あっちから変なの出てきた

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第七章 【 グロウリン城塞都市 その1 】 


「ミユナ様はヴァル様の千人目のご息女であられる。ヴァル様はユベリア大衆国建国以来、毎年一子ずつもうけられ、現在で一番最後のご息女となっている」
 ラリルドの第一声を、奏はどうにか聞き取ることができた。というのも、ユーナのことを知りたいと思う反面、知りたくないという心の壁が、ラリルドの言葉の理解を阻止するからである。
 ユーナを知る覚悟を決めたはずではなかったか。
 奏は今のラリルドの言葉をゆっくり咀嚼する。
「……ヴァルアラトスの娘なら、どうして投獄されてるんですか?」
 言葉の矛盾を指摘する。すると、ラリルドはつぶらとも形容できるうるんだ瞳を奏に向けたまま答える。
「それはわからん。だが、ヴァル様の千人の子供たちのうち、今でも健在である者は少ないと言われている。実態は分からないが、いくら自らの子供であろうと、その他の人間たちと区別しないのがヴァル様だ。ミユナ様がヴァル様に反逆的な行動をとれば、当然投獄され、最悪処刑もありえる」
 自分の子を殺す。その言葉の嫌な響きにぞっとする。しかし、疑問はそれだけではない。
「ユーナはヴァルアラトスの娘なのに、どうして二ツ目族なんですか?」
「知らん。というより、三ツ目族がいつでも第三の目を開いているわけではない。今の俺にしろ、通常時は閉じている。なぜならば第三の目が力の源であり、長寿の源であるため、いつでもさらけ出しているわけにはいかん。開いていれば力を消耗する」
「ユーナはずっと第三の目を閉じていただけ?」
「おそらくな。俺もミユナ様の第三の目を見たことがあるわけではないが、ヴァル様のご息女でありながら二ツ目族である理屈はありえん」
「ユーナが三ツ目族で、王族であるとして、ユーナはいったいユベリア宮殿内でどんな生活を送っていたんですか?」
「ヴァル様の身の回りの世話を担う召使だ」
「自分の子供なのに?」
「何がおかしい。自分の子だからこそ、身の回りの世話を任せる。仮にも副王であらせられるご身分。他人にやすやすと身の回りの世話をさせるリスクのほうがはるかに高い」
 そう言われればそうである。
「ミユナ様のことは幼少期から知っている。クロス様にお仕えしながら、ヴァルアラトス城を警護していた俺は、ミユナ様の成長を見てきた。あのお方は俺のような人間にも優しく声をかけていただき、夜中に城の中を巡回していれば、お疲れ様ですと使用人室に案内してくださり、温かい茶をくださった。ヘマばかりする俺の愚痴を聞いてくださり、やさしく慰めてくださり、時には訓練中に怪我を負った俺を手当てしてくださったり……。自分がヴァル様の折檻を受けて体中打撲や擦り傷だらけだったというのに……。俺はミユナ様の身を案じつつ、ずっと成長を見守ってきた。ミユナ様が生誕されて十三年たったころ……」
 ラリルドはそこまで言って、言葉を区切った。続きを辛抱強く待ったが、何も言わないので奏が促すように「十三年たったころ、なんですか?」とたずねると、ラリルドは首を横に振った。
「とにかく、ミユナ様は優しいお方だ。愛情に満ち溢れ、優しさに満ち溢れ、どんな人間にでも変わらず接する偉大なお方だ」
 ラリルドのような三つ目族に慕われるユーナ。正直、頭の中は何一つ整理されない。混乱状態の納まらない中、奏は質問を続けた。
「ユーナがユベリア宮殿から出るようなことは?」
「ヴァル様のお付で出かけることはあっても、決して自由な時間はなかっただろう」
「なら、ユーナが解放軍だって言うのは……」
 ラリルドが顔を起こし、口元をぬぐうようなしぐさをして思案した。
「お前の話では、ヴァル様は現世に渡り、ユーナを連れて帰ったという。ならば、これはすべてヴァル様の策略だったと考えるのが筋だろう。ヴァル様が自らミユナ様を異世界へと送り込んだ。もしミユナ様が異世界で捕らえられるようなことがあれば、身分を解放軍と偽れと、ヴァル様のご命令だったのだろう」
 奏は全身の毛穴が開き、極寒の風を浴びたかのような悪寒に全身を震わせた。もし、ラリルドが言っていることが確かならば、導き出される結論はひとつ。
「おい、奏……」
 佐々倉がいつの間にか上半身を起こし、驚愕の表情で奏を見ている。勘の良い佐々倉のことである。おそらく奏が今、思っていることと同じことに気づいている。
 佐々倉が、心なしか震えたような声を出した。
「ユーナは、実はこの国が送り出したスパイだったってことだろ。ヴァルアラトスは確か現世に来たとき言ってたよな。『解放軍の現世への侵略行為を未然に防いだ』って。要するに、実はヴァルアラトスはユーナを現世へ送り込んだ張本人の癖して、まるで危機を救ったかのような理屈を抜かし、何食わぬ顔で堂々とスパイを連れて帰ったってことだ。なんてこった。自然管理委員会はのこのことスパイを敵に渡しちまったってことか?」
「帝国旅団はスケープゴート……。すべてはユベリア大衆国の罠。じゃあ、現世を攻めようとしていたのは……」
 奏は続きを言えなかった。続きを言えば、それが現実になってしまうと思った。そんな奏の不安をよそに、佐々倉が核心的なことを言った。
「現世に攻め込もうとしているのは解放軍ではなく、この国の三ツ目族ってわけだ。問題は、そのことを現世の人間たちは気づいているかって事だ。のこのことヴァルアラトスがやってきて、和平交渉なんて流暢なことをやってたら、現世は終わるぞ」
 ふと脳裏によりぎる家族の顔。父の顔、兄の顔、姉の顔、弟の顔。
 そして、伊集院照子の顔。
 あの人は勘のいい人だ。和平交渉など、端から信じていないはず。
「なぜ、ヴァルアラトスは現世になんか攻め込もうとしてるんでしょうか」
「ヴァル様のお考え……。それは誰にもかからない。王であるルルアラトス様でさえ」
「……そうです。この国には王が居ます。ルルアラトスという王が。すべては王の命令なんでしょうか」
「さあな。だが、ルルアラトス王といえども、ヴァル様のご子息である。誰もが知っている。ヴァル様が実質的な支配者であることは」
「ルルアラトスもヴァルアラトスの子供なんですか?」
「すべての三ツ目族は、ヴァルアラトス様を祖とする。ヴァル様はこの世界で最初の三ツ目族なのだ」
「最初の三ツ目族……。そういえば、千年前まで三ツ目族はこの世界に居なかったと聞きましたが……」
「伝承はヴァル様の生い立ちを記録していない。だが、千年前にこの国がユベリア帝国だった時代、二ツ目族と一ツ目族しか存在していなかった。突如現れた三ツ目族が国を没落させ、統治を始めた。四ツ目族はそれから二百年ほどして姿を現し、国の一端を支配するようになる」
「最初にユベリア帝国を攻撃したのは……」
「十人の三ツ目族。ヴァル様を筆頭に現在の王であるルル様、シエル様、デュール様たち」
「たった十人で?」
「それほど、強大な力を持っておられた。俺など足元にも及ばぬ、な。その十人の三ツ目族の強大な力を恐れ、近隣諸国もこの国に攻め込むことができない」
 たった十人に一国がつぶされるものだろうか。
 奏は別の疑問をぶつける。
「俺の知り合いに、ラナ・カンという獣族がいます。ラナ・カンというのはこの世界に存在する国際連盟の人間で、俺たちの世界に解放軍が攻め込んでくるのを未然に防ぎにやってきたという話でした」
 ラリルドがふうむと唸ってから答える。
「宮殿を出て二年。すっかり国際情勢にも疎くなった。だが、これだけはいえる。ユベリア大衆国は国際連盟に加盟している。ユベリア大衆国代表として外交を行っているのはヴァル様だ」
 一瞬、思考が停止した。それは突然舞い込んできた情報を整理する時間。
 ユベリア大衆国が連盟の加盟国であり、ユベリア代表として外交を行っているのがヴァルアラトス。
 要するにそれは……。
 奏が結論に至る前に、佐々倉が解答を導き出した。
「この国や現世だけではなく、隔世さえも世界規模でヴァルアラトスの術中にはまってるってことだ。現世だけではなく、この世界の諸外国も『ユベリア大衆国で発生した解放軍が、次元の穴を開けるように成功した』と思っているのだろう。当然、ヴァルアラトスがそう思わせるように仕組んでいる。しかし、どうしてそんなことをする必要があるのか。要するにそれは、イスカ領域を人工的に開通する技術を、国際的に提供してしまうことになるんじゃ」
「次元に穴を開ける技術は、国際連盟の開発計画だった。ユベリア大衆国が主体となる開発計画だった。時限に穴を開けるって言うのは、この国の資源力では到底実現できないだろうからな」
「その技術を、ラリルドさんは知っているんですか?」
「カラクリは知らん。だが、世界規模の大掛かりな資源、人手が必要だったのも確かだ。解放軍ごときが実現できる技術ではない」
 ふと佐々倉は気づいた。
 ラリルドは異世界の存在を知っていたのだ。だからこそ、奏が「異世界から来た」と告白しても大して驚かなかったのである。
「じゃあ、ラナ・カンは何も知らず、ヴァルアラトスに騙されて現世にやってきたというのか」
 奏は胸が苦しくなった。死ぬかもしれない。故郷に戻れないかもしれない。そんな悲壮な決意で現世に渡航してきたラナ・カン。それは、ヴァルアラトスの策略の内だったというのか。
 そして気づく。
 現世において残されていた疑問だ。
 国際連盟の特使として現世に派遣されたラナ・カンは初め、ネジマキ猫という額にゼンマイをつけた子猫の容姿だった。ところが、ラナ・カンが初めて発見されたのは、奏がユーナと「たまたま偶然に」逃げ込んだ「園山」という小さな山中。
 なぜラナ・カンがイスカ領域も存在しない園山に居たのか。国際連盟が開発したイスカ領域を人工的に作成する装置でやってきたのなら、近くにイスカ領域が発生しているはずであるが、園山にはイスカ領域は存在しない。伊集院照子がそれを証明している。
 ならば、ラナ・カンは誰かの手によって、園山に連れてこられたのである。
 誰の手によって……答えを出すにはあまりにも簡単な問題。
 そこまで思考をめぐらすと、ふと奏の背後から声がした。
「ふうむ、私の知っている情報と相違するところがありますねえ」
 振り返ると、そこにはプティシラが召喚したままのノエルが空中に浮かんで手帳をにらみつけている。
「たしか……ミユナアラトス様は二ツ目族の公開処刑のとき、城塞都市に姿を現したとあります」
 ユーナの情報!?
 奏は浮かんでいたノエルをつかみあげると「いつの話だ?」と怒鳴った。
「ら、乱暴はよしてください。教えますから、落ち着いてください」
 ノエルの動揺振りを見て「ご、ごめん」とノエルを開放する。ノエルは気を取り直して、めがねを押し上げながら、ぺらぺらと手帳をめくる。
「十日前のことですね。グロウリン城塞都市で、二ツ目族の公開処刑のとき、別の二ツ目族が公開処刑を邪魔しようとしたそうです。それがミユナ様だったんじゃないかと」
「どういうこと? ユーナは投獄されてたんじゃ」
「投獄されていた事実はありませんね。仮にも王族ですからね。公開処刑を邪魔したのがミユナ様だったというのも、あくまで噂です。ミユナ様のお姿を見たことのある人間さえ少ないのですから。表向きにはグロウリン城塞都市で奴隷として働く二ツ目族が、ほかの二ツ目族の脱出を手助けしたことによる公開処刑だそうで」
「その処刑されそうになった二ツ目族は、ユーナを助けたんだ。だから処刑されそうになって、それをユーナが助けた。それで? その後ユーナはどうなったんだ?」
「それがミユナ様とは限りません。なにしろ、そのあと二ツ目族は眷族を召喚して処刑囚と一緒に逃げたって言うんですから。だから、おそらくそれがミユナ様だったという情報もデマではないかと」
「なぜそういう結論になるんだ」
 その疑問にはラリルドが答える。
「三ツ目族は眷族と契約することができない。知らないのか? それがミユナ様だったとしたら、眷族は召喚できないことになる」
「三ツ目族……じゃあ、ユーナが二ツ目族だったら?」
 今度はノエルが答える。
「ありえませんね。ミユナ様はヴァル様のご息女です。それは公然の事実でありますし、ヴァル様がもっとも身近な世話役として、二ツ目族を召し使うはずがありませんからね」
「ラリルドだって、ユーナの第三の目を見たことがないって言うんだ。そもそも、ユーナがヴァルアラトスの子供だっていうのが間違ってるんじゃないのか?」
「まあ、可能性がゼロだっていう気はありませんが……」
「その後のユーナの情報はないのか?」
「今のが最新の情報です。十日前ですからね。もう捕らえられているかもしれませんし、何度も言いますが、それがミユナ様だとは確信が……」
「どこに向かったか分からないのか?」
「北の方角に逃げたと。それだけは分かってますが、それ以外は何も分かりません」
 北に逃げた? ユーナはまだ無事だってことだ。北に逃げて、今もどこかで生きている。
「いいか、小僧」
 ラリルドが低い声で言った。
「いくらミユナ様でも斬首の塔から脱獄し、城塞都市から外に出るのは不可能だ。斬首の塔は俺の警備の範囲だったから良く分かる。だが、今の話が本当だとすれば、こう考えるのが筋だ。『ミユナ様はわざと逃がされた』」
「わざと?」
「そうでなければ、クロス様の警備から抜け出せるわけがない。ミユナ様は逃がされた、と考えるのが自然。ヴァル様のお考えかもしれない。とにかく、だ。確かなことは何も言えん。この情報が間違っているのならミユナ様はまだ投獄されているし、本当の情報なら、ミユナ様は逃がされた、と考える。いずれにしろ、グロウリン城塞都市に向かえ。そこでクロス様に会え。そして真実を尋ねろ。今の貴様にはそれしか選択肢がない」
 ラリルドの言うとおりだった。
 それしかない。
「最後に教えてください」
 奏は決意を胸に尋ねた。
「もし、ヴァルアラトスが現世を侵略しようとしていたとして、それを命令されたら、ユーナは手を貸すと思いますか?」
 ラリルドに尋ねた。ラリルドは「ふん」と鼻先で笑い飛ばすと答えた。
「従うだろう。ミユナ様はヴァル様に仕えているのだから。しかし、素直に従うとは思えんな。従うとしても、それが成功しないようにわざと失敗するなどの手段をとるだろう。心配するな、ミユナ様は心の優しい人である」
 ありがとう。口の中だけでそう言うと、奏は改めて決意を固めたのだった。
 
 
 
 ラリルドにグロウリン城塞都市の進入方法、そして脱出方法を教授された。さすがにグロウリン城塞都市、ユベリア宮殿を警護していただけのことはあり、裏道を知り尽くしている。
 夜遅くまでラリルドと話し続け、ユーナとの思い出話やグロウリン城塞都市のことを聞いた。グロウリン城塞都市は今まで漠然としたイメージでしかなかったが、話に聞けば聞くほど広大な敷地と、さまざまな施設があると知った。
 ようやく眠りに付いたのはほぼ夜が明ける直前で、結局眠ったのは二三時間程度。ところが翌朝、眠っていた奏をトレミが起こしたのだが。
 トレミが再び小さくなっていた。
 一晩たって、再び手のひらサイズになったトレミは、そのことについて大して気に留めた様子もなく、佐々倉の頭の上に居所を作り始めていた。
「じゃあ、またね、奏。たまには連絡してね」
 荷物をまとめ、再び旅立ちのとき。
 なんどかプティシラに「一緒に行こう」と説得したが、彼女の答えは変わらない。
「ルウディをやっつけたら、一緒に奏の世界に行こうね」
 プティシラはそういって、ちらりとラリルドを見る。ラリルドは遠くの岩場に腰掛けており、約束どおりこの場で二三日とどまるとのことだ。
「カナデ、絶対ユーナちゃんを助けるんだよ。こんな世界だから大変だと思うけど、絶対にあきらめちゃだめだからね」
「うん。プティシラも気をつけて。できればルウディなんて忘れてほしいけど、絶対に危険な場所に行っちゃだめだ」
「分かってるって。この世界ではカナデより先輩なんだら、心配すんなって」
 そういって、奏の肩をぽんぽんと叩く。そういえばそうである。奏はまだ隔世にやってきて一ヶ月ちょっと。プティシラは生まれてからずっとこの世界に住んでいるのである。
 ラリルドがプティシラを守ると約束したことは、プティシラには伝えていない。ラリルドが張り合いがなくなると秘密にしてくれとお願いされたからだ。おそらくラリルドのような強大な力を持った男が後を付いていくのだから、プティシラに降りかかる危険のほとんどは回避されるのだろう。
「じゃあね、カナデ! ノエルで連絡してね!」
 そういって手を振ると、プティシラは召喚したヌルチに乗る。
「ササクラも元気でね! カナデをよろしくね!」
 佐々倉は「なにがカナデもよろしくねだ」といわんばかりに顔をしかめただけだった。
 やがて出発し、離れていくプティシラの背中を眺めていると、佐々倉が言った。
「お前がグロウリン城塞都市に行こうがかまわないが、現世に帰る方法を見つけないと本末転倒だぞ」
 現世に変える方法。まだ何も思いついていない。
「分かってます」
 それだけ答えて、奏はきびすを返した。
 プティシラは南へ。自分たちは北へ。
 振り返った先、岩場に腰掛けるラリルドが見えた。
 踏みよっていくと奏はラリルドに話しかける。
「ラリルドさん、俺たちはグロウリン城塞都市に向かいます」
「まあ、せいぜい気をつけろ」
 そういって、そっぽを向くラリルド。
「クロスさんに……何か伝言はありますか?」
「……ない。それどころか、クロス様はもう俺など忘れておられるだろう。それより、俺はコソボ・カユウ様に会う。貴様らはとにかく点在する町や都市部を避け、まっすぐグロウリン城塞都市へ向かえ。俺の教えた道順で行けば、城塞都市まではたいした障害もなく向かえるだろう。だが、城塞都市へ入り込んだら、簡単にはいかんぞ。覚悟はできてるのか?」
「もちろんできています。クロスさんに会ったら、ラリルドさんのことも伝えておきます」
「俺のことはいいから、ミユナ様を救え。これは男と男の約束だ。反故することは許されん」
 奏はくすりと笑った。
「ラリルドさん、本当にありがとうございました」
 そういうと、手のひらをひらひらさせて顔を背けた。
 その後は、別れの挨拶もなく奏たちは荒野を歩き出す。
 左手方角には、崩壊した廃墟の町。あの崩壊の中、生き残れたのも不思議だが、おそらくこの先、それ以上の危険が待っている。
 いつまでも命が続くとは限らない茨の道。0
 
 
 
 隔世が残酷無慈悲で、戦乱のごとく生臭い死と絶望の世界だといっても、現世だって決して優しい世界であるわけではない。
 窓を開けて外界の空気を嗅ぎ、そこに異臭を感じ取れない、いや、感じ取らない人間はひょっとしたら世界が優しく見えているかもしれない。
 歩みを進め、本を開き、薄汚れた尻の穴をのぞき見るかごとく、狡猾に世界を省みない人々にとっては、世界が上質な絹のような手触りに感じるかもしれないが、それは表面を撫で付けただけの本質を無視する行為だ。
 心地よいと感じるのは、やわらかい皮膚に覆われているから。
やわらかい乳を揉みしだくときに恍惚を感じていようが、いったん皮を剥げば、グロテスクな脂肪の塊と生臭い血液が詰まっている。
 もたれかかる厚い胸板も、寄りかかる大きな背中も、一皮向けば大量のミミズがうごめくような赤い筋肉繊維が覆っている。
 本質や真実を省みる行為は決して幸福の行為とは言いがたいが、青い空を見上げて「美しい紺碧」「抜けるような空色」「神秘的な大宇宙」などと感じている間は、いつかその空が落ちてきたとき、呆けたまま押しつぶされるだけである。
 俺はたとえ空が落ちてきようとも避けてみせる。空を見上げてあんぐりと口を開いて呆けている奴らとは違う。俺はいつだって備えている。いつだって警戒している。いつだって疑っていて、いつだって観察している。たとえ、この一生の間に空が落ちてくるようなことがなかろうと、俺は決して油断しない。
 なぜならば、いつだって美しかったり、頼もしかったり、優しかったりするものは、いずれ猛烈に裏切るからである。
 一方、本質は裏切らない。
 たとえば快楽殺人者。人を人とは思わない冷酷な殺人鬼。そいつは、否定されようが罵倒されようが、結局は快楽のために人を殺す。哀願しても命乞いしても命なんてなんとも思わず、心も動かない。――裏切らない。
 たとえば百獣の王であるライオン。どんなに倫理を説いても、愛を持って接しようとも、空腹になれば人を食い殺す。――裏切らない。
 優しい世界はいつか搾取され、奪われ、失われる。優しい人間は、いつか愛想を尽かし、傍から離れていく。
 暖かい春はやがて夏に燻され、日の恵みを与える夏は、いずれ秋に粛殺され、大地に豊かな栄養を与える秋は、やがて冬に蹂躙される。
 ゆらぎ、回転し、巡り、回帰する輪廻の渦は、いつも俺を弄び、痛めつける。
 静かに佇み、いつも変わらず俺を迎え入れてくれるもの。必ずそこにあり、確かに存在し、裏切らないマテリアルは、ただひとつ本質だけである。暗闇こそが絶対の父。光は飛び回り移動を続けなければ、暗闇に食い殺される。闇はいつもそこにあり、確かなものであり、絶対の存在。
 だからこそ、いつも闇を信じてさえいれば、動じることもないし、うろたえることもない。
「子供、どれくらいほしい?」
 そうたずねられるたび、向けられる愛を感じ、この上ない喜びが全身を満たした。唇を横に伸ばして、優しい形で笑みを作る君が「男の子がほしい? 女の子がほしい?」と俺に選択を迫るたび、心は感動に震え、そして漠然とした不安に恐怖した。
 俺は答えを出さなかった。それは恋の駆け引きかとたずねられれば、そうであったのかもしれないが、答えを出さなければ、いつまでも君は同じ問いを繰り返し、俺の心を震わせてくれる。
 俺に寄りかかってくる君の肉の感触と、ことあるごとに君の素直な髪が俺の肌をなでるこそばゆさが、俺の不安をあおり、俺の不安を払拭する。
 奇妙な矛盾を抱えた心模様は、ひどく狂おしく心地よい。これが揺らぎなのだろうと確信した。流動的であるが時々跳ね上がり、突然引き返したり引きこもったりして、俺の感情を戸惑わせる。薄いゴム風船のような心を揺らぎが弄び、そして優しく包み込むように抱き上げる。それは必死に防御しようとも、そっと触られてしまう心の大切な部分。
 愛していると口にしたことはなく、それらしい意思表示をしたこともない。笑いかけることがあっても、どれほど君を大切に思っているか、どれほど失いたくないと思っているか、伝えたことは一度もない。
 なぜ積極的に心を伝えることをためらったのか。
 今になればわかる。
 俺は予感していたのだ。
 確かにそこにあり、不動であるはずのこの幸福はいずれ蹂躙されるのだと。
 
 俺が大家貴信の元を訪れたのは、妻と娘がいなくなって一年後のこと。
 ところで「霊感」というのを知っているだろうか。
 ただ「霊感」というとオカルトめいたものを抱いてしまうが、ここで言っているのは、どうにも説明できない第六感ことである。それは虫の知らせなどと形容されたり、予感と形容されたりすることもある。
 確かに子供のころから妙に勘がよく、特に危機や不幸の訪れを敏感に感じ取ることのできる不思議な感覚を持ち合わせていた。
 人の死、突然降りかかる危険、そんなものをなんとなく悟っては、回避してきた。攻め時や潮時を熟知し、仕事でも相応の成果を上げて暮らしは決して苦しくなかったし、信頼や羨望を集める仕事ぶりには満足していた。
 すべてをなげうって、大家貴信の元を訪れたのは、何よりも重要な探し物ができたからである。
 大家貴信をたずねる数日前に、とある男に出会い、大家貴信への紹介状をもらった。紹介状を片手にある民家を訪ねたのである。
 民家には老婆が一人。大家貴信の母親だと思っていたが、後から聞けば血のつながりなどない大家貴信の部下の一人だった。
 俺は紹介状を老婆に見せ、大家貴信に会いたいと申し出た。
「なぜ、大家に会いにきた?」
 老婆に尋ねられ、俺はよどみなく答えていたと思う。
「大切な探し物ができた。大家貴信という男は、鋭敏な感覚を育成するスクールを経営していると聞いた。ぜひ教えを請いたい」
 訴えるように言うと、老婆は返事もせずゆっくり腰を上げ、奥の間に消えていった。帰れとも待っていろとも言われていない俺は、どうしたものかと戸惑っていると、老婆は暗い奥の間から何かを手に持って引き返してきた。
 テーブルの上に滑らせてよこしてきたのは、奇妙な形状の物体が二つ。
「これは、戒具と呼ばれる道具。それと、もうひとつは詳細に説明してやれないが、情具とでも言っておこう。それぞれ、おぬしの適性を調べるための道具だと思えばいい」
「適性?」
「そう。適性。占いみたいなもの。二つの道具は同じ棒状であるが、頂点に玉が乗っているのが見えるな?」
 棒状の道具が、湯飲みのように二つ立てて並べられている。その二つとも鉄片にガラス玉のような物が乗っている。それぞれ、老婆が「戒具」と説明したものには青い玉。情具と説明したものには赤い玉
 老婆は表情一つ変えず、間違えばからくり人形なのではないかと思わせる無感情さで二つの道具を俺の目の前に移動させる。
「先に説明しておく。この二つは適性を示すものといったな? これからこの道具を両手で同時に掴んでもらう。すると、適性のある玉が仄かに光りだすだろう。情と戒、どちらに適性があるか調べるもの」
「情と戒……」
「適性ありとみなされれば、おぬしを大家に紹介しよう。ただし、適正なしとみなされれば即刻お帰り願う」
「ちょっと待ってください。こんなもので何がわかるというのです?」
「いいから、だまされたと思ってやってみな。ただし、最初に説明しておく。合格基準についてだ。話は単純、戒具の玉が光ったら適性ありとみなす。情具が光ったら、あるいは両方光らなかったら適正なしとみなしお帰りいただく」
「両方光ったら?」
「ふん。ありえん。おぬしは天秤が双方に傾くことを見たことがあるのか? 天秤は片方に傾くか、どちらにも傾かないか、だよ」
 天秤にたとえられる情と戒。
「教えてください。情と戒とはいったいなんなのです?」
 老婆は興味がなさそうにそっぽを向きながら答えた。
「本質を語るには、この老婆にはまだ経験と知識が足らぬ。ただ、一般的には情は想念、戒は欲念と言われている。言葉の意味をそのままとるなよ。情は想念と言うのは、想像や強い思いが原動になる力。愛情や怨念と言ったものも情に含まれる。戒は欲念というのは、要するに欲を滅して、自身を戒めるということ。自身を律し、戒めることで得られる力。前者は神道、後者は仏道と安直に切り分けるものもおるが、そのほうが素人には分かりやすかろう。なお、情に適性があったとしても悲観することはない。光るだけでも逸材だ。ただし、いま大家は「戒」を必要としている。ただそれだけのこと」
 賽銭や絵馬、短冊などに見られる祈願が「情念」に例えられているのだろう。転じて仏教の数々の戒行における修行によって得られると言われる功徳などが戒にイメージされる。
 俺は自分をイメージした。今の心情。これは紛れもなく情である。強い願い、断固な意志、これは前に説明のあった情そのものだ。
 ところが、老婆は「戒」に適性がなければ、大家には会わせないという。この道具がいかさまではない保障は何もないが、もし本当だとしたら、意図的に「戒」を光らせることはできないだろうか。今からでも心を「戒」の方向へ導き――。
「無駄だよ」
 老婆が俺の心を悟ったかのように言った。
「どんなに自己暗示をかけようとも、適性は誤魔化せん。適性とは生まれ持ったものだ。お前はお前として生まれたことを偽れないように、適性も自己ほどに不動のもの。まあ、情にしろ戒にしろ、適性が現れるのはせいぜい千に一つ。おぬしに適性が現れる可能性はほとんどない。もっと言えば、適性が現れたとしても、そのほとんどは「情」を示す。「戒」に適性をしめすのは長年修行を重ねた坊主か、変態くらいなもの。駄目で元々じゃ。リラックスせい」
 まるで毎回、宝くじを買って夢をはせる主婦のような理屈だ。
 外れて当たり前、あたったら儲けもん。そのくらいの気持ちで望めと言っている。だが、今の心境はそんなのんきなものではない。
 どんなことがあろうとも「必ず」大家貴信に教えを請い、そして周囲にいる特殊な人間たちに一人でも「人探しの能力者」のような都合のよい占い師がいるかどうか、探さなくてはならない。
 これは宝くじを買うような軽々しい気持ちなどではない。すべては「絶対」に実現され、俺の思ったとおりにならなければならないのだ。
「さあ、そろそろおやり」
 老婆に促され、俺は自分の汗ばんだ両手を見た。この両手それぞれで戒具、情具を掴む。
 掴んで、適性のあるほうの玉が光る。
 イカサマかもしれない。
 やってきた俺のような男を門前払いするための、ただの手段かも知れず、適性を調べる道具などと言うのは、体のいい作り話。
 当然、その可能性も考えなければならない。たとえ玉が光らなくても、俺は絶対に引き下がるわけには行かない。たとえ、この老婆を押さえつけ、人質に取ってでも大家貴信に会わなければならない。
 俺はそっと両手を伸ばした。
 情と戒。聞きなれない、常軌を逸した理屈。だが、心の闇と隙を狙って財産をむさぼり取る新興宗教にはまり込む、盲目の信者同様、俺は背徳と偽りの世界に引きずり込まれていくしかないのだ。
 二つの道具に触れる直前に、俺は躊躇した。テーブルの上に投げ出した両手を、再び膝の上に置く。
 その様子を見ていた老婆が口を開く。
「おぬしにここを紹介した男だが……」
 土砂降りの中を歩いてきたような顔をあげて老婆をみる。老婆は小さな体には不釣り合いなロングタイプの煙草をくわえ、火を点けるところだった。
「その男は名を柊天馬という」
「しかし、紹介状には……」
「鈴木太郎……はあやつがよく使う偽名だ。偽名を使うのは、あやつが数年前に組織を除名処分させられたからだ。表立って名前を使えないのだろう。柊天馬も組織には中途で採用された。世襲や正当な家系の子孫で、そのほとんどの構成員を抱える組織にとって、外部からの中途採用は極めて珍しいことだった」
 俺はその時点で、全身を粟立てていた。老婆の言わんとしていることを、半ば悟っている。
「柊天馬を迎え入れるということは、組織にとってもリスクを負うことになる。なぜならば、世間的にはほとんど存在を知られていない組織を、外部の信用の無い人間に知らしめることになるからだ。もし柊天馬が、組織に反発する別の組織のスパイだったら? 外から吹く新しい風に、組織が毒されて伝統や格式が汚されるようなことにはならないか。そんな危惧を抱くものも少なくなかった。それでも柊天馬は組織に入った。上層部連中の危惧など吹き飛ばすほどの資質と力を持っていたからだが、なにより柊天馬は人を出し抜き、おとしめ、利用しつくせる狡猾な男だった。上層部にはへつらい、隙を見ては弱みを握り、人を人と思わぬ狡猾さで闇より人を操り始めおった。数年もすると、柊天馬は組織内に大きな派閥を形成し、それまでには存在しなかった血みどろの組織の主権争いを招きよったのだ。上層部の影響力のある高位顕職どもは次々に柊天馬の派閥に対抗する派閥を組織し、伝統と格式に守られていると信じられていた地位を必死に守り始めた」
 老婆が天井に向かって、紫煙を吐き出す。紫煙は無風状態の室内で漂い、天井付近でとぐろを巻き、たゆたう。
「結局は、伝説の獅子と呼ばれる緑眼の男が登場して事態を諌めるのだが、その事件以来、組織は外部からの中途採用に至極消極的だ」
 要するに、老婆は俺に、あきらめて立ち去れと言っている。もとより俺を受け入れるつもりなど毛頭もないのだ。
「……ところがな。そんな消極的な風習に懐疑的な者もいる。いつまでも凝り固まった組織の伝統や格式をひきずっているから、組織は発展しない。そう公言してはばからない男がいる。その男とは大家貴信のことだ。柊天馬が組織を除名処分させられたことも批判的だった。柊天馬は組織に混乱をもたらしたが、それは組織を改革し、発展させようとする純粋な志があったからだと柊天馬を擁護した。それ以来、大家と柊はよく気があって、いまでも親交があるそうだ。だが、これまで柊天馬が紹介状をしたため、大家に人間を紹介したことなど一度もない。これはものすごく珍しいことだ。だからこそ、わしはお主に戒具と情具を差し出して、試験をさせておる。柊天馬が見出したおぬしの才能。それにこの老婆は心ふるえるほど興奮しておる。柊天馬が紹介してきた男だ。自信を持ってよい」
 話が俺の想像とは異なる路線に向かっていった。
 老婆は怖気づく俺を激励しているのだ。
 俺は意を決した。膝に張り付いていた両手を引きはがし、ゆっくりと両手を戒具と情具に伸ばしていった。
 
 
 
 ふと目覚める。
 どうやら、懐かしい記憶を夢でたどっていたようだと気づく佐々倉。
 眠気眼でぼやける視界には、奏の背中が見えた。
 やれやれ、俺の人生設計を無視して、ひとり突っ走り続ける爆弾小僧の背中が、より一層恨めしく見えた。
 よくよくここまで生き残れたものだと思う。ここまでたどり着くのに、どれほどの試練と命の危機があっただろうか。
 こいつと一緒にいる限り、いつか俺は奏に殺される。そうとわかっていても、俺は奏から離れることができない。
 それもこれも、俺の胸の上で寝息を立てるちびっ子ギャングのせいである。奏でにとりつく眷族というやつらしく、よりによって奏の所有物だ。こいつがいなければ、俺は隔世の瘴気にあてられて死んでしまうというのだから始末が悪い。
 奏と離れるということは、このちびっ子ギャングと離れるということ。俺は暴走列車に搭乗する哀れな乗客である。
 上半身を起こすと、胸に乗っていたトレミが俺の腹の上を転がり、最後に地面に落下した。どうやら地面に尻を打ち付けたトレミがぴいぴいと喚いていたが、もう慣れた。
 俺は額をなでながら、いつ終わるともわからないこの旅路を憂いだ。
 グロウリン宮殿にたどり着くまでの詳細な経緯は割愛するが、簡単に話すならば、途中で駆馬という馬の入手に成功したのが、時間の短縮に大いに貢献した。
 というのも、道中で盗賊に出くわしたのが幸運で、不幸だった。荒野を抜けたころ、大河が流れる河岸を歩いているとき、盗賊団に出くわした。
 抵抗する力もない奏たちはあっさり捕らえられ、身包みをはがされるが、そこでクユスリに貰ったナイフが役に立ったのだ。
 クユスリがマーメイド盗賊団の団長である話は事実らしい。クユスリと懇意であると知った盗賊団は、奏と佐々倉を盛大に歓迎し、夜通しの宴会まで開いて、翌朝には駆馬という貴重種の馬まで提供してくれたのである。
 駆馬というのは現世でいう馬を、少し小さくしスリムにした動物だ。奏は当然、馬など乗ったことがなく、丸二日その場で乗馬の訓練をさせられた。佐々倉は乗馬の経験があって、一時間少々の練習で駆馬を乗りこなした。
 二日間の足止めは痛手だと思ったのもつかの間、足止めされた二日間などカバーして余りある駆馬の移動速度に、順調にグロウリン城塞都市までの距離は縮まっていった。
 ところが、駆馬で快調にグロウリン城塞都市へ向かっている道中、再び盗賊団に出くわしたのである。今度の盗賊団もマーメイド盗賊団だったが、馬で走りながら奏が必死にナイフを掲げようとも、盗賊団は無反応。ナイフのご加護を得られないと悟った奏たちは、やむなく駆馬を盗賊団に差し出すことで、事なきを得たのだった。いずれにしても、駆馬以外のものを、奏たちが所持していなかったので、身包みをはがされる危機は乗り切った。
 駆馬を失った奏と佐々倉は、ふたたび徒歩でグロウリン宮殿に向かった。そこからは三日ほどでグロウリン宮殿近辺までたどり着き、グロウリン宮殿手前にある渓谷地帯で様子を見ることにした。
「目だな、ここは」
 渓谷地帯手前の、岩山の影にキャンプを設け、水分補給をしていたときだった。(ちなみに食事はない。最後に食事をしたのは二日前で、小動物を捕まえて肉を捕食したが、保存しようとバッグに肉を入れておいたら、においをかぎつけた肉食獣に襲われて、仕方なく肉を手放した)
「目って何ですか?」
 佐々倉は空腹を紛らわすかのように、大量に水を飲んでから言った。
「目だよ。おそらく、上空から見たらよく分かるだろう。あの広大な城塞都市、あれは黒目」
 岩山の高台から遠巻きに見える城塞都市。何十メートルもありそうな城壁に囲まれた城塞都市は、外観で言うと地面から突き出た強大なドラム缶。
 もちろん、外壁の向こう側は一切うかがい知ることができない。
「目を縁取るように、深い渓谷が周囲を囲んでる。あの渓谷を渡るには、橋を渡らなくちゃならないだろうが、もちろん、三つ目族の守衛がいるだろうな。橋を渡る以外で渓谷をわたるには、空を飛ぶくらいしかないが……」
「それなら、ラリルドさんから攻略方法を聞いています」
「ラリルドから? あいつは城塞都市を警護する人間だろう。そんな人間が、簡単に城塞都市に侵入できる方法を知っていたら、すぐに穴を埋めるはずじゃないか」
「そうでもないらしいです。実は城塞都市内では、それなりに立場を確立している二つ目族も居るみたいで、闇ルートから外部に行き来できる二つ目族も居るみたいです。いままでその闇ルートで逃走したり、問題を起こしたりしたことがないので、警備兵たちは黙認しているみたいなんです」
「奴隷に自由を与えているのか?」
「一部の二ツ目族だけです。二ツ目族の中にも、農耕の素質を持ち、豊かさを三ツ目族にもたらす一部の能力のある者は、ある条件の下に自由が許されているそうです」
「ある条件?」
「三ツ目族の利益に繋がる理由があれば。たとえば、新しい農産物を取得するため、宮殿の外に種を探しにいったり、他の都市へ情報交換に出かけたり」
「三ツ目族は付き添わないのか?」
「ありません。ただし、そこには多大な三ツ目族からの信頼がなければなりません。申告した期間で、必ず戻ってくること。期間内に戻らなかったり、宮殿外での不正行為が知られれば、本人の処罰だけではすまず、奴隷である二ツ目族全体の問題となります。許されていた一握りの自由さえ失われ、今以上の酷遇が待っています。そんなわけで、誰も脱出を試みたり、不正を働く者はいないそうです」
「なるほどね。ところで、それを利用し、どうやって宮殿内に進入する?」
「もうひとつ、あるんです。二ツ目族が宮殿の外に出かける理由が。それは奴隷集め。三ツ目族にとっては二ツ目族もひとつの資源。国中で捕らえられた二ツ目族を、宮殿内に移送する。そんな仕事も担っています」
「そんな仕事、変わりに二ツ目族がやるもんなのか」
「仕事で成果を残し、うまく三ツ目族に取り入った二ツ目族だけが許される仕事です。その二ツ目族には見合うだけの自由と、報酬が与えられるそうです。当然、奴隷内での高い地位も」
「奴隷内に階級が存在するってことか。なるほど、士農工商えたひにんってわけだ」
「三ツ目族も、面倒な仕事は二ツ目族に押し付けたがっている。そんな隙を狙って、宮殿内に進入します」
「お前の話だと、奴隷商人に買われた奴隷として宮殿内に侵入するというふうに聞こえるが」
「そうです。奴隷として侵入するんです。運び込まれる奴隷たちに混じって」
「それが可能だとしても、当然、宮殿内でお前に自由はない。それどころか、すこぶる危ういぞ。お前の命どころか、問題を起こせばたくさんの二ツ目族の犠牲者が出かねない。今まで培った二ツ目族の信用を失墜させることになるんじゃないか?」
 佐々倉がそういうと、奏は苦しそうに押し黙った。
 佐々倉は肩をすくめると「まあ、俺はなんとも思わんがな」と冷たく言い放つ。
「俺はいいが、お前はその辺の倫理観に左右されやすいからな。その他大勢の犠牲を払ってまでも、お前は宮殿に侵入する気なのか?」
 答えない奏。しばらく沈黙が続いたあと、佐々倉の頭の上を陣取っていたトレミがもぞもぞ動きだした。
 なにやら発言しそうだ。佐々倉はちっと舌打ちをする。トレミが会話にまじるとややこしくなる。いらぬことを言って奏を混乱させても仕方がない。勝手に宮殿に侵入して傷ついてくればいい。
 会話を切り上げようとすると、奏が苦悶を吐き出すように口を開く。
「俺は決めたんです」
 今にも泣き出しそうな顔を起こし、佐々倉をにらみつける奏。
「もう、迷ったりしない。立ち止まったりしない。どんな犠牲を払っても、俺は前に進んで、ユーナを助ける」
「宮殿にはユーナはいないんだろう?」
「わかりません。それを確かめるんです。投獄されていたのは、紛れもない事実です。それ以外のことは何もわからないんです。眷族を召還して逃げたのか本当にユーナなのか、本当にユーナならば、彼女はどこに逃げたのか。それに、ユーナはいったい何者なのか」
「そう。カナデはユーナを助けるんだ!」
 大きな声を上げて、佐々倉の頭の上で飛び上がるトレミ。
「トレミは何をすればいい? なんでも協力するぞ!」
「トレミは待機していてほしい。佐々倉さんとここで」
「待機? 待機ってなんだ?」
「これは俺の問題だから……。トレミは佐々倉さんの傍にいるのが、一番大事な使命だよ」
 奏の性質上、自分の都合で周りの人間を巻き込むようなことはしないとわかっていたが、これにトレミが納得してくれないと、下手すれば佐々倉はこのバカげた作戦に巻き込まれてしまう。
「カナデ、一人で行くの?」
 トレミの問いに、奏は首を横に振る。
「行くのは一人だけど、大丈夫、用がすんだら戻ってくるから」
 佐々倉はふと気付く。
「そういえばお前、城砦都市に侵入するのはいいが、どうやって戻ってくる気なんだ?」
「それもラリルドさんと相談しました。どうやら廃墟の町で作成した御札が役に立ちそうです。御札は三つ。竜巻の御札と物体操作の御札と衝撃波の御札。衝撃波の御札であれば、城壁を破壊することが可能だそうです。それで脱出します」
「ふうん」
 佐々倉は深くは追求しなかった。そんな稚拙な作戦で簡単に脱出できるとは思えない。
「佐々倉さん、もし俺に何かがあったら、迷わずこの場を離れて現世に変える方法を探してください」
 そう。奏に何かあれば、奏の眷族であるトレミがいなくなる。そうなれば命の猶予はそう長くない。
「これは提案なんですが……」
 奏が続けていった。
「この近くに聖域があるそうです。ラリルドさんが言うには、三つ目族の警備はされていても、宮殿に近いせいか、誰も近寄らないだろうと高をくくって警備は非常に甘いそうです。どうですか? 俺が城砦都市にいる間、聖域に行って佐々倉さんも眷族と契約しては」
「契約だと? 冗談じゃない。お前のファミリアの聖域での話を聞いてたら、とてもじゃないがそんなリスクは負えない」
「眷族と契約できれば、佐々倉さんは自由ですよ。無理に俺と一緒にいる必要もないし」
 要するに、厄介払いだろう。一緒にいてもなにも手伝わない、協力しない佐々倉は、奏にとって邪魔だとでもいいたいのか。
「まあ、考えておこう」
「聖域は渓谷の中です。見えますか? あそこに建造物がある」
 奏が遠くの城砦都市を指差す。目を凝らすと、渓谷のこちら側に奇妙な形をした建造物が見える。
「あそこが聖域の入り口をふさぐ役所になっています。ただし、警備は薄いとのことです。ラリルドさんがいうには、深夜を狙えば子どもでも侵入できるとか」
 それがどこまで信じられるか。所詮、三つ目族の言うことだ。
「俺はこれから、二ツ目族が外出に使用するルートに向かって、二ツ目族が通るのを待ちます。どれくらい時間がかかるか分からないので一人で行きますが、佐々倉さんはここでトレミと待っていてください」
 やれやれ。
 こいつ、やっぱり本気で三ツ目族の本拠地に単身乗り込むつもりだ。こいつのバカみたいな無謀さは一体どこからやってくるのか。命が惜しくないのだろうか。
 ただの異世界の奴隷の娘のために、そんなに熱くなってどうする。そのおかげで俺はこうして孤独な異世界に飛ばされる羽目に……。
 もう悔やんでも仕方がない。
 とにかく、俺は現世に戻る方法を見つけるのが最優先だ。
「それじゃあ、しばらく離れ離れになりますが、トレミをよろしくお願いします」
「トレミはだいじょうぶだ! しっかりササクラをめんどうみるからな!」
 一著前に胸を張ったトレミに、奏が微笑みかける。
 だが、佐々倉は見逃さない。笑みを作った奏の瞳が笑っていない。
 まるで処刑台に向かう死刑囚の目。
 何を考えているか分からない目だ。
「じゃあ、行ってきます」
 奏の言葉に、佐々倉は手をひらひらゆすった。
 頭上ではトレミが「がんばれよ、カナデ!」といつまでも手を振っていた。

 

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