あっちから変なの出てきた

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第八章 【 ファミリアの聖域編 トレミ 】


 老婆が言うには、帰りの道があるらしい。
 崩落を免れている地上への近道で、一日半ほどで地上に戻れるという。
「ただし」
 老婆は別れ際に言った。
「この洞窟には、へんな奴が住んでる。私がまだ若い頃は何度も退治しようとしたが、とうとう出来なかった」
「変な奴ですか」
「明かりを嫌う生物だ。何百年もただ暗い洞窟を徘徊してる」
 そうだ。
 二度ほど洞窟内で遭遇した。
 ちりる、るいさ。
「そう、それだ。あんたは幸運だ。二度も遭遇して命があるとは」
「危険な生物なんですか?」
「実体は私も見たことがない。風貌も分からないし、どうやってあいつが人間を捕食するのかも分からない」
 嫌な単語が聞こえてきた。
 人間を捕食。
 人間を食う生物だ。
「何人もの人間が食われた。私のイメージでは、奴は暗闇そのもの。実体がなく、ただ黒く、空間に溶けている。退治することは不可能だ。遭遇したらすぐに引き返すんだよ」
 その言葉を最後に別れた。
 一日半の食料と水を貰い受け、この広い空間に入ってきたときとは別の通路に入った。
 
 
 老婆から最後に貰い受けた道具が、何より奏の帰路を助けた。
 ホタルソウという発光性のある花から、発光物質のみを抽出した粘着質の液体で、それをガラス瓶の中に収めて持ち歩くと、暗闇の洞窟でライト代わりになる。
 しかも、発光時間は数日間持続し、また日に当てれば回復するという。
 洞窟を歩きながら、発光物質の入ったビンをかざす。
 松明に匹敵する明るさだ。
 老婆と別れてから、数時間は歩いた。
 その間、トレミは奏の頭の上で髪の毛を身体に縛り付けて固定し、すやすやと寝息を立てていた。
 ある意味、わずらわしい。
 天井に頭をぶつけて、トレミをつぶしてしまいそうで気遣いながら歩くのが気疲れするのだ。
 ときどき意味不明な寝言を吐く。
 どんな夢を見ているのか知らないが、静寂と暗闇に包まれた洞窟の中で、突然の寝言には何度も心臓を鷲づかみにされた。
 洞窟の通路は水の浸入もなく、分かれ道もなかった。
 唯一難点を言えば曲がりくねり、高低差のある場所も多かったことだ。
 それなりに険しい道のり。
 老婆のところまで数日掛かったことを考えれば、一日半程度で帰れる道のりであるなら、遥かに快適に思えるのだが。
 むにゃむにゃと音を立ててトレミが起きだした。
「婆ちゃん、ここどこ?」
「寝ぼけるなよ。まだ洞窟内だよ」
「ああ、そうか。私、洞窟内だ」
 思い出したように声を上げるトレミ。
 トレミが起きだしてから、別の悩みが増える。
 浮かれているのかどうか知らないが、トレミは小さいくせに声が大きい。取り留めなく、際限なく、丸く言えば意味の分からないことを一人しゃべりつつける。
 婆ちゃんは笑うと脳天の毛が立つとか、自分は逆立ちが得意だとか、婆ちゃんの住む家の裏の池は、魚が五匹泳いでいて、それぞれ名前がリムとラムとトムであるとか。後の二匹は名前がないのかと聞けば、三つの名前を五匹で使いまわしているから大丈夫だとか。
 話すことに飽きれば、まるでメロディ性の欠落した歌を大声で歌い、歌に飽きたら下らない話を奏に聞かせ続ける。
 重要なことは、この洞窟にはコソボ婆が言っていた「へんな生き物」が居て、そいつは人間を捕食するらしいということ。
 ここに人間が居るぞ、と宣伝しまわるようなトレミの大声は、奏をくらくらさせる。
 早々に洞窟を抜け出したい。
「ねえカナデ! そとはどんな世界なの?」
「あと一日待てば見れるよ」
「まてないよカナデ。私、まてない」
 やれやれ。
 まるで子供。
 いや、正真正銘子供だ。
「外の世界は、コソボお婆さんが住んでいた場所をものすごく広くした場所だよ。どんなに歩いても、ずっと世界は続いていて、見たこともないものがたくさん続いてる」
「すごい! すごいねカナデ! ねえ、カナデ!」
 ああ、耳がキンキンする。
 これなら寝ていてくれたほうが良かった。
 契約したものの、クユスリの眷族は普段、ハザマの世界に居るのではなかったか。
「カナデ! トレミ、眠いよ!」
「そんな大きな声で言わなくても分かるよ」
「ねえ、トレミ寝てもいい?」
「いいよ。お休み」
 すると、頭の上でぱったりと倒れると、瞬時に寝息を立て始めるトレミ。
 起きていた時間は数時間程度。
 あれだけ大声を上げて喋りつづけていれば眠くもなるだろう。
「まったく、元気というかなんというか」
 奏は歩き続ける。
 休憩なしで出口まで歩き続けるつもりだった。
 トレミは眠り続けた。
 今度の眠りは十時間以上続いた。
 道のりは半分程度進んだだろうか。
 さすがに休憩なしで歩き続けて足が棒のようだった。
 少し休もうと、食事をとることにした。
 ちょうどいい岩の突起を見つけると、椅子代わりに腰掛ける。
 コソボからもらったパンを取り出して齧る。
 そういえば、トレミは何を食べるのだろうか。
「なあ、トレミ」
 声を上げると、頭の上でもぞもそとトレミが動く。
 起きだした気配。
「なあに? ばあちゃん」
 また寝ぼけてる。
「トレミはいつも何を食ってるんだ?」
「食う? なにを?」
 それを聞いている。
 トレミは眠気眼をこすって、伸びをする。
「パンしかないけど、食えるのか?」
「パン? トレミ、パン食べない」
「この先、まだ長いぞ。食わなくて大丈夫か?」
「トレミ、食べない。人みたいに食べない」
 それは、食事という習慣そのものがないという意味だろうか。
「何も食べないのか?」
「食べない。おなか減らない。わかんない。食べたことない」
 眠そうな声は変わらないが、おそらく食事をしなくても生きていける種族なのだろう。よく分からないが、そういうもんだと納得した。
 隔世のことはまだまだ良くわからないが、徐々に驚かなくなってきた。
 眷属という変な種族が居て、手のひらサイズの小さな女の子の風貌をしていて、食事を摂らずとも生きていける。こんな奇妙なことはないが、驚嘆も感動もなくなった。
「変な生き物だな」
「へんないきもの?」
「お前のことだよ」
「おまえのほうがへんだよ」
「俺のどこが変なんだよ」
「口からものを入れて、いつ吐き出すの? トレミ、吐き出すの見たことない」
 尻から糞となってひりだすんだよ、と教えてやってもいいが、何せこの風貌だ。躊躇する。
「どうやって栄養補給するんだ?」
「トレミ、知らない。トレミ、口からものを入れない。それから、目から水も出ないし、座るときにどっこいしょって言わない」
 ああそうか。トレミの世界での人間は、あのコソボ婆だけだ。
「そろそろ行くか。起こして悪かったな。また寝るか?」
「寝るけど、まだ寝ない。トレミ、目が覚めた」
 起こすんじゃなかったな。と後悔してももう遅い。
 それからトレミは出口付近まで大声で歌ったり、意味不明なことをしゃべり続けた。
 コソボ婆が言うには、あと少しで出口、そんな頃だった。
 ちょっとした問題が起こった。
 向かう先に道が三つに分かれていた。
 空洞のような開けた場所があって、そこから岩の割れ目のように三つの通路が見えた。
 コソボ婆はそんなことを言っていなかった。
 なぜ教えてくれなかったのか。
「トレミ、お前は洞窟内に詳しいのか?」
「知らない。くわしくない」
「そうだよな。じゃあ、この三つに別れた道のどれを行けば、外につながるか分かるか?」
「わかんない」
「どうしようかな。こりゃ、一つ一つ試してみるしかないか」
「ためすの? どのみちにいくの?」
「一番左から順番に行ってみよう」
 奏は蛍光物質の入ったビンを掲げながら、一番左の通路に入った。
 ひどく狭かった。
 身体を横に向けなければ通れない。
 そんな苦労をお構いなく、トレミは歌を歌っている。 
 せめてメロディのある、普通の歌ならばこれほどまでに苦痛ではないのに。
 カニ歩きで進んでいくと、この通路は行き止まりだった。
「はずれー」
 と無邪気に笑うトレミが恨めしい。
 だが、すぐに突き当たったので、余計な時間をつぶさずに良かった。
 引き返そうとして、ふと気になった。
 突き当たりは大中小の石でふさがれている。
 奏はそのひとつを拾い上げてまじまじと観察する。
「どうしたの? カナデ」
「いや……」
 これは、崩落の後?
 ただの行き止まりではない。壁や天井が崩れて、通路が埋められてしまった形跡だ。
 その崩落が、最近なのか遥か昔の出来事なのかまったく判別できない。
 ここが本来の外へつながる道の可能性もある。
「ねえ、どうしたの?」
「ううん、なんでもない。引き返そう」
 悩んでも仕方がない。通路はあと二つある。
 奏は引き返し、分かれ道まで戻ってくる。
「つぎは当たるかな?」
 くじ引きでもしているような声を上げるトレミ。
 あえてリアクションしないで、次は中央の通路に入る。
 この通路も狭い。
 天井も低い。
 頭をこすってしまいそうだったので、奏はトレミを掴みあげた。
 トレミは身体を触られてくすぐったいのか、けらけらと笑い声を上げる。
 トレミを掴んだまま通路を進んでいくと、通路は徐々に狭まっていく。
 とうとう、奏の胸板も通らないほど狭くなり、これ以上進めなくなった。
「ねえ、はずれ?」
 手の中のトレミが奏を見上げている。
 はずれ、なのは間違いないが、この道は何なんだろう。
 亀裂。
 そんな印象。
 地下水脈が作り出した水路だとはお前ない。
 ここも、もしかしたら洞窟に起こりつつある異変による裂け目。
 洞窟内の岩に亀裂が入っただけなのか。
「引き返そう」
 奏の胸が重くなる。
 不安で汗が流れ始めた。
 ひょっとして外に出れないのではないか。
 奏の不安を悟ってか、トレミが口を開く。
「カナデ、だいじょうぶ? そとに出れないの?」
「ああ、大丈夫。きっと出れるよ」
「出れなくても大丈夫だよ。ばあちゃんのところに戻っていっしょにくらそう」
 それは出来ない選択。
 でも、思いやるようなトレミの口調に励まされた。
 やはり暗闇の閉鎖的な洞窟内で、孤独ではない実感は心強かった。
 分かれ道の場所まで戻ってくると、再びトレミを頭にのせる。
 いつの間にか奏の頭が定位置に定着しているが、頭の上はちょっと不便だ。移動時のトレミの居場所をあとで用意しよう。
 一番右の道、最後の選択肢。
 ここが駄目だったら……。
 いずれにしても進んでみないとわからない。
 意を決して通路に入り込む。
 狭い道ではない。
 直立して歩けるほどには余裕がある。
 地面は平坦とは言いがたいが、険しくもない
 期待が出来そうな予感。
「当たりかな」
 かくれんぼしているような押し殺した声のトレミ。
 トレミがあまり口を利かないので、緊張感が増した。
 生きるか死ぬかのくじ引き。
 道は続く。
 狭くもならない。
 崩落しているような気配もない。
 −−ちりる?
 水もない。
 音もない。
 −−るいさ?
 足音が狭い空間に反響する。
 出口につながる道か。
 発光物質が照らす風景は代わり映えのない無機質な岩の壁。
 そして闇に溶け込む通路の先。
 −−ちりる?
「ねえ、カナデ」
「ん?」
 −−るいさ?
「なにかきこえる」
「きこえる? なにが?」
「なにか訊いてるよ? こたえてあげないの?」
 何を言ってる? 答えてあげないのとはどういう意味だ。
 −−ちりる?
 奏は立ち止まった。
 足の裏に瞬間接着剤をつけられた気分だった。
 その声に気づいた瞬間、全身の血が凍りついたような思いだった。
 全身が粟立ち、全身の関節が溶接されて動かなくなった。
 −−るいさ?
 まさか。
 足元から徐々に岩が侵食し、身体と癒着していく。
「るいさってなに? トレミ、わかんないよ」
 トレミの声がひどく洞窟内に響いた。
 途端に嘘のように全身に噴出す汗。
 体温が奪われ、血液が凍り付いていくような感覚。
「カナデ、あたまがぬれてるよ」
 それは汗。そう説明したつもりが、現実では奏の唇がわなないただけだった。
 −−ちりる?
 ひた……ひた……ひた。
 素足で冷たい岩の上を歩く音。
 距離は?
 速さは?
 なんでこんなところに?
 くそ、動け。
 引き返せ。
 −−るいさ?
「もう! るいさってきかれても分からないよ!」
 突然、かんしゃくを起こしたようにトレミが声を上げた。
 よく声が響いた。
 反響していく声が、洞窟の暗闇に消えていったころ。
 聞こえていた声と足音が止んだ。
 ぞっとした。
 奏は目を皿のようにして洞窟の先の暗闇を睨みつけた。
 落下感覚のような迫り来る恐怖。
 ーーちりるるいさ?
 これまで、一定感覚で交互に聞こえていた声が唐突に繋がった。
 ひた……ひた……ひたひたひたひたひたっ。
 地面から悪寒が湧き上がるようだった。
 はたはたと無数の手が湧き出して、奏の全身をまさぐられたような恐怖が、奏の呪縛を解放した。
 −−ちりる、るいさ、ちりる、るいさ。
 ひたひたひたひた。
 暗闇の向こうから、歩調に合わせて声が聞こえる。
 明らかにこちらに向かってくる気配。
「うっ、うわあああ!」
 奏は悲鳴を上げながら駆け出した。
 追いかけてくる。
 ちりるるいさと言いながら得体の知れないものが迫る。
 頭の上でトレミも悲鳴を上げている。
 トレミが落ちないように頭の上に抑えながら、奏はとにかく走った。
 背後から迫る何者かが手を伸ばし、捕まえようと奏の背中に触れた、様な気がするだけか。
 振り返れない。
 すぐ背後にいるような気がして、それを見たくなかった。
 三つの分かれ道まで戻ると、奏はとにかく一番左、崩落のあった通路に逃げ込んだ。
 突き当りまでやってくると、奏はようやく振り返り、同時に発光物質の入ったビンを懐にしまって、光の漏洩を防いだ。
 −−暗闇が訪れる。
 しん、と静まり返った漆黒の世界。
 トレミも声を上げなかった。
 奏は呼吸で居場所がばれてしまうのではないかと思い、苦しかったが出来るだけ息をしなかった。
 しばらくまつ。
 何の音もしない。
 思わず袋小路に逃げてきてしまったが、直感的に行き止まりには追いかけてこない気がして、咄嗟に来てしまった。
 気配はない。
 あいつは違う通路に向かったのか。
「ねえ、カナデ……」
 暗闇の中で、トレミの声。
 答えなかった。
 それより、あいつの気配を探るのに必死だった。
「カナデったら……」
「いまは静かに……」
「でも……」
 何か言いたそうなトレミ。
「でも、カナデ。いるよ」
「いる?」
「あいつ……」
 トレミがそう言った瞬間だった。
 カナデのほほに、生暖かい風が掛かった。
 嫌な臭いを含む風は、奏の気を遠くさせる。
 まさか。
 まさか!
 奏は震える手で、恐る恐る発光物質の入ったビンを取り出す。
 周囲に光が漏れ出す。
 地面。
 自分の足。
 ビンを掴む自分の手。
 ちょうど、奏の右側。
 視界の右端に何かが見える。
 だが、直視することは出来ない。
 我先に逃げだしたい心臓が、ここを開けろと胸を叩く。
 ぶるぶる震える手で、右側にいる何かに光を当てる。
 錆びついてしまったような首の筋肉に力をこめて、ゆっくりと右側を見る。
 そこには目があった。
 巨大な目。
 白目には浮き出すような赤い血管が縦横に張り巡り、瞳は燃えるように赤く、瞳孔が明かりに照らされ、縮小した。
 奏は悲鳴を上げようと口を開いた。
 だが、のどから出てくるのは乾いた空気。
 記憶があるのはそこまでだった。
 奏の精神が恐怖から逃れようと、宿主に無断で外に飛び出した。
 奏は白目を剥いて、その場に卒倒したのだった。

 

 トレミの声が聞こえて、奏は目を覚ました。
 目を覚ましたとき見えたのは、どアップのトレミの顔。
 発光物質の青い光に照らされたトレミが、奏の鼻を必死にはたいている。
 奏は思い出して、勢い良く上半身を起こすと、トレミが宙を舞った。
 地面に落ちる前に慌ててキャッチする。
 トレミの無事を確認すると、ほっとすると同時に恐怖がよみがえってきた。
 奏は傍に落ちていたビンを拾うと、周囲を照らす。
 そこは、気を失う前と同じ通路の袋小路。
「トレミ、あいつは?」
 トレミは奏の手の中から這い出ながら言った。
「わかんない。トレミ、ねむってたの。起きたらだれもいなかった」
「誰も……?」
 あいつはどこへ行ったのか。
 確かにいた。
 あの目。
 目が合った。
 夢だったのか?
 あの臭い。
 ひどい口臭。
 現実にしか思えない。
「トレミ、どれくらい眠ってた?」
「わかんない」
 そりゃ、分からないよな。
 ううん、と悩む。
 あいつは去ったのか。
 人間を捕食する得体の知れない生物のはず。
 なぜ無事なのか。
 たまたま満腹だった?
 こんな辺鄙な洞窟内で、そうそう人間が捕食できるとも思えない。
 不可解だが、悩んでも仕方なかった。
 立ち上がってみる。
 やはり、どこにも異常はない。
「外へ行こう」
 それだけ言うと、奏は歩き出す。
 先ほどの体験がよほどショックだったのか、トレミの口数は減った。
 分かれ道の場所まで戻ると、やはりあいつの気配はまったくなかった。
 先ほどの通路を再び進む。
 またあいつが現れたら。
 恐怖を押さえ込んで進む。
 あとちょっとだ。
 もう少しで洞窟を抜け出せる。
 長かった。
 一体、何日間洞窟を放浪していたのか。
 ようやく。
 希望に恐怖が和らぐ。
 自然と足取りが速くなる。
 やがて。
 行き止まりが現れた。
「はずれだ!」
「そんなでかい声で言わなくても分かるよ」
「もどろうよ、カナデ」
 戻る。それしかないのか。
 ここまで来て袋小路だとは。
 戻るか。
 やってきた道のりを考えるとウンザリさせられるが、いったん戻って別の道を考えるしかない。
 意気消沈して肩を落としたとき、ふと前髪が揺れた。
 汗にぬれた首筋にひんやりとした感覚。
 風。
 前に感じた水気のある風ではない。
 乾いた空気が流れてくる。
 奏は発光するビンを頭上に掲げて、目の前の壁を観察した。
 ここも、崩落のあとのように大小の石が積まれている。
 風の元をたどっていくと、穴を発見した。
「トレミ、いけるかも」
 奏は足元にビンを置いて、必死に石を退け始めた。
 風が強くなった。
 間違いない。
 必死に石をどけると、穴は人が通れる大きさになった。
 再び発光するビンを持ち、穴を抜ける。
 そこは洞窟内に変わりはないが、かなり広い空間だった。
 遠くにほのかな光が見えた。
「あれは……」
 遠くにぼんやりと青い光。
 外の世界を示す光でないことは確かであるが、見覚えのある光。
 小さな光だが、それを頼りに歩いていく。
 近づいていくと、光は地面に落ちていた。
 拾い上げると、紙幣のような紙切れだった。
 近くの壁には清水が湧き出しており、小さな池を作っている。
「ここは……」
 手に持っているのは間違いなく、あの発光する札束だ。
 ビンで周囲を照らすと、袋が見えた。
 間違いなかった。
 ここは洞窟の入り口付近にあったホールだ。
 最初にきた場所。
「カナデ、外じゃないの?」
「もう大丈夫。知ってる場所まできたよ。外はすぐそこだ」
「ほんとう?」
 トレミは浮かれた声を上げた。
 奏も浮き上がりそうだった。
 生きて帰ってこれた。
 何度死ぬ思いをしたことか。
 奏は傍に落ちていた袋から着火剤を取り出した。
 近くの壁に立てかけられていた松明に火をともし、発光物質が入ったビンは袋に収めた。
「どうして袋に入れるの?」
「次の挑戦者のために残しておくんだ。発光するお札と地図をなくしちゃったから、代わりに入れておく。あとは松明だけで充分。さあ、いこう」
 奏が歩き出すと、我慢しきれなそうにトレミが声を上げる。
「どんなところなの? そとの世界はばあちゃんみたいな人、いっぱいいる?」
「コソボ婆みたいなひともいるし、違う人もいる。この先に待ってる人がいるはずだから、まずは紹介するよ。本当にまだ待っていたらだけどね」
 もういないかもしれない。 
 何日も経っている。
 クユスリが佐々倉を見捨てて消えてしまっていても、何の文句を言う筋合いもない。
 光が見えた。
 さすがに興奮した。
 明らかに太陽の光と分かる光。
 ああ、昼の間に戻ってこれてよかった。
 心底そう思った。
 そして、洞窟を抜けた。
 洞窟の入り口に、佐々倉が横になっていた。
「あ、人がいる!」
 トレミが声を上げる。
 奏は横になる佐々倉に近寄った。
 ひどい顔色。
 目の下には大きな隈が出来ており、ほほがこけている。
 やはり、一過性のものではなかった。
 ほうっておいたら死んでしまう。
「カナデ!」
 そう声を上げたのはトレミではない。
 奏が顔を起こすと、洞窟の入り口にクユスリが立っていた。
 手には取ってきた薬草。
 クユスリは何日も、佐々倉を看病していてくれたのだ。
「クユスリさん、遅くなりました」
「ばかやろう、遅すぎる。何日経ったと思ってる」
「何日経ったんでしょう……。ずっと洞窟の中にいたから、時間の感覚がおかしくなってて」
「まったく……。お前が洞窟に入って十二日経つ。もう戻ってこないと思ったぞ」
「すみません。その間、ずっと佐々倉さんを診ててくれたんですか?」
「ああ。死んじまったら放っていこうと思ったんだけど、こいつなかなかしぶといんだよ。でも、数日前からもう目を覚まさない。カナデには申し訳ないが、手の施しようがない」
「手の施しようが?」
「かわいそうだが、あと数日ってところだな。まあ、最後を見取ってもらえる仲間が戻ってきただけ、こいつは幸運だったろう」
 もう一度、佐々倉をみる。
 死なすもんか。
 佐々倉のことは好きではない。
 だが、唯一、現世での奏を知る同胞だ。
 トレミが頭の上から声を上げる。
「カナデ! この人がカナデの助けたい人?」
 トレミが声を上げた途端、クユスリが驚いて飛び退いた。
「な、なんだその頭の上のは!」
 自分のことを言われていると気づいたトレミが、頭の上に飛び上がるように手を上げた。
「はい! わたし、トレミです! 婆ちゃんが名前をくれました!」
「は、はあ……」
 戸惑って、反応に困るクユスリ。
「クユスリさん、この子は洞窟内にいた眷属です。契約したんです」
「け、眷属……」
「はい、トレミ、カナデと契約しました!」
 クユスリは呆然と固まったまま反応しなかった。
 おおよそ、奏がはじめてトレミを見たときの状況と同じだ。
「眷属としては、あまりにもかわいらしい……」
 ようやく口を開いたクユスリは、近寄ってくるとまじまじとトレミを観察した。
「ちっこいが……人型の眷属は初めて見たよ。本当に眷属なのか?」
「ええ、多分……。眷属って、みんなこんな感じじゃないんですか?」
「いや、違う。眷属と獣族が近い存在だって知ってるか? だいたい眷族は動物のような形態をしてる。人型の眷属は聞いたこともない」
 まさか、眷属ではないのでは?
 いっぱい食わされているのか。
 眷属でないとすると、トレミは一体なんなんだろう。
「トレミは眷属です! 嘘じゃないです!」
 トレミは必死に弁解する。
「わかったよ、トレミ。ほら、横になってるのが俺が助けたい人。ここの空気が合わなくて、病気になったんだ。直してあげることは出来る?」
「できるよ」
 あっさりひとつ返事だ。
 本当かどうか怪しい。
 クユスリもじっとりといぶかしい目をしている。
「どうすれば治せるんだ?」
「この人、なんだかハザマの世界から送られてくる空気が足りてないみたい。トレミが傍にいれば、空気を送ってあげることが出来るよ。たぶん」
「たぶん?」
「ううん! 絶対!」
 トレミは慌てて主張する。
 出来ないとなれば、存在価値がなくなってしまうと心配しているようだ。
「じゃあ、しばらく佐々倉さんの傍にいてあげてくれないか?」
「カナデのそばにはいれないの?」
「傍にいるよ。でも話を聞く限りでは契約すれば傍にいなくても俺からエネルギー供給はされるはずだから、離れてても大丈夫だよ」
 そう言うと、トレミは少し気にいらなそうに頬を膨らます。
「わかった。トレミ、ササクラ、治す」
「ありがとう」
 トレミを頭の上から下ろして、佐々倉の傍に置く。
 トレミからすれば山のような佐々倉によじ登り、胸の上に腰掛けた。
 すると「なおれー、なおれー」と呪文のように唱え始めた。
 おそらく呪文は意味がなさそうだったが、とりあえず様子を見るしかない。
「おい、カナデ」
 クユスリが声をかけてきた。
 見ると、いくぶん平静を取り戻した様子。
「このさい正直に言うと、お前が洞窟に入って行ったとき、本当に眷族と契約できると思ってなかったし、すぐ諦めて戻ってくると思ってた」
「いや、大変でしたよ。本当に……」
 思い出すだけでも命があるのが不思議に思える。
「変わった奴だな、お前。お前が望むことは、何でも実現されるような気がしてくるよ」
 そんなわけがない。
 結局、何一つ実現できていない。
 ユーナとの約束も、プエラのことも。
 佐々倉だって、助けられると決まったわけじゃない。
 自分には何一つ実現できない。
 そんな虚無感が心を埋めていく。
「本当に私についてくるつもりはないか? 面倒見てやるぞ」
「ありがとうございます。でも、俺と一緒にいないほうがいいです。とくにクユスリさんみたいな優しい人は」
 そう言うと、クユスリが目を丸くして、顔を真っ赤にして顔をそむけた。
「お前、そういうことを言うなよな。私はかりにも残虐無慈悲な盗賊団の団長様だぞ」
「え? 団長?」
「言ってなかったか? マーメイド盗賊団の団長、クユスリとは私のことだ」
「すごいですね。クユスリさんなら、沢山の人が信頼してついてくるんでしょうね」
「まあな、そこは謙遜しないよ。男ばかりのむさくるしい盗賊団だが、お前を迎え入れる余裕はあるよ」
「ええ……」
 気持ちは本当に嬉しい。
 だけど、目的がある。
 一度は諦めかけた目的。
 今は一刻も早くユーナの元へ。
「まあ、疲れたろうよ。飯でも食いながら洞窟での冒険譚でも聞いてやろうじゃないか」
 そう言うと、クユスリはお手製の薬膳料理を作ってくれた。
 石を削って作った鍋に魚と薬草を放り込んで煮込んだものだ。
 頬が落ちるほどではないが、エネルギーが身体に染み渡るような料理だった。
 食べながら洞窟内で体験したさまざまなことを話して聞かせる。
 最初は対面的に聞き役に回ってくれていたクユスリだが、そのうち話に聞き入っていってくる。
 だんだん深刻そうな顔になり、最後には首を横に振って額を撫でていた。
「本当か、その話。いや、本当なんだろうと思うよ。なんだか、信憑性のある話だったし。しかしなー。なんていうか、私だったら恐ろしくて気が狂ってしまいそうだ」
 気づけばトレミが佐々倉の胸の上で寝息を立ててきる。
「それと……」
 クユスリはすやすやと眠るトレミを憂いそうに眺めながら言った。
「お前が異世界からやってきたっていうことも、きっと本当なんだろう。普段ならばかばかしくて笑ってしまいそうだけど、ここにきて妙に信憑性を感じてきた。異世界でのカナデの体験した出来事。そして洞窟での出来事。まったくもってお前という人間の行動理念が合致する」
「信じてくれてありがとう。でも、戻れるかも分からない世界です。元の世界のことは、俺も夢でも見てた様に感じるんです。もう、こっち側に来てから何年も経った気がして」
「まあ、お前ならユーナという女を取り戻して、元の世界に帰るくらいのことなら実現してしまいそうだ」
 買いかぶりすぎ。
 そういおうとしたが、まぶたの重さが限界に近づいていた。
 疲れた。
 本当に疲れた。
 めまぐるしく出来事が駆け巡り、自分の意思とは反して事が進行していくことにめまいを起こしていた。
 ゆっくり眠りたい。
 今なら、きっと隔世にやってきて初めてぐっすり眠ることが出来るかもしれない。
 目覚めの時の爽快な気分を期待して、奏はお休みの挨拶もなく眠り入っていった。
 
 
 佐々倉は目を開けた。
 最初に見えたのは、焦点の合わないぼんやりとした何か。
 徐々に視界が回復するにつれ、今の現状を思い出していく。
 熱に浮かされた白昼夢から開放されたかのような気分だった。
 決して快調ではないが、体力は回復の兆しを見せていた。
 助かる。
 そう思って、ゆっくりと上半身を起こすと、腹の上を滑って落ちていく小さな人形。
 小さな人形はころころ転がって、岩の地面に落ちる。
「いたい!」
 地面に落下した人形が声を上げた。
 いや、人形が声を上げるわけは無い。
 ただの気のせいだろう。
「なにするの! トレミ、痛かったよ!」
 何か声が聞こえる気がするが、きっと外から聞こえてくる小動物の声が言葉のように聞こえてくるだけだろう。
 身体の調子を確かめる。
 腕も足も首も稼動する。
 一過性の病だと言ったものの、正直自信は無かった。
 予想通り一過性の体調不良で、しばらくの安静で元に戻りつつあるようだ。
「聞いてるの! トレミ、ササクラのこと、治してあげたのに!」
 まだ声が聞こえる気がする。
 おそらく、高熱が出ると見るという幻覚だろう。
 まだ本調子で無い証拠だ。
 佐々倉は再び横になる。
 すると、腹の上に何かがよじ登ってきた気配。
 佐々倉は目を開かないことにした。
 腹の上で何かが動き回っている気がするのは、体調不良が作用した幻覚。
 申し越し眠って起きればーー。
「トレミ、怒ったぞ! もう怒った! がぶ!」
 突如、腹に激痛が走った。
 まるで蜂に刺されたような痛みに飛び起きた。
 腹に何かがぶら下がっている。
 掴みあげると、腕の中で暴れまわる……。
 いや、これは森の小動物。
 リス、ネズミ、そんな類の者。
 決して言葉を喋る小さな人間ではない。
 繰り返すが、小さな人間に見えるのは高熱による「幻覚」のせいだ。
「はなせ! トレミを放せ! 怖いぞ、トレミ怖いぞ!」
「いつまで現実逃避してるんだ」
 その声は別のところから聞こえた。
 声の方向に顔を向けると、洞窟の入り口にクユスリの姿。
「その子はお前のために三日三晩傍にいてお前を治療し続けてたんだぞ」
「何の話だ」
「だから、お前の掴んでるそれ。死にそうになってるお前を助けた張本人だ。あと、出かけているが、その子を連れてきたのはカナデだ。二人に感謝するんだな。二人がいなければ、今頃お前はお陀仏だ」
「そうだ! トレミ、カナデに言われてササクラ助けた! だから放せ!」
 呆然と佐々倉はトレミを地面に下ろす。すると、トレミはかんしゃくを起こして佐々倉の手を蹴った。
 小さな人間の蹴りなど大したダメージではないが、確かにこの小さな人間は存在している。
「意味が分からない。なんなんだこいつ」
 クユスリがため息を漏らしながら洞窟内に入ってくる。
「お前が意識を失ってから七日間もたつんだぞ。お前が倒れた日にカナデが眷属の洞窟に入っていって、そのトレミっていう眷属と契約して帰ってきたんだ。それはそれは命がけの冒険だったそうだぞ。カナデが戻ってきたら、充分にお礼を言うことだな」
「まさか。一過性の体調不良のはずだ。余計なことをせずとも俺は回復していた」
「分かってないな。七日間もこん睡状態にあったお前がどうして息を吹き返せる? お前はただ眠っていただけだが、私とカナデで眠っていたお前に栄養を取らせ、水分を取らせてなかったら、たとえ治る病でも、目を覚ます前に脱水症状で死んでいただろう」
 何も言い返せない。
 確かに自力ではまったく動けない常態だった。
「トレミに感謝しろ! ササクラ、お礼を言え!」
 下のほうから小さい人間が目くじらを立てて怒鳴っている。
 佐々倉はぷいっと顔をそむける。
 取れ実は癇癪を起こして、佐々倉の膝を何度も蹴り飛ばした。
「佐々倉さん!」
 奏が戻ってきた。
 半身を起こしている佐々倉を見つけると駆け寄ってきた。
「もう大丈夫なんですか? 心配したんですよ」
 くそ。
 なんだその顔は。
「身体の調子はどうですか? クユスリさんに薬草のことを教えてもらって、良さそうなものを採ってきたんです。いま煎じますから飲んでください」
「……礼はいわないからな」
 佐々倉がそう言うと、奏はにっこり笑って答える。
「俺も佐々倉さんに助けられましたけど、お礼は言ってません。必要ないですよ」
 なんだその理屈は。
 お前が礼を言わなかったのは……。
 ああ、もういい。
「カナデがいいのなら、トレミもいい! ササクラ! トレミに礼はいらないぞ!」
 うるさいちびっ子だ。
 奏は早速、採ってきたばかりの薬草を煎じながらトレミに言った。
「トレミは佐々倉さんの傍にいるんだ。トレミが傍にいないと、佐々倉さんはまた弱ってしまう」
「ええー!」
 トレミが不満そうにほほを膨らます。
 不満不平があるのはこちらのほうだ。
 奏は駄々をこねる子供を窘めるように言った。
「佐々倉さんはこう見えてもいい人だよ。大丈夫。仲良くなれるから」
 トレミがじっとりと佐々倉を見上げた。
 なんだその目は。
「悪いが、奏。こんなちびっ子の面倒を見る気はない」
「トレミはちびっ子じゃない!」
「おいササクラ」
 今度はクユスリが声を上げる。
「お前はその子がいないと死ぬんだぞ。分かってるのか? 意地を張ってないで一緒にいろ。次に倒れても面倒見ないからな」
 そう言われてはぐうの音も出ない。
 仕方がない。受け入れるしかない。
 トレミは相変わらず不満そうだったが、奏の言いつけどおり、佐々倉の傍を離れなかった。
 奏が煎じた薬を飲んで一段落すると、今度はこれからの話になった。
「俺はグロウリン宮殿に行く」
 奏が言い出した。
 佐々倉が訳のわからなそうな顔をすると、クユスリが説明した。
「グロウリン宮殿はユベリア大衆国の中心地である城塞都市にある。ここから歩いて60日程度だ」
「ユベリア大衆国の中心地だと? 何をとち狂ったことを言っている」
「ユーナがそこに幽閉されてるんです」
 奏が必死な顔で訴えてくる。
 トレミが佐々倉の頭の上でもぞもぞと動きながら言った。
「トレミ、いく! そこにいくよ、カナデ!」
 奏はトレミににっこり笑って見せる。
「しかし、行くにしたって三つ目族の巣窟だぞ。広大な範囲を取り囲む城壁を超えるのさえ至難の技だ。そこまでたどり着いたとして、どうやって城壁を越える? 城壁を越えたとして、どうやって三つ目族の巣を潜り抜けて、ユーナのところまで行くつもりだ」
「ちょっと待て」
 佐々倉が会話を止める。
「奏、話が違うぞ。ユーナのことは諦める約束じゃなかったのか。ユーナのことは忘れて、元の世界に帰ることの出来るイスカ領域をーー」
 そこまで言って、佐々倉ははっとした。
 クユスリは俺たちを記憶喪失だと思っているはずだ。
 失言だ、と思って慌てたが、クユスリが「事情は聞いている」と手のひらを見せる。
「お前らは異世界からやってきたんだろ。そのイスカ領域とかいう世界と世界を繋ぐ穴を通って。そんでもって、こっちの世界の空気はお前らにとっては毒で、それでササクラは病気になった」
 佐々倉は奏を睨みつける。
「大丈夫、クユスリさんは信用できます」
「そう言ってもだな、あんたはその話、信じたのか?」
 クユスリは苦笑しながら答えた。
「お前の今の反応を見て、ますます信じたよ。信じがたいが、この世に異世界があるなんてな。しかも、私と見た目はまったく変わらない種族ときたもんだ」
 クユスリはそう言って、あははと笑った。
 笑うところなのか?
「佐々倉さん」
 改まって奏が申し訳なさそうに言った。
「俺はやっぱり、ユーナを探します。洞窟に会った三つ目族のお婆さんの不思議な力で、今のユーナを見せてもらったんです。ユーナは地下牢に幽閉されていて、ひどい目に遭っています。今すぐにでも殺されてしまうかもしれない」
「俺について来いというのか? お前の用事に?」
「無理にとは言いません。でも、出来れば一緒に……。佐々倉さんの力が必要なんです」
「冗談じゃない! 何で俺がユーナを探しに行かなくちゃ行けないんだ! お前、俺たちの現状を分かってるのか? お前はあのウィンディアで理解しただろう! こっちの世界はやばい。余計な感情移入をしてたら本当に命を落とすぞ!」
「無理強いはしません」
「当たり前だ!」
 佐々倉が憤慨する横で、クユスリが可笑しそうに笑い続けている。
「何が可笑しい?」
 むすっとして佐々倉が詰め寄ると、クユスリは涙目で言った。
「お前の頭に載ってるトレミ。それはカナデの眷属だ。お前こそ、カナデがいないと死ぬんだぞ。ここで別れるってことは、トレミともお別れだ」
 痛いところをついてくるクユスリ。
 こうなったら奏を説得するしかない。
 そう決意した佐々倉だったが、結局は一晩かけて、奏がとんでもない頑固者だと思い知らされただけだった。
 
 
 
 それから三日後、佐々倉が快癒した頃、洞窟を出発することになった。
 洞窟内から戻ってきて十日経っている。
 正直、ものすごく辛い十日間だった。 
 一刻も早く駆け出してユーナの元へいきたい。その衝動を必死に押さえつけ、佐々倉の回復を待った。
 十日間。
 その間、ユーナが生き延びている保証はない。
「私は森を出るまで付き合う。その先は、申し訳ないが自力でどうにかして欲しい」
 クユスリは盗賊団の団長として数々の部下を預かる身。何日も足止めを食らって団員は心配しているだろう。正直、クユスリが一緒に来てくれたら心強いのに、というのが本音であるが、無理強いは出来ない。
 森を歩き出す。
 佐々倉の頭の上ではトレミが不協和音な歌声を拾うし、佐々倉をげんなりとさせている。
 ウィンディアはどうなったのか。プエラはどうなったのか。
 実は、奏は洞窟から戻ってきた際、一度だけウィンディアの様子を見に行った。
 すでにもぬけの殻で、あの巨大な馬車があった場所はただの森の一角と変貌していた。そこに誰かがいた気配すら消されていた。
 辛い記憶。
 時々、思いかけずにプエラの姿が思い返され、胸が痛めつけられる。
 森を出るまでに二日間かかり、森を抜けた先は荒野となっていた。
 地平線が続き、遠くには山が並んでいるのが見えたが、おおよそ平地だ。
 トレミが感動して「すげー広い!」と声を上げている。
「ここでお別れだ。お前らは北に向かうのだろう。私は西へ向かう」
 クユスリとの別れ。
「クユスリさん、本当にお世話になりました。本当にありがとうございました」
 奏は深々と頭を下げた。
「いや、いい。これでお前らに遠慮する義理はなくなったんだ。私は人様の物を盗む商売だからな。借りがあると何かとやりにくい。こんど盗賊としてお前らの前に現れたとき、私はなんの気兼ねもなくお前らから金品を盗めるからな」
 奏はくすりと笑った。
「おいおい。冗談を言ったつもりはないぞ」
「あ、すみません。そういう意味じゃないんです」
「じゃあなんだ」
「もし、クユスリさんが俺たちに盗みにやってきたら、それはそれで嬉しいかなって。その時はどうぞ盗んでいってください」
「なんだそりゃ」
 クユスリが困ったようにはにかむ。
 け、馬鹿が。と、背後から佐々倉の声。
「いずれにしても、クユスリさんは俺たちがこっちの世界に来てから初めて信用できた人です。どんな形でも再会できたら嬉しいです」
「まったく、ずるい言い方をするな、お前は」
 クユスリは最後まで困惑した顔で「じゃあな」と別れを告げた。
 背中を向けたクユスリに対して、奏は慌てていった。
「待ってください。これ、返すの忘れてました」
 振り返ったクユスリに、洞窟に入ったときに手渡されたナイフを差し出した。
「幸運のお守りになりました。お返しします」
「いらん。お前にやる」
「え? でも」
「そのナイフは盗品じゃない。心配するな。まあ、私の名刺代わりくらいにはなるだろう。もし盗賊団に出くわしたらそのナイフを見せて私の名前を出しな。少しは役に立つだろう」
「……本当に、ありがとうございます」
「礼ばかりいう奴だな。私は悪人だぞ?」
「はい。ありがとうございます」
 そう言うと、クユスリは肩をすくめて、いよいよ背を向けた。
 歩き去っていくクユスリの背中。
 少し、心細くなった。
「ほら、行くなら早く行くぞ。道は長いんだからな」
 佐々倉が奏の背中を押した。
 トレミが馬の尾を引くように佐々倉の髪の毛を引っ張って「いくぞー!」と声を上げた。
 まだ道のりは長い。
 果たしてユーナは無事でいるのだろうか。
 森を振り返る。
 いろんな思い。
 ここにはもう一度戻ってくる。
 コソボ婆と約束したのだ。
 ユーナをつれて、もう一度現世に行く。
 そして、そこで暮らしやすい環境を作って生活をする。

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