あっちから変なの出てきた

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第十四章 【 おかしな二人 その2 】


 グロウリン城塞都市の周囲には、所々に岩場が存在する。等間隔に並んでいるわけではないが、疎らに立ち並ぶ岩場は、聖域に近づくのに有利に働いた。
 所々に存在する岩場を見る限り、まるで強大な墓場のようだ。ひょっとしたら、この岩場は人工物かもしれない。敵の侵略を防ぐ防壁の役割を果たすのではないか。
 いや、しかし、敵の進行を阻むよりは、むしろ侵略側の盾になってはしまわないか。
 いずれにしても、グロウリン城塞都市の周囲には囲むように深い渓谷が溝をつくっている。渓谷を越えて城塞都市に侵略するには、空を飛ぶしかないのである。
 岩場に身を潜めながら、聖域の役所の様子を伺いつつ、少しずつ進む。
 近づくにつれ、城塞都市の巨大さが明確になっていく。一キロメートルに近づくと、もう城塞都市の端から端は見えなくなる。地平線をなぞる様に西から東に巨大な城壁が延びているのしか確認できない。
 さらに近づくと、城壁の高さに気づく。五百メートルまで近づくと、おおよそ城壁の高さが三十メートルはあるだろうと予想された。
「でっけえなあ」
 トレミが頭上で感嘆の吐息を吐く。
 そりゃ、トレミからすれば巨大さも拍車がかかるだろう。
 ここからは注意しなければならない。役所の前の立番が注意深く目を凝らせば、見つけられてしまう距離である。
「ここからは我慢比べだ」
 佐々倉はいったん、夜になるのを待つことにした。
 岩陰に入ると、佐々倉はほっと一息つく。ここまで来る間、神経が張り詰めっぱなしだった。これはリセットの利くテレビゲームではない。一度の失敗も許されないリアルゲーム。
 だが、佐々倉は十分に鍛えられている。大家貴信のスクールにて、あらゆる苦行に耐える精神力と、長時間途切れることのない集中力を育てられた。
「疲れたか、ササクラ」
 トレミが頭をぽんぽんたたいた。
「問題ない。それよりトレミ。珍しく長く起きてるじゃないか。いつもは眠りこけてるのに」
「作戦中だ。眠るわけない」
 一著前に参加しているつもりらしい。頭の上でぴいぴい泣くことしかできないちびっ子のくせして。
 周囲に巨大な影が差した。まるで巨人が背後に迫ってきたかのような影。岩場の影から城塞都市のほうを見ると、どうやら巨大な影は、城壁が作り出したものらしい。太陽が傾き、城壁が荒野を支配するように影を伸ばし始めている。
 影の範疇に自分が存在することが、微妙な恐怖をあおる。三ツ目族の住処である城塞都市の危険エリアに侵入していることを意識させられる。影の届く範囲は、三ツ目族たちの領域。その危険領域に足を踏み入れている実感がわいて、佐々倉は緊張した。
「三ツ目族は、気配察知能力は高いのか……?」
 佐々倉がひとりごちる。ラリルドは町にいた俺たちの居所を察知する能力があった。人間にも佐々倉の様に鋭敏な感覚を持っている者がいれば、奏のように鈍感なやつもいる。聖域の役所にいる三ツ目族はどちらなのか。
「トレミは気づかれなかったぞ」
 佐々倉に独り言にトレミが答えた。
「気づかれなかった? そうか。トレミみたいなチビでも気は発してる。加えてお前は気を押し殺すのになれていない。とすると」
「トレミは勇敢にもあいつの足元まで行ったぞ」
 足元まで……。
「それは何時くらいだ?」
「朝かな」
「朝……そのときの立番を覚えてるか?」
「う〜ん、たぶん」
 明日の朝、またそいつが立番をするときがチャンスか。ならば、夜のうちにトレミが顔を確認できる距離まで近づく必要がある。
 さて、どれくらい近づけるものか。もし存在に気づかれしまったとき、どうやって逃げるべきか。
 まだ日暮れまでには少し時間がある。それまでに考えてみよう。
 
 
 
 夜になり、佐々倉は地面にはいつくばった。
 距離にして約五百メートル。
 佐々倉は夜通し張って役所まで近づくつもりでいた。少しずつ、少しずつ。間違っても動きを察知され、見つからないように。
 方角は、役所にまっすぐ進むわけではなく、役所から死角になるような角度をつけて進む。到着地点を役所から西に五十メートルほど離れた渓谷沿いとし、そこから死角を縫って役所まで進む計画だった。
「トレミ、もう寝てろ。口を開いたら声を聞かれるかもしれない。お前が必要になったら起こすから」
 トレミは佐々倉の頭を降りて、地面すれすれにある佐々倉の顔の前にいる。
「大丈夫だ、ササクラ。トレミも作戦に参加するぞ」
「夜通し這うことになる。いいから俺の背中で寝ていろ」
「馬鹿にするな。トレミだって役立つぞ。たとえばトカゲに遭遇したら、トレミが追っ払ってやる」
 やれやれ、やる気満々である。とりあえず放置するか。どうせすぐに眠くなるに違いない。
 佐々倉は荒野の大地を這い出した。ナメクジのようにノロノロと、片時も役所の立番から目を離すことなく這い進む。立番が少しでもこちらに顔を向けたり、不審な行動をとったらしばらく停止する。
 目を離した瞬間だけ少しずつ前進する。何時間も、それだけを繰り返す覚悟だった。根負けして横着した瞬間に気づかれる。先に進もうと気が逸れば、立番への注意が散漫になる。
 我慢して、慎重に、少しずつ。一度の失敗も許されない。100パーセントの確信があるときだけ前進する。
「……ササクラ、トレミにできることはないか……?」
 佐々倉の顔の横をあるくトレミが時々小声で話かけてくるが、一切無視した。集中力をとぎらせてはならない。トレミの言葉に気を取られ、トレミに顔を向けた瞬間が隙になる。一瞬でも立番から目を離さない。
 這い始めてから六時間経ったころ、併進するトレミが眠たそうに目をこすり始めた。予想以上にがんばったが、そろそろ限界のようだ。
「……トレミ、その辺で寝てしまう前に背中に乗れ……」
 小声で離しかけるが、トレミは首を横に振る。声は出さなかった。トレミも気を遣っているらしい。それほどの距離に近づいている。
 這い始めてから七時間ほど経過して、三百メートルほど進んだ。立番からはおおよそ二百メートルの距離。
 少しペースが遅い。早くしなければ夜が明けてしまう。おそらく、あと二時間ほどで空が白み始めるはずだ。
 仕方ない。少しペースを上げよう。幸い、役所の前で立番する三ツ目族も夜通しの見張りに疲れ、こくりこくりと頭をかしげ始めている。
 ――いけるな。
 佐々倉はペースを上げる。
 一時間で百メートル以上進んだ。気づかれた様子はない。だが、微妙であるが夜の黒さが薄まっている気がする。太陽が近づいている。そんな気配。
 佐々倉はさらに進む。トレミも眠らずに付いてくる。トレミはそのうち、酔っ払いのように千鳥足になる。ほぼ歩きながら眠っているに等しい。
 五十メートル、四十五メートル、四十メートル……。
 佐々倉は頭の中でカウントダウンを始める。そのころには立番している三ツ目族の姿ははっきり捉えることができた。役所前で立番している三ツ目族のそばにあったランプの光も淡くなってきていたが、代わりに周囲が明るみ始め、暗闇に溶け込んでいた荒野とグロウリン城塞都市の城壁の輪郭を明確にさせ始める。
 やがて、目的地である役所から西に五十メートル離れた地点に到着する。ここからだと役所前に立つ立番の姿は、真横から望める状態になる。正面ばかり見ている立番からは死角となっているはずだ。
 世が明けきらない時間に立番の交代があった。何かをお互いに報告し合い、夜通し立番していた三ツ目族が建物に引っ込む。
 おそらく引っ込んだ三ツ目族は休息を取るはず。
「トレミ、あの三ツ目族か? お前が足元まで行けたのは」
 トレミに声をかけると、ダンスのようにふらふらとたたらを踏んでいたトレミは、我に返ったように背筋を伸ばす。
「眠いのは分かるが、寝る前にあいつの顔だけ確認してくれ」
「うん……?」
 トレミはうつろな瞳を立番する三ツ目族に向ける。トレミはしばらく目を細めて立番を睨みつけると「うん、あいつだ」とこくりと頷いた。
 なるほど、あいつか。
 ここから見ると、建物の全容も良く分かった。渓谷沿いに建設された役所は正面からは見えなかった建物の背後が見える。建物の裏側には渓谷を渡れるような橋がかかっており、城塞都市内部と行き来できるようだ。
 そして渓谷の側面に階段があった。側面は土ではなくほとんどが岩である。岩を削って渓谷の谷間に下りられるように階段が造られているのだ。
 城塞都市への端、渓谷を下る階段、そのいずれも役所を通らないと行けない場所にある。さて、やはり役所に侵入しなければならないのか。
 ここまで近づいても気づかれていない。表で立番する三ツ目族にも、室内にいるであろう三ツ目族にも気づかれていない。ならば隙を見て侵入すれば、姿を目撃されない限りは見つかる心配はないと思ってよいだろう。
 といっても楽観視はできない。目撃されなかったとしても、現世でいう結界のようなものが張られていないとも限らない。いずれにしても、リスクは消えないということ。
 だとしても行くしかないのだ。これは仕方ないリスク。
 佐々倉は再びゆっくりと地面を這い出す。建物の側面まで来れば、正面にいる三ツ目族からは死角になる。
 トレミはとうとうぱったりと倒れ、その場で寝息を立てはじめる。佐々倉はトレミを頭の上に乗せて、再び這いはじめる。
 建物の側面までやってきたころには日が完全に昇り、気温も高くなってきた。飲み水はもう残っていない。いよいよ退路が絶たれた気がして、改めて覚悟が固まった。
 佐々倉は建物の側面に背中をつけて、静かに吐息を漏らす。三ツ目族の死角に入ったところで、緊張しっぱなしだった神経を緩め、休息させる。
 側面に扉はなかった。窓ひとつない。建物の素材は分からないが、打ち破って穴が明かないほど強固だとも思えないが、穴を空けて侵入することなど当然、現実的ではない。
 壁の一部が汚れているのに気づく。佐々倉の腰から下くらいの高さに染みができている。何の染みだろうか。念のため想像してみるが、答えにはいたらない。
 いくら考えても横着するには材料が足りないようだ。建物内にはいるには正面からしかないのか。
 一度大きく息を吸い込み、次にゆっくりと息を吐く。覚悟を決める前の儀式。心を落ち着かせようと深呼吸した。
 ざく。
 ふと音がした。
 精神統一しようとしていた佐々倉の緊張が一気に張り詰める。同時に心臓すら動きを止めたかのように佐々倉は停止した。
 全神経が耳に集まる。
 ざく。
 ――これは、足音。
 立番が歩いた?
 それとも、単純に立ち疲れて足踏みしただけ?
 体中の血液が急速に全身をめぐるのが分かった。全身の皮膚に神経が浮き出てしまったかのように感覚が鋭敏になる。
 ざく、ざく。
 歩いている。
 どこに?
 佐々倉は呼吸を止めた。いや、止まった、と形容すべき。自分の存在が失われてしまったかのように静止した。
 影が見えた。建物の角から本人より先に影が姿を見せる。徐々に伸びる影。間違いなかった。こちらに向かってきている。
 希望的観測が頭をよぎる。自分が失われてしまったと信じ込めば、自分は姿を消すのではないか。そんな陳腐な発想で現実を逃避しようとする自分がいる。
 隠れる場所はない。一瞬後には見つかる運命。心が逃げる。たった一瞬だとしても、まだ時間がある。考えろ。最後まであきらめるな。
 どうする? ――どうする!?
 建物の影から三ツ目族が姿を現した。距離にして五メートル足らず。
 三ツ目族は建物の角を折れると、壁にあった染みの前で立ち止まる。染みのある壁に向かって、しばらく何かを考えた後、おもむろに腰に巻いたベルトをいじりだす。
 何かをつぶやきながらズボンを下ろしかけた、そのとき。
 下ろしかけた手が止まる。
 佐々倉と同様、三ツ目族の男も制止した。
 三ツ目族の視線は染みを見ている。
 第三の目は閉じられている。
 時間が止まったかのように静止する佐々倉と三ツ目族。
 だが、決して時間は止まってなどいないことを証明するように、乾いた風が二人の間に吹いた。
 数秒間の停止。
 再生ボタンが押されたのは、三ツ目族のほうが先だった。
 三ツ目族の男が殴られたように佐々倉を見た。その目は暗闇に幽霊を見つけたかのように驚愕に満ちている。
 額にある第三の目が徐々に開いた。
 三つの目が佐々倉を捕らえたとき、佐々倉は思うよりも早く動いていた。
 泣き出した子供が両手を振り乱すのと同様、無様な抵抗だった。
 佐々倉は戒具を嵌めた右腕を持ち上げた。
「うぅわあぁぁあぁ」と、情けない声を上げながら、戒力を発動する。
 右の二の腕あたりに出現する戒具の矢。その数三本。それはツララのように先が鋭利に尖り、紫クリスタルのように怪しげな光沢を併せ持つ。
 時間にしてコンマ数秒。
 佐々倉の体感時間ではスローモーションの出来事。
 佐々倉が発動した戒力の矢を目撃し、それが武器であると瞬時に悟った三ツ目族はあわてて背を向ける。
 ところが下ろしかけたズボンが歩幅を制限し、行動が一歩遅れる。
 佐々倉の情けない声とともに、戒力の矢が発射された。
 三本の矢が放たれて、二本が荒野の彼方に飛んで行ったが、最後の矢が三ツ目族の背後から肩口に突き刺さった。
 戒力の矢を食らった三ツ目族は独楽のように回転しながら地面に倒れる。
 佐々倉は次の戒力を発動しながら立ち上がる。
 うめきながら仰向けになった三ツ目族に馬乗りになり、次の戒力の矢を三ツ目族の顔面に向ける。ちょうど、三つの目に突き刺さるように標準を合わせた。
 三ツ目族は絶望的に佐々倉を見上げていた。
 おびえたように、唇がわなないたのが見えた。
 戒力の矢を発射――する前にトレミが叫んだのだった。
「だめだ、ササクラ!」
 トレミの声に発射をとどめる。だが、反射的に止めてしまったに過ぎない。良心の呵責があったわけではない。こいつは殺さないと、別の三ツ目族に助けを求めてしまう。
 改めて矢を発射しようとしたとき、やはりトレミが「だめだ!」と叫んだ。
「ころしちゃだめだ!」
「うるせえ!」
「だめだっていってるだろ! よくみろ!」
 良く見ろ?
 佐々倉に乗りにされている三ツ目族。三つの目。紛れもなく三ツ目族。
 だが、なんだこれは。
 年のころで言えば、二十代前半くらいの若者。しかも、その怯えた目は何だ。命の危機に対して、まるで平和ボケした阿呆のように硬直している。反撃しようというつもりはないのか。
「わかるだろ!」
 頭の上から怒鳴るトレミ。
「……くそっ」
 佐々倉は矢を発射するのを断念せざるを得ない。
「おい、おまえ」
 それでも油断なく矢を顔面の前に突き出しながら声をかける。
「俺はこの先に行きたいだけだ」
 三ツ目族は震えだし、まるで哀願するように佐々倉を見ている。
「俺はこの先の渓谷を下りたいだけだ。だが、お前が少しでも抵抗するそぶりをすればすぐにでも殺してやる。いいか、いまからいくつか質問する。その質問の答えを俺は知っているかもしれないし、知らないかもしれない。俺は自分が知っているのを承知でお前に質問し、お前が嘘をつかないかどうか試してるかもしれない。分かるか? 嘘はつくな。嘘をついたら殺す。いいか?」
 三ツ目族の若者は何度も頷いてみせる。
「役所の見張りは交代制なのか? いずれは交代のやつが来るのか?」
 三ツ目族は少し考えた後、こくりと頷いてみせる。
「お前が見張りをする時間は夜までか?」
 首を横に振る三ツ目族の若者。
「昼過ぎか?」
 頷いてみせる三ツ目族の若者。
 どうやら、嘘を言っていないようだ。
「建物の中には他に三ツ目族はいるのか?」
 三ツ目族は少し考えた後、首を横に振った。
 いない? 役所の建物の後ろには城塞都市へつながる橋があった。おそらく交代したら城塞都市内へ戻るのだろう。
 今度は嘘をついたらすぐに知られてしまう質問をする。
「建物の中から城塞都市へいけるのか?」
 首を縦に振る。肯定だ。
「渓谷には建物の中から下れるのか?」
 首を横に振った。否定だ。
 嘘をついた。
 ここで嘘?
 佐々倉は慎重に考える。
「質問の仕方を変える。建物の「裏手」からなら渓谷を下れるか?」
 三ツ目族の男は二度頷いた。嘘をついたつもりはないらしい。
 命を守るために、正直になることを決心しているのだ。
「最後に質問だ。お前は特殊能力を持っているか? 人や物を破壊できる力のことだ」
 三ツ目族の男はなかなか答えなかった。だが、最後にゆっくりと頷いた。
 なら、なぜ反撃しない?
 隙をうかがっているのか? だが、隙をうかがう暇があれば、有無を言わさず反撃したほうが早い。
 ――こいつは戦い慣れていないのだ。
 先ほど受けた印象は、紛れもなく的を射ている。
 佐々倉は考え方を変える必要ができた。
 三ツ目族は千年もの長い間、支配階級として生活し、二ツ目族は奴隷として扱い、決して逆らったり反抗したりしないおもちゃ同様。
 こいつら三ツ目族は、まさに「平和ボケ」しているんじゃないだろうか。
 力を持ちながら、それを発揮する機会もなく、誰かが襲ってくるような心配もない平和な生活をしていて、命の危機に対する心の「備え」がまるでないのだ。だからこそ「反撃する」という選択肢が、はなから存在しない。
 この三ツ目族の男はこの現状でどうしていいか分からないのだ。
「……立て」
 佐々倉は三ツ目族の若者の胸倉を掴んで、無理やり立たせる。
「前を歩け。お前の背後からずっと狙ってるぞ。おかしなそぶりを見せたら殺す」
 トレミは頭の上でなにも言わず、行方を見守っている。口を出してくる様子もない。
 なぜ、トレミは三ツ目族を殺すことを止めたのか。あの一瞬で、何かを感じ取ったのか。相手を殺さなくても、自分が殺されないという確信でもあったのか。
「歩け」
 佐々倉は三ツ目族の男の背中をつついて促す。
 肩口に突き刺さった戒力の矢が見えるが、突き刺さったままにしておく。これは三ツ目族の男のためにも抜かないほうが利口だ。抜いた瞬間、血液が噴出して出血多量で死にいたるだろう。
 三ツ目族の若者を盾にするように役所内に入っていく。正面で入り口をはいってすぐ、ホールになっている。飾り気のないただの空間。正面に受付のような場所があり、カウンター越しに裏手に出る扉が見えた。
 ホールの左右にはそれぞれ扉が見えたが、物置か仮眠室であろうと想像される。
 正面にあったカウンターを越えると「開けろ」と三ツ目族の若者に指示する。三ツ目族の若者はポケットから鍵の束を取り出すと、そのひとつを扉の鍵穴に差し込み、開錠した。
 扉を開けた裏手は、人一人が立てるくらいの小さな空間があり、そのまま城塞都市へと続く小さな橋がかかっている。金属製の丈夫そうな橋であるが、人の肩幅ほどしかなく、手すりも腰辺りまでしかない。
 だが、目的地はそこではない。裏手に出てすぐ右側には渓谷を下る階段がある。
「いいか、そのまま矢を突き刺したままお前を束縛したら、昼を待たずに死ぬだろう。だから助けを呼べるように、そのままお前を解放するが、一時間はそのまま役所でじっとしていろ。約束できるか?」
 三ツ目族の若者はゆっくり頷いてみせる。
「あと、これは助言だが、その肩に刺さった矢は自分で抜かないほうがいい。城塞都市に医者というものがいるのなら、そいつに診せるまで矢は抜くな。出血して死ぬことになる」
 この男、約束を守るだろうか。いくら平和ボケした三ツ目族でも、俺が見えなくなればとたんに報告に向かうだろう。
「建物にはいれ」
 役所内に三ツ目族を押し込むと、佐々倉は羽織っていた上着を一枚脱ぎ、ドアノブに巻きつけて固定した。
 これで脱出に十分は時間稼ぎできる。
 佐々倉はすぐさま階段を下りはじめる。階段の幅は五十センチほど。油断すれば足を踏み外そうに心もとない。
 すぐ脇には深い渓谷が隣り合わせである。見下ろしてみると、渓谷の最深部は暗闇に溶け込み、底が見えない。
「なぜ止めた? トレミ」
 頭の上のトレミに話しかける。返事はない。耳を澄ますと、寝息が聞こえてくる。いつの間にか眠ってしまったらしい。
 やれやれだ。
 あの三ツ目族はトレミに感謝すべきだ。トレミが止めなかったら、俺は躊躇しなかった。
 でも、なぜ止めた?
 トレミにとって、三ツ目族とは極悪非道の忌むべき存在ではないのだろうか。ひょっとしたら、トレミはなにも知らないのかもしれない。何年か何十年か知らないが、ずっとファミリアの洞窟に篭っていたのだ。地上での事情など知りもしない。
 止めたのは、ただ単純に命を奪うのが忍びなかったからだ。
 仮に敵がこちらに銃口を向けていようとも、それが上着の中に隠されていたら、俺は攻撃を受けると気づけない。相手に害意があるとは気づけない。もちろん、そんな相手を殺そうなんて思わない。トレミにとって感覚はそれに近いのかもしれない。三ツ目族だろうがなんだろうが、生き物は生き物なのだろう。その生き物が猛獣であろうが、小動物であろうが。
 なにも知らない世間知らずの箱入り娘。いや、箱入り小娘。
「とんだ荷物だ……」
 佐々倉はため息ひとつ漏らすと、気を取り直して階段を下った。
 
 徐々に周囲が暗闇に落ちていく。
 グレーだった渓谷の側面が、徐々に黒さを増し、対岸にある側面も見えづらくなってくる。
 上を見上げると、渓谷の割れ目が一本の光の筋に見える。徐々に光の届かない世界に落ちていく感覚は、現実から離れていくような奇妙な緊張感を産む。
 奏がファミリアの洞窟に入っていたときもこんな心境だったのだろうか。
 徐々に空気が湿り気を増し、階段の足場にもコケのような植物がはびこっている。うっかりすると足を滑らしそうである。
 さらに階段を下っていくと、ごうごうと水の流れる音が聞こえてくる。渓谷の底に流れる川の音だ。深層部に近づいたことが分かる。
 あの三ツ目族は、今頃は他の三ツ目族に事態を報告したころだろうか。見上げても追っ手は見えない。
 ようやく底が見えた。かろうじて光の届く渓谷の最深部は、奇妙なコントラストを描く。
 暗いが「夜」という印象ではない。上空の渓谷の切れ目からは光が届いているので、水面はきらきらと光を反射しており、周囲にも草が生えている。夜、ではなく、やはり間接光で薄明るい洞窟の中のような印象。
 渓谷の最深部は、幅が約十メートルほど。その中央に小さな川が流れている。足場はほとんど岩場であるが、上空から降ってくる砂が端に溜まって土となり、そこから草が生えている。
 佐々倉は川の中に手を突っ込んで、少量の水を掬ってみる。冷たい。これは地下水だ。地表温度が高くても、常に地下水は温度が一定する。
 掬った水を舐めてみる。おかしな味はしない。大丈夫そうだ。
 佐々倉は四つんばいになり、川に直接口をつけて水を飲んだ。生き返るようだった。干からびかけていた身体が潤い、気力も戻ってくる。
「さて……行きはよいよい、帰りはなんたら。どうやって地上に戻るか」
 佐々倉は腰にかけた布袋に水を溜め込みながら思案する。そもそも気づかれないように降ってくる計画だったが、見つかってしまった以上、この階段を上って戻るのは自殺行為。
 だが、対策は決めてある。決め手はあるのだが、やって来て初めて分かる課題もある。この渓谷は、決して直角になっているわけではない。つまり「∪」ではなく、「V」である。ロッククライミングの要領で側面を登るのはそう難しくないように思えた。
 ところが、日の当たらない深層部は、側面の岩にコケが生えているのである。これは取っ掛かりがあっても滑って転落する恐れがある。
 作戦を変えなければならない。
 とすると、残る手段は……。
 佐々倉は記憶を探り、この城塞都市を鳥瞰してみる。高い位置から見下ろすように渓谷の全体を想像する。
 城塞都市を囲むように繋がる渓谷は目のような形状をしている。渓谷の目じり部分には、別の方向へ繋がる渓谷の割れ目が、東の方角へ長く延びている。
 そちらに向かって歩いて行き、城塞都市から十分に距離ができ、しかもコケが少ないエリアを探して壁をよじ登るしかない。
 幸い、渓谷の川には、水面を飛び跳ねる魚が見えたし、カニのような甲殻類も地面を這っている。食料、水に困らない渓谷の深層部は、隔世にやってきてから一番の極楽に思えた。
 とりあえず追っ手の懸念がある。すぐに移動しよう。
 佐々倉は東に向かって歩き出す。川沿いは平坦である。長い時間をかけて水の流れに研磨されたのか、割と起伏は少なく、進むのは容易だ。
 日が南中を示す今は、かろうじて視界が生きているが、日が傾いてから夜明けまではおそらく暗闇になるだろう。体は悲鳴を上げるほど疲労していたし、気力も残り少ない。だが、夜になるまでは歩き続けなければならない。
 頭の上で寝息を立てるトレミを恨めしい。いっそのこと川に投げ捨てたいが、前にも言ったとおり、まことに残念ながら、こいつがいないと佐々倉は隔世で生きていけない。
 歩いていくと行き止まりがあった。巨大な岩が道をふさいでいる。上空から岩石が落下して、通路を埋めてしまったようだ。
 一瞬ぞっとしたが、良く見れば人が通れるほどの穴が開いている。覗いてみるが中は暗闇。
 入ってみるしかない。穴は長くても五十メートルほどだろう。穴が途中でふさがっていれば最後、逃げ道はない。どうしようもないなら楽観的に考えるしかない。楽観的でないと人間は行動できない。
 佐々倉は穴に入っていく。入った瞬間、空気が変わった気がした。暗闇が肌にまとわりついてくるようで薄気味が悪い。水の流れる音も遮断され、息苦しい静寂が訪れる。
 世界が変わった。
 穴の内と外では、次元が違うのではないか。そう思えるほどに空気が違う。
「あ」
 佐々倉は意図して声を出す。声の反響で空間を把握しようとしたが、声は口の周りのぬめった暗闇に吸収されて、まるで反響しなかった。
 歩く自分の足音さえ鈍く聞こえてくる。空気の濃度が濃い。そんな印象。
 壁伝いに進んでいく。左側の壁を触りながらゆっくり進む。
 だいぶ進んだ気がするが、出口は見えてこない。進めば進むほどに、存在してならない世界にはまり込んでいく気がする。
 どこまで進めば……。
「同じ匂いがする……」
 声が聞こえて、正直肝を冷やした。トレミの声だとすぐに気づいたが、一度振動した鼓動はいつまでも高音を打った。
 起きたのなら「おはよう」の一言くらい欲しい。
「カナデと一緒に歩いた洞窟みたい」
 トレミは続けて言ったが、まるで水の中のように声がぐもっている。
 奏と一緒に歩いた洞窟。要するにファミリアの洞窟のことだろう。
 同じ匂いか。
「つまり、ここは聖域ってことか?」
「うん……」
 自信なさげな返答だったが、おそらく間違いない。
「聖域か。ならば、眷族がいると言うことだ」
 眷族と契約をする気はない。今は寄り道している時間はないのだ。少しでも進まなければ後を追ってくる三ツ目族に追いつかれてしまうかもしれない。
 ひたすら進む。
 視界は黒一色だったし、まるで水を掻き分けて進むかのように、目の前にある暗闇には抵抗感がある。
 さらに進む。
 トレミは眠っているのか起きているのか分からなかったが、一言も発しない。
 ぬらぬら。
 この暗闇を表現するとしたら「ぬらぬら」が最も近い。
 ぬらぬら。
 むるむる。
 もりょもりょ。
 徐々に弾力を増す暗闇。
 進むのがつらくなる。暗闇は今やゼリーのプールを進むかのようだ。
 なんなんだ、この感覚は。
 進む。
 りむりむ。
 ごむごむ。
 しょもしょも。
 暗闇はつど質感を変えて、佐々倉の前進を阻む。呼吸には問題ないが、異様に手足を動かしづらい。これが聖域の特殊性なのか。基本的に聖域は人の侵入を拒むようにできているのかもしれない。
 そもそも、聖域はイスカ領域であると奏が断定した。それについては同感に近いものがある。ハザマの世界と呼ばれるアストラルサイドを行き来できる場所が聖域とするならば、まさにイスカ領域の定義に等しい。
 ざらざら。
 ごりごり。
 ぐろぐろ。
 暗闇は固くなり、軽石が詰め込まれた空間を進むかのような感覚。すでに腕も上がらず、膝も上がらない。すり足のように少しずつ進むしかない。
 さわさわ。
 そよそよ。
 するする。
 突然、ざらついていたはずの暗闇が、まるでせせらぎのように清涼な印象に変わる。体の自由が戻り、手足の稼動を確認する。
「なんか、きもちわるかったな、ササクラ」
 トレミがぼそりと漏らす。起きていたのか。
「お前のいた洞窟も、こんな感じだったのか?」
「ちがうよ。ただの洞窟だ。トレミの住んでたところはもっときれいで、きらきらしてて、ぽかぽかしてて」
 要するに、ここ特有の現象なのだろう。
「みて、ササクラ、光だ」
 トレミの声に、佐々倉は前方を見た。確かに小さな光が見える。あれが出口の光なのかどうか判別できない。
 だが、忘れてはならない。洞窟を出たとしてもここは渓谷の最深部である。出口付近の光と言えどもやはり弱弱しいはず。今見える光は暗闇に浮かべた電球のように明るい。
 近寄ろうとは思っていなかったが、壁伝いに進むと、おのずと光に近づいていくことになる。
 光が徐々に輪郭を明確にする。だが、光から約三メートルほど近づいても、その正体を明らかにすることはできなかった。
 光はぼんやりと空中に浮かんでいる。サッカーボール大の光の球体はシャボン玉のようである。表面には木星の表面のように複雑な模様が蠢き、球体自体が光を放っている。
 その球体を取り囲むように、祭壇のようなものがあった。明らかに人工的に作られた祭壇には、おそらく儀式などで使う、用途不明な道具が並べられている。
「なんだ、これは」
 佐々倉の独り言に「トレミ、わかんない」と答えるトレミ。
 球体に触れてみたい気もするが、それはとんでもないリスクをはらんでいるようにも思える。
 ここが聖域であることは紛れもない真実であると思えたし、この祭壇が眷族との契約に使用されるものであろうことは、ほぼ確信に近い。
「トレミ。お前が奏と契約したとき、どうやったんだ?」
「ただ手をつないだだけ。相性がよくて、おたがいがおなじ気持ちなら契約できるよ」
 手をつなぐ。
 つまり、眷族との契約は、この球体に触れなければならないと言うことか。ここで眷族と契約してみるのも良い。だが、なにが起こるか分からない状況で安易に手出しができないのも事実。
 ここは無視をして、先に進むか。
「ササクラ、契約しないのか?」
 トレミが促してくる。どんな眷族なのか。それによるところが大きい。何も情報がない以上、リスクばかりが大きく思える。
 佐々倉はそっと球体に手を伸ばす。中指の先端が球体の表面に触れる。感触はガラス玉のようだ。
 五本指全ての指先で触れてみる。特に指先がしびれたり、痛んだりすることはない。
 手の表面を全て球体に貼り付ける。ひんやりとしている。それくらいの印象。何も起こらないな、と思ったとたん変化が起こる。球体に触れる手のひらの周りに、蠢いていた模様が渦を巻きながら集まってくる。
 探っている。そんな印象。模様が佐々倉の手を走査し、指紋認証のように佐々倉という人間を調べつくそうとしている。
 手の周囲に集まっていた模様が、力尽きたように散らばった。走査が終わったのか、模様は手をつける前と同じように球体を万遍なく流れる。
 球体から手を引き剥がしてみる。貼り付けていた手のひらを見たが、何の異常もない。
「失敗か……」
 特に身体にも異常はない。これは契約不成立である証拠に思えた。実際、眷族と契約したときの感覚を知っているわけではないので確かなことはいえないが、眷族側がぷいっと顔をそむけたような印象は受けた。漠然とではあるが、拒否された感覚だけが残っている。
 まあいいだろう。もともとこれが目的ではない。
「だめだったのか、ササクラ」
 トレミがたずねてくる。
「そうみたいだな。俺と相性の合うやつなどそうそういないだろうが、俺の誘いを断るなんて失礼なやつだな」
「ふうん」
「先を急ぐぞ。三ツ目族が追ってきてるはずだ」
 佐々倉は暗闇に落ちていくような穴の先に体を向ける。この先にまだ通路が続いているとは限らない。続いていないのであれば早々にそれを確かめ、引き返す時間も計算に入れなければならない。
 歩き出す――歩き出せない。
 歩こうと足を持ち上げようとしたが、持ち上がらなかった。足の裏が地面に張り付いてしまったように動かない。意識は前へ進もうとし、体が前方にかしげる。そのまま前方に倒れそうになったので両腕を正面に出そうとしたが、腕さえ持ち上がらなかった。
 このままでは岩でできた硬い地面に顔面から衝突してしまう。分かっていたが腕が動かず、足が動かず、迫ってくる地面に対しなす術がなかった。
 顔面が地面に激突する瞬間、脳の芯に響く衝撃を最後に佐々倉は意識を失った。
 
 【 サイドストーリー トレミの大冒険 その2 】

 佐々倉が突然倒れたものだから、トレミはどうしていいか分からず慌てふためいた。
 軟弱な佐々倉であっても、突然倒れたりはしない。徐々に弱まって、動けなくなくなっていくのは見たことがあったが、糸がぷっつり切れたように意識を失った佐々倉を見て、とんでもない事態だとトレミは一人で「たいへんだ! たいへんだ!」と右往左往した。
 佐々倉は祭壇の横で、うつぶせに倒れている。とりあえず生きているかどうか確認しようと、顔に近寄って呼吸を確認した。
「いきてる……」
 いったん、安堵してほっと息をつく。
 それにしてもいったいどうしたのか。なぜ突然意識を失ったのか。トレミは祭壇を見上げる。不思議な模様の球体は今も浮かんだままだ。
 あいつか。
 トレミは恨めしそうに球体をにらみつける。あいつが佐々倉の生気を吸い取ってしまったのかもしれない。なんとか仇を討ってやりたいが、トレミからすると球体ははるか上空に浮かんだ月同様に手が届かない。
 生きているのは分かったので、目が覚めるのを待てばよかったが、そうもいかない事態が起こる。
 トレミたちがやってきた通路の奥から、なにやら声が聞こえてきたのだ。声は複数あって、トレミにも声の主が慌てている様子がよく分かった。
 三ツ目族の追っ手である。とうとう追いついてきたのだ。
 悠長に目を覚ますのを待ってられなくなったトレミは、佐々倉の鼻っぱしを何度もけりつけて「おきろ!」と怒鳴ったが、まるで無反応。
 渓谷を下るために三ツ目族の人を傷つけてしまった佐々倉は、捕らえられたらきっとひどい目に遭う。
 トレミは佐々倉の髪の毛を引っ張った。引きずろうとしたが、佐々倉の体は少しも動かない。動くはずがない。こんな大きな体。
 どうしよう。佐々倉が捕まってしまう。捕まったらひどい目に遭わされてしまう。そうなったらいくらトレミでも助けるのは一苦労だ。
 コソボ婆、力を貸して!
 祈るように佐々倉の鼻っぱしを何度もけりつける。
 通路の奥から聞こえてくる複数の声は、どんどん近づいてきていて、ばたばたと走る足音も聞こえてきた。
 もうすぐそこにいる。暗闇にまぎれてまだ見つかっていないが、時間の問題。
 どうしよう。
 誰か。
 他力本願に意識が向いたとき、トレミにはまだ味方がいることを思い出す。
 通路の奥から声が近づいてくる。もう数メートルの距離。
「トカゲ!」
 トレミが声を上げると、足元から風が舞い上がって、蒸気のような煙にまかれたトカゲが出現した。
 サイズはトレミと同程度。
「トカゲ、どうしよう。トレミを助けて!
 頭の中にしまわれていた眼球が、蛙のようにでろんと飛び出てくる。
「一緒にササクラを引っ張って!」
 トカゲは何度か舌を出すだけで、手伝ってくれない。
「なんで何もしてくれないの? 友達でしょ?」
 そう言うと、トカゲは佐々倉の背中の上に飛び乗った。すると、眠たそうに大口をあけて欠伸をするのである。
 ほぼ同時に、暗闇の奥から明かりが見えた。
 追っ手の三ツ目族たちは松明を掲げているらしい。松明に照らされているのは間違いなく三ツ目族。トレミから見える限り三人。だけど、三人の背後にはもっとたくさんの三ツ目族たちが続いているはずだと思った。
 もうだめ。
 佐々倉が捕まっちゃう。
 佐々倉が捕まっちゃったらトレミはまた一人ぼっち。
 暗い暗い穴の中で一人ぼっち。
 そんなのいやだ!
 トレミは最後まであきらめないまいと、もういちど佐々倉の鼻っぱしにけりを食らわせようと足を持ち上げた。だが、目の前にいたはずの佐々倉が消え去っている。
 正確に言うと、佐々倉がいたはずの場所には、こんもりと岩が盛り上がっている。
 トレミはきょとんと立ち尽くす。
 佐々倉はどこに行った?
 そのとき、トレミのすぐそばに三ツ目族が近寄ってきた。なにやら慌てた風に声を掛け合っているが、足元の小さなトレミは視界に入らない様子。
 トレミは踏みつけられてはたまらんと通路の端に丸くうずくまる。
 三ツ目族たちは祭壇前で立ち止まると、何かを会話している。
「この先は渓谷か?」
「そのはずだ。途中に崖を登れる場所はない」
「他の捜索隊は先で道をふさいでるんだな?」
「そうだ。逃げ場のない一本道だ。このまま行けば挟み撃ちにできる」
「よし、行こう」
 三ツ目族が再び前進を始める。
 トレミの目の前を通り過ぎること十数人。騒がしく通り過ぎると、トレミは恐る恐る立ち上がって、改めて周囲を見渡す。
 佐々倉はやはり消えてしまった。佐々倉だけではない。友達のトカゲもいない。どこへいってしまったのか。トレミを置いて、どこに消えてしまったのか。
「ササクラ……? トカゲ……?」
 問いかけるが返事はない。
 心細くなったトレミはあふれそうな涙をこらえて何度も佐々倉とトカゲの名前を呼ぶ。
「どこいっちゃったの……?」
 三ツ目族たちの声や足音も聞こえなくなって、周囲は耳が痛いほどの静寂に包まれた。
「どにいっちゃったの!?」
 静寂を打ち破るように、トレミは声を張り上げた。それでも佐々倉もトカゲも姿を見せてくれない。
 トレミはとうとうその場にうずくまると、嗚咽しながら泣き出してしまった。佐々倉も友達もいなくなった。どこかいってしまった。また一人になった。
「……なにを泣いてやがる……」
 佐々倉の声がした。
 トレミははっと声を上げて周囲を見る。
 誰もいない。
 でも、今確かに佐々倉の声が……。
 祭壇の横や背後を必死に探すが、佐々倉はどこにもいない。
 気のせいだろうか。必死に願ったから、聞こえてきた気がしただけなのか。
「……ひょっとして、お前、俺が見えないのか?」
「やっぱり聞こえる! どこ!? どこにいるのササクラ!」
 トレミは突然、むんずと掴まれて悲鳴を上げる。
「俺はここだ。見えるか?」
 よく見ると、岩のような手がトレミを掴んで持ち上げている。トレミを掴みあげているのは、周囲の岩からはみ出てきたような人型の岩。
「ん?」
 人型の岩は、トレミを掴んでいないほうの手を見ながら首をかしげた。
「なんだこりゃ。手が岩みたいだ」
「ササクラ、岩になっちゃった」
「岩に? お前から見て俺の全身が岩なのか?」
「……うん」
「そんな馬鹿な。肌が岩のようになったって、服まで岩みたいになる道理はない。いや、肌が岩のようになる道理もないが……」
 佐々倉は混乱している。
 ここはトレミが何とかしないと。
「だいじょうぶだ、ササクラ。おまえが岩になっても、トレミは離れないぞ」
「そりゃ結構だが、なぜ岩なんだ? ひょっとしてあの祭壇の球体が影響してるのか? くそ、やっぱり高リスクだった。こんな様になっちまうなんて」
「しんぱいするな! トレミがついてる!」
 トレミから佐々倉の表情は見えなかったが、呆れたように肩をすくめてため息を漏らしたのは分かった。
「そういえば友達は?」
 トレミはトカゲがどこに行ったのかと顔をあちこちに向ける。
「トカゲ? どこだ?」
「呼び出したのか? いないのなら呼び戻せばいいだろ。どろんって」
「呼び戻す? ああ、そうか」
 トレミは召喚したトカゲを戻そうと念じた。
「もどってこい、ともだち」
 すると、岩になった佐々倉の肩から煙が立ち上って、どろんと音を立てた。同時に、佐々倉の容姿が元にもどったのである。
「あ、もとのササクラだ!」
「お、戻った。なんだ? どういうことだ」
 佐々倉は気難しそうな顔で悩み始める。
「かんがえるのはいいから、まずトレミをおろせ」
 佐々倉は心ここにあらずという様子で、トレミを地面に戻した。
「ひょっとして……」
 佐々倉はトレミを見下ろす。
「おい、ササクラ、大変だったんだぞ。さっきそこに三ツ目――」
「それよりトレミ、またあのトカゲを召喚してみろ」
 それより? 佐々倉が気を失っている間、トレミがどれほど大変な思いをしたのか思い知らせたいのに!
「早くしろ。トカゲを召喚しろ」
「……しかたないなあ」
 トレミはふくれっ面になりながら、再度「トカゲ」と念じると、どろんと音を立てて煙とともにトカゲが姿を現した。
 佐々倉はトカゲの尻尾を掴み上げると、目の前に持ち上げて見せる。
「こらー! なにするきだー! かえせー!」
「とって食ったりしねえよ。ちょっと調べるだけだ」
「友達をそんなふうにもつな!」
「ああ、分かったよ。ほら、返す」
 佐々倉はトカゲを地面に戻す。トレミはトカゲに抱きついて「ごめんな、痛くなかったか?」と声をかけている。
「トレミ、お前、間違ってるぞ」
「なにがまちがってるんだ! それより友達にあやまれ!」
「そのお前の友達だけどな、そりゃトカゲじゃない。カメレオンだ。荒野にカメレオンなんて聞いたことはないが、まあそこは隔世。荒野に適応したカメレオンなんだろう」
「かめれおん?」
「俺を岩のようにしたのもそいつだろう。なるほど、保護色ね。それがお前の眷族の能力だ」
「眷族? こいつは友達だ。眷族はトレミだ。カナデの眷族だ」
「その辺の理屈はよく分からないが、お前はそもそも人型だ。目も二つだしな。二ツ目族みたいなもんだろ。だったら眷族を持てるんじゃないか?」
「……そうなのか? トレミはただ、カナデのときみたいに友達と契約しただけなのに……」
 もう説明するのも面倒だ。眷族の眷族っていうややこしい理屈について深く考えたくもない。
「じゃあ……佐々倉が助かったのはトレミの友達のおかげ……?」
「岩になって助かったってどういう意味だ」
「ササクラがねむってるあいだ、すぐそばを三ツ目族が通り過ぎていったんだ。岩になってたから、だれもササクラに気づかなかった」
「通り過ぎていったのか?」
「そうだ。レオンのおかげだ」
「レオン?」
「かめれおん、だから、レオンだ。トレミ、いま決めた。友達の名前はレオン。レオンがササクラを助けた。レオンはトレミの友達。だから、トレミもササクラを助けた。どうだササクラ。トレミはすごいだろう。感謝したか?」
「こいつ、また生意気なことを」
「トレミは生意気じゃない!」
「そもそも俺はそのトレミを頭の上に乗せて運んでやってるんだ。それくらいして同然だろう」
 佐々倉の発言に怒り出すものと思ったが、トレミは「そのとおりだ!」と佐々倉を指差した。
「ササクラもトレミの友達だ! だから、眷族だ! ササクラはトレミの眷族だ! だからトレミがササクラをまもってもあたりまえ! これからもトレミがササクラを助けてやるからな!」
 胸を張るトレミ。感謝しなくてすんだ佐々倉だが、なんだか気に入らない。気に入らないが、トレミに対して真剣に取り合っても仕方がない。
「じゃ、そういうことで、これからどうするか作戦でも立てるか」
「おう! トレミとレオンがいればもうだいじょうぶだ! まかせておけ」
 レオンの能力は非常に使える。その部分では否定できない。
 トレミは目をきらきらさせながら、興奮したように腕を振り回していた。
 
 【 サイドストーリー トレミの大冒険 その2 完 】
 
「俺たちは認識を改めないといけないかもしれない」
 佐々倉は暗い通路を歩きながら言った。トレミはレオンと一緒に頭の上に乗っている。
「最初に会った三ツ目族がラリルドだったから、必要以上に俺たちは三ツ目族を過大評価していた。だが、そうじゃないのかもしれない。三ツ目族は俺たちが考えるよりも力を持っているわけではない。ラリルドのような力をみんなが持っているわけではない。むしろごく一部の三ツ目族だけ。そりゃそうだ。千年も戦うこともせず、二ツ目族に全ての労働を押し付け、のうのうと生きてきたんだ。俺たちはネームヴァリューに恐れていたのさ」
「三ツ目族はつよくないのか?」
「腕っ節のつよい素人って言ったところか。いくら筋肉があっても、格闘経験者には喧嘩で勝てないようなもんだろう」
「う〜ん、トレミ、よくわかんない」
 まあ、トレミに理解させようとも思わない。
「たかだか岩の保護色になっただけの俺を、気づかずに見過ごしてしまうようなやつらだ。俺の気配が消えたわけでも透明になったわけでもない。俺だったら保護色程度なら見破るだろう。ようするに、そのくらいの実力しかないのさ、三ツ目族ってやつは」
「じゃあ、カナデも大丈夫かな」
 それは分からない。
 あいつはどう見ても戦闘に長けた人間ではないし、通り道に子猫が捨てられていたら拾ってしまうようなやつだ。あいつこそ平和ボケしたド素人である。
「トレミが存在してる限り、奏は生きているって証拠だろう。だが、覚悟してほしい。俺は三ツ目族に見つかってしまった。もう城塞都市近くに戻ることはできない。むしろ、できる限り城塞都市から離れなければならないことになった」
「え? じゃあ、カナデは?」
「しばらくお別れだ。なにも今生の別れって言うつもりはないが、今はお互いに目的ができてしまった」
「カナデを見捨てるのか!?」
 怒鳴り声を上げるトレミ。
「見捨てるわけじゃない。いずれまた会うだろう。それまで、お互いの役割を果たすんだ。あいつはユーナって言う女を捜す」
「ササクラは?」
「俺はもとの世界に戻る方法を探す。奏だって言ってたろ。トレミやほかに出会った人たちを現世に連れ帰るって。俺はその帰る方法を探す。奏がユーナを見事探し出したとき、すぐにでも現世にいけるようにしておいたほうがいいだろ」
 トレミは頭の上で「うむむ」と悩みだす。
「本当にまたカナデと会えるのか?」
「問題ない。トレミと奏は契約したんだろ。それは要するに結びつきだ。望まなくても再び出会うことになるだろう。それまでに俺は帰る方法を見つけ、お前は奏の力になれるよう知恵をつけ、力をつけろ」
「……うん。そうだ。カナデを助けるため、トレミ、がんばる」
 やれやれ。納得したようだ。
 さすがお馬鹿なちびっ子だ。言いくるめるのは簡単極まりない。
 さて、トレミのアホを説得したら、後は渓谷を脱出し、そして現世に帰る方法だが……。
 レオンの能力があれば、三ツ目族の追っ手をまいて渓谷を脱出することは可能だとしても、現世に帰る方法はまったく思いつかない。ユーナが現世に来たときの方法で戻ることは可能だろうが、望みは薄い。
 まったく別のアプローチで現世に帰る方法。
 やはり、いずれはまた城塞都市にやってきて、ユーナが現世に渡った方法で帰るしかないのか。
 いまはとにかく、追っ手の三ツ目族をまいて渓谷を脱出する。
 奏には申し訳ないが、いつまでも奏に付き合ってる暇もない。奏が死んだらトレミも消えてしまう。いつ訪れるか分からないタイムリミットである。急がなくてはならない。
 トレミには「奏とはまた出会う」と言ったものの、本心では今生の別れであると考えていた。
 それは奏が城塞都市に侵入を試みたときから悟っていた。
 悪いが、奏の眷族を最大限利用させていただく。奏を探し出し、一緒に帰るつもりもない。現世に帰る方法を見つけたら、奏に構わず一人でも帰るだろう。
 俺は現世に戻ってやらなければならないことがある。自然管理委員会で出世し、何人もの部下を抱えるようになったら、その人間を使って探し出さなければならない人がいる。
 じゃあな、奏。お前に死んでほしいとは思わないが、助けたいとも思っていない。これが今生の別れだ。もう一生会うことはないだろう。
 正直、なんとも思わないかと問われれば、多少の罪悪感が残る。それでも、俺は進まなければならない。行かなければならない。優先しなければならない。現世に少しでも早く戻らなければならない。
 佐々倉はいま歩む足取りが、確実に目的に近づいていると信じて前に進み続けた。
 

 【第三部 混沌編(三ツ目族と奴隷の章) 完了】


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