あっちから変なの出てきた

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第九章 【 帝国旅団、再び 】


 タモンは眠れないでいた。
 表に置き去りのネロが心配だったが、杞憂はそれだけではない。
 ルウディの占いどおり、はるばるやってきたユベリアの最北端に近い、通称「魔の森」にはカナデが捜し求めているユーナという少女がいた。
 もうひとつ、ルウディの占いにあった「アリス」という女。
 アリスが死ぬ。あるいはこの世から消え失せる。それがルウディの占いで、それは暗黙的に帝国旅団とのかかわりが発生するのだと明示している。
 この場で。この森で。
 魔の森の不穏な気配は、森に入ってきた瞬間から感じていて、ネロが非常に警戒していることで、森に何かあると感づいていた。その正体が果たして帝国旅団に関係するものなのかどうか判断できなかったが、キーファーという少年との出会いで明らかになる。
 背の高い樹木の太い枝で眠っていたタモン。その樹木にキーファーが激突してきたのである。衝撃で目を覚ましたタモンは、怪我をしたキーファーを介抱し、連れ帰った大木の家でアリスとユーナに出会う。
 そこでユーナに聞いたのは、森の中に住む化け物の話。
 話を聞けば聞くほど、それが四ツ目族の作り出しているという肉体改造された狂戦士であることに感づいたのはタモンだけだったらしい。
 四ツ目族の聖域が近くにある。間違いない。タモンは確信した。
 
 
 
 大木の幹を刳り貫いたかのような住宅には二部屋あり、奥の間にはユーナとアリスが眠り、みなで食事を摂った居間にはキーファーとタモンが横になった。
 立ち入り禁止区域となっているはずの魔の森で、知らない同士がこうして集まり、そして実は目に見えない縁にて繋がっている。そのことを知るのはタモンただ一人であるが、これが偶然だとはどうしても思えなかった。
 なにより、あれほど危険を冒してまでユーナを探し歩いているカナデが、長い旅の中で未だに辿り着けていない彼女の元へ、タモンがいとも簡単に追いついた。
 ルウディの占いが大きな要因であるが、これが腑に落ちない。何者かの思惑により、カナデとユーナはめぐり合わせないように操作されているのではないか。
 ルウディはカナデを知っていた。知っていたのならユーナを探しているというカナデの目的も知っていたはずだ。ならば教えればいい。ユーナの居場所を教えて、ルートを教えればすぐにでも再会できるだろう。それをしなかったのは、ルウディは故意に曖昧な言い方をして、カナデのルートを遠回りさせているよう仕組んだように思えてならない。
 ルウディ。
 結局、あいつは何者なのか。タモン、カナデ、ユーナに対してなにを企んでいるのか。
 タモンが身分を明かさず、ユーナにカナデのことを知っていると伝えなかったのは、そんなルウディの言葉が原因だった。
 ユーナがタモンの味方であるとは言えない。そう言ったのもルウディだった。その意味を知りたい。カナデが探している想い人であるならば無条件に信用したいところだが、少し様子を見る必要があった。
 おそらくユーナはなにも知らないのだろう。カナデがこちらの世界にやってきていることすら知らず、想い人は遥か彼方の異世界にいると思っている。
 カナデがこちらの世界にやってきて君を探している。それを知らせてあげたら、一体ユーナはどんな顔をするのか。
「おぬし、起きておるのか……」
 静寂の深夜。耳鳴りが聞こえてきそうなほど息苦しい室内で、押し殺したような声が聞こえてきた。
 誰の声なのかは分かってる。ユーナの連れていたレシェラという眷族だ。
「まだ眠っておらぬのだろう。少し会話せぬか?」
「……構わないけど」
 レシェラの居場所は、声から推測するに横たわるキーファーをまたいだ先の暗闇。
「おぬしの素性を聞かせてくれぬか。気分を悪くしたらすまぬと思うが……
「いや、大丈夫。自己紹介したとおり名はタモン。実は、この国の出身ではないんだ。ユベリアより大海を挟んだ東の孤島からやってきた」
「この国の者ではない? 二ツ目族が他の大陸にいるということか?」
「いや……良くは分からないけど、少なくとも俺の住んでいた島には二ツ目族と呼ばれる人間たちがいた。世界のことは良く分からないけど、おそらく俺たちの祖先はユベリアの二ツ目族だろうと思う」
「未開の地か。世界という巨悪に見つかっていない平和な世界なのだろうな。悪いことは言わぬ。出身地のことは口外せぬほうが良い。それに、この国を出て故郷へ帰ることを強く勧める」
「助言はありがたいけど、帰りたいのは俺も同感なんだ。だけど、やってくるのにも精一杯で、あの大海をもう一度渡るなどとはぞっとしない。俺も戻れるものなら戻りたい。最初は夢をはせてこの国にやってきたけど、今は何より故郷へ帰ることが何よりもの願いで夢なんだ」
「ふうむ、なるほど。やはり悪人ではないようだ……」
 レシェラが暗闇の中で動く気配がした。どうやらタモンの近くに寄ってきたようだ。
「警戒していたが、おぬしからはあまり嫌な臭いを感じぬ。だが、ちょっと変わった臭いを発しておる。だから気になった」
「変わった臭い?」
 タモンは体をにおってみる。しばらく風呂には入れていない。
「いや、違うな。なにも臭ってこない、というほうが正しいか。二ツ目族には共通する臭気がある。しかし、おぬしにはそれが無い」
「……それは、喜んでいいことなのか?」
 一拍の間のあと、レシェラが言った。
「その独特のにおいを発しない種族を、わしは知っておる」
 そういったまま、続きを言わないレシェラ。キーファーが寝返りを打ったからだ。キーファーには聞かれたくない内容なのか、キーファーの寝息を確認してから言った。
「三ツ目族。やつらは独特の臭気が無い」
 三ツ目族。予想していなかったキーワードに、タモンは逡巡する。
「だが」とレシェラは擁護するように言葉を続けた。
「おぬしが三ツ目族ではないことは見るに明らか。だが、秘密があるな。わしはユーナという二ツ目族を守護する役目を負っている。悪人ではないと思うが、おぬしは少々怪しすぎる」
 さすがは獣族の類。理屈や理論ではなく、本能的な部分でタモンのことを感じ取っている。だが、本当のことを語るわけにもいかず、タモンは返答に迷う。
「すまぬ、気にしないでくれ。だが、これだけは教えてくれ」
 レシェラの吐息が聞こえてくるようだった。
「……おぬし、城塞都市にいたな? 城塞都市の臭いがする。あそこの奴隷だったのか?」
「……奴隷ではなかった。だからといって待遇が良かったわけじゃないけど。あそこに入ると番号が振られると思うんだけど、俺には番号すらなかった。数ヶ月の間、投獄されていた囚人だったんだ」
「投獄? ならば脱出してきたというのか? 城塞都市から?」
 おたくの宿主だって城塞都市から脱出してきた口だろう。そう言おうとして寸前で声帯を閉じる。
「ある少年に助けられて、俺は城塞都市から脱出することが出来た。俺はその少年を追いかけてここまでやってきた。もちろん他にも目的があるけど明かすわけにはいかない。分かってほしいのは、君たちを傷つけるつもりはないし、この家にたどり着いたのは偶然だってこと」
「ふむ。疑っているわけではない。詮索をしたいわけでもないが、ひょっとしたら城塞都市からの追っ手ではないかと考えた」
「追っ手? 追われているのか?」
「そうだ。わしも身分を明かす。宿主のユーナも城塞都市を脱出してきた二ツ目族だ。三ツ目族に追われておる」
「……なぜそれを俺に話す? まさか、いい人そうだからと言うなよ」
 レシェラは笑い声を上げたように聞こえた。
「おぬしの動揺を測っておった。真実を話し、おぬしが動揺するかどうか……。しかし、冷静なものだ。まるで、初めからユーナが城塞都市を脱出してきた逃亡者であることを知っていたかのように……」
 ち、とタモンは舌打ちをしそうになる。この狼、曲者である。親しげに話しかけてきたと思ったが、最初からある程度のことを見越している。とんだタヌキだ。口では「悪人ではない」と言っておきながら、最大級の警戒心を抱いているに違いない。
 やましいことは何も無いが、誤解を解こうとも思わない。だが、レシェラはタモンの行動を逐一監視することだろう。こうしてタモンが目を覚ましていれば「怪しい行動を封じる」目的で話しかけてくる。優秀な眷族だが、少々迷惑だ。
「そろそろ眠る。話し相手になってくれてありがとう」
 タモンは相手の思惑を悟って、早々に会話を切り上げた。
「また明日……」
 レシェラの声が遠くから聞こえてくる。眠気を感じたのは本当だ。
 久々に屋根のある家の中。そんな安心感が、タモンを深い眠りへと誘った。
 
 
 
 翌朝、まだ夜が明けきらないうちに目を覚ましたタモンは、隣で眠っていたはずのキーファーがいないことに気づく。レシェラもいない。レシェラに限っては眷族である。ユーナが召喚を解けば、ハザマの世界に帰ることになる。
 タモンは体を起こす。疲労は抜けきっていないが、野宿していたときよりはだいぶましである。
 体を起こすと、台所からキーファーが出てきた。キーファーはタモンの顔を見るなり、ぎくりと肩を震わす。
「お、起きてたの?」
 何かやましいことでもしようとしていたのか。まさか、タモンの寝込みを襲って命を取ろうとしていた訳ではないだろうと思い、別段興味も示さなかった。
「朝食を用意しようと思ってたんだ」
「嘘付け。なら、なにをこそこそする必要がある。別に理由は聞かないけど、やりたいことがあるなら邪魔しないから好きにすればいい」
 そう言うと、キーファーは気まずそうに背中に隠していたものを見せた。
「姉ちゃんには黙っててほしいんだけど……」
 キーファーが手に持っているのは木材とロープ、それに布。
「昨日の丘まで言って、あれを直したいんだ」
「あれ……あの翼のある乗り物のことか」
「し、知ってたの?」
「大破してたけど、なんとなくね。前に古代の文献で見た事のある計上だったから。それに、実は俺もあれを作ろうと思って旅をしていた。大海を越えられるほどの翼を持った機械」
「飛翔船のこと?」
「飛翔船? あれはそういう名前なのかい?」
「姉ちゃんが勝手に言ってたんだ。本を読んで」
「本……やっぱり、設計図のようなものがあるのか。良ければ見せてくれないか?」
「いいけど……」
 キーファーは本棚から一冊の分厚い本を持ってくる。テーブルの上に、しおりの挟まれたページを広げる。そこには確かに飛翔船を作成するための設計図らしきものが描かれているが、説明文は未知の言語で読み解くことが出来ない。
 タモンはためしに他のページをめくってみる。
「キーファー、あの飛翔船でどれくらい飛べたんだ?」
「まだ数メートルだよ。ぜんぜん飛べないんだ」
「数メートルも飛んだのか?」
 タモンは感嘆の声を上げる。
 ということは、あとは微調整でものになるところまできているということ。
「動力は?」
「動力?」
「燃料を使うのか? それとも人力か?」
「いろいろあるよ。昨日のは人力だよ。こうやって操舵を前後に動かすと、羽根が回転して推進力になるんだ」
 タモンは目を見張った。思わずキーファーをまじまじと見つめてしまう。
「驚いたよ、キーファー。君は独学でこれを勉強したのか?」
「うん。姉ちゃんにもいろいろ聞いたけど……」
「いろいろあるといったけど、他にもあるのかい?」
「他には推進するための羽根のないものもあるよ。ほら、これみたいな」
 キーファーは別の本のページを一枚破って、折りたたんで何かを作った。先端のとがった翼のついた形状の……。
 キーファーがそれを空中に投げると、それはゆっくり円を描きながら空中を滑り降りていく。やがて静かに床に着地する。
「すごい……。これこそ、俺が捜し求めていたもの……!」
 タモンは腰を起こし、神で作られたそれを手に取る。
「こんなに簡単に……」
 タモンはキーファーを見る。
「よければ見せてくれないか。君の作った飛翔船」
「いいけど……姉ちゃんには秘密に出来る?」
「もちろん」
 そう答えると、キーファーは小さく頷いて承諾した。
 キーファーとともに家を出ると、まだ白み始めたばかりの森の中を、最初に出会った丘まで向かった。昨日まで感じていた不穏な空気は、朝の訪れとともに払拭されたようで、今朝の森は穏やかそのものだった。
 丘陵にたどり着くと、キーファーが案内したのはГ型に湾曲した岩場。風から守るように、岩の天井部分がせり出している。
 さらに周囲を木材で囲み、風からも守れられた小屋のような場所には今まで製作された飛翔船が置かれていた。
 広さにして、木の幹に立てられた家屋の倍はある。
「最初、ここに住もうとしていたんだけど、姉ちゃんが反対して、木の幹の家になったんだ。代わりにここは僕の隠れ家になった」
 キーファーの隠れ家には、さまざまな飛翔船が置かれている。中には良く分からないものもある。
「キーファー、これは?」
「それは背中に背負うんだ。折りたたみ式になってて、レバーを引くと鳥みたいに翼が広がる。高い場所から飛ぶと、滑空する鳥みたいに空を飛べる、はずだけど……」
「まだ試したことはないか」
「ほとんどは試作したもので、ちゃんと飛べるものはないんだ。一番良く出来たのは、昨日壊れちゃったあれだけで……」
「行こう、キーファー。昨日のを修理しよう」
「え? 手伝ってくれるの?」
「ああ。完成させよう。きっと飛べる」
 
 
 
 そう言ったタモンの目が輝いていた。
 キーファーは少し驚く。
 空を飛びたいと、造り始めた飛翔船。その夢に同感してくれる人がいるとは思わなかった。
 タモンは鼻息を荒くして、さあ行こうと隠れ家を出ると、揚々と丘陵に向かった。丘陵の麓には昨日、樹木に激突して大破した飛翔船の残骸がある。
 タモンは部品の一つ一つを手にとって、観察し始めた。
「なるほどね。ふんふん」
「分かるの?」
「大体ね。これでもいろいろ勉強してきたからな。でも、これほど完成度の高いものは見たことがない。良く勉強したな、キーファー」
 なんだかほめられて、キーファーは気恥ずかしくなった。人に見せて自慢するために造ったものではなかったが、ほめられると極限に嬉しかった。
「これがここにきて……これが羽根か。これが……なるほど、こういう仕組みで羽根が回転して推進力を生むわけか。でもまてよ。揚力は……そういうことか。うまく出来てるな」
「直せそう?」
「ああ。キーファーの持ってる技術と、俺の持ってる技術を掛け合わせれば、きっと完璧な状態のものが出来る。これほどのものを造るには、よほどの実験を繰り返したんだろう。分かるよ、キーファー。良くがんばったな」
 また褒められた。
 キーファーはタモンのような大人に出会ったことがなかった。
 タモンの笑顔は、例えるなら――優しい兄のような。
 それから二人は相談しながら修復作業にかかるのであった。
 
 
 
 ユーナが目を覚ますと、隣で眠っていたはずのアリスはおらず、布団から抜け出して居間のドアを開いた。
 居間の向こうにはレシェラが体を横たえていた。ユーナがやってきたのに気づくと顔を上げる。
「朝寝坊だな、ユーナ」
 そんなこと言われたって……。こんなにゆっくり休めたのだって久しぶりなんだし。
 居間のテーブルの上には朝食が用意されていたが、二食分の皿はすでに空である。すると台所からお盆を持ったアリスが現れて「ほはおお」と意味の分からない声を上げた。
 口の中に何かをほおばっているらしい。
 手に持ったお盆には二つのカップ。湯気を上げている。どうやら朝食のスープらしい。
「ほはあっああ、おうお」
 まったく何を言っているのかは分からなかったが、どうやら朝食を食えと促しているらしい。
「あの……キーファーさんとタモンさんは……」
 ごっくんと音を立てて口の中のものを飲み込んだアリスは、とんとんと胸をたたきながら言った。
「二人一緒に出かけました。どうやら、二人は意気投合したようです」
「意気投合?」
 レシェラが代わりに詳細を伝えた。
「キーファーが、森でなにかの機械仕掛けを作成しているらしい。タモンはそれを見に行ったようだ。どうやら、空を飛ぶ機械のようだが……」
「空を飛ぶの? ソラ・トンベルクとか使わずに?」
「詳しいことは分からぬな。そこのアリス嬢が読み解いた書物に空を飛ぶ技術が書かれていたらしい。それを創作しておるようだ。タモンは目を輝かせておったぞ。昨夜言っていたな。タモンは大海を越えて故郷に帰るのが夢だと。その空を飛ぶ機械仕掛けで、故郷に帰るつもりらしい」
「へえ……空を飛ぶ機械……。ソラ・トンベルクと契約するわけにはいかないのなか」
「おぬしも知っているだろう。眷族との契約は、いまや困難を極める。さらにはよしんばソラ・トンベルクを手に入れたとしても、不眠不休で大海を越えるだけ飛び続けるのは体力的に不可能であろうな」
「まあ、そんなことはいいですから、朝食にしましょう」
 アリスが会話をさえぎって、朝食を促してくる。タモンにとっては死活問題を「そんなこと」で斬って落としたアリスは食卓に着くなり、焼いたパンを口いっぱいに頬張った。
「ねえ、レシェラ、昨日の怪物はいなくなったのかな」
「臭いはしないな。おそらく引っ込んだのだろう。ついでに言えば、イイ・シトの臭いもしない。食い殺されたのかもしれん」
「えっ! イイ・シトさんが?」
「そんなに驚くな。冗談だ。あれほどの剣術を持っていれば大丈夫であろう」
「でも、置いてきちゃって大丈夫なのかな。悪い人には見えなかったけど」
「あからさまに怪しいだろう。都合よく現れ、われわれを救い、仲間に入ろうとする。三ツ目族が差し出した追っ手か、盗人のいずれかだろう」
 イイ・シトさんが三ツ目族の追っ手。そうは見えないなー。
 ユーナは食卓について、朝食に用意されていたパンを手に取った。
「これから冬なのに、蓄えを食べてしまっていいんですか?」
 アリスに尋ねると、ほほを膨らませながら答えた。
「ほう。はいほうふえふ」
 おそらく「はい、大丈夫です」と言ったのだろうと察しが付いた。
 ユーナは朝食を済ませると、アリスと一緒に食卓の後片付けをして、さあこのあとどうしようかと思った。
 出発すべきだろう。ユーナには目的がある。帝国旅団を探し出し、手を組んで三ツ目族の世界を終わらせる。とんでもない話だが、ユーナは心の底から実現可能であると信じている。
「アリスさん」
 朝食を片付けてロッキングチェアに腰掛け、本を開こうとしていたアリスに話しかけた。アリスはとぼけたような顔をしてユーナを振り返る。
「お世話になりました。私とレシェラはそろそろ……」
 ユーナが言いかけると、アリスは目を丸くして立ち上がって、がっつりとユーナの腕を掴んだ。ユーナはびっくりして肩をすくめる。
「ど、どうしたんですか」
「まだいいでしょう。まだ朝も早いですし、もう少しゆっくりしていってください」
 鬼気迫る様子である。逃がしてはなるものかと、ユーナの腕を掴む手は力強い。
 困ったようにレシェラを見るが、レシェラは知らん顔でそっぽを向いている。
「でも、私たちには目的が……」
「そうだ!」
 アリスはユーナの話をさえぎって、背後にあった棚から本を抜き出した。もちろん、その間もユーナの腕は離さない。
「ユーナさん、これ見てください。これです。ほらこれ」
 本を開いて、必死に注目させようとする。ユーナは仕方なく本に視線を落とすと、そこに書かれているのは複雑な図形。それが一体何なのか、ユーナにはさっぱり理解できない。
「なんですか、これ」
「これはすごいです。すごいんですよ。知りたいですか? どのくらい知りたいですか? 気になって仕方が無いですか?」
「いや、まあ、そうですね……」
 アリスはにっこり笑みを作ると、ふふんと得意げに鼻を鳴らして本を閉じた。本を本棚に戻し、次に違う本を開いた。
「これも見てください。これです。ほらこれ」
 さっきの図形の回答は教えてくれないのか。
 続けて見せてきた本には、やはり何かの絵が書かれている。今度は想像がついた。
「鳥ですか? でも、人に翼が生えたような……」
「気になりますか? 知りたいですか?」
 また先ほどの繰り返し。どうせまた回答を教えないつもりだろう。こうやって気を引いて、ユーナを足止めする作戦だろうか。
「これがキーファーとタモンが夢中になってる正体です。二人は機械仕掛けで飛ぶ羽を作ってるんです。キーファーは秘密にしてるけど、私には分かってるんです」
 それはさっき聞いた。その造り方が書かれた書物だろう。
「でも、長い時間跳ぶ必要があるんですよね。大海を越えるくらいの」
「大丈夫です。ほら、これを見てください」
 ページをめくると、今度は不思議な楕円形の絵。
 見たことがある。
 これは確か、城塞都市で見た、ヴァルアラトスが国際会議に出席する際に利用する……。
「飛行船……。たしかに、これが造れれば海を越えられますね。でも、たくさんの燃料が必要だって言うし、一回飛ばすのに、ものすごい準備が必要だって……」
 気づくと、アリスがほほを膨らませている。不機嫌になったようだ。つまらなそうに本を閉じると、無言で本棚に本を戻し、ロッキングチェアに腰掛けると読書を始めた。
 あれ、なにか気に障った?
「あの、アリスさん……?」
「知ってるんなら、知っているとおっしゃってくれればいいのに! 自慢した私が馬鹿みたい!」
 やっぱり怒っているようだ。助けを求めるようにレシェラを見るが、お得意の知らんぷり。面倒な人間の事情にはまったく取り合わないのがレシェラである。
 まったくもう。
「あの……アリスさん、いまは何を読んでるんですか?」
 ご機嫌を取ろうと声をかけると、まるで体で本を隠すように体を丸くするアリス。
「知りたいなー、なに読んでるのかなー、気になるなー」
 わざとらしくそう言うと、アリスが伺うようにユーナを見る。
「きっと私の知らないすごいことが書いてあるんでしょうねー」
 アリスの目が輝いた。
 あともう一押し。
「アリスさんってすごいんですねー。そんな難しい本を読めるなんて」
 アリスの頬が高潮したと思うと、読んでいた本を開いて、ユーナの目の前に突き出してきた。
 そこに書かれているのは、大半が文字。見たことも無い言語が、隙間も無いほどびっしりと詰め込まれている。だが、ページの一角に小さな図形が。
「これは、すごくすごくすごいことが書かれてるんです。これをすると、人間が作れてしまうのです」
「人間が作れる?」
 一体、どういう意味だろう。
「人間から、人間が作れるのです。しかも、人が持っている尺度を自由に変えられるのです!」
「尺度を変えるって……」
「女性の体の機能を利用して、新しい体を生成します。その際に、たとえばとても頭のいい人を作りたかったら、頭の良さを示す尺度を調整するんです。すると大天才が生まれます。力の強い人、背の高い人、心の強い人、なんでも作れます」
 ユーナは無邪気に話をするアリスをよそに、身の毛のよだつ思いがした。
「女性から人を作るって……出産のことを言っているんじゃないですよね」
「女性の機能を利用して、人を作るんです。どんな人でも造れます。人じゃなくても作れます。すごく頭のいい植物も作れます」
 そんなものが……。
 そんなものが実現できるとして、それは世界のために必要な技術なのだろうか。末恐ろしい思いがするユーナは、わけも分からず危機的なものを抱く。
「アリスさん……、どうしてそんな難しい本が理解できるんですか?」
 尋ねると、アリスは目をくるりと回して思案する。
「良く分かりません。なぜだか分かります。キーファーにも同じ事を聞かれましたけど、ちゃんと答えられません」
 何らかの特殊能力者なのだろうか。眷族の力を借りずとも能力を持つ者はいる。アリスには未知の言語や、図を理解できる能力があるのだ。
「アリスさんは、ここにはいつから?」
「ううん、半年くらい前でしょうか」
「それまではどこでなにをしてたんですか?」
「ここに越してくる前は、ウィンディアにいました。でも、それ以前は何も覚えていないんです。私にとって最初の記憶は一年前、キーファーに拾われたときからです」
「記憶が……。そうですか。両親や家族の記憶も?」
「一年前から以前の記憶は何もありません」
 一年前以前の記憶が無い。それまで、彼女はなにをしていたのだろうか。
「ウィンディアでは、キーファーが私の身の回りの世話をしてくれましたが、キーファーが『ここは危険だ』って何度も言うので、誰も来ないというこの森に越してきたんです」
 でも……、と話を続けるアリスは、暗く翳ったような表情をする。
「私には何かしなければならないことがあった気がします。とても重要なことです。どのくらい重要かっていうと、私自身の命より大事なことです。でも、思い出せません」
 この能力があれば、おそらく失われた記憶の過去は、きっと重要な使命を帯びた人だったのかもしれない。なんらかの事故で記憶を失い、いまはこんなところにいるが、あるいは二ツ目族を三ツ目族から解放するために活動する人だったかもしれない。
「ユーナさんは?」
「私?」
「ええ。ユーナさんはどうしてこんなところに? こんな森に何の用があってこられたんですか?」
「私は……」
 この森に来た目的は、コロタリの故郷へやってくるため。コロタリの無事を、彼女の家族に知らせるためにやってきた。
 それをアリスに伝えると、アリスは何度も頷いて言った。
「お友達との約束を守るために……素敵なことです」
「それだけじゃありません」
 もしかしたら、ここで何か重要な情報が得られるのではないか。帝国旅団の事をアリスに尋ねようとすると、勘の良いレシェラが先読みして「ユーナ、それはやめておけ」と釘を刺した。
 でも、いま私には何の手がかりも無い。大丈夫、レシェラ。アリスさんはいい人だし。
 ユーナはアリスに尋ねた。
「帝国旅団の行方を捜しています。アリスさんは帝国旅団をご存知ですか?」
「帝国旅団ですか? いえ、存じ上げません……。ウィンディアのような旅の集団ですか?」
「帝国旅団は、千年前に滅んだユベリア帝国の生き残りが組織した旅団だ」
 それを答えたのはユーナではなかった。
 声をしたほうを振り返ると、家の入り口にタモンとキーファーが立っていた。帰ってきたことに気づかなかったユーナはしたたかに驚いた。
「たしかユーナと言ったな。帝国旅団に何の用があるというんだ」
 タモンの様子は鬼気迫るものがあった。
 タモンは帝国旅団を知っている。そして、それは好意的な意味では決してなく……。それだけは察しが付いた。
 キーファーが居間に入ってきて、張り詰めた空気を感じ取ったのか、おそるおそる台所に消えていく。
 アリスが戸惑ったかのようにユーナとタモンの顔を交互に見ている。
「答えろ。帝国旅団に何の用がある。なぜ探している?」
 今にもユーナに掴みかかってきそうなタモン。レシェラがユーナとタモンの間に割って入った。
「おぬしには関係の無いことだ。おぬしにだって聞かれたくないことがあるだろう」
 じろり、とレシェラを睨みつけるタモン。
 こう着状態が続いた。
 タモンがため息ひとつ漏らすと「確かにな」と殺気を解いた。
「悪かったな、ユーナ。聞かれたくないのなら、問い詰めたりしない」
 そう言ってタモンがテーブルに着くと、台所からキーファーがスープをカップに入れて戻ってきた。
 妙な沈黙が続く。
 キーファーが用意した人数分のスープを、それぞれが啜りながら、けん制しあうような緊張感のある空気。
「私はこれまで、たくさんの命が失われていくのを見てきました」
 ユーナは決心したように口を開く。
 タモンが眉を吊り上げるようにユーナを見た。
「三ツ目族に無残に殺される二ツ目族たちを。見世物にするために処刑されて、たいした罪も無いのに投獄されて、拷問されて死んでいく二ツ目族。城塞都市は地獄だった。あそこでは二ツ目族の命なんて虫けら同然だった。死んでいく友達の中で、私は決心したんです」
 タモンが険しい表情でユーナを見ている。アリスがはらはらと泣き出しそうにユーナを見ている。キーファーが不安そうにユーナを見ている。
「帝国旅団は良い噂を聞きません、それに、存在するかも良く分からない。でも、確かなのは三ツ目族に対して抵抗しうる唯一の集団であることです」
「帝国旅団の仲間になりに行くと?」
「仲間……分かりません。でも、協力することは出来るんじゃないかと思ってます。城塞都市にいる全ての奴隷を助け出したい。私は城塞都市内のユベリア宮殿内を良く知っています。私の知識が力になって、帝国旅団と協力して、奴隷を解放したい」
「帝国旅団がどんな組織か、知っていっているのか? あそこが健全な組織だと?」
「いえ……。でも、私は自分の手を汚さないで、きれいごとだけで奴隷を解放出来るとは思ってません。きっと汚いこともしなければならないし、倫理に反するような行いもしなければならない決心をしています」
 タモンはカップをテーブルに置くと「なるほどね」と蔑むような笑みを作る。
「汚い行いもする決心ね。それが本物だと信じたいが」
「私は迷いません。死んでいった友達のためにも」
「ならば訊く」
 タモンの語気が多少強まった。
「いま、君が思い描く一番大切な人を裏切ることになっても、君は帝国旅団の仲間となり、奴隷解放のために尽くすといえるのか?」
 タモンの言葉に、真っ先に浮かんだ大切なあの人。
 私が手を汚したら、あの人は悲しむのだろうか。
 優しいあの人は、きっと私を擁護する。奴隷を解放するためだったんだ。君は正義だと。でも、私は自分を正義呼ばわりする気はない。
 ただ、もう悲しい死を見たくないだけ。
「私の決心は揺らぎません」
 ユーナが言うと、タモンは真顔に戻って少し視線を中に泳がす。
「分かった。君の決心は良く分かったよ。なら、教えてあげよう」
 教えてあげよう?
 なにを?
「俺は帝国旅団の現れる場所を知っている」
 帝国旅団の現れる場所を? ユーナは思わず椅子から体を起こしていた。
「知ってるんですか? どうして?」
「俺も君と同じ、帝国旅団を追う者だからだ」
 追う者?
「教えてくれるんですか? 帝国旅団が現れる場所」
「教える。といっても、正確な場所は俺にも分からない。だけど、ひとつだけ分かっているのは、この森にやってくるということ。だからこそ、俺はこの森にやってきたんだ」
「この森に……」
 思いがけない情報だった。
 こんなに早く、帝国旅団に接触できるとは!
「どうも、話がうまく出来すぎておるな」
 それまで黙っていたレシェラが口を開く。
「この森にやってきたのは、さきほどユーナが言ったとおり、友人の遺言を家族に伝えるためだ。だが、もうひとつの目的は帝国旅団に接触すること。都合よくここに帝国旅団が現れるなど、話が出来すぎておる」
「出来すぎていて不満かい? なら、裏があるとするなら、どんなからくりだっていうんだ」
 タモンの謎かけに、レシェラは淀むことなく答える。
「どうも、誰かに操作されている感が否めぬ。われわれは気づかぬうちに、何者かにこの場所へ誘われているのではないか。タモンを疑うわけではない。しかし、教えてほしい。ここに帝国旅団が現れるという情報源は一体なんなのだ」
「帝国旅団の人間に聞いたのさ。実は知り合いに一人、帝国旅団の男がいてね。信用するかしないかは自由だけど、その男は嘘をついたことが無い。ここに帝国旅団が現れるというのなら、それは紛れも無く真実だろう」
「その男は何のために、おぬしに情報を与えた? そして、おぬしの帝国旅団を追う目的は?」
 タモンはすぐには答えなかった。
 沈黙が室内の気圧を押し上げる。
 息苦しさを感じる静寂が流れること数分。
「帝国旅団さんは……何のためにこの森に来るんでしょう……」
 恐る恐る口を開いたのはアリス。
 確かにユーナも帝国旅団の目的は気になる。
「目的は、ある技術を手に入れるためだというが、どんな技術で、そこにあるのかも分からない」
「技術……?」
 ユーナは限りなく現在に近い過去に、その単語を口にしたことがあることを思い出す。
 技術。
 帝国旅団がほしがる技術。
 ほしがるくらい、貴重で重要な技術。
 ユーナは戦慄する思いで、ゆっくりとアリスを見た。
 ユーナはどんな顔をしていたのか、見られたアリスは戦くように身をすくめてユーナを見返した。
 ――まさか。
 
 
 
 タモンは、ルウディの言ったことが、いまさらながらに理解できた。
 ――ユーナは決してタモンの味方とは言えない。
 まさにタモンが仇なす帝国旅団に取り入ろうとするユーナは、タモンの敵の範疇であることを示している。
 タモンは迷っていた。ここでカナデのことをユーナに教えるべきか。カナデのことを教えたとき、ユーナは考えを変えるだろうか。
 ためしに質問をしてみる。
「いま、君が思い描く一番大切な人を裏切ることになっても、君は帝国旅団の仲間となり、奴隷解放のために尽くすといえるのか?」
 その問いに対し、ユーナは肯定した。
 ユーナの決意を感じたタモンは、もう少し様子を見ることにした。
 正直なところ、タモンはどうしていいか分からず、結論を先延ばしにすることしか出来ない。
 ユーナが帝国旅団の仲間になるというのなら、タモンにはユーナの味方をすることが出来ない。
「技術……?」
 ユーナが呆然と目を見開いている。様子がおかしくなったのは、タモンの「帝国旅団はこの森にある技術を手に入れにやってくる」という発言だった。なにかに気づいたのか。ユーナは心なしか青ざめた顔で、視点の定まらない目を泳がせる。
 何か気になることでもあったのか? そう尋ねる前に、ユーナはアリスに視点を移す。
 見られたアリスは非難を浴びたかのように肩をすくめた。
「その技術はたぶん、アリスさんのことでは……」
 ユーナが呆然と口を開いた。
「姉ちゃん? 姉ちゃんが何か関係があるの?」
 キーファーがあわてた風に話題に入ってきた。
 ユーナはキーファーを見ると、ばつが悪そうに口を閉ざす。失言だと後悔したのだろう。キーファーは不安そうに「お姉ちゃんが何の関係があるの?」とユーナを問い詰めた。
 タモンが身を乗り出したキーファーの肩を掴んで、椅子に座らせる。
「ユーナ、気にせずに全部話した方がいい。キーファーだって一人前の男だ。な、そうだろう」
 タモンが問いかけると、キーファーは男気を思い出したのか、唇を引き締めて頷いた。
 ユーナは憂いそうに目を細めると、傍らにあった書物を手に取った。
「これです」
 
 
 
 自分には姉を守る力は無い。
 そう悟ったからこそ、キーファーは姉を連れてこの森にやってきた。外敵のいない森で隠居のような生活を選んだのだ。この森は通称『魔の森』などと呼ばれているが、怪物は愚か、獰猛な獣もいないし、果物や小動物も豊富だった。
 住んで半年、この森はこの世の楽園だと思い始めていたが。
「この本は、私たちには何が書いてあるのか一切分かりません。でも、アリスさんには書いてある内容も、そして描かれてる絵の意味も分かってしまいます。この書物は未知の技術を記したもので、それを読み解けるアリスさんが、帝国旅団の目的なのではないかと思います」
 姉ちゃんが?
 アリスが不安そうに、キーファーの腕を掴んだ。
 守らないと。
 僕が守らないで、誰が姉ちゃんを守るんだ。
 まずは姉ちゃんを森から連れ出して……。
「この国に安全な行き場所なんてないぞ、キーファー」
 タモンがキーファーを見ていた。
 だからって……。
 キーファーは憤りを吐き出すように言った。
「帝国旅団って、何人ぐらいいるの? たくさんいるんでしょ。ここを襲ってくるって分かってるのなら逃げないと!」
「どこへ逃げるつもりだ。どこへ行ったって三ツ目族はいるし、二ツ目族にも野蛮な連中はいる。盗賊団に捕まったらどうするつもりだ。帝国旅団に攫われるよりひどい目にあうかもしれないぞ」
「だからって大人しく捕まれっていうの!?」
「冷静になれといってるんだ、キーファー。お前には俺やユーナが敵に見えているのか?」
 敵……? 敵だとは思ってない。でも。
「でも、他人でしょ。敵がやってきたら、どうせ逃げるんでしょ」
「飯を食わせてもらっておいて、何の恩義も感じてない軽薄な人間に見えるのか? それに、アリスが帝国旅団に連れて行かれたとして、それが悪い結果に繋がると言い切れるのか? ここを襲ってくるとは限らないし、話し合いで折り合いがつけば厚遇されるかもしれない」
「そうなの……?」
 キーファーには判断が出来なかった。
「冷静に考えようと言っている。ただ一目散に逃げればいいわけじゃない。いま言ったのは可能性のひとつ。アリスを守りたいのなら冷静に考えろ。逃げるにしても、一番最良の選択をするんだ」
 タモンは信じられないような真剣な瞳をキーファーに向けて、再度念を押すように言った。
「いいか。選択を誤るな。最良の選択をしろ」
 その言葉は、身体中を駆け巡る神経のように、体中に走り抜けた。わけも分からず説得力のある言葉に、キーファーはいくらか冷静になったが、不安が払拭できたわけではない。
 キーファーはアリスを見た。アリスは事態を理解しているのかしていないのか、不安そうにキーファーの腕を掴むばかり。
 この人は、信用できるのだろうか。
 タモンを見上げる。
 いい人なのか、羊の皮をかぶっているだけのか。
 キーファーには人を見抜く自信が無い。
 いずれにしても、キーファーはどんなことがあろうとアリスを守らなければならない。
 誰も信用してはいけない。
 キーファーは改めて肝に銘じる。いい人そうに見えるタモンも、今まで見てきた大人同様に、やさしい笑みで近づいてきて間近で牙を剥く輩かもしれない。
「だが、アリスの身の安全を考えれば、ここを出る選択しかなさそうなのも確かだ。逃げるとして、キーファー。森の道には詳しいのか? 人の通らなさそうな道を行くことはできるのか」
 キーファーは強く頷いた。伊達に半年間、この森を歩き回ってはいない。
「ユーナ、君はレシェラ以外に眷族を契約してるか?」
「はい。あと二つ。ソラ・トンベルクともうひとつ。でも、召喚したことがないので、どんな眷族かは……」
「ソラを契約してるのか? なら、すぐに森を……いや、ソラはまずいな。目立ちすぎる。この近くには四ツ目族の聖域もある。帝国旅団が近くに来ていたら、狙ってくれといっているようなもの。召喚するとしても最終手段か……」
 タモンは必死に考えを巡らせている。キーファーも考えた。
 ソラ・トンベルクのような強力な眷族を召喚すれば、その発散する力で居場所が知られてしまう。相手もソラ・トンベルクを持っていたら、逃げ切ることが難しくなるといっているのだろう。
 飛翔船が完成していたら……キーファーは口惜しかった。
「もうひとつの不明な眷族は、召喚して確かめておいたほうがいいな。それに、森を出るまでにはおそらく二時間ほど歩かなければならないし、経路もきちんと決めておこう」
 森を出るまでに二時間。タモンの目測は誤っていない。
 だけど、人が通らないような経路を進むのなら、二時間以上は掛かるだろう。
「あの……みなさん……」
 キーファーが白紙を用意して、そこに逃亡の経路を書こうとしていたとき、ユーナが恐る恐る口を開いた。
「すみません、私、ここに残ろうと思います」
 タモン、アリス、キーファーがいっせいに顔を起こし、ユーナを注目した。
「勝手なことを言ってすみません。でも、私の旅の目的は……」
「帝国旅団に接触して、仲間になることだったな」
「はい。仲間になるかどうかは分かりませんが、私はここに残って帝国旅団に接触します」
「言っておくが、止めないぞ」
「構いません。私は帝国旅団に接触して、目的を聞き出す役割をします。帝国旅団がやってくる目的が、本当にアリスさんだったのなら、私はアリスさんやキーファーを傷つけることの無いように話をつけます。最悪でも皆さんが逃げる時間を稼げれば」
 キーファーは胸の中に、痛みに似た感情が渦巻いたのが分かった。これは恐怖か。どうしてユーナはそんな恐ろしい選択をするのか。キーファーには不可解だった。
「それをやりきる自信の根拠が分からないけど、賛成できないな。だけど、一緒に行かず、帝国旅団と接触するというのなら、俺たちの行き先を君には明かせない。悪いが、席をはずしてもらえるか?」
 もっともな意見だった。ユーナはレシェラに目配せをすると、玄関から家を出て行った。
 それを見届けたタモンがキーファーを見た。
「キーファー、姉ちゃんを守りたいんだったな」
 なにを当たり前のことを。
「作戦を立てよう。お前も考えろ。自分たちに有利に働く要素は全て洗い出せ」
「帝国旅団はいつくらいに来るんでしょうか……」
 アリスの問いに、首を横に振るタモン。
「分からない。だが、猶予は無いだろう。でも大丈夫だ。アリスは俺とキーファーで守り抜くんだ。もう決してあんなことは二度と……」
 タモンが言いかけて口をつぐむ。
 なにを言いかけたのか。タモンを見ると、下唇をかみ締め、恨めしそうに空中を睨みつけていた。
 キーファーは目撃していた。
 タモンの背後に漂う、ただならぬ暗い影を。
 この人が抱えている闇の正体を見抜けないまま、キーファーの胸も深く闇に侵食されたように暗くなった。
 タモンは一体、どうして助けてくれるのか。
 昨日出会ったばかりの他人だというのに。
 帝国旅団となにか深く関係しているのだろうか。
 そして、タモンが言いよどんだ言葉の続きは。
 あんなことは二度と……?

 

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