あっちから変なの出てきた

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第十五章 【 虚無への入り口 】


 そのまま眠り入っていた奏は、目を覚ますと地下倉庫内が明るくなっていることに気づいた。
 地下空間といえども、天井には太陽光を取り込む幾つもの天窓が見えた。
 顔を起こすと、地下倉庫内は人々のざわめきでどよんでいた。
「……最近、減りが遅いな」
「ああ、詰め込まれるだけ詰め込まれて、増えていく一方だ」
「足も伸ばせない。居なくなっていいようなやつは散々いるんだ。となりの牢のカムサイは喧嘩するわ、いびきはうるさいわ、早く連れて行かれればいいのに」
 目の前の男二人で交わされる会話。
 隔世にやってきてから毎日、目を覚ますたびに思う。
 ――これは現実か。
 奏は周囲に視線を移す。
 遠くの牢に、新たな二ツ目族が三人、詰め込まれようとしているのが見えた。周囲に動揺はなく、無関心。牢に入れられる二ツ目族たちでさえ、何の感情も示さなかった。
 家畜でも抵抗する。
 なぜ、二ツ目族は大人しく自分の運命を受け入れるのか。
 そう思って、昨晩の自分を考える。
 なにが違うというのだろうか。
 自分とほかの二ツ目族とは一緒ではないか。
 みな、自分の命のはかなさを受け入れている。
 なにを起こそうと無意味なことを悟っている。
 ここで大声を出そうが、暴れまわって鉄格子を叩こうが、それは周囲の二ツ目族の感情を触発して、内部で争いごとの発端を生むだけだと知っている。
 大人しく、最後のときを静かに過ごそうと、みな静かに待っている。
 待っている。
 ――最後を。
 大人しく牢に収容される三人を見つめる奏。その視線上には、隣の牢が見えた。隣の牢にいる少女が、奏を見ていた。
 ふと、目が合った。少女は年のころ、十に満たない幼い子。傍にいるのは母親だろうか。肩を抱かれながら、無表情でこちらを見ている。
 奏は力なく微笑んだ。
 何のための笑みだろうか。
 少女は目を逸らし、母親の腕の中に顔をうずめた。
 ここには女、子供もいる。
 前に聞いたことがある。
 グロウリン城塞都市にいるとき、なぜ奴隷は男しか居ないのかと。
 誰に聞いたのか覚えていないが、答えは確か、こうだった。
 ――ここにいるのは労働力だけ。女や子供には、ふさわしい使い道がある。
 身の回りの世話をさせる召使。それはソル、コッシなどといった階級での最上位の仕事であるといった。ならば、ここにいる女子供は、いったい。
 ――性奴隷。
 その文言が頭に浮かんだとき、奏は再び少女を見ていた。
 あんな幼い子供でも、性奴隷となりうるのだろうか。
 三ツ目族が二ツ目族の子供を養子にとるようなことはない。位の高い奴隷でなければ、奴隷の行き着く先は死。
 どんな死に様か。
 想像して恐ろしくなり、奏は少女を見た。
 少女は母親の腹の辺りに顔をうずめている。母親は呆けたように宙を見つめている。
 俺は、忘れていなかったか。
 この世界には、奴隷として囚われる無数の二ツ目族がいる。
 無常に屠殺されていく人間たちが。
 いまも、この瞬間も。
 少女が再び奏を見ていた。
 少女がこれから進む、運命を憂う。
 自分には、この少女を助けることができないだろう。
 この牢獄に閉じ込められ、身動きを封じられ、ただ、殺されていく二ツ目族たちを見ないように顔を伏せているしかない。
 やがて救いの手のように、自分の番が回ってくるそのときまで。
 奏はいったい、どんな表情をしていたのか。
 奏の顔を見た少女は、おもむろに微笑んだのである。
 労わるように、癒すかのように。
 奏はいたたまれず、涙をこぼした。
「ごめん……」
 思わず、謝っていた。
 助けてあげられずにごめん。
 君は俺に笑いかけてくれたのに、俺にはどうすることもできない。
 本当にごめん。
 少女は立ち上がると、奏のいる牢の鉄格子に近寄ってきた。
 すると、小さな腕を伸ばし、鉄格子の間から手を伸ばしてきた。
 なんだろうと思い、その手を見る。
 その手には小さな塊が握られている。
 奏も手を伸ばし、少女の小さな手から塊を受け取った。
 少女の手に温められた小さな塊は、ルビーのような光を持つ飴玉だった。
「隔世にも飴が……?」
 少女の手に握り締められていた飴玉は、表面が解けてべたついている。少女の取って置きのお菓子だったのか。
「俺にくれるのか……?」
 すると、少女がこくりと頷いて見せた。
 少女が隣の男の房に手を伸ばしていることに気づいた母親が、慌てて少女を引き戻す。
 男と話してはだめ。乱暴されるわよ。
 と少女に声を掛けながら、鋭い目つきで奏を睨んだ。
 奏は母親から顔を背ける。
 そして手に取った飴玉を見る。
 君は……これで俺を癒してくれようとしたのか。
 君を見捨てようとしたのに。
 君は俺を助けようとしてくれたのか。
 堪らなかった。
 手の平に転がる飴玉は、どんな貴重な宝石より高価なものに思えた。
 ――ユーナ。俺は、もうだめかもしれない。もう、君に会うことができないかもしれない。
 奏は飴玉を口に放り込んだ。
 口に広がる甘さは、現世以来の味覚を刺激し、家族や友人の姿を思い出された。胸の中を縦横していた膿んだ傷跡が、少しだけ癒えた気がした。
 
 
 
 奏は一日中「ごめん」と繰り返しつぶやき続けた。
 少女に、少女の母親に、家族に、ユーナに、ラナ・カンに、ここにいるすべての二ツ目族に。
 無力でごめん。
 弱くてごめん。
 時間が過ぎていく。日の傾きは天窓から知ることができる。夜の近づく夕暮れ。牢の中はいつもと変わらない。日に一回の食事の配給のときだけ、地下空間は若干の賑わいを見せるが、それ以外は誰もが息を潜め、短い会話を交わしている。時々子供の泣き声、喚き声が聞こえたり、大人の男同士が喧嘩する怒号が聞こえてくるが、すべてが他人事である。
 
 がたん
 
 と音を立てて地下空間の扉が開かれる音がするたび、二千人ほどの二ツ目族たちが顔を起こす。高い位置から階段を下りてくる三ツ目族を見つめ、なにが起こるのか注目する。
 新しい二ツ目族が牢にぶち込まれるのか、誰かが牢から連れ出されるのか。
 今回は後者だった。地下牢にやってきたのは十人ほどの三ツ目族。三ツ目族は物色するように地下牢を歩き回り、見定めた二ツ目族を一人につき、一人ずつ連れて行った。
 すべて男だった。連れて行かれる男たちは騒ぎ立てたりせず、自分の順番が回ってきたことを必死に受け入れようと唇を強く結んでいる。
 グロウリン城塞都市に居たときも、同じような場面を見た。だが、ちがう。なにより、いま自分の心模様がまるで違った。
 二ツ目族の男たちが連れて行かれようとも、それが死の宣告であろうとも、奏の胸は重く暗闇に閉ざされている。墨汁が満たされる凪いだ海のように、波ひとつなく鏡のような水面が広がっている。
 これが隔世であると納得したように。いつしか自分の番がやってくるのだ。同じ運命をたどる。決していま連れて行かれた二ツ目族と違う処遇を受けているわけではなく、結果が早いか遅いだけ。だから許してくれと懺悔すれば救われると思っている。
 そのとき、奏の二の腕あたりを誰かが突いたのに気づいた。
 見ると、隣の牢から、奏に飴玉をくれた少女が指先で奏を突いている。
「ねえ……お名前を教えて……」
 小さな声で、ささやくようにそう言った。少女の傍では母親が鉄格子にもたれながら寝息を立てている。
「会話するのは良くないよ」
 奏も小声で答えると、少女はじっとつぶらな瞳で奏を見上げている。
「……分かったよ。俺は奏」
「かなで?」
「そう」
「私はサキ。よろしくね、カナデ」
 少女はそう言って、にっこりと笑う。
 奏は笑みを返せない。
 奏は少女が恐ろしかった。
 少女の他人を恐れない無垢な印象と、愛らしさが恐ろしくて堪らなかった。
 いずれ死んでしまうのに。
 三ツ目族の性玩具にされて、何も知らないこの子は、想像を絶する恐怖の中で死に行く運命にあるのに。
 そんな少女に接する事が恐ろしくてたまらないのだ。
「飴、おいしかった?」
 だめだ。もう彼女を見れない。
「最後の飴だよ。もう全部なくなっちゃった。ごめんね」
 奏はたまらず少女を見た。少女は奏の服の裾を掴んでいる。
「なんで謝るんだ?」
 そう聞くと、少女は「だって、もうあげられないから」と答える。
「でも、君が謝る必要はないんだよ。謝るのは俺のほうなんだから」
「どうして?」
 少女と交流するたび、奏の中身は悲鳴を上げる。
 どうして?
 それは、君を助けられないからだよ。
「なんで君は俺に話しかけてくるんだ」
 そう尋ねると、少女は一度、母親を振り返ってからもう一度奏を見た。
「パパに似てるの」
「俺が?」
 こっくりと頷く少女。
「どこが似てる?」
「……わかんない。なんか、雰囲気が」
 父親と俺を重ねたのか。でも、少女の父親ならば、少なくとも奏より年上だろうし、奏は父親と言われるほどの年齢を重ねていない。
「お父さんはどうしてるの?」
「わかんない。連れてこられてからずっと会ってないの。でも、ママが言うには、きっとパパがやってきて私たちを助けてくれるって」
 助けてくれる。
 二ツ目族が、三ツ目族の領域にやってきて、自分の妻と娘を救い出す。
 これがどれほどの希望なのか。
 どれほど希薄な夢物語か。
 ごめん、サキ。それは絶対ありえないよ。
 誰も助けてくれないんだ。
 運命は、何も変わらない。
 俺たちはここで、順番を待っていることしかできない。
「そうか……。お父さん、早く来るといいね」
「うん。そしたら、カナデにも会わせてあげるね。やさしいから、きっとカナデも好きになってくれるよ」
「うん」
 死ぬのに。
 もうすぐ殺されるのに。
 君はもうすぐ、三ツ目族たちに蹂躙されて死ぬんだよ。そう教えてあげればいいのに。
「お前の親父はとっくに死んじまってるさ」
 そう声を上げたのは、傍で会話を聞いていたであろう別の二ツ目族の男。
 少女は目を丸くして男を見た。
「助けに来てくれるって? 俺はここに長いこといるが、誰かが助けに来てくれたことなんて一度もないぜ。お前の親父は、聖人様に尻から槍を突き刺されてどこかでくたばってるさ」
「助けに来てくれるもん!」
 少女の声は思いのほか高く、声は地下牢に響いた。
 
 がたんっ
 
 地下牢の扉が開かれた。
 三ツ目族がやってきた。
「絶対に生きてるもん!」
 少女が再び叫んだ。
 茶々を入れた二ツ目族の男は、三ツ目族がやってきた途端、顔を伏せて口を閉ざした。
 地下牢にやってきた三ツ目族は、先ほど十人ほどの二ツ目族を連れて行った三ツ目族と同じ者たちである。
 再び、地下牢を練り歩く三ツ目族。自分たちの牢の前を歩く三ツ目族を決してみようとせず、ただや臭いが向こうから去ってくれることを祈るように顔を伏せている。
「パパは来るもん! パパは何だってできるもん!」
 目に涙を溜めて、喉が裂けんばかりに声を張り上げる少女。
 母親が目を覚ます。
「サキ、黙るんだ」
 そう言ったのは奏。ところがサキはまるで取り合わない。
「パパが来たら、助けてあげないから! パパが来て、助けてって言ったって助けてあげないから!」
 母親がサキの背後から口を押さえ込んだ。母親は奏を睨みつける。
「あなた、この子になにを言ったの?」
「俺じゃない」
 口をふさがれても、少女は必死に喚き散らしてくぐもった声を上げる。
 奏は地下牢に降りてきた三ツ目族を見る。三ツ目族たちは騒動に気づいて、こちらを見ていた。一人の三ツ目族がこちらを指差すと、周囲の三ツ目族も何かを口走る。
 会話は聞こえてこないが、三ツ目族たちのつま先がこちらにむいたのは分かった。母親もそれに気づき、再び奏を睨みつけた。
「娘に何かあったら……!」
 奏は釈明するより、人差し指を唇に当てて、母親を黙らせた。
 これ以上目立つな。
 少女の不幸は、自分が死ぬよりも、母親を失うことかもしれない。
 順番が違うだけ。早いか遅いかだけ。結末は変わらない。だけど、少しでも結末を遠くに。少しでも傷が浅くて済むように。
 三ツ目族がこちらに向かってくるのは間違いなかった。
 奏はほかの二ツ目像たちが一様に顔を伏せる中、一人は顔を上げていた。やがて牢の前を通る三ツ目族。その顔を見た。
 三ツ目族。
 なんて冷酷な目。
 体つきも違う。一様に身長が2.5メートルはある大男たちで、骨格が強靭さを物語っている。奏を見下ろす三つの目ははるか頭上かなた。
 怪物である。
 こいつらみんな、化けもんだ。
 三ツ目族は奏の牢の前で立ち止まった。三つの目が奏の視線と重なる。
 十人ほどの三ツ目族が奏のいる牢の前で足を止め、全員がいっせいに奏を見た。
「初めでだな」
「ああ、初めてだ」
 小声で三ツ目族同士、会話を交わしている。
「例の男だ」
「やはり、例の男か」
「われわれに目を合わせる二ツ目は初めてだ」
「だいぶ違うな」
「ほかとは違う」
「ああ、別ものだ」
 時々、奏の耳にも届いてくる三ツ目族同士の会話。
「そういえば、子供の声がしたが」
「この辺の子供が騒いだらしい」
「騒ぐ子供はわずらわしいな」
「どいつだ」
 三ツ目族は嘗め回すように周囲の牢を眺める。
 騒ぎ立てた子供。
 それは見るからに明らかだった。
 サキは腕や足をばたつかせて、母親が押さえ込もうとするのに必死に抵抗していたからだ。
 三ツ目族はサキに向かって顎をしゃくった。
 周囲の三ツ目族も頷いてみせる。
 一人の三ツ目族が、腰につけていた牢獄の鍵を取り出した。奏の隣の牢の南京錠を外しにかかる。それに気づいた母親は絶望に青ざめた顔を上げた。自分の牢が開かれようとしている。
 母親は殴られたかのように顔を奏に向けた。その顔に称えられる絶望感と恐怖と怒り。
「あなたのせいよ……!」
 胸が切り裂かれた。
 一生消えない傷がまたひとつ。
 三ツ目族が牢屋に立ち入り、足元に転がる小動物のように二ツ目族の女たちを蹴り飛ばしながらサキに近づいていった。
 サキと母親の正面に立ったとき、母親が絶叫した。
「やめて! この子を連れて行かないで!」
 三ツ目族は答えない。
 家畜がいかに泣き声をあげようとも、同情して許してやる者はいない。
「やめて!」
 三ツ目族は母親のうなじあたりを掴むと、乱暴に投げ捨てた。牢の反対側の鉄格子に激突し、死んだのか、意識を失ったのか、動かなくなった。
 その場に取り残されたサキ。
 呆然と巨躯の三ツ目族を見上げている。
 少女からすれば巨人に等しい三ツ目族の手がサキに伸びる。
 連れて行かれるのか。その場で少女の頭を握りつぶす気か。
「その子に触れたら殺す」
 三ツ目族の手が止まった。
 どこから聞こえた声か。
「脅しじゃない。俺が見えるか、化け物」
 誰だ。誰の声だ。
 まさか、少女の父親が本当に……。
 三ツ目族は奏を見た。
 憎しみのこもった三つの目を奏に突き刺すように。
 なぜ俺を見る?
「お前の愛する人を殺してやろうか?」
 三ツ目族は少女に手を伸ばすのをやめ、屈めていた腰を伸ばした。
「それとも、お前の四肢を引きちぎって、家畜の餌にしてやろうか」
 三ツ目族は思い足音を立てて奏のほうに歩いてくる。
 三ツ目族と奏の間には、鉄格子が隔てているが、その隔たりも氷のツララのように軟弱に思えた。
 三ツ目族は植えた猛獣のように奏を睨みつけながら低い声を出す。
「死ぬより苦しい思いをさせてやるぞ」
「分からないのか? お前はいつまでも神のように二ツ目族を支配し続けられるとでも思ってるのか? いつか反乱が起こるだろう。そのとき、誰が標的にされると思う? お前のように立場に胡坐を掻いて呆けてる馬鹿野郎から殺されるんだよ」
 三ツ目族が巨体からは考えられないような動きで鉄格子を叩きつけた。地下牢全体が痺れわたるような轟音が鳴り響いた。
 同時に、奏は目を覚ました。
「鉄格子を叩いて満足なのか?」
 意識ははっきりしている。だが、その言葉が自分の喉から発せられたものだとは思えなかった。勝手に口が動いている。
 操られている? いや違う。
 自分の意思で口を開いている。
 何のために?
 三ツ目族はいよいよ鉄格子を掴むと、飴細工のように左右に広げて、奏のいる牢に身を乗り出してきた。
「やめろ、モンゼス」
 牢の外に居た別の三ツ目族の声に、今にも奏に襲いかかろうとしていた三ツ目族が動きを止めた。
「熱くなるな、馬鹿が。目的を見失うな」
 モンゼスと呼ばれた三ツ目族は、泡を吹くほど怒りのうなり声を上げていたが、大人しく引き下がった。
「牢を壊しやがって。とにかく、お前は下がれ」
 モンゼスは苦々しそうに隣の牢に引き返すと、ひとり地下牢を出て行った。
 残った三ツ目族たちは、牢の中で一人だけ立ち上がっている奏を見た。
「根性が座ってることは認めようじゃないか。さすがは城塞都市を襲った二ツ目族だけのことはある。だが、大事な客人だ。無駄口で死なせるわけにはいかない。今後は軽率な言動は慎んでもらおう」
 奏は困惑していた。
 大事な客人?
 奏は正体を知られている。
「さあ、69番、一緒に来てもらおう」
 
 
 
 地下牢を出て、最初に捕らえられた巨大建造物の傍を通り、グレーの大きな箱の前に連れて来られた。
 中に入るとなんてことはない。別の牢である。だが、明らかに地下牢とは違う、強固な印象を受けた。
 入り口を入ってすぐ守衛部屋があり、通り過ぎると何重にも張られた鉄格子の扉。両脇を牢に挟まれる通路を歩く。牢はほとんど使われていない。途中に一人、二ツ目族の男らしい人間が幽閉されていたのみ。
 通路を突き当たると、別の扉があった。開くとその先にも扉。さらに開くとその先も扉。さらに開くと、ようやく部屋があった。
 六畳ほどの部屋には女が居た。女の三ツ目族である。
 女はこちらに見向きもしないが、ゆっくりと手を上げて、さらに奥の部屋へ行けと促した。
 最後の扉。観音開きの扉を開くと、空間が開けた。左右、奥行きだけではない。天井もはるか頭上に見えた。
 空間の一番奥にそびえる王の台座のような椅子まで真っ赤な絨毯が伸び、絨毯の両脇には重武装した三ツ目族が等間隔に立っている。
 神殿のような様相。玉座には一人の女。
 やはり三ツ目族の女だ。
 奏は背後から背中をしたたかに押された。絨毯の上を、二三歩よろめきながら前に出る。背後を振り返ると、ここまで案内してきた三ツ目族は、この部屋に入ってこようとしない。
「玉座まで行って、キャスティ様に挨拶をしろ」
 キャスティ? それは一体。
 奏は恐る恐る歩を進めた。両脇を挟む金属の鎧を纏った兵士たちは、顔までも鉄仮面で覆い尽くし、微動だにしない人形のようでもある。一様に巨躯の持ち主で、巨大な槍を脇に抱えていた。
「早く来い」
 その声は遠くから聞こえたが、広い空間のせいか、奇妙に反響して聞こえた。
 玉座は階段状になっており、キャスティと呼ばれる女の三ツ目族が座る台座までは六メートルほどの高さがあると思われた。
「お前が69番か」
 69番という呼び名。これはグロウリン城塞都市で奴隷として扱われていたときの名である。
 やはり知られている。
 キャスティは第三の目で奏の全身を観察する。
「幼い顔。ひ弱な体。とても宮殿を襲撃した男だとは思えない。しかし、それも事実。受け入れるしかない」
 キャスティは立ち上がると、腰に手を当てながら階段を下りてきた。
 黒い長髪の持ち主である。体に張り付くような服を纏っており、履いた靴と、手に身につけたグローブだけがやけに大きい。背中に背負っているのは、最初は長剣だと思ったが、どうやらただの金属棒のようだ。
 やがて奏の元まで階段を下りてくると、奏の正面に立った。
 年のころ、二十台半ば。だが三ツ目族の寿命は長いと聞く。
 奏の頭ひとつ分大きいが、周囲の巨漢に比べれば小さく見える。
「私の言うことを聞けば、悪いようにはしない。だから、よく話を聞け。いいな?」
 キャスティは威圧的に奏を見下ろした。
 どう答えていいか分からない。
 どうして、自分はここに連れてこられたのか。
 ここは一体何なのか。
「貧弱なお前が、クロスが守るユベリア宮殿を襲撃できて、しかも逃げ延びることができた理由はたった一つ」
 キャスティが人差し指を立てたとき、周囲の巨漢兵士たちが申し合わせたように、持っていた槍の塚を床に叩きつけた。
 どん、と地響きのような音に、奏はすくみ上がるほど驚いた。
「お前の持っている眷族」
 そう言って、キャスティが奏に背を向けつつ、手を頭上に掲げると、再び巨漢兵士たちが槍を床に叩きつける。
 どん。
 衝撃で奏の身体が三センチほど浮く。
「お前が発動した眷族は二体」
 どん。
「ひとつは大猫」
 どん。
「そして重要なのが」
 キャスティが奏に振り返る。
 どん。
「チリル・ルイサ!」
 どん。
「なぜお前が、史上最強の眷族を持っているのか知らないが」
 どん。
 なぜ、韻を踏む必要があるのか。キャスティの言葉尻に合わせて、いちいち巨漢兵たちが床を叩く。
「その眷族、我々に頂きたい」
「チリル・ルイサを?」
 どん。
 奏の言葉と、床を叩く音はほぼ同時だった。
「そう。お前の持っている眷族を我々に譲渡すれば、我々がお前の寿命まで、責任もってお前を守ってやろう」
 今度は床が叩かれなかった。
「いったい……」
「我々はお前の眷族がほしい。だから条件を出している。お前が我々に眷族を譲渡するなら、我々はお前の望みにこたえよう」
 間違いない。こんな約束は守られるはずがない。だが、そんなことより眷族を譲渡するとはどういうことだろう。三ツ目族は眷族を持てないはずでは?
「答えを急かすつもりはない。ゆっくり考えるといい。ただし、牢の中でな。だが、我々が望む答えはひとつだけだ。それ以外は聞きたくない。この意味、言わずとも分かるな?」
 眷族を譲渡するにしろ、しないにしろ、奏の運命は変わらない。苦しんで死ぬか、楽に死ねるか。
 キャスティが踵を返して玉座への階段を上っていった。すると両脇に居た巨漢兵が奏の腕を掴むと通路を引き返し、ここにくるまでに見かけた牢獄に奏を放り込んだ。
 この牢獄は、地下牢とは段違いに環境が良かった。地下牢にもあった球体の明かりが照らし、ベッドがある。隙間風などなく、冷たい夜間のはずなのに、この牢獄は暖かい。
 この現状を整理しなくては。
 奏はベッドに腰掛けながら頭を抱えた。
「なんなんだ。なにが起こってる。この現状はなんなんだ」
 眷族を譲渡しろ? 三ツ目族は眷族を持てるようになったのか?
 キャスティという女の三ツ目族は確かに言った。
 チリル・ルイサのことを史上最強の眷族と。
 確かにユベリア宮殿でのチリル・ルイサの破壊力は凄まじかった。あんなものを三ツ目族に渡せと?
「おおい」
 声が聞こえた。すぐに分かる。この牢屋で唯一、幽閉されている男がいる。奏は鉄格子に近づいて、斜向かいにある男の牢を見た。
「お前も眷族を寄越せって言われた口か?」
 男は鉄格子に凭れながら、こちらを見もしていない。
「俺もだよ。どうやら、使える眷族を持ってる人間は、ここに閉じ込められるらしい。いままでも何人か見たぜ」
「長いんですか? ここ」
「長くないさ。まだ一日半ってところだ。お前で五人目だ、これまで連れてこられたのは」
 一日半で五人。その五人はこの牢屋には閉じ込められていない。
「みんな即答さ。眷族を寄越せって言われたら、へえこら頭を下げて、どうぞどうぞって具合にな。二ツ目族の誇りってやつを、どいつもこいつも忘れちまったらしい」
「あなたも要求されてるんじゃないんですか?」
「まあな。俺の持ってる眷族も、それなりに貴重らしい。だけど、キャスティ様との初見で譲渡を渋ってたら、ここに入れられちまった」
「譲渡する気はないんですか?」
「あるもないも、渡さなきゃ拷問されて殺される」
「渡したら?」
「さあな。譲渡してここを出て行った二ツ目族は、一様に笑ってたぜ。これで自由になるってな。そんな訳ないと思うが、実際のところは何も分からない」
 譲渡するかしないかは、拷問されるかされないか。結局待っている死の結末は変わらない。
「どんな眷族を持ってるんですか?」
「おいおい、よく聞いたな、お前。自分の眷族を紹介するやつなんかいないぜ」
 持っている眷族を喋るということは、自分の手の内を暴露するのと同じ行為。二ツ目族同士でも眷族を明かしあうことはほとんどない。
 だが、その隠蔽体質が二ツ目族の結束力を裂いているのでは?
「名前は?」
 男が尋ねてきた。首をかしげて、こちらを見ている。
「若いな。その若さで、大した眷族を持ってるってことか。運がいいねえ、まったく」
「俺はカナデです。あなたは?」
「ジェレスターだ。ジェリーでいい」
 自己紹介。こんなことに何の意味があるのだろうか。
「ジェリーさん、聞きたいことがあります」
「ジェリーでいいって。俺で答えられることならいいぜ。ただ、俺は世間様のことなんて何も知らないけどな」
「じゃあ、ジェリー。三ツ目族はどうして眷族をほしがるんでしょうか。三ツ目族は眷族をもてないはずじゃ」
「三ツ目族?」
「はい」
「三ツ目族ってのは、どういうことだ?」
 どういうことだ? それこそどういうことだろう。まさか、三ツ目族を知らないなどというつもりではないか。
「お前、俺以上の世間知らずなのか? 三ツ目族って、ここにいる連中のことを言ってるんじゃないだろうな」
「ほかに……誰が? 三ツ目族じゃない?」
「あほか。あいつらは四ツ目族だ。ここに三ツ目族は一人も居ない。お前、何も知らずにここに連れてこられたのか。キャスティ様に会ったろ? 顔も知らなかったのか?」
 知るはずがないし、あれが四ツ目族?
「三ツ目族より位の高い……」
「それは四ツ目族が自らそう主張してるのさ。三ツ目族より高貴な種族だと」
「でも、目は三つだったと……」
「ああ、知らないんだな、お前は本当に」
「記憶喪失で……。まるでここが異世界のように何も知らないんだ」
「記憶喪失?」
 男は再び斜向かいの牢にいる奏を見た。
「それじゃ仕方ないな。四ツ目族なんてめったにお目にかかれるもんじゃないしな」
 だが、事前にシエルに聞かされて知っていたはずではないか。この森には四ツ目族の研究所があると。だが、奏は目が四つあるのが四ツ目族だと思っていた。今見てきた種族は、確かに身体は大きかったが、目は三つしかなかった。
「目の位置は、胸だよ。確かに、知らなけりゃ、三ツ目族に見えるわな」
「胸……」
 三ツ目族が普段、第三の目を閉じているように、四ツ目族も必要にならなければ第四の目を開くことはないのか。
「それと、四ツ目族が眷族を持つことができるかどうかだが、ここは四ツ目族の人体開発研究所。人体改造を何百年も研究してる施設さ。四ツ目族が眷族を持つことのできるようになっていても不思議はないし、別の手段があってもおかしくない」
 四ツ目族は眷族を持つ技術を手に入れたのか。
 眷族の譲渡は、譲渡する側、される側、双方の合意が必要である。奏がその気にならなければ譲渡は成立しないし、殺してしまっても眷族はハザマの世界に戻るだけである。
「悪いことは言わねえ。眷族なんて譲渡しちまえ。どうせ死ぬなら、拷問されるか安楽死できるか。重要だと思わねえか?」
 拷問後の死、安楽死、いま自分に残されている選択肢はその二つのみ。
 ここにいる二ツ目族たちが決起して、集団で反乱を起こすことはありえない。それはグロウリン城塞都市で体験して知っている。
 抗うことはできない。
 
 
 
 あるいは、チリル・ルイサを召喚する方法はあるだろうか。
 四ツ目族が史上最強の眷族と称するくらいの眷族だ。召喚すればどうにかなるのでは?
 でも、ここは眷族が封じれているし、なにより、眷族の召喚方法がいまいちよく分かっていない。
 ……やってみるか。
 奏はベッドに腰掛けながら手を組んで、神に祈るようにチリル・ルイサに呼びかけた。
 ところがどんなに思いを込めても、召喚される様子はない。
 チャンネルが断裂されている。携帯電話と同じ理屈だ。電波の届くところまで行かなければ、チャンネルは繋がらない。
 あるいは生体の一部を、眷族を封じられているエリア外に運ぶことができれば、代理召喚は可能である。エリア外に生体の一部を運んでくれる人さえいれば。
 だめだ。ほかに方法があるか?
 いままでだって、こうやって苦難を乗り越えてきたはず。考えることが自分に残されている唯一無二の武器だ。
 ところが、考えようとしても、手に救った水のように思考は零れ落ちていく。心が諦めている。奏の心の奥底にいる人格が、いくら考えても無駄なことを知っている。
 ここに脱出方法はない。隔世での生活が長くなればなるほど、何一つ実現できない現実を思い知らされてきた。
「ごめん、シエル」
 奏はそう呟いて、考えることをやめた。
 
 
 
 がたん
 
 この音がするたび、奏は生命力を削られている思いがした。
 四ツ目族がここにやってくる。
 
 がたん
 
 何重にも立てられた鉄格子の扉。
 
 がたん
 
 最後の扉を開いた後、足音が聞こえた。
 奏とジェリー、どちらに用があるのだろうか。
「決意は固まったか?」
 やっぱり。
 鉄の甲冑を纏った四ツ目族の兵士二人が、奏の牢の前に立っていた。
 奏はベッドに腰掛けたままの体勢で、二人の四ツ目族を見上げていた。
 眷族の譲渡。
 もちろん、答えは決まっていた。
「譲渡するわけがないだろ」
 チリル・ルイサが史上最強の眷族だというのなら、死んでも譲渡するつもりはない。
「もう一度聞く……」
 どんな拷問が待っているのか。死んだほうがマシと思える熾烈な拷問だろうか。
 奏は立ち上がった。
 鉄格子に近寄っていくと、はるか頭上にそびえる四ツ目族の二つの頭を見上げる。
「何度聞かれても同じだよ。お前らには絶対譲渡しない」
 四ツ目族は冷たく奏を見下ろしている。
「そうか……」
 四ツ目族はおもむろに視線を逸らすと、今入ってきた入り口のほうを見た。
「おい。こっちだ。お前の出番のようだ」
 そう言って、誰かを手招いた。
 こちらに近づいてくる足音が聞こえる。
 牢屋内の奏からは近づいてくる人物は見えない。
 ゆっくり、焦らすように近づいてくる足音。
 こつ、こつ、こつ。
 まるで催眠を掛けるかのように、定間隔で聞こえてくる。
 こつ、こつ、こつ……。


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