あっちから変なの出てきた

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第十三章 【 おかしな二人 その1 】 


「さあ、そろそろおやり」
 老婆に促された。
 俺は改めて意を決し、テーブルの上に置かれた湯飲みのような道具に手を伸ばす。
 ここは大家貴信がいるはずだからたずねろと、柊天馬という男に紹介された場所。そこには老婆がたった一人で住み、訪れた俺をこうして迎えている。
 俺の目の前の卓袱台には二つの道具。二つとも同じような形状をしており、卓袱台の上に置かれた湯飲みのようにも見える。湯飲みと違うのは円筒状の上にはガラス玉のようなものが置かれ、左側は青、右側が赤色をしている。
 老婆が説明するところでは、通力について素質があれば、掴んだときにどちらかの玉が光るという。
 左側の青い玉は戒力を現し、右側の赤い玉は情力を表す。そして、いま大家貴信が必要としている人材は戒力に素養のある者。
 通力に資質があろうとも、赤い玉が光ったら不合格。
 これは試験。
 俺は卓袱台の上に置かれた二つの道具を、両手で掴んだ。
 玉は光らない。
「そのまま、動くな」
 老婆に言われ、じっと待つ。
 すると、玉が光りだした。薄ぼんやりと、電池が切れかけた懐中電灯の電球のように弱弱しく。しかも、光ったのは赤い玉だった。
 落胆し、手を離そうとしたとき、老婆が「まだ離すな」と語気を強める。
 赤い玉は徐々に光を増した。眩いほどではないが、それになりに通力に素養があるということだろうか。
「これは掘り出し物かもしれん。おぬし、本当に修行の経験はないのか?」
「通力の? あるわけがない。でも、光ったのは赤い玉です。不合格じゃないですか」
「何を見ておる。しっかりしろ」
「は?」
 老婆はあごをしゃくった。俺から見て左側の道具に向かって。
 青い玉が光っている。赤い玉ほどではないが、確実に光を放っている。
「情気に傾倒しているが、お前は両刀使いだ。非常に特殊な能力の持ち主。万に一つ、いや、億にひとつの才能だろう。二つの力は相反するものではないため、理屈的には二つ光っても不思議はない。だが、わしははじめて見る」
「ご、合格なのか?」
「合格も何も、今すぐ大家に会わせてやる」
 老婆は年甲斐もなく目を輝かせている。両方光る。それがどれほどの特殊性を秘めているのか、このときの俺には分からなかった。
 
 大家貴信が経営するスクールで通力を学んだ。スクールなどという生易しいものではなく、ほとんど軍隊のしごきに近いものだった。
 通力の修行とは、要するに精神修行である。修行の形式は、以前老婆が言ったとおり僧侶の修行に近い。
 数ヶ月のあいだ山篭りをし、ありとあらゆる苦しみを受け入れ、耐え忍ぶ修行。ほとんど拷問に近い毎日だった。
 内容は割愛するが、初めに百人以上いたスクール生は、一ヵ月後には三分の一となり、二ヵ月後には十人になり、三ヵ月後には四人になった。
 一年以上に及ぶ荒行に耐えたのは結局その四人。
 やがてスクールを卒業したとき、自分にとんでもない力が宿っていることに気づいた。大家貴信が開発した術師育成プログラムは、確かに一年間という短い間に爆発的な力を育てるものだった。
 四人。俵原孝司、鳩谷妙、川本クリスティーヌ、そして佐々倉想平の四人は卒業と同時に、戒具と言う道具を支給された。それぞれ、修行の中で見出された特性に合った戒具だった。
 研究所の一室で、大家貴信が自ら手渡した戒具は、ひどく重みがあって間違えば落としてしまうと思った。実際に重かったわけではない。一年間にも続いた荒行の中、幾度となく頭がおかしくなりそうになった。そしてようやく手にした戒具。
「卒業おめでとう。実は告白するが、あのプログラムで、無事に卒業できる者がいるとは、正直思えなかった。だが、君たちは耐え切った。乗り切った。私は生涯でこれほどまでに感動を覚えたことはない。それほどの衝撃だ。しかも四人。君たちは紛れもなく、最良で最強の術師だ」
 大家貴信が涙ぐみながら言った言葉。みんな涙した。四人の生き残りは声を上げて大泣きし、大家貴信に抱きついた。
 その中で、佐々倉だけは立ち尽くし、大家貴信のそばによることなく内に篭るように涙をこぼした。
 大家貴信に対して、何の信頼も愛情もない。感謝もなければ恨みもない。ならば、この涙は何の涙なのか。
 苦行を乗り越えた感動なのか。
 違う。
 空しかったのだ。
 一年間の苦行。夢中だった。ただ、自分の目的を達するために必死だった。要するにそれは盲目状態であったと言うことに、いまさらに気づいたのだ。
 あの地獄のような修行に耐えた成果が、この戒具? 通力が増した? 強くなった? それに何の意味がある。俺はここまで何をしに来たのか。この一年間、時間が止まっていたわけではない。
 ――子供、何人ほしい?
 初めから、君は俺の子を産むと決めていた。それが何より嬉しかった。
 すべてを君に捧ぐ。
 俺の人生をかけて、君と俺たちの子供を守り、幸せにする。
 そう心に誓った。
 俺の後悔は心に誓ったこと。
 なぜ言葉にして、彼女に伝えなかったのか。
 妻と子供が失踪して二年が経っていた。
 
 その日、前触れなんてなかったし、予感さえ感じなかった。
 金曜日の夜、突然会社から連絡があって、出向先の従業員がトラブルを起こしているので助っ人に来てほしいと頼まれた。
 翌日の土曜日から、妻とまだ幼い娘と温泉旅行に行く予定だった。
 ――いいのよ。お仕事を優先して。
 妻は少しのいやみも感じさせず、涼しげに俺の背中を押した。
 ――温泉ならいつでもいける。でも、それはあなたがお仕事でがんばっている限りだね。お仕事がんばって。あなたが私たちを想ってくれてるのはよく知ってるから。
 なぜ、家族より仕事を優先したのか。
 なぜ、あの時勇気を持って断れなかったのか。
 ――朝には帰ってくるさ。
 妻にそう告げて、俺は従業員の出向先にトラブル改修に向かった。向かった先で起こっていたトラブルは、いわゆるスケジュール遅延である。イベント会場の装飾が間に合っていないと言うのだ。
 俺は現場を仕切っていたコーディネータを呼んで事情を聞いた。どうやら、作業遅延の原因はイベント主催者側の度を越えた要望にあるらしい。
 コーディネータとしてはイベント主催者はお客様である。直前の趣旨変更に対してもできる限り対応したい。営業的に考えればそれは正解である。次の仕事をもらうには、多少の赤字を被っても満足してもらいたい。成果を欲しがる経営コンサルティング部に現場コーディネータが圧力をかけられているのだ。
 その結果、お客様の言いなりになり、作業が遅延する。いつものパターン。
 ――分かった。俺に任せろ。
 俺は消沈するコーディネータを慰め、イベント主催側の話を聞く。イベント主催側の主張は以下だ。
 ――直前の趣旨変更があったのは認める。だが、見積もりをして現状の予算内で吸収できると言ったのはそちらではないか。約束は守ってもらわないと困る。
 見積もりをし直したのは現場コーディネータであろうが、承認するのは上席である。上席がおそらく現状の予算内で賄えと圧力をかけたに違いない。
 俺は営業本部に掛け合って、現状を報告する。休日の営業本部のバックサポートは機能していないに等しい。ひとり、営業帰りの顔見知りが営業所にいたことが幸運だった。
 ――そんな問題があるなんて報告受けてないぞ。いまさら、しかも休日にそんな報告されたって打つ手がないだろう。
 そいつの言うとおり。現場コーディネータは問題報告すらできず、現場の現存戦力でどうにか乗り越えようとしたのだ。気づいたときには火の車。明日にはイベントが開催されるが、進捗は芳しくない。
 ――営業管理責任の問題だ。お前らの圧力が現場を疲弊させてることに気づかないのか? とはいえ、報告を惜しんだ現場も悪い。とにかくイベントが開催される明日までに会場を完成させないとならない。設計図は手元にあるな? 大至急、今から言う人間に設計書をファックスして、これる人間を集めてくれ。
 顔見知りの営業は、しぶしぶ了承して人集めの手順に進んだ。
 その間に、イベント会場で働くすべての作業員の手を止めさせ、一箇所に集める。改めて作業工程を確認し、組み替えた。
 汗だくになって現場監督に変わって作業指示をし、無理難題を吹っかける。すると、一連の作業工程で遅れをとる場所が出てくる。
 あそこがボトルネックか。
 作業を遅延させる要因はすべて排除にかかる。比較的進捗率の高い場所から人員を移動し、効率化を図る。その一方でイベント主催者側との交渉に戻る。
 ――当方に不備があったことつきましては、まことにお詫び申し上げます。再度、立て直しを図った結果、ご要望にこたえることのできる範囲を洗い出しました。
 妥協点を探る交渉。ここまで来ると、完全な火消しは不可能である。すべて完璧に完成させることは不可能で、俺はイベント主旨がぶれることなく、条件は満たされる範囲を洗い出し、提案した。
 イベント主催者側も、作業が間に合わずイベント開催できない事態は避けたいのだ。なら、多少イメージどおりではなくても、体裁が整う程度の会場装飾で妥協する。
 じっくり話し合い、妥協点を決めたところで、その妥協点だけは必ず成し遂げなければならないプレッシャーが襲ってくる。
 すると、応援を頼んでいた助っ人がやってきた。
 ――佐々倉、相変わらず大変だな。まるで消防隊だな。いつもお前の役回りは火の噴いてる現場の火消し役。
 電話で離した営業担当である。
 だが、これでもその役割に充実感を感じているのも確か。誰にもできない不可能なことを、どうにか解決することの達成感は、難解なパズルを解いたときのような喜びがある。
 最終的に、明け方まで尽力を尽くし、イベント会場は完成した。
 その瞬間の作業員や、落ち込んでいた現場コーディネータの笑顔。達成感に震える胸。この一瞬のために、俺は火消し役を買って出ているのだろうと実感する。
 イベント主催者側も最後には笑顔になり、いろいろあったがありがとうと握手を交わす。
 問題発生の中に、俺の生きる場所がある。俺の仕事は表立って目立ったり、愛されたりする仕事ではない。裏方を支えるさらに裏方。
 誰かが困ったとき、解決できない問題が発生したときに俺は必要とされる。
 貫徹後だったが、達成感もあいまって心地よい疲労感を抱きながら帰路に着く。すでに朝日は煌々と照り、人々が活動をはじめる時間帯。
 家にはいると、玄関の明かりがついていた。消し忘れたのか。俺は電気を消すと、居間にはいる。
 居間にも明かりがともっている。朝方である。電気をつける道理はない。俺は逡巡する。明け方まで妻が俺の帰りを待っていたのかもしれない。そのまま電気も消さず眠りについてしまったのかもしれない。
 そう思って食卓やソファーを見るが、妻の姿はない。
 寝室を覗いてみるが、ベッドはきれいにメイキングされ、誰かが眠っていた様子もない。
 どこに行ったのか。家中を妻と子供の名前を呼びながら探し回る。いつかえってくるか分からない俺に無断で出かけるわけはない。置手紙さえないのだ。
 車は車庫に入ったままだし、玄関には靴も残ったまま。
 一抹の不安。
 電気が点いていた。
 玄関が開いていた。
 ベッドは乱れていなかった。
 この光景は、まさに俺が出かける直前に見た光景。
 俺はあわてて電話を掴んだ。妻の実家、友人の家、行きつけの店、さまざまなところに連絡をして妻と娘の行方を捜した。
 汗だくになって、愕然としたのは昼過ぎのこと。
 俺は警察に届け出る決心をした。
 警察に連絡すると、俺は妻と子供の行方が分かるものがないかと、再度家の中を探し回る。
 そして感じたのだ。
 第六感。
 何の役にも経たなかった第六感が、事後になって発揮される。
 疲労と睡眠不足と極限の緊張状態、恐怖、そんな状態で不思議な感覚が鋭敏になった。
 最初に感じたのは匂い。嗅いだことのある臭い。
 よみがえる子供のころの記憶。
 子供のころはよく感じ、身近にあったはずの臭い。
 なんだったか。
 次に感じたのは音。
 いや、声か。囁くような声。居間にあるテーブル、椅子、ソファー、棚が俺に声をかけてくる。言葉のようであるが聞き取れない。
 まるで危険を伝えるような必死な声。まるで獣臭のような臭い。
 ――これは……。
 穴。
 漠然と抱いたその回答。
 やがて、やってきたのは警官ではなく、三人の男だった。
 ――自然管理委員会本部の滝山と申します。突然、申し訳ありません。
 名刺を差し出してくるが、受け取る余裕はない。四十代後半くらいの男は、玄関からじろりと部屋の中を観察する。
 ――やはり……。
 やはり? それはどういう意味だ。
 男三人は、玄関から中に入ろうとせず、そのまま帰ろうとした。あからさまに怪しい三人を引きとめようとしたとき、通報した警察官が現れた。
 警察官と自然管理委員会と名乗った男たちがなにやら話し込んでいる。
 一人の警官が佐々倉に事情を聞きに近寄ってくる。
 妻と娘がいない。連絡せずにいなくなるわけがない。帰ってきたのは朝方、玄関が開いており、朝なのに電気がつけっぱなしだった。親戚、友人、思い当たるところにはすべて連絡したが行方が分からない。
 まくし立てるように説明すると、警官は熱心にうなずき手帳にメモを取る。やがて警官が家の中に入り込み、家中を調べまわる。
 だが、その様子がいかにも予定調和に思えて、佐々倉は苛立った。通り一遍の調査を終えると、佐々倉は失踪届けを書かされる。
 ――何か分かったらご連絡します。奥様、娘さんの行方が分かったらすぐに警察に連絡を。
 そういい残し、警官は家を出て行った。
 なんだその真剣味のなさは。
 佐々倉は激怒し、出て行った警官に文句を言ってやろうと追いかけた。そのとき、背後に佐々倉がいるとは知らずに漏らした警官の言葉。
 ――……神隠し……。
 背後の佐々倉に気づいた警官があわてて口をつぐむ。だが、佐々倉の耳は確かにその言葉を捕らえていた。
 事情を教えろと怒鳴り散らしたが、警官は落ち着けと佐々倉をなだめるばかり。神隠しとはどういう意味かと問いただしても、そんなことを言った覚えはないとの一点張り。
 だが、佐々倉は思い出していた。
 子供のころ、人ならざるものの気配を感じたとき、感じたあの声と臭い。まさに家の中にはあの声と臭いが充満していた。
 ――神隠し。
 いつまでもその言葉は脳裏に焼きつき、現在でも忘れたことはない。
 だが、起こった異変はそれだけではない。
 のちに起こる、到底信じることのできない出来事が、何よりも重要だった。
 
 
 
 鼻の先を何度も弾かれて、佐々倉は目を覚ました。
「おい、ササクラ。いつまで寝てる」
 夜の間の冷たい風を避けるようにして、岩陰に丸くなっていたが、気温はだいぶ高くなってきたようだ。
 佐々倉は鼻先でわめき散らすトレミを払いどけると、上半身を起こす。地面に落下したトレミは、相変わらずひよこのようにぴいぴいとわめいている。
「今日は何日目だ……?」
「五日目だぞ、ササクラ」
 奏が城塞都市内に進入して五日が経つ。
 いつまでもこんな岩陰を住処にしているわけには行かない。もう水も残り少ないし、夜と昼の寒暖の差の激しいこの土地は体力を著しく奪う。
「移動するしかないな。水と食料の確保がいる」
「城塞都市に行くか?」
 トレミが足元で佐々倉に提案するが無視をした。城塞都市になど行くわけがない。だが、周囲に水と食料がありそうなのは城塞都市内しかなさそうである。
「城塞都市を囲む渓谷には水が流れてるな。とにかく水だ。水のあるところには食い物もあるだろう」
「のどかわいたのか? はらへったのか?」
 このちびっ子は飲まず食わずでもへっちゃららしい。うらやましい体質だ。
「じゃあ、ササクラ。カナデのいったとおり、聖域に行くのか? ほかの眷族を仲間にするのか?」
 いつも眠っているトレミは、目を覚ましている間はマシンガンのように喋り続ける。大して意味もない無駄な話ばかりする。
「聖域には行かない。だが、渓谷を降る必要はありそうだ。奏もいつ戻ってくるか分からないしな」
 とにかく、今のところ奏が命のよりどころなのは間違いない。奏がいなければ、このちびっ子がいなくなる。このちびっ子がいなくなれば、数日で瘴気にやられて佐々倉は病に倒れてしまう運命。
 なんて現状だ。
 なぜ俺は隔世になんているのか。
「トレミ、なにかいい案はないのか? 俺は水を飲まなければ死ぬんだよ」
「だから、聖域にいけばいいだろ」
「簡単に言うんじゃねえよ。聖域には三ツ目族が居るっていっただろうが。ラリルドのような化け物が居るんだ。近づけるわけがない」
「ラリルドみたいなやつなら大丈夫だ。トレミが話しつけてやる」
 トレミが自分の胸をたたいて見せたが、なんとも頼りない自信。こいつに聞くだけ無駄だったか。
「いずれにしても、聖域の入り口付近は偵察してみる価値はあるか。警備が薄手なら、侵入する隙もあるかもしれない」
「そうだ! いざとなったらトレミが交渉してやるからな!」
 返事をする気力もない。
 佐々倉は慎重に荒野を移動し、聖域があるという渓谷沿いに立てられた役所らしき建物が観察できるポイントまで移動した。
 まるできのこ雲のような形状の岩場の影から、おおよそ二キロメートルほど離れた建物を伺う。
「さすがにこの距離だとよく分からないな」
 目を細めるが、建物は陽炎に揺らぎ、人が居るのかいないのかも分からない。これ以上近寄ると危険である。だが、多少のリスクを負わないと情報も得られない。
「どうしたササクラ。なにかあったか?」
 ふと気づく。
 頭の上に乗ったちびっ子。
 これだけ小さければ……。
「おい、トレミ。お前、ちょっと行ってみないか?」
「いく? どこに?」
「あの建物に近寄って、ちょっと探って来いよ。お前なら小さいから見つからないだろうし」
「トレミが? 別にいいよ」
 あっさり承諾された。もっと嫌がると思ったのだが。
「トレミにまかせておけ。ばっちり偵察してきてやる」
 馬鹿なちびっ子だ。お前の身長で二キロの距離を往復したら丸一日はかかるだろう。
 とにかく行かせて見るか。こいつだって、少しくらいは役に立つかもしれないし。
「じゃあ、あの建物に何人くらい人が居るか見て来い。立番している人間が居るか。それは二ツ目族なのか三ツ目族なのか。分かるか?」
「わかるよ。まかせておけ。トレミが見てきてやる」
 胸を張って自信満々に声を上げるトレミ。
「よし行け。俺はここで待ってるからな」
「おう」
 トレミを地面に下ろすと、鼻息を荒くして意気揚々と歩き出す。
 トコトコと歩き出したトレミは、ノロノロと佐々倉から離れていく。
 こりゃ楽だな。佐々倉は口の端を吊り上げると、トレミが帰ってくるまでに一日はかかるだろうと、ゆっくりすることに決め、岩陰に横になったのだった。
 
 〔 サイドストーリー トレミの大冒険 〕
 
 トレミは意気揚々と歩き出した。
 まったく、ササクラはトレミがいないとなにもできないやつだ。そばにいなければ病気になってしまう上、偵察だってトレミじゃないとできやしない。
 ササクラは喉が渇いただの、腹が減っただの、すぐに動けなくなる。その点、トレミはいつも元気だ。喉も渇かないし、お腹も減らない。
 しかたがない。軟弱なササクラのためにトレミががんばってやる。
 しばらく歩いてから、後ろを振り返ってみた。だいぶ進んだ。キノコのような岩場が小さく見える。
 よし、順調だ。
 さらに歩く。
 ときどき石ころや窪みがトレミの行く先にはばかるが、こんなのなんてことはない。石ころも窪みもトレミの敵じゃない。
 またしばらく歩いて振り返ると、キノコの岩山はさらに小さくなった。
 進んでる。順調だ。さすがはトレミだ。
 よし進め。
 トレミは鼻歌を歌いながら進み続けた。
 すると、最初の敵が現れた。敵はやせ細って目玉がぎょろりと飛び出たトカゲだった。
 目が合った瞬間、トレミとトカゲはけん制しあった。
「やるきか!? やるならやるぞ!」
 トレミがファイティングポーズで威嚇すると、トカゲはふいっと顔をそらして、風のように逃げていった。
「勝った!」
 トレミは勝利の余韻に酔いしれながらさらに進む。
 ふと背後を振り返る。
 もうキノコの岩場は見えなかった。
 かなり進んだ。
 いい調子。
 ときどき、風にあおられゴロゴロ転がった。そのたびに体のあちこちを擦りむいた。
 これは冒険だ。こんな小さな怪我でへこたれてるひまはない。聖域を調べてササクラの元に戻り、ものすごい報告をして驚かすんだ。トレミはすごいんだということを思い知らせてやる。
 トレミは鼻歌を歌って自分をこぶしながら歩き出す。
 後ろを振り返る。
 キノコの岩場は見えない。
 だけど、目的地の聖域の建物も見えない。
 あれ?
 ここはどこ?
 トレミは顔を振り回して周囲を見るが、どこにもキノコ型の岩場も、聖域の建物も見えない。
 突風が吹いて、トレミはゴロゴロと転がった。
 また傷が増えた。
 どうしよう。
 どっちに行こうか。
 どっちを見ても同じ風景。
「がんばれトレミ!」
 おお、とトレミは右腕を突き上げて気合を入れると、再び歩き出す。
 ずっと歩いた。休まず歩いた。
 徐々にあたりが暗くなってきた。
 いつの間にか夜が訪れようとしている。
 トレミは空を見上げる。
 空は夕暮れから黒に変わりつつあり、きらきらと星が光りだしている。
「ササクラ……」
 トレミ、どこにいるんだろう。ササクラとどれくらい離れてしまったのだろう。
 トレミはコソボ婆を思い出す。
 やさしいコソボ婆。
 涙が出そうになった。
 くじけるなトレミ。
 トレミは再び鼻歌を歌いながら歩き出す。
 すると、再び敵に出会った。
「またおまえか!」
 目玉がぎょろりと飛び出たやせっぽっちのトカゲ。
「やる気か! トレミは強いんだぞ!」
 ファイティングポーズで戦闘態勢に入ったトレミ。だけど、今度は逃げ出さないトカゲ。
「ぬぬっ、根性あるな!」
 トレミは威嚇するように、右、左とこぶしを突き出す。
 そのときだった。
 やせっぽっちのトカゲが、急速に大きくなった――違う。トカゲはトレミに襲い掛かってきたのだ。
 トレミは襲い掛かってきたトカゲに突き飛ばされてゴロゴロ転がった。
 そのままトカゲは走り去って行った。
 転がってまた擦り傷を増やしたが、大きな怪我はない。
「……負けた! トレミ、負けた!」
 我慢していたのに、悔しくて涙が出てきた。夜空にはコソボ婆の顔が浮かぶ。
「婆ちゃん……」
 コソボ婆とすごした洞窟での毎日。
 二人だけだったけど、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
 でも、コソボ婆はいつもトレミに言っていた。
「外の世界に飛び出して、トレミはいろいろ冒険しなくちゃいけないよ」
 どうして? とたずねると、こんな洞窟で一生を終えたらさびしすぎる、って言ってた。
 でも、トレミはいま、とても寂しい。
 コソボ婆に会いたい。
 また、コソボ婆とおしゃべりしたい。
 やさしいコソボ婆と一日中おしゃべりしたい。
「うっ、うっ」
 とめどなくあふれてくる涙。
 だめだ、ササクラが待ってるんだ。トレミがいい仕事したら、ササクラはトレミをたくさんほめてくれる。コソボ婆みたいに優しくしてくれる。
 トレミは再び立ち上がった。
「いくぞ!」
 再び気合を入れると歩き出した。
 いまごろカナデはなにをしてるかな。
 カナデとの洞窟の冒険はおもしろかったな。
 あいつはがんばるほうだ。トレミと契約できたくらいだ。あいつはトレミにはおよばないけどがんばるほうだ。あれくらいがんばれないとトレミの契約者の資格がない。
 トレミもがんばらないと。
 これくらいで挫けてたら、カナデに、カナデの住んでる世界に連れていってもらえない。
 カナデは約束した。トレミとコソボ婆をカナデの世界に連れて行って、楽しく暮らすんだって。
 トレミだって役に立てるんだって思ってもらえなきゃ、きっとトレミだけ置いてかれてしまう。
 トレミは役に立つんだ。
 トレミだってできるんだ。
 歩き続ける。
 もう、方向は分からない。
 ずっと歩いた。
 いつしか、鼻歌を歌うことも忘れてしまった。
 風の音。
 それ以外なにも聞こえない。
 静か。
 ――孤独。
 再び、敵に出くわした。
 トカゲは昼間のように目玉が飛び出していない。
「またおまえか。トレミ、もう疲れた。休戦しよう」
 トカゲはトレミを見つめたままピクリとも動かない。
「トレミ、もうどこにいるか分からないの。きっと、ササクラの元にも戻れないんだ。ササクラだって、こんな小さなトレミを見つけることはできないし、トレミはきっと、この大きな荒野をさまよい続けるんだよ」
 トカゲは首をかしげた。飛び出ていた目玉は頭の中にしまわれ、眠たそうに薄めになっている。
「おまえはすごいな。トレミと同じくらいの大きさなのに、道に迷ったりしないのか?」
 トカゲは再び首をかしげる。
「トレミ、眠くなったよ」
 トレミはその場に尻餅をつく。
 もうだめだ。トレミ、少し眠る。
 こくり、こくりと舟をこぎはじめる。
 トレミは睡魔に負けて、その場にぱたりと横になった。
 
 トレミは眠ると必ず夢を見る。
 いつだって同じ夢。
 この夢を見たくていつも眠り続ける。
 トレミは夢の中では宝物のように大切にされてる。愛しくてたまらないようにトレミを抱きしめて、優しい声で語りかけてくる人がいる。
 すべてのことから守られている安堵感と安らぎ。
 いつも夢の世界はトレミに優しい。
 いつも抱きしめてくれる。
 いつも優しくしてくれる。
 いつもトレミに笑いかけてくれる人は誰?
 でも、それを問おうとすると目が覚めてしまうので、トレミはいつまでもその質問ができない。
 夢を見続けている限り、世界は優しさに包まれている。
 だけど、その世界は目覚めるその一瞬だけ、絶望感に満ち溢れるのだ。優しかった世界は突然、ガラガラと音を経てて崩れ、鏡が割れてはじけ飛び、その向こう側にあった暗闇が姿を見せる。
 暗闇はトレミがいくら拒否しても、その黒い手を伸ばしトレミを捕まえる。
 トレミは目覚める少し前にベッドのような場所に縛り付けられて、締め付けらたり押し付けられたりする。
 苦しくて仕方がなくて、もうやめてと泣き叫ぶと、どこからか優しいあの人が、必死にトレミを呼んでる声がする。
 こっち、こっちにおいで。
 優しい人の声。
 幸せの夢が暗闇に落ちたとき、そこから抜け出すにはその声が聞こえる方向へ必死に向かわなければならない。
 暗闇の中、一点の星のように光る優しいあの人の手が見えて、トレミが必死に手を伸ばして手を掴むと、いつも夢が終わる。
 
 目が覚めると激しい喪失感に襲われる。
 トレミの体の中が空っぽになってしまったかのよう。
 悲しくて名残惜しくて、でも夢でよかったと呆然としながら安堵する。
 でもすぐにまた夢が見たくなる。優しいあの人に会いたくなる。いつも暗闇に落ちて苦しい思いをすると分かっていても、優しいあの人に抱かれて安らいでいたい。
 トレミは眠気眼をこすって上半身を起こすと、遠くの空が明るんでいるのが見えて、朝が訪れようとしていることを知った。
 ふと気づくと、トカゲがトレミに寄り添うように眠っていた。
「トカゲ、おまえもいい夢見てるのか?」
 声をかけると、トカゲは目を開いた。
 でろん、と音を立てて目玉が飛び出る。
「トレミとここで一緒に暮らすか? トレミ、もう戻り方も分からない」
 トカゲは欠伸のように口を大きく開いた。
 しゅるん、と緑色の舌を伸ばすと、舌はトレミを簀巻きにした。トレミはなされるがまま舌に放り投げだされ、着地した先はトカゲの背中の上だった。
「なんだ、トカゲ」
 すると、トカゲは風のように走り出す。振り落とされまいと、トレミはトカゲのとさか部分を掴んだ。
「すげえ、はええ〜」
 トカゲは四本の足を高速で回転させ、地面をすべるように走る。
「うっひょおおお〜」
 前方から吹く風がトレミの前髪を掻きあげる。
 トレミは夢の続きでも見ているかのようだった。
 あまりものスピードと、まるで上下運動しないトカゲの走行に、地上すれすれを飛んでいるかのような感覚だった。
「すごいな、おまえ! すごいな!」
 トレミは感動して声を張り上げた。
 トレミと大して変わらない体で、こんなに早く走れるなんて。
 どちらの方角に進んでいるのか分からないが、もうトレミはどうでもよかった。トレミの孤独を吹き飛ばしてくれるような風がただただ気持ちよかった。
 
 〔 サイドストーリー トレミの大冒険 完 〕
 
 何か声が聞こえた気がして、佐々倉は周囲を見た。
 トレミの声のような気がしたが、あのちびっ子を見つけるのは容易ではない。
「ササクラー!」
 今度ははっきり声が聞こえて、方角も分かった。
 トレミが冒険に出てから丸一日経っていた。
「見てきたぞー!」
 トレミが何かに乗って、こちらに向かってくる。
 なんだあれは。
 トレミと「なにか」が佐々倉のそばまでやってくると、トレミが手を振って「見てきたぞ!」と再び報告した。
「それはいいが、なんだそれは。トカゲ?」
 トレミはトカゲに乗っている。トカゲの上から満面の笑みのトレミが「トレミの友達だ!」と声を上げる。
 トレミはトカゲを降りると、トカゲの首元を「よしよし」と撫でる。
「友達だ? ただのトカゲだろうが。気持ち悪い」
 踏み潰してやろうと佐々倉が片足を上げると、トレミが必死に「やめろー! やめろー!」と両腕を振り乱している。
「なんてことするんだ、ササクラ!」
「たかがトカゲだろうが」
「トレミの友達だ!」
 トカゲの首に抱きついて、必死に守ろうとしている。
「それより、ササクラ! 見てきたぞ! すごいだろ!」
「なにを見てきたんだ?」
「だから、聖域の建物だ!」
「それで? なにがあった?」
 トレミはぶすりとほほを膨らませると、じろりと佐々倉を睨む。
「すっごい大変だったんだぞ。ほかに言うことないのか」
「なにがだよ。いいから早く教えろ」
「なにをー! トレミが大冒険して見てきたんだぞ!」
「だからどうした。いいから早く教えろって」
「くっそー!」
 トレミは地団駄を踏んで怒りをあらわにした。早く教えろよ。苛ついた佐々倉はトカゲの尻尾を掴んで、つまみ上げた。
「なにするんだササクラー!」
「教えないと握りつぶすぞ」
「やめろー!」
 トレミが佐々倉の膝や脛を必死に蹴っ飛ばす。痛くもかゆくもない。
 するとトレミは急に元気がなくなり「分かったら、友達返して」と観念した。トカゲはくねくねと空中で体をくねらせている。まったく気持ち悪い。
 ぽいっと遠くにトカゲを投げ飛ばすと、トカゲは二メートルほど離れた地面に落下した。
 悲鳴を上げてトカゲに駆け寄るトレミ。
「大丈夫か、友達! 怪我はないか!?」
 憎たらしいことに、トカゲは無事らしい。
 トレミはトカゲの頭に手を置くと「佐々倉のそばにいると危ないから、しばらく休んでろ」と言ったとたん、トカゲが「どろん」と音を立てて、煙に巻かれて消えた。
 消えたのだ。驚いて「なにをしたんだ?」とたずねると、トレミは「友達と契約したんだ」と消え入りそうな声で答える。
「契約?」
「ササクラは意地悪だから教えたくない」
「別にいいが……。とにかく、聖域の役所にはなにがあった? 三ツ目族はいたのか?」
「ぐぬぬっ、教えてやりたくないけど、教えてやる。建物の前に三ツ目族が一人いた。でも、ずっと居眠りばかりしてた」
「一人だけか?」
「建物の中から一人出てきて、見張りを交代してた。だから、二人」
「二人しかいないのか?」
「たぶん」
 二人か。参勤交代だとして最大でも三人常駐している可能性がある。それほど大きな建物ではない。三人が妥当な線か。
 一人は門番として表に居て、室内には二人。交代制なら仮眠を取っているかもしれない。
 門番は居眠りばかりをしていたというトレミの証言を信じるならば、様子を見ながら近づけば、接近できないこともなさそうだ。
 おそらく、三ツ目族の中心地であるグロウリン城塞都市に隣接した聖域に、侵入してくる二ツ目族などいないと高をくくっているに違いない。侵入する隙はいくらでもありそうだ。
「なるほどね。他に目立った点は?」
「別にない。でも、匂いがしたかな?」
「なんの匂いだ」
「トレミのいた洞窟と同じ匂い。なんだか懐かしかった。コソボ婆に会いたくなった」
 聖域に住んでいただけのことがあり、同じ聖域を感じ取る感覚が備わっているのだろう。だが、目的は聖域ではない。おそらく役所にだけある渓谷を下る道があるはず。渓谷の下には水が流れているはずだから、そこで水の補給をしなければならない。
 トレミの馬鹿のおかげで、近寄るだけならそれほどリスクがないことが分かった。後はこの目で見て、情報収集と行こうか。
 佐々倉は腰につけた布袋に入れた水を触る。もう残り少ない。もって丸一日。行動はすぐに起こしたほうがいい。
「思ったほどリスクはないな」
 佐々倉は決心して歩き出す。すぐに向かおう。明日の朝までには聖域の役所から二百メートルまでは近づきたい。
「置いてくなササクラ!」
 トレミが背後で騒いでいる。このお荷物を忘れていた。こんなやかましいちびっ子でも、居なければ瘴気にやられてしまう。
 生きるための代償だと思えばいい。少しくらいのストレスは我慢しなければ。
 佐々倉はトレミをつまみあげると、頭の上に乗せた。
 トレミはまるで馬の手綱を握るかのように「よし、いくぞ!」と佐々倉の頭の上で拳を振り上げた。

 

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