あっちから変なの出てきた

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第八章 【 はじまり、あるいは終わり 】


 現世と隔世の隔たりは次第にあいまいになる。

 干渉し合わないことで世界は世界たる形を成していたが、さまざまな小さな要因により、互いに保たれていた均衡が崩壊し始める。
 始まりは少年の、純粋な正義感だった。
 少年はただ、命を守りたかった。
 その行為が、やがて世界の終末を招こうとも、それを知っていたとしても少年は命を守りたかった。
 さらにさかのぼり、終末の始まりの起源は千年前までにさかのぼる。千年前に生じたひずみは、やはり人が人を虐げようとする恨みや憎しみの連鎖から発生し、やがて同様に悲しみだらけの結末へ向かう。
 全ての事象はつながり、つながることで未来を形成し、結末までのパズルを構成するピースとなる。ひとつひとつの出来事が因果律によってつながったとき、完成される結末はもうそぐそこまで来ている。
 終わりはすぐそこまで。
 全てが最初から無かったかのように。
 失われてしまった痕跡すら残さず。
 無数に存在する泡沫の一つに過ぎなかったとしても、誰も省みることをしなければ、そこには闇すら存在しない。
 終わりときまで、あともう少し。
 
 
 
 奏が城塞都市を脱出するまでの経緯を少しだけ話すと、まず、ラナ・カンの炎で宮殿内の施設を破壊(建物の外側を焦がす程度の破壊)し、愕然とする三ツ目族たちを尻目に、ラナ・カンの背に乗って宮殿を疾走した。
 宮殿、あるいは研究施設の敷地内を囲む塀を、ラナ・カンの跳躍で一気に飛び越え、まず森に潜んだ。
 宮殿の塀を飛び越えることはできても、城塞都市の城壁を飛び越えることは不可能に思われた。
「問題ない。城壁は多少の傾斜があり、とっかかりもある。駆け上ることが可能だ」
 というラナ・カンの自信に背中を押されて、果たしてラナ・カンは奏を背に乗せて二十メートルの高さはありそうな城壁を飛び越えると、その先にあった渓谷すら、驚異的な跳躍で飛び越えたのである。
「佐々倉さんを――」
 奏はラナ・カンにお願いし、佐々倉を迎えに行った。別れた場所には佐々倉はおらず、近くをラナ・カンとともに走り回って佐々倉とトレミを探した。
「奏、もう時間が無い。追っ手がやってくる前に逃げるぞ」
 荒れた荒野に、いつまでも滞在していられない。佐々倉は移動したのだろう。奏は仲間との別れを惜しむ暇も無く、現世以来の逃亡生活に入っていったのである。
 佐々倉、トレミの捜索を諦め、鼎は北に向かって方角を定めた。ユーナが向かったという北へ。
 ラナ・カンはそれからも走り続け、やがて荒野を抜けて、樹木や草が茂る湿地帯手前で足を止めた。
「すまない、奏……。これ以上は無理そうだ」
 復活したラナ・カンは、体力が戻っていないらしく、息切れ切れにそう言うと、子猫サイズまで小さくなった。
 宮殿から休まずに数十キロも走り続けたラナ・カンのおかげで、一日やそこらで追っ手が追いついては来ないだろうと思われた。
 湿地帯手前の乾いた大地でキャンプを張ることに決めた。夜までにはまだ時間があったので、とりあえず水と食料を探しに出かけた。
 
 
 
「ラナ・カン、いままでどうしてたんだ? 俺の腕に巻きついてるあいだ、ずっと意識はあったのか?」
 湿地帯に入り込み、木の実や果実はないかと探し回る途中、奏の肩に乗る子猫サイズのラナ・カンにたずねた。
 ラナ・カンは可愛らしい声で答えた。
「意識はあったようないような。奏が体験してきた記憶を共有しているが、いまほど意識がはっきりしているわけではない。見てはいるが、自覚していないような状態か。なんとも説明が難しいな。しかし、復活したばかりのときよりは意識もはっきりしてきた。クロスと対峙しているときは、まだ寝ぼけていたような状態だったが」
「そうかあ。ふうん。じゃあ、知ってるんだね。こっちに来てからのこと」
「なにをニタついている。なにがそんなに嬉しいのだ」
「なにって、ラナ・カンが戻ってきたのが嬉しいんじゃないか。死んだかと思ったんだ」
 隔世にやってきてから、これほどまでに嬉しいことが重なったことは無い。ラナ・カンが戻ってきて、しかもユーナは今も北のほうで生きている。もう、再会するまでは時間の問題に思われた。
「私の力が戻るまで油断は禁物だ。いま襲われても抵抗する力は無いぞ」
 ラナ・カンがそういうと、奏は「力か……」と笑みを消して暗い声を出す。
「一ツ目族を殺して、三ツ目族を蹴散らす力……。あの力が無ければ、今頃俺は死んでいたけど……。取り返しのつかないことを」
「あの眷族か。あれは強大な力を持っていたな。私の記憶にもあるぞ。ファミリアの洞窟だな」
「うん……。でも、あいつは二度と召喚しない。あんな力なんて要らないんだ」
「あの力は有効だぞ。心を支配されること無く、うまく操ることが出来ればこの先、役に立つんじゃないか?」
「そうかもしれないけど……心を支配されていたあの時間、あの感情。二度と味わいたくないし、うまく操れたとしても、あの力は誰も幸せにしない力だよ。使っちゃだめだ。今後一切封印することにする」
「奏がそういうなら、仕方が無いな」
「ごめん。でも、あいつは危険だよ。どうして俺と契約したのか。「ちりる・るいさ」はファミリアの洞窟内で、やってくる人間を襲っては殺してたそうなんだ。殺していた理由は分からないけど、何で俺とだけ……」
「おそらく、洞窟に訪れた人間たちと契約を交わそうとしていたのかもしれない。奏がようやく契約できる相手だった」
「でも、俺は契約を了承した覚えはないし、相手が勝手に契約することってあるのかな」
「私は勝手に奏の腕に巻きついたぞ。それは一方的な契約といえる」
「……なるほど」
「そんなに気がかりなら、いっそのこと契約解除したらどうだ?」
「それも考えたけど、それもだめだよ。こいつと解約したら、あのファミリアの洞窟に戻すことになるんだろ。そうしたら洞窟にいるコソボ婆や、そこに行こうとしてるラリルドさんが危ないだろ」
「ふむ。戻すくらいなら契約したまま封印しておくほうが良いか。まあ、貴殿の判断に任せよう」
「でもラナ・カン。あいつが俺の眷族だとしたら、ちょっと説明できないことがあるんだよ」
「確かに妙だな。私の疑問と、奏の疑問が一緒だとは限らないが……」
 ラナ・カンも何かの疑問を抱いている。
 ファミリアの洞窟で契約した眷族が「ちりる・るいさ」ならば……。
「奴隷になるとき、眷族を強制的に解約する能力者に言われたんだ。俺が持っている眷族は二体だって。ひとつはラナ・カンのこと。そしてもう一つはトレミのことだと思ってたんだけど……」
「まさに同じことを考えていた。その納得できる理屈を考えていたところだ」
 湿地帯に生える一つの樹木に、赤々とした果実が実っていた。手を伸ばせば届く高さにある。
「ちりるのやつがもう一体の眷族だとすると、トレミは眷族じゃ無かったってことになる。そもそもトレミは人型だし、眷族は獣族に近い種族だって話しだし」
 奏は赤い果実に手を伸ばし、ひとつもぎ取った。注意深く観察するが、それが食べられるのかどうなのかまったく分からない。すると、肩口に乗っていたラナ・カンが、奏の腕を器用に移動して、赤い果実にかじりついた。
「甘いな。問題ない。食えそうだ」
「毒見役みたいなことをするなよ」
「私は何を食べても平気だ。奏はそういうわけにも行くまい」
 奏は木からもうひとつ果実を毟り取り、袖で表面を拭くと噛り付いた。
 多少甘いが、水分も少なく、湿ったスポンジを食っているような食感。贅沢は言っていられず、果実を五つ毟り取って抱えると、キャンプに戻ろうときびすを返す。
「トレミは一体、なにものなんだろう。二ツ目族だとしても、あんなに小さいのは変だし。なあ、ラナ・カン。小さい二ツ目の種族がこの世界にはいるのか?」
「いや、聞いたことは無いが。小さい種族はいるが、手のひらほどの人型の種族は聞いたことが無い」
「でも、契約したんだよな。した気になっただけかな。あ、そういえば、トレミは廃墟の町で一回、大きくなったな」
「考えても分からないだろう。奏と契約した眷族なら、いずれまためぐり会う。それより、これからの行き先のことを考えよう」
 そうだ。
 ユーナは北へ向かった。それが分かったところで、ユベリア大衆国は決して小国ではない。北という漠然とした情報だけではユーナにはたどり着けない。
 ユーナが目指した場所が分からなければ、永遠に追いつけない。
 情報収集する場所なんてあり得ないし、ここは三ツ目族支配の国。どこへ行っても三ツ目族がいるし、なにより奴隷だったころよりひどい状況である。奏は三ツ目族に明確な敵として追われる身なのだ。
 また逃亡生活。
 でも。
「なんだか懐かしいく感じるよ。ラナ・カンと逃亡生活なんて」
「馬鹿なことを言ってないで、ちゃんと考えろ、奏。ここは奏のいた世界と違うんだぞ。やすやすとその辺の人間に道を聞くことは出来ない。どうやって情報を集めるつもりだ」
「ユーナの情報……。そもそも、俺はどうしてユーナが宮殿にいたて知ったんだったか……」
 逡巡したあと、奏はコソボ・カユウを思い出す。
「またコソボ・カユウのところに行けば居場所は分かるだろうけど……」
 引き返すには距離がありすぎる。ユーナは目の前なのだ。ここで引き返して時間をロスするのは致命的過ぎる。
 ラナ・カンが肩口でくちずさむ。
「奏はクロスに言っていたな。ユーナが斬首の塔に囚われてるかもしれないし、逃亡してもういないかもしれないと。どうして逃亡したかもしれないと知っていたんだ? どこで仕入れた情報だ?」
「あ!」
 奏は重要なことを思い出す。手元からひとつ果実が落ちて、湿った大地に半分埋まる。
「そうだよ、ラナ・カン! 思い出した!」
 奏は大急ぎでキャンプに戻ると、たいした荷物も入っていない布袋の中をまさぐる。
 出てきたのは空の御札がひとつと、カードが一枚。それを見たラナ・カンは不可解そうにしていたが、記憶をたどって行き着いたのか、「なるほど」と声を上げる。
「シエルだよ、ラナ・カン。このカードがあれば、プティシラの眷族のシエルを代理召喚できるんだ」
 プティシラと別れてから何日経ったのか、時間の感覚すら薄れて分からなくなってしまったが、結構時間が経っているはず。その間に新たな情報を掴んでいるかもしれない。
「さっそく召喚してみろ、奏」
「うん」
 はて、召喚しろと言われても、奏は自分の意志で眷族を召喚したことなど一度も無い。どうやってやればいいのか。
 頭の上に「?」を浮かべる奏に、ラナ・カンが助言する。
「とりあえず名前を呼びながら念じてみるとか」
 なるほど、と奏はカードを掴んで「シエル、出て来い」と声に出して念じてみた。
 それだけで良かった。カードから蒸気が噴出すように、シエルが奏とラナ・カンの間の空中に出現した。シエルはタキシードのような服を着たウサギである。ウサギの癖に丸メガネをしており本を読んでいたが、ふと面を上げ、召喚されたことに気づくと「またですか!」と大声を上げた。
 空中に浮かんだままのシエルはひどい剣幕で奏の周囲をぐるぐる回りだす。
「ああもう! いい加減うんざりです! 今日だけで五回目ですよ。五回目! それもたいていは戦闘中。私は戦闘向きの眷族じゃないというのに!」
「あ、あのシエル……?」
「なんですか!?」
 シエルはキッと音を立てて奏をにらみつけた。
「忙しいところ呼び出してしまってすまないんだけど、シエルにちょっと聞きたいことが……」
「それです!」
 シエルは胸に差していた教鞭のような棒を取り出すと、奏の鼻先に向けた。
「私が何でも知っていると思ったら大間違いです。道に迷ったから教えてくれとか、食料を見つけたが食べれるのかとか、そんな用事でいちいち呼び出すから私は自分の時間も持てないんです!」
「わ、悪かったって……。それなら協力するからさ。シエルが呼び出されないようにするためにはどうしたらいいんだ? 良かったら手伝うよ」
 シエルが口を閉ざして、いぶかしそうに横目で奏を睨む。
「本当にそう思ってるんですか? それなら、いい方法があります。このまま一日、いえ、せめて半日、私を召喚したままでいてください。召喚中は、宿主以外からの召喚には施錠状態となり、召喚できなくなります」
 奏は戸惑いながら「それだけでいいの?」とたずねると「それだけだなんてとんでもない!」とウサギは両腕を万歳させる。
「私はこれでも高等な眷族です。かなり力を消費しますよ。そもそも、プティシラのような特殊な能力、精神容量がなければ、私を半日も召喚し続けるのは自殺行為です!」
「そんなに体力を消費するの? でも、俺は結構平気だよ」
「そんなはずはありません。私は力の供給をあなたから貰っているのです。尋常な消費量ではありません。常人ならば数分が限度でしょう。あなたがプティシラ同等の能力者というのなら話は別ですが」
「プティシラと同等の能力者? う〜ん、まだ未熟者だけど、それなら大丈夫。俺もプティシラと同じ圧縮能力者だから」
「だから、プティシラと同等の能力……え!?」
 シエルは目玉が飛び出るほど目を見開いた。
「まさか! あなたが圧縮能力者ですって!?」
「……プティシラに聞いてもらうと分かると思うけど……」
 シエルはメガネのふちを掴むと、今度は目を凝らすように細めて奏を観察する。
「あれ……あなたはもしや、廃墟の町でプティシラと一緒にいた……」
「……いま気づいたの?」
「ああ、カナデさんではないですか! あの時は宿主がお世話になりました。なんだ、早く言ってくれれば邪険な態度などとらなかったのに! カナデさんの依頼ならば、私でよければ全力でお答えしましょう!」
 態度を百八十度回転させて、胸を張ってみせるシエル。
 それまで様子を見守っていたラナ・カンが口を開く。
「シエル殿。申し訳ないが、道を聞きたいのだ。うんざりしていることと思うが……」
 すると、シエルが振り返って背後にいたラナ・カンを見た。
「これはこれは……イデアル族がどうしてこんなところに……」
 イデアル族? 奏の疑問をよそに、ラナ・カンが話を進める。
「話せば長い。時間があれば事情を話すのもやぶさかではないが、どうやらシエル殿を召喚できる時間は限られているらしい。率直に聞きたいのだが……」
「いいですとも。カナデ氏のお役に立てるのなら!」
 律儀なウサギ。プティシラが助けられたことによほどの恩を感じているらしい。宿主がいなくなれば、シエルもハザマの世界にたゆたう流れの一部に帰ってしまうのだ。それは一時の「死」を意味し、眷族にとっては歓迎されない出来事である。
「それより、シエルの問題を解決しよう」
 奏がそう提案すると、ラナ・カンが目を丸くする。
「貴重な時間だぞ、ユーナのことを訊かないでいいのか」
「それよりシエルの問題だよ。たくさんの人から召喚されて困ってるんだろ。俺がどれくらい召喚できるか分からないけど、試してみよう。いまから計ってどれくらい召喚してられるか。それに、シエルはうんざりしてるんだろ。質問は後にするから、読書を満喫してよ」
 ラナ・カンがため息をつく横で、空中に浮かんでいるシエルは長い耳をピンと伸ばし、目を潤ませた。
「な、なんてお人でしょう……! 自分のことより私のことを優先してくれるなんて! 正直、私は読みたい本が山済みなんです! それではさっそくお言葉に甘えて……」
 どろん、と音を立てて魔法のように本を出現させるシエル。
 ラナ・カンが相当溜め込んだかのような口調でたしなめる。
「奏、賢明な判断とはいえないぞ。情報を聞きだしもせず、体力だけ消耗したら回復だけで数日間、この場所に足止めくらいかもしれない。どうせリスクを負うなら、無理を言ってシエルに情報を貰ったほうがいい」
「シエルは教えてくれるっていったけど、無理してるんだ。本当は自分のことをやりたいはずなんだ。それを良く分かってるはずの俺が、無理強いしたくないんだ」
「なにを甘いことを!」
 ラナ・カンが溜まりかねて大きな声を出す。シエルといえば、すでに読書に夢中で周りのことが見えていない。よほど読みたい本だったのだろう。
「明日の朝まで体力が持ったら、そのときに訊こうよ」
 ラナ・カンはあきれ返り、もうなにもいえなかった。
 しかし、ここで奏もラナ・カンもわかっていなかったことがひとつだけある。
 シエルの召喚状態が、半日でも一日でもなかったことを。このまま共に旅を続けることになることは、このときの二人には思いもよらなかった。
 
 
 
 タモンは目撃していた。
 ネロとともに荒野に立ちながら、純白の獣族が走り去っていく姿を。
 距離にして一キロ以上は慣れていたが、その純白の獣族の背中には人が乗っているのが見え、タモンはあれがカナデであると確信した。
「ネロ、彼を追いかけるぞ」
 声をかけると、ネロは首をぐるりと回して「うおん」と吼えた。
 タモンには目的があった。
 牢獄をカナデのおかげで脱出することが出来た今、タモンは帝国旅団を追うことを決心していた。タモンの人生を狂わしたあの集団。
 その目的に、カナデの目的を添えても重荷にはならない。
 純白の獣族とともに失踪していくカナデは、すぐに地平線の向こうへ消えていった。
 北か。どこへ向かうつもりか。
 タモンは北に目的を定めて歩き出すのだった。
 
 カナデも通った湿地帯に、タモンがたどり着いたのは、城塞都市を脱出してから二日後のことだった。
「助かった。喉がからからだ」
 喉がからからなのはネロも同様らしく、ネロの嗅覚ですぐに水場を見つけるとネロとタモンは喉を潤した。
 そこは水が湧き出て池を作っている場所で、周囲はぬかるんだ泥や、スポンジのような苔に覆われている。歩いていると、くるぶしあたりまで地面に埋まり、気をつけなければ足をとられて転倒しそうである。
「この湿地帯はどれくらい広がっているんだろうか。まさか、底なし沼なんて無いだろうな」
 ネロが沸き水から大量の水を摂取している横でひとりごちる。
 タモンは足元を注意しながら周囲を歩き回った。湿地帯に茂る細い木々に、赤い実が生っている。あれは食べられるはずだ。木からもぎ取って噛り付く。食料を補給しながらさらに見回ると、タモンはついに足跡を発見するのである。
 カナデと、カナデが連れていた獣族のものに違いない。この湿地帯を抜けていったものと思われる。
 この足跡を追って行こう。タモンは口笛を吹いてネロを呼んだ。十分に水分を補給したネロがのそりと現れる。ネロもぬかるみには苦心しているようで、足にまとわりつくような泥濘を振り払いつつ、歩きづらそうに近寄ってきた。
「湿地帯はどれくらい続いているのか分からないけど、カナデたちは移動速度が速い。早々に出発しよう」
 タモンがネロの頭をなでながら提案したときだった。
「それは賛成できないな」
 ネロがそう答えた。驚いてネロを見る。ネロは目を細めて、大人しく頭をなでられている。ネロが喋った? いや、そう答えたように聞こえただけだ。
「こっちだよ、タモン」
 声が聞こえた。ネロではない。その声はネロの背後にいる岩からだった。泥濘に埋まるような巨大な岩の上に、人が座っていた。
 ネロの巨体を回り込んで岩の上の人に注目する。
 タモンは目をまるくした。タモンの発する気配に気づいてか、ネロも背後を振り返り、殺気立ったようにうなり声を上げた。
 岩の上に、太陽を背にして座る人物。薄黒くシルエット化していたが、聞き覚えるのある声、そして気配と人の輪郭。それだけで、その人物が誰なのかタモンは直感していた。
「一年ぶりかな、タモン」
「ルウディ……」
 間違いない。ルウディだ。
 ルウディは岩肌をすべるように降りてくる。ぬかるんだ地面に降り立ったルウディは、まるで地面すれすれで宙に浮かんでいるようで、足元は泥濘に沈むことすらなかった。
「ルウディ……なんでこんなところに……」
「もちろん、君と話をしたくて待ってたんだ。ちょうど城塞都市にも用があったしね」
「城塞都市に?」
 城塞都市は、ただならぬキーワードである。タモンは停止していた思考を稼動させる。
 目の前にルウディがいる。
 あの惨劇のあった荒野の町で、帝国旅団以外で唯一生き残ったタモンとルウディ。いや、ルウディは帝国旅団であるといえる。
 タモンはルウディにどうしても尋ねなければいけないことがあった。鼻息を荒くしてルウディに詰め寄ろうとするタモンに、ルウディが言った。
「そう、君の質問に答えるために僕はここに来たのさ」
 タモンの心を読んだようにそう言うルウディ。タモンは踏み出そうとしていた足を止められる。
「……また占いか。君とは言葉にして会話するのが無意味だな」
「そんなことは無い。僕だって人間なんだから。言葉を口にして会話したほうが楽しいに決まってる。おっと、そんな顔をしないでくれ、タモン。一年ぶりなんだから」
「それよりルウディ」
 ルウディとは親しい友人でもなんでもない。
 タモンの人生を壊した帝国旅団の一人であるとも言えるのだ。
「あの日、あの町で、君は俺に一体なにをした? 俺の体になにをした? 最後の記憶があいまいで、よく覚えていない。だが、確かに俺はルビウスに全身を何箇所も突き刺され、片目も失い、間違いない致命傷を負っていたはずだった。だが、目覚めたときには全てが夢だったかのように荒野に横たわっていた。明け方だったのか夕暮れだったのか、よく覚えていないが、薄明るい空を背景に、燃え崩れる町を遠めに見ながら……」
 ルウディは穏やかと形容できるような表情を見せる。
「帝国旅団はあのあと、町の全てを焼き払った。全てが最初から無かったかのように。なにも生まれず、なにも存在していなかったかのように。そして、あの町を知る二ツ目族も三ツ目族も、この世には存在していない。記憶にも残らず、全ての記憶は死に絶え、そして『無』に帰した」
 一年前に出会ったときと同じ、白い肌。青い目。この不条理の世界で到底生き抜いていくことなど出来無そうな優男である。
 タモンは結局のところ、ルウディのことをなにも知らないのだ。
「帝国旅団……俺は忘れない。あのときに味わった苦しみと悔しさ。誰一人救えなかった後悔は、一年経っても癒されること無く俺を苦しめ続けてる」
「分かってるさ。だからこそ、君に選択肢を選ばせた。断っておくけど、あの出来事は起こるべくして起こった出来事で、僕が仕向けたわけじゃない。占いでは町の全ての人が死ぬと出ていたし、そしてタモン。君も死ぬ。その運命に逆らうことを選択したのは君さ」
「その選択を俺は覚えていない」
「心配ない。間違いなく君は選択した。僕は君には嘘をつかない。証拠に、僕が言ったこと外れたたことがあるかい?」
 確かにない。全てルウディの予言――いや、占いどおりになる。
「ルウディ……君は一体何のためにここへ?」
 ルウディは妙に赤々とした唇の端を吊り上げる、
「最後だからさ。君に会うのは、これが最後になるかもしれない」
「最後? いや、かもしれないとはどういうことだ。君は未来の全てが分かるのだろう」
「分かるさ。でも、僕が君に妙薬を授けたのは、何のためだったか。それも覚えていないのかい?」
 覚えていない。だが、何らかの目的があるはずなのは間違いない。
「君は抗う勇気がある者だ。君や僕、そしてヴァルアラトスのように運命に翻弄された人間たちの中で、君だけが運命と言う名の絶望に逆らう強い意志を持っていた。だからこそ、君に妙薬を授け、この予定調和に決まった運命を変えてほしかった」
「俺に運命を変える? そもそも、君が見ている『決まった未来』とは一体何なんだ。君はどんな未来を知っているのか」
「それは教えられない。知ってしまった時点で君は僕と同じになる」
「同じとは?」
「世界に対して第三者になってしまう。干渉することも、されることも無くなって、それこそ存在しない者となってしまう」
 ルウディの理屈はまったく意味が分からない。
 タモンは苛立ちを露にする。
「君の言葉はいつだって曖昧だ。一体、俺に何が出来ると? 何に対して、俺が抗うというんだ」
「君は帝国旅団を追っているんだろう」
 ルウディの一言に、タモンの怒りの熱は一気に下がる。
 そして胸に渦巻く、ひどく刃物じみた感情。
「帝国旅団を追い、君はなにをしようとしてるんだい、タモン」
 刃物じみた感情は、胸の中にある心臓や肺を容赦なく切りつける。
 カイヤ、マリィ。
 今すぐひれ伏して、大声で言いたい。
 すまなかったと。
「タモン、君は帝国旅団を追い、彼らを壊滅させようと思っている。そうだろう」
「だからなんだというんだ」
「それが運命に逆らうってことなんだよ。君を抹殺したはずの帝国旅団。しかし、存在しないはずの君が、帝国旅団を潰す。それが出来たなら、きっと運命は『変わった』といえるだろう」
「君だって帝国旅団の一人だろう」
「帝国旅団に雇われているのさ。思い入れなど無い。君が潰したとしてもなんら心を痛めるようなことは無いよ」
 そういえば……。
 タモンは再び同じ疑問に回帰する。
「最後とはどういう意味だ、ルウディ」
「言葉のままの意味だよ。君と会うのも、会話するのもこれが最後かもしれない」
「おそらく、ルウディが俺に会おうと思わなければ、これが今生の別れになるだろう。でも、君のことだ。そういう意味じゃないんだろ」
 ルウディは再び冷えた笑みを浮かべる。
「さすが、ルウディの初めての生徒だね。察しがいい」
 そう言ったものの、なんら核心部分を口にしないルウディ。
 タモンはたまりかねて言った。
「最後ならば……最後に俺の疑問に答えに来たのなら、答えてほしい」
「いいよ、そのために来た」
 タモンの背後に控えていたネロが、何らかの空気を悟ったのか。ぐるるとうなり声を上げて警戒した。
「同じ質問だ。君は一体、俺の体になにをした?」
「その質問は、僕が答えなくても君自身が良く分かってるはず」
「もうはぐらかすのはよせ。最後ならはっきり答えろ」
 ルウディは薄ら笑いを浮かべたまま答えた。
「いいだろう。最後のとき、致命傷を追った君に与えたのは、傷をたちまち回復させてしまう妙薬さ。瀕死だった君は、妙薬のおかげで蘇った。しかも、妙薬の力で君は、どんな大怪我を負おうがたちまち直ってしまうし、食事を取らなくても、飢えはしても死ぬことは無い。そして、長い年月を過ごそうとも、老いることも朽ちることも無く、永遠に生き続ける」
 傷が治る、飢え死にしない、そこまではこれまでの経験で理解していた。
「……不老ということか?」
「そうだ。君は四肢をもがれても、燃やされて塵になっても、復活して生き続ける」
 足が震える思いがした。
「何のために……そんなことを……」
「君は言った。マリィやカイヤを殺した帝国旅団に復讐したいと。でも、この妙薬を授けたら、君には過酷な運命が待つ。それでも良いかという問いに対し、君は肯定したのさ。だから与えた」
「死なないのか……? どんなことがあろうと」
「ああ。どんなことがあろうと。全ての人類がいなくなったとしても、この星が無くなったとしてもね。君は生き続けるのさ」
 人生は百年足らず。この過酷な世界では、成人してから長く生きられる保証なんて無い。そんな中、永遠に生きる? 死なない?
「タモン、君の怒りは分かる。しかし、これは全て君の選択だよ」
 怒り……怒りなど無い。
「……君は……ルウディ、同じなのか?」
「ああそうだ。僕はもう千年以上生きている。この国が帝国だった時代からね。言っただろう。僕は絶対的に君の味方だと。同じ宿命を持つもの同士、僕は君の敵には絶対にならないし、無償の味方さ」
 頭が回らない。
 怒り狂うべきか、絶望に慟哭すべきか。
 なにも分からない。
「ルウディ、今はなにも考えられない。悪いが……」
「時間が無い。僕はもう行かなければならない。君がもういいというなら、これが永遠の別れになるかもしれない。望むのなら、疑問に答える」
 疑問……。
 たくさんあった気がするが、頭の中は真っ白である。
 永遠に死なない?
「帝国旅団はどこにいる……」
 無意識のうちに口から出た言葉。混乱していたとしても、これだけは聞いておかないと、必ず後で後悔することはわかっていた。
「帝国旅団を見つけたいのならば、最北端にある聖域。四ツ目族の軍施設に迎え」
 ルウディが答えた。
 タモンは青ざめた顔を起こす。
 ルウディの口調が今までと違い、緊張感を伴っていることに気づき、思わず顔を起こしたのだ。
「最北端の聖域?」
「四ツ目族の住む場所のことさ。そこに四ツ目族の軍施設がある」
「四ツ目族の聖域が、帝国旅団に何の関係があるんだ」
「帝国旅団はそこを襲い、ある技術を手に入れる計画がある。つまり、そこに行けば帝国旅団が現れるってことだ」
「ある技術ってなんだよ」
「それはまだ未知の技術。まだ誰も知らない技術だよ」
「また君は矛盾したことを……。誰も知らないのなら存在しない」
「いや、これから存在するのさ」
 お得意の占いか。そこを議論しても話は進まない。
「……帝国旅団は、その技術を何のために手に入れたいんだ?」
 ルウディは真顔になった。彼が真顔になるときは、いつだって最悪なことを口にするときだ。
「最終戦争のため。帝国旅団千年の歴史において、彼らはいよいよ最終戦争を仕掛ける」
 想像もしていなかった言葉がつむぎだされた。混乱した頭に、さらに詰め込まれようとする驚愕の情報。もう駄目だ。逃げ出したい。
「驚くことは無い。もともとユベリアは二ツ目族の国。三ツ目族から取り返すために、彼らは存在し続けてきた」
 彼らの目的は、帝国復興。それくらい分かっていた。なら、何のためにあの町を壊滅する必要があったんだ。何のために子供たちを搾取し、最後に抹消する必要があったんだ。
「帝国旅団の目的は、ユベリア帝国の復興……」
 寒気を覚えながら問う。
「そうさ。帝国旅団が何のために子供たちを集めていたか。彼らが理想とする国民を自らの手で教育し、作り出し、理想郷を作り出そうとしている。彼らはそうして救世主を生み出そうと、さまざまな子供たちを搾取しては、教育、洗脳を繰り返してきた。そしてついに生まれたのさ。理想の指導者が」
「指導者?」
 ルウディは再度、薄ら笑いを浮かべると、距離を置くように一歩下がった。
「行け、タモン。魔の森と呼ばれる北の四ツ目族の軍施設。そこに行けば帝国旅団と接触できる。そして、知るんだ。この国の裏側の闇に潜む真実と、そして君自身の運命。死んでいたはずの君に対して、世界は本来の運命どおり君を殺しにやってくる。死なない君をどうやって抹消するか。想像もつかない方法で世界は君を消し去りにやってくる。そのとき君は悲しみに打ちひしがれ、絶望し、諦めるだろう。だけど、それでも抗えるかい? 君が理想とする現実を貫くことが出来るかい? 君があるべきだと思う未来を築くことが出来るかい? 僕の占いにはその全てが実現できないと出ている。これまで完全無欠だった僕の占いをはずすことが出来るかい?」
 ルウディはもう一歩距離を置く。タモンは一歩踏み寄って言った。
「ルウディ……そもそも君の目的は一体何なんだ。君は何のために俺に妙薬を授けた。運命を変える? それだけなのか? 俺が帝国旅団を壊滅できたとして、それが君にとってどんな得になる」
「……そうだったね、再会したときに僕の目的を教えようと約束していたのを思い出したよ。大丈夫、ちゃんと教えるよ。ただし、君があらかじめ定められた神の筋書きを書き換えることに成功したらね。そのときは、きっと教えてあげる」
 ルウディは距離を置きながら言った。
「僕はこの世界で、唯一の君の味方だよ。それに君が運命に負けたとき、僕らは永遠の別れとなる。だけど、もし運命に逆らえたとき、僕は君に会いに行くよ」
「……運命に負ける……。つまり、俺は死ぬのか?」
「さあ。ただひとつ言えることがある」
 ルウディの目が赤く光った――気がした。
「君がこれからアリスという女性に出会う。彼女が重要だ」
「アリス?」
「そこには君が探そうとしているユーナという少女もいる」
「ユーナが?」
「だが、ユーナは君にとって味方だとは思わないほうがいい」
 どういう意味だ。詰め寄ろうとすると、ルウディはタモンを制するように手のひらを突き出す。
「言ったろう。全て教えてしまったら君は僕と同じになる。なにも成し得ることの出来ない、ただの虚無になる。とにかく北へ向かえ。そこで真実が明らかになる」
 タモンは立ち止まり、立ち去ろうとするルウディを睨みつける。ルウディは再び笑みをこぼすと言った。
「アリスが死ぬ。いや、消える。この世界から。その時、君の起こす行動に意味がある」
 アリスが死ぬ。
 まだ出会ったことも無い女性である。しかし、その言葉を契機に駆け巡るカイヤとマリィの顔。
「待てルウディ、また繰り返されるというのか。あの町の悲劇が!」
「君次第さ。アリスは消える運命。君がそれをどう捉えるか。僕はずっと君を見ているよ」
 ルウディが背を向けた。
「待て、ちゃんと教えろ!」
 追いかけようとしたが、不意に目の前にかすみががかかった。弾力がある薄い膜があるかのように前に進めない。
「僕は全ての未来が見えるからね。君が木からもぎ取る果実がどれなのかも、当然知っていたさ。その果実に薬を仕込むくらいのことは造作も無い」
 水の中に入るように、ルウディの声はぐもって聞こえた。
 ネロに助けを求めるように振り返るが、ネロは地面にひれ伏している。ネロにも薬を盛ったのか。
 意識が保てない。どこが空で、どこが地面なのかも分からなくなった。
 タモンは地面に顔面をぶつける衝撃を感じることなく、意識を失ったのであった。
 
 
 
 夕闇に佇んでいるのはヴァルアラトス副王。
 宮殿前の庭には、偉人の銅像や花畑がある。石造りの椅子に腰掛けて、夕日に赤く染められた城を眺めていた。
 ヴァルアラトスの背後に控えるのは、直立するクロス。
「派手にやられたね」
 ヴァルアラトスが呟くと、クロスは恐縮して頭を下げる。
「申し訳ありません。ヴァル様の不在中、このような不始末を……!」
「いや、そうじゃない。君はちゃんと私の言いつけを守ったのだろう? 心配なくていい。君の処遇については私に任せておけ。処罰なしとまではいかないだろうが、悪いようにはしないさ」
 ヴァルアラトスは「それにしても……」とつぶやきながら、破壊された城のテラス部分や、壁を眺める。
「クロスがいて、これか。君の話によると、全身を鎖に巻かれた巨人だったというね。正体は一ツ目族ではないかといっていたが……」
「はい。ですが、一ツ目族は人族です。眷族として召喚される訳は……」
「例外はあるよ。昔にこの城にもいてね。ハザマの世界に住む獣族に近いといわれる眷族以外にも、契約できる人間がいた。一ツ目族、二ツ目族であろうと、昆虫であろうと、植物であろうと」
「そのようなものが城に?」
「ああ。実験体だったが、逃げられたよ」
「まさか! 契約できるということは、二ツ目族であるということ。捕らえた二ツ目族が城を逃げ出したなどという記録は……!」
「残ってないさ。残すわけにはいかなかったのさ」
 夕暮れの宮殿前は美しかった。
 赤い夕日が、色彩豊かな花々の色合いを変えていく。
 ヴァルアラトスのお気に入りの風景だったが、花畑の向こう側には無残に破壊された城の姿。
 憂うように、その姿を眺めながら、ヴァルアラトスは静かに言った。
「その二ツ目族を逃がしたのが、王族の三ツ目族だった。三ツ目族が反逆し、特異な能力者であった実験体の二ツ目族をさらって逃げたのさ。三ツ目族の反逆などあってはならない。だからこそ、この事実は歴史上から抹消された」
 ヴァルアラトスは振り返る。
 緑色の瞳がクロスを捉える。
 クロスは心臓が大きく振動したのに気づいた。
 少女のように細めた目。白い肌。花が好きというヴァルアラトスは、この場所にいるとき、まるで別の顔をのぞかせる……。
「君の母親だよ。コソボ・カユウ。彼女が実験体の二ツ目族を浚って逃げたんだ。しばらく、彼女の居場所が分からなかったが、まさか眷族の聖域にいたとはね。しかも私が封じたはずの、最強の眷族を洞窟に住まわせていた。さしずめ、洞窟を守る守護神といったところか」
「コソボ・カユウが二ツ目族を?」
「思ったより驚かないね」
「母親と言っても、会ったことは一度しかありません。私は頭に大怪我を負って記憶が無いものですから……それより、ヴァル様が封じた眷族とは? 最強の眷族とは」
「君が見た眷族だよ。いまだに封じた鎖に戒められているようだけど、それでもこの力。脅威だな。あの力が解放されたとき、私にもまた封じることが出来るかどうか」
 あの眷族がそれほどのものとは。
 やはり、あの二ツ目族を野放しにしているのは危険すぎる。
「どうやらクロス、君は真実を知るときが来たようだ」
 口ずさんだヴァルアラトスを見ると、いつものような精悍な表情に戻っている。
「真実……ですか?」
「ああ。君はこの城塞都市に生まれ、そして外の世界を何一つ知らない。そろそろ、外の世界に目を向け、広い視野で真実を見てくるべきだ」
「それは一体どういう意味でしょうか」
「君が逃がした二ツ目族を追うのだ。そして抹殺しろ。あの眷族はチリルとルイサという二体の化け物だ。戒めが解かれ、解放されて二体に別れたとき、誰にも手をつけられなくなる。君は取り逃がした責任を取って、必ず二ツ目族を抹殺してくるのだ。そして、達成されるまで戻ってくることを禁じる」
 クロスは目を丸くした。
 すぐに言葉が喉をついて出てこなかった。
「も、もちろん責任は取らせていただく所存ですが……私が城を空けてしまっては警備が手薄に……!」
「もともと君は処罰を受けなければならないほどの失態を犯した。これは、私が事態を収拾するまで、とりあえず姿を潜めていろという意味合いもある。この命令は絶対だ。私の恩赦と考えろ」
 命令に背くことは許されない。しかし――。
「ご命令には従います。しかし、時間の猶予を……。せめて、十分な警備計画を立てるまで」
「今すぐだ。今すぐに城を発て。準備に一時間やる。それまでに荷物をまとめ、二ツ目族を追いかけろ。連絡役に一人だけ従者をつけることを許す」
 何かを反論することも出来ない、鷹揚の無い口調だった。
 クロスは頭を下げて「御意」と答えるしかない。
 わだかまりを残して、クロスはすぐさま準備にかかるためにきびすを返した。
 
 
 
 クロスのいなくなった宮殿の中庭には、誰の気配も無くなった。城の修復作業にかかっていた作業員も退散し、静かな虫の音だけが空間を埋めていた。
 ヴァルアラトスは静かにため息を漏らす。
「君の目的は僕だけが知っている」
 ヴァルアラトスの背後で声がした。
 最初から、そこにいることを知っていたヴァルアラトスは驚いたりしない。
「ルウディ……」
 ヴァルアラトスの背後の暗闇から姿を見せるルウディ。
 ヴァルアラトスは振り返らず、夜の訪れようとしている花畑を眺めている。
「なにをしにきたんだ」
「君に会いに来たのさ。悪いかい?」
「いいえ」
 ヴァルアラトスは静かに花畑だけを見つめる。穏やかな風景。世界は何の悩みも抱えず、だた穏やかに時間を流し続ける――かのように見える。
 今見えている世界の平穏は見てくれだけだ。
 少しだけ顔を動かし、背後にいるルウディを見た。すぐに視線を正面に戻すヴァルアラトス。
「変わらない……。あのころのままだね。あなたは」
「そういう君もそうさ。なにも変わらない」
「それで……私になにか?」
「旧友にあいさつをね。そろそろ、僕らの物語も終息しそうだからね」
 虫の音。薄暗闇。空には赤みを帯びた雲。時々飛び交う鳥。
 静かで穏やか。だが、それは目が届く範囲だけの出来事。
「……そうだね。そろそろ終わりにしようと思っていたところだよ。でも、あなたは私のしようとしている事を知っていたとしても、それを止めようとは思わないんだろう?」
「思わないさ。僕は傍観者だからね。見守るだけさ。ただ、全てを見ようと思ってね」
「悪趣味な覗きだな」
 くすり、とヴァルアラトスが笑みをこぼす。
「僕は君の目的を知ってるけど、実は占ってはいない。だけど、ちょっと考えれば分かるさ。君がユーナを使ってやりたいことも。ユーナを魔の森にいざなった理由も」
「まったく……君には秘密に出来ないな。でも、私にも君の目的は少しだけ見えているよ」
「へえ、ぜひ聞きたいね。僕の目的はなんだい?」
「タモンを幽閉していたが、この間逃げられた。あれがあなたのおもちゃだろう。あなたはタモンを利用して、運命に逆らおうとしてるんだね」
「残念、三十点の回答だな」
「あえて深追いしてないのさ。深慮深いだろう」
「そうでなくても、君には分からないさ。僕の目的など」
 風が吹いた。
 花の甘いにおいを乗せた冷たい風は、二人の追憶を誘った。
 暫時、思い出にふけるように二人は無言になる。
 沈黙を破ったのはヴァルアラトスのほうだった。
「……よければ聞きたいね。あなたはなにをしたい? タモンを使ってなにをしようとしてる?」
「僕のしたいことは一つだけだよ」
 そういったまま答えないルウディ。
 ヴァルアラトスは気になって振り返ると、そこにいたはずのルウディの姿は風に溶かされたように消えうせていた。
 だが、残り香のようにルウディの言葉だけが聞こえてきた。
 ささやくように、優しく。
「僕はただ、愛する人を救いたいだけ」
 消え入った言葉。
 ヴァルアラトスは、静かに暗闇を見つめ続けていた。

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