あっちから変なの出てきた

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第五章 【 ユベリア宮殿編 レシェラ 】


 私はいざなわれたのだと思った。
 そうでなければ、ユベリア城塞都市内の牢獄から脱獄できるわけがない。
 それに、本来ならば二つの搭の周囲にはいつも見張りがいて、私が塔から落ちて機を失っている間に捕らえられても不思議はなかったからだ。
 背中を激しく叩かれるように咳き込みながら私は目を覚ました。
 咳が喉から肺を吐き出そうとばかりに続く。
 呼吸も出来ず、ひたすら込み上げる咳の衝動。
 最後には胃の中のものを吐き出して、ようやく空気を吸い込むことが出来た。
 胃がびくびくと痙攣しているのがわかる。
 背中から胸にかけて漠然とした大きな痛み。
 私は身体を起こし、涙に歪んだ周囲を見渡す。
 誰も居らず、冷たい風が汗ばんだ全身を冷やしている。
 邂逅の塔、斬首の塔の二つの塔は森に囲まれている。
 遠くに見える三つの建物が王族の住む城砦。
 三つの城砦が取り囲むように存在し、象徴的に聳えるのがユベリア宮殿だ。
 周囲には三ツ目族の住む城塞都市が広がり、その端のほうにひっそりとたたずむのが二つの塔。
 グロウリン城塞都市は大きな城壁に囲まれており、外界から閉ざされているが、逆説的に人々を城壁内に閉じ込めているとも言える。
 塔から逃げ出したとしても、このグロウリン王家の敷地内から脱出することはさらに至難を極めるだろう。
 ユーナは立ち上がると、身を潜めようと森に向かって歩き出す。
 いざなわれた。
 そう思えてならない。
 どうして誰もいないのか。
 易々、とは言い難いが、こうも誰にも見つからずに脱獄できるなんて都合の良いことが有り得るわけがない。
 ひょっとして、いつものヴァルアラトス・グロウリンの戯れだろうか。
 森に入っていくと、ようやく安堵を抱く。
 どうやって、高くそびえる城壁を通り越し、表の世界に行くことが出来るのだろう。斬首の塔を脱獄するより何倍も困難であろうこの城塞都市を。
 これからどうしよう。
 もし、脱獄が誰かにいざなわれたのだとしたら、それは善意ある者の手によるものか、あるいは逆か。
 寒さを覚える。
 肌着一枚の装束。
 寒さと羞恥に服を求める。
 ここは城塞都市の中心部から離れた森。
 歩けば都市部へは数時間といったところ。
 現在の正確な時刻は分からないが、星の傾きから推測すると深夜だろうと思われた。誰もがまだ深い眠りについている時間。夜が明けるまでには都市部に着ける。
 迷っている暇はない。
 ユーナにはもうひとつ、確かな目的があった。
 すでに私だけの命ではない。
 コロタリは私を生かすことで自分が生きた証を残した。
 コロタリのために私は生きなければならないし、コロタリの故郷へ向かい「コロタリは無事生きて幸せに暮らしている」と、事実とは違ったとしても家族に知らせなければいけない。
 それがコロタリの希望。
 私の生きる証。
 背中に痛みを感じながら、ユーナは歩き始めた。
 
 
 夜が明ける前に都市部に着く。
 三ツ目族や、召し使われている二ツ目族が住む都市部。
 割と背の高いレンガ造りの家が立ち並ぶ。
 その家も立派である。
 ユーナは目立たない裏路地を歩く。
 人の気配はしない。
 周囲を必死に見渡し、建物の窓から誰か顔をのぞかせていないかと警戒しながら進むと、路地の一角、裏庭のような場所に取り込み忘れた洗濯物が干してあるのが見えた。
 ユーナはこっそり敷地内に侵入すると、洗濯物を掴んだ。
 これはこの家に召し使われる二ツ目族の服だろうと思われた。もはや洗い落とせない染みと体臭が感じられる。
 木と木の間に渡してあるロープに掛けられた洗濯物を取ると、裏庭の一角で物音がした。
 ユーナははっとして音のしたほうを見る。
 そこには女の子が立っていた。ユーナと歳の変わらそうなみすぼらしい服を着て、手にはパンを持っていた。
 女の子は目を丸くして侵入者のユーナを見ていた。
 お互いが金縛りに遭った。
 先に金縛りを解いたのは相手方のほうで、とても悲しそうな顔でコクリと頷いて見せた。
 ユーナも悲しくなりながら服を羽織る。
「……ありがとう」
 彼女に聞こえるか聞こえないくらいの声でお礼を言うと、ユーナは背を向ける。
 すると、背後から声が聞こえた気がして振り返ると、彼女は物言わず手に持っていたパンを差し出してきた。
 煤けたようにカビが生えたパンだった。
 胸が苦しくなって、涙が出そうになった。
 ユーナはパンを受け取る。
 乾燥して石のように固くなったパン。
 きっと、彼女がこっそり隠し持っていた大事な大事なパン。
 それを夜中にこっそり食べようと裏庭に出てきたのかもしれない。
 どうしようもない気持ちになって、ユーナはお返しに髪の毛の中に埋め込んであった指輪を彼女に渡した。
 指輪はもしものときのためにとっておいた割と高価なもの。
 彼女は受け取れないと首を横に振る。
 それでも彼女の汚れて節くれだった手をとって指輪を嵌めてやる。
 彼女は指輪に埋め込まれた宝石にしばし見惚れる。
 すると彼女は自分の履いていた靴を脱いで、ユーナにくれた。
 彼女は他に何か与えるものはないかと身体をまさぐっていたが、もう充分と彼女の肩を抑える。
 そのままユーナは彼女に背中を向ける。
 彼女がその後、ユーナの背後どんな表情をしていたかは分からないが、構わずその場を離れた。
 パンを襟から懐にしまい、裏通りを選んで進む。
 コロタリの故郷はここよりも遥か北。
 グロウリン王家とは別の権力者が保持する三ツ目族の土地である。
「私は強くならなくちゃいけない……」
 小さく、か細い声を上げながらユーナは決意する。
 強くなるために今、私にできることは眷属との契約。眷属と契約できる聖域を探し、力を得る。それしかない。
 そうでなければ、この国をコロタリの故郷まで横断するのは無理だ。
 頃多呂の故郷までたどり着くには、まず城壁を越えなければならない。
 よじ登って越えるのは不可能。
 城壁を越えるには、関所を通るしかない。
 関所を通るには通行手形が要る。
 通行手形を取得する方法があるだろうか……。
 通常の手順で手形を申請するのは脱獄囚であるユーナには不可能だし、通常でも特別な理由がなければ、二ツ目族が手形を取得することはまず無理。
 方法がない。
 思い知って絶望的な気持ちになる。
 どうすれば……。
 気持ちが衰弱する。
 生きなければならないのに、何度も諦めそうになる。
 リスクの高い都市部から離れようと森に向かって歩いていくと、住宅もまばらな草原地帯に出た。見える限り、住宅は一軒だけ。
 よく手入れされている広大な庭のようだ。
 その一角に誰も立ち入らなそうな廃小屋を見つけた。
 今日はここで夜を明かそう。
 目を覚ましてから、城壁を出る方法を考えよう。
 もう身も心も疲れきった。
 眠ってしまいそうだった。
 どうにか廃小屋に入り込み、空中を泳ぐように進んで、小屋の奥にあった埃だらけの布に包まった。
 目を瞑るとコロタリの顔が浮かぶ。
 そしてナユタ。
 母、妹。
 本当の家族ではない。
 ナユタも妹も。
 血のつながりがあるのは母だけである。
 ナユタと妹は父親が違うのだ。
 母の人脈で王家に仕えることになったユーナは、ヴァルアラトス副王に仕えることになった。
 ヴァルアラトス副王は、本来、王となるべき資質と周囲が認める権力と通力と知力を持っていた。
 しかし、実権はルルアラトス・グロウリン王が持つ。
 ヴァルアラトスは学者、研究者として日々、研究の日々を繰り返している。
 それは二ツ目族を使った人体実験。
 その人体実験の試験体として仕えるユーナに矛先が向いてもおかしくなかった。
 ヴァルアラトスには心がない。
 ユーナは何度もそう思ったし、思える場面に遭遇してきた。
 なにより、ヴァルアラトスには表情がなく、右から左に物を移動する程度の感覚で二ツ目族の命を弄ぶ。
 絶望感に満ちた日々を送るうち、ユーナは恐怖に侵食され、決してヴァルアラトスの顔も見れなかったし、むしろ彼に殺されることが唯一の救いに思えるようになった。
 ヴァルアラトスの傍にいる絶望的な状況に終止符を打てるのなら、ヴァルアラトス本人に殺されることが至福であると。

 

 引きずられるような感覚。
 夢の中。
 一ツ目族の大きな手に髪の毛を掴まれて、地面を引きずられている夢を見ていた。
 そこから現実に戻ってくるのには時間が掛からなかった。
 目を開いてぞっとした。
 廃小屋で眠っていたはずだった。
 最初に見えたのは抜けるような青空。
 そして、夢の中同様、ユーナは地面を引きずられていた。
 頭が痛い。
 髪の毛を引っ張られている。
 抵抗しようと手を伸ばそうとするが、そのとき気づく。
 手足が縛られている。
 声を上げようとすると、布で猿轡をされていた。
 声も出せず、身体も動かせない状態で頭髪を引っ張られて地面を引きずられていた。
 猿轡をされたまま悲鳴を上げると声が聞こえた。
「起きちゃったじゃないか。薬の量が少なかったんじゃないのか?」
「そんなことないよ。この二ツ目はきっと、薬に免疫があるんだ。一度この薬を与えると、次には利きにくくなるんだ。何度か実験して分かった」
「ちぇ、暴れられたら吊るしにくいぞ。もう一度薬を打てよ」
「駄目だよ。薬がもったいないし、次に打ったらしばらく起きないかもよ」
「う〜ん、それじゃつまらないな」
 子供の声だった。
 二人の男の子の会話。
 なんなんだろう。
 何をされるのだろう。
 ユーナが悲鳴を上げ続けると、髪の毛から手を放された。
 仰向けになっているユーナの視界に二つの顔が現れた。
 やはり子供。
 そして、額には目があった。
 みっつめの目。
 三ツ目族。
「うるさいよ。少し黙って」
 そう言ったのは気の強そうなツリ目の少年。
 もう一人は小太りのおかっぱ頭の少年。
 ユーナは恐怖に身が竦んだ。
 眠っている間に見つかったのか。
「じゃあ、運ぼうか、アック」
 アックと呼ばれたのは小太りの少年のほう。
 二人の少年は再びユーナの髪を掴んで引きずり始めた。
 ユーナは悲鳴を上げるのを我慢した。
 どこへ連れて行くの?
 なにをするつもりなの?
 何も訊ねることが出来ない。
 必死に髪を引っ張られる痛みに堪えていると、ある大木の手前で止まった。
 ユーナから見えるのは葉の茂った木を真下から見上げる風景。
 なにをされるのか。
 このロープは自力では解けないし、このまま放置され、三ツ目族の公安局などに引き渡されるのか。
 すると、徐々に身体が起こされる。
 上半身が起き上がり、次に尻が浮く。
 完全に立ち上がった状態になったと思うと、今度は足が浮いた。
 身体が前方に傾げ、徐々に地面との距離が開いていく。
 吊るされている。
 背中から伸びたロープを木の枝に掛けて、子供二人が必死にユーナを吊るしているのだ。
「疲れたー。やっと出来た」
 足元では子供二人が手を叩きながらユーナを見上げていた。
 なにをするつもりなの?
 訊ねているつもりだが、猿轡をされている状態では呻き声にしかならない。
 ユーナをまるで狩った獲物のように見上げる二人の子供。
「どうする、ボレ? このままにしてたら何日くらい生きるかな?」
 小太りの子供、アックがツリ目の少年に尋ねている。ツリ目の少年はボレというらしい。
 ツリ目の子供、ボレは「ううん」と顎に指を当てて悩んだ後に言った。
「見てるだけじゃつまらないだろ。アックが作った例の薬、試してみようよ」
「でも、アレを使ったらすぐに死んじゃうかもよ」
 恐ろしい会話をする子供たち。
 これが三ツ目族の子供であることは良く知っている。
 二ツ目族がペットや家畜以下の存在であることも知っている。
 おそらく、この三ツ目族の子供二人はユーナが脱獄囚だということは知らないだろう。
「マラク先生が言ってたあの薬、作ってみようか。ほら、ヴァル服王様が開発した二ツ目族を処刑するための薬。身体が腐っていくやつ」
「駄目だ。あれは強烈に臭くなるらしい。ママに怒られるよ」
「死にそうになったら燃やしちゃえば大丈夫だよ。じゃあ、マラク先生の教室から軍の兵隊用の薬を盗んでこようよ」
「……そうだな。あれがいい。間近で見たことないし」
 恐ろしい相談をする二人の子供は、ユーナがいくら呻き声を上げても見向きもしない。
 二人はユーナをその場に残し、広大な庭を横切って屋敷のほうへ歩いていった。
 一人、放置されるユーナ。
 なんでこんなことに。
 身をよじってみるが、身体が揺れるだけでロープが解ける様子はない。
 ここで死ぬ?
 こんなところで?
 これが最後?
 ユーナは涙を流した。
 どうして、あの子供たちは何も思わないんだろう。
 私が血の通う人間で、言葉も意志も通じる同じ心のある人間だとは思えないのだろうか。
 どうしてそんな残酷なことを。
 二時間くらい、そのまま宙に浮いていると、ふと足元に人が通る。
 近くに見える屋敷に召し使われている二ツ目族の男だった。
 男は庭の手入れをするために表に出てきたらしく、しばらく広大な庭の芝を狩っていた。
 落ち葉を掃除し、植木の余分な葉を刈る。
 何度となくユーナの足元を通ったし、間違いなくユーナに気づいているが、まるでこちらを見ようとはしない。
 ここでユーナを助けようものなら、明日はわが身。
 目さえ合わせないことで、ユーナを認知しないようにしている。
 分かってる。
 助けてくれとは言わない。
 だって、そうしなければ。
 見捨てなければ生きてなどいけない。
 私がどんな状況にあろうと、助けてくれる人などいない。
 どんな絶望的な状況でも……。
 突如、ユーナの胸にあの人の姿が広がった。
 あの人は……。
 どんなに自分が窮地になろうと、私のために戦ってくれた。
 どうして。
 どうして、私はあの人に何も言わずに、こちらの世界に帰ってきてしまったのか。
 再びユーナは涙を流す。
 せめて、神様が存在するのなら、今の想いをあの人に届けたい。
 あなたが。
 あなたに支えられて、私は私でいられています。
 私が絶望的な思いに打ちのめされたとき、いつもあなたが心の中に現れて励ましてくれる。
 ――遠い。
 あちらの世界とこちらの世界に隔たれた壁はあまりにも厚く、遠い。
 そして寂しい。
 あなたのいない世界が空虚に感じる。
 もう一度会いたかった。
「ううっ……」
 苦しい。
 いまあなたに会えたら。
 そんなこと、ありえない。
 いくらあの人でも世界の隔たりを越えて私を助けに来てくれるわけがない。
 それに、あれほど助けてくれたあの人を、あれほど残酷に裏切ってこちらの世界に帰ってきてしまった私を、今も考えてくれているとは思えない。
 私の想いは届かない。
 それはすべて私のせい。
 こんなに寂しい思いをするくらいなら、あちらの世界なんか渡らなければ良かった。こんなに悲しい想いをするくらいなら、あの人に出会わなければ良かった。
 こんなとき、まだあの人が助けに来てくれるのではないかと淡い期待をしている。
 淡い期待をすれば、すぐさま果てしない距離と空虚を思い知らされて絶望すると知っているはずなのに。
 
 
 夕暮れになって、三ツ目族の子供が戻ってきた。
 二人は言い合いをしながら歩いてくると、ユーナの足元でも言い合いを続けていた。
「薬は盗めなかったんだから仕方ないだろ」
「ボレがあのとき声をあげなければ良かったんだ」
「だから謝ってるじゃないか」
 ボレというツリ目の子供が何か失敗したらしいことは会話の内容で理解できる。だが、むなしい。ユーナにとってこれほどむなしい会話はない。この子供たちは、いかにユーナを玩具として壊そうかという話し合いをしているのだから。
「じゃあ、この二ツ目は僕が好きにしてもいいの?」
 アックという小太りの少年がむすりとしてそう言うと、ボレは「ううん」と悩んだ後「分かったよ。譲る」と言った。
 私はあなたたちの玩具じゃない。
 そう訴えたいが声は出ない。
「じゃあアック、どうするんだよ」
「やってみたいことがあったんだ。この二ツ目って女でしょ? 身体の構造は僕らと同じだっていうじゃないか。見てみたいんだよ。女の身体」
「ええ! 二ツ目だぞ! 汚らしい!」
 ユーナはぞっとした。
 何をされるのか、想像して恐怖に身体が震えた。
「いいだろ、誰にも言うなよな」
「つまんない。それだけかよ」
「最後は……そうだな。あそこの穴に爆弾を詰めて吹き飛ばそうか。身体が吹き飛ぶのも見たい」
 その提案にはボレは目を輝かせた。
 なんて恐ろしい会話を、無慈悲に交わすのだろうか。
「爆弾なんてあるのか?」
「これから作るよ。また明日にしよう」
「うん」
 ユーナの運命は明日に引き伸ばされた。
 あの子供たちは本気である。
 間違いなく、言ったことを実行するだろう。
 
 
 
 夜が更ける。
 もう死ぬそのときを待つのみ。
 この夜が明けたとき、私は死ぬ。
 ふと、笑いが込み上げてくる。
 私の一生はなんだったのか。
 ひどく滑稽に思えて、自分自身が可笑しくて堪らない。
 笑っているうちに涙が滲む。
 何がいけないんだろうかと思う。
 私がいけないのか、世の中がいけないのか。
 私が残酷に殺されなければいけないのは、いたずらな神がいけないのか。
 悪いのは誰?
 残酷で無慈悲な三ツ目族?
 何も行動を起こせない二ツ目族?
 人の強欲?
 もうだめ。
 私の生きていける世界はどこにもないんだ。
 ――おぬしには驚くべき才能がある。
 声が聞こえた。
 うな垂れていた顔を起こすと、足元にぼんやりと何かが見えた。
 ――驚くべきことに、コロタリが譲渡した眷属の二体をおぬしは受け取った。
 中に浮く足元にいるのは犬だった。
 いや、犬とは違う。
 野性味の濃い風貌は――狼。
 声は悪魔のように低く、恐怖を煽るように震えている。
 本来、言葉を吐くものでないものが発した声のようだった。
 狼はユーナの下方で静かに腰を落として、こちらを見上げていた。
 ――コロタリは二体とも譲渡できるとは思っておらなかっただろうし、全て譲渡できないような結末も想像していたに違いなかろう。それほど彼女が持っていた眷族は相手を選ぶものであった。わしも例外ではない。
 足元にいる狼は、口を動かしているような様子はない。どこから発している声なのか。
 ――だが、この城塞都市内ではどうやら眷属と人間との回線が繋がりづらい状態になっておる。うまくおぬしと交信が出来ない。だから、こうして夢の中で語りかけているわけであるのだが……。
 夢の中?
 これは夢?
 ――おぬしには才能がある。それは眷属と契約を交わす才能。加えて、二体の眷族と契約してなお、おぬしは許容範囲に余裕があるのだ。
 あなたは眷属?
 コロタリが私に譲渡した……。
 ――いかにも。わしはレシェラと申す者。おぬしたちが眷属と呼ぶ狭間の世界の住人。繰り返し言うが、この城塞都市内は契約者であるおぬしとの回線が繋がりにくい。だからこうして夢の中で交信しておる。
 交信……。
 意識レベルは低い。
 自我が認識できない。
 私は一体なにをしているのだろう。
 ――目を覚ましたら、強く願え。私を呼び出すのだ。おぬしは、わしが長く仕えたコロタリが選んだ相手。おぬしに死なれては居場所を失い、また狭間の世界に戻らねばならん。
 戻りたくないの?
 ――戻りたいと思っている眷族は皆無であろう。あの世界は自我が曖昧になるのだ。自分が世界の一部に溶け込んだような感覚が支配する世界。わしはわし、それを認識できるのはこの世界に存在しているときだけ。それにわしと契約できる人間は希少だ。次にまた契約できる人間と出会える確率は低い。
 起きたら強く願う……。
 ――そうだ。さすればわしはこの世界に召還される。わしはそれを望んでおる。遠慮なく願うが良い。
 でも、逃げ出したところで私には何も出来ない……。
 ――よく考えることだ。わしを含む三体の眷属はおぬしの味方である。それはおぬしが必要であるからだし、おぬしとは依存関係にあるからだ。ゆめゆめ忘れるな。おぬしが譲渡を受けた眷属はわしを含めた二体……。
 
 
 目を開くと、周囲に見えたのは明け方の青い世界。
 足元にいたはずの狼、レシェラはいなくなっていた。
 夢……。
 あれはただの夢だったのか。
 強く願えば眷族が現れる?
 どうやって……。
 ユーナは眷属を持ったことがなかった。
 眷族など持てば真っ先にヴァルアラトスに殺されていただろうし、なにより眷属と契約できる二ツ目族は希少であるのだ。
 契約できる聖域は政府の役所になっていて封鎖されているし、眷属を奪うために命を狙う二ツ目族もいる。
 いま二ツ目族が契約する眷属のほとんどは両親から受け継がれたものか、他人より譲渡されたもの、あるいは強奪したものばかり。
 眷族を持つ二ツ目族が減少しているのは政府の最重要の政策で推し進められているからだし、やはり伝統的に受け継がれるだけでは数は減ることはあっても増えはしない。
 私も死ぬそのとき、近くに二ツ目族がいるならば、眷族を譲渡して死ぬ選択をするだろう。
 ――強く願う。
 一体どうやって。
 この城塞都市の敷地内では、眷属との回線を弱める結界が張られている。あるいはそこらじゅうの建造物は、眷属との通信を遮断する物質で出来ているものが多い。
 眷属と二ツ目族とのチャンネルを遮断する効果のある物質を発見し、研究を重ねて実用化を推進したのはヴァルアラトス副王その人だ。
 ヴァル副王は眷属を封じる手段を始め、肉体改造や人格を強制する薬品まで開発し、一部は軍隊で実用化されている。
 彼にとっての二ツ目族は本当に道具以上の価値はないのだろう。
 夜が明けて、世界が輪郭を明らかにしてくる。
 眷族の出現を切望したが、強く願おうとも姿を表す気配はない。
 夢の中に現れたレシェラという眷属は、私に才能があると言った。
 しかし、あれは本当の夢だったとしたら、いくら願おうとも眷族が現れるわけがない。
 吊るされてから丸一日。
 ロープは体重で腹や腕の肉に食い込み、ひどい痛みだ。
 血流が止まり、腕や足の感覚はない。
 背中や首の筋肉が凝り固まり、動かすと裂かれるような激痛が走る。
 苦痛。苦痛。
 もういい。
 もう終わりでいい。
 早く。
 遠くから足音。
 小動物が目を覚まし、鳴き声をあげ始める。
 足音が近づく。
 二つの足跡と、会話する声。
 身体に爆弾を巻かれて、身体が粉々になる瞬間は、意識はどうなっているのだろう。
 痛いのだろうか。
 一瞬のうちに意識を失い、痛みなど感じる暇がなければいいな。
「本当にちゃんと爆発するのかよ」
「大丈夫だと思うよ。でも、爆発させて見たことはないから、わかんない」
「ちょっと別のもので試してみる?」
「でも、音が鳴ったら大人たちが来て止められちゃうよ」
「大丈夫だよ。この辺に家はないし、親だって宮殿の仕事でしばらく帰ってきてないんだろ」
「そうだけど……」
「二ツ目の使用人だって脅せばばらしたりしないだろうし」
「うん、じゃあ、ひとつ試してみよう」
 ユーナから離れた場所で袋から取り出したのは筒状の物体。
 袋の中には、あの筒状の物が沢山入っているらしい。
 あれだ。
 あれがこれから私の命を奪う。
 身体を粉々に砕く。
「導火線に火をつけるんだ。中の火薬に引火して、爆発するんだよ」
「早くやってみろよ」
 小太りの少年、アックが、着火剤を取り出して火をともし、筒状の先端から生えている紐に火を近づける。
 紐が火花を上げた。
 ユーナからも見える。
 紐が徐々に短くなり、あの火花が筒状の物体に引火したとき、爆発が起こるのだろう。
 試してなど欲しくなかった。
 これから私を殺す道具が、どれほど恐ろしい凶器かなど、事前に知りたくはない。
 アックは筒状の物体を広大な庭に向かって放り投げた。
 筒状の物体が手入れをされた芝の上に転がっていく。
 アックとボレは数歩後ずさり、腰を低く落とした。
 火花が見える。
 ユーナもそれを見ていた。
 やがて。
 筒状の物体は小さな煙を吐いただけで、炸裂しなかった。
 子供二人は呆然と立ち尽くす。
「爆発するんじゃなかったのかよ」
 ツリ目の少年であるボレがアックの肩を押す。アックは数歩よろめいた後「ううん」と険しい顔をする。
「おかしいな。仕組みはあってるんだと思うんだけど」
 アックはおもむろに投げた筒状の物体に近寄っていく。
 ――火を熱いとしらない幼稚な子供。
 ユーナは心臓がドクンと振動した。
 次の瞬間だった。
 どん、と腹をえぐるような重低音とともに、筒状の物体が炸裂した。
 どす黒い土を空中に巻き上げ、芝もろとも周囲に撒き散らしたかと思うと、アックが飛び上がるように後方へ吹っ飛んだ。
 まるで投げつけられた人形のように地面を転がるアック。
 ボレはあまりもの音と衝撃に驚いて、地面に張り付いたように倒れこむ。
 ユーナは目を見張った。
 どうなったのか。
 筒状の物が爆発した後には、地面が大きく抉られていた。
 傍に倒れるアックという小太りの子供。
 ボレが恐る恐る立ち上がる。
 倒れているアックを見て、ボレは顔面が蒼白になった。
 起こった事態の重大さに気づいたのか、うめき声を上げて尻餅をつく。
 ボレはアックに近づこうとしない。
 アックに近づけば、起こった惨劇を目撃してしまう。目撃してしまえば、その惨劇が心に傷をつける。そう理解しているのだ。
 恐怖に戦くように、尻餅をつきながら後ずさりするボレ。
 高い位置から見下ろすユーナには見えていた。
 アックの右足は奇妙に折れ曲がり、右腕がぼろ雑巾のようにズタボロになっている。
 腕に出来た無数の裂け目からは赤い肉が盛り上がっている。
 ――見たくない!
 ――こんなのいや!
 ユーナは声にならない悲鳴を上げた。
 そのときだった。
 風が吹いた。
 いや、正確には空気が流れて出来た風ではない。
 何かがユーナの身体をすり抜けて行ったような感覚。
 ユーナの腹から何かが飛び出したのだ。
 同時に、ユーナを戒めていたロープが切れて、ユーナは地面に落下した。
 血流が止まっていた手足は痺れて動かず、ロープが解かれて自由になったが、猿轡を取ることが出来ない。
 ユーナは顔を起こす。
 そこには尻餅をつくボレの後頭部。
 その後頭部の先に、犬が佇んでいた。
 銀色の狼だ。
 レシェラ。
 夢じゃなかったんだ。
 本当にいた。
 銀色の狼、レシェラはゆっくりとこちらを見た。
 銀色の瞳。
 凶悪な瞳だ。
 見られただけで、その部分が切れると思うのではないかと思うほど獰猛で刃物のような視線。
「愚かな……」
 地獄から湧き出たような声だった。
 口を開いたときに見えた牙はやはり凶悪だった。
 レシェラはこちらに向きを変えて、ゆっくり近づいてくる。
 ボレが恐怖に悲鳴を上げた。
 だが、レシェラが近寄ったのはユーナだった。
 レシェラは恐ろしい口を開けると、ユーナの口を塞いでいた布を取り去る。
 すると、ユーナの動かなくなった手足をざらついて真っ赤な舌で嘗め回した。
 ユーナも平常心ではいられなかった。
 いつその犬歯をユーナの手足の肉に食い込ませるのか、びくびくしているとレシェラは言った。
「動けるようになったはずだ。そんな顔をするでない、ユーナ」
 悪魔のような声。
 だが、穏やかだ。
 確かにレシェラの言ったとおり、手足が動くようになった。痛みを痺れは残っているが、立てないほどではない。
「これは……?」
 ユーナが呆然と声を上げると、いいから立てと、鼻先でユーナの肩を小突く。
 立ち上がると、ボレがまるで怪物を見るかのようにユーナを見上げていた。
 ユーナはボレから視線を移し、遠くに倒れるアックを見た。
 ユーナの心は氷の張ったの湖のように、冷たく静かだった。
 自分自身の心情が理解できないまま、アックの傍まで歩いていく。
 アックは意識を失っていた。
 死んでいるのか生きているのか分からない。
「愚かな小僧。いたずらに力を持とうとするからこうなるのだ」
 レシェラが傍で口を開く。
「ア、アックに何をするつもりだよ!」
 背後でボレが叫んだ。
 ユーナは無感動に振り返る。
 ボレがこちらに手のひらを向けている。
 なんだろう。
 何をするつもりだろう。
 呆然と考えていると、ボレの手のひらからモヤが漏れ出した。
 青色のモヤ。
 あれは。
 考えるまもなく、ボレの手のひらから漏れ出したモヤが円形の形状に変化したと思うと、空気砲のようにユーナに襲い掛かってきた。
 ユーナは肩にひどい衝撃を感じた。
 よろめいたが、倒れなかった。
 呆然と自分の肩を見ると、肩の肉が抉れて骨が見えていた。
 痛い。
 ものすごく痛い。
 だけど、このひどく悲しい気持ちは何なのだろうか。
 これは、絶望?
 ユーナがその場に膝から崩れ落ちる。
 すると、レシェラがユーナの傷口を舐めだした。
 見る見る肉が形成され、傷口を埋めていった。
「これは……」
 治癒能力。
 肩の傷が紫色のアザ程度になったとき、レシェラが言った。
「治癒は無限の力ではない。治癒にはおぬしの体力を使う。この攻撃を何度も食らえば、治癒が追いつかず死ぬだろう。ぼうっとしてるんじゃない」
 ユーナは呆然とボレを見た。
 ボレはもう攻撃してくるようには見えなかった。
 涙を流し、断末魔のような顔をしてユーナを見ている。
 アックが呻き声を上げて目を覚ました。
 アックを見ると、苦しそうに身を捩じらせている。
「アック! アック!」
 ボレがこちらに近寄ってこようとするが、恐れを成しているため近寄れない。
 ユーナは冷たい目でボレを見る。
「この子が心配なの?」
 ユーナが静かに尋ねると、アックは憎しみの篭った三ツ目でユーナを睨みつける。
「アックに何かしたら殺すぞ! 大人を呼ぶ! お前なんかすぐに殺してやる!」
 脅されても、恐怖さえ感じない。
 ユーナは呻くアックの傍らに腰掛ける。
 アックの右腕は肩から先が、捌いた魚のように見るに堪えない状態になっている。
 そっと肉と骨になった腕に触ると、アックが痛みに悲鳴を上げた。
「痛い? 痛いよね。ものすごく痛いよね」
 ユーナはボレを振り返る。
「一緒なのよ……。二ツ目族だって痛い」
「二ツ目族が俺たちと同じものか! お前らはゴミと同じだ!」
 アックが虚勢を張る。
 怒りはない。
 ひどく刃物じみた心境。
「二ツ目も、あなたと同じ。友達を思ったり、心が悲しんだりする。どうして分からないの? 痛いんでしょう。同じことをされれば、私も痛いし、悲しいのよ」
 ユーナはアックの折れた足を掴む。
 アックの悲鳴。
「やめろ!」
 アックが必死に叫ぶ。
 だが、ユーナは冷たい目をボレに向けるだけ。
「私があなたを殺してあげようか」
 そう言うと、ボレの顔が見る見る恐怖に歪んだ。
「殺せるわよ。ここには誰もいない。私には眷族がいる。私にひどい痛みと悲しみを与えたあなたに、同じような苦しみを与えてあげる」
 そう言いながら、アックの折れた足を強く握る。
 アックは口から泡沫を出して不気味な悲鳴を上げる。
 ボレがその場に崩れ落ちると、空を食らうかのように大口を開け、大声を上げて泣き出した。
 その瞬間、耐え切れない痛みがユーナの全身を駆け巡った。
 血液が刺々しい針のむしろになってしまったかのようだった。
 ユーナは自分自身を包むように、両肩を抱いた。
 恐ろしい。
 私はなんて恐ろしい。
「ユーナ嬢よ。一刻も早くここを立ち去ることを提案する。わしはどうやらそう長い時間、具現化してはおられないようだ」
 レシェラの言葉は遠くから聞こえてきた。
 私は私の中にいる獣と対峙していた。
 三ツ目族が憎いだろう。殺したいだろう。お前のことをごみ同然としか思わない心の失った三ツ目族など、この世に生きる価値はない。
 殺せ。
 その子供を殺せ。
 殺せばお前の胸のわだかまりは嘘のように晴れ、すこぶる良い気分になる。
 この世に生きる資格のない三ツ目族など排除することが世の中のため。
 お前と同じように迫害を受け、無念の死を遂げてきた二ツ目族達の代表となり、その子供を殺して恨みを晴らせ。
 さあ殺せ!
「レシェラ……」
 ユーナは途切れてしまいそうな意識の中、やっとの思いで口を開く。
「この子供……この三ツ目族の子供を助けてあげて……」
「この子供を? おぬしを爆発させて殺そうとした子供であるぞ」
「分かってる……。でも、すごく悲しいの。胸が壊れてしまいそう。どうしてなの? どうしてこの子達は私を殺せるの? 本当に私の心の痛みが分からないの?」
「分からないだろうな。正直、わしにも概念的な認識は薄いが、三ツ目族という奴らには正直虫唾が走る。放っておくが良い」
「でも……お願い。この子を治療してあげて。この子を助けて、私を助けて」
 レシェラはグルグルと唸り声を上げる。
 しばらくすると、レシェラは言われた通りにアックのぼろぼろになった腕を舐め始めた。
「元には戻らないかもしれんが、とりあえず命は取り留めるだろう。これでいいのか?」
「うん……ありがとう」
 大声を上げるボレ。
 今は再び意識を失ったアック。
 周囲は静か。
 まるで神の国のように穏やかな自然の風景。
「お前は絶対殺してやるからな」
 ボレが泣きじゃくりながら遠吠えする。
 返事をせず、ユーナは歩き出す。
「どこへ行く。そちらは都市部だぞ」
 レシェラが付いてきながら声を上げる。
「私、もうだめ。よく分かったの。私に生きていけるような優しい世界はどこにもないんだって。私はいつか心を失くしてしまうんだよ、きっと。そしたら、私は人の命なんてごみだなんて思うようになるんだ」
 レシェラは答えなかった。
 人の心を概念的に捉えにくいのだろう。理解が及ばずに答えられないのだ。
 呆然と歩いていくうち、都市部に近くなる。
 人のいない裏通りを歩いていくと、先に横切る大きな通りが見えた。
 綺麗な服を着た三ツ目族が大勢歩いている。その中にみすぼらしい身なりの二ツ目族が歩いていれば、害虫を見つけたかのごとく、ユーナなど蹂躙されて殺されるだろう。
 あの中へ。
 心が壊れてしまう前に。
「やれやれ。残念だ。次の宿主はいつ見つけられることか」
 レシェラが唸った。
「ごめんなさい」
 それしか言えない。
 ざわめきが聞こえる。
 誰かが大声を上げているのが聞こえる。
 人だかりが出来ているようだ。
「なにかあったようだな。騒然としておる」
 レシェラが言った。
 確かに誰かの怒鳴り声が聞こえる。
 ユーナは路地から大通りを覗く。
 まだ誰もユーナに気づいていない。
 見ると、大通りの交差する場所が広場になっており、その広場に即席の櫓が立てられていた。高台のその櫓の上には幾人かの男の姿。
 政府役人の服装をした高官らしき男と、傍らに従事する部下らしき男数人。
 高台の櫓の周囲には、見るからに綺麗な服装をした三ツ目族たちが人だかりを作っている。
「この二ツ目族の女は脱獄囚に対して食料を分け与え、さらには逃亡を幇助した!」
 高台にいる政府公安の高官は高々に声を上げた。
「我々に対する重大な反逆行為とみなし、この場で公開処刑する運びとなった!」
 周囲の三ツ目族からひどい避難の声。
「各位、このことを自ら召し使えている二ツ目族に聞かせ、充分に教育するように! 召し仕える二ツ目族が重大な反逆を犯した場合、飼い主にも罰を与えよとの王からの命令だ! よく肝に銘じておけ!」
 公開処刑……。
 いまのユーナには簡単なことが理解できない。
 公開処刑とは良くあることである。
 定期的に行われ、罪を犯していない二ツ目族であろうと、公開処刑のスケジュールに合わせて冤罪を擦り付けられ、処刑されていく。
 これは三ツ目族たちの定例の道楽といって良かった。刺激的なイベントで、三ツ目族たちの長い長い生に潤いを与える。
 私もあそこへ……。
 処刑は私でいい。
 ふらふらと足を踏み出す。
 大通りに出ると、幾人かの三ツ目族がユーナに気づいてはっと声を上げた。
 ユーナの向かい先を別れるように避ける三ツ目族。
「やだ、汚らしい。どうしてこんなところに二ツ目が?」
「ちょっと、追い払ってよ」
「やだよ、薄汚い。自分でやれよ」
 ゴキブリを嫌う人間同様、忌み嫌っているが踏み潰すことも出来ない。
 高台の処刑台までふらふらと歩みを進める。
 まだ、ユーナに気づいているのは群集の中のごく一部。
 そのとき、高台の処刑台に一人の二ツ目族が姿を現した。
 後ろ手に縛られ、髪の毛を掴まれて政府役人に引き摺ってこられた。
 処刑台には上部から垂れ下がったロープが輪を作って宙に揺れている。
 絞首刑。
 三ツ目族が実施する数々の処刑方法の中では最も優しい部類。
 これで死ねるなら……。
「この女が反逆行為を犯した二ツ目族である」
 政府高官が処刑台で大声を上げる。
 ユーナはゆっくりと見上げる。
「あれは……」
 処刑される女が、ロープの輪を首に通される姿を見て呆然とした。
 ユーナは懐に仕舞ってあった塊を触る。
 服の中から塊を取り出すと、それはカビだらけのパン。
 三ツ目族の子供達にロープ出張られた際に押し潰され、懐の中で粉屑状になっていた。
「私のせい……」
 気づいて、ユーナはその場にへたり込んだ。
 周囲が騒然とした。
 ユーナに気づいた政府役人が駆け寄ってくる足音が聞こえた。
 ユーナはもう一度、処刑台を見上げた。
 なんて惨い。
 二ツ目族の女は酷い拷問を受けたのか、顔の形は原型を留めておらず、体中腫れやあざだらけで、着ている服は血で薄汚れていた。
 あれを見て、群衆の中で誰一人も憂いだり悲しんだりしないのか。
「ユーナ嬢、もしまだ生き延びたいのなら願え」
 傍にいたレシェラ。
 レシェラの凶悪さに、ユーナを捕らえに来た政府役人も遠巻きに躊躇していた。
「願うって、何を?」
「先ほど、ユーナ嬢がわしを呼び出したように、もう一度願え」
「あれは……」
「分かっておる。願いは何でも良い。怒りでも悲しみでも。念は強さ。おぬしは今何を望む?」
 全ての三ツ目族の死。
 三ツ目族の滅亡。
 私や私の大切な人を苦しめる全ての崩壊。
 心が壊れる。
 願ったら、私は私でなくなる。
 その前に死んでしまいたい。
 でも。
 ユーナが立ち上がる。
 周囲の三ツ目族がはっとして距離を置く。
 その気になれば赤子の手を捻るくらい、造作も無くユーナを抹消ことが出来る。
 それをしないのは、ひたすらに二ツ目族が忌み嫌われる汚らわしい存在だから。
 同じように心があり、痛みがあるなどとは知りもせず。
「あの子を助ける」
 ユーナは呟いて、ゆっくりと足を踏み出す。
 取り巻いていた二人の役人がユーナに近づこうとしたとき、レシェラが威嚇するように犬歯を向き出しにして唸った。
 躊躇するように地団駄を踏む三ツ目族の政府役人。
「あの子を助ける。力を貸して」
「わしには無理だ」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
 処刑台ではユーナの周囲の騒動など気づいている様子は無く、処刑の準備を進めている。首にロープの輪が通されると、女の足元の床が抜けることにより、自信の体重で首が絞められる。
 ――その瞬間まで、もう間もなく。
「願う! 私は願うから! 私に力を貸して!」
 ユーナは喉が張り裂けんばかりに怒鳴った。
 瞬間、ユーナの足元から吹く荒れる風。
 髪の毛が巻き上がり、微かな光が周囲を包む。
 足元の地面。
 穴が開くわけでもなく。
 扉が開くわけでもなく。
 徐々に何かが沸き起こってきた。
「眷属だわ!」
「あの女、眷属を呼び出したぞ!」
「そんな馬鹿な! 城塞都市内は眷族が呼び出せないはずじゃ……!」
 周囲から聞こえてくる声など、もう耳に入らない。
 三ツ目族が二ツ目族に対して唯一恐れるもの。
 それが眷族の力。
 目の前の地面より湧き出して、姿を現したのは――たとえるならば「竜」。
 ユーナの身長の三倍以上ある、大きな翼を持った竜。
「ソラ・トンベルクだ。わしとともにコロタリの家系に長く仕えた同志。色が青く、普通より大きいであろう。非常に珍しい種である」
 レシェラが口遊んでいる。
 ユーナがレシェラを見ると、レシェラは「乗るがいい。お前に仕えるソラ・トンベルクだ」と言った。
 迷ったり驚いたりしている暇は無い。
 周囲の三ツ目族が驚いて距離を開ける。
 政府役人が意志を固め、ユーナたちを攻撃するように手のひらを向けた。
 大人の三ツ目族の攻撃を食らったらひとたまりも無い。
「ソラ! お願い! 処刑台の女の子を助けて、ここから一緒に逃げて!」
 ユーナはソラ・トンベルクの背中に飛び乗りながら叫んだ。
 瞬間。
 ソラ・トンベルクがその大きな両翼を羽ばたかせる。
 周囲につむじ風が発生し、砂埃とともに周囲の三ツ目族が身体を背ける。
 ふわり、と音を立てて宙に浮いた。
 さすがに異変に気づいた処刑台の三ツ目族が、空に舞い上がったユーナたちに向かって神通力を放出した。
 青い空気の塊がうねって迫ってきた。
 ソラ・トンベルクは空中で旋回して、飛んできた攻撃を難なく躱す。
 ソラ・トンベルクは上空高く一瞬にして舞い上がったと思うと、おもむろに翼を折りたたんだ。
 浮力を失ったソラ・トンベルクとユーナは急降下した。
 弾丸のように上空から処刑台へと落下する。
 ユーナは声にならない悲鳴を上げる。ソラ・トンベルクの背中に付いた突起に必死に捕まって振り下ろされないよう堪える。
 地面に衝突――する瞬間にソラ・トンベルクは大きく翼を開いたと思うと、翼をひと薙ぎして地面すれすれで止まった。
 周囲にいた三ツ目族はすでに散り散りに逃げ惑っている。
 体勢を整えた三ツ目族が次に攻撃してくる前に、ソラ・トンベルクは首に輪を掛けられた女の子を口ばしで摘み上げると、そのまま再び飛び上がった。
 一瞬にして上空高く上昇する。
「す、すごい……」
 ユーナが感嘆の声を上げた。
 地表の三ツ目族たちはもはや点の集合体に見え、広大な敷地を囲む城壁の全容が見えた。
 ソラ・トンベルクが首を捻って、背中の上に女の子を乗せた。
 力なく項垂れる女の子。
「とにかく逃げて! 追っ手が来る前に!」
 ソラ・トンベルクはユーナの言葉を理解したのか、大きな翼をはためかせると前進し始めた。
 上空の冷たい風を浴びながら、ソラ・トンベルクの背中で女の子を抱きかかえる。
「私のせいでごめんなさい。こんなひどい目に……」
 抱きかかえる女の子は返事をしない。
 顔を見ると、ひどく晴れ上がって血にぬれている。
「むごい。本当にむごい。なんでこんなことを……」
 力なくうな垂れる女の子は、すでに意識が無い。
 縛られているロープを解くと、腕の骨、足の骨が砕かれているのが分かる。
 これでは……。
「レシェラ。お願い、現れて。この子を直して」
 願うと、どこかに消えていたレシェラが、ソラ・トンベルクの背中に姿を現した。
「どうやら城壁の外へ出て、狭間の世界との回線も回復したらしいな」
「それよりレシェラ。この子、ひどい怪我なの。治してあげて!」
「ふうむ」
 レシェラは真っ赤な舌を出して、女の子を舐めた。
 体中の至るところを嘗め回したが、怪我が治る様子は無い。
 レシェラは舐めるのをやめて言った。
「彼女には傷を治すだけの生命力が残ってはおらぬ。残念だが」
「どうして? 諦めないで、レシェラ。彼女を助けるの! 私のせいでこんな目に遭ってるのよ!」
「おぬしのせいではない。それに、彼女にはもう生きる意志が感じられない。この怪我、回復しても元には戻らぬし、自由にもならぬ。ならばこのまま死なせてやるのも彼女のため」
「だめ! 治してレシェラ! 彼女は死んではだめ!」
「ふうむ」
 レシェラは言われた通り、彼女の身体を舐め始める。
 しばらく立っても、彼女が回復する様子は無い。
「どうして……!? どうして彼女がこんな目に遭わなくちゃいけないの?」
 誰も答えてくれなどしない。
 レシェラはおそらく、ユーナが止めるまで彼女の身体を舐め続けるだろう。
 何がいけないのか。
 誰がいけないのか。
 どうして当たり前のようにこんな悲劇が起こるのか。
「あ……っ」
 ふと、彼女が目を覚ます。
 目を開けて、潰れていないほうの目で確かにユーナを捉えた。
「あ、あう……」
 声にならない声を上げる。
 ユーナは慌てて彼女の顔に近づいた。
「がんばって! もう大丈夫! ここは安全な場所だから!」
「あうう……」
「しゃべらないで! いま治療をしてるからね! 優秀な眷族がいるの! あなたの怪我なんてすぐに治してくれるから!」
 いくら声をかけても、彼女は必死に訴えかけるように何かを口ずさむ。
 すると、レシェラが言った。
「何かを伝えたいようだ。遺言のようなものだろう。聞いてやるが良い」
「遺言って……」
「おぬしが責任を感じているのなら聞くがいい。そうでないなら聞かぬことだ」
 ユーナは黙って彼女を見下ろした。
 彼女は喘ぐように口を動かす。
 ユーナは胸が張り裂けそうな思いで、耳を彼女の口に近づけた。
 彼女が掠れた声で訴える。
「あなたに……パンなんか与えたから……指輪なんて貰ったから……こんな目に」
 恨みの言葉だった。
 胸の中に刃物で切りつけられるような痛みが走る。
「指輪……返す……こんなもの……」
 彼女は指輪をした腕を持ち上げようとして、激痛に呻いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私の生でこんな目に……!」
 ユーナは必死に贖罪した。
 どんなに謝ったって許されることではない。
 彼女は力を振り絞って、最後の言葉を残した。
「恨んだ……でも……助けに……私……父から譲り受けた……眷属を……」
「眷属……!」
「譲渡……」
 同じだ。
 コロタリのときと同じ。
 死ぬ者が、一縷の望みを駆けて、生き残る者に眷属を譲渡する。
「私……を……抱いて」
「でも……」
「彼女の最後の願いだ。受け入れるがいい。おぬしの責務だろう」
 レシェラに言われて、ユーナは決意を固める。
 傷だらけの彼女の身体を抱き起こして抱きしめる。
 彼女は激痛に呻きながらも、抱き合った肩越しに呟いた。
「私なんか……あの状況で……助けてくれた……きっと……あなたは……これからもっと……」
 そこまで言って、彼女は息絶えた。
 全身を繋いでいた糸が切れたかのように、ユーナの胸の上を滑り落ちていく。
 ユーナは悲痛な思いで彼女を見つめていた。
 彼女はその瞬間、何を考えていたのか。
 自分が失われるその瞬間。
 優しい両親。
 親しい友人。
 恋をした相手。
 彼女の生に、幸せなときはあったのか。
「譲渡は受けたのか?」
 レシェラに聞かれて、ユーナは顔を起こす。
 耐え切れない。
 人が死んでいく。
 無慈悲に、何人も。
 そして、これからも悲劇は続く。
「彼女の名前……最後に言ってた」
「名前か。弔うとき、名前が必要だろう。なんという名前だ?」
「パール。そう言ってた」
「なるほど。ならパールの名で墓を作ってやるといい」
「うん……」
 ユーナの膝の上に横たわるパール。
 もう、いやだ。
 どうすれば無くなるのだろう。
 私にできることは無いのか。
 こんな無慈悲な死を繰り返さないために。
 なにをすればいいのか。
「私、行きたいところがある」
 独り言のように呟いた言葉に、レシェラが「どこだ?」と尋ねてくる。
「帝国旅団……」
「帝国旅団? なんだそれは」
「この国の体制を壊せるとしたら……あそこしかない」
 ユーナはレシェラにも届かないような声でつぶやく。
「どこに行こうか勝手だが、説明は聞きたい。帝国旅団とはなんだ」
「旧体制の右翼派集団。わたし……もう綺麗なことばかり言ってられないの。帝国旅団は帝国主義時代の悪しき集団。でも……同じ二ツ目族。同じ痛みを共有してる」
「帝国主義の旧体制ならわしも知っている。あの時代がいまより良かったかと問われればわしは首を横に振りざるを得ないが……」
「なら、変えよう。帝国旅団に行って、考えを聞こう。その上で話し合おう」
「旧体制の生き残り連中に、話し合いが通じるとは思えないが」
「それでも同じ二ツ目なら、分かり合えるかもしれない。協力し合えるかもしれない」
「危険だぞ。力を欲している集団なら、ユーナの持っている眷族は非常に魅力的だろう。力ずくで奪われることになるかもしれない」
「それでもいい。もう、私はこれ以上、生きていけない。帝国旅団が絶望的な集団だったのなら、もう私は自分で死を選ぶ。眷属を譲渡する前に」
 レシェラが押し黙った。
「ごめんレシェラ。自分勝手だよね、私。眷属たちの気持ちも考えないで……」
「いや、そんなことは無い。いままでいろんな二ツ目族に従事してきたが、おぬしのような意見は初めてだ。わしの住処は二ツ目族の中。その住処を幾度と無く三ツ目族に奪われてきた。わしもおぬしに近い感情を持っておる。だからおぬしを否定しないが、できればおぬしには生きて欲しい。そんなことがあってもな」
「うん……」
 ユーナは曖昧に頷いた。
 心はズタボロだ。
 なにも力が沸いてこない。
 私が生きることの出来る優しい世界はここには無い。
 でも、逃げていては何も変わらない。
 ふと、広い空にあの人が思い浮かぶ。
 決して諦めず、私を何度と無く励まし、勇気付け、助けてくれたあの人。
 あの優しい世界。
「まずはコロタリの故郷。次に帝国旅団……」
 自分の決意を反芻するかのようにつぶやく。
 上空の風がユーナの髪をなびかせる。
 大空から見下ろす大地。
 緑の森、青い湖、茶褐色の大地。
 どうして争いごとは絶えないのか。
「ソラ、お願い。私をコロタリの故郷へ……」
 確かに決意のこもった声で、ユーナはコロタリの故郷を指さした。
 
 
 
 ≪ 幕間 ≫
 
 
 
「お言葉だとは存じますが、私にはバル様のお考えが推し量り兼ねます」
 グロウリン宮殿を囲むようにそびえる三つの城。
 そのひとつ、ヴァルアラトス・グロウリン副王が城主として生活するのが、このヴァルアラトス城。
 三つの城は地続きになっており、行き交いに制約はないが、三つの城の城主が頻繁に交流を持つことはない。
 ひとつはヴァルアラトスが城主と言ったが、もうひとつは王であるルルアラトスの城で規模は一番大きい。次にシュレルアラトス・グロウリンの城。
 役割は、ルルアラトス城を政治の中枢とした議事堂とすると、シュレルアラトス城は治安を司る警察機構。そして、ヴァルアラトス城はおおよそ研究施設のような様相だった。
 実はこの中で、ヴァルアラトス城が四ツ目族が統治する軍部に対して一番交流が深い。
 三権分立といえる立法、司法、行政がこの中で入り組んで、どうにかバランスを保っているが、正常に機能しているとは言いがたい。
 各城の城主同士の仲が悪いわけではないが、権力争いは目立たないように火花を散らせている。
 なにより、三ツ目族の創始であるヴァルアラトス・グロウリン副王が、王の座に拘らず、曖昧な地位である副王に甘んじているせいで、ユベリア大衆国のバランス感覚が微妙に狂っている。
 今日は三ツ目族の上流社会が集まるパーティ。
 主旨はヴァルアラトス・グロウリン城内にて研究される研究成果の発表会のようなものだ。
 一通りのプログラムが終了した後、テラスに一人出て行ったヴァルアラトスを、警護の目的で付いていく。
「なぜ、ミユナを逃がしたのです?」
 もう一度訊ねる。
 正面には夜の冷たい風にさらされるルルアラトス城とシュレルアラトス城。テラスから見下ろす位置にユベリア宮殿。
 そしてヴァルアラトスの背中。
 皺ひとつない正装に、まるでプラチナのような銀髪。
 ヴァルアラトスが振り返った。
 額に存在する三ツ目の瞳は閉じられたまま。
「私は本当の意味で二ツ目を支配すべきだと考える」
 ヴァルアラトスは静かに口を開く。
「本当の意味……とおっしゃるのは?」
「これは実験だ。ミユナは私に長く仕えた。そのミユナが今、このグロウリン城塞都市を見事に脱出し、外の世界に飛び出したのだ。さて、私の思うとおりミユナが動いてくれるかどうかは正直、想像するしかないが、私はミユナに期待しているんだよ」
「差し支えなければ、ヴァル様のご深慮の一端でもお教え願えれば……」
「私の実験さ。お前はミユナが我々を重篤化する危険人物だと思っているのか?」
「いえ……そんなことは決して……。ですが、二ツ目族が斬首の塔から脱出し、グロウリン城塞都市からも脱出した前例を作ってしまうのは、二ツ目族に不要な希望を与えることにならないかと……」
「ミユナが脱獄し、しかもこのグロウリン城塞都市から逃げ出したという事実に意味があるのだ。決して有り得ないことを実現した二ツ目族の女。私は見逃しはしたが、決して手は貸していないし、ミユナが逃げ出せるように公安に圧力をかけたわけでもない」
「ですが、私には斬首の塔の警備を解けと……」
「斬首の塔より、我が城の警備を強化しろと言ったのだ。まあ、お前に対して屁理屈をこねても仕方がない。とにかくこれは私の実験。始末は私がとる。それに、すでに一人監視役を差し向けた」
「監視役ですか」
「ミユナの行動と、その先の目的を逐一私に知らせる監視役だ。その人間は自然にミユナに接触し、常に行動を共にする。時にはミユナを助けることもあるだろう。信頼関係を結ばせる」
「なぜそこまでなさるのでしょうか」
「重要な実験だ。最初に言ったが、我々は本当の意味で二ツ目族を支配する必要がある。これは急務。これ以上お前に伝えることはない」
 恐縮して頭を下げる。
 これ以上、掘り下げようとすれば自分の首が飛ぶ。
 悟って一歩引く。
 ヴァルアラトスは再びテラスから夜景を眺めた。
 その背中から、ヴァルアラトスの真意を読み取ることは出来ない。
 だが、疑うことは許されない。
 現在は副王という曖昧な地位に甘んじているが、間違いなくカリスマは王を陵ぎ、その気になれば国を支配することなど造作もなくやってのけるだろう。
 国どころか、この世界。
 この惑星を支配しうる資質を持つ男。
 なぜ、研究や実験に没頭し続けるのか。
 きっと訳がある。
 いつかその理由を理解し、本当の意味でヴァルアラトスの傍で彼を支え、力となりたい。
 それが自分の生きる意味だと思った。
 ヴァルアラトスの背後で、黒尽くめの服を纏って一礼する男。
 ヴァルアラトスの周辺を警護する絶対的信頼のおかれた男。
 名をクロスという。

 

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