あっちから変なの出てきた

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第十二章 【 現世−伊集院照子の憂鬱 】


 鉄工所の前に立つと、異様な静けさに戦慄するとともに、思いのほか巨大に見える鉄工所跡に足がすくむ思いがした。
 建物がそれ自体が巨大な生命体のように感じる。
 巨悪の象徴のように聳える様子は、決して立ち入ってはならない禁断の悪魔の城のようにも見えた。
 無言で鉄工所正面の破壊されたシャッターを踏みつけて中に立ち入る伊集院照子。
 伊集院照子の持ったライトの先には、無残に虐殺された急襲部隊と術師部隊の遺体の山――など、一切なかった。
「おい、本当にここが急襲した場所なのか?」
 伊集院照子の疑問はもっともである。確かに部隊員のCCDカメラより映しだされていたのは、この鉄工所内である。
 琴、スーリンが方々にライトを走らせて周囲を確認した。見えるのは打ち捨てられた資材や、ライト光線の筋を描く埃。
「なにもない……」
 琴の独り言は、暗闇に溶け込んで消えていく。
 孤独に光を投げかけるライト。ライトの描く丸い視界。それ以外は暗闇に染まっている。
 得体の知れない何かを発見してしまいそうである。
 伊集院照子一行は、さらに奥へ足を踏み入れる。ちょうど、鉄工所一階の中腹まで来たころ、伊集院照子が何かを発見した。
「見ろ、ここ」
 伊集院照子が床の一部を照らしている。近寄って除いてみると、そこには血溜りの跡があった。かなり広範囲に広がっている。
 伊集院照子はその血溜りからライトの照らす先を転じる。
 血溜りは、そこから何かを引き摺っていったような血の跡が筋を作っていた。
「どうやら、部隊員は全て運ばれたらしいな」
「運ばれたって、どこに?」
「それはこの血の跡を追えば明らかになるだろう」
 血を見て心臓の高鳴りを押さえられない琴。一方、スーリンは堂々としたものである。動じる様子もなく、血の跡をたどって歩いていく。
 琴は精神的に伊集院とスーリンについていけない。
 身体を引きずっていったと分かる血の跡は、階段へ続いていた。鉄骨製の階段は、錆びて今にも崩れそうだった。
「上に向かってるな。どうやら、逃げられた心配はないらしい。やつらは上にいる。逃げようと思えば逃げることができた。もしかしたら、この急襲計画は大家貴信側に筒抜けだったのかもな。あえて逃げず、ここで迎え撃つことにした。それはなぜ? 琴、大家貴信の性質を考えろ。目的は分かるか?」
 大家貴信の性質。
 いままで、大家貴信の行動原理は? そんなこと、突然問われても。
 歩きながら考える。
「大家貴信は……」
 琴のつぶやきに、階段の上ろうとした伊集院照子の足が止まる。
「いつだって、目的は自己顕示だった。戒具を開発したときもそう。ラナ・カンによる本部襲撃だって、自分の作った戒具を認めさせて、自分の考えてきた自然管理委員会のあるべき体制を強いるためだった。事実、戒具は前にもまして自然管理委員会でポピュラーな装備になったし、大家貴信は一度は自然管理委員会をほぼ掌握した。その過程は見事までな……」
「宣伝、だな。自分が正しいと示すため、大家貴信はあらゆる大胆な行動に踏み切ってきた。今回も同じだということか。逃げないのは、われわれに何かを指し示したい、そういうことだな」
 伊集院照子が見たこともない穏やかな笑みで琴を見つめている。
「琴、お前は頭脳を担うんだ。スーリンは私の行動力、そしてお前は私の頭脳を担い、人々を導いていけ」
「そんな……伊集院さんのようには……」
「大丈夫だ。自信を持て。私の弟子だろう」
 そう言って、伊集院は階段を上り始める。
 スーリンは黙って後を突いていく。
 すると、階段の中腹で再び伊集院照子は足を止めた。
「そうだ、琴。ひとつ、お前に聞いて置かなければならないことがあった」
「私に? いまですか?」
「ああ」
 伊集院照子は、ふう、と一息漏らすと、静かな声で尋ねた。
「私は行雲途山の神殿奥で、ソウ・リュウメイの御札化したS級札を復元した。ところが、中からはなにも現れなかった。封じた者も、封じられた者も。だが、あのS級札は間違いなく本物だった。それは圧縮能力者だからこそ、分かるものだ。そのS級札が本物だという前提で、なぜ復元したとき、なにも現れたなかったのか。琴、お前には正解が分かるか?」
 なんていう質問をするのだろう。
 その質問には、琴は答えられない。
 伊集院照子は知っていて質問したのである。
「ふん、その沈黙が何よりの回答だな。分かったよ、琴。行雲途山の存在する目的。ここに来て、私は真の理由を理解したよ。なんてことだろうな、琴。想像も絶する答えだよ」
 伊集院照子はそう言葉を残すと、再び階段を上り始めた。
 二階に上がると、そこはまるでダンスホールのようにがらんどうとしていた。一階は放置された資材であふれかえっていたが、二階にはまるで物がない。ライトを転じると、暗闇の空虚さがより強調される気がした。
 人を引き摺った跡と分かる血の筋は、二階の奥にある扉の向こうへ続いていた。防火壁のように強固そうな扉は、現在のところ閉じられている。あの向こう側に大家貴信はいるのだろうか。
「いくぞ」
「え……、行くって、私たちは足止めするだけじゃ……」
「そうだ。足止めをしにいくのさ。本当にあの先に大家貴信がいるのかどうか、扉を開けてみなければ分からない。ここでじっとしていても足止めにはならないさ」
 そうは言っても……。
 琴は、身体はここにあるものの、気持ちは先ほどまで居た高速道路の高架下に置き去りにしたままの気がしてならない。
 そんな気持ちを知ってか知らないでか、伊集院照子は扉に向かって歩いていく。黙って後を付いていくスーリン。仕方なく、琴もあとを追った。
 階段から扉までは、部屋の中央を突っ切らなければならないが、その中腹に差し掛かったときだった。
 不意に、目的の扉が開け放たれたのである。
 不用意だった琴の心臓は、突然の出来事にキュっと締め上げられた。
 そうか、と琴は理解する。
 私はここへ来たくなかったのだ。
 どうしても来たくなかった。
 ここには彼女がいる。
 いま、扉から姿を現した、幼馴染の顔。
 おそらく、伊集院照子は――。
「琴、現れたぞ、お前の宿敵。ほら、以前はお前が勝ったっけな。向こうははリベンジマッチをやる気満々だ」
「多恵ちゃん……」
 こうなると分かっていた。
 スーリンが照らすライトに照らし出された鳩谷多恵の姿。
 異様に見えたのは、暗闇の中であるばかりではないだろう。
 以前対決したときと、顔つきも体つきも違う。
 女性らしかった彼女の身体は、服の下から骨の隆起が伺え、角ばってしまった印象。なにより、その風貌。目の下には濃い隈が縁取り、頬はこけ、目は落ち窪んでいる。
 まるで死者そのもの。
「琴、あれが心を失うという状態だ。戒具の乱用は、人間の感情の喪失を招く。いまあいつは恐怖や喜びも感じない、ただの殺戮ロボットだ。もう命も長くないだろう」
 伊集院照子は、琴の肩を掴むと、強引に前へ押しやった。
「お前の幼馴染だったな。お前の手で葬ってやれ。心を失ったとしても、痛みは感じているだろう。あいつを救うのは、お前の仕事だ」
 いつも楽しそうに笑っていた多恵。勝気な彼女は、男子生徒にも負けない気性で、いじめっ子をいつも退治してた。
 彼女はいつだって正義の味方だったんだ。
 なのになぜ、こんな姿に。
 なにが彼女を変えたのか。
 私は、彼女になにをしてあげられるのか。
 鳩谷多恵は、やけにぎらつく双眸を琴に向けている。明らかに琴を標的と認識し、戦う体勢を整えている。
 琴といえば、手に戒具は持っているものの、構える様子もなく、だらりと手を下げている。
 胸が痛かった。
 どうして、こんなことになったのか。
 なぜ、彼女と戦わなければならないのか。
「分からないのか、琴。お前に足りないもの」
 私に足りてないもの。
 伊集院さん、分かってる。私に足りないのは、最初から。
 いえ、足りないのではない。
 私はどうしても、捨て去ることができなかった。
 行雲途山で六合目まで行ったとしても、私はとうとう捨てることができなかった。
 スーリンが声を上げた。
「琴、いまおまえがもってるのは、なんだ」
 いま、私が持ってるもの。
 これは戒具。
 伊集院照子が改良した、通常の五倍もの出力を発揮する戒具。
 戒具の力の源は戒気。
「戒気とは……」
 琴がつぶやいたとき、鳩谷多恵が動いた。
 万歳するかのように両手を挙げたかと思うと、その両手に握られた棒状の戒具から、紫色の撓る鞭が伸びた。頭上に上げた手を交差させ、それを振り下ろすと、空気を切り裂きながら鞭の先端が琴の喉元を狙う。
 バキン
 と音を立てて、二本の鞭は弾かれて地面に落ちる。
 琴は腕を交差させ、喉元を守っていた。その腕の間隙から、亡者のように息をつく鳩谷多恵を見る。
 腕からは具現化した戒気が、円形の盾のごとく、琴の前に展開されている。
「戒気とは……捨てる覚悟」
 鳩谷多恵は鞭を引くと、続けざまに鞭を撓らせてくる。右手に持った戒具から、直径100センチの盾で、鞭の攻撃を防ぐ。そのたびに耳を劈く破裂音が響く。
「何かを犠牲にしてでも、目的を達成する、その覚悟の力」
 鳩谷多恵の攻撃は、最初に対決したときとなにも変わっていない。
 そのとき、手に持っていた戒具が、音を立てて崩壊した。ふ菓子のようにぼろぼろと手の中で崩れていく戒具。
 とっさに次の戒具を手に取る琴。
 鳩谷多恵は攻撃してこなかった。琴の手の中で崩れる戒具を目にしていたはずである。注意深く琴を観察していた。
 鳩谷多恵は、まるで怨霊のように目を剥いて笑みを作った。
 再び鳩谷多恵の猛攻。
 その攻撃パターンは知っている。迫り来る鞭を、次々に叩き落とす琴。
 だが、反撃はしない。
 反撃することができない。
 前回の攻防と同じ。
 この円形の戒気を、鳩谷多恵に投げつけ、致命傷を与える隙は何度もあった。だけど、五倍に力を増幅させたこの戒力を彼女にぶつけたら――。
 そのとき、二つめの戒具が、琴の手の中で崩壊した。
 ――それはさっき見たぞ!
 鳩谷多恵の咆哮が聞こえてくるようだった。
 一度目の戒具の崩壊で見破られている。この戒具は強度が著しく低い。攻撃を繰り返せばすぐに壊れてしまう。
 その決定的な隙を狙っていた。
 琴の前から、琴を守る怪力の盾が消えうせた。
 次の戒具を用意するまもなく。
 まるで獣の咆哮のような悲鳴を上げて、鳩谷多恵が戒力の鞭を琴に振るう。
 琴を守るものはない。
 鞭のスピードに、琴の体さばきは間に合わない。
 琴の目前まで迫ってきた音速の刃は、琴の顔を切り裂く――その前に塵となって消え失せた。
「この……うつけが……!」
 伊集院照子の声。
 伊集院照子は右手の手のひらをこちらに突き出している。
 通力無効の術。
 間一髪、伊集院照子の術が鳩谷多恵の攻撃を消し去ったのである。
「琴、貴様、わざとよけなかったな? 貴様にはほとほと失望したぞ」
 その言葉に嘘はないようだった。
 その興ざめした表情。次は守ってくれないだろう。
 だが、この期に及んで、やはり琴は捨てられなかった。
「伊集院さん……」
 泣いてしまいそうだった。
 こんな状況なのに。
 子供のように泣きじゃくってしまいそうだった。
「伊集院さんの気持ちは分かります」
 琴は三つめの戒具を構え、目の前に戒力の盾を出現させる。これで戒具は最後である。
「私は行雲途山でも、しきりに促された。あの方に、私は幾度となく覚悟を促された。だけど、結局、私は捨てることができなかった」
 攻撃をかわしつつ、琴は口を開く。
「大切な何かを犠牲にして得る力。この戒力という力を利用しなければ、人は未知の者に対して抵抗する手段を持たない。行雲途山では、ひたすら戒力の修行をさせられた。だけど……」
「もう聞きたくないな。お前はもう破門だ。そこで八つ裂きにされるなり、なんなりされるがいい」
 鳩谷多恵の攻撃は単調である。明らかに防御をさせることが目的である。次にこの戒具が崩壊したときが、琴の最後のとき。
「でも、私は捨てることを拒んだ。私は犠牲の戒力より、想いの情力を選ぶ。私は行雲途山修行でもそう主張した。伊集院さん、行雲途山の六合目まで行くと、ある力を得ることができる。知ってますか?」
「ある力? 甘ったれの得る力など――」
「私たちの常識を覆す、まったく新しい力です。それは戒具と同じように個性が左右される。いえ、個性じゃない。相性というべきか」
「なにを言っている」
 琴は攻撃をかわしつつ、隙を狙って後方へ飛びのいた。鞭の届かない間合いを開けると、琴は持っていた戒具を頭上に掲げた。
「こんな道具、やっぱりいらない」
 ぽいっと、子供が飽きたおもちゃを手放すように、戒具を放り投げた。
「……終わったな。幻滅だ、琴。もはや、お前に期待するものはなにもない」
「期待してくださらなくても結構です。だって、もう破門されたんだもの。私はもう、伊集院さんの弟子でもなんでもない。私は私の思ったとおり戦う」
 伊集院照子は不愉快そうに腕組をした。
「たいそうな口を聞くようになったな、琴。私に切ったその啖呵、どれほどおろかなことか、思い知らせてくれようか」
「黙ってみていてください、伊集院さん」
「この私に、黙っていろだと、この愚か――」
 伊集院照子は、その先を口にできなかった。
 その目に映る、琴の身体がかすかに発光したように見えたからだ。
 次には、何もないはずの琴の足元から、風が吹き上がるように琴の髪の毛を巻き上げ、着ている服を波立たせた。
「な、なにをする気だ……」
 琴は目を瞑ると、見えない球体を抱えるような仕草をする。
 妙な音が響く。
 ぐあんぐあんぐあん。
 伊集院照子は目を見張る。
 見たこともない術。
 感じたこともないような気。
 これは情力とも、戒力とも違う、異次元のなにか。
 琴の足元から緩やかに吹いていた風が、突風のように吹き荒れたと思うと、どこからか発生した煙を巻き上げて、琴の姿をかき消した。
 鳩谷多恵も愕然とし、攻撃する様子はない。
 それくらいの想像を絶する出来事。
「なんだ、この空気は……。おまえ、まさかあの契約を……!」
 次の瞬間、琴を取り巻いていた煙が、一瞬にして消え去った。
 そこには琴の姿があった。煙に巻かれる前と同じ体勢の琴である。
 だが、一部、違うところがあった。
 そこに居たのは琴だけではない。
「これは……」
 鳩谷多恵も、スーリンも、愕然とするしかない。
 見えているものがなんなのか、一目瞭然であるにもかかわらず、それが理解できない。
 琴は静かに口を開く。
「お願い、アルビーノ。私を守って」
 琴の背後には、白銀の光が広がっていた。
 いや、光ではない。伊集院照子は目を見張る。
 彼女の背後にいるのは、白銀の孔雀。
 琴の身体を包み込むように、まるで光の広がりのように羽を広げる孔雀である。
「し、信じられん……! これは……!」
「アルビーノ、多恵ちゃんを……」
 アルビーノと呼ばれた孔雀は、扇状の白銀の羽を優雅に揺らすと、羽が白銀から翡翠色に変化した。扇状の部分に斑目の模様が浮かび上がり、そこからエメラルドの霧を思わせる粉が広がった。
 そのエメラルドの霧は意志を持ったかのように鳩谷多恵の方向へ流れていく。ぎょっとした鳩谷多恵は戒具を構えるが一瞬遅く、エメラルドの霧は彼女の身体を覆い尽くした。
 呆然と行方を見守る伊集院照子。いったいなにが起こるのか。
 エメラルドの霧が、徐々に晴れてくる。
 完全に霧が晴れると、そこに現れたのは、床に横たわる鳩谷多恵の姿。
「ありがとう、アルビーノ。ハザマの世界にお帰り……」
 琴が孔雀の首筋を優しくなでると、塵となって孔雀は消えうせた。
「琴、いまのは……」
 答える前に、琴は鳩谷多恵の元に踏みよる。
 横たわる鳩谷多恵の傍らに膝をつくと、琴は堪えていた涙を溢れさせた。
「ごめんね、多恵ちゃん……。もっと早く助けてあげられれば良かったのに……。苦しかったよね……」
 伊集院照子とスーリンも、鳩谷多恵の様子を伺う。彼女はすうすうと寝息を立てていた。
「あれは……、もしかして」
 琴は立ち上がって、伊集院を見た。
「これは、眷族と呼ばれるハザマの世界に住み着く生物です。ハザマの世界にただたゆたう、概念のような存在を現世に具現化させる術です」
「お前……、そんなもの使うなどと、私は許した覚えはないぞ!」
「そんなこと言われたって……」
「なぜいままで秘密にしていた!?」
「言えなかったんです。そういう取り決めだったから。本当に必要なときしか、召喚しちゃいけないんです。でも、いまがその時だって思ったから」
 伊集院照子は絶句して、次の言葉が出てこない。
「きれいだった、琴、いまの、もう一回出して」
 スーリンが無邪気に言った。
「いたずらに召喚しちゃだめなんだよ。あの方にそう言われたの」
「それより、こいつになにをしたんだ、琴」
 いまだ信じられないのか、あわあわと鳩谷多恵を指差す。
「眠らせただけです。朝まで目を覚まさないと思います」
「あの孔雀の能力は、眠らせることか?」
「いえ、いろいろあるそうですが……。なかなか操るのが難しいんです。いまのところ、このアルビーノには術しかお願いできません」
 釈然としない伊集院照子。
 すぐに理解しろというほうが無理である。最初は琴だって同じようなものだった。眷族と呼ばれるハザマの世界の住人は多種多様であるそうだが、人間との相性もあり、必ず眷族として契約できるわけではない。琴が契約できたのはアルビーノだけであったが、それ以上の契約は琴の精神のキャパシティを考えると、危険と判断された。いま、ほんの少しの間だけ召喚しただけでも、身体はかなり疲労した。
 連続で召喚すれば、命にかかわってしまう。
「私も六合目に行けばよかった!」
 口を尖らせて怒り出すスーリン。
 その様子は子供じみていて、とても可愛らしかった。
 
 
 
「見た? いまの……」
 巨大スクリーンを見上げている遊里が、呆然と声を上げた。
 高速道路の高架下の本部基地。
 急襲部隊の落としたヘルメットのCCDが一台生き残っており、遠巻きに鉄工所の二階を映し出していた。
「あれは……孔雀ですかね。光ってるようにも見えましたが……」
 遊里の傍に腰掛ける技師が、同じく呆然と口を開く。
 弦といえば、画面に伊集院照子や琴の姿が映った瞬間、数人の隊員を引き連れて、大慌てで鉄工所跡に向かっていった。弦は三人を連れ戻す気である。
「夢……、じゃないわよね」
「ええ……。映像がCGに載せかえられてる、って可能性も……」
「ないわ。夢じゃなければ、見たことを真実だって受け止めるしかない。なんなの、あれ。なんらかの術なのかしら」
「上へ報告……、しますか?」
 遊里は顔を渋らせる。
「もちろん報告はする」
「でも、チーマネの妹さんですよ」
「そうよ。当然、報告はあれを目撃してない、弦さんにするわよ。後のことは弦さんに任せましょう」
 CCDからの映像では、伊集院照子、鳴音琴、ワン・スーリンの三人が、奥の部屋へと消えていくのが見えた。
「遊里さん、奥の部屋の映像もあります。切り替えます」
 オペレータが口走ると、モニターの映像が替わる。
 その映像は、たった今、奥の部屋に入ってきた三人の姿。
「よくまあ、こう都合よくCCDカメラが落ちてるわね。まるで用意されていたみたいに……」
 遊里はそう一人ごちて、ふと気付く。
「用意されていたように……?」
 ぞっとする思いでモニターを見上げる遊里。
「まさか……」
 オペレータの男が不思議そうに遊里を振り返った。
「見せられてる……? 私たちはこれを、故意に見せられてる……? ということは……」
「どうしました?」
 遊里は今目覚めたかのように目を瞬かせる。
「応援は? 後どれくらいで到着するの?」
「まもなくですが……ですが、逃げられる心配はないですよ。周囲には百名近くの待機部隊がいますし、その気になれば現存の戦力で」
「そうじゃないの。弦さんが呼んだ応援は、そういう応援じゃないの」
「え?」
「弦さんは、こういう事態――急襲部隊が戒具や術に対して敗北し、長期戦を覚悟する展開を予想してた。そのため、事前に本部にあの部署を待機させてたの」
「あの部署って……、もしかして」
「第一線を退いた緑眼の獅子が指導員として統括する、人外特殊災害対策室のメンバー。人外襲来を想定して、集められた術師たちの精鋭。それも、現役世代からは一切、募集せず、国籍も問わず結成されたメンバー」
「グリーンダスト……、皮肉をこめて、そう呼ばれるわね」
「彼らが来るんですか?」
「そうね。私もうわさでしか聞いたことがないけど……」
「さすがですね、チーマネは。そんな部署すら動かせるなんて」
「緑眼の獅子は、弦さんの父親だからね。でも、逆だって話もある」
「逆、ですか?」
「父親からの圧力があったのよ。この作戦、自分の部署も参加させろと。いまの事態を想定していた弦さんは、バックアップとしてはグリーンダストは最適だったけど、それでも一度は断ったという話よ。弦さんなりの親離れ宣言、といったところかしら。それでも弦さんは根負けして『本部待機』という遠い場所で待機させて、どうにか参加を了承した、という、これも噂ね」
「すると――」
「しっ」
 口を開こうとするオペレータを制する遊里。モニターに動きがあったのだ。
 
 
 
「これは……」
 部屋は二十平米ほどの小さな空間。そこには小さな裸電球が一個、天井からぶら下がっており、僅かながら視界は利いた。
 その裸電球のもとに、一人の男が膝をついていた。正座のような格好である。その男は急襲部隊として先陣を切った術師の精鋭の一人。顔は血だらけで真っ赤であったが、どうやら意識があり、生死にかかわる重症は負っているようには見えなかった。
 男は荒く息をつき、ひどく怯えた顔をしている。頬の筋肉が痙攣し、膝の上においた指先が震えている。
 その背後に。
 川本クリスティーヌが立っていた。
 物言わず、澄まして直立している。置物のように生気を感じられない。
「この状況、どう理解したらいいかな、クリスティーヌよ」
 伊集院照子が声を上げる。
 微動だにしなかった川本クリスティーヌの唇だけが、笑ったような形に吊り上る。
 気味が悪かった。俵原孝司、鳩谷多恵と同じように心を失ってしまったのか。
「その男を渡せ。お前がなにをしようとしているか分からぬが、男一人、お前にはなんの用もあるまい。用があるのは私だろう、クリスティーヌ。逃げも隠れもせん」
 そのとき、いきり立ったスーリンが前に出ようとした。それを慌てて制止する伊集院照子。
 なぜ? と非難のまなざしを伊集院照子にぶつけるスーリン。
「あいつだけは油断せず対峙しろ。あいつの右手を見ろ。紫色の水晶が見えるか。あいつはすでに、術を発動している。相手の出方を待て」
 伊集院照子は過去に二度、川本クリスティーヌを破っている。
 そのときも、いまと同じように川本クリスティーヌを警戒した。
 伊集院照子が警戒する理由は、その力そのものより、川本クリスティーヌの頭脳である。彼女は、対戦するたびに失敗を克服し、より強敵となって伊集院照子の前に立ちはだかる。
「伊集院照子。私はあなたに受けた屈辱を忘れたことはなかった」
 不意に川本クリスティーヌは静かな声を出す。小さな声でも問題ない。ほかに障害になるような音はなにもない。
「だけど、私は知っている。あなたは私を恐れている。その理由を、あなたも知らない。あなたはなぜ、私を恐れるか分かる?」
 端正な顔立ちの川本クリスティーヌが無表情に戻ると、それこそ深夜に見る肖像画のようにうす気味が悪い。
 彼女は右手に持っていた紫色の水晶を顔の位置に掲げて見せる。
「結界を張っています。術師の彼の周囲に。そして」
 あまっていた左手を掲げると、その手にも紫色の水晶が持たれている。
「左手に持った水晶、これはどこに結界を掛けているのでしょうか」
「そんなこと、知ったことか」
 伊集院照子は、オーケストラの指揮者のように、両手を頭上に掲げ、それを勢いよく振り下ろす。
 風が吹いた――気がした。
 実際には彼女の力の流れが、風のように感じたのである。
 ところが、なにも起こらない。
 確かに伊集院照子はなんらかの力を発動したが、周囲にも、川本クリスティーヌにも、変わった様子は見られない。
「なるほど……」
 伊集院照子が唸った。
「二重結界か。一つはその術師の周囲に。もう一つは自らも囲んだ防御壁となる結界。私の術解除の術を防ぐために」
「そう。あなたは無力。そこで、これから起こることをゆっくりご鑑賞なさい。これから、種明かしが始まるから」
「やはり、誘い込まれたのか」
「ええ……。でも、あなた方が来ると予想していたわけではありません。でも、せっかくいらしたのだから、カメラ越しではなくて直接、その目でご覧になってください。まずは……」
 彼女は右手に持っていた紫色の水晶を掲げた。それは、外壁側ではなく、術師の男を囲っている結界側。
 なにをする気なのか。一抹の不安を覚える琴。
「よくご覧になってください。この力は、伊集院さんだけの専売特許ではないということを……」
「私だけの専売特許……? まさか、きさま……!」
 そのとき、結界内にいた男の術師が頭を抱えた。額に血管を浮かせながら「あああああ」と唸り声を上げる。
「なにをする気だ!」
 川本クリスティーヌは薄ら笑いを浮かべたまま、なにも答えない。
 男の術師は、たまらず床にうずくまって、胎児のように体を丸める。
「ああああぁぁぁぁぁぁ!」
 耳をふさぎたくなった。
 男の悶絶の声が、途中から声色を変える。
「ああああああぁぁああぁぁぁぁ!」
 声が変わる。
 成人男性の低い声から、徐々に高い声に。
 どうする。
 どうやって助ける。
 どうなるか分からないが。
 琴は大きな見えないボールを抱えるように手を上げた。
 気付いた伊集院照子が、とっさに琴の両肩を掴んで阻止する。
「やめろ、琴! 最悪な結果になりかねない!」
「最悪な結果? でも、あの人が!」
「だめだ。助けられない。いまの私たちでは!」
 伊集院照子が「できない」と形容するなんて。
 そのとき、スーリンがポケットから、ネックレスを取り出すのが見えた。
「私、あの仕組み、理解した。これでいける」
 そう言って、ネックレスを首から提げるスーリンを、伊集院照子は荒々しく突き飛ばした。
「やめろと言っている! 死にたいのか!」
 突き飛ばされて尻餅をついたスーリンが、恟然と伊集院照子を見上げる。
「あいつがなにをやろうとしているのかわからないのか! 見ろ!」
 見ると、男は悲鳴を上げ続けていたが、その声が先ほどまでとまるで違う。
 これはまるで……、子供の悲鳴?
 刮目すると、男の姿は先ほどと様変わりしている。いや、小さくなっている?
 着ていた服の中に埋もれるように、その身体が蠢いている。
「紛れもない! これは圧縮術だ!」
 悲鳴のような伊集院照子の声。
 専売特許。
 その熟語が脳裏を駆け巡る。
 男の悲鳴は見る見る小さくなり、細くなり、最後には異空間に吸い込まれるように消えうせていった。
「ああ……」
 琴は声を漏らす。なんてことだろう。目の前で人が消えうせようとしているのになにもできず……。
「死んではいない。圧縮されただけだ。私とスーリンになら元に戻せる」
 そうだ、圧縮術というのなら復元できるはず。
 川本クリスティーヌは、床に落ちている服の中から、圧縮された術師を拾い上げた。その手には、茶褐色の木片のような物体。まさしく、御札そのもの。紋様のない、無地の御札である。
「圧縮能力は、伊集院さんやその血筋の方だけの能力ではなくなりました。私のような結界を自由に操ることのできる能力者が、対人間用の結界を用いて、結界を徐々に小さくしていけば、このとおり圧縮されるのです。ですが、この技術を習得するまでには精密な計算や、強固な結界が必要です。ですが同じ能力者の術師であれば、この技術は応用可能です。そしてこの御札化したもの。これをこの後、どう使うのでしょうか。続きは奥の部屋でどうぞ」
 おもむろに背を向けると、背後にあった扉に手を掛ける。
「待て、クリスティーヌ! 圧縮ができたとしても、お前には……!」
 伊集院照子が怒鳴り声を上げたが、川本クリスティーヌはかすかに振り返っただけで、奥の部屋へと消えていった。
「……いくぞ」
 伊集院照子が神妙に促した。
「でも、危険なんじゃ……」
「危険でもなんでも、私たちはいくしかない。それが運命だ。琴、お前はなにもしなくていい。何かあったらすぐにでも逃げ出せる用意をしておけ」
「なにがこの先にあるんですか?」
「この先には……」
 言いよどむ伊集院照子。言いよどむということは、この先になにがあるか、半ば予想しているということ。
「スーリン、いくぞ」
 突き飛ばされたことはもう気にしていないのか、スーリンは力強く頷いた。
 二人の後を付いていくしかない琴。
 伊集院照子が、川本クリスティーヌの消えていった部屋の扉を押し開く。
 その先にあったのは小さな部屋である。おそらく、この鉄工所跡がまだ営業していた際、事務所となっていた場所であろう。
 今見える風景は、事務所のそれではない。
 窓は黒く塗りつぶされ、外界からの光の侵入すら拒んだ暗い部屋。明かりは部屋の四隅に置かれた古典的な燃料ランプ。
 部屋の中央に天蓋付きのベッドが置かれており、霞みかかったシルクのカーテンがベッドを覆っている。ベッドの上には、誰かが上半身を起こしているのが見えたが、霞みかかったカーテンのせいで、はっきりと容姿までは分からない。
 川本クリスティーヌはベッドの傍らに立ち、こちらを見ている。
「さあ、最後の回答。とくとごらんあれ」
 川本クリスティーヌは良く通る声でそう言うと、傍らにあったベッドの天蓋から垂れ下がる紐を思い切り引いた。
 ベッドを覆っていたシルクのカーテンが音もなく床に落ちる。
 その様はゆっくりと。
 羽毛が揺らぎながら地面に着地するように緩やかに。
「やはりな……」
 伊集院照子のつぶやき。
 予想していたのだろうか。
 琴にはさっぱり分からない。
「見ろ、スーリン、琴。あいつを」
 すでに見ているが、あれが誰なのか、琴にはさっぱりわからない。あのベッドには大家貴信が横たわっている。そう思っていた琴は拍子抜けしているくらいである。
 ベッドの上におかれた大きなクッションに背中を預けている男が居る。年齢にして三十手前くらいの若い男である。
 日本人ではない。金色の頭髪と、堀の深い目。しかも、その目は緑色に……。
「まさか……!」
 琴は気付き、気が遠くなるような思いがした。
「よく見ろ、あれがトレチャークだ」



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