あっちから変なの出てきた

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第十一章 【 それから虚無へと続く道 】


「どういうことだ」
 静けさを取り戻した森の一角。
 地べたに胡坐をかいたイイ・シトは、不可解そうに呟いた。
「どうしてお前はまだ生きてる? それだけの傷を負って、それだけの血を垂れ流し、意識すら失わない」
 どれくらい時間がたったのか。イイ・シトはタモンの死を待つように、いつまでも傍らで腕を組んでいる。
 意識を失わないのは、ただそう我慢しているだけである。
「気づけば血も止まっているし、なぜか食いちぎられた箇所の肉が盛り上がってきているようにも見える。見ろ、お前の食いちぎられていた左手。赤ん坊の手のような形で再生していこうとしているように見えるのは、俺の気のせいなのか? 気のせいならそう言ってくれ。いや、気のせいであってほしい」
 この調子で傍らで喋り続けられている。こっちは激痛を必死に耐え忍んでいるというのに。
「左手がだいぶ再生してきたな。もう動かせるんじゃないか? おい、動かしてみろよ」
「悪いけど、黙っててくれないか? 苦しくないとでも?」
「痛いんだろうが、どんな気分なんだ? どんな感覚だ? 激痛か?」
 うんざりする。興味津々そうな目つきは、怪談話に集中する子供の目だ。
「どうやら、あんたは特殊な再生能力を持っているらしい。強力な回復術を持つ眷族でも持ってるのか? 召喚した様子はないが。足のほうはほとんど肉が形成されてるぞ。感覚はあるのか?」
 質問攻めはやむことがない。
「俺が助けたからいいが、あんたが全身、骨も残らず食われていたら、それでも再生できるのか? どの部分が残っていれば再生可能なんだ? 内臓か?」
「知らない。今まで負った傷で、今回が一番重症だ。それより、あんたは何者なんだ」
「イイ・シトだと自己紹介したろう。言っておくが、あんたの予想した『政府の人間』っていうのは外れだぞ。一匹狼かって言われれば、そういうわけでもないけどな。それよりも、左手はあとは皮一枚で元通りだ。半分陥没していた顔も、今は一発殴られた程度の赤みがあるくらいだし、食いちぎられた足もほとんど元通りだ。ひょっとして、そろそろ立ち上がれるんじゃないのか?」
「立てるかもしれないが、痛みでほとんど他の感覚はない」
 イイ・シトはまじまじとタモンの全身を観察する。
「……そんな体になったのはいつだ? いつから化け物じみた回復力を持ってるんだ?」
 回復力。その言葉が正しいかどうか分からない。実のところ、タモンにだって自分の体に起こっていることをほとんど理解していない。
「おい、見てみろよ」
 イイ・シトはそう言うと、長剣の刃に自分の手のひらを当て、かすかに動かす。その手のひらをタモンのほうに向けると、手のひらには一筋の傷。傷からは鮮血が流れ出て、地面に滴った。
 なにをやりだしたのかと思えば「見てみろ」と手のひらを差し出してきた。いつの間にか出血は止まり、葉を食らう芋虫の口元のように、傷口が不気味に蠢いている。次にイイ・シトが手のひらを服にこすって血をぬぐうと、傷口は余韻を残し、ほとんど治癒している。
「お前と同じだ。俺も高い治癒能力を持ってる」
「まさか……あんたもあの薬を?」
 イイ・シトは無表情でタモンを見下ろしたまま口を閉ざした。不穏な空気にイイ・シトを見上げる。
 イイ・シトは静かな声で「あの薬とは?」と尋ねてきた。
 違うのか。タモンがルウディに飲まされた薬とは別の方法で、高い治癒能力を得た?
「タモンといったか。お前は薬を飲んで治癒能力を手に入れた。どこでだ? いつ、誰から」
「なぜそんなに詮索する? 何か気がかりがあるのか。あんたこそ、同じ治癒能力を持ってるんなら、知ってるんじゃないのか」
「俺の治癒能力はお前ほどじゃない。そこまでぼろぼろになったら回復まで数日は掛かるし、下手すれば死ぬ。お前とは違う。もう一度聞くぞ。その薬、いつどこで誰から貰った?」
 目の色が先ほどまでと違う。聞き出すためには方法を問わないと言わんばかりに爛々と輝いている。
「気を失っている間に、ある男に飲まされた。その男は旅をする流浪人と言っていたが、名前も知らなければ、その後どうしたかも知らない」
 半分真実、半分嘘をついた。
 イイ・シトの様子は少々不気味である。何か知っているように見えるし、知らないので聞き出そうとしているようにも見える。知っている情報を聞き出したい気持ちもあるが、不用意に情報を口に出来るほど、現状を理解できていないようでもある。
「気を失っている間に薬を飲まされた? 意識がなかったのか?」
「飲まされる直前の記憶までしかない。目を覚ましたらこの通りの体になっていた」
「相手の男は旅人だと言ったな。この国で会ったのか? それはどこだ」
「国の南のほうの荒野だ」
「荒野など、何しに出かけたんだ?」
 質問の嵐。一体、何者なんだろうかこの男は。高い治癒能力に高い技を誇る剣術。本人は否定したが、やはり政府の人間か。
 まだ体は回復しない。自由に動けるようになるまでは、この男に捕らわれているのと同様である。イイ・シトはその気になれば身動きの出来ないタモンを拷問し、情報を聞き出そうとしてくるかもしれない。
 回復するまで、素直に答える振りをするしかない。
「荒野へは、あんたがこの森に来た理由と同じだよ」
「俺と? 宝探しか? 南の荒野に何があるって言うんだ」
「荒野に政府の役所となっている古代の遺跡があった。古代文明の遺跡と眷族の聖域があって、そこに行きたかった。もちろん、行けなかったが」
「なるほどね。だが、話が腑に落ちないな。超回復力を与える薬を、旅人がなぜあんたに与えたんだろうか。買ったようには聞こえなかったが」
「それは知らない。ただ、俺は死にかけてた。薬を持っていた奴も俺に薬を与えたがってた。何らかの利害の一致があったんだろうと思う。相手の男も俺を救うことで、なにか得があったんだろう。それが何かと聞かれても、まったく分からないが」
 イイ・シトは顎先を指でこすりながら思案している。
 タモンの体は徐々に痛みが引いているが、まだ神経が通わずに痺れている。筋肉に力が入らない。まだ少し時間が掛かる。
「……イイ・シト、あんたはどうやって高い回復力を手に入れたんだ?」
「俺か? 俺は薬を買った。高額でな。実は大病を患ってな。命が助かるにはこの薬しかないと言われ、全財産をはたいて薬を買ったんだ。駄目元だったが、病は治り、高い回復力を手に入れ、俺は満足だった。だけど、あんたを見てがっかりしたよ。もっといい薬が存在して、しかもあんたはタダで手に入れたとくりゃ、そりゃがっかりもするだろ」
「それでか……」
「それでか、とはどういう意味だ」
「あんたが信じられなそうに俺を見ていたのは、ものめずらしさではなくて、自分より高い回復能力を見たからだったのか」
「そうさ。信じられん。嘘だと思いたかった。いい買い物をしたと思ったら、実は粗悪品を掴まされてたなんて信じたくなかったよ。そんなことより、そろそろ立ち上がったらどうだ? もうほとんど元通りだろ」
「今が一番辛いんだよ。大怪我した瞬間は、興奮状態で痛みも忘れるが、神経の繋がり初めが一番苦痛なんだ。今は全身が激痛で動けない」
「そんなものか。俺もそんな大怪我はしたことないしな」
 どうやら、拷問してまでタモンから情報を聞き出すようなことはなさそうだ。
 まだ時間が掛かると聞いたイイ・シトは、どっかりと地面に胡坐を掻いた。どういうつもりか。タモンの傷が回復するまで、ここで一緒の待つつもりだろうか。
「ところでタモン。聞きたいことがあるんだが……」
 イイ・シトが気難しそうな顔をしている。
「お前、森で女を見なかったか? 犬を連れた女だ。居なくなってしまって困ってるんだ」
 犬を連れた女。もちろん、見ている。間違いなく、キーファーの家にいたユーナとレシェラのことを言っている。
「その女とイイ・シトは、何の関係があるんだ?」
 おや、とイイ・シトが片眉を吊り上げる。
「見たのか?」
「女は見た。犬は知らないけど」
 半分真実、半分嘘。
「どこで見た? その女は俺の連れだ」
「連れ? 連れがいるような様子はなかったけど」
「はぐれたんだ。俺はその女の用心棒だ。報酬を先払いで頂戴したんだが、まだ仕事らしい仕事をしてないもんでね。森を探し回ってるが、見つけるのはバケモンばかり。なんでこの森にはバケモンがうようよしてんだか」
 そうだ。あの狂戦士はそもそもどこから発生したのか。前に来たときはあんなものいなかったはずだ。
「心当たりはないのか、あの化け物に」
 イイ・シトは肩をすくめて見せる。
「知るわけがない。まあ、通称どおりここが『魔の森』にふさわしくなったけどな。それより、女のことだ。どこで見たんだ? 助けてやったんだからそれくらいの情報提供しろよな」
 確かに助けられた恩義がある。
「分かった。動けるようになったら連れて行こう」
「ふふん、お前、いい奴だな。そうだな、特別にお前は俺のことを好きに呼んでいいぞ」
 一瞬、何のことか分からなかったが、タモンの迷いをよそにイイ・シトは捲くし立てるように喋りだす。
「どんな呼び方がいい? イイくん? シトちゃん? いや、イッシーとかどうだ? まだイッシーとは呼ばれたことがないしな。どうだ?」
 どうだと言われても……。どうやら名前を好きに呼べということらしいことが分かったが。突然、陽気になられても困る。こっちは激痛を耐えるのに必死だ。
「イッシーとか、イシトとか、略してみるのがいいな。どうだろう。イシトはどうだ?」
「じゃ、じゃあイシトで……」
 イイ・シトはにんまりと笑みを作って見せる。
「いいね、イシト。あの女にもそう呼ばせよう。イシト、イシトくん、イシトちゃん。ふうう。たまらん。そうだ、イシトンとかどうだ。イシトーンとかも響きがよくないか? いや、イシトロ〜ンとか、シットリンとか、いやいや……」
 しばらく呼称について語られたのであった。
 
 
 
 キーファーは少しすると落ち着いてきたが、戸惑いは消せていなかった。しきりに「どうしよう、どうしよう」と繰り返している。タモンを助けに行きたいが、助けに行く勇気がない。自分も死にたくないし、怯えきっている姉も残せない。だからといってここにずっといれば、帝国旅団がやってきて姉が攫われる。
 ユーナは冷たい心持でそれを眺めていた。
 冷静、といえば言葉は良いが、冷静というには心が冷えすぎている。
 この感覚は一度経験している。グロウリン城塞都市だったか。
 ある庭園にて、三ツ目族の子供たちによって木に吊るされていたユーナは、レシェラの登場とともに呪縛を解かれ、爆弾を誤爆させた三ツ目族の子供が大怪我を負った。
 あのときの冷え切った心。
 私は変わってきている。実感する。あっち側の世界に行く前は感じなかった心の凍りついた部分。
 もしかしたら、あの人に出会わなければ露呈しなかった私の一部分。
 あの人に出会ってから、私は何かを削り落としながら前に進んでいる。鑢の上を歩くように。私は足元から徐々に削れていっている。最後になくなってしまうまで、私は歩き続けるだろう。
「聞いて、キーファー」
 アリスと身を寄せ合っておびえるキーファーに、ユーナは諭すように声をかける。キーファーはユーナを見たものの、動揺は収まっていない。
「聞くの、キーファー。時間がない」
 語気を強めると、キーファーはようやくユーナの言葉に耳を傾けた。
「もうすぐここに帝国旅団が来てしまう。それは分かってるよね。それを避けるために出て行ったんだから。でも戻ってきてしまった」
「でも、外は化け物だらけなんだ。もう出てはいけないよ」
 非難するように声を上げるキーファー。もう一度出て行け、とでも言っているように聞こえたのだろうか。
「出て行く必要は無いの。だけど、ちゃんと話しておかなくちゃ。ここにいたらアリスのこと、帝国旅団が攫いに来るんだよ。だから、ちゃんと打ち合わせの通りやるの。私がアリス。いい?」
 キーファーはうなずきながら首をかしげる。
「私がアリスの振りをするから、二人は旅人の振りをするの。ウィンディアからはぐれた旅人。二人の名前は、それぞれキーファーが『ゴウ』。アリスが『リリシュ』と名乗って。旅人の振りだよ。できる?」
 キーファーは床に蹲って震えるアリスを振り返った。
「姉ちゃん、聞いた? 旅人の振りをするんだ。リリシュって名前で」
 アリスは凍えているかのようにキーファーを見るが、言葉を理解した様子はない。
 ユーナはアリスに踏みよった。
 落ち着かせてから、再度説得する。そうしようと思ったが、小屋の扉を叩く音がして、ユーナはぞっとしながら扉を振り返った。
 キーファーと目を合わせる。「来たの?」と尋ねられたが、分からない。明らかに誰かやってきている。帝国旅団だとは限らない。タモンが命からがら逃げてきたのかもしれない。
 硬直していると、再び扉を叩く音。
 ごん、ごん、と音がするたびに心臓に杭を打たれているかのようだった。不用意だったために動揺して全身が震えている。
 落ち着け。落ち着け。
 念じると、無意識に深呼吸していた。
 キーファーに向き直ると、言い聞かせるように「さっき言ったとおり、キーファーはゴウ。アリスはリリシュ。私はアリス。相手に何か聞かれたら、アリスが喋る前にキーファーが説明する。それしかない」
 ユーナがキーファーの肩に手を置いて、確かな意志を伝えるようにうなずいてみせると、キーファーも固唾を呑んでうなずいた。
 もう一度、扉を叩く音がした。ユーナは覚悟を決めて扉に踏みよる。
「ど、どなたでしょうか」
 扉越しに声を上げると、しばらく返答は無く、息苦しい沈黙が流れる。
 振り返ってレシェラを見るが、見つけることが出来なかった。
「レシェラ?」
「喋るな。わしはそばにおる。可視出来ない状態に存在を薄めておる。この状態でユーナについていく」
 喋ると、明滅するようにレシェラの姿が見え隠れする。
「姿を見えなくするのはかなり重労働だ。存在同様に意識も希薄になる。わしは単純にユーナについていく行動だけを覚え、これから先、喋りもしないければ物も考えないようにする。だから声をかけるな。わしが必要になったらこう言え。『そのときが来た』と。その命令で、再び元の姿に戻るよう記憶しておく」
 単純な思考回路だけ残し、存在を消すという。
「そんなことしなくても、いったん召喚状態を解除すればいいんじゃないの? あとでもう一度召喚すれば」
「何のためにわしが今まで召喚され続けていると思っておる。帝国旅団が眷族の召喚を妨げる何らかの処置を講じてくるのは想像に容易い。眷族の召喚を防ぐ檻などに閉じ込められたら最後、二度とわしを召喚できぬ」
 召喚を無効にする装置か何かあるといっているのか。
 声を出すたびに、消えかけの蝋燭のように明滅するレシェラ。姿を見えなくし、思考を失くすということは、半分、ハザマの世界に返ったような状態にするということか。自我も実体も無いハザマの世界に。
 どんどん。
 再び扉が叩かれた。
 レシェラから扉に視線を移す。
「どなたでしょうか。何の御用でしょうか」
 ――黙ってあけろ。
 初めて返事があった。
 男の声だったが、タモンではない。鷹揚の無い、威圧的な言葉。
「どなたですか?」
 ――いいから開けろ。この程度の扉、強行的に破るのも容易い。開けないのなら、扉を破壊する。
 脅迫せんとする口調が明白である。ユーナは胃袋が雑巾のようにぎゅっと絞られる思いがした。全身が心臓になってしまったかのように脈打ち始める。
 扉を開けなかったら破壊する。ならば、開けたらどうなるのか。有無を言わさず、殺されはしないか。
 自分がアリスだと偽ったとして、相手が嘘を見破ったらどうなる? 私の運命は? こんなところで死ぬ?
 ここまできて、唐突に自分の計算の浅はかさを思い知る。なにも画策しなければ、自分は第三者のままだった。当事者のアリスが連れ去られるだけで、自分は関係の無いただの旅人。
 なぜ、私は当事者になることを選んだのか。三人の中から犠牲者を選べと命令されて、自ら望み出たような愚かな行為。
 ――開けろ。
 声がした。
 最後通告のような気がした。
 扉越しにも、禍々しい気が静電気のように伝わってくる気がした。
 いまさら怖気づくなんて。
 脳裏に駆け巡るコロタリや、処刑された奴隷の女。みな、死の直前に希望を残すかのように私へ眷族を譲渡した。
 忘れてはならない。私は命を賭して前に進む覚悟をした。
 ユーナは振り返ると、おびえて肩を抱き合うキーファーとアリスに目配せしてから、震える手で扉の閂に手を伸ばした。
 がた、と閂をはずした音は外にいる者にも聞こえたはずだ。
 閂の板を壁に立てかけ、ゆっくりと後ずさりする。
 後ずさりするペースにあわせるように、扉がゆっくり内側に開いていく。
 隔離されていた外界の空気が室内に流れてくる。
 それはどす黒い悪意も交えて、とぐろを巻いて進入してくる。
 開ききった扉の前にいたのは、たった一人。
 見たことの無い男。
 軽凱を身に纏い、ユーナの頭三つ分は背の高い男。
 金色に輝く頭髪が太陽光に照らされ、あるいは美しいと形容できるその男は、ぎょろりと眼球を動かしてユーナを見た。
 ユーナを見たのは、男の双眸だけではない。
 額に埋め込まれたかのような第三の目も、射抜くようにユーナを見つめていた。
 
 
 
「三人……いるな」
 男が重低音の声を出す。
 第三の目に髪がかからないように、カチューシャのような髪留めで前髪を掻き揚げている。
 冷たい目。
 色素の薄い青い瞳。
 連想するのは肉食獣の瞳。
「お前の名は?」
 静かな低い声。この声が全ての嘘を飲み込んで、ユーナをひれ伏させる魔法のように聞こえる。
 ユーナは返答に窮した。喉が詰まって声が出せない。それは姿を見せた男が想定外の者だったからに他ならない。
 なぜ、三ツ目族がここに……。
 帝国旅団は?
「名前を聞いている」
 男は一歩、ユーナに近づいた。見えない手に小突かれたかのようにユーナは後ずさりする。
「ア、アリスです」
 条件反射のように答えていた。
 自分がアリスであると。
 だが、それは正解ではないことにも気づいている。
 帝国旅団がアリスを攫いに来るはず。ならば、三ツ目族の前でアリスを名乗るのは間違い。
 ――本当にそうか?
 ユーナの中の神様が尋ねてくる。
 ――やはりお前は保身を考えたのでは?
 保身……。
 ――三ツ目族がやってきたということは、逃亡者であるお前の追っ手である可能性が高い。追っ手から逃れるために、自分はユーナではなく、アリスであると嘘をついたのでは?
 保身……。
 ――アリスを犠牲にして、この場を凌ごうという気持ちの現われでは?
 保身……!
 そんなんじゃない。
「その後ろにいる二人は誰だ」
 男が尋ねてくる。
 後ろにいる女がユーナです。
 私はまだそう答えていない。
 だから、断じて薄汚い保身などではない。
「彼らは旅人です。旅の途中、私の家に訪れたゴウとリリシュです」
「アリス、リリシュ、ゴウ。これは煩わしいな。同じような年恰好の女が二人いるとは。どっちがどっちだ」
 どっちがどっちか。
 三ツ目族の男は、一体どちらを探しているのか。
 天才、アリスか。
 逃亡者、ユーナか。
 今の言葉だけでは正解が分からない。
「何の御用でいらしたのでしょうか」
 正解を知るための質問を投げかける。
 男は第三の目だけを動かし、ユーナを見た。
「ある女に用があってやってきたが、お前の名乗った名が、本物だとは限らない」
 疑っている。どこに疑う余地があったのか。ユーナの動揺を悟られてしまっている?
 それにユーナを探しているのか、アリスを探しているのかも、まだ分からない。だが、少なくとも男は、捜している相手の容姿は知らないようである。
 ユーナは辛抱強く、男の次の発言を待った。
「お前の後ろにいる二人だが、なぜそんなに怯えている?」
 ユーナはキーファーとアリスを振り返る。肩を抱き合ってガタガタと怯える二人。
「二人は森で魔物に襲われ、命からがらここまで逃げてきたのです。だから怯えております」
「なるほど。魔物か。確かにここに来るまでに化け物の遺体を何体か見かけたが、その二人に魔物を倒す力があるようには思えないな。まだ他に人がいるのか?」
「いえ。二人だけです。魔物の遺体は知りません」
「本当か?」
 第三の目がユーナの内心を見破るかのように睨みつけてくる。
「まあいい、それより二人にも質問がしたい。お前は脇に退いていろ」
 三ツ目族の男が、ずいっと詰め寄ってきた。必然的にユーナは脇によける形になる。
 これから先は信じるしかない。三ツ目族の男が探しているのがユーナなのかアリスなのか、まだ分からないが、いずれにしてもキーファーとアリスがうまくゴウとリリシュを演じてくれることを神に祈るしかない。
 三ツ目族の男は床に片膝を付く。
「少年、名前は?」
 尋ねると、キーファーは挙動不審にユーナを見る。動揺しては駄目。落ち着いて答えるの。ユーナの思いはキーファーに届いたか。
「ゴウです」
「ゴウか。隣にいる女は?」
「リリシュです」
 キーファーが間髪いれず答える。
「間柄は? 兄弟か?」
 キーファーは戸惑ったかのようにユーナを見る。こちらを見ては駄目。嘘が見破られる。
 ユーナはあえて、目配せや頷きなどの合図を送らず、動かずにいた。キーファーが答えをユーナに期待しては困るからだ。自分で演じて答えを出して、キーファー。
「兄弟かと聞いている。答えろ」
「きょ、兄弟です。リリシュはお姉ちゃんです」
「なるほど、それではリリシュとかいう女に尋ねる。この少年は弟で間違いないか?」
 三ツ目族の男は、あるいは探し人が兄弟でここに住んでいると知っているとしたら……。もうすでにユーナの嘘は知られていることになる。
 事前に口裏を合わせる時間が無かったことが悔やまれる。
 アリスは放心状態のまま、三ツ目族の男の声など耳に入っていないようある。三ツ目族の男は何度か質問を繰り返したが、アリスに答える様子はない。怯える様子が演技ではないことは疑いもないようで、三ツ目族の男は諦めて立ち上がる。
「アリス、と言ったか」
「はい」
「俺の名はメルセイブ・ロクトだ。いまから俺についてきてもらう」
「メルセイブ様、ご用件をまだ……」
「二ツ目ごときが口答えするな。ただ、俺の言葉に従えばいい」
 ユーナは口を噤まざるを得ない。相手が三ツ目族であることばかりではない。物静かな立ち振る舞いと重低音の声。にもかかわらず理不尽にも強制的な、名状しがたい高圧。
「お前だけではない。ゴウとリリシュ、その兄弟も来てもらう」
「この二人は――」
 第三の目がユーナを見た。
 それだけで理解するには十分だった。
 先ほどと同じ言葉を突きつけられた気分だった。
 ――二ツ目ごときが――。
 ごときが。
 そうだ。この視線。いやおうなしに自分が「ごとき」な低俗な存在に思わされる。
 ごとき。
 二ツ目ごとき。
 お前ごとき。
 ごみのごとく。
 ちっぽけな命。
 また、思い知らされた。
 私の小さな小さな命。
 矮小で価値のない命。
 そうやって扱われてきた千年もの長い歴史。
「それとな、アリス」
 再び、恐怖と嫌悪と慟哭を呼び起こす視線がユーナを捉える。
「俺のことはメルスでいい。敬称もいらない」
 三ツ目族が自分を敬称なしで略称で呼ばせようなどとは、気位の高い彼らにとってはありえないことである。
 それでも、そんなことがくだらないことに思えるほど、このメルスの瞳は差別と侮蔑に満ちていた。
 
 
 
 自分の矮小さと非力さを思い知らされたユーナは、すでにメルスの命令には一切逆らえずにいた。
 ユベリア宮殿にある斬首の塔の地下。牢獄の中でコロタリに呪具を取り外されたユーナは、すでに無条件の三ツ目族へ服従は、呪縛の解放とともに無くなっているはずだった。
 無数の見えない手に背中を押されるように、魔の森を歩かされるユーナ。ユーナの正面では、キーファーとアリスが歩いている。最後尾には監視するかのうにメルスが続く。
 どこへ行くのか。何の目的なのか。探してるのはユーナなのかアリスなのか。全ての質問は許されない。
 無言のまま、メルスの指差す方角に歩く。
 代わり映えのない魔の森を歩くこと、一時間弱。
「おかしいな……」
 家を出てから初めてメルスが口を開いた。
「誰も来ない……迎えの者はなにをしている……」
 どうやら独り言のようである。ユーナに発言の権利は許されていない。
 それからさらに歩くこと、十数分。遠めに目的地が見えてきた。
 あれは……政府の役所。
 有刺鉄線つきの五メートルはある金網に囲まれた施設である。金網越しに、いくつかの建造物が見える。出入り口を守衛する警備兵の駐屯所だろうと思われた。
「やはりおかしい……」
 メルスの独り言が背後から聞こえてくる。
 様子がおかしいことは、ユーナにも察しが付いている。
 やがて先を歩いていたキーファーとアリスが金網に進行を阻まれて、不安そうに振り返った。
 そこだけ金網が開閉できる門になっている。多数の者が行き交ったと分かる轍が道のように金網の向こうの敷地まで続いている。
 後ろを歩いていたメルスが、ユーナを追い越して金網に近寄った。
 周囲を見渡すメルス。
 そう。
 この違和感。
 人が誰もいないのである。
 仮にもここは政府の役所。敷地の周囲には警備兵がいるはずで、ましてや出入り口となる門の前には出入りを厳重に監視する守衛が立番しているはずだった。
 メルスが門の前に立っても、金網の先にある守衛小屋からは誰も出てこない。妙な静けさが周囲を取り巻く中、メルスはしばらく立ちすくんで物思いに耽っていた。
 何かを思い立ったのか、メルスは目の前の金網を押しやると、金網が向こう側に開いていった。
 鍵が掛かっていない。しかも無人。
 ただならぬ事態。不穏な空気が、再びユーナの全身を恐怖で痺れさせる。
 メルスは振り返った。
「お前たちは、黙って俺の後ろについて来い。ただし、静かにな。声を出すな。足音も殺せ。間違っても俺の前に出るな」
 キーファーとアリスが不安そうにユーナを見たが、ユーナにも正解は何一つ分からない。
 金網を越え、施錠もしないまま敷地内を歩いていく。言いつけどおり、なにも喋らず、足音も殺し、呼吸さえ最低限に抑えた。
 やがて見えてきたのは――。
 惨状だった。
 そこに無数の建設物があったという形跡はある。ただし、それは巨大な竜巻が全てを破壊しつくして通り過ぎていったかのような惨状が広がっていた。
 建物という建物は破壊しつくされ、残骸が足場も無いほど散乱している。そこに人の遺体が転がっていたとしても、もはや残骸と区別が付かない。
 視線を遮るもののない残骸の大地は、森の中にぽっかり開いた、優に一キロ四方を越える虚無の空間だった。
「一体何があったんだ」
 これもメルスの独り言。まだ、ユーナたちに発言も足音を立てる権利も許されていない。
「たった数時間の留守の間に、これだけ破壊されるなんて」
 一体何なんだろう。
 全ての予想を裏切っていく現状。
 迎えに来るはずの帝国旅団は?
 ここにあるはずの政府の施設は?
 なぜ三ツ目族がやってきたの?
 三ツ目族はユーナとアリス、どちらを探しているの?
 どうしてここにつれてこられたの?
 ユーナの無数の疑問は、世界という名の全知全能の存在によって、虫けらのように蹂躙されて、かけらも残さずに虚無へ打ち捨てられていくのであった。


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