あっちから変なの出てきた

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第二章 【 ウィンディア編 プエラ 】


 夢中で佐々倉想平の腕を掴んだのを覚えている。
 泥濘にもだえるようなハザマの世界に蹂躙されながら、ここで手を伸ばさなければきっと佐々倉想平はどこかへ飛ばされてしまうと思った。
 なによりハザマの世界とは心的世界。想いが詰まっている精神世界。
 明確な意思と目的がなければ、混沌へと飲み込まれてしまうと思った。
 視界はない。
 だが、イメージはある。
 決して交じり合わない色彩溢れる粘着液が、縦横無尽に流れを変えて荒れ狂うような。
 時間の概念を忘れ、永遠の煉獄のような、あるいは高熱に浮かされた白昼夢のような時を過ごし、果たしてどれほど徨い続けたのかも分からぬまま、奏はどこかの地上へ降り立っていた。
 ここは草原。
 見渡す限りの地平線。
 ぽつねんと広大な草原に据え置かれた奏は呆然と周囲を見渡した。
 抜けるような青空。
 雲ひとつない。
 太陽が南中を指し、草原に茂る草花を色彩豊かに映し出している。
 なんて美しい。
「ここはどこだ!」
 声を上げたのは奏ではない。
 奏がしっかりと腕を掴んでいる佐々倉想平が愕然と目を丸くしている。
「良かった。離れ離れにならないで」
「離れ離れに?」
 美男子と形容される佐々倉想平は、まるで怪談話を放して聞かせる老人のような目をして奏を睨みつけた。
 しばらく沈黙が続いた。
 頭の整理の時間。
「か、帰る! 俺は帰るぞ!」
 掴んでいた奏の手を振り払って、佐々倉想平が地球に弾かれた様に立ち上がったと思うと、獣のように周囲を見渡した。
「ここはどこだ!」
 再び佐々倉想平の疑問。
 答えるには簡単だが、奏は沈黙することを選んだ。
 何を説明しても、いまの佐々倉想平に伝わるとは思えない。
 思えば気の毒だ。
 イスカ領域に吸い込まれる瞬間の佐々倉想平の断末魔のような表情。
 何の因果があって隔世に飛ばされなくてはならないのか。
「帰るぞ! 俺は帰るぞ! どこなんだここは! 俺の家はどこだ!」
「佐々倉さん、気持ちは分かりますが……」
「気持ちだと!?」
 般若のような顔で奏に詰め寄ってくる佐々倉想平。
 思わず後ずさりする。
「なんのために俺はここにいる? 俺はこんなところに来たくはなかったぞ! あのくそ女! なんてこった! 俺はあの女に殺されたも同然だ! 殺してやる。絶対にあの女、殺してやるぞ!」
 ひどい憎悪が静電気のように伝わってくる。とりあえずは現状を理解してるような口ぶりに安堵する。
 いずれにしても奏は何も言えない。むしろ、奏は佐々倉想平に同情的である。
「佐々倉さん、戻る方法はあります。もう一度イスカ領域を通れば戻れるはずです」
「簡単に言ってくれるな。ここがどこかも分からず、どうやってイスカ領域を探す?」
「探す必要はありません。ここがイスカ領域のはずです。ここに俺たちが降り立ったのが証拠です」
「じゃあ、先にイスカ領域に入っていった銀髪野郎はどこにいる?」
 そういえば……。
 取り乱す風に見えて、佐々倉想平は意外と現状を認識している。
「確かに……。どうしていないんだろう。間はなかったはずなのに」
「想像は付くが、今はそんなものどうでもいい。とにかく、お前、誰か探して戻る方法を聞いて来い」
 理不尽なことを言い出す佐々倉想平。
「佐々倉さん、気の毒だとは思いますが俺には目的があります。俺の目的に付き合えとは言いませんが、今すぐ戻るわけには行きません」
「分かってないな。ここが本当に隔世だとしたらそこらじゅう瘴気だらけだぞ。身体が動かなくなってからじゃ遅い。死んじまうんだぞ」
「数ヶ月は大丈夫なはず」
「帰れるイスカ領域を探すのに数ヶ月掛かったらどうする」
 やれやれ。
 なぜ伊集院照子は佐々倉想平を道ずれによこしたのか。
 いくら伊集院照子といえども、何らかの深慮があったとも思えない。
「それなら、別々に行動しましょう。俺は目的を果たします。佐々倉さんは帰る方法を探してください」
「たとえ帰る方法を見つけても、お前をわざわざ探して一緒に帰るつもりはないぞ」
 ため息を漏らしそうになる。
「勝手の分からない異世界で、唯一の顔見知りですよ。そうしたいのならもう何もいいません。ここから別れて――」
「しっ」
 突然、佐々倉想平が唇に人差し指を当てると、奏の頭を掴んで地面に触れさせた。
「どうしたんですか?」
「黙ってろ。あっちになにかいる」
 佐々倉想平があごをしゃくって見せた方角に目を凝らしてみる。
 草原の遠くに森林地帯が見える。
 そこから人影が現れるのが見えた。
 この距離。
 数百メートルはある。
 よく気づいたものだ。
 奏には人外の瘴気を察知するような能力がないので気づかなかったが、さすが選抜の藪北ファミリーである。この距離でも人外の気配に気づいたのだろう。
 遠距離系の飛び道具を持つ佐々倉想平の得意分野なのかもしれない。
「何人かいるぞ」
 この距離なら声を潜めなくても、相手に聞かれる心配はなかったが、佐々倉想平は小声でそう言った。
 しばらく観察する。
 目の前に微風にたなびく草木は見たこともない形状をしているのも気になったが、遠くに見えた人影は、やはり人型の人外らしい。
「見えるか? 人数は十五人程度。大人は一人だ。あとは子供らしい」
「見えるんですか?」
 佐々倉想平は答えない。やはり彼の個性である狙撃手たる能力らしい。
 奏は目を細めるが、豆粒がうごめいているようにしか見えない。
「子供たちなら危害を加えられる心配もないんじゃないでしょうか」
「甘いな。子供たちを引率している大人がいる。そいつが高い能力者だったら、近づいただけで警戒されて攻撃されるかもしれない」
 なにもかも知識の皆無な世界。
 相手がどんな思想や道徳を持っているかさえ分からない。
 人間の価値観で行動したら、たちまち命を失うかもしれないのだ。
「いずれにしても遠すぎる。もう少し近づいてみよう」
 身をかがめながら、奏たちはじりじりと人影の集団に近づいていった。

 

 いつもの馬車内での授業を取りやめて課外授業としたのは、天国まで突き抜けそうな青空があまりにも美しかったからで、子供たちにこの空と、広大な草原で一時の開放感を満喫して欲しかったからだ。
 ここならば三ツ目族も四ツ目族も現れる心配はない。
「さあ、みんな。ここで授業にしましょう。並んで座って」
 プエラは広大な草原に高揚してはしゃぎまわる子供たちを呼び寄せて並ばせて座らせた。
 男の子たちは突きあってじゃれあい、女の子達は耳打ちしながら噂話をしてくすくす笑っている。
「今日は予定を変更して、先生から種族についてのお話をしたいと思います。その後に草原で植物の観測をしてから馬車に戻りましょう」
 子供たちから愛らしい返事が返ってくる。
 今だけ。
 ひょっとしたら、こんな美しい今日はもう来ないかもしれないのだから。
「みなさん、私たちの世界には人族として一ツ目族、それから私たち二ツ目族、それから私たちの生命を守ってくださっている三ツ目族様、四ツ目族様がいらっしゃいます。もう知っていますね?」
 子供たちがおのおのうなずいて見せるのを確認してからプエラは話を続ける。
「もしかしたら知らない子もいるかも知れなけど、獣族や眷属と呼ばれる種族も存在します」
「じゅうぞく?」
 子供たちが興味津々そうに目を輝かせた。
「人族に知能の低い一ツ目族のような種族がいるように、獣族にも知能の低いものや高いものがいます。ただ、獣族と人族の大きな違いは見てくれや手先の器用さ、腕力などはもちろん、一番大きな違いは身体の大きさを変えられることです」
 子供たちがどよめく。
 驚嘆と好奇心。
「獣族は身体の大きさを自由に変えられるといいます。それは獣族が、人族よりも眷属に近い存在であることを表しています」
「プエラ先生。けんぞくってなあに?」
 もっともな質問を受けたところで眷族の説明を始めた。
「この世界と、もうひとつの世界。精神世界と呼ばれる世界と、私たちの存在するこの世界の中間に生きる存在」
 子供たちには理解できないだろう。それでもいい。理解できずとも記憶には残る。私の言葉はいずれ心の中で紐解かれるときが来る。
「獣族は私たち二ツ目族の友達とも言えます。皆さん、トンベルクは知っていると思いますが、トンベルクは獣族です。眷族に近い獣族で、身体の形を変えて私たちの身体を守ってくれたり、空をとぶ手段を与えたりしてくれます。代償として私たちは身体に蓄えているエネルギーをトンベルクに分け与えるのです」
 トンベルクを欲しがる子供たちは多い。体力の充実しない子供たちにはトンベルクは命取りのため、飼うことを禁止されているが、いずれ自分たちもトンベルクと契約することが子供たちにとっては憧れなのだ。
 トンベルクは人族よりエネルギーを吸収することにより、行動範囲を広げる。ところが二ツ目族よりエネルギーを持つ一ツ目族や三ツ目族、四ツ目族とは決して契約しない。理由は定かではないが、二ツ目族としか契約しないのは確かである。
 プエラも獣族と契約している。
 二ツ目族にとって生きることすら困難な世界。いざとなったらせめて子供たちだけでも守れる力が必要なのだ。
 多種多様な眷族がいる中で、プエラが契約している眷属はごく一般的な種類といえる。トンベルクと分類される獣族で普段はハザマの世界に近い場所で生息しているため、人の目には見えない。
「先生、あれ、何か見えまーす」
 そう声を上げたのはいつものんびり屋さんのピモウである。半笑いのようなにやけ顔でピモウが草原を指差している。
 まさか。
 プエラが草原へ視線を転じる。
 見渡す限り、異常は見られない。
 政府の人間か軍隊か。最近出没し始めた盗賊団か。
「何が見えたの? ピモウ」
 まだ子供たちに緊張感は伝わっていない。
 混乱したら大変だし、子供たちを預かる立場上、責任問題だ。
「人がいたよ。でも見えなくなっちゃった」
「人が?」
 嫌な予感。
 暗闇の中で悪い想像をしてしまったときと同様、明るい場所に出なければ薄気味悪い恐怖はぬぐえない。
 二ツ目族であっても盗賊団や悪さをする旅団は多い。
「きっと気のせいよ。ほら、小動物じゃないかな」
 プエラがそういうと、子供たちが一斉に「見たいー」と色めきたった。
 しまった、と思ってももう遅い。
 子供たちの中で愛くるしく創造された「小動物」見たさにピモウの指差す方向へ走り出してしまった。
 集団意識とは恐ろしく、一人駆け出すとなし崩し的に子供たちは次々と走り出し、我先にと小動物を見つけ出そうといきり立つ。
「だめ!」
 叫んだところで子供の好奇心は止まらない。
 かろうじて数人の子供たちが不安そうにプエラを見上げている。
 動揺してはいけない。
 少なくとも表情に出してはいけない。
「みんな、ちょっと待っててね。駆け出しちゃった子達を連れ戻してくるから、絶対にここから動いては駄目よ」
 幸い、残った子供たちは神妙にうなずいて素直に従った。
 草原に視線を転じると子供たちははしゃぎながらかなり遠くまで行ってしまった。これは一人一人連れ戻すのは骨が折れるし、ピモウの言った「人影」が真実で、しかも悪意のあるものだったらと思うと寒気がした。
「待ちなさい!」
 プエラは大声を上げながら走り出した。

 

「なんか走ってくるな」
 佐々倉想平がぼそりと声を上げる。
 確かに人影が近づいてくる。
 しかもこちらに向かって。
「子供たちなのは間違いない。ただ草原ではしゃいで走り回ってるだけみたいだ」
「よく見えますね」
「お前とは出来が違う。過ごしてきた時間もな」
 嫌味を言われたが不思議と腹が立たなかった。目が良い、というのはなかなかどうして羨望してしまうもので、それが訓練で培われたものなのだというのだから、多少は尊敬の念を抱く。
「どうする? あの様子だと悪意はないようだが、見つかったら大人が集まってくるだろう。しかし、ここは草原。起き上がったら見つかってしまう」
「接触してみましょう。佐々倉さんの言うとおりなら、相手は子供たちだし、唯一の大人は女性ですよね。少なくとも好戦的ではないはずですよ」
「お前に何が分かるって言うんだ。お前はまだ俺たちのおかれている立場を分かってない。おそらく、俺たちは世界で初めて隔世に渡った人類だ。相手のことなんて皆無の知識に等しい。正直、隔世に文明があること自体、人外襲来があって初めて知ったことなんだ」
 理屈ではそうだが、少なくとも奏の知っている二ツ目の人外は奏に敵意を持ってなかったし、獣族だって知的で好意的だった。
 奏は立ち上がった。
 ぎょっとした佐々倉想平が慌てて奏の腕を掴んで引き寄せた。
 奏はにっこり笑って言った。
「大丈夫。佐々倉さんはここにいてください。俺が行ってきます。もし俺がとって食われても佐々倉さんはすぐに逃げてください」
 唖然と奏を見る佐々倉想平。
 スナイパーたる習性だろうか、あまり冒険を好まないようだ。
「勝手にしろ。俺の居場所をばらすなよ」
 奏はうなずくと、改めて立ち上がる。
「現世じゃ、機転と発想でだいぶおお立ち回ったって話だが、こんな無策な奴だと思わなかった」
 佐々倉想平のボヤキを背後に、奏は歩き出す。
 思いのほか、子供たちが迫ってきていた。
 痛いほど胸が高鳴った。
 本当に大丈夫だろうか。
 佐々倉想平の言ったとおり、もっと慎重に事を運んだほうが良かったか。
 でも、時間はない。
 数人の子供たちがじゃれあいながら近づいてきた。
 ふと子供たちは奏の存在に気づき、足を止めた。
 警戒――というよりは疑問、という感じの表情で奏を見上げている。
 目の前にいる子供たち意外にも周囲に幾人かの子供たちがいて、草の根を分けて必死に何かを探しているようだ。
 奏に気づいている子供、気づいてない子供。
「やあ」
 奏はまるで機械仕掛けのように手を上げて挨拶してみた。
 子供たちが奏の動作に、一瞬戸惑う。
「言葉、分かるかな」
 出来る限り、優しい笑顔を作ってみる。
 自信はない。
「お兄さん、だれ?」
 ほうけたようなにやけ顔の子供が、のんびりとした声を上げた。
 奏は返答に困る。
 自分は子供の扱いに慣れていないどころか、まともに関わったこともない。
「お兄さんは旅の者だよ。みんなは誰かな?」
「僕らはウィンディアで、いま先生とーー」
 そこまで言って、にやけ顔の子供は周りの子供たちに慌てて口を押さえられた。
 ウィンディアとはなんだ、と詮索したいところだが、隠したがっていることを追求すれば警戒される。
 気にしないそぶりで「大人は一緒かな。誰か、大人がいたら話をしたいんだけど」と可能な限り優しい声を出す。
 子供たちはお互いを何度も見やって、牽制し合いながら言った。
「先生がいるけど……」
 子供たちがおのおの振り返る。
 そこに立っていた。
 なだらかな風に、赤い髪をなびかせながら、肩で息をつく「先生」と呼ばれている先生だった。
 目が合った瞬間、まるで借りてきた猫が警戒するかのような目つきだったが、子供たちが振り返ると途端に表情を緩める。
「みんなのところに戻りなさい」
 先生が言った。声は優しかったが、確かな意思と噴火直前の火山のような重みが感じられた。
 子供たちも大人の機嫌に関わる空気には敏感だ。
 物言わずおずおずと引き返し始めた。
 子供たちが離れたのを確認すると、奏は笑顔を崩さないまま口を開く。
「すみません。驚かせるつもりはなかったんですが」
 先生は口を開かない。
 それどころか、ゆっくりと後ずさりをして距離を開ける。
「あ、あの、実は道に迷って……。ここは一体どこなんでしょうか」
「……道に迷った?」
 多少の敵意と警戒。
 先生はいぶかしげに「道に迷ったって、あなた何者なの?」と睨みつけてくる。
 言葉は通じている。
 相手は二ツ目族だ。
「怪しいものじゃありませんし、危害を加えようとも、あなたたちに何かを望んだりもしません。ただ……」
 別世界からやってきましたなど、正直に言えるわけもなく、奏は逡巡する。
「ただ、僕は記憶喪失なんです」
 口から付いて出てきたのは陳腐な嘘だった。
「記憶喪失?」
 先生は怪訝そうだ。
「はい。ほとんど何も覚えてないんです。覚えているのは自分の名前と、もう一人の名前だけで……」
 これ以上、嘘を上塗りしないほうがいい。
 先生は多少警戒心を緩めたのか、戦闘態勢のように腰を低く構えていたが、ゆっくりと状態を起こす。
「……本当に……記憶喪失なの?」
「はい。実は昨日以前の記憶がまるでないんです。気づいたらここにいて。だから、何も分からないんです。ここはどこですか?」
 先生は今にも泣き出しそうな顔になった。まるで迷子の子供のように爪を噛んで、不安そうにあたりを気にしだす。
「どこだって言われても……。ここはユベリアの南のほうですが……」
 ユベリアといった。
 覚えている。
 ユーナの生まれた国。
 国の大きさは知らないが、確かにユーナのいる国に降り立ったのだ。
 先生は先ほどまでの警戒は緩めている。
 半信半疑であるだろうが、どうやら敵ではないと理解してもらえたようだ。
「本当に何も覚えてないんですか? どこから来たとか、家族とか、昔の記憶とか」
「何も覚えていません。覚えてるのは今のところ言葉と、そして自分の名前と、もう一人……」
「その人の名前は?」
「ユーナといいます。女性だと思います」
 先生は思案する。
 奏は何も提案していない。
 ただ、ここはどこだと聞いているだけ。
 さて、先生はどんな判断をくだすか。
「……私は教師のようなことをしています。いまの子供たちの先生です。すみませんが子供たちの世話をしなくちゃいけないので、私は何の力にも……」
 やっぱり助けるつもりはないらしい。
 だが、悪人じゃない。
 このチャンスを逃したら、次に会うのは悪人かも知れない。
 申し訳ないが、ここは強引にでも。
「迷惑をかけるつもりはないんです。でも、何も覚えてなくて本当に戸惑っているんです。決して何かを求めませんから、出来たら何か……力になってくれそうな人を紹介してもらえませんか?」
「そんなこと言われても……」
 彼女はしきりに背後の子供たちを気にする。
 子供たちも先生を心配してか、遠巻きにこちらを覗っている。
 奏は作戦を変える。
 塩らしく俯いてみせると、暗い声を出した。
「そうですよね。子供たちの世話があるのに、無理を言ったらご迷惑ですよね。いいんです、僕なら。たぶん大丈夫。ここがどこかも分からないし、たった一人ですが、何とかしますから。あなたを恨んだりしませんし」
 詐欺師になったような気分。
 前に同じようなことがあった気がするな、と思う奏。
「そんなこと言われても……私、何の力にも……」
 困ってる顔。
 でも、無碍に出来ない人のよさそうな雰囲気。
 心が痛むが、傷つけたりするつもりもない。
 心で謝りながら、心底絶望したような声を出す。
「ええ、のたれ死んだって恨んだりしません。何も覚えてないから、心残りもありませんし、大切な人を想ったりすることもありません。きっと僕は記憶がないから、人間以下の存在なのかもしれませんね。昔を懐かしんだり、憂いだりも出来ないんですから。そうですね、僕はきっと必要じゃないから記憶も失ったし、路頭に迷ったりするんですよね、誰かのせいだったりするわけじゃありません」
「な、何もそこまで卑屈にならなくても……」
 ちらり、と彼女の顔色をうかがう。
 小便を我慢している子供のように狼狽している。
 もう一押しか。
 そう思ったとき、彼女がほのかに覚悟を決めたように唇を引き締めた。
「仕方ありません。ああ、本当に仕方ありません。本当はこんなことしたらいけないんです。分かってもらえますか?」
「もちろんですとも」
 彼女はため息混じりに言った。
「実は私どもの馬車に占い師が一人乗ってるんです」
「占い師?」
「……ええ。自称ですが。その男は前に突然現れて、私たちを救った事があります。もしかしたらその男が何かの力に……」
「ええ! ぜひ紹介してください!」
 思わず詰め寄ると、詰め寄った分だけ距離を置く彼女。
「そ、その代わりひとつだけ約束してください。馬車に着いて占い師に会ったらすぐにいなくなること。それから、馬車を去ったら私たちのことはさっぱり忘れて、絶対に誰にも話さないこと。約束できますか?」
 何を恐れているのだろうか。
 やはり三ツ目族や四ツ目族だろうか。ユーナが言っていた。二ツ目族はみんな虐げられていて、明日をも分からない生活を送っていると。
「もちろん、すぐに消えます。その占い師に会わせてもらえますか?」
 彼女は心底嫌そうな顔をして、一度うなずいて見せた。

 

 遠巻きに見ていた佐々倉想平は奏と人外たちが歩いていくのを見計らってこっそり後を追跡した。
 奏と人外の女との会話は聞こえてこなかったが、どうやらうまく取り入ったらしい。
 こういったリスクの高い仕事はすべて奏に押し付けて、この俺は影の支配者となって甘い汁を吸ってやろう。
 ふふふ、と笑いながら佐々倉想平はよだれをぬぐう。
 なかなか鈍感で単純な奴だ。
 ああいうやつは利用しやすい。
 今後とも危険な交渉役や偵察役はすべて押し付けて、俺は安全地帯から現世に帰れるチャンスを伺っていれば良い。
 五感の鋭い佐々倉想平にとって、追尾は容易だった。
 ある程度の距離を置いても音や気配で追尾できるし、子供の頃から父親に連れられて、森での鹿狩りをしていたおかげで、生き物が通った足跡や周囲の草木の折れ具合などで追跡は得意だった。
 この隠密の特性が、いまの佐々倉想平を作り出した。
 根気強く冷徹。丸く言えば陰気で粘着質。スナイパーはひたすら動かず、相手の気配をうかがい、自分の気配を殺し、じっとその瞬間を待つ。
 一時間でも二時間でも、二日でも三日でも。一ヶ月でも一年でもだ。
 一時も油断せず、見逃さず、全身全霊で集中し続けて待つ。
 それが出来なければ、一流とはなれない。
 場所は草原から森に移り変わる。
 意外と険しい森である。
 火山噴火後と分かる、溶岩にて隆起した地形。
 奏たちの行き先は、あの女の人外が住む集落のはずだ。
 こんなところに住んでいるのだろうか。
 佐々倉想平は考察する。
 人のいない、こんな山奥に住むくらいだから、ひっそり隠れ住んでいるのだろう。ひょっとして危険な人外たちかもしれない。
 これから向かう先の人外たちが悪意を持っていないとしても、追われる身の人外たちであるならば、騒動に巻き込まれても不思議はない。
 居場所を確認したら少し距離を置いておくか。
 佐々倉想平はそう決めて、気配を殺して追跡を続けた。

 

 馬車。
 彼女は確かにそう形容していた。
 だから、馬車にてどこからかの集落から子供たちを連れて課外授業にやってきた、そんなことを奏は想像していた。
 そんな陳腐な想像など吹き飛んだ。
 一見して分かる。
 ただの馬車ではない。
 険しい森の中を、慣れた様子で歩く彼女の背中の向こうから出現したのは、巨大な一戸建ての集団だった。
 森が開けたと思うと、まるで御伽噺のような苔の蒸す巨木の根元に、見える限り四つの建物があった。
 遥か上空まで枝を伸ばし、葉を茂らすその間隙から太陽光の筋が数本延びており、まるで洞窟の中のような情景に立たずむ四つの家は美しかった。
 木造の丸太作りの家。
 ひとつひとつが巨大で、ちょっと位の雨風ならびくともしなそうなほどに強固に見え、そして繰り返すが美しい。三角屋根が立方体の箱に載っているだけであるが、外壁にはつたのような植物が這い、黄色い植物が苔のようにこびりついている。芸術作品のようにたたずむ姿にしばし言葉を失う。
 見たこともない、蝶のような昆虫が優雅に家の周りを飛び回り、子供たちが歓声を上げながら家の傍を走り回っている。
「まさか」
 奏が感嘆の声を上げたのは、この巨大な四つの家が、彼女の言う「馬車」であるかもしれなかったからだ。
 家にはまた、巨大な車輪が付いているからだったし、御者台のようなものも見える。
「驚かれたんですか? 本当に記憶を失ってるんですね。こんなありふれたものに驚くなんて」
 彼女は嫌そうな顔のまま言った。
 少しは愛想を良くしてくれてもいいのに。
「こんな巨大な馬車、見たこともない。本当に動くんですか」
「ええ、まあ動きますが……」
 いやちょっとまて。
 こんな巨大な馬車。
 当然、引く馬がいるはずだ。
 だが、奏はたずねるのが怖かった。
「こちらです。まずは貴方の事、旅長に知らせないと」
「旅長?」
「長老のような人です」
 要するに、この集団のリーダか。
 家をくるりと半周して反対側に来ると、大人たちがいた。
 みんな貧相な服装をしているが、虐げられているとは思えないほど穏やかに笑顔を作りあっていた。見える限り、三十人はいる。別の場所で遊んでいる子供たちや、馬車の中にいるであろう人数を合わせれば、おそらく百人を超える集団なのではないか。
 和やかであった人々が奏の存在に気づくや否や、あからさまに警戒して血走った目を向けてきた。
 洗濯しているもの、談笑しているもの、罠や狩の道具のようなものを作るものが手を止めてみんなが奏を見た。
 前を歩く彼女は多少後ろめたそうにしながら、一直線に進む。
 料理のいい香りがしてきたと思ったころ、彼女が振り返った。
「彼女が旅長です」
 紹介された旅長は両手に抱え込めるほどに小さく、背中の丸まった老婆だった。
 奏は会釈する。挨拶は会釈で正解なのだろうか。
 彼女が説明する。
「彼は森の外の草原で会いました。どうやら記憶を失っているようで困っていたので、何か力になれればと思って連れてまいりました」
 老婆が顔を起こす。
 白い目。
 視力がないのか。
「連れてきただって?」
 老婆がすぼまった口から発したのは泥のような声だった。
「草原で会った? どこの誰かも分からない人間をお前はここに連れてきたのか?」
 低くよどんだ声。
 彼女は萎縮して「勝手なことをしてすみません」と頭を下げる。
「プエラ、何度も言っているだろう。お前は人が良すぎる。子供たちを預かる身。責任も重い。軽はずみな行動は控えろとあれほど……」
 プエラと呼ばれた彼女は今にも泣き出しそうに胸の辺りに手を当てた。
 ぎろり、と老婆の白い目が奏を捕らえた。
 見えているかどうかは分からないが、奏も迫力に気おされ、後ずさりしそうになった。
「若いな。歳は幾つだ」
 若い? 見えているのだろうか。
「十六になったばかりです」
「十六……。子供じゃないか。子供が草原で何をしていたって?」
「記憶がないんです。昨日から以前の記憶がまったく」
 老婆が「ち」と舌打ちをして顔をそむける。
「プエラ、分かっているのか。記憶を失っていることが真実であれ、虚言であれ、この小僧は危険な存在だ。本当に失っているのなら、こいつの素性に何があったのかも分からんし、とんでもないはた迷惑な過去を持ってるかもしれない。虚言であれば、隠す必要がある疚しい素性があったことになる。そんな人間を連れてくるなどあきれ果てて怒鳴る気もしない」
「ごめんなさい……」
 プエラはこの小さな老婆より小さくなってしまったようだ。
「仕方ない。早々に退散してもらうしかないな」
 警戒心の強い老婆だ。
 仕方ないのだろう。
 ユーナから聞く隔世での二ツ目は、日本のようにほげほげしていては暮らしていけない世界なのだ。
 プエラが消え入りそうな細い声を出す。
「でも……記憶を失っているようでとても気の毒で……。困っているようだったので、力になりたくて……」
 プエラを見る。
 かなりの勇気を振り絞ってした発言のようで、恐怖で唇がわなないている。
 奏は心が痛んだ。
 プエラはとても優しい。
 あまり迷惑をかけたくなくなった。
 奏は言った。
「すみません。記憶がないとはいえ、不躾でした。すぐに出て行きます。もちろん、この集落のことは誰にも言いません」
 ぺこり、と頭を下げるとプエラを見る。
「すみません、無理やり押しかけて。ひとつだけお願いしていいですか? すぐに出て行きますので、できれば街のある方角だけでも」
「近くに町はない。歩いたら三十日以上も掛かる」
 老婆がそう言って奏を睨みつける。
「用があるならさっさと済ますがいい。むろん、一緒に連れて行ってやれない。若い男というだけで、どれほどの危険をはらむことになるか。だが、一時間やる。なにか情報を聞きたいのなら、その辺の人間に尋ねるといい。私が許可したといえば、たいていの人間は口を利いてくれるだろう」
 老婆はプエラを見る。
「お前の責任だ。この小僧が集落を出るまで、お前が付き添って見届けろ。いいな、一時間だぞ」
「……はい」
 喜びも後ろめたさもない。ただ恐縮して細い声を上げる。
 プエラがとても気の毒になってきた。
 必要な情報を聞き出して、早々に立ち去ろう。
 
 
 
 踏みしめる草も、周囲に連立する木々も、飛び交う昆虫も見たこともないものだ。
 やはりここは隔世。
 いまさらであるが、妙に納得した気分だった。
「約束どおり、占い師に会わせます。こちらへ……」
 プエラはすっかり意気消沈している。
「プエラ……さん?」
 声をかけると、プエラが振り返る。
「なんていうか……親切にしてくれてありがとうございます」
「いえ……こちらです。案内します」
 プエラは影を背負ったように表情も変えず歩き出す。
 後を付いていくと、ひとつの馬車のもとについた。
 何度見ても巨大だ。
 三十メートル四方はあるか。
 付いている車輪でさえ、奏の身長四人分くらいある。
 巨大な馬車は確かに地面から浮いている。
 地面についているのは二つの車輪と、家を水平に保っているスタンドだけだ。
 玄関の扉へは階段が設置されており、黙ってプエラの後を突いて家の中に入る。
 中は、例えるなら古風な木造住宅。
 二階建てのようであるが天井はかなり高い。
 区切るような壁はなく、一階部分はそのまま大きなホールのようだった。
 見える限り壁際にベッドが十数個。暖炉、テーブル、毛皮のじゅうたん、壁にかけられたタペストリーなど。
 壁には猟で捕らえた獲物の剥製や、絵画も掛かっている。
 電気などというものは皆無なのか。壁にはいくつかのランプが見えるが、今は灯っていない。
 人影はなく、プエラに案内されるがまま、階段を上って二階に上がる。
 二階は間取りが区切られており、個室がいくつかに分かれている。
「一階は住民たちの住居。二階は家長や偉い人たちの個室です。ですから、あまり覗いたり触ったりしないでくださいね」
 廊下には突き当たりの窓ひとつしかなく、少々薄暗い。
「ここが客室です。占い師に使ってもらってます」
 彼女はそう言いながら、使い古され味の出ている焦げ茶の扉をノックした。
 返事はすぐにあった。
「入っても宜しいですか?」
「どうぞ。遠慮なく」
 中から聞こえてきた声は男のものだった。
 扉が開くと、中は明るい。
 部屋の置くに天蓋付きのベッドがあり、部屋の中央に何らかの動物の毛皮を使った絨毯。
 小物もいくつかあったが、問題の占い師がいたのは部屋の角に設置された机のところだった。
 簡素な椅子に腰掛けて読書をしていたらしい。
「やあ、プエラさん。こんにちは」
 プエラは会釈をする。
「すみません。ちょっと占って欲しい人がいまして」
「ええ、かまいませんよ。相乗りさせてもらってる身ですから、こんなことくらいしか出来ませんが」
 プエラが物言わず振り返る。
 無言で促している。
 奏は一歩前に出て、会釈をすると座っていた男は腰を上げてにっこりと笑った。
 色白の優男だ。
 体中に布を巻きつけたような服装をしており、頭には厳重にターバンのようなものを巻いている。
 顔立ちは堀が深く、欧米人のような印象。
 だが、笑顔を含め物腰が柔らかく、一目で魅了されるような奇妙な雰囲気を身にまとっている。
「どうぞ。僕でよかったらなんでも答えるけど?」
 優男は椅子を二脚用意して腰掛けるように促す。
 プエラと奏が隣り合って座ると、正面に優男が腰掛ける。
 奇妙な雰囲気が三人の周囲に漂う。
 ふと、佐々倉想平のことを思い出す。
 今頃何をやっているのか。
「僕はルウディといいます。占い師をやっています。といってもこれで生計を立ててるわけでないですが」
 ルウディと自己紹介した男は穏やかに笑みを作った。
「僕は奏といいます」
「カナデくんか。ここには何の用で? 僕は何を占ったらいい?」
 何を占えばいいか。
 改めて言われると戸惑った。
 結婚運、金銭運など占っても仕方がない。
 ちらり、とプエラを見る。
 プエラは済まして座っているだけで、会話などには興味がなさそうだ。
 奏が言葉に詰まっていると、ルウディはあごに指を当てて「そうだなあ」と間延びした声を上げる。
「君は記憶を失って、ここがどこかも分からず戸惑っている。ということでしょ」
 奏はぎょっとした。
 なぜそれを知っているのか。
 いや、知っていたとしても、それは真実ではない。
 おそらく、先ほどの老婆との会話を聞かれたのだろう。
 それを、さも占った結果だと言いたげに口にした時点でこの男、信用できない。
 しかし、隣に座るプエラは早々に食いついて、驚きの表情を浮かべている。
 ルウディは奏の猜疑心に気づかずにはなしを続ける。
「君は過去も人も、この世界のことも何もかも忘れてしまっている。だから一般的な馬車を見て驚くし、君はこの巨大な馬車を引く馬がどんな動物なものかも知らない。そして、この国の情勢も、ここの集落の人たちが一体何に怯えているのかも知らない」
 とってつけたような言葉。怪しいが、話を合わせておく必要がある。
 占いはもはや聞く価値はなくなったが、それでも知らないことだらけなのは間違いない。制限時間一時間で、出来るだけの情報を仕入れなくてはならない。
 奏は早々に切り出した。
「僕が聞きたいのは行き先についてです。出来れば安全に近くの町まで行きたいんです」
「近くの町までは歩いて三十日掛かるよ。充分に装備していかなければ野垂れ死には間違いない」
「そうならない方法を占ってもらえないでしょうか」
「占いとは非常に不条理でね」
 ルウディはおもむろに、質問とはまったく別の話を始める。
「結局のところ、全く意味がないんだよ。運命というのは一本道でね。その一本道の先にある出来事を知らせることしか出来ない。知ったとしても変えることも出来ず、結局は行くべき未来に到達する。途中、多少の寄り道があったとしてもね」
「どういう意味でしょうか」
「僕にはあばたの未来が見えますが、それがどんな未来でも避けることが出来ません。たとえ、その未来を避けるような助言をしたとしても、運命は変わらず必ず同じ結末にたどりつきます」
 不信感が募る。
 理屈を捏ね回して相手を説き伏せるような人間は好きになれない。
 こうやって曖昧にごまかしてあやふやにするのが、この男の手口なのだ。
 時間がもったいない。
 適当に話を切り上げて出て行ったほうが良い。
 しかし、この場所で思わぬ足止めを食うハメになった。
「占いは娯楽です。その程度の理解で充分です。占いに傾倒すれば自滅する道を歩みます。それだけを心得て欲しいのです」
「自滅とは? 未来は変わらないのなら、占いで未来を知ったとしてもそのとおりになるのでは?」
「視点を大きく見れば、将来の自分が大金持ちになると占ったとして、その人間は何の努力もしなくなります。結果大金持ちなれずに死んでいく人間がいます」
「それは未来が変わるということでは?」
「いえ、本来あるべき未来に穴が開いた場合、ただ補填されるだけです」
「補填?」
「きっと、別の人間が大金持ちになるでしょう」
「言っていることが理解できないです」
「要するに、世界はマイナスを補填することは出来ますが、本来は存在しなかった未来に対して、別のものを削るようなことはしません」
「たとえば僕が何かを失っても、それは誰かが何かを得るだけだということですか?」
「そう。世界の容量は初めから決まっていて、ひとつの未来が失われれば、別の未来が追加されて世界の容量は常に満たされています。しかし、増えることはない。貴方が持っている未来の容量は減ることはあっても増えることは決してありません。失ったものは得られないということです。だからこそ、占いは不条理。占ったところで、得は全くしないのですから」
 やはり、意味不明な理屈で納得させようとしている。
「この世界をひとつの箱と捉えます。そこにはいっぱいにチーズが詰まっています。そのチーズが未来です。どこかのチーズが動物に食われて減ったとしますが、箱自体には影響がありません。新しいチーズを追加すればまた箱はチーズで満たされます。ところが、そこにはもともとなかったチーズを無理やり追加しようとすれば、もう入りませんよね。同じように世界とは大きな箱で、未来というチーズは増やすことが出来ないんですよ」
「人の未来は最初から決まっていて、それ以上は良くならないと?」
「そうです。誕生した瞬間。それが一番最良の状態です。あとはどうやってその最良を減らさないか。本来、占いはその道を説くべきです。しかし人はよりよい未来のために、将来を知りたがる。全く意味がないのに」
 ふと、隣のプエラが気になった。
 プエラは心なしか頬を紅潮させて、すっかりルウディの世界に取り込まれている。
「矛盾があります。失った幸福は他の人間に補填されるなら、未来の幸福は誰かにとって増えることになります」
「増えません。なぜなら、失われたものは誕生によってしか補填されないからです。誰かの失った幸福は、これから誕生する誰かのものになります。そしてその誕生した誰かは、生まれた瞬間に決められた未来の容量を超えることはありません」
 理詰めに対して反論できなくなってきた。
 奏の心境を悟ったのか、
「さて、前置きはこの辺にして」
 ルウディは穏やかな笑みを崩さないまま言った。
「聞きたいことがあれば、どうぞ」
 やっとだ。
 だが、果たして目の前の人間から有意義な情報が聞き出せるのか。
「僕が聞きたいのは町の方角と、正しい道順です」
「それは占い師の仕事じゃないです。僕が指差した方向に向かうというというのなら、いくら正しいと思われても貴方にとって優位には働きません」
 先ほどまでのルウディの話の内容によれば、そういう理屈になる。
 まどろっこしくてイライラしてくる。
「それなら、未来を教えてください。僕の記憶は元に戻りますか?」
「いえ。戻らないでしょう。貴方の記憶喪失は、実は失われたものではない」
 失われたものではない?
 心臓がぎくりと鳴る。
 虚言がばれている? いや、そんなわけはない。
「失われたのではなく、もともと無かった。君がこの世に誕生したとき、それまでの記憶は失われたのではなく、存在すらしていなかったということ」
 意味が分からない。
 奏が別世界の人間だと遠まわしに示唆するような言葉なのだろうか。
 ルウディは話を続ける。
「君はそのうち、自分の使命に気づく。今は全く意識していないが、本当の自分に気づくことになる。自分がなぜ記憶喪失なのか。なぜ君がいまここにいるのか。何のために生まれたのか。どうすべきなのか。未来を知る津用はない。そのときがくればすべて分かる。そして、僕がどうして言葉をあいまいにして、核心的なことをしゃべらないのかもね」
「結局、教えてはくれないんでしょう」
「ええ。僕は第三者なんですよ。すべてに対して。これは僕の宿命です。僕は世界に関わってはいけない。他人の未来や人生に触れてはいけない」
「言ってることが理解できません」
「いつか分かるよ。きっとね」

 

 ルウディの部屋を出て行く間際、彼はひとつ言葉を残した。
「とりあえずひとつだけ教えよう」
 振り返った奏に対してルウディは一言。
「君は必ずまたここに来る」
 その言葉をきっかけにして、奏は二度とここには来るまいと決心したのだった。それが腹立たしい説教に対する唯一のあてつけのように思えた。ここに二度とこなければ、この男の占いは外れたことになるのだから。
「だいぶ時間を使ってしまいましたね」
 プエラがポロリとこぼす。
 たしかに。
 時間を食った割には全く役に立たなかった。
「結局、何も占ってもらってないです」
「そうですね。おかしいな。いつもはあんなふうじゃないのに。それに、今日はとてもおしゃべりでした」
「おしゃべり?」
「普段、寡黙な方なんですよ」
「あの人はこの集落の仲間じゃないんですよね。どうして一緒にいて、部屋まで与えてるんですか?」
「あの人が現れたのは一ヶ月ほど前です。馬車で進む道を遮るように立ちはだかって『この先は危険だから進んではいけない』と言い出したんです。理由は盗賊団が潜んでいるからというものでしたが、そんなはずは無いんです。私たちは進む道を念入りに調べます。絶対に盗賊団や三ツ目族などに出会わない道を選び、絶対に誰にも見つからない場所を見つけます。偵察役の人たちがいて、数日から、長いときは数ヶ月もかけて次の目的地や道順を調べつくして、それから慎重に移動するんです」
 占い師より、プエラの話のほうがよほど有意義に思える。
 プエラは無邪気に話を続ける。
「しかも、その道は荒野のど真ん中。町すらないし、人も住めないような荒れた場所で盗賊団や三ツ目族、軍隊も現れる恐れが無かった。それに、馬車より先に進んでいる案内役の人たちからも異常はないとの連絡。最初はみんな信用しませんでした」
 ところが、占い師の言うことは当たっていた、という話の流れは読めたが、黙って聞く。
「実際は数人の偵察を出して、数キロ先に盗賊団が潜んでいることを突き止めて、道を迂回することになりました。そのことに感謝して、私たちはルウディさんの同行を許したんです。ただし、次の目的地まで。ルウディさんは見たとおり、若い男性です。若い男性がいては、どんな危険な目に遭うか分かりません」
「そういえば……この集落には女性ばかりですね。男の人がいてもお年寄りか子供。若い人はどこに?」
 プエラが悲しそうな目で奏を見る。
 聞いてはいけない質問だったか。
「本当に記憶が無いんですね。そんな質問をするなんて。良くあなたは無事でいられましたね。幸運です」
「教えてもらえませんか。若い男性がいると、どんな悪いことが起こるんですか?」
「徴兵令です。この国の二ツ目の若い男性はほぼ強制的に軍隊に徴兵されていくんです。しかもいちど軍隊に入ったら決して帰ってこない。だから、徴兵逃れに若い男性を隠す人たちもいます。だから、若い男性がいると軍隊や政府に知られれば、徴兵逃れの反逆者だと私たちはみんな処刑されてしまいます」
 奏はぞっとした。
 改めて知る。
 二ツ目族は奴隷。
「若い女性も同じです。綺麗な人ならなおさら。盗賊団に出会おうものなら蹂躙されて、抵抗すれば殺されます。子供老人関係なく」
 暗い顔。
 なんて世の中だろう。
 憂うと同時に恐怖に寒くなった。
 現世にいた頃、まるで対岸の火事のようにニュースから流れてくる紛争の堪えない地域。色濃く人種差別が残り、住民が射撃の的にされ、まるで蟻の行列を蹂躙するかのように人間たちの命を弄ぶ。
 そんな場所に生まれたくない。住みたくない。行きたくない。ニュースを見ながら平和な日本にいることに心底安堵した。
 だが、今はいる。
 人の命の価値が下がり、拷問や娯楽のために拳銃で人の指を吹っ飛ばすような世界。苦しむ被害者を見て不気味に高笑いし、最後に残酷に殺して終わる。
「考えられない……」
「ひどい話でしょう。あなたは忘れていたのだから、もっとショックでしょう。でも、知らないとひどい目に遭ってしまうし……」
 プエラは奏を脅かしたいわけじゃない。確かに助言だ。危険な目に遭わないための。
「プエラさんも気をつけてください。若くて綺麗な人は危険なんでしょう」
「ええ。盗賊団が現れれば、すぐにでも隠れます。大丈夫……」
 そこまで言って、前を歩くプエラが勢いよく振り返った。
 目をまん丸にして、その顔が真っ赤になっている。
「ど、どうしたんですか」
 プエラは両手で顔を覆って、ちらちら奏を見ながら「若くて綺麗だなんて……」と小さな声を出す。
 中学生みたいな反応だ。
 そんなに照れること無いのに。
 嘘を言ったつもりは無いが、普段、言われ慣れていないのだろうか。
 若い男性が少ないのなら、口説き文句に褒められる機会も少ないのか。
「さ、さあ。案内しますから。こちらへ……」
 プエラは駆け出すように奏からはなれていった。
 案内すると言ったプエラを、奏は走って追いかけなければならなかった。

 

 その頃、佐々倉想平は集落の人間に見つからないよう、森の中に身を潜めていた。
 見える植物や木々は、本当に奇妙である。図鑑に載っていて見たことがあるものもある。
 佐々倉想平が懸念していたものは食料である。
 何を食ったらよいのだろう。
 まさか、いままで現世に現れては有害な人外だといって退治していた植物や動物を食するとでも言うのか。
 とにかく奏からの連絡を待つしかない。
 そろそろ集落に入って一時間がたつ。
 あいつはこちらを見つけることは出来ないだろうから、こちらから発見してやるしかない。
 佐々倉想平は木の上に上り、じっと奏が姿を現すのを待っていた。
 ところが、ふと視界の片隅に何らかの違和感を抱いた。
 目の良い佐々倉想平だから気づいたといえる。
 佐々倉想平の視界には木々や、飛び交う昆虫、動物などが縦横していたが、その中に違和感を覚える動きをする箇所があった。
 すぐさま目を凝らす。
 集落とは別の場所。
 何かが蠢いている。
 距離はあるが、木々や茂る葉でよく見えない。
 なんだろう。
 首を伸ばしたり縮めたりして視界を動かしてみるが、どうやら今いる木の上からでは死角になっているようだ。
 興味を惹かれた佐々倉想平は、恐る恐る木を降りる。
 気配を殺し、うごめく「何か」を探ろうと足を踏み出す。
 隠密行動は佐々倉想平の十八番。
 うごめく「何か」が危険をはらむ敵であった場合を充分に考慮し、こちらからは良く見えても、相手側からは死角になる位置に移動した。
「なんだ、何してやがる」
 どうやら数人の人外。
 二ツ目なのか三ツ目なのかなどは判断できない。
 数人の男が、丘のような溶岩石の上にいる。
「あれは……」
 危険な匂い。
 見える現状の理由は分からない。
 だが、談笑しているような雰囲気ではない。
 明らかに何らかの悪意を感じられる。
 この集落、もしかしたらとんでもない危険地帯かもしれない。
 やはり、奏は無謀な阿呆だった。
 相手のことを何も知らず踏み込んでいくなど、自殺行為に等しいのだ。
 まあいい。
 奏などどうなろうと知ったことではない。
 あいつに何かあったら、俺はこっそりここを離れて、現世に帰る方法を検討しなければ。
 とりあえずは夜を待って、しばらくは生きていける装備品を、集落に盗みに入るしかない。
 そのために、佐々倉想平は集落の周囲の地形、集落内の馬車の配置などを調べ始めたのだった。


 一時間はすぐに過ぎた。
 もっとも、自称占い師のルウディのところで半分以上の時間を食った性であるが、集落の人々は一様に奏を警戒し、ろくなことをしゃべらなかった。
「そろそろ時間です。本当にすみませんが」
 プエラが恐る恐る切り出してくる。
 出て行けというのだ。
 もう迷惑もかけられない。
「分かりました。いろいろありがとうございました。感謝します」
 町の方向は聞いた。
 果たして歩いて三十日という距離、無事にたどり着けるのか。
 この集落に連れて行ってもらうにしても、次の移動日が決まっておらず、いつ出発か分からない状態。
 たどり着いた瞬間にお先真っ暗なことは間違いない。
 一体どうしたらいいんだろう。
 どうやってユーナを探したら。
 集落の終わりまでプエラが見送りに来る。
 いつの間にかプエラの周囲には子供たちが集まっていた。
 子供たちは見送りではなく、ただ先生についてきただけだろう。
「それじゃ。本当に親切にしてもらってありがとうございました」
 プエラがバツの悪そうに渋面している。
 子供たちが心配そうにプエラの服のすそを引っ張って声をかけている。
 どうしたの? 具合悪いの? 子供たちの心配の声に気丈に愛想笑いのプエラ。
 子供たちの先生か。
 いい先生なのだろう。
 なにより多少卑屈だが母のように優しい。
「あの……」
 プエラが戸惑いがちに問いかけてくる。
「私、本当に何も出来なくて……あなたが悪人じゃないのは良く分かってます。こんな無情に追い出したりして」
「別に気にしてません。良くしてくれましたし。本当に気にしてません」
 勝手の分からない世界で、誰かを頼りたいのは山々だが、おそらくこの集落に出会えたことさえ幸運なのだ。
「ちょ、ちょっと待っててもらっていいですか? ここで子供たちと」
 突然顔を起こしたプエラが早口に言った。
「待つんですか?」
「はい。少しだけ……、すぐ戻ってきますから!」
 プエラは返事も聞かず踵を返すと駆けていった。
 何だろう、と呆然としていると、子供たちに取り囲まれ、無邪気な無数の瞳に見上げられる。
 物言わず見上げる子供たちは、おそらく奏の発言を待っている。
 幼い子供たちからすれば、奏は大人に見えるのだろう。
 仕方なく「みんなも元気でね」と声を上げると、子供たちは顔を見合わせる。それは一体どんな意味の反応なのだろう。
「占いの先生には会った?」
 女の子が聞いてきた。亜麻色のフワフワした髪の女の子。
「会ったよ。ルウディさんだよね」
「ルウディさんはすごいんだよ。ルウディさんのおかげでいろんな危ない目から助かってるんだよ」
「へえ」
 だから若い男であろうと、同行を許されているのだろう。
 でも、言っていることと矛盾するじゃないか。
 未来は変わらない。目の前の起こる危機に助言したとしても避けられないのじゃないのか。
「ねえ、お願いがあるの」
 亜麻色の女の子が奏の手を引いた。
 すると、他の子供たちも奏の手を引いた。
 どこかに連れて行こうとしている。
「でも、先生がここで待っててと……」
 子供たちはお構いなしだ。
「お願いって何かな?」
「こっちに来て欲しいの」
 無理やり手を引かれる。
 なんだろう。
「なにかあるの?」
 子供たちは再び戸惑ったように顔を見合わせる。
 そういえば、子供たちは最初から様子がおかしかった。
 本当はプエラ先生に用があったのかもしれないが、プエラがあんな様子でいなくなってしまったので、仕方なく奏にお願いしたのかもしれない。
 まるで蟻の群れに運ばれる獲物のように子供たちに連れて行かれたのは、集落から程近い森の中。
 その一角は、集落からは完全に死角になっている。
 子供たちの顔に緊張の色。
「あれ」
 子供たちが指を刺した。
「あれはなに?」
 子供たちが一斉に奏を見上げた。
 奏は目の前に見えているものに愕然とした。
「これは……」
 見てはいけないもの。
 奏は慌てて子供たちに言った。
「集落に戻って、プエラさんを連れて来て。それから、ここにはもう戻ってきては駄目だ。先生だけ来るように伝えて」
 子供たちは戸惑いながら、引き返し始めた。
 これは……。
 溶岩で出来た真っ黒な岩が小さな丘のように盛り上がっている。
 問題はその上に乗っているもの。
 隔世は、奏の住んでいた平和な日本とは違う。
 だからって、いきなりこんなものを見つけるとは。
 奏は恐る恐る近づいていく。
 溶岩石で出来た丘は小さな隆起が多く、上るのも容易だった。
 動悸が激しくなってくる。
 近づいていくたび、まるで向かい風のような恐怖が押し寄せてくる。
 異臭が漂ってくる、様な気がするだけだろう。
 見るのか。
 奏はおそるおそる近づいていく。
 間近まで来たとき、疑惑は確信に変わる。
「うう……」
 確かめなければならない。
 しかし、精神が拒んでいる。
 今すぐこの場を逃げ出したくて仕方がない。
「死んでるのか……?」
 目の前にあるのは人。
 倒れている。
 黒い岩の上、うつ伏せだ。
 岩の下からも見えた、後頭部あたりにある突起物。
 包丁。
 刃渡り二十センチはありそうな包丁が、仰向けに倒れる人の後頭部に深々と突き刺さり、周囲の岩が濡れている。
 黒い岩のせいで血液の赤さは分からない。
 生きているようには見えない。
 だが、確認しなければならない。
 奏は恐る恐る手を伸ばす。
 岩に投げ出された腕を掴む。
 動かない。
 まるで蝋人形のように、関節は奏の力に逆らって折り曲がってはくれない。
 間違いない。死後硬直だ。
 死んでる。
 でも……。
 人が死んでいる。そのことが平和日本なら一大事であるが、果たして隔世ではどうなのだろう。
 良くあることなのか。
「あまり近づくな」
 出し抜けに声がして、奏は縮み上がって驚いた。
 周囲を見渡して声の主を探す。
「ここだ」
 声は頭上からした。
 見上げると、木の枝に佐々倉想平が乗っかっていた。
「佐々倉さん、そんなところに」
「それよりあまり触るな。余計な疑いをかけられかねないぞ」
「ひ、人が死んでるんです。どうしよう……」
「どうしようって、どうしようもできないだろう。ここは隔世なんだ。警察を呼ぶわけにも行かない。それより関わるな」
「でも……」
「隔世では良くあることなのかもしれない。とにかく面倒ごとが嫌なら今すぐ岩から降りて集落からはなれろ」
 まさか、殺したのが自分たちだなんて疑いを?
 有り得ない話ではない気がした。
 奏はぞっとした。
 慌てて岩を降りる。
「佐々倉さん」
 声をかけると、佐々倉想平はすでに先ほどの場所にはおらず、返事もしなかった。
 すると、背後から複数の足音がして振り返る。
「これは……」
 そう声を上げたのは数人の男たち。
 若い男だ。
 集落では見かけなかった。
 どこから沸いてきたのか。
 普段は有事に備え、若い男性は隠れているのかもしれない。
 男たちはすぐに岩を登り、問題の死体を確かめた。
「し、死んでるぞ!」
「誰だかわかるか?」
「今調べる!」
 岩の下に残っていた二人の男が奏を振り返った。
 その瞳に見える猜疑心の光。
「おい、あんた」
 奏より頭ひとつ大きい屈強な男が詰め寄ってくる。
「よそ者だってな。ここには何しにきやがった」
「いえ、僕は……」
「おまえ、一体なに者だ? なんか変な服着てるし、雰囲気が何か怪しいな」
 目の前に立ちはだかる二人の男。
 胸板は奏の何倍もありそうだ。
「一緒に来てもらうぞ。文句はないな?」
 逆らえるはずもない。
 奏は降参した。

 

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