あっちから変なの出てきた

----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
----------------------------------------------------------------------

第五章 【 廃墟の街 その3 】


 奏とプティシラ、佐々倉、トレミの四人で崩れた廃墟の中から人骨を採掘することになった。仮にも人間の骨を拾いまわるなど、現世においては考えられないことであったが、不思議と抵抗感はなかった。これも隔世という異様な世界が、奏や佐々倉の意識を麻痺させているかもしれない。
 ラリルドといえば、相変わらず見張るように後を付いてくるが、律儀にトレミとの約束を守ろうとしているのか、襲ってくる気配はないが、もちろん作業を手伝うようなそぶりは見せない。
 人骨を拾い集めているときに、奏の胸に渦巻いていたのはユーナのことだった。グロウリン城塞都市の地下牢に幽閉されているというユーナ。急がなければならないのに、こんなところで足止めを食っていていいのだろうか。こうしている間にもユーナは暗い地下牢で苦しんでいるのだ。
 歯がゆい。早く行かなくては。だけど、プティシラを放っては置けなかったし、なにより隔世において思い知った力不足。
 この手にある力の、なんと矮小なことか。こんなことでユーナを助けられるのか。力がほしい。ユーナを助けられる力。今のまま三ツ目族の中枢であるグロウリン城塞都市へ向かっても、ユーナを助けるどころか、三ツ目族の発する衝撃波ひとつで奏など粉々である。
 御札をなんとしても作り出さなくては、これから先、進むことができないのは明白。ここで力を手に入れる。悲壮な思いの中、ある程度の人骨を廃墟の町の外まで運び出すと、いよいよ御札製造の段取りとなった。
 荒野が続く大地の真ん中。廃墟の町が潰れた影響で、見渡す限りが地平線である。果てしない荒廃が支配する大地の中心で、いよいよ製造が始まる。
 奏が頭蓋骨といくつかの骨片を地面に置くと、プティシラにお願いした。
「圧縮して石化してほしい。できるかい?」
「できると思うけど……」
 怪訝そうな様子は隠せない。隔世に今まで御札という概念は存在していなかったはずだ。プティシラにはこれから行おうとしている作業が不可解でならないのだ。
 それでもプティシラは頭蓋骨に向かって手を伸ばす。特に手から何かが漏れ出すような雰囲気はないが、一方の頭蓋骨は何らかの影響を受け、黄色く光りだしていた。佐々倉は無言で注目している。トレミも口数が少ない。佐々倉と奏の緊張感を悟って、トレミも緊張しているのだろう。
 もあんもあん。
 かすかであるが、プラスティック製の下敷きがたわむような奇妙な音を立てて、黄色い光の中で頭蓋骨が縮小していく。最終的には親指程度の大きさに石化した。
「ありがとう、プティシラ。後は俺が試してみるから」
 奏は人骨が石化したものを拾い上げ、近くの岩場に腰掛けた。奏は廃墟から持ってきた細長い鉄の先端を使って、小石の表面を削り始める。傍で様子を観察しながら、プティシラが尋ねた。
「ねえ、あなたの居た世界では三ツ目族や四ツ目族は居ないの?」
 御札のことを聞かれると思っていた奏は肩透かしを食う。
「居ないよ。人間は二ツ目族だけ。言葉を喋ったりするのも二ツ目族だけ」
 現世の人間を「二ツ目族」と形容するのもなんだか違和感があった。
「私の居るこの世界と、カナデの世界とは何が違うの?」
「分からないな。現世も広いんだけど、俺が知ってるのはごく一部だから」
「カナデの知ってる世界はどんな風なの? 私みたいなのもいる? ラリルドみたいのとか」
「プティシラみたいな子もいるよ。ラリルドみたいのは居ないけど。でも、眷族とかは居ないし、現世は通力より、科学の力が発達してるんだよ」
「科学って?」
「物のいろんな性質を利用して、いろんな困難な出来事を簡単にすることだよ。夜暗ければ、木で火を起こすのもひとつの科学」
「焚き火がもっとすごくなったのが科学?」
 焚き火のグレードアップ版。それは要するに爆弾やミサイルなどの殺人兵器。そんな連想をして、科学が必ずしも最良の形で平和利用されて来たわけではないことを思い起こす。
「ねえ、奏は奴隷じゃないの?」
「奴隷じゃないよ。少なくとも俺の住んで炊くにはとても平和で、みんな平等なんだ。男も女も。どんな人でも」
「へえ!」
 プティシラが目を輝かせた。
「みんな良い人なの?」
「大抵の人はいい人だよ」
「だから、カナデもいい人なんだ。私、この世界でいい人なんか出会ったことないもん」
 奏はふと気になって、手を休めるとプティシラを見た。見つめられたプティシラは戸惑ったように目をそらす。
「なあ、プティシラ。なんでルウディを追ってるんだ? ルウディに何か恨みでも?」
「ルウディ? 恨み? ないよ。理由なんか何もないよ」
 前もそう言った。理由がないわけがない。まだ喋る気にはなっていないのか。
「言いたくないのなら仕方ないけど、君みたいな子が危険を冒してルウディを追うなんて」
「君みたいな子って? 私ってどんな子?」
 興味津々そうに聞いてくるプティシラ。論点がずれた気がする。
「俺の居た世界なら、君みたいな子はきっとたくさんの男の人に好かれて、素敵な人と結婚して子供を作って」
「カナデは?」
「え?」
 プティシラが身じろぎしながら、体を近づけてきた。
「カナデは私のこと、可愛いと思う? 私のこと、好き?」
 奏は硬直して動けなくなった。プティシラはじっと奏の顔を覗き込んでくる。なにも答えられないでいると、プティシラは奏を解放するように笑みを作った。
「困んないでよ。ユーナだっけ? その子のためにわざわざ異世界からやってきたんだもんね。分かってるよ」
 なにも答えられない。胸を叩く心臓の音が聞こえてくる。
「プティシラ、もし良ければ……」
 うん? とプティシラが首をかしげる。
「一緒に俺の世界に来ないか? 君はこんな残酷な世界に居るべきじゃない」
「本当? 奏の世界って平和な世界でしょ。私を連れてってくれるの?」
「待て待て待て待て!」
 会話を聞いていた佐々倉が大声を上げながら詰め寄ってきた。
「またか奏! いいか、現世でもお前の軽々しい口約束のために大混乱を招いたのを覚えてるか!? こうして俺がここに居る原因を、お前は本当に分かってんのか!」
「さ、佐々倉さん……」
「これで何人目だ? 何人現世に連れて行くつもりだ。洞窟で会った婆さんと、このちびっ子とユーナとか言う奴! 加えてプティシラもだと! お前、そんなこと本当にできると思ってるのか?」
「トレミはちびっ子じゃない!」
 トレミの非難轟々を無視して、さらに奏に詰め寄った
「現世の空気自体が人外にとって毒であることを知ってるだろう。もし百歩譲って連れて帰ることができたとしても、人外が生きれるのはせいぜい半年から数年だ」
「今は分からないですけど、現世でも生きれる方法を見つけます。だから……!」
「だから軽口だって言ってるんだよ! 方法もないのに約束するな! 現世に帰る方法もなければ、人外が現世で生きる方法もない!」
「見つける!」
 奏は勢いよく立ち上がると、佐々倉の勢いを挫くかのように詰め寄った。
「この世界は間違ってる! どうしてユーナやプティシラのような女の子が奴隷にならなくちゃいけない! もっと普通に幸せに生きたっていいだろ!」
 奏の剣幕に、思わず後ずさりする佐々倉。トレミとプティシラもやり合う二人を呆然と見上げている。
 佐々倉は一端は物怖じしたものの、負けじと言い返した。
「お前、この世界の二ツ目族を全て現世に連れていくつもりか? たいそう高尚な考えだが、一人や二人救ったところで、多くの二ツ目族は蹂躙されて死んでいってるんだぞ」
「俺が全ての二ツ目族を助けられるわけがない! ユーナだって助けられなかったんだ! だけど、出会った人たちだけでも助けたい! なんでそう考えちゃ駄目なんだ! 目の前で苦しんでる人を放っておけって言ってるのか!」
 佐々倉はカチンと頭の中で鳴り響いたのが分かった。この幼稚な甘ったれの理想家が。
「救えないって言ってるんだよ! お前はその約束を絶対に守れるのか! 本当に洞窟のババアやプティシラを現世に連れて帰れるのか! 約束を守れたなかったとき、お前は『ごめん』の一言で済ます気か? お前のやってることは苦しんでる奴に、かりそめの希望を持たせてるだけだ! 約束を守れなかったとき、相手がどんな思いをするか分かってるのか!」
「約束は守る!!」
 奏の怒号が鳴り響き、佐々倉は電気刺激を受けたように凍りついた。なんだよ、その目。お前、少しも疑ってないのか? 少しは失敗を恐れたりしないのか。
 暫時、にらみ合う二人。お互いが一歩も引かないと無言で圧力を掛け合っている。
 先に引いたのは佐々倉だった。佐々倉は「ち」と舌打ちひとつ残すと、奏に背を向ける。その様子を見て、頭に血が上っていた奏も冷静さを取り戻す。
「あの……佐々倉さん、大きな声を出してすみません。でも、俺……」
「いいよ。お前の馬鹿さ加減は思い知ってる。だけど、俺は協力しないからな。俺の望みは現世に帰ることだけ。そのとき、お前が人外を連れて帰ろうが、失敗しようが知ったこっちゃない。俺一人でも現世に帰る」
 そういい残して、佐々倉は離れた場所にごろんと転がって不貞寝した。
「私は信じるよ、カナデ」
 プティシラが言った。振り返ると、プティシラが笑みを作っている。
「私、決めた。カナデの世界に行く。ルウディをやっつけたら」
「トレミも!」
 トレミが飛び上がるように手を上げた。
「トレミもカナデの世界に行って、一緒に住むんだ!」
「トレミ……プティシラ……」
 奏は複雑な気持ちだった。冷静になってみれば、佐々倉の言うとおりである。本当に現世に帰れるのか、本当に現世にみんなを連れて行けるのか、現世に連れて帰ったところで、本当に現世にコソボ婆やトレミ、プティシラが生きていける環境が存在するのか。
 ユーナを救えるのか。
 ルウディが言った。
 君にユーナは救えない。
 思い出して、胸が張り裂けそうになった。
 ルウディの言葉は、呪いのように繰り返しよみがえっては奏を苦しめるのである。
「私はルウディを倒す。カナデはユーナちゃんを救う。それぞれの目的が終わったら連絡取り合って、一緒にカナデの世界に行こう」
 プティシラの前向きさに、ルウディの呪いが少し和らぐ。
「……そうだね。俺が現世に帰るときの待ち合わせを決めよう。この場所でいいかな」
「場所はどこでもいいよ。連絡くれれば」
「連絡……。この世界には電話みたいなものがあるの?」
「デンワ? それは知らないけど、ノエルが居るから大丈夫」
「ノエル?」
「あ、今呼び出してみるから」
 プティシラがそういうと、おもむろに目を瞑って瞑想に入った。すると、プティシラの周りにどこからか風が吹き、彼女の服や髪を波打たせる。
 ノエルとは確か眷族だ。プティシラが契約している二体の眷属のうちのもうひとつ。奏が目を見張っていると、何もなかった地面からボールが弾むように「ぽん」と音を立てて、何かが飛び上がった。
 これが眷族の召喚。奏は驚愕の思いで事象を目の当たりにしていた。出現した眷族は、現世でもおなじみのウサギの様相である。だが、現世でのウサギと違うところはメガネをかけ、気取ったスーツを着ているところだ。
 ウサギは空中に浮かんだまま、手に持っていた手帳から視線を移し、顔を上げた。
「プティシラ、何の用だ。私は忙しいんだ。用もなく呼ぶなといっているだろう」
 ウサギが流暢に喋っている。何の冗談だろう。ウサギが喋るのはアニメの世界だけと相場が決まっている。
 いや待てよ、そういえば猫が喋った前例もある。手のひらサイズのちびっ子が現れて喋りだした事実もある(今は大きいが)。いちいちこんなことで驚いて入られないのが隔世という世界である。とはいえ、ウサギが喋るという強烈な不自然さに、奏がしばし呆然としていると、プティシラが宙に浮かんでいるノエルを掴んで言った。
「用があるから呼び出したんだよ。ほら、紹介する。カナデっていうの」
 まるで人形を掴むようにノエルの体を奏に向ける。
「ど、どうも……奏です」
 ウサギに挨拶する自分。ウサギに挨拶する自分……。ウサギに……。慣れろ、慣れるんだと必死に自分に暗示をかける奏。でも強烈だ。ラナ・カンと初めて会った時ほどではないにしても、これは違和感を隠せない。
「おっと、これは失礼。わたくし、プティシラの執事を担当しております、ノエルと申します。以後、お見知りおきを」
「は、はあ……」
 ノエルはメガネを押し上げながら、まくし立てるように喋りだす。
「まったく、最近は用もないのに呼び出す輩が多くて困ってるんです。私はただの執事ですから、戦闘中に召喚されても何もできないといっているのに……。まったく困ったものです! プティシラがやたらめったらカードを配るものですから、世界中あちこちから召喚されて休む暇もないんですよ。それもあまり意味のない用事で呼び出されるものですから、ストレスが溜まって溜まって」
 はあ、ええ、とあいまいに返答しか返せない奏。プティシラがノエルを空中に投げ出すと「もう、いいから少し黙って」と嗜める。
 プティシラが本人に代わってノエルの紹介をした。
「ノエルは自称執事の連絡係り。こいつは世界中の情報を私に伝えてくれる。神出鬼没のルウディを追えるのはノエルのおかげってわけ。ちょっと気取ってるけど、情報収集能力は確かなの」
「それよりも、さっき『世界中の人間から呼び出される』って言ってたけど」
「そう。私が発行してるカードを持ってると、ノエルは誰でも召喚できるの。でも、たくさん配りすぎて、いろいろ呼び出されるからノエル忙しくなっちゃって」
「ちょっとまって」
 奏は重大な事実に気づく。同時に、ウィンディアで牢獄に投獄されていた記憶を思い起こしていた。
「自分の眷族を、他人に召喚させることができるのか?」
 驚愕の思いで尋ねると、プティシラは「そうそう」と言って、懐から一枚のカードを取り出した。
「このカード、私の生体組織が織り込まれてるの。これを持ってると、ノエル限定で誰でも召喚できるようになる」
 クユスリの空間移動能力を持った眷族を、プエラに代理で召喚させた。まさにそれを汎用化しているのだ。
「すごい……! 君はどうしてそんなことできるの?」
「どうしてって……。なんか思いついたから」
「すごいよ。これって、君だけが使えるんだよね。だとしたら革命的だよ。眷族を共有するなんて」
 プティシラは照れくさそうに頭をかく。
「そんなすごいかな?」
「聞いた話だと眷族の共用って、誰もやったことのないことだよ。これができるのなら、きっともっと色んなヴァリエーションで使えるかも。そしたら、きっと人の役に立つと思うよ」
「カナデがそう言ってくれるのなら……」
 おや、とノエルがプティシラを伺い見る。
「顔が赤いですよ、プティシラ」
 ノエルが指摘すると、プティシラは耳まで真っ赤にして頭から湯気を上げる。目くじらを立ててノエルに言い返そうとしたとき、背後にただならぬ気配を感じたプティシラは凍りついた。
 ラリルドがいつの間にか近づいてきており、プティシラの背後に立っていた。苦手な強面の先生がやって来たときの生徒たちように、その場の全員が重々しく口を閉ざした。
「な、何をやってるんだ、さっきから」
 少しどもったようなラリルドの声。ラリルドは奏たちが輪を囲む中心を覗き込む。
「なんだそのカードは。それに、人間の骨を集めて何をする気なんだ」
「おじさんには教えないよ。向こう行っててよ」
 この中で、唯一ラリルドに物怖じしないトレミが冷たく言い放つ。ラリルドは口を半開きにし、愕然としたように固まった。
 誰もラリルドの威圧的な瘴気の中にいて口が開けなかったし、トレミのラリルドに対する鷹揚のない言葉遣いに気が気ではない。
「お、俺にだって教えろ」
「約束でしょ、おじさん。向こう行っててよ」
「約束……うぐぐ」
 ラリルドは腹痛を耐えるように歯軋りする。
「しかしな、すぐに逃げると思ってたお前らが、目の前で何かやってられると気になって仕方がない。ちょっとでいいから何をやってるのか教えろ。ちょっとだけでいいんだ」
 ラリルドが親指と人差し指の腹を少し隙間を空ける仕草をする。トレミが腰に手を当てると、駄々をこねる弟を叱るお姉さんのように唇を尖らせる。
「おじさんは秘密を守れる?」
「秘密だと?」
「約束できるのなら、教えてあげてもいいよ。じゃないとトレミ、怒るからね」
「また約束……うぐぐ、仕方がない。約束は守ろう。なにをやってるのか教えてくれ」
 ひょっとして……。ラリルドはただ、陳腐な興味に惹かれてやってきただけなのだろうか。なんだかんだいって、ラリルドは目の前に標的がいるのに襲ってこないし、トレミの言いなりになっている。
「ラリルドさん、俺たちは御札という道具を作ろうとしてるんです」
 ラリルドがぎょろり、と視線を奏に向ける。背中の毛穴がざわざわと音を立てたが、恐怖を押し殺して言った。
「人骨を使って、御札っていう便利な道具が作れるんです」
「なんだそれは。聞いたことがないぞ」
 目が輝いている。これは紛れもなく純粋無垢な好奇心だ。隠し事に対していぶかしむような視線ではない。
「たとえばラリルドさんの巨大な力。これを封じ込めておく入れ物のようなものです」
「おい奏……!」
 背後で佐々倉の声がした。奏は振り返らない。佐々倉の言いたいことはわかる。佐々倉の慎重な性格からしたら、こんな情報を敵に流すのは以ての外だろう。
 奏はかまわず説明する。
「あらかじめ御札に力を入れておけば、力がない人間でも好きなときにラリルドさんのような力を発動できるんです」
 ラリルドは驚愕の表情を浮かべる。実際のところ、それが驚愕なのかは判別しにくいが。
「そんなことができるのか? それは俺でも使えるのか?」
「誰でも使えますよ。もちろん、ラリルドさんでも」
 ほほお、と不気味な笑顔を浮かべて、奏の手渡した小石をまじまじと観察する。興味津々である。一方、プティシラは青い顔をして、そそくさと距離を置いている。
 トレミも自慢げに胸を張った。
「すごいだろ、おじさん。カナデはすごいんだ。どうだ、見たか」
「どこでこんな技術を手に入れた?」
 急に真顔になったラリルドに尋ねられるが、これは答えられない質問。
「思いついたんです。建物に生き埋めになったとき。もしかしてって」
「うむ。そういえば、お前のせいで偉い目にあったことを思い出した。しかし、約束だ。いまは手出ししない」
 呪文のように独り言をつぶやくラリルド。さすがに生き埋めにした恨みは忘れていないようだ。
「そのカードはなんだ」
 奏が持っていたカードを指差すラリルド。これはプティシラの専売特許。奏の一存では話せない。とりあえず嘘で取り繕うかとも考えたが、やめた。
「これは秘密です。聞きたかったらプティシラに聞いてください。ただし、暴力で無理やり聞き出したらだめですよ」
 奏がそういうと、トレミが同調して言った。
「カナデの言うとおりだ。おじさん、プティシラに乱暴するな!」
「それは約束できん。あの女を捕らえることが俺の生きる目的だからな。だがカードのことを乱暴して聞きだすつもりはない。なぜならばあの女を追う目的とは違っているからだ。俺は約束を守る男だし、筋道の違ったことは大嫌いな男だ」
 奏は思った。やはり、自分はこのラリルドという三ツ目族に対して敵対心を持つことができない。
 三ツ目族とはいったいどんな種族なのだろう。ラリルドに敵対心を感じない奏は一方では混乱している。奏は隔世という世界においては二ツ目族だし、プティシラもユーナも二ツ目族だし、三ツ目族や四ツ目族に虐げられ、奴隷として扱われているのも二ツ目族。
 ところが残虐非道な帝国旅団も二ツ目族であるが、目の前にいるやたら正義感の強い男は三ツ目族である。
 奏の目的はあくまでユーナを救うことである。解放軍である帝国旅団の命により、イスカ領域を通って現世にやってきたユーナ。ところが仕えているのは三ツ目族の王族であるヴァルアラトスという男。しかも、コソボ婆によるとユーナ自身も王族であるという。
 王族でありながら、ヴァルアラトスの召使であり、帝国旅団であり、二ツ目族? いったいなにがなんなんだ。奏は何に対して警戒すべきで、何に対して笑顔でいればいいのか。
 ユーナを救い出すためには、奏は何に対すればよいのか。
 善と悪は? 正義と悪意は? 明るみと暗がりは?
「ラリルドさん、協力してくれませんか?」
 ラリルドが小石から視線を移し、奏を見た。
「協力? 何をだ?」
「御札に力を吹き込んでくれませんか? ラリルドさんの力で吹き込めば、かなり強力な御札ができると思うんです」
「俺に二ツ目族に協力しろと? そんなことを本気で言ってるのか?」
 ラリルドの発散する瘴気が濃くなったのが分かった。奏は恐怖を振り払うように、ラリルドへ一歩近づいた。
「あなたは悪い人じゃない。そう思ったんですけど、間違いですか?」
「馬鹿な。悪い人間であるわけがないだろう。三ツ目族様だぞ。二ツ目族のお前らと比べたら、神のような存在だ」
「俺たちは神のような存在のあなたによって、御札に力を吹き込んでもらえたらとても救いになります」
 命知らずの提案をしていると、遠くでプティシラがはらはらと不安そうにしているのが見えた。
「……ふん、いいだろう。神の手を差し伸べてやろうじゃないか」
 神扱いされてまんざらでもなさそうなラリルド。
「その御札に通力を発動してみてください」
「俺にはいろいろ力がある。どんな力が望みだ。破壊が望みか?」
「どんな力を持ってるんですか? どの力も神がかり敵な力だとは思いますが」
 持ち上げてみると、ラリルドは誇らしげに指折り教えてくれた。
「鉄をも砕く衝撃波。海をも分断する物体操作。これは使う機会がないが風も起こせるぞ」
「じゃあ、風を」
「風でいいのか? もっとすごいのをぶち込んでやるぞ」
「とりあえず実験ですから。入れてみてください。小石に力を集約するように発動すればうまくいくと思います」
「うむ」
 ラリルドは早速御札をこぶしの中に包み「ぬんっ」と声を上げて力を発動する。すると御札に収まりきらない通力が外に漏れて、周囲に風が吹いた。
 すごい。風を起こす能力。いったいどんなメカニズムなのか。
「これでいいのか?」
「はい。ありがとうございます。ちょっと発動して試してみます」
「そういえば、どうやって発動する?」
「御札の表面に紋様が書いてあります。それが発動条件になるんですが、今回は時限式にしてあります。貸してください」
 ラリルドから御札を受け取ると、表面にあった紋様に対し、縦の筋を一本入れる。
「たぶん、これで十秒以内に御札が炸裂するはずです」
「それだけで?」
 奏は御札を遠くに放り投げた。二十メートルほど先の荒野に着地する御札。ところが御札は着地とほぼ同時に炸裂した。
 どのくらいの風か? そんなもの、軽い気持ちで御札を放り投げた奏を見ればよく分かる。仮にもラリルドの起こす風。弱いわけはない。しかしーー。
 ーー想像を遥かに超えた事態が起こった。
 炸裂した御札は、その場に巨大な竜巻を起こしたのだ。渦巻くように砂を含んだ幾つもの風の筋が絡まり合い、竜のごとく天空目指して伸び上がったかと思うと、お世辞にもつむじ風とは言えない巨大な風の渦が轟音を立てて出現した。
 直系にして二十メートルほどもある巨大竜巻が、宇宙までつながる管のように天高くまで筋を伸ばし、一番近くにいた佐々倉の体を、紙くずのように吹き飛ばした。
 予想を絶する竜巻に愕然とした奏より、むしろ不幸なのは、何が起こったのかもわからず風に吹き飛ばされた佐々倉だろう。不貞寝していたところを突然、吹き飛ばされたのだ。その瞬間の佐々倉の心情は、おそらく現世から隔世へ飛ばされたときの驚愕に匹敵するはずだ。西部劇で転がるダンブル・ウィードのごとく、佐々倉は激しく回転しながら遠くまで吹き飛ばされる。転がる過程で上着を剥がれたのか、ようやく暴風の圏外まで飛ばされた佐々倉は、両膝をついて上半身裸の姿で呆然と竜巻を見上げていた。
 ぼさぼさの髪の毛と呆然とした様子を見て、まるで寝起きのようだと不謹慎な想像をした奏だったが、あとで正気に戻った佐々倉の剣幕を想像すると気が重くなる。
 奏も奏で中腰にならなければ立っていられない。砂を大量に含む号風は、針の雨のように肌に突き刺さってくる。
 一番離れたところにいたプティシラも、ノエルを抱きかかえながら地面に四つんばいになっており、唯一仁王立ちして動揺したそぶりも見せないラリルドの腕に、トレミがしがみついている。
 やがて竜巻は、雲の上にいる雷神に糸を引かれるように上空へ吸い込まれていくと、ようやく風は収まった。
「な、なんて威力……」
 奏の予想を裏切ったのは風の強さばかりではない。発動に十秒ほどかかると思っていた時限式御札は五秒ほどで炸裂した。投げた御札が遠くまで転がる前に発動してしまったのだ。それが佐々倉を吹き飛ばした一因でもある。
「てってめえ……なにをしたあ」
 思ったより情けない声を上げて、佐々倉が文句を飛ばしているが、奏こそ呆然仕掛中である。
「どうだ、神の力はすごいだろう。俺は本来、風使いだ」
 自然災害に匹敵する力の持ち主はトレミに対して優越的だが、一方のトレミはこぶしを固めてラリルドの腹を叩く。ラリルドは体を句の字に折り曲げて「うげ」と呻いた。おや、と思った。案外、物理攻撃に弱いのかもしれない。
「トレミ、死んじゃうかと思ったぞ!」
 トレミの剣幕に「なぜ?」と心外そうな表情のラリルド。トレミの言うとおり、死ぬかと思った。
 震えだしそうな恐怖体験に鼓動を高鳴らせているのをよそに、奏は別の驚愕事実にも気づいていた。この御札は、現世での御札のAランクをはるかに飛び越している。何が要因で強力な御札ができたのかは分からない。ラリルドの通力の高さが要因なのか。だが、その出力に耐えうる御札の強度しかり。
 ひょっとして圧縮か。
 奏は思い至る。
 おそらく現世の御札は十分な圧縮加工をしていないのだ。圧縮能力者がいないのだから当たり前だが、人骨を圧縮したことによりコンパクトな割りに容量と強度が増した。だからこそラリルドの強大な力を格納することができた。そうとしか考えられない。
「御札とやらを次々にもってこい。神の力を吹き込んでやる」
「こんな力、使いこなせない……」
 こんなの発動したら、敵どころか仲間も巻き込んでしまいそうだ。
 
 
 
 夜までに五つの御札を作成した。材料も潤沢であったし、夜通しかければもっと作成できたかもしれないが、プティシラの体力が限界に近かった。
 前日に自身の石化を行った後であったし、圧縮能力は体力を消費するらしい。五つが限度だった。
 日が暮れる前にプティシラは疲労で眠りについた。沿うようにトレミも寝息を立てている。
「またこんな荒野で一泊しなくちゃならないとは……」
 などと佐々倉が漏らしている。竜巻の件でひと悶着あったが、どうにかいさめた後、ラリルドに力の封じ込めをお願いした。
 五つのうち三つに、ラリルドのそれぞれの力を入れた。衝撃波、物体操作、竜巻。竜巻を起こした能力を見たところ、衝撃波と物体操作の破壊力を実験しておきたいところだが、御札に余裕はない。
 残りの二つは空状態として、後に必要になったときに誰かの通力を注入するつもりだった。
 ラリルドの力はどれも派手な破壊系なので、今度は防御系の力も得たいところである。
「ラリルドさん、どうにかプティシラを見逃してあげることはできないんですか?」
 遠くで監視していたラリルドは、なぜか距離感を縮め、今は奏たちと一緒に焚き火を囲んでいる。焚き火に反射して、不気味に光る瞳孔を奏に向ける。
「見逃すとはどういう意味だ。トレミとの約束で、この場は見逃してやると約束したはずだ。約束は守る男だ。疑うのか?」
「いえ、今回だけじゃなくて、この先ずっとです。だって、もう国の特命は関係ないんでしょう。なら、プティシラを許してやったら」
「それはできん。俺の生きる目的を奪うつもりか? 邪魔するならばお前も消す」
「ラリルドさんが悪い人に思えないんです。いくら奴隷の二ツ目族相手だって、あなたは正義を優先するじゃないですか。プティシラを捕らえることがラリルドさんの正義なんですか?」
「正義だ。紛れもなく、な」
「プティシラに何か恨みがあるんですか?」
「恨み? 恨みや憎しみなどという感情など、とっくに超越している。これはゲームだと言っただろう」
「ゲームだなんて、子供じみてると思いませんか?」
 おや、と傍で会話を聞いていた佐々倉が顔を起こす。不安そうに顔を歪歪めた佐々倉の様子は奏も気づいていたが、気づかない振りをした。
 一方でラリルドは奏の言葉に対して、何度か頷くと言った。
「まったくそのとおりだ。子供じみているのだ。子供が追いかけっこするのに理由があるというのか? 恨みや憎しみで鬼役を追い掛け回しているとでも? あれはゲームだ。嫌いだから殺すのではない。プティシラは鬼役だから捕らえるのだ」
「捕らえたらどうするんですか? 国に突き出すんですか?」
「捕らえたらもちろん殺す。俺が宮殿に帰れない以上、プティシラも連れて帰れないからな」
「そしたら、ラリルドさんの生きる目的もなくなっちゃいますよ。その後どうするつもりですか?」
 ラリルドが止まった。まるで呼吸さえしていないように静止する。しばらくこう着状態が続いた後、ラリルドはつぶやくように言った。
「……やっぱり捕まえたら、また逃がす。そしてまた追いかける」
「悪趣味ですよ」
 ばっさり切って落とすと、ラリルドは動揺したように額や頬を撫でた。
「あ、悪趣味なものか。それが俺。それがあの女。それが宿命」
「宿命だなんて言葉で誤魔化さないでください。ラリルドさんは本当に二ツ目族を奴隷だと思ってるんですか? だって、二ツ目族だって三ツ目族と同じようにものを考えるし、感情もあるし、痛みもあるんですよ」
「ふん、くだらん。世の中はいつだって搾取するものと蹂躙されるものの二通りしかない。そのどちらかに属するとしたら、俺は搾取するほうを選ぶ」
「違います。力のある人は、力のない人を守るんです。力のない人たちを蹂躙して弄ぶような悪いやつらから守るんです。それが正義です」
「……守る……?」
 焚き火を起こしていたはずの佐々倉は、呆然とした様子で奏とラリルドのやり取りを見ている。火にくべようとしていた木片をつかんだまま、置物のようにピクリともしない。できることならば奏とラリルドのやり取りを止めたがっているが、手が出せない現状に、内心地団駄を踏んでいるはずである。
「ラリルドさんは大切な人がいないんですか?」
「大切な人……」
「その人を思いやったり、愛したりしないんですか?」
「思いやり……愛……」
「もし、ラリルドさんの大切な人が、強大な力を持っている人間に蹂躙されようとしていたら、ラリルドさんはどうしますか?」
「そりゃ……命に代えてでも守る」
 ラリルドがそういった瞬間、明かりがともったように奏が声を張り上げた。
「そうです! そうですよラリルドさん! ラリルドさんにとって、プティシラさんの存在は重要なんですよ。大切なんです。いなくなってしまったらラリルドさんはきっとものすごく寂しくなりますよ」
「いや、しかし、それでは俺は何をしたら……」
「今までどおりです。今までどおりプティシラを追いかけるんです」
「お前、言っていることがむちゃくちゃだぞ」
「聞いてください。だから、影からこっそり様子を伺うんですよ。こんな世の中です。プティシラみたいな女の子が国中を旅していたらきっと危険な目にあいます。そしたら、ラリルドさんが守るんです。ラリルドさんみたいに強くて頼りがいのある人に守られてたら、きっとプティシラは安全です」
「な……なるほど」
 奏に説得されようとしているラリルド。佐々倉は奏の恐ろしさを改めて思い知った気分だった。この絶望的な瘴気を撒き散らす相手に、長々と説教をたれ、説き伏せようとしている。この奏というクソガキの不用意さは底が知れない。
「いいですね。これからはプティシラを守るんです。約束してください」
「や、約束……うぐぐ」
「プティシラがどこかの悪党に殺されてしまってもいいんですか?」
「ぬうう……そうだな。分かった、約束しよう」
「そうです! やっぱりラリルドさんはいい人だ! 俺の用事がすべて済んだら、プティシラと一緒に現世へ――」
「おい!」
 佐々倉は思わず怒鳴っていた。自分が立ち上がっていたことも気づかなかった。それほどまでに、最後に発しようとしていた奏の言葉だけは聞き流すことができなかった。
 プティシラと現世へ。
 このクソ馬鹿野郎のコンニャク脳みそが。ラリルドを現世へ? 呆れ返って全身の皮が捲れてしましそうだ。
 ところが奏は瞳をきらきら光らせて意気揚々である。
「みんなで現世へ行きましょう。ラリルドさんも一緒に」
「現世? いったいなんだそれは」
「俺の住んでいる場所です。プティシラも一緒に行きます。そしたらそこで一緒に平和に暮らすんです」
「平和……」
 佐々倉は「ああ」と胸の中で呻いて、天を仰いだ。こいつの破滅的な平和思考は、いつか世界を滅ぼすのではないかと、大げさではなく思う佐々倉。胃に穴が開きそうな佐々倉のストレスなどいざ知らず、まるで夢を語る子供のように奏は言葉を続ける。
「現世は、ここよりは差別も偏見も少ない土地です。ラリルドさんは家族や恋人は?」
「そんなものはいない」
「じゃあ、現世でみんな、家族になればいい」
 天を仰いでいた佐々倉は、次には蹲って頭を抱えていた。想像を絶する能天気ぶりは、佐々倉を失神に至らしめそうである。
「ね、ラリルドさん」
 挙句の果てには、奏はラリルドの肩に手を置いている。ラリルドもまんざらではなさそうに、微妙に顔を背けると「か、考えておこう」などと抜かしている。
「俺の用事が終わったら迎えに行きますから、プティシラのそばを離れないでください」
「それは約束する」
 そういったラリルドは、ふと何かに気づいたように奏を見た。
「ところで、お前の目的ってやつは、いったい何なのだ。お前はどこに行こうとしている?」
「どこにって」
「貴様はなぜこの場所にいた? なぜプティシラと一緒にいたのだ。ひょっとして、貴様は異国の者か? 現世とはユベリアの外の国のことなのか? どうもこの国の二ツ目とは雰囲気が異なる」
「俺は異世界から来ました。現世とは異世界のことです」
 それを聞いた瞬間の佐々倉の歪んだ表情は表現するまでもない。
「俺はこことは全く別の異世界からやってきたんです」
「なるほど、異世界か。通りで思考回路がとっぴなはずだ」
 大して怪訝そうにする様子もなく信じ込むラリルド。その反応は間違っている。そういいたい佐々倉。本来なら馬鹿にしたように鼻先で笑い飛ばすのが正解だ。馬鹿にするなと、奏を一発ぶん殴ってもいい。むしろ大正解の反応である。
「異世界かやってきた貴様が、この世界に何の用がある」
「人を探しに来たんです。もともとはこちらの世界にいた二ツ目族の女の子が、俺たちの世界にやってきたんです。その子と交わした約束を果たすためです」
「約束か。なるほど、それは重大な理由だ」
 どこが重大な理由だ。口の中だけでつぶやく佐々倉。もう思考回路のショートした二人の会話を聞きたくない佐々倉は、布片を耳につめてごろりと横になった。
「その二ツ目族の女はどこに居るんだ」
「前にあったコソボ婆に占ってもらったら、グロウリン城塞都市に居るそうです」
「俺の故郷じゃないか。やはり、三ツ目族に召し使っているのか」
「いえ、投獄されてるんです。斬首の塔の地下に」
「斬首の塔だと!」
「やっぱり知ってるんですね」
 奏は、ラリルドの考えていることが分かったし、ラリルドがこれから言うことも予想できた。
「斬首の塔の地下牢は、死刑囚が投獄される場所。残念だが、もうその二ツ目は生きては居まい」
 胸が苦しくなった。こんなことをしている場合ではないのだ。分かってる。こんなところで油を売っている暇はない。だが、進めない。
 ふと悟る。
 これは、自分の弱さだ。
 プティシラが言った。大切な何かのために、それ以外を犠牲にできるか。
 プエラを見捨て、佐々倉を見捨て、プティシラを見捨てていたら、もっと早く俺はユーナの元へいけたはず。
 命の危機にあるユーナの下へ。
 奏は胸がかきむしられるように痛くなり、自分で自分の胸倉をつかむ。
「……できない。俺には……」
「何ができない? その女との約束を守ることをか?」
「約束……」
 一番大切な、ユーナとの約束。いや、一番大切なのはユーナ自身。
「貴様の捜している女は、どんな女だ。そんなにいい女なのか?」
「いえ、普通の女の子です。ユーナって子です」
「ユーナ……。姓は? 俺の故郷の二ツ目族なら、ひょっとしたら知っているかもしれん」
 姓か。知っている。
「姓は、城塞都市と同じです」
「城塞都市と一緒?」
「はい。グロウリンです」
「グ、グロウリンだと……」
 ラリルドが瘴気を発しながら、目をむいた。
「貴様、それは王家の姓だぞ」
「そうらしいです。俺にもよく分かりません。二ツ目族で王家の人間」
「もう一度名前を教えろ」
「ユーナです」
「ユーナ? 王家は名前と姓の間に、属性名が付く。すると、ユーナアラトスということになる。ユーアアラトス……ユーナ……」
「大丈夫です。ラリルドさんが知ってなくても」
「いやちょっと待て」
 ラリルドは再び血走った目を奏に向ける。
「ひょっとして、ミユナ様ではないのか? ミユナアラトス・グロウリン子女。ヴァルアラトス様の御子女である……」
「そういえば……コソボ婆もそんなことを……」
「そのコソボ婆なる人物も、もしかしてコソボ・カユウ様のことを言っているのではないか?」
「そ、そうです。知ってるんですか?」
「知ってるも何も!」
 ラリルドは火山の噴火のごとく立ち上がると、奏を食い殺さんばかりに怒鳴った。
「コソボ・カユウ様は、クロス様の母上様ではないか! 二百年前から行方知れずの! あの絶景の美女と呼ばれたコソボ様と、いったいどこで会ったんだ!」
 ひどい剣幕にまどろんでいた佐々倉が飛び起きたのをよそに、奏は恐々と答える。
「ど、洞窟です。南のほうにある聖域の洞窟です」
「あの方は、そんな洞窟で何を!?」
「聖域の守護をしていると……。でも、今はお婆ちゃんですよ」
「おばあちゃん? そんなはずはない。たった二百年で老けるものか! 二百年前と変わらないお姿でいらっしゃるはずだ!」
 たった二百年。
 いったい、三ツ目族は何百年の寿命を持っているのか。
「何てことだ……。ミユナ様が投獄? コソボ様が洞窟? 貴様、いったい何者なんだ」
 ラリルドは焚き火の周りを落ち着きなく歩き回る。
「コソボ様が……これはクロス様にお知らせせねばならぬ。しかし……今さらグロウリン城塞都市にはもどれん……」
「よければ、俺が伝えます。それに教えてください。コソボ婆と約束したんです」
「や、約束だと……」
「はい。クロスさんっていう息子さんと一緒に洞窟に戻るって。だから、俺もクロスさんに会いたいんです。知ってるのなら、居場所を教えてください。グロウリン城塞都市に居るんですか?」
「そうだとも。クロス様はユベリア宮殿と、それを取り囲む三つの王城を警備されている最高責任者だ」
 王城を警備する最高責任者。そんな人間にやすやすと会えるわけがないし、それが仕事だというのなら、グロウリン城塞都市を離れて洞窟に同行してくれるとは思えない。そんな奏の杞憂など気にも留めないラリルドは、パニックに陥ったように奏と佐々倉の周囲を行ったり来たり。
 ところが、時間が止まったかのように急に立ち止まる。すると獣のようなしぐさで奏を睨んだかと思うと、つかつかと詰め寄って奏の鼻先に指を差しながら低い声を出す。
「貴様の使命だ、これは。なんとしても貴様はグロウリン城塞都市までたどり着き、クロス様に会うのだ。会って俺の変わりにコソボ様のご健在を報告し、ミユナ様を救うのだ」
「も、もちろん、そのつもりです」
「約束できるか?」
 本気の目。ラリルドの発する瘴気が濃くなっている。
 約束できるか。一瞬でも逡巡してしまった自分が恨めしい。だが、すぐに奏は強くうなずいてみせる。それを確認すると、ラリルドは折り曲げていた腰を伸ばして、まるでさげずむように奏を睨む。
「ならば……城塞都市に侵入する方法を貴様に教える。クロス様に謁見する方法も」
「どうして……」
 奏はふと疑問に思う。
「ユーナとクロスさんと、ラリルドさんは何か関係があったんですか?」
「クロス様は俺にプティシラを追う特命を与えてくださった上司であり、俺を育ててくれた恩師でもある。ミユナ様は……」
 言葉を区切るラリルド。そのまま考え込むように視線を宙に投げる。
「ミユナ様のことは喋れん。とにかく、俺はミユナ様に多大な恩がある。絶対にお助けするのだ」
「助けます。でも、ラリルドさん。ラリルドさんも俺と一緒に……」
「だめだ。俺は戻れん」
「ひょっとして、戻れない理由はほかにあるんじゃ……」
「勘ぐるんじゃない。俺は戻るよりコソボ様にお会いする。貴様は城塞都市へ迎え。いいか、寄り道するな。一直線に城塞都市へ向かえ。どんな障害があってもだ。わき目も振るな。食事のときも糞するときも前進し続けろ」
 鬼気迫った様子。ラリルドとユーナはどんな関係があるのか。
 それに、ユーナはこの世界で、いったいどんな人間だったのか。なぜ王家でありながら二ツ目族であり、レジスタンスであり、奴隷であり、投獄されているのか。
 ラリルドはすべてではないが、隔世でのユーナを知っている。いよいよ知るときが来たのだと思った。ひょっとしたらユーナは、奏が思い描いているような人間ではないのかもしれない。
 だが、何を聞こうとも、どんな内容であろうとも、直接会ってユーナの言葉で聞くまでは止まるつもりはない。
 ここでラリルドにユーナのことを尋ねれば、ある程度のことが分かるはずだ。でも、知りたい一方で、奏は事実を知るのを恐れている。
 これまでにユーナのことで得た情報は、順不同で矛盾だらけのキーワード。それがひとつの真実に収束していったとき、そこに浮かび上がる真実は奏を安心させるのか、それとも回復不能なほどに切り裂くのであろうか。
 −−迷うな。
 何度も何度も決意を固めたはず。なぜ今更迷う。
 もう一度決意しろ。
「ラリルドさん、教えてください」
 奏はユーナを知る覚悟を決めた。

 

----------------------------------------------------------------------
PREV                          NEXT
----------------------------------------------------------------------

【訪問者】  【閲覧者】

inserted by FC2 system