忘れるな! 危ないだろ!」
「うるせえ! 頭に乗ってるやつが悪い! 踏み潰すぞ!」
 再び近くにあったものを蹴り飛ばす。すると、蹴り飛ばしたものが突然動き出し、反撃を食らったのである。
 脛あたりになにかがぶち当たり、佐々倉は悲鳴を上げて蹲った。
「いってえ! なんだこりゃ」
 そこにあったのは、佐々倉が蹴り飛ばしたことで、畳まれたものが展開された機械のようだった。
 まじまじと観察してみる。
「これは……」
 佐々倉が蹴り飛ばしたことで、仕掛けが作動して展開したようだ。みると、中央部分から蝙蝠のような羽が広がっている。
「翼か……」
 佐々倉は羽の端を押してみる。すると、パタパタと音を立てて翼が折りたたまれ、中央部分に収納されていく。最後には、カチ、と音を立ててたたまれた翼は固定された。
 反対部分も同様にたたんでみると、それは1平方メートルほどの箱になった。持ち上げてみると、それは背負える形になっている。
「これはパラグライダーの類か」
「どうした、ササクラ」
「こっちの世界に、こんなものがあるなんてな。使えるのか、これ」
「それより、カナデさんです!」
 シエルが声を上げた。
「戻りましょう! 助け出すべきです! カナデさんを一人にしてはいけない!」
 ササクラは黙って、シエルを睨み返した。
 シエルは負けじとササクラを睨み返す。
「ちっ。仲間は役立たずのウサギと、ちびっ子か。だけどな、俺は行くことができない。妻と娘がいる。なんとしても、俺は家族を現世に戻さなくては……」
「ササクラさんが行かないのなら、私一人でも行きます! ササクラさんも良く考えてください! ササクラさんの家族は、誰のおかげで助け出せたんですか? 誰が身を犠牲にして?」
 くそ、このウサギめ。口だけは達者でやがる。
 だが、正しい。
「お前の言うとおりだ。だがな、家族は俺を失ったら、どうやって生きていったらいい。ずっと探してた。こことは違う世界で。こんな異世界の辺境の地で出会えるなんて奇跡だ。俺はなにがあっても家族を守る」
「守れるのか、一人で」
 そう声を上げたのはトレミだ。
「あの夢の世界でも、助けてくれたのはカナデだ。カナデがいなかったら、家族を助けられてないぞ。カナデがササクラのために危険な洞窟に行ってなかったら、トレミにだって出会っていないし、出会ってなければトレミはササクラを助けられなかった。ササクラは何度、カナデに命を救われてるんだ」
 痛いところを付く。それでも、家族を置いてなんていけない。
「……分かった、ササクラ。家族は大事だ。残ってろ。カナデは私が助けてやる。シエル、手を貸せ」
 トレミが頭上で、シエルに手を伸ばす。シエルはササクラの目線まで浮かぶと、トレミがシエルに飛び乗った。
 トレミはシエルの頭の上で、耳を掴みながらバランスを取る。
「それじゃあ、カナデを助けてくる。佐々倉はここで待ってろ」
 佐々倉が答えないで居ると、シエルは背を向けた。
 恨むなら恨めばいい。家族を持てば分かる。家族は何物にも変えがたい。これが俺の正義だ。
 シエルとトレミは、洞窟内を後にした。
 
 
 
 空が白み始めていた。朝が訪れようとしている。
 空気はひんやりと冷えており、トレミは身震いした。
「よし! カナデを助けに行くぞ! ササクラが寂しがって泣き出す前に、ちゃちゃっとカナデをつれて帰ってくるとするか!」
「ササクラさんはなんて非情な方なんでしょうか。何度もカナデさんに助けられたというのに」
「そう言うな。あいつも結構変わったぞ! 前よりましだ。それより早く行こう!」
 トレミが拳を振り上げたそのとき、森の向こうから轟音が響いてきた。轟音は衝撃波となって、周囲の木々をざわめかせ、周囲が一斉ににぎやかになった。「なんだ!? なにかが爆発した!?」
「四ツ目族の聖域のほうです! なにかあったんです! 早く行きましょう!」
 シエルは短くそう言うと、思いのほか機敏な動きで木々をかわしながら、研究所めがけて飛んだ。
 
 
 
 轟音は洞窟内に居た佐々倉まで届いていた。
 何事かと顔を起こす。シエルとトレミが出て行った直後のため、二人の仕業ではないだろう。
 奏が何かをしでかしたのか。あるいは奏は最初から自力であそこを抜け出す策を思いついていたのではないか。
 佐々倉は松明片手に洞窟内を見て回っていた。そこにはさまざまな機械のようなものが置かれており、どれも翼があり、人間が乗り込めるスペースがあるものばかり。
 ここは、飛行機を作るための工房のようなものか。
 奥に木製のテーブルがあり、そこには設計図のようなものが広げられている。ふと気になって、傍にあった厚手の本を取り上げた。
 開いてみると、英語で書かれた本のようである。佐々倉は英会話が堪能である。書かれている内容も大体分かる。
「航空力学の本か。これを元に、こんなテクノロジーの低い世界で飛行機を作ろうとした馬鹿野郎が居るわけだ」
 この世界の人間に英語は読めないだろう。書かれている図だけを便りに作っていったに違いない。
 しかし、英語など見たのは久しぶりの気がする。
 うん? 英語?
 佐々倉は「その誤り」とも言える事象に気付いたのはそのときだ。
「英語だと? なぜこっちの世界に現世の本がある?」
 見ると、傍に積み重なっているのは、ほとんどが英語で書かれた本だったが、現世で書かれた本である。
「どういうことだ。ここには現世の人間がいたというのか」
 だが、それも今となっては不思議ではない。現に佐々倉はここに居るし、妻も娘もこの世界に居る。
 生物や物体が、イスカ領域を通じて、世界の間を渡っていたとしても不思議ではない。この本も、もしかしたらイスカ領域を通じて、この世界に迷い込んだのかもしれない。
 なぜ、ここにこんな大量に。
 まさか、この森にはイスカ領域がある?
「それなら、あるいはこの森から隔世に戻る糸口が……。だが、イスカ領域など、見つけるすべはない」
 あるいは奏なら、奇抜な発想で何かを思いつくか。
 そこまで考えて、佐々倉は自分の額を叩いた。
 奏を見捨てた男が、なぜ奏を頼ろうとする。
「家族を守るんだ。一緒に隔世に帰るんだ。自分の力で」
 佐々倉は妻と娘の眠る場所まで戻ってきた。
 そのとき、異変に気付く。
 妻と娘は眠ったままだったが、呼吸が荒くなっている。見ると二人とも額に汗を貯めている。
 様態が急変した。
「どうして……!?」
 佐々倉は妻と娘の額に手を置く。
 ひどい熱だった。
「なにが……! やっぱり毒を飲まされたのか」
 こんなところに病院はない。薬もない。どうすることもできない。
 苦しんでいる妻と娘を見て、どうすることもできない。
 いやな気持ちが全身を駆け巡る。
 妻と娘が最初に失踪して、見つめることができず一年が経ったときの、あの強烈な無力感。
 俺はやはり、家族を救えないのか。
 ――思えば、俺が倒れたときも、奏はこんな心境だったのかも知れない。俺は家族でもなんでもないが、あいつにはそんなこと関係なく……。
 ファミリアの洞窟で、俺が瘴気に中てられて倒れたとき、奏はあんな絶望的な状況でも、俺を諦めなかった。そして唯一の方法にして、最も危険を冒して俺を救った。
 なんてことだろう。
 俺は家族も救えず、命を救ってくれた人間も救えない。
 姑息なまま、俺は全てを失ってしまうのか。
 ……待てよ。
 俺が瘴気に中てられて倒れたとき……。
「まさか……」
 思い返せ。
 妻が一度、意識を取り戻したのはいつだ。そして、様態が急変したのは?
 俺とトレミが近づいたとき、妻は意識を取り戻した。
 そして、トレミとシエルが洞窟を後にしたのち、様態が急変した。
「瘴気に中てられたのか……!」
 だが、なぜ今になって。これまで少なくとも一年以上は隔世で過ごしてきたはずだ。なぜ、今になって!
 考えても始まらない。妻と救うには……!
「結局、俺は間違っていたわけか……。そうだよ。一人では生きていけない。お互いが助け合わなければ、こんなふざけた世界で生き抜いていくなんて不可能なんだ。俺はトレミをここに残し、自分で奏を助けに行くべきだった」
 決断が裏目に出たのは、良心を重要視する神の仕業だろう。
「すまない、麻由美、沙紀……。ちょっとここで待っててくれ。すぐ帰ってくるから」
 トレミを連れ戻さなければならない。トレミが俺を救ったときのように、妻と娘をトレミの眷族にしなければ、まもなく二人は死んでしまう。
 トレミさえ戻ればいい。この俺はなにもできないのだ。トレミに追いつき、洞窟に戻した後、俺が奏を救いにいく。
「そして、俺に万が一のことがあったら……。トレミを頼り、どうにか現世に戻ってくれ」
 佐々倉は覚悟を決めて立ち上がった。
 ようやく再会した。
 人生を賭して探し出した一番大切な宝物。
「俺は遠慮なくお前を恨むからな、奏」
 佐々倉は身を切るような思いで、洞窟を後にした。
 
 
 
 ユーナはメルスという三ツ目族の後を付いて歩いていくしかなかった。傍らにはキーファの腕を掴んで一緒に歩くアリス。二人とも怯えきっている。無理もない。二人は三ツ目族に免疫がないのだ。
 ユーナだって恐ろしい。前を歩くメルスがなにかの判断で、突然私たちを殺すかもしれない。この事態は尋常ではない。破壊された研究所施設。つまり、私たちに用があった者達も、すでにここを退去したか、死んでいるかしているはずである。
 そうなれば私たちは用済みになる。つれて歩くのもお荷物な私たちは、逃がされるか、殺されるか。
 二択であれば、メルスが下す選択は間違いなく後者。
「なぜ誰も居ない。なにがあったというのだ」
 メルスと施設内を歩き回ったものの、人の姿はなかった。ここでなにがあったかは想像すらできないが、人の手による破壊だとは到底思えない崩壊の仕方だった。
 そのときだった。
 近くの瓦礫が崩れる音がした。
 メルスが鋭く振り返り、背負っていた剣を構える。
 メルスが私たちの前に立ち、物音のした場所に近づいていく。
 瓦礫の一部が動いている。
 あの下に人がいる。瓦礫に下敷きになって逃げ遅れた人か。
 瓦礫がどけられ、いよいよ埋もれていた人が姿を表した。
「子供……か。二ツ目族か」
 ふらふらと立ち上がったのは、小さな子供だった。瓦礫の塵をかぶって全身が粉だらけである。
 メルスが剣を構えながら子供に近寄っていく。
 殺す気だ。ユーナはとっさに口を開こうとしたとき。
「ミユナおねえちゃん……! やっと……!」
 え? 私……?
 名前を呼ばれて戸惑った。メルスが振り返ったときは平静を取り戻していたが、いまので偽者だということを感ずかれてしまったかもしれない。
 メルスは再び子供を見る。
「ミユナお姉ちゃん……! 早く……!」
 メルスはおもむろに剣を鞘に戻した。
「俺は直に見たことはないが……、貴様、名を名乗れ」
「お姉ちゃん……! 早く……! また暴れだす前に……!」
 瓦礫から抜け出てきた子供は、ふらふらとこちらに歩いてきた。
 明らかにユーナに向かって。
 この子供は、なぜか知らないが、ユーナのことを知っている。このままではアリスと名乗っているユーナの正体が知られてしまう。
 メルスが子供の肩を掴んだ。
「名を名乗るんだ。貴様は誰だ」
 そのとき、子供は突然、胸を張るように飛び上がった。まるで背中を蹴り飛ばされたようだ。
「だっ……だめだ……! もう押さえておけない……! お姉ちゃん……! 助けて……!」
 どうする。どうする。
 子供が助けを求め、ユーナのほうにその小さな手を伸ばしている。
 こんなときに考えてどうする。
 目の前で子供が苦しんでいる。
 こんなときに迷ってどうする!
 ユーナは駆け出した。倒れこみそうになった子供を抱きかかえると「大丈夫!?」と声をかける。
「ああ、ミユナお姉ちゃん……」
 子供はユーナの顔を見ると、おもむろに抱きついてきた。首に腕を回し、ぴったりと身体を密着させるように。
「どうしたの? ここでなにがあったの?」
「……そのまま動かないで……、譲渡するから」
「じょ、譲渡?」
 なにがなんだか分からないうちに、ユーナは自分の中になにかが流れ込んでくるのが分かった。
 そして、この感覚は覚えがある。
「眷族の譲渡……?」
「ああ」
 首に回していた腕を振りほどくと、子供はゆっくりユーナから離れた。
「ああ、ミユナお姉ちゃん。お姉ちゃんは僕のことを忘れてるだろうけど、これで僕はちゃんと使命を果たしたよ」
「忘れてる? 使命?」
「僕だよ。ナユタだよ。思い出せない?」
 ナユタ? ナユタ……。
 記憶の片鱗にも引っかからない。
「でも、いいんだよ。こうして使命を果たせたんだから」
 そのときだった。
 傍にいたメルスが突然膝を突いたかと思うと、背負っていた剣を地面に置いて、頭をうなだれた。
「ナユタ様。このたびのご無礼、お許しください」
「え……?」
 驚いたのはユーナである。
 この子供は間違いなく、二ツ目族である。その二ツ目族に三ツ目族が頭を下げている。何らかの冗談か、罠か、悪戯か。
「そして、知らぬとはいえ、度重なるご無礼を、どうかお許しください、ミユナ様」
 そして、ユーナにも頭を下げるのである。
 戸惑うしかないユーナ。戯れかもしれない。次には「なんてな」なんていいながら斬りつけてくるかもしれない。
 ところがそんな様子も見られない。
 なにがなんだか分からずナユタと名乗った子供を見ると、すでに気を失っている。
「どういうこと……? どうして私に敬服を……? 王族だからって、私は」
「いえ、ちがいます。王族だからではありません。私が敬服するのは、ミユナ様がわれわれの救世主様だからです。おそらく、ご本人はまだ知らぬことと存じますが……」
「救世主って……。そんな、なんで私が……」
「ゆっくりご説明を差し上げたいのは山々ですが……。この現状、私にも理解しかねます。あなた様がミユナ様と分かれば、ここはミユナ様の身の安全を確保することが急務と判断しました」
 意味が分からない。
 誰かと勘違いしているのではないか、
 だが、そうだとしても、私にはアリス、キーファという連れがいる。この状態を続けて、アリス、キーファをどうにか逃がす手立ては。
「私に用があるのなら、二人は逃がしてあげてもいいですか?」
「それはなりません。あなたがミユナ様であれば、あの者はアリスということになります。われわれには彼女の能力がどうしても必要なのです。ミユナ様はまだ経緯や事情をご存じないだけなのです。このご命令はお受けするわけにはいきません」
「それでも命令だといったらどうします?」
「ご無理はおっしゃらないでください。もし、あの二人が逃げるようなことがあれば……、私は二人を斬らざるを得ません」
 強固な姿勢。命令を聞く様子はない。だが、この様子であれば、アリスとキーファが酷遇される心配はないようにも思われた。
 ユーナは恐る恐ると確認してみる。
「二人を傷つけない?」
「はい。最大限の誠意を持って、おもてなしいたします」
「本当に?」
「ミユナ様に嘘は申しません。お約束します」
 ユーナはアリスとキーファを振り返った。
 二人は恐々としてこちらを見ている。それはそうだろう。ユーナだって戸惑っている。現状に対して、なにひとつ理解が訪れない。
「施設がこのような状態です。まずはミユナ様を」
「ちょっと待ってください」
 そう言うと、メルスは恐縮して頭をより深く下げる。
「私のことはユーナと呼んでください。ミユナではなく、ユーナです」
「かしこまりました、ユーナ様。しかし、それはどうしてでしょう」
「私はその名を捨てました。私は別の人からもらった、ユーナという名前で生きていく決意をしました」
「……かしこまりました、ユーナ様。それでは、案内いたします。ナユタ様は私がお運びしますので、どうぞ私の後を付いてきてください」
 メルスはナユタを抱きかかえると「こちらです」と歩き出した。
「アリス、キーファ。ついてきて。ごめんね。二人は私が守るから」
 私が逃げたら、二人が殺される。
 二人を逃がさないのなら、私も行かないと告げても、私は気を失う程度に腹か頭を打たれ、連れて行かれるだろう。
 なら、考えるんだ。
 二人をどこかで、どうにか逃がす方法を。
 
 
 
「なんだろう、あの人たち」
 トレミが小さな声を出す。どんな小さな声だろうと問題ない。シエルのすぐ耳の傍で囁いているのだから声は容易に届く。
「まだ暗いので、よく分かりません。ですが、一人は四ツ目族です。あとの四人は二ツ目族のようです。ですが、まことに奇妙なことに、四ツ目族が二ツ目族に敬服しているようです。どうしてそんなことがありえるのか分かりませんが……」
「じゃあ、あの人たちにカナデの事を聞いたら分かるかな?」
「やめておきましょう。得体の知れない人間たちです」
「でも、こんなに研究所がぼろぼろになってたら、カナデがどこに居るか分からないよ」
「牢のあった場所にはいませんでしたからね。あの人たちの行く場所についていって見ましょうか」
「うん」
 シエルが慎重に身体を浮かせた。――その先に、鋭利な剣先があった。背後からシエルの首筋に、冷たい剣の刃が当たる。
「はっ。これは……」
「動くな、ウサギくん。それとちっちゃい子もな」
 動くなといわれたが、トレミは思わず振り返っていた。
 そこには一人の長身の男。もちろん、見た事はない。
「なんでこんなところにウサギくんとちびっ子がいるんだ。なにもんだ、お前ら」
「お前らこそ何者だ!」
 トレミが思わず声が高くなると、男は慌てて唇に人差し指を当てる。
「おいおい、お前らだってあいつらに気付かれたくないだろう」
 男の指差した先は、四ツ目族と二ツ目族のグループ。
 トレミは声のトーンを落として言った。
「お前、あいつらの仲間じゃないのか?」
「お前、じゃなくて、イイ・シトさんだ。いや待て、呼び方は俺が決める。イイさん……、じゃなくてシト様……じゃなくて」
「おい、イシト。油売ってる場合じゃない」
 イイ・シトの背後から、別の男が現れた。
「そんなのほうっておけ。ほら、動くぞ。後を追うぞ」
「そうは言っても、呼び名は重要だぞ。おい、ウサギくん、ちびっ子。俺はイシトだ。そう呼べ」
 そう言って、シエルの首筋に当てていた剣を引いて、鞘に収めた。
 トレミは不思議そうにイイ・シトを見上げる。
「イシト、お前、あいつらのあとをつけてるのか?」
「おおよ、ちびっ子。だけど、呼び捨てはちょっと癪に障るな。さんをつけろ、さんを」
「イシト、後ろに居るのは誰だ」
「だから、さんを……。まあいい、後ろに居るのは不死身の青年、タモンだ。こいつはどんな傷を負おうと――むぐっ」
 後ろからタモンという男に口をふさがれるイイ・シト。
「喋りすぎだ、イシト。いいから行くぞ」
 やれやれと腰を上げるイイ・シト。
「まて、お前らは何であいつらを追ってるんだ」
「なぜって……なんでだっけ、タモン」
 やれやれとタモンが答える。
「あそこに居る二ツ目族は、四ツ目族にさらわれたんだ。俺たちは二ツ目族を助けるために後を追ってる。これでいいか?」
「なら、私たちも一緒に行く。私たちは人を探してる。ここに居なかった。あの人たちについていけば、見つかるかもしれない」
 タモンとイイ・シトは困ったように顔を見合わせる。
「勝手にすればいいが、なにかあっても俺たちは助けないぞ」
「そんな心配は要らない。こっちこそ、お前らになにかあっても助けないからな」
「……元気なちびっ子だな」
 
 
 
 人影たちは移動を始めている。
 イイ・シトたちは追跡するために動き出した。
 トレミたちも後を付いて来る。
「それにしても、本当にお前たちは何者なんだ。ウサギくんとちびっ子。奇妙なコンビだな」
「トレミたちはこれでも大冒険してきてるんだ。いっぱい修羅場をくぐってきてるんだぞ」
「へえ、修羅場ねえ。たとえば?」
「それは……この前は夢の中から脱出してきたし」
「夢の中から? それはすごいな。だけど、俺は毎晩、夢の中から脱出してきてるぜ。時には脱出したくない夢もあるけどな」
「ちがう。そうじゃない。もっと、こう、なんていうか……」
「いいよ、分かったよ。とにかく、この国で生き残ってきたんだ。それなりに生存術には長けているんだろうよ。だけどまあ、何度見ても奇妙なコンビだな。ほかに仲間は居ないのか?」
「いるよ。いっぱい。いまは離れ離れだけど」
「奇想天外な仲間なんだろうなあ」
 タモンの背後でピクニック気分で会話する二人に、いい加減うんざりしてきた。
「おしゃべりは控えて、追跡に集中しろ」
 タモンがたしなめると、イイ・シトは肩をすくめて、「はいはい」とおざなりに答える。
 日は徐々に高くなり、視界は良好になってきた。見失うような心配はなくなったが、逆に言えば、相手からも見つかりやすくなったということだ。追跡は慎重にならなければならない。
 相手は四ツ目族である。まともにやり合っても勝ち目はない。この様子では、アリスたちがすぐに殺されるような心配はない。それに、ユーナに対してひれ伏すような四ツ目族の態度も気になった。
 おそらく連れて行かれた先で、ユーナたちはどこかに幽閉されるはずだ。それから夜中になってこっそり救出しても遅くはないし、それが一番、確実な方法に思えた。
 なにしろ、いま無謀な行動を起こして、ユーナたちの行方が分からなくなってしまうことが一番のリスクである。
 研究所を抜けると、そこに開けた空間があった。
 森を伐採し、切り開いた空間には見た事のある巨大な黒い物体を発見した。
「イイ・シト、あれを見ろ。お前はあれを見たことがあるか?」
「イシトと呼べよ。そういう約束だろ。すぐ忘れるんだから」
「いいからイシト、あれを見ろ」
「見えてるって。ずっと前から木々の上に頂上部分は見えてた。間近で見るとでかいな」
 直系にして、百メートルを越えるか。
「なんだあれ。まっくろだな」
 トレミが声を上げる。すると、シエルというウサギが、どこからか本を出現さえると、ページをめくっていく。目的のページを見つけたのか、ふむふむと頷いている。
「あれは飛翔船ですね。数年前にヴァルアラトスが作らせたものです。あの黒い楕円形の球体は風船状になっていて、空気より軽い気体で満たされています。重量は空気より僅かに重い程度。そのため、僅かな揚力でも浮き上がる仕組みになっているようです。それまでは外国への渡航は海上を船で移動するのが主流でしたが、最近ではあれが主な移動手段だそうです」
「言ってることがさっぱり分からん」
 イイ・シトは早々に理解を諦めて、興味を失った。
 タモンもシエルの話は理解できなかったが、一部、気になった部分があった。
「ヴァルアラトスが……? ではあれは、ヴァルアラトスの持ち物なのか?」
「そのはずですが……」
 タモンは舌打ちをした。
「まずいぞ。前に見たことがある。シエルの言うとおり、あれは空を飛んで移動するものだ。あれに乗り込まれて移動されたら、俺たちには追いつけない。しかもグロウリン城塞都市に向かうとすれば、あの中からみんなを助け出すのは至難の業になる。どうにか乗り込む前に助けられないか」
 イイ・シトが顎手に手を当てながら、ううん、と逡巡する。
「なあ、タモン。こうしないか? 乗り込む前に急襲するのはリスクがある。なら、あいつらが乗り込んだ後、こっそり侵入して三人を連れ出そうじゃないか」
「幽閉されているところを助け出す……。確かに助け出すのは要塞ではなく飛翔船だからな。まともに四ツ目族と対峙するより危険は減るだろうが、お前はそれでいいのか? そもそも、そんな義理などないはずだろう。アリスたちを助けるために危険を冒すのはなぜだ?」
「あれ? 言ってなかったっけ。俺はユーナちゃんの用心棒なんだよ。報酬は前もってもらってる。命三つ分だったっけな。それまで俺はユーナちゃんを助けるんだ」
「こうなっては、そんな義理、果たしたってしょうがだろう。とんずらしようとは思わなかったのか?」
「なぜそんなことを聞く? なにか疑わしいのか? ならどうして、お前は出会ったばかりの三人を助けようとするんだ? 金銭契約してる俺より、むしろタモンのほうが不自然だぜ」
「俺は……」
「無償の英雄ってところか?」
「無償じゃない。俺はある男に命を救われている。命どころか、心まで救われた。その男が捜し求めてる女性が、あそこに居るからだ。俺は彼のためにユーナを助ける」
「ほほう、お前が助けようとしているのはユーナなのか?」
「アリスもキーファもだ。二人には何の悪意もなく、俺を家に置き、飯を食わせてくれた。いい人間たちだ。そんなものたちを見捨てていけるわけがない」
 やれやれ、とお得意の方をすくめる仕草をするイイ・シト。
「そんなお人好しじゃ、いくつ命があったって足りやしないぜ。ああ、もっとも、あんたは不死身だったっけな」
 イイ・シトの口の軽さはタモンの頭痛を招く。タモンはこめかみをマッサージしながら言った。
「とにかく、イシトの意見には賛成だ。あの飛翔船の周囲には警備は居ない。飛翔船の中にも、人が何人も収容できるような大きさではない。森の影からこっそり近づけは侵入できるはずだ。アリス、ユーナたちが飛翔船の中に入ったら、隙を見て侵入しよう」
 
 
 
「なあ、ノエル。ユーナって、聞いたことないか?」
 トレミはタモンとイイ・シトの会話の中に出てきた「ユーナ」という人名が気になっていた。こっそりシエルに耳打ちする。
「カナデが探してるのも……」
「ええ。私もそう思ってたところです。まさか、カナデさんの言っていたユーナさんでは……」
 ふうむ、と口を尖らせて思案して見せるトレミ。
「だとしたら、あのユーナって人を追えば、カナデにも会える気がしない?」
「そうですねえ。そうかもしれません」
「ちょっと聞いてみる?」
「ええ。確認する価値はあるかと」
 トレミがユーナについて尋ねようとすると、タモンとイイ・シトが移動を始めたので、慌ててついていく。
 
 
 
「これは……、ヴァル様の……」
 巨大な漆黒の楕円形。ユーナは良く知っていた。
 間近で見たことはなかったが、ヴァルアラトスが外交に使用していた空飛ぶ船である。
「飛翔船……」
「そうです。ご存知ですか」
 メルスが、巨大な風船部分に吊り下げられている乗船部分に乗れと促している。
「これに乗るんですか?」
「ええ、そうです」
 これは移動手段たる乗り物である。となれば、ここからどこかに向かうということになる。
「どこに行くんですか?」
「それは私にも分かりかねます。船内でお聞きになってください」
 いったいどういうことか。
 やはり、ユーナは捕らえられたと考えるべきか。これはヴァルアラトスの船。ならば、行き先はグロウリン城塞都市であろう。
「あなたたちは、何者なんですか? 私に敬服したり……」
 そのとき、飛翔船の基底部分から数人の人が降りてくる。
 合わせて五人。三人は二ツ目族。そして二人は三ツ目族である。
 呆然と見ていると、五人は笑顔でユーナに近づいてきた。
 三ツ目族のうち、一人は老婆である。その老婆を先頭にユーナの正面までやってくると、申し合わせたかのように片膝を付いた。
「ミユナ様、お待ちしておりました」
 老婆が丁重に挨拶をする。
「あなたは……?」
「ドロレス・マークリックと申します。後ろに控えている黒衣の二人はルビウスとミミリア。あなたの身の回りのお世話をさせていただきます。こちらの『四ツ目族』の両人は、それぞれクッピとトロン。この船の船長と副船長です」
 いま、なんていった?
 四ツ目族?
 だって、どう見ても三ツ目族じゃ……。
「あなたたち……、何者なの……」
 ユーナの問いに、ドロレスと名乗った老婆が僅かに顔を上げて答える。
「我々は帝国旅団にございます。救世主様」
「帝国旅団……!?」
「ごゆっくりご説明差し上げます。まずはご乗船なさっては?」
 帝国旅団。
 まさに、ユーナがここまでやってきた目的である。一人の力では三ツ目族に抵抗できないと悟り、帝国旅団と手を組む決意をしたのである。会うことを熱望していた相手である。ようやく会えたわけではあるが……。
「あなたたちが……、帝国旅団……」
「そうでございます。帝国旅団は長らく二ツ目族の組織でしたが、四ツ目族との提携に成功して、こうして協力体制をとっております。そして、この旅団の頂点におられるのが、ミユナ様、あなた様でございます」
「わたしが……? そもそも、なぜ私が? この船はヴァル様の船です。私をグロウリン城塞都市に連れ戻すのが目的では?」
「滅相もございません。あえて申しますと、帝国旅団はその名のとおり、旅団でございます。拠点はございません。ですので、どこにも向かわないともいえますし、どこへでも向かうともいえます。ですが、グロウリン城塞都市はわれわれ帝国旅団の敵の拠点でございます。行くわけはございません」
「じゃあ、この飛翔船は? 奪い取ったの?」
「……詳しい話は、ぜひ船内で」
 そういってどろれるが立ち上がると、手を指し示して、さあ乗れ、と促した。
 たしかに、ユーナを捕らえる目的であれば、わざわざこんなまどろっこしい手段をとるわけがない。強引に拘束すればいいし、殺してしまったほうが手っ取り早い。
 どうしてユーナを帝国旅団の救世主と呼ぶのか。
 詳しい話は中で……。
 なにか裏があるのではないかと勘ぐるが、勘ぐれば勘ぐるほど、こんなにへりくだってくるドロレスやメルスの態度は腑に落ちなくなるのである。
「分かりました。行きましょう」
 ユーナは覚悟を決めた。
「あの二人は、くれぐれも丁重に扱ってください」
「アリスとその弟のことでございますね。承知いたしました。最初から賓客扱いでございます。ご心配はご無用でございます」
「そもそも、アリスはなぜ――」
 質問を繰り替えそうになるが、とりあえず船内で、という態度を固辞し続けるドロレス。
「……行きましょう」
 ドロレスの案内で、ユーナは船内に向かった。
 
 
 
「船内に入ったぞ。飛び立つ前に侵入だ」
 タモンはイイ・シトを見た。イイ・シトは顎に手を当てて考え事をしている。
「どうした、イイ・シト」
「イシトと呼べよ」
 面倒なやつだ。
「イシト、なにか気がかりでもあるのか?」
 イシトは唇を尖らせて「ううん」と唸って見せる。
「いや、どうするべきかなって考えてただけだ」
「ユーナたちが乗船したら、こっそり助けに行くって言い出したのはお前だろう」
「そうなんだけどね。どうみても、助けを求めているようには見えないんだよ。見ただろ、ユーナの前にひれ伏してるやつら。四ツ目族も何人かいた。そもそも、この状況ってなんなんだ?」
「確かに俺も不可解に思う。だけど、考えたってなにも分からないじゃないか。とにかく行ってみて、会って話さないことには。もしユーナやアリス、キーファが自分の意志であそこに居て、助けは不要だというのなら引き下がればいい。でも、あれが何らかの策略だったら? 船内に連れ込むための罠だったら?」
「ふうむ。確かにね。依頼人に話を聞くべきだろうね。まあ、タモンに賛同しよう。ならあっちだな」
 イイ・シトが指差したのは飛翔船が森に隣接する箇所。
「森に隠れながら近づいて、乗船部分まで最短距離で近づける。二人の警備がいるが、正規の乗船口の前に居るだけで、積荷部分の甲板には誰も居ない。すばやく動けば侵入はたやすいだろう」
 なんだかんだと言って、このイイ・シトはよく観察している。
 タモンたちは再び移動を始めた。
「なあ、ユーナって誰だ?」
 相変わらず後を付いてくるウサギと小人。移動しながら、トレミという小人が、イイ・シトにそう質問していた。
「誰って言われてもなあ。かわいらしくて強い女の子だよ。俺の依頼人だ」
「依頼人って?」
「用心棒の依頼人。この森で助けたのが縁で、用心棒をしてるんだよ」
「ユーナって、いくつくらいの子?」
「いくつくらいだろうな。十代のようには見えるけど、年齢は聞いてないからな」
 イイ・シトの指定した場所までたどり着く。飛翔船が隣接している森の木陰に隠れる。
「トレミ……、と言ったか。なぜユーナのことをそんなに気にするんだ?」
 尋ねると、ウサギの頭の上できょとんと背筋を伸ばすトレミ。
「どんな子かなって……。みんなが助けようとしてる。モテモテだ」
 イイ・シトが噴出した。
「確かに。モテモテだな。俺たちに帝国旅団に、引っ張りだこだな」
「すごく可愛いのか? 美女か?」
「まあ、世話してあげたくなるような子かもな。おしとやかに見えて、とても前向きで強くて。力を貸してあげたくなるような、素直を絵に描いたような女の子だよ」
 イイ・シトがえらくユーナをべた褒めする。
 しかし、タモンはその言葉の中に引っかかるものを感じていた。
 タモンはその単語だけは聞き逃さない。
「まあいい。イシト、潜入するぞ。先頭になった場合の覚悟はできてるか?」
「まあ、ね。四ツ目族様に敵うとは思えないので、とっとと逃げたほうが得策かも知れなぞ」
 タモンはシエルとトレミを見た。
「お前らはここにいろ。命が惜しかったらな」
 シエルがトレミに何かを耳打ちした。すると、トレミがうんうんと頷いてみせる。なにかたくらんでるのか。
「気になることがあるのなら話せ。手短にな」
 トレミはにやり、と怪しく笑みを作るといった。
「偵察してきてやろうか。シエルと私は小さいから目立たない。ユーナやそれ以外の人たちの居場所を探して戻ってくる。どうだ?」
「おおっ」
 イイ・シトが感嘆の声を上げた。
「なるほど、すばらしい提案だな。ずいぶんやりやすくなるぞ」
「待て。だからって、危険なのは間違いないぞ。見つかったら次に俺たちが侵入しにくくなる。捕まって見つかったら、俺たちのことを喋るぞ」
「トレミを馬鹿にするなよ! 絶対に喋るもんか! これでもたくさんの偵察任務をこなしてきてるんだ! こんなの簡単だ!」
 声が大きい。イイ・シトが慌てて人差し指を唇に押し当てる。トレミは「ごめん」といってシュンと小さくなる。
 だが、悪い案ではないことは確かである。タモンはトレミの覚悟を聞いておこうと思った。
「トレミ、やるとしたら、大きな危険が伴うぞ。それに、お前の探している人があそこに居るとは限らない。そんな状況で危険を冒して、偵察になんていけるのか?」
「やるといったらやる。ユーナとか、ほかの人が助かるんだったら、やるべきだ」
 助かるのならやるべき。
 本気で言っているのか。
「お前らにとっては赤の他人なのに、助けるって言うのか?」
「なんだ、ユーナたちは捕まってるんじゃないのか。じゃあ、助けないと」
 タモンはじっとトレミを見た。
 損得なしに、困っている人を助けよう。そう言っている。この国で。そんな甘い考えで、この国では生き延びることはできない。
「おいタモン。無償に人を助けようっていう、このちびっ子の話を不思議そうに聞いてるが、俺から見たら、お前も一緒だぞ。お前にはユーナたちを助ける義理も何もない。いまこそ、再度問おう。お前はなぜユーナたちを助けようとしてるんだ?」
 無償の人助け、とは完全に言い切れない。
 だが、トレミは何の疑いもなく、損得もなく、困っている人がいるから、それを助けるといっている。
 不思議な感覚だった。
 また、俺は助けられたのか。
 グロウリン城塞都市でカナデに出会ったときと同じ。
 全ての人間に絶望していた俺を、カナデはそうではないと教えてくれた。そういう人間ばかりではないと証明してくれた。自分の事さえ顧みず、タモンを牢獄から救い出してくれた少年。言葉になんてしなかったが、少年はこう教えてくれた。
 人はまだ信じられるのだと。
 そして、ここにきてまたもや、俺を救ってくれた人間がいた。それは小さな小さな、手のひらに収まりそうな小さな女の子だった。 
「分かったよ。やってもらおう。シエルとトレミ。ユーナとアリスとキーファ。それぞれ船内のどこにいるか、見てきてくれるか?」
「お安い御用だ!」
 トレミが拳を振り上げて大声を出すので、イイ・シトは再び人差し指を唇に当てたのだった。
 
 
 
「なんなんだろうな、あのウサギくんとちびっ子は。突然現れて、人助けに手を貸すだとよ」
 シエルとトレミが宙を浮かびながら、慎重に甲板へ向かっていく後姿を見ながら、イイ・シトがそうもらした。
「あのトレミは、他種族なんじゃないか? 二ツ目族にあんな小さなやつは居ない。あのシエルっていうウサギは眷族だろう。二人とも平和な外国からやってきたんだ。この国の恐ろしさを知らない」
「そういう風には見えなかったけどな」
 甲板近くまで飛んでいくと、トレミが指差す方向にシエルが飛んでいく。窓から室内をのぞき見るつもりらしい。
 タモンは緊張しながらそれを見ていたが、イイ・シトはまるでほほえましい光景を見ているかのように和んでいる。
「変なやつらだなぁ。あれでも真剣なんだろうな。俺にはお遊戯にしか見えん」
「おしゃべりはその辺にしておけ。シエルとトレミになにかあったら飛び出すぞ。準備しておけ」
「お?」
 イイ・シトが意外そうに口をすぼめる。
「助けるのか? あいつらが捕まったら」
「ほうっては置けないだろ。俺たちが行かせたんだから」
 イイ・シトはやれやれとため息を漏らす。
「はいはい。準備しておきますよ。大変だねえ、助ける人がたくさん居て」
 イイ・シトの皮肉は無視して、シエルとトレミの様子を伺う。やけに長い間うろうろしている。もういいから早く戻ってこい。無防備すぎてみていられない。
 満足したのか、シエルとトレミがこちらに戻ってきた。
 トレミは無邪気に満面の笑みでこちらに手を振っている。タモンは慌てて「目立つな」と両手をかざして示すが、伝わった様子はない。
 トレミたちがタモンたちの下へ戻ってくるまでの時間、タモンは気が気じゃなかった。どうにか無事に戻ってくると、トレミは達成感に顔を高潮させて報告した。
「アリスとキーファは狭い部屋に入れられたぞ。ほら、あの丸い窓があるところだ。右から二番目の」
 積荷部分の後部に当たる場所だ。
「ユーナも見たぞ。ユーナ、可愛かったな。あれがモテモテのユーナか」
「容姿はいいから、どこにいたんだ」
「ユーナは一番前の操縦する部屋だ。いっぱい人がいたぞ。どうやって助けるんだ?」
 どうやって助けるか。
 もう少し様子を見るべきなのか。
「とりあえず、アリスとキーファだけでも連れ出すか。割と簡単に攻略できそうだ」
 イイ・シトがそう言い出す。
「役割分担は、とうぜん俺がユーナ。タモンがアリスとキーファ。これでいいよな?」
 タモンがもともと助け出そうとしていたのはアリスとキーファだった。イイ・シトは依頼人と用心棒の関係。素直に考えればそうなるが。
「二人で協力して、まずはアリスとキーファを助け出そう。ユーナはその次に考えよう」
 タモンが提案すると、イイ・シトは首を横に振る。
「それは違うぜ、タモン。俺が助けるのは依頼人のユーナだけだ。アリスとキーファはどうなろうと知ったこっちゃないんだぜ。そうなったら、当然、タモンはアリスとキーファのところに行かなくちゃならなくなるはずだ。お互い、優先すべきことをやろうぜ。俺はユーナ。タモンはアリスとキーファ」
 もっともな理屈。だが、一番最良の方法ではない。
 タモンは最後に尋ねた。
「考え直す気は?」
「ないね。ユーナを助けて、余裕があったら手伝ってやってもいいぞ」
 イイ・シトの口調はいつものとおり軽かったが、目が真剣だ。
 こうなれば仕方がない。
「どちらかといえば、ユーナを救い出すほうが難しい状況だ。もしアリスとキーファの救出がうまくいったら、すぐにそっちへ向かう。だから、気が変わったら待機して俺を待て」
「はいはい。気が変わったらね」
 どうやらタモンを待つ気はなさそうである。
 ここまできたら仕方がない。腹をくくるしかない。
「じゃあ、いくぞ。俺が先に行く。イイ・シトは少し待って状況を見ろ。俺が成功するなり、失敗するなり、状況を見て行動しろ」
「分かりました隊長。おっしゃるとおりに」
「なあ、わたしたちはなにをする?」
 見ると、トレミが手を上げている。
 なんもするな、というと、なにかさせろと言い出しそうだ。
「いいか、トレミ。お前に頼みがある」
 そう言うと、トレミは目を輝かせて、何度も頷いて見せた。
「君には仲間がいるといったな?」
「うん。いるぞ」
「俺たちが失敗したら、すぐに君の仲間を呼びに行ってほしいんだ。そして、説得してほしい。俺たちの変わりにユーナやアリス、キーファを助け出してほしいって」
 ――おい、そりゃ無茶だろ。
 と耳打ちするイイ・シトに「察しろ」とにらみつける。イイ・シトは「あ、なるほどね」と口にはしなかったが、察したのが表情で分かった。
「仲間を連れてきて、助ければいいんだな?」
「そうだ。くれぐれも頼む。ここで俺たちの様子を見て、失敗したと思ったらすぐに仲間の元へ戻るんだ。いいな?」
「ああ、わかった。仲間のところに戻って、つれてくる」
 新たな使命を帯びたトレミは両拳を強く握って、真剣なまなざしで頷いた。
 トレミをこの場に釘付けにすることに成功すると、タモンは改めて飛翔船を見た。ここから見ると中の様子は分からず、まるで無人のようにひっそりとしているように見えた。
 胸が狂おしいほどに高鳴っている。紛れもない。恐怖に呼応する振動である。不死身の身体になったと分かっているものの、死への恐怖は相変わらずタモンの足を重くするのである。
 タモンの意志に逆らおうとする足腰に活を入れ、タモンは中腰に立ち上がると、イイ・シトやシエル、トレミのほうを振り返った。
「行ってくる」
 イイ・シトは親指を突き出してウインクし、トレミは暑苦しい眼差しを向け、シエルは応援するように両腕を上下に振った。
 
 
 
 欄干に手を伸ばし、タモンは腕力だけで身体を引き上げた。次に欄干に足をかけ、音を出さないように外縁通路に身体を滑り込ます。
 耳を澄ます。
 人の気配はない。前後に二十メートルほどの外縁通路が延びており、片側の船体部分には丸い窓が等間隔に填まっている。
 会話の声さえ聞こえてこない。本当に無人だと錯覚しそうなほどの静寂だった。
 船内の人間に見つからないように、窓枠より身を低くする。トレミが言っていた後方部分の丸窓のもとまで忍び歩き、慎重に船内を覗き込んでみる。
 アリスとキーファが寄り添うように床に座っていた。
 部屋は天井、壁、床が全て板張りの、なにもない空間である。タモンは今一度、外縁通路に人がやってくる気配がないのを確認して、窓を指先で叩いた。
 アリスとキーファが肩をすくめて周囲を見渡している。もう一度窓を叩くと、ようやく気付いた。
 ひどく怯えた顔で窓を振り返った二人は、タモンに気付くと慌てたふうに窓へ駆け寄ってきたので、慌てて人差し指を唇に当てた。
 すぐに助けるからそこにいろ、と指差して指示する。アリスが神妙に頷いたのを確認すると、さて、どうやって助けたものかと悩んだ。
 この窓、割ることができたとしても人が通れるほどに大きくない。やはり船内側から扉の鍵を開けて、二人を連れ出すしかない。
 すぐ戻るからそこで待っていろ、ともう一度仕草で訴えてからその場を離れた。外縁通路を慎重に進む。船の乗船部分をぐるりと一周する外縁通路の最後部に来た。
 人は誰も居ない。後部には船内に入るための扉があり、扉にも丸い窓がついていた。慎重に覗き込むと、奥まで廊下が続いているのが見え、廊下の左右には船室の扉が並んでいる。
 人はいない。だが、いつ現れるか分からない。
 先ほどトレミが言っていた。ユーナは船首の操縦室にいて、そこには人がいっぱい居たと。もしかしたら、そこに船内の人間は全員集まっているのかもしれない。
 ならば早く片付けたほうが得策だ。
 慎重に慎重を重ね、ゆっくりと扉を開く。鍵はかかっておらず、扉は音もなく開いた。
 船内からは木材の匂いが漂ってきた。外に居ては分からなかった、駆動部分の機械音が聞こえる。
 船内に浸入し、静かに扉を閉める。
 這うようにしてアリスとキーファが閉じ込められてる部屋の前まで行くと、扉や鍵の形状を確かめた。
 それほど厳重ではない。これなら時間も掛からず開けることができるだろう。
 タモンは懐から二本の金具を取り出した。
 タモンは過去に投獄、という経験を幾度もしたことから、錠前破りを学んだのである。扉には必ず鍵があり、鍵はある程度の技術があれば開けられることを学んだ。この国で生きていく以上、必須の技術だった。
 鍵穴に二本の金具を突っ込んで、中の仕組みを手に伝わる感覚と音で確認する。
 その音に気付いた室内のアリスが、扉の向こう側までやってきて「タモンさん……?」と細い声を出す。もちろん、答えない。
「タモンさん……。来てくれるなんて……。なんて言ったらいいか……。さきほどタモンさんの顔が見えたとき、私は夢でも見ているのかと……」
 手が震えた。
 ふと、思い出してしまった。
 あの、荒野の要塞都市で起こった惨劇。タモンが不死人になった町。
 帝国旅団。あいつらが全てを壊していった。
 そして、そのきっかけを作ることになった自分自身。
 救えなかった女性。
 子供たち。
「くそ……。集中しろ」
 仕組みは難しくない。鍵穴の中にあるいくつかの仕組みを金具で押さえて、回転させてやれば。
「私は絶望していました。もう駄目なんだと。普段からも何度ももう駄目だと思って、こうなることをいつも覚悟してました。でも、今回こそは駄目なんだと。誰も助けてくれない。神様も助けてくれない」
 それは間違っていない。
 自分には、助けることができた人より、助けられなかった人のほうがはるかに多い。
 そんな人たちは、俺が一時の希望を与えたばかりに、余計な絶望を味わったはず。この国で俺がやっていることなんて、もしかしたら見捨てるより残酷な行為。
「わかりますか? タモンさんの顔が窓の外にあったときの、私の気持ち。タモンさんは、きっといままでも、いろんな人に私と同じ気持ちを与えてきたんですね」
 ちがう。そうじゃない。
 もう喋らないでくれ。
「ここから出たら、タモンさんは行かれてしまうんですか?」
 まだ出れると決まったわけじゃない。
 やめてくれ。まだ希望を持たないでくれ。
「タモンさん、私と一緒に暮らしませんか? 私とキーファ、それにタモンさん。静かなところで、怖いものが何もないところで」
「やめろ……」
 うめき声のように声が漏れた。
 手が震えて、解錠できない、
 頼むから、まだ希望を持たないでくれ。
 俺には助けられないかもしれないんだ。
 タモンは必死に息を付いた。
 落ち着け。
 落ち着け。
 そう念じながら、手の震えが止まるのを待った。
 助けられる。そう信じろ。あんなことは二度と繰り返さない。恐れるな。立ち向かえ。
 あの町での記憶を、一時的でも頭の中から追い出すことに成功した。
 手の震えが止まり、再び集中力が戻ってくるのが感じた。
 アリスとキーファを助ける。
 アリスとキーファを助ける。
 アリスとキーファを助ける。
 口の中で呪文のように繰り返しながら、再び二つの金具を鍵穴に差す。
 構造はだいぶつかめてきている。あと少し。後一分足らず。
 
 ごうぅぅぅん……
 
 立ちくらみを思わせるような振動が、船体に走った。
 重低音の機械音が響き、船体が目を覚ましたかのように躍動し始めた。
 いやな予感が全身を粟立たせる。
「……まさか」
 始動した?
 発進するのか!?
 ――アリスが消えうせる。
 ――君にアリスは救えない。
 図ったかのようによみがえるルウディの言葉。
 くそ、こんなときに。
 絶対にルウディの言うとおりにはさせない。
 もう二度と。
 あんな結末はごめんだ。
 タモンは改めて解錠に集中した。
 解錠にはもう少しかかる。
 間に合え――!
 

----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
----------------------------------------------------------------------

【訪問者】  【閲覧者】

inserted by FC2 system