あっちから変なの出てきた

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第三章 【 ウィンディア編 クユスリ 】


 ――夜。
 屈強な男たちに散々尋問された挙句、犯行を否定し続ける奏を、馬車にある牢へ閉じ込めた。
 まさか、牢屋があるとは。
 窓もない牢屋の中、奏は疲れ切った身体を横たえた。
 隔世に渡って初日に牢屋に閉じ込められるハメになるとは。
 まさにお先真っ暗。
 一体、この先どうなるんだろう。
 疑いは晴らすことができるのか。
 佐々倉想平の姿が浮かぶ。
 彼は助けに来てくれるだろうか。
 いや、来ないだろう。
 リスクを負ってまで、助けるメリットもない人間を助け出そうなんてする人間じゃないのは分かる。
 何の期待も出来ない。
 布団もない床に寝そべり、ため息を漏らす。
 森閑とした暗闇の牢屋の中、奏の腹の虫が鳴いた。
「お腹すいたな」
 ぼやいたところで食事が出てくるわけではない。隔世に渡ってから何も口にしていないことに気づく。
 空腹を感じると、不安感も比例して大きくなった。あの殺されていた男は一体誰だったのか。誰が殺したんだろう。この集落の人間の誰かだろうか。
 空腹なのか、ストレス性の胃痛なのか分からなくなってくる。
 いくら寝そべっていても、疲れているはずの身体は睡魔を呼び込まない。奏は諦めて半身を起こした。
 静か過ぎて耳鳴りがする。
 ユーナ。
 今頃なにをしているのだろう。
 裏切り者として連れ帰られたのだ。
 少しでも早くユーナの元へ行かなければならないのに。
 幾度となく漏れるため息。
「おい」
 声がした。
 どこからか。
 奏は暗闇を見渡す。
「ため息が耳障りで眠れない。やめてくれないか?」
 男の声ではない。
「誰かいるんですか?」
「いいから、黙ってろ。二度とため息をつくな」
 誰だ? 奏は手探りであたりの壁をまさぐる。
「何をやってる?」
「どこにいるんですか?」
「隣の部屋だ。いいから静かにしてくれ。しゃべるな、動くな、息もするな」
「息をしなかったら死んじゃいます」
「そのほうが助かる」
 奏は部屋の壁に通気孔らしいき穴があるのを発見した。
 人が通るには小さすぎたが、どうやらそこから声がする。
 人が居たとは。
 奏は好機とばかりに話しかける。
「俺は奏といいます。あなたは?」
「名前などどうでもいい。私の言ったこと、聞こえなかったのか?」
「僕は記憶を失ってて……。何も分からないんです。良かったらいろいろ教えてもらえませんか?」
「断る。私は眠いんだ」
「お願いです。こんなところに閉じ込められてる場合じゃないんです」
「私の知ったことか。これ以上やかましくするつもりなら殺してやる」
 こ、殺してやるって。
 出来るとは思えないが、彼女の本気が伝わってきた。
 黙るしかない。
 くそ。
 せっかく誰かと会話できるチャンスだと思ったのに、相手は話が出来るような雰囲気ではない。
 本当にどうしたらいいんだ。

 

 ――朝。
 朝だと分かったのは、牢屋の扉の隙間から太陽光らしき光が漏れてきたからだ。
 どれほど眠っただろうか。
 現と夢の間を行ったり来たり。
 身体はひどく衰弱している。
 関節が痛み、動くのが億劫で、ぼんやりと扉の隙間から漏れる光を眺めていた。
 通気孔から、隣の部屋にいるという女性が動き出した気配がした。
「あの……」
 通気孔に向かって、待ってましたと問いかける。
 返事はない。
「昨晩はすみませんでした。よく眠れましたか?」
 返事はない。
 だが、動いている気配はする。
「そっちはどんな部屋なんですか? こっちと同じ牢屋なんですか?」
 返事はなくともめげる訳には行かない。なにも分からない以上、隣の部屋の住人から情報収集するしか奏に出来ることはない。
「どうして牢屋なんかに? どのくらいいるんですか? 食事とか配給されるんでしょうか。もう喉がからからで」
 木漏れ日でぼんやりと部屋の様子が分かってくる。
「定期的に誰かがやってくるんですか? 朝なのに表から音がしないですが」
「いいか」
 返答があった。
 奏はかぶりつくように通気孔に耳を傾ける。
「ここは眷属の力が封印されている。だからたいした力は出せないが、この通気孔を通じてお前を殺すことくらいなら何とかできる。その耳障りなおしゃべりをやめないと、本当にお前を殺すぞ」
 声のトーンに冗談ではない波長が含まれているのが分かる。
 本気だ。
 だが、眷属とはなんだ?
 奏は恐怖で喉が詰まったが、意志の力で恐怖を払いのける。
「眷属とはなんですか? 初めて聞きます」
「初めてだと? 僻地の少数民族だって知ってるぞ」
「俺は記憶を失ってるんです。本当に何も知らなくて」
「そういえば夕べそんなことを言ってやがったな……いや、興味はない。とにかく眷族なしでも、お前くらい殺せるってことだ。分かったな?」
「分かりません」
「なんだと」
 奏のいる部屋。
 やはり牢屋だ。
 通常の木造の部屋の中に鉄格子を張り巡らして、中に幽閉された人間を外に出さないための補強がなされている。
「俺はすべての記憶を失っていますが、ひとつだけ覚えています。それは女性の名前です」
「仕方ないな。本当に殺すか」
 本気だろうか。
 本気でないことを祈るしかない。
「その女性の名前はユーナ。それしか分かりません。ですが、とても大切な人だというのは覚えています。俺はその人を探しています。でも、ここがどこなのか、その人がどこにいるのかも分かりません」
 返事はない。
 奏を殺す準備でも始めたのか。
「その人が今、危機に陥っています。それは分かってます。だから少しでも早く探し出さなくちゃならない。でも、俺には何の力もない。探し出す力も、彼女を救い出す力もない」
 ユーナ。
 ただの挨拶だといって、顔を近づけてきたユーナ。
 ナユタを守るため、必死になっていたユーナ。
 君のために、こんなところまで来てしまった。
 最後の君。
 君は俺が追いかけてくることを望んでいないかもしれない。
 むしろ、迷惑がるかもしれない。
 でも、それならそれでいい。
 一目でもユーナに会い、ユーナが「お前など必要としていない」と、そう声をかけてくれれば俺は安心する。
 でも、もしユーナが今危険な状態にあったら?
 裏切り者として連れ帰られたユーナがひどい目に遭っていたら?
「こんなところにいれられない。ユーナがいまどんな目に遭っているのか。早く俺はここを出なければ」
「……仲間は?」
 返事があった。
 静かな声だ。
「助けてくれる仲間はいません。あなたは? 誰か来てくれないんですか?」
「来ないだろうな。私は行き先を誰にも伝えていない。ここには賞金稼ぎに来たが、旅の仲間も連れてこなかった」
「……どうしてこんなところに?」
「言ったろう。賞金稼ぎだって。こう言っても記憶を失ってるお前には分からないだろうが」
 賞金稼ぎということは、懸賞金のかけられた犯罪人などを捕まえて報酬をもらう職業だということ。
「私はウィンディアを追って居場所を知らせることで賞金を稼ぐ」
「ウィンディア?」
「そんなことも覚えていないのか。ウィンディアとはこの集落のようなやつらのことを言う。政府の迫害や軍隊の徴兵を逃れるため、定住せずに国中を放浪する奴らのことさ。ウィンディアには懸賞金がかけられていて、見つけて報告すれば金になるのさ」
「あなたは二ツ目族ですか?」
「そうだが、それが?」
「それは仲間を売るような行為ではないんですか?」
「ふん、甘いことを言い出すな。二ツ目族にもいろいろいるさ。私のように政府の犬となって、ウィンディアを探し出しては政府に突き出すもの。マーメイドの奴らみたいに盗賊団として人々から略奪を繰り返す奴ら。それに解放軍を組織して政府に逆らう奴ら」
「みんなで協力して、いまの迫害から逃れる手段はないんですか?」
「さあな。でも、いつどんな世の中だって同じさ。搾取する側とされる側。その階層があるだけだろう。私は搾取する側だし、時にはされる側。弱い奴はすべてを奪われ、強い奴は獲得する。それはいつの世だって同じ」
 そんな風に考えたこともなかった。
 平等とか公平とか、そんな言葉が通用しない世界。
 理性とか、倫理とか、ルールとか。
 いままで奏の心のよりどころだった道徳は、ここでは意味を成さない。
「ようやく口数が減ったな。ユーナとかいう想い人も諦めな。どこにいるのか知らないが、この国にいて危険な状態なら、期待するだけ無駄だ。他人のことより自分のことを考える。常識だろ?」
 奏が返事をしなくなったので、彼女も口を利かなくなった。
 いろいろ聞き出そうと思っていたのに。
 すでに奏の精神は重く沈み、言葉が口をついで出てこない。
 分からない。
 なんで隔世はこんなに混乱しているのか。
 こんな状態で、本当にユーナを探し出せるのか。

 

 どれほど経ったのか。
 牢屋の外で人の気配がして、奏はまどろみから目を覚ます。
 現実に戻ってくると、ひどく絶望的な心境は変わらず、奏は静かに頭を抱える。
 扉についている小さな小窓が開く。
 光が入り込んでくる。
「カナデさん」
 小窓から声をかけてきたのは、聞いたことのある声。
「プエラさん」
「静かに聞いてください。本当はここへ来ることを許されていないんです。いま、見張り役が変わる合間に忍び込んできました。時間がありません」
 緊張した小さな声。
「あの男の人、カナデさんが本当に殺したんですか?」
 そんなことを聞きに来たのだろうか。
「俺は殺していない。子供たちに連れて行かれただけなんだ」
「……本当ですか?」
「本当です。俺には何がなんだか分からない。俺はいつまでここに閉じ込められるんですか? 誰が殺したのか、ちゃんと調べてるんでしょうか」
「いえ……。いま、みんなが集まって、あなたの処分を決めているところです」
「処分?」
「たぶん、あなたを連れ込んだ私も罰せられます。でも、私はあなたが人殺しだとは思えなくて……それを確かめたくて来たんです」
「それより、処分ってどういうことですか?」
「……」
 プエラが答えない。
 嫌な予感がする。
「どうして答えてくれないんですか?」
「ご、ごめんなさい。私があなたを連れてきたから」
「そんなことはいいんです。それより、処分とは?」
 やはり答えないプエラ。
「処分ってのは、お前を処刑するってことだよ」
 そう言ったのは、隣の部屋にいる彼女だ。
 振り返って通気孔を見る。
「処刑って……」
 隣の部屋の彼女は「ふん」と鼻で一笑すると言った。
「お前が何をしたか知らないが、この国の人間の恩赦を期待するなよ。親切で慈悲深い人間など存在しない。みんな不安で不安で仕方ないんだ。恐怖におびえて動揺してこそこそ逃げ回る人間ばかり。そんなとき事件が起これば、人々の動揺を抑える手段はただひとつ」
 奏は絶望的な気持ちで彼女の言葉に耳を傾ける。
「動揺を抑えるには、動揺を起こした元凶を消し去るしかない」
 元凶を消し去る。
 要するに奏を処刑する。
「そんな!」
「大丈夫です!」
 奏が取り乱す前に、プエラが声をあげた。
「心配しないで。私が何とかします」
「なんとかするって」
「今はどうしたらいいかわかりませんが、カナデさんがやっていないというのなら、私は信じます。待っていてください。きっと助けに来ます」
 そのとき、人の気配を感じたのか、プエラは押し黙った。
 そのまま何も言わず、牢屋を去っていった。
 処刑?
 殺される?
「よく分かったろう。記憶は戻ったか? そういえば、こんな世の中だったろう。お前が冤罪だろうと何だろうと、人々の動揺や恐怖を鎮める、それだけのためにお前は人柱となるのさ」
 身がすくんで、地面から悪霊が湧き上がってくるようだった。
 これが隔世。
 人々の理性や慈悲に少しも期待してはならない。
「俺はどうしたら……」
「さあな。この牢屋は必要以上に頑丈に出来てる。脱獄は不可能だろうな。諦めて運命を受け入れるか、さっきの女の言葉を信じて待つか」
 助けに来る。
 プエラはそう言った。
 しかし、本当に出来るのか。
「幇助が知られれば、あの女もただじゃすまないな。何だって、お前なんか助けようとするのかね。気が知れない」
 そうだ。
 プエラが危険な目に遭ってしまうかもしれない。
「ここは本当に脱出できないんですか?」
「無理だろうな。眷属も封じられてる。眷族さえ使えればどうにかなるかもしれないが」
 また眷属というキーワード。
「眷属って何ですか?」
「……はあ。まるで異世界から来た奴と話してるみたいだ。眷族も分からないのか?」
 彼女はまさか真実を言い当てているとは思いもしていないだろう。
「眷族って言うのは、簡単に言えば心的世界とこの世のハザマにいる生き物のことさ。属性は獣族に近いと言われている。多種多様な眷族がいるが、二ツ目は眷属と契約して特殊な力を得ることが出来る。ただし、相性があってどんな眷属とも仲良くなれるわけじゃない。汎用的に相性がいいのがトンベルクだ。ほぼ、どんな二ツ目でも契約できる。眷属の奴らは人間の発する特定のエネルギーを欲しがってる。それはなぜか二ツ目に限られていて、三ツ目族や四ツ目族の連中とは契約しない」
「ハザマの世界の生物……」
「普段は目に見えない。ハザマの世界にいるからな。必要なときは召還して力を借りるのさ」
「その眷属はなぜ使えないんですか?」
「封じられてるからさ」
「どうやって?」
「ここの壁に使われてる素材だな。眷属を召還する場合、人が発する独特な波長を眷属が察知して姿を表すわけだが、ある特殊な素材に隔たれていると、ハザマの世界との回線がつながらない」
「要するに携帯電話の電波がつながらない状態か……」
「携帯……なんだ? なんだそれは」
「いえ……。でも、眷属が使えればなぜここから出れるんですか?」
「私の契約している眷族は特殊系でな。世界で数人しか持っていない」
「どんな力ですか?」
「空間移動能力さ」
「空間移動能力ですって?」
「そうだ。ひどく労力を使うし、リスクが高いがな。眷属の案内で心的空間を経由して他の場所に移動できる」
「そんな能力が……」
「制約がある。使えるのは数日から数十日に一回。一度使うと精神エネルギーを消費して、他の能力がしばらく使用できなくなる。移動できる距離にして数キロメートいるといったところ。実のところ、実用的じゃない」
 なるほど。
 見えてきた。
 隔世にはそんな能力があるなんて。
 しかも多種多様だという。他にもいろいろな特色を持つ眷族がいるという。
「いけるかもしれない。あの……もし、眷属を呼び出せるとしたら、俺を助けてくれますか?」
「なに?」
「ここから脱出できるとしたら、あなたは俺を助けてくれますか?」
「……脱出できるならな」
 奏は深い思考に入る。
 立ち上がり、壁に触れてみる。
 つめで削ってみると、表面にあとがつく。
 眷族を抑えるという特殊素材。
 壁となった木材に刷り込まれているのか。
「脱出……できるというのか?」
「分かりません。そっちには窓はありますか?」
「クユスリ」
「はい?」
 クユスリ?
 どういう意味だろう。
「クユスリ・ハインココ。私の名前だ。お前はカナデと言ったか」
「はい。よろしくお願いします」
「改まった挨拶は後だ。脱出できるって? こっちには窓はないぞ」
「他に何かないですか? 何でもいいです。通気孔のようなものがあれば」
「……ないな。お前の部屋に通じる通気孔くらいだ。あとは扉にある小窓。だが、外からしか開けられない」
 クユスリが発する波長を、眷族が受け取れないから呼び出せない。ということは、物理的にはこの空間に眷属が存在すること自体は可能であるということ。
 眷属が入れないような結界があるわけではなく、単純に呼び出すことが出来ないだけなのだ。
「夜を待ちましょう。出来るかどうかわかりませんが、説明します。夜までに準備を」
「本当に可能なんだろうな。私の運命はお前と同じ。脱出できるなら願ったりだ」
「保障は出来ないです。でも、それなりにリスクはありますよ」
「内容によるが、犠牲なしに何かを得られるとも思っていない。話してみろ」
 眷族を呼び出すには、電波の通じる場所まで行けばいい。問題はどうやってその場所まで行くかだが。
「理屈は分かる。確かに眷族は呼び出せないが、この部屋に眷属が存在できないという意味ではない。外から連れ来ることは出来る」
 だが窓も穴もない。外に出て呼び出すことは出来ないし、そもそも外に出れるのなら眷族を呼び出すまでもない。
「方法はひとつ」
 奏では通気孔にむかって話す。
「代理に誰かに外で呼び出してもらうんです」
「代理? ひょっとして、さっきの女か?」
「はい」
 クユスリの失望の大きなため息が聞こえてきた。
「いいか、カナデ。言ってる事は分かった。さっきの女に私の眷属を譲渡して、眷属をあいつに召還してもらうつもりだろうが、さっきも言ったとおり、眷族と契約するには相性がある。私の持っている眷族は世界にも数人しかもっていない。その理由は相性の合う人間が希少だということに他ならない。あの女が適合するなど万にひとつの可能性もない」
「そうじゃないんです」
 言いづらい。
 いま奏は自分が脱出するために人を傷つけようとしている。
「判断するのはクユスリさんです。もし嫌ならやらなくてもいい。僕は自分の運命を受け入れます」
「御託はいい。いいから言ってみろ。なにがそうじゃないんだ? 他にどんな方法があると?」
 自分の目的のために誰かを犠牲にする?
 たった一日足らずでこの世界に染まってしまったのか。
「自分の生体の一部を切り取って、外に持っていくんです」
「生体の一部だと?」
「はい」
「それは……」
 腕、足、どこでもいい。
「眷族を呼び出す波長を帯びたクユスリさんの身体の一部……」
「……なるほどな」
 沈黙が流れる。
 残酷な提案だ。
 俺は、どうかしてしまってる。
「忘れてください。そこまでして脱出する必要があるなんて」
「あるさ。そうしなければ死ぬんだからな。腕一本を引き換えに命が助かるなら儲けものさ。たしかにお前の理屈は理にかなってる。そういえば昔、聞いた事がある。双子の兄弟は眷族を共有できるらしい。それはすなわち、同じ波長さえ持っていれば、自分でない誰かでも眷属を呼び出せるということ。自分の分身である肉体からでも眷族を呼び出せるということ。私の腕に念を込めて、切り出して表に持ち出せば眷族は召還できる」
「待ってください。あくまで最終手段です。まずはプエラさんを待ちましょう。彼女が助けてくれると言ったんです。それに期待しましょう」
「ああ。そうだな。まあ、私はもう覚悟を決めている。いずれにしても脱出できなければ、もう私はその方法で脱出すると決めてしまっている。お前が気に病む必要もない。私自身が嫌ならやらないだけだ」
 奏はひどく落ち込んだ。
 自分がここから脱獄したいために、他人の身体を傷つけようとしている。
 こんなことのために隔世に渡ってきたわけじゃないのに。
 他に方法はないのだろうか。
 考えろ。
 何かあるはずだ。
 誰も傷つけずに、ここから脱出する方法。
 脈絡もなく佐々倉想平の顔が浮かぶ。
 どうか、助けに来てもらえないか。
 可能性は薄い。
 だが、奏がいなくなれば佐々倉想平も隔世で孤独になるはずだ。
 期待するだけ無駄だろうか。
 考えろ。
 誰かの助けを期待している限り、思考は止まってしまう。
 考えにふけるうち、夜になる。
 たいしたアイデアも浮かばないまま、奏は眠りいるような深い深い思考から現実に戻ってきた。
 外ではどうなっているんだろう。
 今頃、奏の処遇が決定した頃だろうか。
 
 
 
 奏が連れて丸一日以上過ぎて、佐々倉想平はいよいよ見捨てようと思い至った。
 おそらく幽閉されたのだろう。
 だから言ったのに。
 他殺体なんかに近づくから、不要な疑いをかけられて幽閉されたりする。やはり自分の判断は間違ってはいない。こんな勝手の分からない世界の人間に近づいてはならないのだ。
 まったく、簡単に予想できそうなものなのに。
 佐々倉想平はこれからのプランを立てる。
 もちろん、プランの中に奏の救出は含まれない。
 日が完全に落ち、人々が寝静まったころ集落に侵入し、食料や旅の役に立ちそうなものを頂戴する。
 情報はまったくないが、丸一日隔世にいた印象では物理法則は現世と変わらないらしい。
 ならばサバイバル経験のある佐々倉想平には生き抜く自信があった。
 後は人々が集まるような町を見つけ出し、少しずつ慎重に情報収集し、現世に帰る方法を探し出す。
 時間はないが、過去、隔世から現世に渡ってきた人外で数年生きた者がいる。単純にそうとは限らないが、奏のような情力に恵まれない人間よりは恵まれた力を持つ佐々倉想平は長生きするだろうと思われた。
 佐々倉想平は木の上から集落の様子を観察し続ける。
 今は集落の中央に焚かれた焚き火を囲んだ人外たちが、なにやら集会を行っている。
 見える限り七、八十人近い人外がいる。
 そいつらが馬車の中に入って明かりが消えたら行動開始だ。
 馬車の外には干し肉、干し魚が見えたし、即席の給水所のようなものも見える。
 また、物置場のようなテントは、夜になると誰も近づかないことは昨晩に確認した。
 森の凶暴な動物たちも、そのほとんどが夜行性のようだ。
 必要なものを頂戴したら木の上で朝を待ち、日の出と同時にこの場とおさらばする。
 ほぼ、何の問題もない計画。
 奏の馬鹿とは違う。この冷静沈着な判断力と洞察力。観察力に決断力。
 そして順応力。
 馬鹿が多いとそれだけで何もせず世界が見渡せるようになる。
 佐々倉想平は優越感にぞくそくしながら、そのときを待った。

 

「カナデさん……」
 黒一色の視界の中、どこからか声がした。
 それが眠りの中からなのか、現実の声なのか、判別できないまま目を開ける。
 自分が今、眠っていたのか覚醒していたのかも曖昧な暗闇。
 暗闇は侵食するものなのだ。
 普段、陽に当てられ、充分に光を吸い込んだ身体は、暗闇に長時間浸ることで徐々にどす黒いタール状のものが身体に侵食してくる。
 闇と一部になるのは戦うより易く、まるで母の胎内のような安らぎを覚える。
 見えない。
 本来閉塞であるその暗闇が。
 むしろ見えない、見られないことの開放感のように感じられ。
 見えなければ醜い容姿も、身にまとう服も、何もかも関係なく。
 平等と公平を与える暗闇が愛おしくなる。
「カナデさん……」
 押し殺すような声。
 まるで奏の自由と空間を犯すような声。
 ああ、精神が刺々しくなる。
 自分の目的は一体なんだったのか。
「プエラさん」
 ようやく声を出す。
「良かった……。私です。プエラです」
「プエラさん、ありがとう、来てくれて」
 でも、ここから解放してくれるとしたら、まず声をかけるより扉を開くだろう。おそらく、プエラはここに謝りに来たのだ。
「いま、旅団の人たちは集会を開いています。その隙に来ました。体調は大丈夫ですか? 水と食料を持ってきました」
「ありがとう」
 ありがとう。その返事に心がこもっていないのは自分でも良く分かる。
 奏は横たえていた身体を起こす。
「プエラさん、いいんです。その扉は開けられなかった。そうなんですよね。でも、プエラさんが気に病む必要はない」
「ごっ、ごめんなさい。わたし、どうにかしようと思ったんですけど……鍵のある場所は厳重に見張られていて」
 やっぱり駄目なのか。
 この会話、クユスリは聞いているだろうか。
「プエラさん。ひとつだけお願いがあります。その扉を開けてくれなくてもいい」
「なんでしょう。私で出来ることなら」
 奏は隣の部屋に通じる通気孔を見た。
 実際には見えない。
 クユスリは起きているか。
 どんな人なのだろうか。
 口調は厳しいが、声は女性のそれ。
 美しいか、勇ましいかなど興味はない。
 プエラは腰まである美しい紅色の髪を編んでいる。
 立ち姿が女性らしく、奏はとても好感を持っていた。
 優しく、子供たちに愛される。
 いつ見ても、彼女の特徴は紅く長い髪。
 長い……。
「髪の毛も生体か……」
 奏がつぶやくと、クユスリの声がした。
「今しかないな。私は覚悟を決めている。だが、いかんせん腕を切り落とす道具がない」
「腕を切り落とす?」
 プエラが不審そうな声を出す。
「プエラさん、ちょっとそこで待っててください」
 奏は通気孔に踏みよる。
「クユスリさんは女性ですよね」
「……確かにそうだが、いまさらそれが何の関係がある」
「女性なら、ひょっとして髪を伸ばしてますか?」
「髪?」
 勇ましく男性のような印象のクユスリ。
 あるいは髪など刈り取っているかもしれない。
「……なるほどな。思いつかなかった。確かに髪なら生体の一部だ」
 クユスリはくすくすと笑った。
 その聞こえてきた笑い声が、とても女性らしく思えた。
「お前、面白い奴だな、カナデ。それに運よく私は長髪だ。下げればかかとまである髪をひとつに束ねている」
「それを使えば……でも、女性の髪は大切な……」
「髪と片腕、天秤にかけるまでもない。それに、髪ならどうにか切れるしな」
 そう言った直後、ざくり、と音が聞こえた。
 髪を切ったのか?
「切った髪を、その女に渡せばいいわけだ」
「もう切ったんですか?」
「腕に比べれば躊躇も感じない」
 奏は扉に近づいた。
「プエラさん、まだいますか?」
「はい、います。ですが、早く戻らないと」
「お願いがあります。俺のいる牢の隣に、クユスリという女性が幽閉されています。その人から髪を受け取ってもらえないですか?」
「髪を? 受け取って一体何を」
「髪を受け取り、表に持っていってください。そして、それをまたここに持ち帰ってクユスリさんに渡してください」
「髪を表に? また持って帰ってくる?」
 戸惑っているようだ。
 それもどうだろう。そのことに何の意味があるのか、プエラには想像もついていない。
「それだけでいいんです。やってもらえませんか?」
「……別にかまいませんが……」
「それじゃ、隣の牢の小窓から髪を受け取ってください」
 プエラが立ち上がり、隣の牢まで移動する気配。
 プエラとクユスリとの間に会話はなかったようだが、確かに髪を受け取ったようだ。
「これをいったん外へもって行き、すぐに戻ってくればいいんですね?」
「はい、お願いします」
 プエラは慎重に足音を殺しながら表に出ていった。
「うまくいくと思うか?」
 プエラの気配が完全になくなってからクユスリが声をかけてきた。
「正直、分かりません。俺は眷族のこと何も知らないし」
「何も知らないわりに、よく思いつくじゃないか。ひょっとしてお前、記憶を失う前はそれなりの眷属使いだったんじゃないのか?」
 それはありえない。
 説明は出来ないが。
「それに、なぜちゃんとプエラに事情を話さなかったんだ? 説明すればあんなに戸惑うこともなかっただろう」
「……それは」
 奏は言いよどむ。
 それは。
 ひどく自己嫌悪を伴う答えだ。
 甘い夢物語からさめたようだ。
「へえ、そうか。お前、疑ってるのか、あの女のこと」
「疑ってるわけじゃありません」
「ならなぜ説明しなかった? お前の中に少しだけ猜疑心が生まれたんだろう。あの女、ひょっとして最初からお前を助けるつもりなどなくて、ここには監視役としてやってきていた、そう思ったんじゃないのか? こういう考えもある。プエラは確かに『きっと助けるから待ってて』と言った。これは逆に言えば、助けを期待した奏がもう一度プエラが来るまでは絶対に脱出を試みないための魔法をかけた、とも考えられる」
 奏は答えなかった。
 この暗闇のせいだと思った。
 プエラはとても優しい人なのに。
 子供たちから愛される純粋な人なのに。
 この心の中にある猜疑心の正体が分からない。
「危険な兆候だな。お前は次にこう考えるようになるだろう。となりの牢屋にいるクユスリという女。そもそもこいつも怪しい。こいつも自分を幽閉しておくための見張りじゃないのか。そうやって疑い始めたらきりがないぞ」
「クユスリさんを疑ってはいません」
「まあ、口では何とでも言えるけどな」
「そんなこと……」
 ないと言い切れるか。
 何か起こってる。
 自分に何か、異変が起こってる。
 隔世の空気が、瘴気が、自分の精神を冒して改造しようとしているのではないか。
「要するにお前は、失ってる記憶の中で、ひどく裏切られたことがあるんだよ。おまえ自身は覚えていないが、感情っていうやつはそうもいかない。お前は覚えていないが、近い過去にひどい裏切りにあい、人間不信に陥っているのさ。人はめげたり、逃げ出そうとするとき、何かに責任を押し付けたがるもの。お前はうんざりしてるのさ。今の状況に。だから人を疑る」
 人間不信に陥っている。
 覚えていないが、ひどい裏切りにあっている。
 今の状況にうんざりしている。
 きっと、信じ切れていないんだ。
 いま、確かな目的があるはずなのに。
 再び出会ったとき、以前と同じように笑いかけてくれる自信がない。
 もう奏など忘れ、隔世で今までと同じように暮らしている。
 そんな気がしてならない。
「とりあえず、ここを出ることだけ考えろ。光のない世界は負の感情を増幅させる。とにかくお日様を浴びれば気分も晴れるだろう。今は脱出に集中しろ」
 クユスリの言葉は的を射ていたか射ていないか、そんな問題はどうでもよく、少しだけ奏でを前向きにさせた。
 他殺体を見て、疑いをかけられ、挙句の果てには処刑されると言う。
 精神状態が不安定になっている。
 気持ちを強く持たなければならない。
「この気配……」
 クユスリの声。
「ふふ、そうか。まったくたいしたもんだ。私はここに閉じ込められて、半分諦めていたんだけどな。脱出できるとしたら、処刑するために表に出されるその一瞬だけかと思ってた。まさか、こんな方法があるとは」
 そのとき、扉を叩く音がした。
「カナデさん。言われたとおり、戻ってきました。どうしたらいいでしょうか」
 押し殺した戸惑った声。
 プエラが戻ってきた。
 なぜプエラを怪しんだりしたんだろう。
「プエラさん、髪の束は持ってますか?」
「はい。これはひょっとして、何らかの眷属……」
 扉越しで、プエラが見ているものを奏は見ることが出来ないが、さすが眷属が常識の世界。プエラには分かっているようだ。
「それを隣の部屋のクユスリさんに渡してください」
「渡せばいいんですね」
 成功か。
 プエラは嘘をついていたりしないだろうか。
 また猜疑心。
「確かに受け取ったぞ、カナデ」
 通気孔からクユスリの声。
「あっ」
 プエラの短い声。
 奏にはすべてが見えていない。
 何が起こったのか。
「プエラさん、どうなったんですか?」
「わ、分かりません。室内が光ったように見えたんですが」
 光った。
 眷属を使用して、空間移動を果たしたのか。
 ならば、もう隣の牢にクユスリはいないことになる。
 さて。
 奏にはもうひとつの懸念があった。
 それは、クユスリはわざわざリスクを犯してまで、奏を逃がすためにここへ戻ってくるのだろうか、という懸念。
 奏など見捨てて逃げる確率が高い。
 それは想像していた結末。
 所詮、他力本願である発想。
 たとえクユスリが助けに戻ってこなくても、恨んだりしない。
 だいいち、奏はなにもしていない。
「一体……」
 プエラの声。
「プエラさん。もう俺のことは気にしないでください。こんなところに何度も出入りしてたらプエラさんも疑われます」
 プエラは何も答えない。
 だが、扉の向こうにはプエラは存在し続けている。
 しばらくの沈黙の後、プエラは言った。
「私に何かできることはないでしょうか」
 ここから逃がして欲しい。
 それが叶わないのなら、もうプエラにリスクを犯して欲しくない。
 だけど、本当のことを言うとものすごく心細かった。
 いつまでも扉の向こうにいて、傍に付き添っていて欲しかった。
 最後のときまで優しいあなたに。
「プエラさんは子供たちの先生でしたよね」
「はい。面目上ですが。母親代わりにはなれないので、子供たちにはそう呼んで貰ってます。だから、出来るかぎり先生になりきっています」
「なりきってるんですか?」
「私、本当の先生ではありません。ウィンディアになるまで普通の農婦でした。あの子達に先生と呼ばせているのは、私に自信がなかったから」
「母親と呼ばせる自信が、ですか?」
「ええ。実はあの子達、みんな孤児なんです。旅をするうちに幾人もの孤児を見つけました。政府の人間に両親を殺された子、軍隊に父親を奪われた子、さまざまな理由であの子達は一人でした。私は放って置けなくて。旅団の人たちに無理を言って子供たちをつれてきたんです」
 なんてことだろう。
 あの子たちにはそれぞれこの旅団の中に両親がいるわけではなかったのか。
 旅の途中、路頭に迷っている子供たちをプエラが救い出したのだ。
「一人で子供たちの面倒を見てるんですか?」
「はい。もともと子供を拾うなんてみんな大反対なんです。馬車に乗れる人数は限られていますし、子供は働き手にならないし、食料の問題も大きいです。それに騒ぎまわってよく目立ってしまいますから、政府や軍隊の影も怖い。だから、みんな反対なんです」
 すごい人だと思った。
 おしとやかで、いつも何かに怯えているように見えるのに。
 愛に満ちている。
 奏は立ち上がって扉に踏みよった。
「俺は何も出来ませんがプエラさんに賛成です。とても尊敬します。ひどい世の中なのに、あなたのような人が沢山いれば、きっと子供たちはみんなは優しく育って、世の中を良くしてくれます」
「……ありがとうございます。なんか、私が励まされてしまいました。そんなつもりで来たんじゃないのに」
「もういいんです。俺は俺の目的のために、誰かを犠牲にしたくない」
「まったく、甘っちょろいな。今までよく生きて来れたものだ」
 そう言ったのはプエラではなかった。
「クユスリさん」
「遅くなったな。戻ってきても牢の扉を開けなくちゃならないから、道具を探してた」
「道具?」
「錠前破りは私の十八番さ。自己紹介してなかったか? 私はマーメイド盗賊団、錠前破りのクユスリとは私のことさ」
 そんな通称は知らないが、クユスリは瞬く間に鍵を開けて、牢を開けた。
 牢を開けた向こう側は暗闇だったが、それでもクユスリの輪郭は見て取れた。
「ありがとう、クユスリさん」
「何を言ってる。礼を言うのはこちらのほうだ。ただし、早めに立ち去ることだな。私は空間移動のおかげでしばらく能力が使えない。これ以上私に期待するなよ」
 奏は立ち上がった。
 身体が鉛のように重かった。
 クユスリに踏みよると、ぼんやりと風貌が見えてくる。
「いきましょう」
 奏はプエラを見た。
「プエラさんもありがとう。勇気付けてくれて。プエラさんの子供たちはきっと大きくなったらプエラさんに感謝すると思います。きっとプエラさん守ってくれるような強い大人に……」
「いいから行くぞ。森の外まで案内してやる」
「はい。それじゃ、プエラさん」
 プエラは数歩、奏に踏みよる。
「元気で……」
「プエラさんも元気で」
 良かった。
 隔世に渡ってきて、最初にプエラのような人と出会えて。
 もし、自分が隔世の住人であれば、無条件にここに留まり、プエラを支え続けてあげたいと決意したことだろう。
 クユスリが痺れを切らして歩き出してしまったので、奏は笑顔ひとつ残して、慌ててクユスリを追った。

 

「連中は広場で集会をしている。数人が集落の周囲を見張っているが、ザル同然だ。逃げるのはたやすい」
 周囲に注意しながら、馬車の陰を歩く。
 馬車をはさんだ反対側では焚き火を中心に集会が開かれており、会話も聞こえてくる。
「集落を出たらお別れだ。だが、お前さえ良ければ一緒についてくるか?」
「ついていくって……」
「当然、私の帰る場所はマーメイド盗賊団」
 そうだ。
 クユスリは言っていた。
 自分は賞金稼ぎ。
 盗賊団に所属している賞金稼ぎ。
 当然、このウィンディアと呼ばれる集落に、政府の弾圧を逃れ、徴兵を逃れている者たちがいることを密告するはずだ。
 馬車の暗がりに身を潜め、周囲の状況をうかがっているクユスリ。集落の周囲を見回りしている人間の気配を探っているのだろう。
 その背中に向かって声をかけた。
「クユスリさん、あの……」
「お前の言いたいことは分かる。しかし、これも摂理だ。私は私のやり方でしか生きてはいけない。この集落のことは政府に知らせる」
「でも、プエラさんのような人や子供たちがいるんです」
 そのとき、見張りらしき人影が森の中を横切った。
 クユスリと奏は緊張して口をつぐむ。
 人影が通り過ぎた頃、クユスリが押し殺したような声で言った。
「国に税を納める。国を守るために従軍する。これはこの国に生きている以上、絶対の義務だ。二ツ目は確かに虐げられているかもしれないが、それでも三ツ目や四ツ目の脅威に、諸外国はユベリアに攻め込んだりはしてこない。もし、この国が他国の侵略を許すようなら、世の中は今以上に混沌とするだろう。それを守っているのは確かに政府だし、軍隊だ。税や徴兵を拒むものはこの国に生きる資格はない。そうは思わないか。あいつらは罪人なんだよ。あいつらもそれを自覚している」
 反論する言葉を持たない。
 なんていい返してよいのか分からない。
「それでも、プエラさんが悲しんだり、苦しんだりするのを見たくない」
 奏でがそういうと、クユスリがため息を漏らして振り返った。
「やっぱりお前は連れていかない。お前はマーメイド盗賊団では生きていけないな。いや、盗賊団どころかお前のような甘ったれた奴はそのうちどこかでのたれ死ぬのがオチだ」
 思考が続かない。
 何が正しいなんて、奏の十六年の人生経験では答えをつむぎだすことなんて出来ない。
 感情的な奏の言葉など、きっとことごとく一笑に付されてしまうだろう。
 奏の精神は再び深く沈んでいった。
 沈黙が生まれると、旅団の集会の会話が聞こえてきた。
「昨日の殺された人間の正体が分かった」
 正体?
 奏は瞬時に会話へと引き込まれる。
 おそらく、集会の取り纏め役の男が、皆に聞こえるように大きな声をあげている。
「あれは帝国の人間だ」
 男が満を持してそう言ったとき、集会が騒然となった。
 どよめきが地面を伝わって奏たちのところまで伝わってくると、普通ではない雰囲気にクユスリも注意を向けた。
「どうして帝国の人間が殺されたんだ!」
 誰かが声を上げると、次々に人々が思い思いに声を上げ始める。
「帝国だと……」
 クユスリの呟きが聞こえてきた。
「知ってるんですか?」
 たずねると、クユスリは言いよどんで顔をそむけた。
 集会から取り纏め役の怒鳴り声が聞こえてくる。
「落ち着いてくれ! 殺されたのは定期的に旅団にやってくる男で、ディディックという男だ」
「なぜ殺されたんだ!」
「分からない。だが、聞いてくれ。落ち着いて聞いてくれ。取り乱したりしないで、騒いだりもしないで聞いてくれ」
 何か重要なことを言おうとしている。
 取り纏め役の男は、群集が静まるのを口を閉ざしながら辛抱強く待った。
 奏はクユスリにもう一度たずねる。
「帝国とは何ですか?」
「聞くな。この国にとって帝国の二文字は最大の禁句だ。知っている人間も少ない。せっかく記憶を失ってるんだ。綺麗さっぱり忘れろ」
 そんなことを言われては深く記憶に刻まれてしまう。
 群衆が徐々に静まりだした。
 完全に静まった頃、取り纏め役の男が言った。
「殺害に使ったのは包丁だ。三番車の台所にあったはずの包丁」
 誰かが何かを言ったようだが、続きを聞こうと、ざわめきは収束していく。
「三番車の主任はカリルエだったな」
 カリルエと呼ばれた男が声を上げた。
「なぜうちの包丁が?」
「それについて、目撃証言があった。昨日の昼間、包丁を持ち出した人間がいる。もう、誰なのかはわかってる」
 それは誰だ、と群集が再び騒ぎ出す。
 犯人は奏だ、という雰囲気ではなくなっている。
 クユスリが小声で耳打ちする。
「どうやら、お前は逃げ出さなくとも疑いは晴れたような」
 奏は答えない。
 集会の会話に聞き入っていたからだ。
「いいか、これは帝国の人間を殺したのが、我々の集落の人間だと言うことだ。これからどうしたらいいか、みんな分かってるな?」
 問いかけたが、答えは返ってこなかった。
 どうするつもりなのか。
「帝国の人間を殺したと知られれば、われわれは滅ぼされかねない。そこで提案がある。定期的にやってくる帝国の人間が戻ってこなければ、いずれ代わりの帝国の人間がここにやってくるだろう。一ツ目の選択肢としては、帝国の人間がやってくる前にここを離れる」
「無理だ! そんなことをしたっていつか見つかる!」
「そのとおりだ。帝国から逃げられるとは思えない。むしろ逃げるのはもっとも愚かな選択だ」
 じゃあ、どうする?
 どうやら帝国とは、とても恐れられているようだ。
 一体、帝国とはなんだ。
「これから俺が言うのは、あくまで提案だ。だから、決定は全員でする。いいな?」
 奏から集会に参加する人々の様子はうかがえない。だが、みんな取り纏め役の男の言葉に賛同したようだ。
「ディディックを殺した犯人を帝国の人間に引き渡し、事情を説明するしかない。これは我々の一存で起こった事件ではない。犯人一人が勝手に暴走した結果」
 一人を犠牲にして、みんなを守る。
 そう言っている。
「一体、犯人は誰なんだ。包丁を持ち出した奴は誰だ」
「今から名前を言う。だが、繰り返し言うが、その人間を生きて帝国に引き渡さなければならない。怒りに任せて取り返しのつかない真似はするなよ」
「いいから教えろ!」
 群集のフランストレーションが限界に達した頃、取り纏め役の男は静かに、だが良く通る声で言った。
「プエラ・クルフルト。彼女が包丁を持ち出すのを数人が目撃している」
「プエラが!?」
 そう声を上げたのは奏だった。
 慌てたクユスリが唇に人差し指を当てる。
 奏の声は、それ以上の群集のどよめきにかき消されたようだ。
「まさか、彼女が」
 奏は呆然とクユスリを見る。
 見られても答えを知っているわけではないクユスリは肩をすくめる。
 何かの間違いだ。
 そう思うし、事実、プエラがやった犯行ではない。そう断言できる。だが、群衆の中にそうやって主張する者はいなかったし、いま奏が「プエラじゃない」としゃしゃり出るわけにもいかなかった。
「私たちの問題じゃない」
 クユスリがそう言った。
 たまらなくなり、すがるように奏は訴える。
「このままじゃ、プエラさんが……!」
「どうにかなったとして、お前に何か出来るのか。何かしでかすのは勝手だが、助けてもらった恩がある以上、助言してやる。さっきも言ったが、何か事件が起これば、混乱をいさめるための人柱が必要になる。その人柱が天使であろうと悪魔であろうと関係ない。プエラが人を殺したのか、殺していないのかと言う問題ではない。重要なのは『必要な犠牲』が誰なのか。その犠牲を決定するきっかけは何でもいい。お前が今出て行って、正論を唱えようと無意味。お前は異論者として捕らえられ、巻き添えを食って命を失うだけだ」
 なんて絶望的な理屈だろうか。
 これが隔世だというのか。
「クユスリさん、すみませんが先に行ってください」
 奏がそういうと、クユスリは心底失望したようにため息を漏らした。
「勝手にすればいい。この先、もう私に期待するなよ。逃げ出すアイデアをくれた事には感謝するが、この先はもう赤の他人だ」
「分かってます」
 クユスリはもう何も言わなかった。
 奏も何も言わず、別れの言葉もないままクユスリに背を向けた。
 奏はプエラが人を殺したなど、どうしても思えない。
 もし、他に犯人がいて、陰に潜んでせせら笑っているのなら、それが許せない。
 プエラは人柱なんかになるような人間じゃない。
 奏は周囲の気配に木を配りながら、ある馬車にたどり着く。
 ここが、問題の三番車である。
 だからとって、犯人の残した痕跡を探しに来たわけではない。
 この三番車には昨日の日中にプエラと訪れた。
 いま、馬車の中は明かりが落とされていたが、人の気配はなかった。
 いや、馬車の一階部分のホールには無数のベッドがあり、そこに子供たちが寝息を立てているのが見えた。
 ここはプエラと子供たちが住む馬車。
 子供たちを起こさないように忍び足で進入する。
 目的は子供たちではない。
 二階への階段を見つけ、慎重に階段を登る。
 一番奥の木製扉。
 そこにいるはず。
 あるいは集会に参加していれば留守かもしれない。
 奏は扉の前に立つ。
 少しの物音も立てないように。
「待っていたよ、カナデ。どうぞ入って」
 室内からルウディの声がした。
 奏はまだ扉を開けていなかった。
 呆然と暗闇の廊下に立ち尽くす。
 あるいは幻聴かと思った。
 奏は完全に気配を消していたし、物音も立てなかった。
 なのに、なぜ室内にいるルウディは、扉を隔てて忍び寄る奏に気づいたのだろうか。
「どうした? 遠慮なく入ってきていいよ」
 再びルウディの声。
 間違いない。
 気づいている。
 奏はドアノブに手を回し、ゆっくり扉を引いた。
 室内から明かりが漏れる。
 そこにはまるで、奏の来訪をあらかじめ知っていたかのように椅子に座ってこちらを見るルウディがいた。
 室内を注意深く見回している奏に向かって「ここには僕だけしかいないよ」と静かな声を出す。
「言ったじゃないか。君はまたここに来るって」
「……あてずっぽうだろ」
「さて、それはこれから理解すればいいさ。用があってきたんだろう。歓迎するよ。どうぞ腰掛けて」
 奏は警戒心を解かないまま、椅子に座ってルウディと向き合う。
 ルウディは相変わらず薄っぺらな笑みを浮かべて、青い瞳を奏に向けている。
 奏が何もいわないでいると、ルウディが先に口を開いた。
「ディディックを殺した犯人は誰か。それを聞きにきたんだね」
 背筋が凍りつく思いだった。
 だが、平静を取り繕った。
 動揺してはならない。こんなとき、来訪するくらいだから、奏の考えなど少し頭が良ければ想像がつくだろう。
「犯人を知っているのか?」
「まあね」
 本当だろうか。
「いま、プエラが犯人じゃないかと疑われてる。でも俺はプエラが人を殺すなんて信じない」
「信じる信じないは自由だけど、プエラが絶対に人を殺さないなんてどうして言い切れる?」
「あんな優しい人が人を殺せるものか」
「なぜ? もし、もしだよ。ディディックと言う男が、実は幼児趣味の最低な男だったとする。そのディディックがプエラの大切な子供たちを性欲の解消のために襲おうとしていたら? 彼女が一番大切なのは自分の命じゃない。子供たちが一番大切だ。そうは思わないか?」
「極論で話し合ったって仕方ないじゃないか。犯人を知っているのなら教えてくれ。ディディックと言う男を殺したのは誰?」
「それを知ってどうする? とても無意味なことだよ」
 もうその理屈は聞いた。
 そうだとしても真犯人が別にいるなら、俺は……。
「この事件を丸く治めるには、どうしても誰かの犠牲が必要だ。真犯人がプエラであろうと、なかろうと結果は何も変わらない。真実が未来を変えると思ったら間違いだよ」
「それでも知る必要があるんだ」
 ルウディがよりいっそう不適に笑った。
「だから無意味だよ。君はきっと自分を信じるからだ。ここで僕が『プエラは犯人じゃない』と言ったとする。すると君はプエラをどうにか助けようと決心する。だが僕が『プエラが犯人だ』と答えても、君は僕の言葉を信じず、やはりプエラを救おうとする」
「いいから、犯人を教えろと言っているんだ」
「君は自分が行動するきっかけが欲しいだけ。僕の言葉がどんな内容であれ、君はプエラを救おうとするだろう。僕が答えを教えたって何も変わりはしない」
 のらりくらりと論点をずらされている気がして、奏は苛立った。
「本当にルウディは知っているのか? 知らないと告白できなくて、必死に言い訳してるように見える」
 攻撃的な口調だった。
 だが、ルウディにうろたえる様子はない。
 むしろ心地よさそうにくすくすと笑う。
「僕は何でも知ってるよ。すべてを知ってる。だけど、だからこそ僕は世界に対して第三者でなければならない」
 もう妙な理屈は聞き飽きた。
 奏は心底目の前の男が嫌いになった。
「分かったよ。ルウディのいうとおり、俺はプエラが犯人だと言われようとなんだろうと、絶対にプエラを助ける」
「なるほど。いい決意だね。じゃあ、いつまでもはぐらかしているのも失礼だから、ひとつだけ教えよう」
 そう言いながらも、曖昧な言い方をするのだろう。
 そう思った。
 ところがルウディは貼り付けていた不敵な笑みをはがして真顔になると、妙に戦慄を覚える暗い目をした。
 ルウディは人差し指を立て、奏を呪うかのように指差した。
「残念だが、君はプエラを救えない」
 救えない?
 何を根拠に。
「どうあがいても、絶対にね。それが定められた未来。それは変えられない」
 ルウディは再び薄ら笑う。
 奏はルウディに詰め寄るようにいった。
「絶対なんてない。やってみなくちゃわからない」
「僕には分かる。プエラは救えない」
 ただの意地の悪い人間だ。
 もうルウディとは話をしたくない。
 心底そう思っているが、おそらくこの集落で安全に会話できるのはルウディ一人。
 ほかの人間に捕まれば、問答無用に捕らえられるだろう。
「まあ、夜は長い。行く場所がないならここに隠れているといいよ。僕はかまわないし。聞きたいことがあれば、いつでも聞くよ」
 一緒にいたくなどなかったし、一刻も早くこの顔の見えないところに行きたかったが、確かにいく場所がない。
「それじゃあ、帝国とは? 集落の人たちが話していたんだ」
「帝国か。略すことなくいえば、帝国旅団のこと。ウィンディア同様、旅をする大型の旅団だ」
「どんな人間の集まりなんだ。みんな恐々としてるのは感じた」
「恐々とする集団さ。だが、知らないほうがいい。帝国旅団を知ろうとする行為は、人の心の暗闇を覗く行為に似てる。絶望したくなかったら忘れることだ」
 クユスリと同じようなことをいう。
 結局は何も教えてくれない。
 奏は頭を整理する必要があった。
 これからどうすればいいのか。
 どうやったらプエラの無実を晴らし、真犯人を見つけることが出来るのか。
 いまはプエラ本人と話をしたかったが、その方法すら思いつかない。
 プエラが犯人扱いされ、人柱にされたとき、一体子供たちにどんな絶望が訪れるのか。
 絶対に犠牲などになってはならない。
 子供たちの優しい先生でなければならない。
「プエラはこの後どうなる?」
「僕のことを疑ってるくせに、尋ねるんだね」
 疑っているからこそ尋ねている。そういう言い方をしたらただの屁理屈になる。
「知ってるなら教えて欲しい」
「もちろん知ってる。とりあえず、今頃はもう身柄を拘束されて、牢に入れられている。彼女も眷族を持ってるからね。封じる必要がある。入れられたのは君のいた牢だよ。君の脱出も知られているが、もはや問題視されてない。だが、君とクユスリが逃げ出したせいで牢の見張りは今後厳重になる」
「でも、会いに行かなくちゃいけない。どうやったら……」
 今度は独り言だった。
 重要な人柱であるなら、絶対に逃がさないように、二十四時間体制の見張りがつくだろう。
 それを掻い潜って会いに行くにはどうしたら。
「帝国旅団の人間が次に来るのはいつになるんだ?」
「僕の言うことを信じるのかい?」
「当たったら信じるよ」
「ふうん。まあ、君との会話は楽しいし、特別に教えよう。帝国旅団が次に来るのは明日の夜。二人でくる」
「たった二人?」
「そう。たった二人。男女のコンビでやってくる」
 そんなに時間はない。
 だが、ルウディの言っていることは本当に真実なのか。
「君を信じるために、ひとつお願いがあるんだ」
「へえ、お願いか。承知したよ。そのお願い、叶えてあげよう」
「いいのか? どんなお願いするのか聞かなくても」
「君はごくごく近い未来。数秒後、数分後に起こる未来を、僕に言い当てろと言おうとしている。僕が未来を知っているのか確認するのに一番手っ取り早い方法だ」
 当たっている。
 そして、奏がお願いするよりも早く、ルウディは未来を言い当て、それを説明したことになる。
 本当なのか。
「心が読めるのか?」
「もちろん、心も読めるし出来事も予測できる。僕はすべてを知っている」
 すべて、と言うのが胡散臭いのだ。
 この世のすべてを知る人間などありえない。
「それなら、ルウディは僕の過去も知っているということになる」
「もちろん。君がすっかり忘れているようなこともすべてね」
「なら、僕の失っている記憶を知ってるということになるよね」
「そのことなら、昨日話したね。君は記憶を失っているんじゃない。もともと記憶するような過去がないんだ」
 また頭の痛くなる理屈。
 ――君は異世界からハザマの世界を渡ってきた異邦人だ。
 そう言ってくれれば、すぐにでも信じられるのだが。
「ルウディ、君は何も知らないし、分かってない。すべてを知っていて、すべての仕組みを理解してるのなら、未来を変えることが出来るはず」
「まったく逆さ。すべてを知ってるから何も変えられないんだよ。そして、すべてのことを知る者の宿命は、すべてのことに干渉できないと言うこと。知れば関われず、知らねば関われない。不条理だが、未来とは夢も希望もない混沌さ」
 油断すると心がルウディの理屈に取り込まれそうになる。
 ルウディは沢山の言葉をつむぎだすが、いずれも意味のないことばかり。
 なにも核心的なことは言わないし、ハンドルの壊れた自動車のように道なりにしか進まない。
「すべてを知っているということは、全能であるように思えるが実は、何も出来なくなってしまうということ同意義なんだよ。たとえば僕に、絶対に誰にも壊すことのできない鎧を作れと誰かが言う。僕はすべてを知っているのだから、どんなものにも壊されない鎧を作ることが出来る。しかし、他の誰かは言う。何でも壊すことの出来る剣を作れと。絶対に壊せない鎧と、なんでも壊せる剣。どちらかを作れば、どちらかが失われる。結局はどちらも作れないと言うことになる。絶対にね。すべての理を知るということは、すべてのことが実現できないと理解する行為」
 二者択一とは愚者に許された救いのようなもの。
 選択肢など神が与えたまぼろし。
 より一方に傾くことはない。
 実は変わらぬ未来。
 容量は定められており、減ることはあっても増えることはない。
 減れば他で補填。増やそうとすれば奪われる。
 それが神だと言っている。
 バランスと秩序。
 そのために神が定めた絶対的ルール。
 さいころを三回振れば、同じ目が三回出ることがあるだろうが、千回振れば一から六までの振り目は大体同じ確率で出現する。
 一万回、一億回、回数が増えれば増えるほど結果はより、平坦に近づいていく。
 時の流れ同様、その場ではいい目を出せたとしても、時が流れていくうち、流れというものに淘汰され、あらかじめ予定されていた結末へと近づいていく。
 そして、あらかじめ用意されていない七以上の目は絶対に出すことが出来ない。
 ーールールは破れないのか。
「そろそろ僕のこと、信じ始めたでしょ」
 ルウディがいたずらっぽくいった。
 実のところ、信じ始めてなどいなかった。
 ルウディが何でも知っている占い師、という箇所においては。
 だが、ルウディがつむぎだす理屈には重要な部分が隠されている気がしてるのは確かである。
「ルウディは誰の味方?」
 尋ねると、ルウディは少々驚いた顔をした。
「面白い質問をするね」
「どうして驚いてる? 何でも知ってるはずなら、俺のしようとしてる質問だって分かってるはずだろ」
「それは違う。僕は何でも知ることが出来るが、それは知ろうとしたときだけだ。君だって、予想はするだろう。プエラに会いにいったらどうなるか。プエラを助けるにはどうするか。その答えが正確に確実に予想できるのが僕だ。意識を向けていない事柄まで知っているわけではない。要するに、占って初めて分かる。だから僕は占い師と自称している」
 理屈。理屈。
 たが、ただの屁理屈だと捨てきれないことが歯がゆかった。
 ルウディは奏の困惑を感じ取ったのか、はにかみ笑うと言った。
「誰の味方か、だよね。結論は誰の味方でもない、かな。でも、こんな回答はつまらないな。あえて味方だと宣言するなら一人いる」
「俺……じゃないよね」
「君は敵じゃないよ。でも、味方じゃない。残念かい?」
「いいや。俺はルウディのこと、半分敵だと思ってるから」
 ルウディはおかしそうに笑った。
「一年ほど前にね、僕はある行動に出た。世界に干渉できず、闇に潜むように暮らして長かったが、僕は多少、世界に干渉してみようと思った。ある町でね、一人の青年に会い、おそらくその青年を救った」
「おそらく救った、って表現は変じゃないか」
「命を救ったが、彼にとって幸福だったとは限らない。その青年に僕は未来を託してきた。その青年、君に良く似ていて、正義に対して強情で妥協しない。正しいと思ったならやりとおす。そんな純粋で真摯な青年だった」
 ルウディのいう味方の人の話だろう。
「今頃はここではないある森いるだろう。魔の棲む森と恐れられ、誰も近づくことのない森の中」
「どうしてそんなところにいるんだよ」
「そこに運命があるからかな。行く必要があるからいく。自然の掟さ」
 よく分からない。
 ルウディは話を続ける。
「僕の未来を託したその青年。あえて言うなら彼は僕の味方だし、彼の味方は僕だ」
「その青年、何者?」
「ただの好奇心旺盛な青年。だが、運命に逆らう力を持っている。変わらないと知っている未来に対峙して、抗う勇気を持つ青年」
 ふうん、と気のない返事をする。
「その青年にも、はぐらかすような屁理屈を並べたんだろ」
「屁理屈とは失礼だな。ちゃんと未来を教えてあげたよ」
「その青年は未来を変えた?」
「分からないな」
「分からない? すべてを知ってるんじゃないのか?」
 ルウディは気持ちよさそうに目を細めた。
「良い指摘だね。実は僕にも見通すことの出来ない未来があるんだ。たったひとつね。というより、絶対にありえないことを予想することは不可能だ。君は手に持ったボールから手を放したとき、ボールが地面に落ちると予想できるし、それは間違いない。だけど、ボールから手を放したとき、ボールが消え去ってしまう未来や、ボールが空高く飛んでいってしまう未来は予想できないはずだ。それはありえないから。僕も同じだ。この世の理の輪を外れて起こる出来事は予想できない」
 すべて知っている。という理屈も、早くも覆された。
 自ら全知でないことを告白していれば世話はない。
「どうやらまた猜疑心を抱かせてしまったみたいだけど、僕はどちらでもいいよ。君が僕に質問しようが、呆れて口を閉ざしてしまおうが。あえて言うなら、僕はこの会話を楽しんでる。続けられれば幸いだ」
 そんな言い方をされたら邪険には出来ない。
「ごまかさず、教えて欲しいんだ。はっきりと」
 ルウディは答えず、笑みを浮かべつばかり。
「俺には探し人がいる。二ツ目族の女性」
 そう言って、ルウディの顔色をうかがう。
 ルウディに変化はない。
 本当は一番したい質問だった。
 だけど出来なかった。
 ルウディが本物だと判断できたらしようと思っていた。
 だけど、我慢できなかった。
 ルウディはどう答えるのか。
「その女性について、僕に何を答えて欲しい?」
「今どこにいて、何をしていて、何を求めているのか」
「なるほど」
 ルウディが真顔になった。
 さっきも同じような表情をした。
 寒気の覚える目の色。
 ルウディはゆっくり左手を持ち上げ、虚空を撫でるように手を動かす。
「幽閉されてる。地下牢だね」
 奏は目を見張った。
「最初は三人。次に四人になり、ひとり減り、二人減り、今は二人だ」
「それはどこ?」
「ユベリア宮殿のある地基地内の地下牢」
「ユベリア宮殿?」
「ユベリア大衆国の中枢部。行政の中心だよ。グロウリン王家の住む王宮。こういっても君には分からないだろうが、グロウリン王家とは三ツ目族の元祖と言われてる。すべての三ツ目の始まりはグロウリン」
「三ツ目の始まりって……」
「ユベリア大衆国は、千年前にはユベリア帝国という名だった。この国は二ツ目が支配していたんだよ。千年前に突如現れた三ツ目族により政府が倒されるまで、この国には二ツ目族しかいなかった」
「突然現れた……」
 狭間の世界の住人をイメージする。
「違うよ。彼らは眷属じゃない」
 奏の心の声を読んだかのように答えるルウディ。
「四ツ目族は? 以前にはいなかったの?」
「居なかった。千年前のユベリア帝国攻撃のさいにも四ツ目族は居ない。四ツ目族が出現するのはもっと後」
「千年前までは二ツ目族の世界だったのか?」
「そう。そのころから続く王族がグロウリン。今はルルアラトス・グロウリンが王座についている。だが、実質、実験を握っているのはヴァルアラトス・グロウリンといわれている」
 ルルアラトス……ヴァルアラトス……。だめだ、覚え切れない。
「四ツ目族はどうやって出現したの?」
「諸説ある。だが、実のところ分かっていないのが実情」
 諸説ある、思われる、らしい。
 すべてを知っているルウディが発していい言葉だとは思えない。
「すべてを知ってるんじゃないのか?」
「知ってるよ。だけど、世間一般に知られている通説以上のことを知る必要はないし、真実など知らないほうが身のためだから」
 それでいいのである。
 真実をすべて知っているとか、話せばよい結果を生まないので答えないとか、そんなのはどうでもいいのである。
 奏が知りたいのは通説でもいいので、信用度の六割、七割くらいの情報でよいのだ。
「その世間一般の通説でいいから教えてほしい。そのユベリア宮殿に行くにはどうしたらいい?」
「なるほど。そうきたか。そうだな。僕がこの集落のただの住人だとして、この国での移動手段を問われればこう答えるだろう。まずは馬を手に入れる。移動手段にはいろいろあるが、眷属、いわゆる一般的なトンベルクは体力の消耗が激しいので馬がいいだろう。馬にもいろいろある。遠距離を進むのなら脚強馬。大きな荷物を引くなら五里宛馬。凶暴で扱いにくいが、おおよそ馬としてバランスがよいのは駆馬。一人旅なら脚強馬がいいだろう」
「最初からそうやって教えてくれればいいのに」
「それが最良の選択かと問われれば、僕は口を噤まざるをえない。選択肢としての情報なら与えられるよ」
「それじゃあ、ユベリア宮殿はどこにある?」
「ここから南へ歩いて六十日程度。馬があれば二十日間程度」
「どんなところなんだ?」
「そうだな。この国の中枢だから。中心に近づけば近づくほど三ツ目族や四ツ目族の影響が大きくなる。彼らは二ツ目族に比べて圧倒的に人口が少ないため、会うことは稀であるかもしれないが、仕えてる二ツ目族は多い。政府の公共安全局や軍隊の人間は増えてくる。だが中央の近隣の町まで行けば、公共の移動手段も増えてくる。金が必要になってくるが」
 馬、公安、軍隊。
 液体燃料などの動力を持つ自動車やバイクはないようだ。
 もちろん公共の移動手段も馬が基本のようだ。
 科学力は現世のほうが一世紀ほど進んでいる。
 だが、知っている。
 この世界では個人の持つ通力の強さが段違いである。
 加えて眷属と言われる特殊技能を与える存在。
 奏は現世でも隔世でも、やはり何の力も持っていない。
 現世にイスカ領域を越えて現れた銀髪の人外を思い出す。
 あのような甚大な力の持ち主に、どうやれば抵抗できるのか。
 ユーナを。
 どうやって取り返せば。
「彼女は無事なのかな? 傷を負ったりしてないか」
「自分で確かめるといい」
 奏は強烈な眠気を覚えた。
 唐突に訪れた睡魔は強力だった。
 様子に気づいたルウディがいった。
「クローゼットの中で眠るといい。人が眠るくらいのスペースがあるし、なによりここは来客が多い。隠れていたほうがいいだろう」
 睡魔に逆らえなかった。
 隔世に来てからほとんど睡眠をとっていないことを思い出す。
「お休み。きっと寝て起きた頃に頭が整理されてるよ。目的もはっきりする」
「もう一度教えてくれないか」
 奏はすでに半分、もうろうとする夢の中で尋ねた。
「プエラはどうやったら助けられる?」
 ルウディは答えない。
 もう堪えられない。
 一時の現実を離れ、夢の世界へ。
 だから、最後にもらしたルウディの言葉は子守唄のようであったし、それが現実の言葉か、ただの夢なのか、判別できなかった。
「さっきも言ったとおり、君にはプエラを救えない」
 もう、反論することも出来ず、睡魔に負けて深い混沌へと落ちていった。

 

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