あっちから変なの出てきた

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第十章 【 グロウリン城塞都市 その4 】 


 帰り道では202番と会わなかった。住処の洞穴に戻ってからも見つけることができず、奏は行方を心配した。
 仕事でなにか問題があったのか。事故でもあったんじゃないか。今朝、熱っぽく目標を語っていた202番を思い出して心配で胸が苦しくなった。
 この日、ちょっとした変化があり、寝床が排泄場所から間逆の壁際に移動された。壁際は足も伸ばせるスペースもあり、その晩、奏はようやく安堵の眠りにつけたのだった。
 だが、間違ってはならない。それでも硬い石の上であることは変わらず、洞窟内といえども夜は寒い。人が密集しているための暖房効果もあったが、この環境は人が過ごしていい環境ではない。
 翌日は雨が降っていた。
 荒野では珍しいと思われたが、この世界のことは良くわかっていないのが正直なところで、雨が珍しいのかどうか正確なところは分からない。
 いずれにしても雨のおかげで天に向かって口を開き、十分な水分補給ができたことと、体と着ていた服を洗えたことが嬉しかった。
 職場はいつもと同じ終点の酪農地帯。今朝から202番の姿が見えないのが心配だったが、とりあえず目の前の目的を済ませてしまおう。
「餌やりの時間は三十分。戻ってこれなかったらきついお仕置きをしてやるからな。さあ行け」
 いつもの44番の常套文句で始まった今日の労働。奴隷たちはみな一斉に走り出したが、奏は動かなかった。
「69番、なぜ動かない」
 棍棒を肩に背負いながら44番が不審そうに声をかけてきた。
「岩山の小屋でいいので」
「昨日の成果で、お前は義務を外れたんだぞ。わざわざあそこを選ぶのか?」
「はい」
「……とうとうイカれたか。まあ、あそこに行くのなら時間無制限だ。好きにしろ」
 奏はゆっくり歩き出す。44番に叩かれた足の具合も良くなってきた。あとは202番が姿を見せてくれれば安心するのだが。
 後もうひとつ不安がある。今日はあの女言葉を話すコッシの男に、先日の返事をしなければならない。断る選択肢はない。今日一日をかけて、ゆっくり覚悟を固めなくてはならないだけの問題。
 岩山の小屋にたどり着くと、牢の扉越しに「今日も行ってくるから」と声をかける。
「待て!」と中から制止の声がかかったが、説得されようとも気は変わらないので無視することにした。
 森に入っていくと、右斜め方向から黒い猛獣が姿を現した。遠巻きに距離を置きながら、奏についてくる。いつもは姿を見せないのに。
 襲ってくる様子はないので、いつもの陽だまりポイントに向かう。すでにプロ級の足高兎のハンターである奏は、あっさりと一匹目を獲得する。すると、黒い猛獣が近づいてきて、奏の周囲をうろつき始める。
「約束だからな。ほら」
 足高兎を差し出すと、黒い猛獣は手を伸ばして獲物を受け取った。
「人に甘えてたら、お前が狩りの仕方を忘れちゃうんじゃないのか?」
 言ったものの、獣に聞く耳があるとは思えない。
 次の獲物も黒い猛獣に提供した。足高兎を貪り食う黒い猛獣に向かって、奏は提案した。
「名前を決めてやろうか? 俺の中だと『黒い猛獣』だけど、それも野暮ったいし、ちゃんと名前つけてやろう」
 なにがよいか。
 奏の取ってきた獲物をうまそうに食う黒い猛獣を見ていたら、なんだかこいつも可愛らしく見えてきた。
「クロとか。そのまんまか。ひねってブラック。英語にしただけか」
 クロを英語で……という発想が気に入って、別の外国語を考えてみた。たしか、黒ってスペイン語に略しても似たような発音だったな。ううん、思い出せない。フランス語でなんだっけ。黒猫がシャノワールだったな。シャノワールのどの部分が黒で、どの部分が猫なのか良く分からない。イタリア語はどうだ。黒猫が何とかネーロ……。ネーロか。いいかもしれない。
「お前の名前はネロだ。ローマの暴君みたいでぴったりだ。おいネロ、こっち向いてみろ」
 新名称ネロはこちらに見向きもせず、二匹目の獲物を平らげると、お礼も言わず森の奥へ消えていった。
 つまらない思いで、三匹目の足高兎を捕らえると小屋に戻った。
「……無事だったか」
 扉の向こうからため息交じりの声が聞こえてきた。
「もう大丈夫。危険はないから、明日も捕まえてくるよ」
「本当に危険はないのか?」
「うん。ネロも……ネロって言うのは黒い猛獣のことなんだけどね。約束したことを今日守ってくれたから」
「ネロ? 猛獣? 約束? 何のことだ」
「ネロって俺が名前付けたんだ。俺が二匹の足高兎を提供するから、三匹目は俺にくれって。そしたら今日、襲ってこなかった」
「……そんな馬鹿な……何を根拠にそんなことを」
「賢い動物だと思ったんだ。だから損得を突きつければ、言うことを聞くんじゃないかって」
「無茶な……」
 無茶ではない。ちゃんと勝算があっての作戦だった。このとおりうまく行っている。
「なんて名の猛獣なんだ?」
「だから、ネロ」
「そうじゃなくて、種類のことだよ」
 種類と言われても、この世界の動物のことは良くわからない。
「黒くて、走るとき絨毯みたいに波打つ動物。足音もさせないで、忍者みたいなやつ」
「ニンジャはなんのことだか知らないけど、それはおそらくセセラギ熊じゃないか? 走るときに川の波打つかごとく静かに迫ってくる熊だ。人に懐くわけがない」
「懐いたんじゃなくて、契約を交わしたって言うか……。とにかく、大丈夫だって。しばらくは俺がここに来るから食事の心配はないよ。それより、足高兎だけでいいの? ほかになにかほしくない?」
「充分だよ。それより、君は何者なんだ? この六十日間で誰も成功しなかった狩猟をあっさり成功させたんだ。普通の人間ではないだろ」
 普通の人間ではない。確かに、異世界の人間であるという意味ではそのとおりである。
 答えようのない質問に、奏は「君だって幽閉されてるだろ。普通の人間じゃない」と反論を試みる。すると、一拍の間があって、牢内から笑い声が聞こえてきた。
「お互い様か……確かに俺は普通じゃない。だからここに閉じ込められてる」
 改めて幽閉の理由が気になった。
「どうして……昨日も尋ねたけど、理由は教えてもらえない?」
「言いたくないわけじゃないんだ。たいした理由がないだけなんだよ。ただ、奴隷になることを猛烈に拒否したからこうなった」
「よく命が助かったね。それより、拒否するなんて命知らずな行動だよ。なにか投げやりになってたの?」
 ファミリアの洞窟に挑んだ自分の無謀さを思い出し、その質問が口を出てきた。
「そのとおりだ。投げやりだった。どうでも良かったんだ。どうしようもない、信じたくもない出来事があって、自暴自棄になってたんだ」
「……俺も……たくさん見てきたよ。ひどい目に遭ってる人たち。それでも耐え忍ばなくちゃいけない人たち。どうしてこんな理不尽なことがあるんだろう。どうして仲間同士でもこんなに憎しみ遭ってるんだろう」
「……君は」
 言っていて不思議になる。
 202番にもこんなに内面を語るようなことはなかった。
「君、名前は?」
 壁越しに聞こえた問い。
 名前。
 そう。俺には名前がある。ここにやってきてから一度も聞かれていない。だからこそだろう。ネロに名前をつけたくなったのは。
「名前は奏。君は?」
「カナデ……そうか。俺はタモン。ただのタモン。姓はない」
「タモンか。これからよろしく」
「ふふ、奇妙だな。顔も知らない相手なのに、これからよろしく、か」
「別にいいだろ。ここには誰もいないし。監視の目もない。気兼ねなく会話できるのはここくらいだから」
 返答はない。だが不自然な間ではない。
 タモンか。話していると、一番奏に近い思いを持っている人間であるきがして、隔世にやってきてから抱え続けていた孤独が少しだけ癒される気がする。
「そろそろ時間だから行くよ、タモン。また明日」
「……ああ。待ってるよ」
 待ってる。その言葉がどれほど奏を救ったか、発言もとのタモンにも分からないだろう。
 これから重大な決意が待っている。その前にタモンと話せてよかった。どんなつらい目にあっても、ここでタモンと話せば洗い流せる気がする。
 
 202番の姿がない。
 配給場所にも、住処の洞穴にも姿がなかった。
 どこへ行ったのか。心配でならないが、周囲の人間に行方を尋ねることもできない。
 探している間に時間は過ぎ、ふいにヒニルに呼び止められた。
「コッシがお前を呼んでいる」
 いよいよだった。女言葉を話すコッシに回答しなければならない。いったん、202番の捜索はやめて、前回訪れた監視小屋に向かった。
 前回と同じ部屋に、同じ様子で座るコッシ。
「三日ぶりね。あら、すっかり傷も良くなって。おいしそうになったわね」
 背筋が凍りつく。こんなやつに。こんな汚いやつに。
「さあ、座って」
 男は上機嫌だ。奏が断るはずがない。そう高を括っている表情。憎しみが腹の底から沸き起こってくるが、どうすることもできず泣き叫びたい心境になる。
「気づいてくれたかしら」
 乙女のように上目遣いで奏を見つめてくる。
「な、なにをですか?」
「まあ、とぼけちゃって。今の寝床は心地いい? 44番のヒニルは優しい?」
 まさか、裏で手をまわしたのか。だから44番は近頃文句ひとつ言わなかったのか。
「分かってくれたようで嬉しいわ。では早速だけど……」
「分かってます」
 コッシの男は眉を吊り上げて「おや」という顔をする。
「お話……お引き受けしようと思います」
「あら、本当!?」
 手を組んで、少女のように喜ぶ男。
「嬉しいわ。大丈夫、あなたの優遇は任せてね。すぐにあの洞穴から出してあげるから」
「それはどちらでもいいんです。ただ、ひとつお願いがあるんです。条件ってわけではないですが……」
「なんでも言って。大抵のことはできるわよ」
「202番を……202番が見当たらないんです。なにかあったのか心配で。彼を探してもらえませんか?」
「202番?」
 コッシは目を細め、奏をにらみつけてくる。
「なによその男。あんたのなんなの? 大事な人? 冗談じゃないわ」
「違うんです。ただ、親切にしてくれたので心配で……」
「本当に? ただの知り合い? 肉体関係はないのね?」
「あ、ありません、そんなの」
 ふうん、と鼻を鳴らし、腕組をするコッシの男。しばらく考えた後、「いいわ。202番ね」と了承した。
「ありがとうございます」
「いいのよ。私たちはもう普通の関係じゃないんだから。ほかに困ってることはもうないの?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
 これ以上要求したら、後が怖い。
 コッシの男は思春期の少女のようにルンルンと声を上げて浮かれた様子だ。
「でも、ごめんね。せっかくなんだけど……」
 コッシの男がそう言って残念そうに肩をすくめる。ずきん、と心臓がひと跳ねする。なんだ? まさか、男のほうから約束を反故にする?
 想定していなかった事態に全身に汗がにじむ。ここでコッシの男に約束を反故にされたら、掴みかけた昇格がなくなってしまう。
「わたし忙しくてね。三日間くらい城塞都市を離れないといけないの。私としては早速今夜からって気持ちなのよ。本当に。でも、三日間待っててね。大丈夫、202番の件は最優先でやっておくから」
 なんだ、そんなことか。
 ほっと胸をなでおろしている自分に矛盾を感じる。嫌悪感と安堵感が混じった奇妙な感覚。もちろん、嫌悪感のほうが大部分を占めているが。
 奏は何度もお礼を言って部屋を出て行った。
 三日の猶予。
 だが、結末は変わらないし、奏の意志も変わらない。
 これでいい。無傷では渡れない橋を選んだのは自分自身。
 
 翌日の朝、202番が戻ってきた。
 朝、いつものように職場へ向かう途中、姿を見つけて声をかけた。
「202番、心配したんだぞ。どこへ行ってたんだ」
「あ、69番」
 振り返った202番の顔を見てぎょっとした。あちこち腫れ上がり、見るに耐えない顔。
「どうしたって言うんだ」
「実は……この間雨が降ったでしね。そのとき、僕が管理していた果実の木が風に吹かれて、実を全部落としてしまったでし。僕は監禁されて、ずっと幽閉されてたでし。でも、昨日突然開放されたんでし」
 ああ、良かった。
 良かったが、ひどい。まだ子供なのに。こんなひどい目にあわせるなんて。たかが木の実が落ちたくらいで。
「心配かけたでしか? 大丈夫でしよ。初めてじゃないでしね」
「初めてじゃないのか?」
「失敗すれば、これくらいあたりまえでし。手足が付いてるだけ、ましでしね」
 手足があっただけまし? これほど暴行を受けて?
 許せない。怒りで手が震えたが、同時に恐怖の震えでもある。こんな理不尽は甘んじていてはいけない。抵抗しなければ。そう思えば思うほどに比例して恐怖も増大する。
「いいでしよ。気持ちだけでうれしいでし。だって、ここに来て初めてでし。僕を心配してくれ人は」
 やりきれない。
 202番、きっとどうにかしてやるからな。女言葉を話すコッシに頼んで、お前の待遇を改善してやる。
 
 いつものように終点の酪農地帯にたどり着く。44番はコッシの影響か、今日も大人しい。
 おそらく、これが俺のできる唯一で最善の方法だ。コッシに取り入って環境を整え、最短距離でヒニルまで出世する。その先はまだ分からないが、ヒニルになれば何らかの糸口が見つかるかもしれない。
 ヒニルになれば、中央の都市部で召使として働けるかもしれない。そうなれば宮殿までの距離はだいぶ近づく。こうやって少しづつ近づいていくしかない。
 岩山の小屋まで着くと「タモン、足高兎を取ってくる」と断りを入れて、森に立ち入った。
 すると、つり橋を抜けたすぐの場所で、黒い塊が地面に丸くなっていた。
「ネロ、なにしてるんだ?」
 声をかけると、ネロは待ち構えていたように起き上がり、奏の傍に寄って来た。
 不思議に思いながら歩き出すと、すぐ脇を付き添うに突いてくる。昨日より距離ははるかに近い。どうやら警戒心を完全に解いたらしかった。
 四日たっても、足高兎は同じポイントで雑草を食っていた。森を歩き回った限り、ポイントは大小で大体二十は数える。そのポイントにはそれぞれ一匹づつの足高兎がおり、基本的にはポイントで食事をするのは一匹のみ。
 同種に対しても警戒し、近づきあわない動物らしい。
 一匹目を捕獲してネロに提供すると、美味そうにネロが食事する様を眺めていた。
「なあ、ネロ。お前は仲間がいないのか? この森にお前と同族の動物はいないのか?」
 聞いても答えるネロではないが、すでに奏の中でネロは擬人化されており、キャッチボールがなくても会話したことになっている。
 奏は二匹目の足高兎を捕獲してネロに提供すると、今日は時間があるので再度森を探索しようと決めた。
 ネロの仲間を見つけようと森の中を歩き回ること数時間。森にいる哺乳類は足高兎とネロだけで、あとは爬虫類や両生類、昆虫などの脊椎動物ばかり。
 ここでの食物連鎖はごく小さい楕円を描いているに過ぎない。これが自然に起こったものだとは思えず、ネロが一体でここにいる理由も不自然だ。
 二匹目の食事を終えても、奏の傍を離れないネロ。ひょっとしたら、奏のことを同種の仲間だと思っているのかもしれない。
「お前、一人でここにいるのか? ひょっとして、連れてこられたのか」
 ここは荒野であったはず。ならば、城塞都市内の樹林は全て人工的に作られたものと考えたほうが良い。城塞都市の中央部から外れれば外れるほど、人工的な樹林に違いない。
 ならば、ここにいる動物も連れてこられたものである可能性が強い。
「ずっと一人だったのか。そうか。それは寂しいよな」
 奏はネロに手を伸ばす。噛み付いてくるような気配はまるでなかった。前足を地面に下ろせば、奏の胸くらいの位置に顔がある。手を伸ばしてネロの首筋あたりをなでてやると、ネロは目を細めてブルンと唸った。
「毎日来てやるから。でも、俺に頼ってたら自分で生きていけなくなるぞ。いや、そもそもお前も困ってたのか。勝手の知らない森に連れてこられて、どうやって狩をしていいか分からなかったんだよな。何人か人間を襲ったかもしれないけど、それはお前のせいじゃない。ここにお前を連れてきたやつが悪い」
 森を調べた結果、この森の半径は約一キロメートル程度。周囲は切だった崖で、中にいる動物は空を飛べない限り森を逃げ出すことはできない。
 足高兎が搾取される側に選ばれたのは、その繁殖能力の強さだろう。正確なところはわからないが、鼠算式に用いられるように足高兎は増えていくと思われる。ネロ一体が食い荒らそうが、びくともしないだろう。
 奏が三匹目の足高兎を捕らえると、そろそろ引き返そうと小屋に向かった。ネロは別れ惜しそうにつり橋のところまで付いてくると、小屋に戻る奏を見送った。
「タモン、足高兎を取ってきたよ」
 声をかけて、足元の扉から獲物を押し入れる。
「ありがとう。おかげで空腹で苦しむことがなくなったよ」
「いいんだ。実は、この城塞都市内で唯一の楽しみみたいなもんだんだよ、ネロと君に会うのが」
「変わった趣味だな」
 そう。
 案外、この生活に慣れてきている。こうして憩いの時間も手に入れ、タモン、202番、ネロなどの友人も出来た。
 だが、これはかりそめの平穏。
 脳裏によぎる、忌々しい女言葉を話す男の嫌らしい顔。嫌なことを全て後回しにしているだけに過ぎない。
 だが、これでいい。これからまた、俺は進むために体のパーツをそぎ落としながら矢が降ってくるような道を行かなければならない。
 ただの小休止。
「……なにもかも、三ツ目族が悪いのだと思った」
 それまで流れていた沈黙を打ち破るようにタモンが口を開いた。
「俺はたった一体の眷族を持って、この城塞都市に一人で攻め込んだ。もちろん、勝ち目があるなど微塵も思っていなかった。だけど、奴隷として甘んじている二ツ目族の停滞した意識に一石を投じる行動となれば……。そう思って起こした行動だった」
 捕らえられた経緯を話そうとしている。気づいて奏は静かに耳を傾けた。
「だが、城塞都市で侵入した先で、俺の目の前に立ちはだかったのは三ツ目族ではなかった。四ツ目族でもない。仲間であるはずの二ツ目族だ。俺という城塞都市に侵入してきた賊を捕らえて、三ツ目族に対しての評価を上げたい。成果を挙げて階級を挙げたい、そんな目で俺を見ていた」
 気持ちはよくわかる。奏さえ、城塞都市に来てからというものの三ツ目族はただの一度も目撃していない。敵は二ツ目族ばかりである。
「同族に対して、俺は何もできない。せっかく手に入れた眷族さえ、ここでは発動できないと来ている。俺は何もできず奴隷たちに捕まり、ここに投獄されたのさ」
 ふと、会話の中で違和感を抱く。
 なにかおかしくないか?
「タモン、君はどんな眷族を持ってるんだ?」
「大したものじゃない。三ツ目族が一体でも捕獲できればと思って、それようの眷族にした」
「どんな?」
「興味があるのか? 残念だけど、見せてやることはできないよ」
「いいよ。教えて」
「ああ……俺の眷族は鳥型で、想像もできないほどの高度を飛ぶことができる。その光景を俺に映像として知らせてくれる。それだけじゃない。口から粘液を出して巣作りをする性質があり、その粘液は糸状に吐くこともできて、相手を戒める縄ともなる」
 奏は少し考え込む。
「どうして黙ってる? なにか思うところでもあるのかい?」
「いや、気になってさ。だって、変じゃないか?」
「変? 俺の眷族が?」
「いや、そうじゃなくて。ここに奴隷として放り込まれる人間は、みんな眷族を抜かれるはずなんだ」
「抜かれそうになったさ。でも抜かれなかった」
「どうして大丈夫だったの?」
「分からない。抵抗したからかもしれないな。死んでも眷族は解放しない。そう決めていた。だからこそ投獄されている」
 念が強ければ、眷族を守ることができる? 相手だって眷族で眷族を抜こうとするのだから、相手の眷族より強ければ抵抗できるはず。それは自然の道理。
 だが、違和感はそれだけじゃない。
 この不条理ばかりの奴隷の世界で『なぜタモンは生かされている』のか。処刑されてもしかたのない『城塞都市への攻撃行為』を起こしたタモンが、なぜ殺されないのか。だが、そんな質問を不躾にぶつけてみる訳にもいかず、もうひとつの最大の疑問を口にした。
「この城塞都市は全体に眷族の召喚できないような細工がなされてるんだろ。城砦都市では眷族が召喚できないはず」
「そうだ。俺はできなかった」
「なのに、どうしてこの牢屋は眷族の召喚を防ぐ材質でできてるのか。城塞都市内の牢ならこんなことしなくてもいいじゃないか」
「……確かに」
 眷族を封じる素材は人骨だ。そもそも、城塞都市全体を覆いつくすほどの人骨を集めるには、多大な労力と人骨が必要である。ひょっとして眷族を封じる効用のあるのは都市部だけではないのか。
「城塞都市の辺境にあるこの場所では、ひょっとしたら眷族を封じる効用が薄い?」
 確信はない。分かったところでどうにもならない。奏は眷族を抜かれなかったが、召喚も召還もやり方がわからないので試してみることができない。
「カナデ、有り得るかもしれないけど、有り得たところでもうにもならないだろう」
「……そうだね」
「そんなことより、君は? どこからやってきたんだ?」
「俺は……」
 正直に話してみるべきか。タモンには嘘をつきたくない。
「女の子を捜してるんだ」
「人探し……?」
「そう。どうやらこの城塞都市に捕らわれてるみたいで、その子を探しに来たんだ」
「探しに来たとはどういう意味だ。ここへは強制的につれてこられたんじゃないのか?」
「だから、君と同じ」
 タモンが黙った。何かを考え込んでいたらしい。
「……ちょっと待て。カナデ、君はひょっとして、自ら奴隷になるためにここにやってきたと言ってるのか?」
「そうだよ。君と同じ」
「同じものか。君は女のために奴隷になりに来たのか? その女のいる場所は当たりがついているのか?」
 一瞬迷う。だが、もう分かっている。タモンに話しても問題はない。
「斬首の塔って場所らしい。正確な位置は分からないんだけど」
「斬首の塔か。それならここは高台になってるから、小屋の外から見えはず。遠いが西側の城塞都市の向こう側にある森。その向こう側に二本の突起が見えるはず。ここからでは約二十キロほどあるかもしれない。空気が澄んでいれば見えると思う」
「本当に?」
 奏は慌てて立ち上がった。
 小屋を出ると、言われたとおり西側を見る。
 手前には農地や酪農地帯が広がり、その向こう側に巨大な中央都市が広がっている。タモンの言うとおり都市の向こう側に森が広がっていたが、その先は霞んでよく見えない。
 森の輪郭を沿って、じっと目を凝らす。突起があるように見えるがそれが塔なのかどうか分からない。
 小屋の中からタモンの声がする。
「ここから見て、森の右側のほうに宮殿が見えるか? 三つの城がある場所」
 見えた。巨大な建造物がある。角度の問題だろうか。城は二つしか見えない。もうひとつは二つの城の向こう側に隠れているのだろう。
「その城から視線を右に移動する。大体森の全長から三分の一程度の場所。斬首の塔は乳白色。邂逅の塔は黒に塗りつぶされている」
 森の向こう側の景色に同化してしまう乳白色は見つけられない。だが、黒い突起は発見することができた。
「あった。あったよ、タモン」
「それが斬首と邂逅の塔だ。そこに君の探し人がいる」
 あそこに……。
 あそこにユーナがいる。
 たったこれだけの距離。一日歩けばたどり着く距離にユーナがいる。あそこまでいければ、俺は俺の存在をユーナに知らせることができる。そして一緒に現世に連れて帰ることができる。
 見えるのに……どうしてこれほどまでに途方もない距離に思えるのか。あそこにたどり着くまでに、どれほどの時間を要するのか。
「ありがとう、タモン。おかげで俺はまた、本来の目的に立ち直ることができたよ。俺はあそこに行かなくちゃいけないんだ。それが隔世に渡ってきた目的なんだから」
「……小屋の中からも、君の力になれた。良かった……少しでも君に恩返しをすることができて」
 タモンの声がして、小屋に引き換えす。
「恩返しなんて。話し相手になってくれるだけで、俺はすごく救われてるよ。できれば顔を突き合わせて話したいね」
「……そうだな」
 夕暮れが近づいている。
「そろそろ行くよ、タモン。また明日」
「ああ。待ってるよ」
 待ってるよ。その言葉がユーナの声となってリフレインする。
 ユーナは待ってはいないだろう。奏が隔世にいることを知らないのだ。だか、せめて自分の存在をユーナに知らせる方法はないのか。
 できる限り早く行く。
 だから、絶望しないで、どうか生きる意志を失わないでいてほしい。
 
 202番とは食事の配給場所で会った。
「良かった。今日は何事もなかったんだな」
「あ、69番。おかげで今日は何もなかったでし」
 元気なようだ。
 安心したところで、奏は202番に尋ねたいことがあった。先日の話の続きである。奏が宮殿の仕事はないかと訪ねたとき、そんなものは無いと言った202番が「ただ……」と言葉を続けようとした、その内容について。
「69番は仕事どうでしか? あいかわらず終点の酪農地帯でしか?」
「毎日そうだよ」
「44番は平気でしか……?」
 声を潜めてたずねて来る。
「大丈夫。仕事を問題なくこなせば、特に何もしてこないから。ここの生活にも慣れてきたし、君のおかげだよ」
「そんなこと言われると照れるでし」
 配給を貰い受け、近場に座り込んで水粥を喉に流し込む。何の味もしない無機質な食料。だが、栄養価は高いよう調整されているようだ。この量でも生きていくことはできる。
 食事を終え、いよいよ202番にたずねようとしたときだった。
「今から呼んだ者は監視小屋前に集合しろ!」
 突然、ヒニルが大声を上げた。その場にいた全員が声を張り上げるヒニルに注目する。
 何事だろう。202番を見ると、青い顔をして振るえている。
「ど、どうした?」
 カナデの言葉をさえぎるようにヒニルの声が聞こえてくる。
「24番、25番、78番、103番……」
 奏の番号が通り過ぎる。一体、なんの用で呼び出されるのか。202番は震えながら親指の爪を噛んでいた。その様子で悟ることができる。これは良くないことの予兆。
「120番、129番、163番、171番……」
 202番の番号に近づいてくる。近づいてくるに連れ、局所的な地震に遭っているかのように202番の震えが激しくなる。
「180番、181番、196番、201番……」
 次だ。奏は緊張した。
 次に呼ばれなければ、202番はもう呼ばれない。
「202番!」
 呼ばれた。呼ばれてしまった。
「ああああ……」
 202番は絶望したように頭を抱え込んだ。
 202番だけではない。いたるところで同じように頭を抱える人間が散見される。
 呼び出しの番号連呼は続いている中、奏は「いったい、どうしたんだ」とたずねるが、202番は呻きながら頭を抱えるばかりで答えない。
「703番、744番! 以上の者は五分以内に監視小屋前に集合すること。五分後に点呼を取る。その場にいないものは、聖神様の名の下に処刑を免れない」
 集まらなければ処刑が待っている。そう前提打つのだから、あからさまに良くないことである。
「202番……」
 事情を聞こうとするが、202番は夢遊病者のように立ち上がると、ぶつぶつと何かを呟きながら呆然と集合場所へ向かう。
「他も者は住処に戻れ! 夜間の外出は厳罰だぞ!」
 従うしかない。
 周囲を見渡すが、事情を尋ねられるような人間はいない。
 集められた人間はどうなるんだ? あの絶望様は明らかにとんでもない災難に違いない。
 どうすることもできず、奏は住処に引っ込んでいく。
 
 202番が住処に戻ってきたのは、それから一時間ほどしてのことである。戻ってきた連中は一様に覇気がない。もともと覇気などなかったが、背中を丸めてゆれるように歩いてくる様は、地獄をうろつく餓鬼のようだった。
 ヒニルに気づかれないように202番に近寄ると、小声で声をかける。
「202番、なにがあったんだ」
「69番……」
 泣きはらした顔。ひどく胸が痛んだ。
「69番に謝らないといけないでし。ごめんなさいでし」
「なにを……なにを謝るようなことがある」
「あの話、僕の目標の話でし。申し訳ないでし。約束は果たせそうにないでしよ」
「約束を果たせないって……事情を説明してくれ。なにがあったんだ?」
 202番は泣きはらした顔を手でぬぐう。
「研究所行きが決まったでし……」
「研究所行きって?」
「定期的に、奴隷の中から何人か選ばれるでし。各職場のヒニルの監督官が、使えない人間を選び出して、研究所行きにするでしよ。それに選ばれてしまったでし。きっと、この間の失敗が響いたんでしね……」
 ちょっとまて。
 それほど絶望する研究所行きとは何だ。
「研究所にはなにがある? そこに行くとなにをされるんだ?」
「……よく分かってないでし。でも、あそこに行って戻ってきた人間はいないでしよ。噂ではさまざまな実験道具にされるとか言われてるでし」
 実験道具だと。それは人体実験のことを言っているのか。人体実験といえば、薬品の試用や医療技術などのイメージが強い。
 行ったものは戻ってこない。それは行けば死が待っていると宣告するに等しいではないか。
「……いつだ。いつ連れて行かれる?」
「明日の仕事終わりだそうでし……。最後の日にも仕事なんて……僕は一体、何のために生まれてきたでしか? 虫けらのように殺されるために生まれてきたわけではないでし」
 必死に涙目で訴えてくる。
 まだ子供だ。こんな子供まで残酷な実態実験に使おうというのか。
 女言葉を使うコッシの男に頼めないか。だが、会う約束をしたのは明後日。それまであの男は城塞都市にはいないという。
「……くそっ」
 やはり俺など無力なのか。所詮奴隷の一人。なにもできず、自分が呼ばれなかったことに安堵し、姑息に毎日を過ごしていくことしかできないのか。
 平穏に感じた小休止も、やはり幻だったようだ。仕事さえこなせば無事に生きていけるわけではない。無慈悲で残酷な終わりを告げる鐘は、こうして唐突に、そして理不尽に鳴らされる。
 それが奴隷。
「もうだめでし……終わりでし……宮殿に行ったら、もう最後でし……」
「――宮殿?」
「おわりでし……おわりでし……」
 一心不乱に最後を唱える202番の顔を無理やり起こし、再度たずねる。
「宮殿ってなんだ? 連れて行かれるのは研究所じゃないのか?」
「研究所でしよ……。知らないでしか? 研究所は宮殿内にあるでし……」
 研究所は宮殿内に?
「宮殿って言うのは、あのお城がある場所だよな」
「……そうでし」
 これは……。
「おい、202番」
「もういいでしよ。僕のことは放っておいてほしいでし……」
「いいから聞け。心配するな。お前は研究所には行かない」
 戸惑いの顔を起こす202番。
「俺がどうにかする。お前は研究所には行かせない」
「……そんなの無理でしよ。どうするつもりでしか」
「俺に考えがある。お前には水産で認められる目標があるんだろ。お前はそれを目指せ。後のことは俺に任せろ」
「……そんなこといっても」
「それと、これを」
 奏は手に持っていた小さな塊を202番に手渡す。202番は受け取った物体をまじまじと眺める。
「これは……?」
「それは御札という道具。気をつけて使ってほしい。中には強力な竜巻の力が封じられてる。ほらここ」
 表面に描かれた紋様の上部を指差す。
「歯でこの部分に傷をつける。そうすると十秒以内に、巨大な竜巻が発生する。気をつけてほしいのが、この竜巻は本当に強大で、発動したら三十メートルは離れてほしい」
「こんなものに竜巻が入ってるでしか?」
「本当だ。信じてくれ。ただ、本当にだめだと思ったときだけ使ってほしい。お前が本当に命の危機に直面したとき、これを発動して逃げるんだ」
 長々と説明している暇はない。奏は同じ説明を念を押すように繰り返してから立ち上がった。
 方法はこれしかない。奏は足元で包まる二ツ目族たちを踏むつけないよう、奥の間に向かった。
 このソルの居る空間とは別に、ヒニルが住む別の間がある。そこに向かうと、入り口の前に立った。
 振り返ると、立ち上がってこちらを見ている202番が見えた。
 思えば、最初にここに立ち入ろうとして引き止めてくれた202番が居なかったら、俺はこうしてここに居ないかもしれない。
 奏はヒニルの住処を振り返る。
 そこにはいくつかのランプが壁にかけられており、ソルの住処よりよほど明るい。椅子やテーブルも存在し、眠るための寝具も存在する。
 そこにはまばらに談笑するヒニルの姿があった。その中に44番の姿もあったが、用があるのは44番ではない。
「あの、すみません」
 声を上げると、談笑していたはずのヒニルたちが恐ろしい挙動でこちらを見た。怯みそうになる気持ちを必死に抑える。
「あの……お願いがあるんです」
 ヒニルの一人が無造作にこちらに近寄ってくると、したたかに奏の胸を突いてきた。尻餅をついた奏は突き飛ばしてきたヒニルを見上げる。
「ソルがこの領域に立ち入るんじゃねえ。次はねえぞ。自分の住処に戻れ」
「お願いがあるんです。研究所行きの件です」
 そう口にしたとたん、空気が変わった。複数のヒニルの相貌が、殺気を放ちつつ奏を突き刺した。
「てめえ……処罰されたいのか」
 近寄ってくるヒニルの男。怯んで入られない。
「202番と交代したいんです。変わりに俺、69番が研究所に行きます」
「交代? 202番? いまさらそんなことできるわけねえだろ」
「お願いです。202番には世話になったんです。だから、代わりに俺が……」
 すると、奏の口を塞ごうとしたのか、ヒニルの男が拳を固めて詰め寄ってきた。
「待てよ」
 それをとめたのは44番の男。
 振りかざそうとしていた拳を止め、44番を振り返る男。
「おもしれえ。202番と交代したい? なぜそう望む?」
 44番は尻餅をつく奏の正面にしゃがみこんだ。
「世話になったんです。あいつが居なかったら、俺はここまで生き残れなかった。だから、助けてやりたいんです」
 44番は嫌らしく口の端を吊り上げている。
「ふうん、そお。俺は別にいいぜ、交代を認めてやっても」
「おい……っ」
 背後から止めに入るヒニルの男に、44番は「まだ申請はだしてねえだろ。間に合うはずだ」と威嚇するような口調で言った。
「確かにそうだが……202番だぞ」
「わかってらあ。でも、こいつが自分で望んでんだから、構わねえだろ」
 44番は再び嫌らしい含み笑いを奏に向ける。
「ということだ。代わりたいのなら代わらせてやる。だが、変更はできないぜ。申請はあと五分後には出す。その後は誰にも変更はできない。それでもいいのか?」
「……はい」
 そう答えると、44番は上半身をのけぞらせて高笑いを始めた。
「いいねえ、その自己犠牲精神! お涙頂戴だぜ!」
 明らかに皮肉である。
 44番はほかのヒニルに手続き変更を告げると、どうやら名簿らしきものが書き換えられ、その直後に申請手続きに入ったようだ。
 尻餅を付き続ける奏の元に戻ってきた44番は、さぞおかしそうに引き笑いを立てながら言った。
「これでもう変更は不可能。そんな自己犠牲愛に満ち溢れるお前に教えてやる。実はな、初めてじゃないんだよ、お前のように言ってくるやつは。かれこれ三回目だな」
 三回目? やはり、こんな場所にも他人を思いやれる人間は居るということか。
「聞いたか? 水産の話。養殖で聖神様に認めてもらうって、例の話」
 44番が蛇を思わせる鋭い目つきで顔を近づけてくる。戦慄した。なんて冷酷な目をするのだろうか。
「養殖の技術で、美味しい魚を養殖するって話だよな、たしか」
 その話。
 なぜ、44番が知っている?
「ずいぶん前からその話はちょくちょく耳にするぜ。五年くらい前から『二年で実現する』って言ってたっけな。あいつ」
「それは……どういう意味……」
「だから、三度目だって言ってんだよ。お前のように『202番の代わり』を申し出るやつは。202番、一見子供のように見えるだろ。だけど、あいつは三十過ぎのおっさんだぜ。仕事もできねえ、嘘つくことしかできねえカスみたいなやつさ」
 嘘? なにが?
「だから、202番の常套文句なのさ。目をきらきらさせて、夢を語るまなざしに胸を打たれるってやつか? あいつは新しく入ってきた気の弱そうな奴隷に目をつけては取り入って、こうやって危機が訪れれば身代わりにするんだよ」
「……そんなの……嘘だ」
「信じたくないよな。そうだよ、身を挺してまで守ろうとした男がただの大嘘つきだなんてな。でも、残念ながら不正解」
 44番は長い舌を出しておどけて見せた。
「馬鹿なお前は口車に乗って、あいつの変わりに死ぬのさ。でも、俺はそれでいい。こいつ、知ってるか」
 44番はおもむろに懐から球状の物体を取り出した。
「死んでいくお前になら教えてやれる。こいつはヒニルに配られる監視玉って呼ばれる道具だ。奴隷の様子はこの監視玉からすべて観察できるのさ。お前の行動も逐一確認してた。あの岩山の森。俺はお前が初日で死ぬほうに賭けてたんだ」
 意味が分からない。44番の言葉が理解できない。
「お前が初日を生き残り、次の日も生き残り、三日目には目標を達成しちまった。そのせいで俺は賭けに大損こいちまったんだよ。ちょうどお前を殺してやりたかった。これで念願が叶ったぜ」
 あの森。
 不自然な構造。小屋から続く岩山の森に、不自然な食物連鎖の輪。
 あれば、ヒニルたちが作り上げた遊技場。あそこにソルを放り込んで、生き残るか死ぬか、賭け事のネタにして娯楽にしていたのだ。
 娯楽のために……。
 一体、何人死んだのか。
 いったい、ネロに何人殺させたのか。
 言い知れぬ怒りが湧き起こる。
 目の前で耐え切れなそうに腹を抱える44番。
 奏の愚かしい境遇がおかしくて堪らないらしい。
 こんな屈辱は味わったことがない。怒りで頭がおかしくなりそうだ。むしろ、気が変になってしまったほうが楽になる。
 奏は地面にはじかれたように立ち上がると、ソルの住処に踵を返した。202番の姿を探す。暗い空間。無数のソルに紛れてうずくまってしまえば、個人を探すことはほぼ不可能。
 本当なのか。いま44番が話していたことは。
 本人に確かめたい。だが、どこにも居ない。
 くそ。くそ。くそ。
 最初にコッシの髭男に言われたではないか。
 誰も信じるな。と。俺はこんな地獄のような場所になにを求めていた? 甘っちょろい優しさや思いやりを期待していたとでも? ウィンディアの経験を経て、知っていたはずではなかったのか。
 俺はなにをやってるのか。
 何度も自問自答した疑問が再び沸き起こる。何も信じるなと、何も期待するなと、何も望むなと、それが隔世での原則であることは痛いほど分かっていたのに。
 どうしてこんなに涙が溢れるのだろうか。

 

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