あっちから変なの出てきた

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第十章 【 私の目的のために 】


 行動を分かつことになった。
 ユーナはここに残り、帝国旅団と接触する決意をする。
 そして、タモン、それからアリス、キーファーは帝国旅団からの魔の手から逃れるべく、ここから離れる選択をした。
「最後に聞くが、ユーナ、俺たちと一緒に行く気はないか?」
 出発する直前、タモンが尋ねてきた。
 ユーナは椅子に腰掛けながら、ゆっくり首を横に振る。
 アリスがユーナに近寄って肩に手を置く。
「ユーナさん、一晩ですが楽しかったです。きっとまた会えます。そのときは、ゆっくりお話しましょう」
「ありがとう、アリス」
「残ってるご飯は食べていいですからね」
 アリスはそういい残し、キーファーに手をとられながらタモンと家を出て行った。
 騒々しかった家の中は急に静かになった。
「ユーナ、本当に良かったのか」
「え? なにが?」
 誰もいなくなった部屋で、レシェラはのそりと体を起こし、ユーナの傍らに近づいた。ユーナを見上げる瞳が憂いそうである。
「思うに、ユーナの旅は孤独すぎる。ともに行動する仲間がいてもいいのではないか。少なくともタモンは帝国旅団を探す同じ目的の一人であった。彼らについていっても良かったのではないか」
「駄目だよ。それじゃ、回り道になっちゃう。せっかく帝国旅団に接触できる機会なんだよ。これを逃したら次はいつになるか」
「そうだが……時には自分の考えを変えて、行動を他人に譲ることも――」
「警戒心の強いレシェラらしくないね。どうしたの?」
 指摘されて、レシェラはやれやれとため息を漏らす。
「正直に言おう。わしは宿主を守りたいだけだ。帝国旅団に接触することは賛成できぬ。タモンたちと一緒に逃げてほしかったのだ」
 確かに帝国旅団に接触することに比べれば、タモンたちと行くことが遥かにリスクが少ない。
 でも、もう遠回りは出来ない。こうしている間にも、奴隷の二ツ目族たちは次々に命を散らしているのだ。生きている自分が、これ以上のうのうとしていてはいけない。危険を理由に逃げ回ってばかりではいけないのだ。
 それが、コロタリが死に、ユーナにパンを譲った少女に対する唯一の供養と贖罪。そして、そのときの決意である。
 忘れてはならない。城塞都市での奴隷たちの現状。ウィンディアとして逃亡生活を続ける二ツ目族たち。
「分かった。ユーナが残るというのなら、わしはおぬしを守るのみ」
「いいんだよ、レシェラ。レシェラが望むのなら、他の宿主を探すから。私から離れたかったらそう言ってね」
「また馬鹿なことを……」
 そのままレシェラは何も言わなくなった。
 再び静かになる室内。
 天井が迫ってくるように圧迫感のある静寂。
 来る。
 いよいよ帝国旅団がやってくる。
 はたして、目的をともにし、奴隷解放の目的の力になってくれるだろうか。
 最悪でも、アリスたちが逃げる時間稼ぎを――。
 
 
 
 この不条理で無慈悲な世界で、自分がアリスを守りきれるかどうか。
 タモンの運命は、まさにそこにある気がしていた。
 ――アリスがこの世から消えうせる。
 ルウディの言葉は、タモンへの挑発に間違いなかったが、ルウディの思惑に乗っかってしまうことになろうとなんだろうと、運命が決まっているなどということを理由に、アリスを見殺しにするわけにはいかなかった。
 悲壮な決意で、後を付いてくるアリスとキーファーを振り返る。
「ふん、ふふふん、ふんふん、うふん」
 アリスが鼻歌を歌っていた。楽しそうにニコニコしている。
 隣を歩くキーファーはしきりに後ろを振り返ったり、周囲を見回して不安そうにしている。
「なにが楽しいんだ、アリス」
「なんだかピクニックみたい。わくわくしませんか?」
 タモンは直前までの張り詰めていた緊張感が、結び目を解いた風船のようにしぼんでいくのを感じた。
「アリス、自覚しろ。帝国旅団が狙っているのは君なんだぞ」
「わかってますよー」
 そう言って、のんきに鼻歌を再開する。
「姉ちゃんになに言ったって無駄だよ。ずっとこんな調子だから、ウィンディアの時だって男に何度も襲われそうになったんだ。そうじゃなきゃ、こんなところに逃げてこないって」
 キーファーはアリスに真剣に向き合うことをすでに放棄しているらしい。確かにのんきなアリスにいちいち向き合っていては疲れてしまいそうだ。
 ふと、前方に気配を感じた。
 タモンは立ち止まり、背後の二人に手をかざして制止する。タモンは人差し指を唇に当てて、周囲の異変を必死に探る。
 アリスの表情にも緊張感が浮かぶ。キーファーと寄り添うようにして周囲を見回した。
「……どうしたんですか、タモンさん……」
 小さな声でアリスが尋ねてくる。タモンは答えられない。タモンにもわからないからだ。
 周囲の小動物たちが、一斉にいなくなったような、そんな異様な雰囲気。
「あ。あれ……!」
 キーファーが声を上げて、前方を指差した。指差した方角を見ると、進路の先に黒い塊が見えた。
 まだ午後を回ったばかり。南中に近い太陽は煌々と森を照らしている。
 タモンはすぐにその正体に気づいた。
「ネロ!」
 タモンが声を上げると、タモンの声に気づいた黒い塊がのそりと動いた。
 蹲っていたらしく、体を起こすとゆっくりとこちらを振り返った。起き上がるとのそのそとこちらに近寄ってくる。その様子にアリスが「ひあああ」とすくみあがったが、キーファーが「タモンの友達だから大丈夫」と説明した。
 キーファーもネロを見るのは初めてのはずだったが「ネロ」という動物が仲間にいることは伝えてあった。
 歩いてくるネロの様子がおかしかった。タモンのほうから近寄ると、ネロの腕や足、胸などに傷があるのが分かった。
「ネロ、どうしたんだその怪我」
 ネロは答える言葉も持たず、甘えたようにタモンに頬を摺り寄せてくる。
 傷を見ると、かなり深い。血は止まっているが、重症であることに違いはない。これでは後を付いて来いといっても体力が持たないだろう。
 どうするべきか。ネロを置いていく? その決断はあり得ない。カナデから預かった大切な友達である。
 一度戻って、ユーナの眷族であるレシェラに傷の治癒を頼むか。まだ木の幹の家からはそう離れていない。
 駄目だ。
「ネロ……」
 ネロに一人で家に戻らせて、レシェラに傷の治癒を頼ませる。タモンたちは先を行かなければならない。ネロの嗅覚ならば、傷を癒したあとにタモンたちを追跡することも可能だろう。
 そう伝えようとしたとき。
 アリスとキーファーの悲鳴がした。
 タモンは自分が犯していた油断に、したたかに後悔した。
 先ほどまで感じて痛いような森の気配。それは決してネロのせいではない。ネロの容態を気遣うあまりに、タモンはそのことを失念していたのである。
 悲鳴がしてアリスとキーファーがいたところを振り返る。タモンから見て、アリスとキーファーの向こう側に見たこともない大男が立っていた。狂戦士と二人との距離、数メートル。タモンから二人までの距離、十メートル強。狂戦士の赤い双眸は、明らかに標的を二人に定めている。
 身に着けた軽鎧以外は隆々とした骨格と筋肉。顔中に深いしわが刻まれ、紫の血管が浮き出ている。人の形をしていたが、紫色の瞳と、顔を縦に二分するような巨大な口は、それが人でないことを物語っている。
 あれがユーナの言っていた狂戦士か!
 狂戦士が巨大な口をあけて咆哮をあげてアリスとキーファーに詰め寄ろうとした瞬間、タモンは駆け出していた。十メートルほどの距離を一瞬にして縮め、アリスとキーファーに近寄った。そのころ、狂戦士は両腕を振り上げると、巨大な二つの拳をアリスとキーファーの脳天めがけて振り下ろす――。
 そこにいたはずのアリスとキーファーはすでにタモンの腕の中に抱きかかえられ、狂戦士と距離を置かれている。
 二人の頭を砕くはすだった狂戦士は肩透かしを食って、怒り狂ったように咆哮をあげた。
 その迫力もさることながら、巨大な体躯。タモンの身長を頭二つ分は超えている。
「ネロ!」
 タモンが叫ぶと、アリスとキーファーをネロのほうへ突き飛ばす。ネロは二人を体で受け止めると、タモンは狂戦士に向き直る。
 狂戦士が猛然とこちらに掛けてくるのが見えた。恐怖に手足が震えた。タモンを侵食して金縛りを掛けようとしてくる恐怖を振り払い、タモンは身構えた。
 一瞬のうちに分析を開始する。相手は武器は持っていない。上半身と下半身に覆っている軽凱に打撃を与えても通用しないだろう。しかし、力は強そうであるが、お頭は弱そうである。
 ――いけるか……。
 間近に迫ってきた狂戦士は、タモンを掴もうと両手を伸ばす。タモンは狂戦士の伸ばしてきた両手の手首を掴んだ。巨大な手首。タモンの手では手首の半分ほどしかつかめない。
 手首をつかまれた狂戦士は、走ってきた勢いそのまま、タモンの頭を噛み砕こうと大口を開いた。タモンの視界には、巨大な紫色の穴がいっぱいになる。妙に並びの良い歯。黒く暗闇に通じる喉の奥。
 しかし、狂戦士が噛み砕くはずだったタモンの頭はすでにそこにはなく、ガチンッ、と派手な音を立てて上あごと下あごの歯が激突しただけだった。
 狂戦士にはその後とのことが理解できていないだろう。
 タモンは狂戦士の両手組を掴んだまま、後方に倒れるとともに狂戦士の鳩尾を思い切り蹴り上げたのである。
 打撃目的の蹴りではない。タモンの背中が地面に付くころには、狂戦士の巨体が宙に舞ったのである。タモンの手は手首を掴んだまま。狂戦士が迫ってくる勢いを利用して腹を蹴り上げ、狂戦士を前方に一回転させた。柔道技で言う巴投げである。
 狂戦士が背中から地面に激突する。それだけではたいしたダメージではない。狂戦士があわてて立ち上がろうと上半身を起こしたところを、後ろから羽交い絞めにした。
 首に腕を回し、狂戦士の頚動脈を思い切り締めたのである。だが、狂戦士の腕は自由のままにはしておけない。タモンは巧妙に足を絡めて、背後から狂戦士の両腕の自由も奪う。
 狂戦士は立ち上がることも、腕を駆使して首を絞めるタモンを攻撃することも出来ない。
 ものの十数秒で、狂戦士は泡を吹いて失神した。
 
 
 
 タモンはぜいぜいと息をつきながら、仰向けに倒れて泡を吹く狂戦士を見下ろしていた。
 喉が張り付くほど渇き、全身は汗びっしょりである。呼吸が荒いのは体力の問題だけではない。取り巻く恐怖と緊張感が、タモンの心拍数を限界まで押し上げた結果である。
 うまくいったことが、まだ信じられないような心境。こんな怪物、また次に襲われたら同じように撃退できるかどうか分からない。
「すげえ!」
 キーファーが声を上げた。
「兄ちゃん、すげえ! どうやったの、今の!」
 興奮気味なキーファーの様子に、タモンは「すごくともなんともない。たまたまうまくいっただけだ」と息切れ切れに答える。タモンは強靭な戦士ではない。いつもこううまくいくとは限らない。タモンが倒れたら、アリスを守るのはキーファーだけである。
 釘をさしたつもりだったが、キーファーには伝わっていない。
「素手でバケモンを倒しちゃった! すごいや!」
 アリスといえば、愕然と倒れた狂戦士を見下ろしている。さすがのアリスもショックだったようだ。
「いいかアリス。分かっただろう。安全な旅なんかじゃない。いつも危険が付きまとう。鼻歌など――」
 言い終わる前に、異様な気配に気づくタモン。気づいたのはタモンだけではない。アリスの背後に控えていたネロも気づき、うなり声を上げた。先ほどまで日中の日差しに照らされ明るかった森が、瞬時にして影を落としたように暗くなったような気配。
 タモンの緊張に気づいたアリスが、泣き出しそうに口元をゆがめた。
「隠れ――!」
 再度、最後まで言い切るまえにタモンは気づいた。
 一体、二体、三体……。
 物陰から姿を現す狂戦士。
 周囲を見渡すと、見える鍵りに五体の狂戦士が姿を現した。お頭が弱いなりに、タモンの足元に倒れる一体の狂戦士を見て、タモンが憎むべき敵であることは理解できたようである。顔の筋肉を痙攣させながら、突き刺すような眼光でゆっくりとこちらに歩いてくる。
 アリスはキーファーにしがみついた。周囲の事態に気づいていなかったキーファーが何事だとアリスを振り返り、そして周囲を見渡したとき、初めて事態を理解した。
 悲鳴を上げる余裕もなかった。文字通りキーファーは絶句して金縛りにあったのである。
 五体……。
 一斉に襲い掛かれたら抵抗するすべはない。
 タモンはネロを見た。警戒して牙をむき出して狂戦士たちを威嚇するネロ。ネロに怖気づく様子もない狂戦士たち。
 手負いのネロがどこまで戦えるのか。
 ――まさか、ここまで?
 ――こんなにあっさりとルウディの予言は実現されるのか。
 ――それだけは実現させてはならない。忘れるものか。あの荒野の町の出来事を。ルウディの予言だけは絶対に現実にしてはならない。
「ネロ、お前は二人を守るんだ。何があっても」
 ネロはタモンを見なかったし、返事もしなかったが、間違いなくタモンの言葉を理解している。
 タモンは覚悟を決めた。
「活路を見出す。ネロは二人を抱えて突っ走れ」
 タモンはキーファーを見る。
「キーファー、アリスを守れるな?」
 愕然とした様子でタモンを見るキーファー。
「聞こえたのか、キーファー」
 キーファーは陸に打ち上げられた魚のように口を動かすばかり。
「聞こえたのか、キーファー! しっかり立ち上がって姉を守れ!」
 大きな声を上げると、ようやくキーファーの瞳に光が戻り、力強くうなづいた。
「ネロの後についていけ。絶対に振り返るな。いいな?」
 
 
 
 キーファーは震えるアリスに、自分の使命を思い出した。
 守るべきものの存在に気づかされたキーファーは、力の抜けそうになる足に必死に活を入れて立ち上がる。
「ネロがお前たちの盾になる。ネロを信じてあとをついていけ」
 タモンが悲壮な表情でそう言った。
「分かった」
 キーファーの返事は震えていた。だが、守らなければならない。キーファーにしがみつくように蹲って震えるアリスの肩を抱いて立ち上がらせる。
 周囲にとりまく狂戦士たちは、一定の距離を置いて威嚇するようにうなり声を上げている。どうやら、タモンに警戒して容易に近寄れないらしい。
「どうするの? 兄ちゃん」
「俺があいつらをひきつける。お前らはネロと逃げろ」
「でも、五匹も相手に出来るの?」
「俺のことは気にするな。お前はアリスを守ることに集中しろ」
「でも僕ら、兄ちゃんがいなかったら……!」
「心配するな。あとで必ず追いつく」
 キーファーを安心させるための詭弁だろうか。タモンは無理に笑みを作ると、キーファーに向かって言った。
「俺は絶対に死なない」
 気休めには聞こえなかった。でも、あの大きな化け物たちにタモン一人が立ち向かえるとも思えない。
 それでも、キーファーにしがみついて震えるアリスが、自分自身が守らなければならない存在を教えてくれる。
 キーファーはアリスの手を掴むと走り出した。
 前方にはネロの大きな背中。ネロは心なしか左足を気にしている。怪我を負っているのだろう。満身創痍の体で、自分たちを守ろうとしている背中に、キーファーは心が震えた。
 化け物たちはタモンがひきつけている。このまま走って森を抜け――。
 キーファーが思い描くシナリオは、当然のごとく粉砕される。
 前方でネロが立ち止まったかと思うと、ネロの背中越しの正面には化け物の集団がいた。進行を阻むかのように化け物たちは両手を広げて、犬歯をむき出しにしながら唸っている。
 その数、六体。
 キーファーにとってネロの力は未知数であるが、いくらネロでも六体の化け物に対して対抗できる力を持っているのか。加えて傷だらけの体。
 キーファーは涙の衝動を覚えたが、寸前でこらえる。どうにか逃げ道を見つけなければと周囲を見渡す。
 置き去りにしたタモンは見えない。距離にして百数十メートルであろうが、乱立する木々に阻まれ、視界は利かない。
 ネロが咆哮をあげた。前足を地面から離し、二本足で立ち上がると、全長が三メートルにもなるネロ。巨体を広げて化け物たちを威嚇するが、化け物たちにひるんだ様子はない。
 警戒はしている様子。飛び掛ってくる気配はなく、じりじりと距離を縮めてくる化け物たち。
 後方はタモンが化け物たちを足止めしているが、戻ることは出来ない。前方は見ての通り化け物に阻まれている。残るは左右に逃げるしかないが。
 化け物がにじり寄ってくる分、距離を保つように後退してきたネロが背中でキーファーを押しやった。背後にいるキーファーに気づいていないのか、ネロはどんどん背中で押してくる。
 そして気づく。
 ――逃げろ?
 言葉を喋ることのできないネロに対する、都合の良い解釈であろうか。でも、キーファーにはネロが「逃げろ」と訴えているように感じた。
 でも、タモンを置き去りにしたキーファーには、続けてネロを置き去りに出来る勇気は残っていない。
 ネロを見捨てることが出来ずに、ここで運命を共にする。その選択はすなわち――死。
 自分だけではない。愛おしい姉の運命でもある。
「……ごめん、ネロ」
 キーファーはこれまで下ことのない、心の引き裂かれそうな選択をした。
 アリスの手をとって、キーファーは化け物に対して右方向に走り出した。当然、化け物たちは逃げようとするキーファーを阻止しようと身を乗り出すが、ネロがすかさず立ちはだかる。それを尻目に、キーファーは森を走り抜けた。
 
 
 
 狂戦士にしたたかに殴られたタモンは、左半分の視界を失った。まるで頭が弾け飛ぶような衝撃だったが、顔の左半分の陥没で済んだようだ。だが、目が潰れた。視界は半分、
 だがすでに右腕は骨という骨が砕かれ、左手は怪物に食いちぎられた。右胸が陥没し、肺も片方機能していない。だが、まだ足が生きている。まだ足掻ける。
 正面に三体、背後に二体。駆け出して距離を置くような隙はない。
 正面の怪物が、いよいよ弱ったタモンの頭を丸ごと食らおうと大口を開けて迫ってきた。タモンは体をくの字に折って牙を交わす。交わすと同時に怪物に足をかけ、前方に転倒させると、背後にいた怪物をまき込んで地面に転がった。
 続けてもう一体の怪物が両腕を伸ばしてきた。先ほどのように巴投げをする両腕は死んでいる。
 タモンは迫ってきた狂戦士の胸を蹴り飛ばし、前進を止めた。止めるので精一杯。後方に吹き飛ばすほどの力は、タモンにはない。
 百も承知だ。
 タモンは一瞬だけ前進の止まった怪物の膝に足を掛けた。怪物の膝を土台にするようにして跳躍し、怪物の肩の高さまで跳躍した。
 膝、肩と階段のように駆け上がったタモンは、おまけにかかとで怪物の後頭部をけりつけて、怪物の背後に飛び降りた。怪物を飛び越えた形になる。
 後頭部をけりつけられた怪物はビクともせず、背後に降り立ったタモンを振り返る。まったくダメージを与えていない。だが、怪物に囲まれたエリアは脱し、怪物は正面に五体。背後には森だけである。
 あとは――。
 森に向かって一目散に逃げるため、背後を振り返った瞬間、それは訪れた。目の前に黒いカーテン。体の芯に氷を当てられたかのように全身が冷え、地面から伸びた無数の手に魂を引き抜かれたかのように気が遠くなった。
 気づくと顔面が地面に衝突していた。正面から地面に卒倒したタモンは、自分が気を失いかけたと気づく。食いちぎられた左腕から絶え間なく流れ出す血液。
 失血だ。
 猛烈な気分の悪さの中、地獄の沼でもだえるように、タモンは立ち上がろうとしたとき、右足の太ももに激痛が走る。背後を見ると、うつぶせに倒れたタモンの太ももに噛り付いている狂戦士が見えた。狂戦士は思い切り顔を横に振り上げると、タモンの足の肉のほとんどを持ち去った。
 悲鳴を上げるまもなく、別の狂戦士がタモンの左足に噛り付いて、リンゴを齧り取る様に、骨ごと脹脛を飲み込んだ。
 激痛より、恐怖と絶望感のほうが大きかった。自分が食われるなんて。自分が食われる場面を目撃する日が来るなんて。
 もう一体の狂戦士が、甘い甘い果実にかぶりつくように、目を輝かせながらタモンの知りめがけて大口を開けたとき。
 タモンの尻を食らうはずだった狂戦士の首から上が宙へ舞い上がった。横に三回転して地面に転がるころには、頭が乗っていたはずの狂戦士の首から紫色の噴水のように血を噴出した。
 紫色の噴水は不気味な虹を作り出す、その光景は次々に生まれることになる。あっという間に五つの紫色の噴水が湧き出すと、その場には頭部を失った五体の狂戦士が、痙攣しながら地面にひれ伏す光景が訪れた。
 一体何が起こったのか、タモンにはわからない。
 一瞬にして、五体の狂戦士の首が吹き飛んだのである。冗談のように怪物の頭部が地面に転がり、紫色のシャワーを浴びた一人の男が無表情で立ち尽くしている。
 手には自身の身長ほどもある長剣。
 長剣を肩に背負った男は、悲痛そうにタモンを見下ろした。
「むごいな……。もう少し早く助けてやりたかったが……すまないな」
 男はそう言ってタモンがうつ伏せになる傍らまで近寄り、タモンの顔の近くまで何かを差し出した。
「俺に出来るのはこれくらいだ。飲め。苦しまずに死ねる」
 差し出したのは何かの丸薬。おそらく、毒。
 デジャヴ。
 この光景は、あの町、最後のときと同じ。
 俺は、また同じことを繰り返したのか?
「どうした。まだ意識があるんだろう。これを飲み下せはすぐに痛みは消えるぜ」
「……誰だ、お前は……」
 男は驚いたように目を丸くする。
「驚いたぜ。その有様で喋れることにも驚くが、その有様で俺が誰かなんて気にするのか? 知ったところで」
「いいから……教えろ……こんなところで……」
 男は差し出した丸薬を引っ込めた。やれやれとため息をついて言った。
「俺はイイ・シト。この森にはお宝を探しにやってきた。そこでお前が化け物に襲われてるのを発見した。男なんか助けたくなかったが、お前の必死な足掻きに同情してな。せめて楽に死なせてやろうと……」
 あの狂戦士五体を一瞬にして葬り去る剣術。只者ではない。二ツ目族でそんな人間がただのとレジャーハンターのわけがない。
 こいつ、政府のお抱えの二ツ目族か?
「なんだよその目。助けてやったのに」
「聞いたことがある……。二ツ目族を売り物にして三ツ目族に取り入る二ツ目族のこと……」
「ああ、そうか。俺が政府の人間だと?」
 二ツ目族に高度な剣術を習得できる機会も、教える人間も居ない。全ての技術は三ツ目族に徴収され、格闘術を伝承する二ツ目族も絶滅した今、卓越した剣術を持つこの男が政府の人間だということは想像に容易い。だが、それを口にして伝える体力が残っていない。
 暗転していく。
 回転しながら。
 死の淵へと。
 これが死。
 だが、その先には。
 永久に終わらぬ輪廻が。
 
 
 
 ユーナはいよいよだと緊張した。うとうとと小船を漕いでいたレシェラも顔を起こし、緊張して全身の毛を逆立てた。
 木の幹を住まいとしたこの家の扉が、激しく叩かれたのだ。
「ユーナ、来たぞ!」
「分かってる。私はアリスの振りをすればいいのね?」
「そうだ。それが生き残る唯一の手段。わしは、通用するかどうか分からぬが、これより人間に飼われた犬の振りをする」
「うん!」
 扉には鍵が掛かっている。もちろん、開けるようなことはしない。相手が押し入ってきたら、きっとこう尋ねるはずだ。
 ――お前がアリスか?
 そうしたら私は、戸惑いがちにうなずくだけ。その後はおそらく帝国旅団の人間に連れて行かれるはず。どこに連れて行かれるか分からないが、おそらく帝国旅団の上位の人間と接触できるはずだ。
 それがレシェラの提案した作戦。
 扉は今も激しく叩かれている。
「中から鍵を開けて招き入れたら不自然だ。相手が扉を破るのを待て」
 これもレシェラの提案。ユーナは相手が扉を破るのを、椅子に座ってじっと待った。だが、激しく扉が叩かれる中、じっと耐えるのは恐怖だ。相手は本当に話が通じる相手なのか。ユーナがアリスを偽っているのがすぐに知られ、殺される可能性だってある。相手がアリスの顔を知らないなんて言い切れない。知っていればユーナは殺される。知らなければ生き延びる可能性が少しだけ大きくなる。
 こんなとき、思い出すのはいつだってあの人の顔。あの人を思い出せば、いつだって心の中に勇気があふれてくる。
 大丈夫、きっとうまくいく。
 ユーナは唇を引き締めて、そのときを待った。
 ――ユーナ姉ちゃん! いるんだろ! あけてくれ!
 あれ?
 ユーナはレシェラを見た。見られたレシェラはため息を漏らした。
「どうやら目的の相手ではないらしい」
 ――早く! 開けてよ! 早く!
 扉の外からキーファーが声を上げている。
 ユーナは椅子から腰を上げると、扉に踏み寄った。とたんにレシェラが「待て、開けるな」と声を上げた。
「どうして?」
「罠かもしれん」
「罠? そんなことないよ。私に罠を張る理由なんて何もないもの」
 そういうと、レシェラは目を瞑って顔を伏せた。
「それでもまだ開けるな。扉越しにキーファーに事情を聞くのだ」
 ユーナは釈然としないまま、扉越しに行った。
「キーファー、どうしたの? 何があったの? どうして戻ってきたの?」
「怪物だ! 怪物に襲われたんだ! 早くあけて!」
 ユーナはぞっとして鍵に手を伸ばした。しかし、気づいてしまった。
 ――なにしてるんだよ! 早く開けてくれよ!
 ユーナはゆっくりレシェラに振り返る。レシェラは黙ってユーナを見上げている。
「レシェラの言いたいこと……分かったよ」
 レシェラはなにも答えない。
 扉の向こうではキーファーが必死に声を上げて扉を叩いている。
「キーファー、そこにはみんないるの?」
 ――姉ちゃんがいるよ! タモンは俺たちを助けるために犠牲に……! それにネロも……!
「犠牲に? 亡くなったの?」
 ――分からない! でも、五体も化け物がいたんだ! いくら兄ちゃんでも……!
 何てことだろう。
 本当になんてこと。
 私は一度、森で狂戦士に襲われて知っていたのに。
 私はここに「残る」という選択ではなく、みんなが出て行くのを「止めさせる」選択をしなければならなかったのではないか。
 森には危険な怪物がいる。それを知っていながら、彼らを行かせたのは……私がアリスと成り代わり、帝国旅団に接触するため。そして、そのためには三人が不要だったから。
 私は前に進むために三人を犠牲にしたのか。私にとって都合が良かったから三人を森に行かせたのか。
 私はその選択をしたの?
 レシェラを見た。救いを求めるために、いつもレシェラに答えを求めてしまう。だけど、いつまでもそれでは駄目だ。
 私はちゃんと認識すべき。タモン、アリス、キーファーは私が目的を果たすために生んだ犠牲者だ。
 急に胸の中が冷たくなった気がした。私はきっと、多くの三ツ目族を救うために、少数の三ツ目族を犠牲にする覚悟がいる。
 ――それより、どうして開けてくれないの!? 鍵が壊れたの!? 早くしないとまた怪物が来るんだよ!
 レシェラは無言でユーナに語っている。
 扉を開けたら……。
 扉を開けて二人を招いた瞬間、ユーナはアリスに成り代わることが出来なくなる。いずれ帝国旅団がやってきたとき、帝国旅団が少し質問すれば、ユーナかアリス、どちらが本物のアリスか、すぐに見抜くだろう。
 そして漠然と存在するひとつの選択肢。
 扉を開かないという選択。
 やがて怪物たちが二人を見つけ出し、食い殺すのをじっと待つ選択。
 帝国旅団に会うため。
 多くの二ツ目族を救うため。
 私が出来るだけ安全な可能性を高めて、帝国旅団に接触するため。
 そのためには「二人は存在せず」、かつ「この家に一人でいる」必要がある。
 ユーナは掛けられていた閂をはずすと、扉を開いた。
 とたんに、突風が舞い込んでくるようにキーファーとアリスが部屋に飛び込んできて、キーファーが慌てて扉を閉めた。
 キーファーは息切れ切れにユーナを見上げて何か言おうとしたが声にならない。ユーナは台所の水瓶から水をカップに入れてキーファーに飲ませた。
 キーファーは水を飲みながら何度かむせこんだ後、ようやく言葉をつむぎだした。
「どうしてすぐに開けてくれなかったんだ!」
「ごめん……閂がうまく外れなくて……」
 目を丸くして訴えるキーファーの横で、自分の肩を抱くようにおびえて震えるアリス。
 怪物……私も襲われた狂戦士だ。襲われた恐怖は私も知っている。
「どこも怪我はないの? レシェラ、お願い」
 レシェラに様子を見てもらおうとしたが、レシェラは首を横に振る。
「怪我はないようだ。少しすれば落ち着くだろう」
 扉を開く選択をしたユーナに、なにか訴えようとする様子はない。そして、この選択が正しかったのか、ユーナにはもう考えられなくなっていた。
「どうしよう……! 兄ちゃんが……!」
 キーファーは涙を流しながら震えている。
 キーファーは私の出来なかった決断を下したのだ。
 大事なものを守るために、タモンを見捨てるという選択を。
 だからいま、キーファーは恐怖と罪悪感に凍えている。
 私に掛ける言葉はない。
 キーファー、あなたは正しかったんだよ、そういえる資格もない。
 ただ、どうしようもなく悲しくなった。
 やっぱり、私はもう、あなたには会えない。
 次に会えるときがあったとしても、私はもうあなたに初めて出会ったときの私ではなくなる。
 犠牲にするのは、私の想いも含めて。
 大切な、大切な私自身も一緒に。


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