あっちから変なの出てきた

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第七章 【 友の帰還 】


 クロスは長剣を構えた。胸を隠すかのように斜に構えた様子は、明らかに防御の体勢だ。
「奴隷か。ときに聞くが、なぜ眷族を召喚できる? 宮殿内では眷族を封じられているし、そもそも奴隷は持っている眷族を解約されているはず」
 奏にクロスの言葉は一切届かない。
 変わりに「ちりる・るいさ」に念じた。
 ――クロスを殺せ。
 すると、クロスの背後に聳えていた「ちりる・るいさ」(今は四五メートルほどの全長)が足元のクロスに向かって真紅の目を剥いた。
 ぶうんと音を立てて「ちりる・るいさ」は瞳から球体を発した。球体はクロスの頭上から高速で迫る。その様子は奏からははっきりと見えた。
 その光球がクロスを地理に帰ると思われた矢先、クロスの頭上で「ばちん」と音を立てて消し飛んだ。
「性質さえ分かってしまえばそんな攻撃は取るに足らん」
 クロスは口の端を吊り上げて自身ありげに笑みを作ったが、奏は動揺したりはしない。ただ激しい憎悪が体中を渦巻く居ているばかり。
 クロスの周囲に、ドーム状の薄い膜が見えた。薄い膜はシャボン玉のように波紋を描いている。普段は無色透明な膜は、攻撃を受けたときだけ光が屈折して可視出来る。
 ――結界術……。
 奏の中に、その単語が浮かぶ。
「この眷族、封じさせてもらうぞ」
 クロスがそうつぶやいた瞬間、クロスの周囲だけに取り巻いていた半円の薄い膜が急速に拡大した。穏やかな水面に生じた波紋のように円を描いて急速に「領域」が広がった。薄い膜が奏の中を通り過ぎ、背後に突き抜けていくときに吐き気を催す不快感が奏の膝を折った。
「ふおおおおおおおおおおおっ」
 突如、クロスの背後に控えていた「ちりる・るいさ」が咆哮をあげた。苦しげに身悶え、水に溶かしたオブラートのように揺らぎながら消えていった。
 奏は膝を付いた状態で、呆然とクロスを見る。水の中のようにクロスがぼやけて見えた。
 クロスの世界。クロスの領域。クロスが広げた結界内は、強烈にそう印象付けられる。この領域ではクロスが神。奏は再び無力感に打ちひしがれた。
「宮殿を中心に、三つの城を結界内に収めた。今、ユベリア宮殿は一切の外界からの攻撃を無効にし、さらには私に不都合な事柄は結界内において全て無効になる。
「今、お前は指一つ動かせない状態のはずだ」
 奏は歯軋りをしてクロスをにらみつけた。指一本どころか、横隔膜さえ動かせず、呼吸さえままならなかった。まさに粘着質の泥濘の中に居る感覚。
 クロスが静かに奏に歩み寄ってくる。その手にもつ長剣が自己主張するかのようにぬらりと光る。
「この剣は私の力を増幅させるものだが、もちろん、人をあやめる武器にもなる」
「……戒具……」
 奏のつぶやきに、クロスが片方の眉を吊り上げる。
「今なんと言った?」
 クロスはたずねたが、奏は答えない。
 奏は罠に捕らわれた獣のように、犬歯をむき出しにして相手を威嚇するだけである。
「理性さえ失ったか。だが、お前を敵視する一方で、実はうれしくも思っている。私が私の役割を果たし、そして力を解放することができたのは、お前の襲撃があってこそ。私は存分に力を発揮することが出来た」
 力。
 なんでも思い通りに出来る力。
 奏はそれを手に入れたはずだった。
 巨大な一ツ目族に引きすら、上半身と下半身を分断してしまう強大な力。
 しかし、いまの無力さはなんだ。
 奏は立ち上がろうとした。
 その様子を冷ややかに見下ろすクロス。
 立てるものなら立ってみろ、無言でそう言っている。
 憎悪が体中を駆け巡る力を糧に、足腰に力を込めたが、跪いた状態から、やはり指一本動かせないのである。
 ひどく理不尽で、恨みがましく、言い表せないほどの無念が奏の胸をかきむしる。
「名を聞きたかったが、仕方が無い。69番、その番号を私は記憶しておこう。せめてもの餞だ」
 クロスが長剣を構え、さらには剣身を寝かし、右側に体をひねるようにして長剣の刃を背後に回す。この体勢は、今から長剣を横なぎにし、跪く奏の首を斬り飛ばすことを物語っている。
 恐怖は無い。
 怒りと憎悪だけ。
 殺したい。
 そう願っているだけ。
 クロスが動いた。
 
 
 
 クロスは目撃していた。
 まるで猛獣のように、計り知れない憎悪の念で睨み付けてくる奴隷の首を掻っ切ろうとしたまさにその時。
 奴隷が先ほどの鎖に巻かれた眷族とは、別の眷族を召喚したのである。
 信じられなかった。いや、ありえなかった。この結界内で二ツ目族が眷族を召喚するなどということは絶対にあり得ず、あり得ないと信じているからこそ、迷い無く刃を横なぎにしたことが、そもそもクロスの判断を鈍らせていた最初の証拠である。
 あるいは刃を止め、新たな眷族の出現に距離を置く冷静さがあれば、クロスは本物の王家直属の警備兵の長として、その資格を確たるものにしたのかもしれなかったが、その刃を止められなかったことで、この先、クロスが冷静さを取り戻すことは無かった。
 クロスからは、奴隷の右腕に巻かれた白い毛皮が渦を巻いて、クロスの放った長剣に巻きついてくるのが見えていた。見えていたが認識しなかった。そのまま刃を横薙ぎにしたが、それは振り切られることはなかったのだった。
 奴隷の首をはねることなく、がちりと音を立てて停止した刃は、出現した眷族の牙によって噛み付かれることで止められていた。
 白い――猫。
 クロスと背丈の変わらない純白の猫が、クロスの刃に噛み付いている。ようやく事態を悟る。クロスは剣を引き抜こうとしたが、噛み付きは強固で寸分も動かすことが出来ない。
「貴様は……!」
 クロスが発動した結界内において、これほど強力な眷族を召喚するとは。いや、召喚することは不可能だ。完全にハザマの世界との繋がりは絶たれているはず。だとしたら。
 この純白の猫の眷族は「初めから」召喚されていたのである。右腕に巻かれた毛皮だと思われていたそれは、実は眷族を召喚した姿だったのだ。
 気づいたところで、解決にはならない。剣はガッチリと咥え込まれ、まったく動かすことすらできず、距離をおくことが出来ない。かといって剣を手放すことは結界を解除するということ。
 こう着状態が続く。
「……は……で……ない」
 純白の猫が何かを呟いた。聞き取ることが出なかった。
「こやつは……悪人ではない……」
 次の言葉は聞き取ることが出来た。
「悪人ではないだと……。言葉を話せるのか、眷族」
「私は……。国際連盟……次元調査機関……の特使……」
 言葉をつむぎだすのもひどくつらそうな声。
 国際連盟だと?
「もしかして……お前はイデアル獣国の……」
「イデアル獣国の外交特使……貴国の反乱因子の……」
 眷族の言葉は途切れ途切れで、クロスには聞き取ることが困難だった。ところが、刃を咥えながら会話したことにより、噛み付く力が微妙に弱まったことに気づいた。
 いま長剣を力いっぱい引き抜けば、猫の姿をした獣族の牙から剣を取り戻すことが出来る。
 引き抜いた反動で、体を反転させて、その勢いでこの獣族の首を……!
「奏は……異世界の……」
 ラナ・カンが言葉を発した瞬間、クロスは思い切り剣を引き抜いた。長剣は牙の呪縛から解放される。引き抜いた反動でクロスは体を回転させて、後ろでに剣を振るう――。
 
 
 
 目の前の視界に広がる、懐かしい純白の毛並み。そして匂い。
 暖かく、柔らかな毛は、奏のほほをくすぐった。
 憎悪と怒りに支配されていた奏の心に、巣くっていた悪魔を追い払うかのような満ち溢れてくる衝動。
 姿かたちも違い、体の大きさも自在に変えられるような破天荒な存在だったのに、なぜか現世の誰よりも奏と心を通じ合わせ、そして大切な存在となった。
 必ず隔世に帰し、家族と対面させる。それは約束以上の特別な感情を抱かせ、それは心の底から奏にとっての夢や望みとなった。
 その約束を果たせなかったことの無念と慟哭。言い表せないほどの憤り。
 時間を戻したいと。
 もう一度君に会いたいと。
 そして今度こそ、君を家族に会わせたいと。
 ――ラナ・カン!
 声は出なかった。
 だが、体は動いていた。
 顔を上げると、まさにクロスが剣を引き抜き、体を回転させてその刃をラナ・カンの首へ――。
 奏は二の次を考えず、本能に突き動かされるまま、懐に手を伸ばす。
 ラナ・カンを――!
 二度と――!
「ラナ・カン! 避けろ!」
 奏は叫ぶと同時に、小さな塊を懐から取り出した。
 ラナ・カンは動かない。
 奏は手に持った塊を頭上に掲げる――。
 
 
 
 クロスが選択すべきは、やはりまず様子を見ることだった。
 目の前の敵を倒そうと躍起になったことが、すでにクロスに冷静な判断を奪っていた確たる証拠であった。
 体を回転させて、猫の獣族の首をはねようとした瞬間、クロスの体を鉛の塊にさせたような倦怠感が剣の動きを鈍らせた。
 何が起きたのか分からなかった。
 急に金縛りのような感覚さえ襲ってこなければ、確実に眷族の首をはねていたはずだった。
 鈍った刃は、再びラナ・カンの牙に捕らえられることになる。
 加えて、宮殿全体を覆うように張っていた結界が、真空の穴に吸い込まれるかのように消えうせてしまったのだ。
 自分で結界を解いた覚えはない。
 なぜ結界が消えた?
 それに、なんだこの倦怠感は。
 クロスの長剣を、がっちりくわえ込んだ眷族の背後で、奴隷がいつの間にか立ち上がり、手に持った小さな塊を頭上に抱えている。
 奴隷の目からはすでに激しい憎悪は消えうせ、まるで無垢な少年のような、悲痛そうな表情が見え隠れしていた。
 この奴隷が何かをしたに違いなかった。
「おまえ……一体何を……!」
 クロスが愕然と口を開くと、奴隷の目がクロスを捉えた。先ほどとは打って変わって戸惑うような視線。
「ラナ・カンを……傷つけないで」
 表情もさることながら、その声。震えて、か細い声は、人格をそっくり入れ替えてしまったかのように、ただ恐怖におびえる少年のように見える。
「結界は封じました。もう出せないはずです」
「封じただと……!? まさか、どうやって」
「教えます。教えますから、どうか剣をおさめてくさださい。俺はもう、攻撃したりしませんから」
 今にも泣き出しそうに訴えてくる奴隷。
 どういうことだ。
 現状が理解できず、ひどく奇妙に感じて思考が停止状態に追い込まれる。
 クロスは目の前のラナ・カンを見る。純白の猫は長剣に噛み付いたまま、ただクロスを見返している。
「クロスさん。お願いです。ラナ・カンを傷つけないで」
 この体を鉛にさせる脱力感と、発動を試みても現れない結界。クロスは張っていた殺気を解いた。
 不可解だが、確かに結界は出せず、体は思い通りに動かない現状。様子を見るしかない。いま強硬手段に出るのは得策ではない。なにより、本能が「いったん剣を引け」と訴えている。
「分かった。剣は治める」
 言ってみた。そういう表現が妥当。剣を治めるといったときの奴隷と獣族の反応を確かめたかった。
 奴隷はクロスを見ていた。クロスは先ほどと違う戦慄を覚えた。憎悪を刃にして射抜くような視線ではない。クロスの目を通じて、本心を見抜くような抗えない視線。
「ラナ・カン……大丈夫だよ。剣を放して」
 奴隷がそう言うと、眷族は素直に剣を解放した。
 クロスは瞬時にして距離を置く。だが、宣言どおり剣は背中に背負った鞘に治めた。
 先ほどから次々に信じられない事態が起こる。結界で封じたはずの眷族を召喚され、眷族の首を切り落としたと思った瞬間に結界がとかれ、クロスの体は金縛りを食ったかのように思い通り動かせない。
 次に起こる事態が予想できない。クロスはいったん、剣を引く「ふり」をするしか選択肢が無かった。
 
 
 
「俺は……なんてことを……」
 奏は両手で顔を覆った。訪れる暗闇で、一ツ目族が体を分断され、絶命する光景がまざまざと蘇ってきた。
 正気ではなかった。それは確かであるが、記憶は鮮明である。確かに一ツ目族を殺そうと思ったのは確かであるし、一ツ目族を葬ったときの感情は記憶に残っている。
「奏……」
 顔を起こす。
 そこにはどんなことをしてでも会いたかった顔があった。
 そして、どんなことをしてでも謝りたかった。
 謝るどころか奏の喉は潰れてしまったかのように声が出ない。声が出ない憤りを、涙を流すことで代替する。
「そんな……顔をするな、奏」
 声を出すのもつらそうなラナ・カン。
 謝りたい。
 ごめん、ラナ・カン。
 約束を守れなくてごめん。
 でも、また会えて心の底から嬉しい。
 嬉しいが、俺は……。
「奏……私は……」
「ラナ・カン……」
 ようやく声が出た。
「ラナ・カン……。死んだんだと思ったんだぞ」
 声が出たと思ったとたん、涙腺が耐え切れ無そうに悲鳴を上げ、大量の涙をあふれさせた。
 再会の感激と、耐え切れぬ罪の意識に胸が張り裂けそうだった。
 お前に再会する前に、俺はとんでもないことを……。
「……知っている、奏。……全て知っている……貴殿がこの世界に渡ってきて……過ごしてきた時間全てを……奏の感情も……共有し……」
「俺は……一ツ目族を」
「それは……貴殿の本心ではない……眷族に……心を操られ……」
 分かっている。それは心を操られた本人が一番理解している。だが、抵抗しようとすれば出来たのだ。奏は選択したのである。眷族が提供する負のエネルギーを受け入れ、心を支配されることを。そうして得られる力を欲したのである。
 そして、奏はあの瞬間、一ツ目族を殺せと眷族に命じた瞬間に感じた、一ツ目族の命を虫けら同然に思った、あの感情。
 もう、ラナ・カンに顔向けできるような自分ではない。
「約束は……忘れていない……」
 ラナ・カンがほほを奏に摺り寄せてきた。
「貴殿は……私に……約束を……」
 家族に会わせると約束した。
 あのころは、こんなことになるなど想像もしていなかった。
 自分がこんなに変わってしまうなんて思ってもいなかった。
「心配……するな……貴殿は……貴殿のまま……なにも変わっていない」
 奏はラナ・カンの首に腕を回して抱きしめた。
「奏……まずはこの場を……」
 奏はラナ・カンの肩越しにクロスを見た。
 奏は打ちひしがれて絶望してしまいそうになる心を必死に押さえつけながら、ゆっくりとクロスに歩み寄った。あるいはクロスがこのまま奏の首を切り落とすのではないかと思ったが、それはそれでよかった、
「……すみませんでした、クロスさん。こんなことするはずじゃ……」
 ぺこりと頭を下げる奏。その状態で目を瞑り、返答を待つ。このまま首を切り落とされるのか。
 返答が無いまま膠着したので、奏は顔を起こす。
「クロスさん、俺はユーナという女の子を捜しにここまで来ました。決して攻撃したり、破壊するために来たんじゃありません」
 クロスの眉が微妙に動いた。
 クロスは直立していたが、決して油断する様子も無く口を開く。
「ユーナ? お前はここにその者を探しに来たと?」
「クロスさん、俺に敵意はありません。ただ、ユーナを探していただけです」
「お前は眷族を用いて、宮殿を襲った。その事実に変わりは無い」
 一ツ目族を葬った瞬間の記憶と、逃げ惑う三ツ目族を攻撃したときの記憶が再び奏の胸を切り裂いた。
「とんでもないことをしてしまいました。俺は……どうしたら……」
「大人しく捕らえられる事だな」
 ラナ・カンが奏の横に立った。
「私から……説明できる……無礼は詫びる……説明を」
 ラナ・カンはやはりまだ本調子ではないのか、声は苦しげである。
「俺も……説明します。クロスさんにはラリルドさんからの伝言もあります」
 
 
 
 クロスは、奴隷の発した「ラリルド」の名を聞き逃さなかった。
 うかつに目の前の二ツ目族に手を出して、強力な反撃を食らってはたまらない。ここは王族の住む神聖な宮殿であるし、建物をこれ以上傷つけられるわけにも行かず、避難したとは思うが、万が一にも避難し遅れた王族が傷つけられる事態は絶対に避けなければならない。この者らをどうにかする以前に、クロスは王宮を守ることを最優先しなければならない。
 しかし、ここでまさかラリルドの名を聞くことになるとは。
「お前はラリルドを知っているのか?」
「はい……。ラリルドさんに、クロスさんと話をしろと言われています。クロスさんの母親のことも……」
「母親……? おまえ――」
 クロスの頭の中で、にわかに警告信号が明滅する。この二ツ目族、クロスが想像するよりもはるかに危険な存在なのではないか。
 再び張り詰めようとした空気を悟ったのか、眷族が奴隷の横から顔を出した。
「この奏という男は……この国の奴隷ではない……いま、貴殿の結界を解除して見せたことで分かるとおり……おぬしの知らぬ技術を持った……異世界の住人なのだ」
 眷族はそういったあと、深く息をついて目を細めた。弱っている。いまならこの眷族もろとも二ツ目族を葬れるか。
 しかし、失敗の二の鉄は踏めない。まだだ。まだ探る必要がある。
 しかし、クロスの思考はまとまらない。クロスの頭はとりあえず単純な結論を導き出そうとする。
 この眷族と二ツ目族をいったん捕らえることの出来る方法は? 投獄し、尋問して――。
 クロスの考えていることを見抜いたように眷族が息切れ切れに言った。
「クロス殿……どうやら貴殿は……この国の高官らしいとお見受けする……とにかくわれわれに害意は無い……あくまでわれわれを『客』として招き入れてはくれぬか……いろいろと話はできる……しかし……われわれをあくまで『奴隷』……あるいは『反逆者』とするならば……全力で抵抗してくれよう」
 風前の灯のような眷族の言葉は、弱弱しさと裏腹に洗脳してくるような説得力があった。クロスの警戒心がそう思わせているのか。しかし、この二ツ目族と眷族が、あとどれだけの奥の手を持っているか分からない。
 宮殿の防御の要だと思っていた結界が封じられ、強力な眷族を保有する二ツ目族に対し、屈辱的であるが、クロスにはろくな手立てが無い。
 しかし、むざむざ逃がすわけにもいかず、ここは『客人』としてとどめさせ、捕らえる方法を模索するほうが得策である。
 なにより、この危険人物を宮殿から遠ざけることが急務。
 クロスは慎重に、眷族の提案を承諾した。
 
 
 
 客人としての待遇など表向きなフェイクであるが、少なくともいまはクロスが提案を受け入れたことを相手に信じ込ませる必要がある。
 クロスは会談の場所として次元径間鑽孔装置のあるドーム状の建物に案内した。
 なぜここを選んだかといえば、ヴァルアラトス副王の極秘実験を行う実験場であり、その場に居る研究員たちは押しなべて口が堅いからである。
 クロスがここで交わした会話の一切を漏らすことなく、そして何が起ころうと黙秘を貫く。ことさらヴァルアラトス、あるいはヴァルアラトスを護衛するクロスに対して忠誠心の高い人間の集まりである。
 次元径間鑽孔装置なる異次元へわたるための穴を穿つ場所である関係で、建物は結界のごとく強固に作られていおり、いざとなれば施設ごと奴隷と眷族を幽閉することが可能だという画策もあった。
 なにより、宮殿より程遠い立地が、この場所を選んだ一番の理由である。
 ドーム状の建物に入るなり、騒動のことなどなにも知らない研究員はクロスに挨拶をするが、別段不振そうな様子も無い。表向きはまさに「客人」として見えているのだろう。
「イスカ領域……」
 クロスの背後から付いてきていた奴隷が、不意に呟いた。
「いま何か言ったか?」
 振り返ると、奴隷はドーム状の空間の中央付近を呆然と眺めている。そこには円形の舞台が設置されており、ラッパ状の器機がスポットライトを当てるかのように舞台の中心に向いている。
「あれは、イスカ領域。なぜこんなところに……」
 クロスたちは建物の奥まった場所にある個室に向かっていた。その際、次元径間鑽孔装置の傍を通ったのだ。
「イスカ領域とはなんだ?」
 クロスがたずねると、ラナ・カンという眷族が変わりに答える。
「異次元に……続く穴のことらしい……奏……見えるのか?」
「あの円形の舞台のところ。かなり大きいイスカ領域が見える」
 クロスは全身を粟立てた。
 思わず立ち止まり、信じられないものを見るように奴隷を睨み付けた。
 まさか、この奴隷、本当に次元の穴が見えるのか?
 奴隷は合点がいったように目を丸くした。
「そうか……! ユーナはここから現世にやってきたんだ。あの装置、やっぱりイスカ領域を人工的に作るための……」
 クロスは思わず剣に手が伸びかけた。本能が、この二ツ目族が危険であると警報を鳴らしている。今すぐ抹殺すべきだ。柄に伸びかけた手が寸でで思いとどまる。いまは耐えるべきだ。無策で愚かな攻撃は、多大な損害をこうむるだけである。いまは相手を安心させ、情報を聞き出すべき。
「貴様、どうしてそれを知っている」
 クロスはあえて肯定的な言葉を発した。
「やっぱりそうなんですね。ユーナはここから異世界に渡った。ヴァルアラトス副王の命令で。そして一ヵ月後にヴァルアラトス副王とともに帰ってきた。そうですよね、クロスさん」
 その問いには肯定的になれない。なにより真実である。なぜそれを知っているのか。こいつは一体何者なのか。戦慄を覚えつつ、クロスは平静を装う。
 この二ツ目族にあれこれ詮索される前に個室へ連れ込んで、あわよくば捕らえなければならない。一刻も早く。
「話は奥で。こっちだ」
 二ツ目族と眷族をいざなう。異世界から帰ってきたユーナという二ツ目族を尋問した個室である。
 部屋には質素なテーブルと、四脚の木製の椅子。クロスと二ツ目族はテーブルを挟んで向かい合って座り、眷族は二ツ目族のそばに控えた。
「話を聞こう。何の話だったか」
 奴隷と眷族が目配せをした。どちらが話すか、そんなことを確認しているのだろう。結局、口を開いたのは奴隷のほう。
「俺は……ユーナを探しにここまで来ました。宮殿内にある斬首の塔に囚われていると聞いて。脱出したのではないかという噂も聞きました」
「残念だが、そのような者は聞いたことがない。いま、斬首の塔に囚人はいない」
 奴隷は何度もうなずきながらクロスの話を聞いている。「嘘だ!」と感情を高ぶらせる様子も無い。
「……別の話をさせてください」
 ユーナを探しに命がけでこんなところまでやってきたという割には、あっさりと引き下がる。何かたくらんでいるのか。
「これは、ラリルドさんクロスさんへの伝言です。知ってますよね、ラリルドさんは」
 クロスは逡巡する。もちろんラリルドの事は知っているが、肯定してしまってよいものか。
 なによりクロスはこの奴隷の思惑を知りたかった。この二ツ目族が本当にラリルドを知っているとは限らない。どこかで聞いた噂を、クロスの信用を得るために、さも知っているかのように話すペテン師かもしれない。
「ラリルドなら私の部下だ」
 クロスはそう答えて、奴隷の次の一手を待った。
「ラリルドさんはクロスさんの命令で、プティシラという女の子を追跡してました」
 極秘の事項だった。プティシラを追うという任務は、ヴァルアラトス副王からの勅命。クロスと、クロスの周囲に居るわずかな隠密しか知らない事実である。
 こいつ、何を知っている。そして、何を考えている。
「俺は、ファミリアの洞窟というところでコソボ・カユウという人に会いました」
 再び、クロスを動揺させる固有名称がつむぎだされる。
 私はこの二ツ目族に素性を調べつくされているのか。
 どうしてクロスの身の回りのことをそれほど知っているのか。
 やはり、知るべき魂胆が隠されている。これほどの情報収集能力。この奴隷の背景には、反乱組織の存在を疑ってかかるべきだ。
「コソボ・カユウさんは、クロスさんの母親だと聞きました。ファミリアの洞窟の奥深くで、たった一人で何百年も住んでいるそうです。彼女はそこに骨をうずめる決心をつけているようでした」
 こいつを殺せ。防衛本能がクロスに通告する。その度に手が震えた。まだだ、情報を聞き出せ。いや、危険だ。今すぐ殺せ。ひしめき合うクロスの葛藤。
「でも、コソボ・カユウさんは一人家族が居るといっていました。心残りだったようです。それがクロスさん、あなただと聞きました。俺はコソボ・カユウさんを後で迎えに行くと約束してファミリアの洞窟を離れた後、この国の南のほうにある廃墟の町でプティシラという女の子と、ラリルドさんという三ツ目族の人に会ったんです。その人からクロスさんが上司であること、そしてコソボ・カユウさんがクロスさんの母親だって聞いたんです」
 クロスは沈黙を貫き、二ツ目族の双眸をにらみつけ続けた。こいつの真意。たくらみ……。
「ラリルドさんは、コソボ・カユウさんに会いにファミリアの洞窟に行きました。それを伝えるように、俺は伝言を頼まれました。それから、俺はコソボ・カユウさんには、クロスさんと一緒にファミリアの洞窟へ迎えにいくと約束しました」
 迎えにいく? いうに事欠いて、この私と母を洞窟まで迎えにいく?
 こいつの魂胆はまさにこれか。宮殿防衛の要であるクロスを宮殿から引き剥がし、その隙に反乱軍を宮殿に送り込む。
 そんな姑息で稚拙な罠に引っかかるものか。
「分かります。クロスさん。信じてませんよね。そりゃそうです。この国の中心地を守る人だから……。でも、本当なんです」
 二ツ目族は悲しそうに微笑む。
「俺は城を壊したり、一ツ目族を殺めて、たくさんの三ツ目族を傷つけてしまいました。それについて謝りたいです。でも、正気に戻った今でも、やっぱり二ツ目族に対する三ツ目族の仕打ちは許せないとも思っています。クロスさんも二ツ目族のことを虫けらのように思ってるんですか? もしそうなら俺はクロスさんと一緒にコソボ婆のところに行こうとは思わないし、これ以上話もしたくないです」
 一緒に行こうとは思わない? 話をしたくない? クロスは思考がまとまらない。やはり、まだこの二ツ目族の魂胆がつかめない。
 その時、眷族が口を開く。
「奏……申し訳ないが……真実であっても……そんな話が通じる相手ではない」
 二ツ目族はうなずいた。悲しそうに。
「クロス殿……私はラナ・カンと申す……国際連盟の特使……次元調査機関の調査員……。この国の副王であるヴァルアラトス殿が……組織した機関であるから……知っていることと思う……」
 知っている。
 眷族も奴隷も、なぜこうすらすらと極秘事項が口から出てくるのか。
「私は……国際連盟の命を受け……不安定な次元径間鑽孔装置にて……異世界へ渡ったのだ……そこで会ったのが……ここに居る奏という男……この国の二ツ目族ではなく……異世界の人間だ……この男は貴殿らが……異世界に送り込んだユーナという者を……探しに……こちらの世界に……やってきたのだ」
 たどたどしい眷族の言葉を聞きいている途中に、クロスはくだらなくて耳をふさぎたくなった。
「確かに異世界の存在は信じるが、どう見てもこの男は二ツ目族だ」
「もう一つの世界は……二ツ目族が支配する世界……貴殿のような三ツ目族も……私のような獣族も……存在しない世界……信じられないだろうが……事実だ……だが……これだけは信じてほしい……この男は悪人ではないし……貴殿らの敵でもない……」
「いいんだ、ラナ・カン。きっと信じろというほうが無理なんだ」
「私の……」
 クロスは口を開きかけてつぐんだ。
 奴隷がクロスを見る。
「なんでしょうか」
「いや……」
 異世界の住人。悪人ではない二ツ目族。国際連盟の特使。異次元調査員。馬鹿にするなと一喝することは簡単だが。
「私の結界を、どうやって破ったのだ」
「それは……」
 答えようとした奴隷を、眷族が制した。眷族は何かを奴隷に耳打ちする。なにかを聞き取った奴隷はゆっくりと首を横に振る。
「いいんだ、ラナ・カン。大丈夫だから」
 そう言って、奴隷はクロスに目を向けた。奴隷生活に疲弊し、希望を失い、死人のような目をしている奴隷とは明らかに異質な瞳。
「これです」
 奴隷はテーブルの上に、小さな塊を滑らせてクロスの目の前に差し出した。
 置かれた小さな塊は、立方体の小さな箱のような物体。黒く艶だった表面には、奇怪な紋様のようなものが彫られている。
「御札といいます。簡単に説明すると、力を封じ込めることの出来る入れ物のようなものです。いまはこの中にクロスさんの結界術が封じ込めてありますが、その前は空の状態でした。この入れ物の中に、クロスさんの力を吸い込むことで、結界を解除したんです」
「入れ物……このようなものは見たことが無い」
「クロスさんからすれば、異世界のものです。いまはクロスさんの力を封じ込めていますが、逆に発動することも出来る道具です」
「奏……それ以上は」
 ラナ・カンがとがめるが、奴隷はかまわず喋る。
「後もうひとつ持っています。これも空ですが、グロウリン城塞都市にやってきたときは、あと三つ持ってました。中にはラリルドさんの物体操作の力と、衝撃波の力と、風の力を入れてもらってありました。みな、譲ってしまいまって手元には無いですが」
 物体操作、衝撃波、風、それは紛れも無くラリルドの力。中でも風使いと呼ばれたラリルドの風の力は、グロウリン王家の人間の力を凌駕するといっても過言ではない。
 それらは、この奴隷にとって奥の手であったはずだし、保身のためには決して口外してはならないことだったに違いない。眷族もそれを奴隷に伝えたのだろう。あえて手の内を暴露することは、この場でクロスに首を飛ばされても文句を言えない。
 反面、大きな賭けでもある。
 手の内を暴露することで、クロスの信頼を得るという。
 それくらいの覚悟でこの場に居るということか。
 こいつ、ひょっとして本当に真実を語っている?
「クロスさんに伝言を伝えることが、ラリルドさんとの約束でした。信じてくれたかどうかは分からないけど、とりあえず約束が果たせてよかった。でも、俺の一番の目的はクロスさんに伝言を伝えることではありません。俺はユーナを探しています。二月ほど前にこちらの世界に渡ってきてから、ユベリア大衆国を南から北上しながらユーナを探し続けてます。そして行き着いたのがここなんです。どうか、教えてください。ユーナは斬首の塔に幽閉されているんですか?」
「……ユーナは……確かに斬首の塔に幽閉されていた」
 クロスが口を開いたとたん、二ツ目族も眷族も驚愕の表情でクロスを見た。自分でたずねておいてなんだその顔は、まさか、教えてくれるなど針の先ほども思っていなかったような顔である。
「ユーナは斬首の塔を脱獄し、グロウリン城塞都市さえ脱出して、北へ向かった」
 そう話した次の瞬間だった。これまでで一番クロスを動揺させ、戸惑わせ、混乱させることが起こった。
 極寒の吹雪の中を歩いてきたあとに、芯まで凍えきった体を熱い湯船に浮かべたかのような、なんともいえぬ表情を奴隷が浮かべたのである。尻から空気を抜いたかのように、脱力してテーブルの上につっぺしそうになる奴隷。
 何度も何度も息をついて、項垂れている。
 テーブルの上に雫がしたった。
 一滴、二滴。
 雫が落ちるたび、じゅ、じゅ、と音を立てたかのように、クロスには聞こえた。
 顔を起こした二ツ目族の双眸には水の膜が張っており、神を見るようにクロスを見つめてきた。
「い、生きてるんですよね、ユーナは」
 なんなんだ、この男は。
 クロスを欺こうと虚言を吐いている。その懸念は消せないが、逆説的に全て真実を語っているとしたら?
 命を賭して酷遇の城塞都市の奴隷としてやってきて、ついには「ユーナに会う」という思い一つで宮殿までやってきた。それらが全て真実だとしたら、そしてその道程でラリルドに会い、コソボ・カユウに会ったという過程がすべて真実だとしたら、この男――。
「……城塞都市を脱出したあとの情報は、私は知らされていないが、脱出したときは生きていた。それに、まだ捕らえられたという情報は入ってきていない」
「生きてる……!」
 傍で眷族が目を細め、大きく息を吸い込むとゆっくり吐いた。安堵の表情。獣の顔であっても良く分かる。
 クロスの胸の中で鳴り響いていた警報はいつの間にか止んでいることに、クロス自身気づいていない。
「北……北か……」
 一心不乱にそう繰り返す奴隷――いや、異世界の少年なのか。
 すると、思い立ったかのように立ち上がる異世界の少年。
 必死な顔をクロスに向ける。
「クロスさん、ありがとうございました。それに、城をちょっと壊しちゃってごめんなさい。俺、逃げますね」
「に、逃げるだと?」
「もう行かないと。ここにユーナはいない。俺も北を目指します」
「ま――」
 待て、そう言おうとして、喉が詰まった。
 クロスはうんざりするような気持ちで天を仰いだ。
「あけすけないものの言い方をするやつだ。逃げるだと? 城を襲撃しておいて、簡単に逃げられるとでも思ってるのか」
「俺はここで罪を犯しました。一ツ目族は命を……償わなければいけない。でも、俺は三ツ目族の二ツ目族に対する仕打ちも許せない」
 先ほどまでに気弱な印象は打って変わり、まるで後光の差した英雄気取りの顔で言った。
「逃げることも以前なら無理でした。でも、いまはラナ・カンがいる。それに、結界はいくらでも封じることが出来る。それでも逃げられてはクロスさんが困るっていうなら、少し考える時間を……」
 困るというなら? 困るに決まっている。城に襲撃してきた二ツ目族をむざむざ逃がす? そんなことがあり得ていいわけがない。
 この私は宮殿を守護する警備の長であるのだ。
 クロスはため息を漏らす。
「せめて……もう少し破壊しろ」
 クロスがそういうと、奏が目を丸くする。
「ただし、城と宮殿以外だ。逃げるのはこの周囲の研究施設を多少破壊してからだ」
「破壊って……」
「強大な敵だった。捕まえるのは困難。追い払うことで精一杯。私にそのくらいの言い訳を用意してから居なくなれ言っている」
 異世界の少年は再び泣きっ面になった。
「それに、最後に情報を提供していけ。いま、ラリルドはどこに居る?」
「ファミリアの洞窟だと思います。今頃はコソボ婆に会えてるかと思います」
「なるほど。あと気になっていることがある。お前が初めて私と対峙したとき、なぜ奴隷番号を名乗った? お前は奴隷ではなかったのだろう」
「奴隷です。69番です。俺はクロスさんに会うため、それからユーナを探すために奴隷として城塞都市に来たんです」
 ああ、本当なのか。こいつは何から何まで、一つ残らず本当のことを言っているのか。
「奴隷として城塞都市にやってきて、ついに私のところまでたどり着いたと? なぜお前は城塞都市内で眷族を召喚することができる?」
「それは……分かりません。ただ、ラナ・カンは眷族じゃありません。俺の友達です。それに、あの鎖の巻かれた奴は……。俺にも良く分かりません。ファミリアの洞窟で……。いや、やっぱり分からない。何でだろう」
 クロスは憎しみと疲労感が頭上からのしかかって気がした。
「まあいい。もう行け。私の気が変わらないうちに」
 最後に、異世界の少年はにっこりと笑顔を作った。
 そして、とんでもないことを口にするのである。
「俺はもう一度、ここに戻ってきます。今はまだ、俺には何の力も無いけど、ユーナを見つけたら必ず戻ってきて、一ツ目族の命を奪ってしまった償いと、それからここに囚われている奴隷たちを解放しに来ます」
 奴隷を?
「そんなことはできない。今日からお前はわれわれの明確な敵となる。もちろん、追っ手も差し向けることになるだろう。お前が逃げのびることができるのは、ほんのわずかな時間だろう」
「それでも戻ってきます。そのときは、きっと奴隷を解放します」
「そのときは、私も策を講じておくがな。お前が城塞都市を襲撃するというのなら、その前に潰すさ」
「襲撃なんてしません。それに、力づくなんてこともしません。俺はコソボ・カユウさん、ラリルドさん、クロスさんに会って分かったんです。三ツ目族は悪人じゃない」
「くだらない。生きとし生けるものはいつだって搾取する側とされる側。搾取される側にとって、搾取する側がいくら善良であっても善人にはなりえん」
「違います。分かったんです。みんな、未熟なだけなんだ。平和とか、平等とか、そういうことについて未熟なだけ。だから、きっといずれ分かってくれる。人が人を虐げるなんて、こんなことがあってはいけないって」
 未熟だと。
 この私が子供に未熟呼ばわりされるとは。
「お前の御託はもう聞きたくない。もう行け。いいか、約束を忘れるな」
 異世界の少年はこくりとうなずいて、クロスに背を向ける。
 ところが、眷族はまだクロスを見ている。
「クロス殿……貴殿に伝えたいことがある……おそらく言っても何の意味もないし……貴殿の尊厳を傷つけて……しまうかもしれん」
「……なんだ?」
「噂だが……この国には王が不在であると……国際連盟の中で……ささやかれてる……」
「王が不在?」
「ルルアラトス王のことだ……クロス殿……ルルアラトス王の姿を……貴殿は見たことがあるか……? あるとして……それはどれくらい前になる……?」
 鼻先で笑い飛ばしてやろうと思ったが、最後の問いがクロスの笑いかけた口角を硬直させる。
 ルルアラトス王を見たことがあるか?
 あるとして、それはどれくらい以前か。
「毎日、御姿を拝見している」
 ラナ・カンは探るようにクロスの瞳を覗き込んでから「そうか……」と静かに言った。
「もうひとつ」
 そう言って、ラナ・カンは最後の付け加えた。
「ヴァルアラトス副王の……たくらみは常軌を逸している……国際連盟が……ヴァルアラトス副王に……猜疑心を抱いたのは……一度や二度ではない……ここにきて……ようやく気づき始めている……国際連盟は……ヴァルアラトスに……操られているのではないか……そして……調査部門は……ある情報を手に入れた」
「貴様、副王を侮辱するのは許さん」
「……そうか……すまなかった……」
 情報と言ったな。
 その情報とは?
 それを訊いてしまった瞬間、クロスはヴァルアラトス副王への忠誠が揺らいでしまう気がして、たずねることができなかった。
「それじゃ、クロスさん、また……」
 異世界の少年はその言葉を残し、部屋を出て行った。
 クロスは呆然と、末尾に添えられた「また」という言葉の意味を考えていた。また? この少年はその意味を理解して言っているのか。
 クロスはうんざりするように天井を見上げた。
 一度大きく息を吸い込んでから、そしてゆっくり息を吐く。
 それから、常にクロスの傍に控えているはずの隠密を読んだ。名を呼ぶと、音も無く部屋に訪れる隠密。
「事情は分かっているな?」
 御意……と隠密は胸に手を当てる。
「あの二ツ目族と眷族の後を追え。いずれ仲間なりアジトなりに接するだろう。気づかれぬよう泳がせて情報を集めろ」
 そう告げると、隠密は恐縮しながら言った。
「仮にも宮殿を襲撃した奴隷……抹殺せずとも良いのですか?」
「あの少年は極秘な情報を知りすぎている。背景に反乱組織の存在があるかもしれん。もしそうなら、ここで抹殺するのは得策ではない。それに、ヴァル様からの命令もある。ヴァル様の留守中に二ツ目族を殺すなと命を受けているのさ」
 ひょっとしたら、この事態を予見した上でのご命令だったのかもしれない。ヴァル様の真意は分からないが、あと少しで命令に背くところであったことは間違いない。
「情報を掴んだら……あるいはたいした人物で無いと分かったら……」
 クロスは一瞬、逡巡する。
「暗殺しろ。確実にな」
 御意……。
 暗い声を出して、再び音も無く部屋を出て行く隠密。
 クロスは再びため息を漏らす。
 まったく、城の警備だというのに激務だな。
 さて。
 クロスはテーブルの上に置き去りにされた御札という道具を手に取った。
「ヴァル様がお喜びになりそうな玩具だな……」
 誰にも聞かれないよう、口の中だけで呟いた。


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