あっちから変なの出てきた

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第十一章 【 ディザーテッド・タウン編 帝国旅団 】


 いつのまにか眠っていた。
 目を覚ますと、まず始めに強烈な身体の重さを感じた。喉の渇きは呼吸困難なほどで、目を覚ますことが出来たのが奇跡だとでも思えるほどの脱水状態だった。
 夜明けまで考え込んでいたのは覚えている。
 全身が汗だくだったことで、日の高さを知った。ほとんど気を失う状態で眠っていたようだ。
 きっと今ごろは帰ってこないタモンに、マリィもカイヤも悟ってることだろう。
 タモンは重い頭痛を覚えながら体を起こした。ルウディは夕べと同じ状態で、瞑想にふけるように目を瞑っている。
「……水があるよ。自警団長の心遣いだ」
 眠っていたとばかり思ったルウディがそう口を開いた。鉄格子のあたりを見ると、確かにコップがふたつ置いてある。タモンはコップに飛びつくと、ふたつとも水が残っているのに気づいた。
 タモンは水を飲みながら言った。
「ルウディ、あんたは飲んでないのか?」
「ああ、君にあげるよ」
「飲んでおいたほうがいい。どうして我慢してるんだ? ひょっとしてなんかの宗教的な理由なのか?」
「我慢などしてないし、別に宗教に興味はないよ。全ての物の理を知っている僕が宗教の教えなどに興味がある訳が無いだろう。どっちかと言うと、君のほうが信者には向いてるようだけど」
「何でだよ」
「僕にすぐ答えを求めるじゃないか。自分で答えを見つけられない人間が、迷える妄信者になるんだ。とにかく水は君にあげる。僕は大丈夫だ」
「じゃあ、遠慮なく」
 タモンは後々のために水を半分残しておいた。
「今、どれくらいの時間なのか分かる?」
 タモンがたずねると、ルウディはようやく目を開いた。
「それくらい、自分で考える習慣を付けたほうがいいよ」
「日の傾きを見れば分かるけど、牢屋の中だからな。君に聞いたほうが早い」
「眠ってる時間がどれくらいだったかも分からないのか? まあいいや。正午は過ぎてる。あと四時間で日没ってところだろう」
「あと四時間か……なあ、帝国旅団は町に入ってこないで何してるんだ?」
「時を待ってる」
「時?」
「入って来るべき時を待ってるんだよ。町に入る契機は今ではないと考えているから、今は入ってこない」
「じゃあ、いつ?」
「いつだと思う?」
「今夜? 日没してからしばらく経ったらかな」
「どうしてそう思う?」
「俺の質問で、まだ町に帝国旅団が入ってきていないことが分かった。それに、日没までには後四時間しかない。この時間に入って来るには中途半端な時間だし、だったら、日が沈むのを待っていると思った」
「へえ、凄い凄い」
「なにが凄いだ。お前は俺の考えてることが全部分かるんだろ?」
「わかるよ。でも占わないと分からない。川に落ちた葉は、東西南北どちらの方向に流れるかは、川の流れを見ないとわからないだろ。見なければ分からない。だけど占ってしまったら、驚きも何も無い会話になってしまう。そんな退屈だ」
「ふうん」
 分かったような、分からないような。タモンは煮え切らない気分のままそっぽを向く。
 ルウディがへらへら笑いながら言った。
「君は最初から僕のことを疑わないね。字形団長のいった通り、僕のことイカサマ師だとは思わないの?」
「思わない。俺は南にある故郷の島国で魔術師に会った。名前を付けてくれた人だ。あんたはその人と同じような匂いがする」
「へえ。その人はきっと本物だったんだろうね」
「そうだ。彼は間違った占いをしたことが無い。彼に名前を付けてもらったことを誇りに思う」
「君はその人に、どうしてその名前をもらったんだい?」
「さあ、意味は分からないけど、きっと意味がある」
「そうじゃないよ。君には名前をつけてくれるはずの親がいたはずだ。両親はどうしたんだい?」
「そんなもの、聞かなくてもルウディには分かってるんだろ」
「分かっているが、聞きたいんだ。僕は会話が好きなんだよ」
「両親のいない人間なんて、今の時代、珍しくもなんともないだろう。あえて言えば、魔術師が俺の親みたいなものだ。彼にあこがれて、俺はこうやって眷族を探す旅をしてる」
「その魔術師に一度会ってみたいね」
「どんな人間なのか占えば分かるんじゃないのか?」
「そうだね。気が向いたらやってみる」
「俺の過去も詳細に占えるんだろ」
「占えるよ」
「どんな細かいことも?」
「それを知りたい? 自分の過去を僕が事細かに知ってるかどうかなんて知りたいかなあ」
「……知りたくなくなってきた」
 
 
 夜になる。
 太陽の代わりに自分の仕事が始まったと、星々が必死に光って主張を始めた。
 ――わたしたちは星。
 星はそう語っている。
「なあ、自警団長は死ぬのか?」
「そうだよ」
「死ぬのは今夜か?」
「そうだよ」
「どうして?」
「理由? 理由はないなあ」
「南の島の魔術師も同じだった。いつもはっきり明言せずに、曖昧なことばかり言う」
「そりゃそうさ。答えを知ってしまうと人間は怠けるんだよ。自分で考えないようになる。運命を知るということは不条理で、知った瞬間から決して良い方向へ働かないように仕組まれてる。運命を知るなんてなんの意味もないことなのさ。君の知ってる魔術師もそれを知っていたのだろう。なにより、それが自分の役目だとちゃんと理解してたんだよ」
 知っても意味がない運命なら、やはり知ることはできないという結論になる。まるで自分の背中に書かれた答えを見ようと、その場でくるくる回っているようなものだ。そこに確かに存在するが、見ることが出来ない。見ることが出来た瞬間、首の骨がへし折れて死んでしまう。
「なあ帝国旅団はなにを目的にやってきたんだ? ルウディの話だと、決していい奴等じゃないような気がするんだけど」
「どうかなあ」
「少しでいいからさ。なんでもいいから教えてくれよ」
「そうだな。それじゃあ特別だよ。自警団長が死ぬって話したよねぇ。それじゃあマリィが死ぬっていうのはどう?」
 ――マリィが死ぬ?
 タモンは思わず腰を上げていた。
「いいかげんな事を言うなよ」
「なんだよ、結局は信じないじゃないか」
「本当なのか?」
「どっちでもいいよ。信じてくれても、信じてくれなくても」
 タモンはルウディに詰め寄った。
「マリィが死ぬなんて冗談じゃないぞ。本当なのか? 本当なら、どうすれば死なずに済むか教えてくれ」
「運命は変えられないって。無駄無駄」
「いいから教えろよ。どうやって死ぬんだ? 誰かに殺されるのか?」
「さあ。知っていても助けられないよ」
「死ぬ瞬間を知っていれば、回避できるはずだろ?」
「残念なくらい浅はかだね。そんなこと有り得ない」
「どうして分かる?」
「愚問だね。誰に対してそれを言ってるんだ?」
「いいから教えろ」
「君が教えろと言ったから、教えてあげたのに」
「いいから教えろ!」
 タモンがルウディの胸座を掴んで怒鳴った。
 ルウディの顔から笑いが消える。彼は静かに言った。
「運命は逆らえないと同時に、逆らったらどうなるか、君に想像がつくかい?」
 タモンは首を横に振る。
「もし君がマリィが死ぬ瞬間を予め知って、その運命を捻じ曲げようとしたとき、大きな歪みが出来るのさ。たとえば箱がある。その箱は十個のチーズを入れる事が出来る。それで一杯だ。だけど君はそれを無視して、十一個目のチーズを入れようとする。するとどうなる?」
「さあな。十一個目のチーズが入らず潰れるんじゃないか?」
「その通り。無駄だって事さ。十一個目のチーズは入らない。この世界も大きな箱さ。運命という名のチーズが隙間無く詰まってる。そこに新たな運命を差し込もうとしても潰されるだけだ」
「歪みとか言ってたじゃないか。それはなんだ?」
「それは、それでも頑固に十一個目のチーズを入れようとしたらどうなる? 他のチーズがへこむだろ? それが歪み。そして、あらかじめ箱の容量は決まってるんだから、元の状態にチーズが戻ろうとするわけだ。これが復元力。わかるかい? チーズをへこませて運命を変えたつもりでいても、後の訪れる復元力でしっぺ返しを食うんだ。結局元通り。仮にマリィを助けたとしても一時的なものだ。すぐに死ぬ」
「じゃあ、またへこませればいい」
「しっぺ返しをまた返してチーズをへこませれば、今度は箱に負担が掛かって、それ自体に亀裂が入る。分かるか? 箱が割れてチーズと箱が弾ける。崩壊だ。世界という入れ物が崩壊しかねないんだよ。それが最悪な類型。世界の崩壊って想像つく? 大きな流れに逆らって、微妙なバランスで成り立っている世界を壊してしまうんだ。丁度、今回の君の失態のように。君が立てた細波のおかげで、危うくこのヒンミンガイに火を点けられそうになった。もう一度同じ過ちを繰り返す気かい?」
 タモンは言い返す言葉が見つからなかった。
 タモンはルウディから手を放すと、ルウディが再びころころと笑い出した。
 自警団長にここから一歩も出るなと忠告された。
 逆らってばかりで申し訳ないが、今度も自警団長の忠告を無視してしまいそうだ。
「ルウディ。俺は、自分がこんなに酷い人間だと思ったことはない」
「酷くない人間なんて、僕は会ったことがない」
「俺はマリィやカイヤに約束した。必ず町から連れ出して、幸せにするって。ヒンミンガイの奴等は、命を懸けてマリィを幸せにしろと言われた。俺はそんな思いを踏みにじった。屁をかますくらい簡単に踏みにじった。……実際、俺は何が何だか分からないんだ。物凄い罪悪感で一杯なことしか分からない」
「だから?」
「マリィを救いたい」
「だから、マリィが死ぬときを教えろと?」
「そうだ」
「何度も言わせないでくれ」
 タモンは居ても立ってもいられない。このルウディは決してマリィの死の瞬間を教えない気だ。なら四六時中守ればいい。
「運命は変わるかもしれないとは思わないのか?」
「思わない」
「お前は分からないことはないと言ったよな?」
「ああ、言ったが、それが?」
「ルウディ。さっき、世界の崩壊って言ったな。お前にはその世界の崩壊まで見えてしまうのか?」
「……いい質問だ。答えは『見えない』だ。僕が見えるのは定めされた運命の流れのみ。その崩壊までは予想がつかない」
「予想? 君は予想で未来を占っているのか?」
「そうだよ。君は、この鉄の玉を手から離したら、どうなるかわかるかい?」
「床に落ちる」
「そう。それが君の出来る予想だ。では落ちるまでに何秒かかって、地面に何度バウンドし、どんな音がして、どういう傷がつくか。そこまで予想が出来るのが僕さ。大きな流れを意識すれば、それがどういう方向に流れていくかなんて簡単に想像できる。突き詰めれば、永遠に繰り返す堂々巡りを何万年、何億年と先まで見通す事が出来る。大抵、優秀な占い師は結果だけしか分からない。どんな問題も結果だけしか分からないのさ。誰々が死ぬ。それは分かるが、どうやって、どのように死ぬかまでは分からない。その結果までの過程を見ることがでいるのは、この世で僕ぐらいだろうね。原因と結果の因果律だ」
「最後の因果何とかはよく分からないが、それ以外は何と無く分かった」
「理解が早い生徒で助かるよ」
「運命は変わらないんだろ?」
「ああ、そうだ」
「お前は何でも知ってるんだろ?」
「ああ、知ってる」
「それじゃあ、これから俺がしようとしている事も当然、知ってるんだな?」
「知ってる」
「止めるなよ」
「止めないよ。まあ、君がどう足掻いても、この世界に針の先ほどの歪みを生ませたら大した物だ。人一人の力なんて世界に比べたら……この世にあるものじゃ、喩えられないほどの大と小だよ。銀河と原子くらい」
「銀河? 原子?」
「それを説明するには苦労しそうだ」
「別にしなくていいよ」
 タモンは牢屋を出ようとした。
 ルウディが背後から声をかける。
「僕はずっとここに居るから、またなにか聞きたい事があったらここにおいで」
 それは、またタモンがここに戻って来ると言っているのか。
「それなら荷物をここにおいていくよ。暇だったら中身を見ててもいいよ。でも、どれも譲らないからな」
「ご自由に」
 ルウディが手を振った。
 タモンはにこやかに送り出すルウディを背に小屋を出た。
 
 
 小屋の周りは無人街だ。無人街を越え、街の大門から伸びる大通りまで来ると、深夜だというのにランプを持った町の人間達が通りを埋め尽くしている。
 どよめいている。不安そうに町の人間が蠢いている。
 どこから聞こえるのか分からないが、鐘の音がけたましく轟いている。町中に響き渡る鐘の音は、緊急事態を物語っている。
 人込みの中で周囲を見渡してみると、鉄の枠組みで作られた櫓を発見した。何のために造られた櫓なのか。民家の合間に立っている。
 タモンは人込みを掻き分けて櫓の元までやってくると、取り付けられていた梯子をよじ登る。
 頂上まで上りつくと町の様子が伺えた。星明りの元、町全体が仄かに青く発光していた。町の囲むように建っている塀が、町の輪郭を縁取っている。
 町の三分の二を普通の民家の羅列で占められ、町の南側の小さな範囲に、ヒンミンガイのテントが密集している地帯が見えた。その先に巨大な黒い箱状の建物。それが隔離施設。病気になった人間を手足を縛りつけて放り込む建物。恐らく隔離施設の病人を看護しているのはヒンミンガイの人間だ。マリィやカイヤ。
 隔離施設の不気味な様相にタモンは身震いした。隔離施設のすぐ傍のヒンミンガイに、あの二人はいる。
 マリィとカイヤを思い出す。
 今頃は、もうタモンが戻ってこないことを悟っているだろうか。それとも、まだ信じて待っているのだろうか。
 大通りに群れる人波を辿りながら、正面門の方角を見る。
 正面の門の向こうに何かがいる。ぼんやりと明かりが漏れているのが見えるが、もっと高い場所に登らないと、高い塀の向こう側は見えない。
 門が開こうとしている。町中のどよめきが増す。タモンも注目した。
 門が外に向かってゆっくりと開いていき、開かれた隙間から光が漏れてきた。
 帝国旅団。
 ――何の目的でやってきて、何をしていくんだろう。
 危機感だけが伝わってくる。町中に渦巻いている動揺。帝国旅団の訪れは、決して平和的でないことは理解できた。
 門が開いてゆくにつれ、向こうから眩い光が漏れてくる。どうしたら、こんな光を出す事が出来るのか。タモンには想像がつかなかった。どんなに火を焚いても、あれほど眩い昼間のような光を出せるわけが無い。
 二つに割れた門の向こう側からの逆光で、黒いシルエットになった人影が現れた。一つではない。見える限り四つの影が確認できる。
 ゆっくりと前進してくるシルエット。背後からの強烈な光に、シルエットの影が通りに長く伸びている。
 正面門の前に群れていた群衆が気圧されたように引いていく。シルエットと発光物体が歩みを進めると、群衆は道を開いていく。タモンは目を離す事が出来なかった。
 徐々に町の中に入っていく帝国旅団。進行の先に立ちはだかる者がいた。遠巻きで確認しずらいが、おそらく自警団長だろう。
 自警団長は死ぬ。
 ルウディの言葉。
 タモンは緊張した。
 帝国旅団の歩みが止り、自警団長と対峙した。しばらく硬直状態が続く。黒いシルエットのひとつと会話しているようであったが、遠く離れた場所にいるタモンの耳まで会話が聞こえてくるはずは無い。
 しばらく経つと自警団長は下がり、帝国旅団は再び歩みを進めはじめる。
 どこに行くつもりなのか。
 
 
 帝国旅団は、ドロレスの屋敷の前で行進を止めた。そこまで来ると、タモンのいる櫓からも近くなって、様相がある程度鮮明に覗えるようになった。
 小さい家屋ほどもある馬車を、大きい馬が引いている。馬もただの大きさではない。普通の馬の三倍はありそうな巨大な馬だ。
 馬車の御者台付近に前方を照らす発光部分があるが、一体どうやって光を放っているのか、仕組みはまるで分からない。
 強い光の正体はとりあえず脇にどけて置くことにし、ルウディのあの大袈裟なものの言い方を考えた。ルウディは化け物の集団だと言った。それにしては随分小さな旅団だ。何千人という群衆を引き連れる旅団だと想像していたタモンだが、おおよそ確認できるのは四人だけ。大きな馬車の中に、まだ幾人か待機しているとしても精々十数人がいいところだ。町中が恐れ戦かなければならないほど多い人数ではない。
 ひょっとしたら他の旅団の人間は他の場所で待機しているのかもしれない。大人数でこんな町に押しかけてもしょうがない。町の中に入ってきたは帝国旅団を代表した四人かもしれない。
 旅団がドロレスの屋敷に入っていく姿を確認した。ドロレスに用があるのだろうか。ドロレスは地下室で失神させた後、一体どうなったのだろう。
 人々はドロレスの屋敷の前で群れている。
 どうなっていくのか予想がつかない。こんなの予想が出来るのはルウディくらいだ、とタモンは思った。
 
 
 暫く経って自警団長の大声が聞こえた。
 ――家に戻れ! 話は俺が代表して聞いてくる! 今から一時間後に大講堂に集まってくれ。心配するな。家に戻って一時間後に大講堂だ! そこで説明する!
 一時間後に大講堂か。
 自警団長は群れの中に入り込んで、大声を上げながら駆けずりまわり、必死に民衆を散らばらせている。自警団員もそれに習って、あちこちで大声を上げて群衆の整理の当たっていた。
 ドロレスの屋敷の前に群れをなしたって仕方がない。タモンも現状を知るためには、自警団長の言う通りに一時間後、大講堂へ行くのが一番賢明な選択であろう。
 タモンは櫓を降る。
 ヒンミンガイに行っている暇はあるのだろうか。
 ――マリィ。本当に死ぬのか。
 ルウディが本当に未来を見ることの出来る能力者だとしても、その口から本当のことを語るとは限らない。
 いずれにしても、今夜の間はマリィをずっと見張っていれば安全だ。
 ――絶対に死なせてたまるか。
 
 
 タモンが櫓を降りてしばらく経つと、町の人間は自警団の言う通りに散り始めた。一時間ほど経つと町は蓋を閉じたように静まり返り、人の気配が無くなった。自警団長の指示通り、町中の人間が大講堂に集合しているのだろう。
 タモンは一軒の民家に侵入して、洋服とターバンを拝借して変装を済ませた。町の混乱に乗じれば、さすがに正体がばれる心配も無い。町の人間はすでにタモンのことなど忘れ去っているはずだ。そう考えた。
 タモンは大講堂へ行く前に、どうしても馬車から発せられる光の正体を知りたかった。もしかしたら古代の文明品かもしれないと考えた。
 ドロレスの屋敷の周囲には、先ほどまでの混乱が嘘のように誰もいなくなっていた。木枯らしが吹く大通りを真っ直ぐドロレスの屋敷まで向かった。
 ドロレスの屋敷の前に荷馬車が止まっている。遠巻きで見た時とは比べ物にならないほどに巨大な馬車だった。二ツ目族の放浪集団であるウィンディアの住宅を引く馬と同じだろう。種類で言えば五里宛馬だと思われた。
 馬車の上には強大な石像が乗っている。石像として彫られた生き物の正体は分からない。見た事も無い生き物の石像だ。人の形をしているが、背中に大きな翼を背負っている。それがしゃがみこむようにして正面を睨み付けている。その形相は怒りに満ちていて、牙を剥き出して咆哮を上げている。
 空想の生物だ。悪魔というものが有り得るなら、きっとこのような風貌をしているのだろうと思った。
 馬車に窓があったが、カーテンが閉められており、中身は見えない。
 前方に周ると、この世のものとは思えないほどの巨大な馬が「ぶるるる」と唇を震わせている。タモンの事を見ているのか、つぶらな瞳が鈍く光っている。時々蹄で地面を掻き、長く太い首を上下させている。筋肉隆々の足で蹴り飛ばされたら、タモンなど宇宙まで吹き飛ばされるだろう。
 馬に警戒しながら、御者台付近に取り付けられた発光物体を見た。とても直視できない。太陽のように光り輝いていて、周囲は昼間のように明るい。馬車の前方に丸い物体が嵌め込まれていて、それが発光している。間近で見ても、全く正体が分からなかった。
「何をしている」
 タモンは不意に背後から声を掛けられた。
 ――見つかった。
 と思った瞬間、ありとあらゆる言い訳がタモンの頭の中を駆け巡った。
 声の方を振返ると、黒いコートの男が立っていた。
 ――この男を知っている。ルビウスだ。ドロレスの用心棒だ。
「いや、物珍しい馬車だなあと思って、ちょっと見学を」
「ここには近寄るな」
 ルビウスは冷たく言い放つ。タモンは悪寒がした。目の前の男は普通ではないと肌で感じ取っていた。ナイフのように鋭い雰囲気を身に纏っている。触れた瞬間に全身が切り裂かれそうだった。
「すみません、すぐ退散します」
 タモンがそう言って顔を上げないようにその場を立ち去る。
 距離を置いてから振返ってみると、馬車の前ではルビウスがまだタモンを眺めていた。
 慌てて目を逸らし、再び歩き出す。
 大通りを折れて路地裏に入るとき、もう一度馬車の方を振返ったが、もうルビウスの姿はなかった。
 
 
 大講堂に行く途中、ひとりの子供が路地裏で泣いていた。
 さすがに深夜だ。子供は寝かせて、大人だけで大講堂に向かったのだろう。目覚めたとき両親の姿が見えず、不安に駆られて表に出てきたのだ。
 放って置くわけにも行かず、タモンは子供に近寄ると「どうしたのか」と訊ねた。子供は両手の甲で目を擦りながら泣いてばかりで何も答えない。タモンは子供の手を引いて大講堂に向かうことにした。
 大講堂につくと、中から不安そうなざわめきが聞こえてくる。窓から中の様子を覗ってみると、子供を抜いた五百人以上の町の人間全員がここに集結している。――いや、ヒンミンガイの人間はいないかもしれない。
 騒がしい講堂内の講壇には誰の姿も無い。まだ自警団長は来ていないらしい。
 講堂内の人々が苛立ちの声を上げ始めている。講壇の両脇には、見た事のあるスキンヘッドの男達が憮然と立っている。自警団員は団長が来るまで、こうして睨みを利かせて威圧しているのか。
 タモンは泣き止まない子供を、玄関からそおっと大講堂の中に押し込んだ。
「この中に君の両親がいるから、入ったら大きな声で名前を呼ぶんだ」
 分かったのか分からないのか分からないが、子供は覚束無い足取りで講堂内を歩いていき、ざわめきを打ち消すかのように泣き叫んだ。するとすぐに注目を浴びて、群衆の中から両親が飛び出てきた。
 どうやってここまできたのか、と口ずさみながら、母親が子供を抱きしめている。
 タモンは建物の陰に隠れながら、自警団長が来るのを待った。
 
 
 自警団長が訪れたのは、それからまた小一時間ほどしてからだった。
 マリィのことが気にかかり、タモンは焦れて講堂にいた群衆の苛立ちも限界に近かった頃、大講堂の玄関前に自警団長が姿を現した。
 自警団長が大講堂の玄関をくぐると、講堂内がどよめき出した。自警団長に対して無数の人間が同時に質問を浴びせていたが、自警団長はそれを無視して、講壇へと向かって歩いていく。
 自警団長が講壇に立って両手を挙げる。「静かにしてくれ」と叫ぶと、両脇に控えていた自警団員も「静かにしろ」と怒鳴る。
 自警団長は両手を前に出して落ち着けと仕草で見せる。辛抱強く、群衆が落ち着くのを待っている。
 群衆が静かになってくると、自警団長はようやく口を開いた。
「いいか、良く聞いてくれ。みんなが大声で喋っていたら、俺の声なんてたちまち掻き消されてしまう。だから静かにして聞いて欲しいんだ。質問は後にして欲しい。いいか?」
 群衆がおのおのに頷いてみせた。
 タモンは窓の外から、自警団長の言葉に意識を集中させる。
「みんな、今夜訪れたあの集団が何者なのかは知っていると思う。ディストート旅団だ」
 群衆がざわめく。だが、話の先をが気になる群衆は、すぐに静まる。
 ディストート旅団とはどういう事だ。帝国旅団ではないのか?
「今までにも、何度かディストート旅団は訪れた事があったな。訪れる目的は説明しなくとも分かるはずだ。俺達はディストート旅団のおかげで政府の目を逃れ、こうしてこの町で平和に暮らせているし、四年前の疫病も彼らのおかげで生き抜くことが出来た。そして農耕や栽培、酪農、治水などの様々な生活の知恵を与えられ、以前は一つしかなかった井戸も三つに増え、生活も豊かになり人口も増えた。だが色々な問題は山積みだ。ヒンミンガイ、隔離施設……」
「今回の要求も、前と同じなのか!?」
 誰かが叫んだ。
 自警団長は頷いてみせる。
「ああ、そうだ」
 再びどよめく群衆。
「どうにかならないのかよ、団長」
 誰かがそう怒鳴ったが、自警団長は答えなかった。
 自警団長は、額を撫でながら言った。
「彼らは要求を満たす代わりに、その度にひとつ、我々に重要な物を残していく。最初は農耕、酪農。四年前は疫病に対するワクチン。その次は井戸と、井戸の水を浄化する薬。そしてその次はドロレスという政治家を残していった。様々な知恵を持つドロレスの力は、この町に大きな規律と経済力をもたらした。我々の暮らしは豊かになり、みんな、たくさんの赤ん坊を生んだ」
「そんなことはどうでもいい! もうたくさんだ。もう要求を呑むのは嫌だ!」
「分かってる。よく分かってる。俺もその意思をディストート旅団に伝えてきた。もう、終わりにしてくれと頼んできた。安全な暮らしと、疫病から救ってくれた礼は、もう十分にしたはずだ、と」
「そうだ」と、群衆が大声を上げた。自警団長が「落ち着け」と手を振りまわすと、群衆は大人しくなり始める。大人数に対して物怖じせず、言う事を聞かせてしまう自警団長の資質には感心する。
「聞いてくれ。このままじゃ堂々巡りだ。ディストート旅団は何度でも来る。だが協議した結果、ディストート旅団は今回の要求を我々が受け入れたら、もう二度とこの町には訪れないことを受け入れた。今回の要求の見返りは、ワクチンでも井戸でもドロレスでもない。『もう二度と現れない』だ」
 群衆が再び罵声を上げ始め、好き勝手に隣の人間と相談を始める。爆発的な騒がしさに、表から覗き込むタモンでさえ動揺する。
「静かにしてくれ!」
 収拾がつかなくなる前に自警団長が一喝した。効果覿面、水を打ったように静まり返る大講堂内。
「俺は、もう一度たりともディストート旅団の要求を受け入れたくない。今回で『最後』じゃない。今回はないんだ。俺はこのまま、ディストート旅団に町を出ていってくれと伝えるつもりだ」
「でも、今回で最後なんだろ? それを頑なに断ったりしていいのか?」
「受け入れろと言うのか?」
「もう二度とこないという条件なら、呑んでもいいんじゃないか?」
 自警団長は、少し取り乱したかのように言った。
「ちょっと待て、今、ここで賛成反対を聞きたいのは、子を持つ親にだ。現在、十三歳以下の子供を持つ親はその場で起立してくれ」
 ――子を持つ親?
 タモンは首を傾げる。
 ――一体、帝国旅団の要求とは何だ?
 講堂内の人間が疎らに立ち上がり始める。半数以上の起立があった。
「今、起立している者だけに質問する。要求を受け入れる事に賛成の人間は挙手してくれ。遠慮せずに」
 一同が沈黙した。
 それぞれが周囲の様子を気に掛けている。お互いがお互いを牽制しあっているようだ。誰も手を挙げようとしない。
「正直に答えてくれ」
 自警団長がそう言うと、一人の女が叫んだ。
「私は嫌よ! 前に、私は一人子供を連れて行かれてるのよ! ようやくできた二人目なのに、連れて行かれるなんて残酷すぎる! 私にはもうあの子しかいないのよ!」
 その悲痛な訴えに答えるように、違うところから男の声がした。
「でも、今回もあんたの子供が選ばれるとは限らないだろう。ヒンミンガイには子供がたくさんいるし、また君の子供になる確率は少ないぜ」
「そうだ。子供は十人だろ? 子供はこの町に三百人以上いる。だったら三十人に一人の割合だ」
「止めて!」
 女の声が悲鳴まじりにそう叫ぶ。
「あんたに分かるの? お腹を痛めて産んで、乳を飲ませて、ようやく私の名前を呼ぶようになり、よちよち歩いてくる子供を失う苦しさが!」
 講堂内が沈黙する。
 ――十人連れて行かれる?
 帝国旅団はこの町に訪れ、何かの特典を残していく代わりに十人の子供を連れ去っていく。今回の特典は「もう二度と来ない」か。
 ――馬鹿げている。そんなことがあってたまるか。
「私は反対よ。もう、あいつらの言う事なんて聞きたくないわ」
「どうして十人にも満たない人数の奴等に、従わなくてはならないんだ」
「もう、町の発展は十分だわ。子供は宝よ! 子供は私の命。絶対に渡すものですか!」
 至る所から罵声が上がる。
 タモンは自警団長の表情だけに注目する。
 自警団長は様子を見ている。群衆の意思を悟ろうとしている。
「聞いてくれ!」
 自警団長が叫んだ。
 好き勝手に声を上げていた群衆が自警団長に注目する。
「俺は町の子供の顔を全員知っている。クリスティーナの子供はようやく俺の顔を覚えて、俺を見ると『だんちょー』と可愛らしい声で名前を呼んでくる。ピーターの子供は愛らしい八歳の女の子だ。あの子の柔らかい赤毛を撫でると、とても無邪気に笑うんだ。レジーナとチャックの間に出来た男の子、カイは早産で、何度も生死の間を彷徨ったが、二人の愛の介護で今は元気に通りを走りまわってる。俺は町の子供は全て愛してるし、誰一人失いたくない。何があっても要求を受け入れる気はない」
「それが君たちの意思か?」
 全く別の方向から、その声が講堂内に響き渡った。声がなぜか講堂内にいる全ての人間の耳に届いたようで、五百人からなる全員が一斉に声の元を見た。タモンも例外ではない。
 大講堂の扉の前に男が立っていた。初老の男で杖を突き、山高帽を被っている。踵まである長いコートを羽織り、まるで床の上を滑っていくかのように講壇へと近づいていった。迷う暇も無く、男が帝国旅団の者だと悟った。
 初老の男は、そのまま音も無く講壇まで歩みを進める。警団長に断りを入れてから講壇の向こう側に立ち、群衆を舐めるように一瞥してから言った。
「ひとつ、自警団長さんが言っていたことに間違いがあったので訂正させてもらいたい。今回、我々の要求は子供十人ではない。この町にいる十三歳以下の子供、すべてを貰い受けにやってきた。見返りはご存知の通り『もう二度と来ない』だ」
 群衆が瞬間的に爆発的などよめきを見せる。
「受け入れるか、断るのかは君たちの自由」
 それほど大きな声を出しているとも思えないのに、耳を塞ぎたくなるほどの騒ぎの中、初老の男の声は屋外にいるタモンまで届いてきた。
 タモンは不思議に思った。全員の子供を連れて行くなんて、この男は本気で言っているのだろうか。そもそも冗談を言うような状況ではない。それに群衆はどうしてこの男にもっと非難を浴びせないのだろう。どこかでこの男に畏怖し、恐縮している。
 ――そうだ。
 タモンは悟る。
 丁度、タモンがこの町にやってきたときの群衆の反応と同じだった。
 群衆は、この初老の男を恐れている。
「静かに。大事な事を言うよ」
 初老の男が杖で講壇を叩く。徐々に落ち着いてくる群衆。それを見定めてから、初老の男は口を開く。
「子供を省いた町の人間を、一人残らずここに集合させるんだ。ヒンミンガイの人間もだ。一時間与えよう。一時間後に私がまたここに来る。いいか、全員だ。そこで私が決を採る。賛成か反対か。多数決で決めようじゃないか。いいね?」
 誰も、何も答えなかった。初老の男は返事も待たずに講壇を降りると、その足で玄関に向かった。
 五百人の視線が初老の男を追う。初老の男が玄関を出ていなくなると、塞き止められていた動揺が一挙に吹き出した。建物を痺れさせるほどのどよめき。
 自警団長は渋面で額を撫でていた。どうする事も出来ない。自警団長の表情はそう物語っている。
 一時間後に再びここに集合し、決を採る。もちろん、そこにはマリィやカイヤも来るはずだ。
 タモンは驚愕すべき現状を目の当たりにし、膝の力が抜けてその場に蹲る。
 そんな馬鹿げた事が有り得るなんて。子供を全て連れ去るなんて、軍の徴兵でもやらないことだ。
 ここには何百人もの屈強な男がいる。それなのに、あの初老の男に対し、誰一人として反論しようとする者はいなかった。
 答えが欲しくなった。この馬鹿げた現状を誰かに説明して欲しかった。
 ――ルウディしかいない。
 タモンは一時間後にまたここに戻ってくる事にし、牢屋の小屋まで走っていった。
 
 
「ルウディ!」
 怒鳴りながら牢屋に駆け込むと、ルウディが「やあ」と気の抜けた返事をした。
「また会ったね。今度はなんだい?」
「俺が聞きたい事は分かってるんだろ? 教えてくれ」
 タモンが鉄格子にしがみ付くと、ルウディはからからと笑った。
「……帝国旅団は恐ろしい集団だ。型にはまればなんでも有りなんだよ。帝国旅団が子供を差し出せと要求し、町がそれを承諾したら道徳も背徳も無い。契約が成立したわけだから、約束通り子供は連れて行かれる。それに彼らが出した要求に素直に従えば、それなりの見返りがあるし、それは必ず町に豊かさをもたらすものだ。しかし、それを断れば何らかの形で町に災いを残していく。群衆はそれを知っている。だから群衆は帝国旅団を恐れる」
「災いって何だ? 別に要求を断ったからって型破りなわけじゃないだろ?」
「そう。でも要求が通らなければ、まずドロレスを失う。ドロレスは帝国旅団の人間だからね」
「ドロレスは帝国旅団?」
「そう。帝国旅団から派遣されてこの町に居る。今のこの町を支えているのは間違いなくドロレスだ。ドロレスは町の治安、経済を一人で担っている。さまざまな知恵を持つドロレスの助言があるからこそ、政府からの目を逃れつつも、この町は秩序と経済が守られているようなものだ。それに住民が一番恐れているのは疫病の再発。疫病が死滅したことを知らない町の人間は、それが一番恐ろしい。ワクチンを握っているのはドロレスだ。ドロレスがいなくなれば、同時にワクチンを失うことになる。井戸水を浄化する薬も失い、町に飢餓が訪れる。要求を断る事は、すなわり町の滅亡を示すんだ」
「だからって馬鹿げてる。十三歳以下の子供を全て連れて行くなんて。町は逆らえないのか?」
「要求を断るだけならまだいいけど、逆らって帝国旅団に逆襲などしたら、それこそ大変な事になる」
「大変な事って?」
「誰も知らない。誰も知らないけど、誰もが薄々気づいているのさ」
「なにをだよ」
「帝国旅団の恐ろしさにだよ」
「何が恐ろしいって言うんだ。帝国旅団だって同じ二ツ目族だろう。追い払うことくらい出来るはずだろ?」
「……何度も言うようだけど、それを聞いてどうする? 逆らうのかい? 運命は変わらないと説明したばかりじゃないか」
「抵抗しても無駄だと言うのか?」
「いや、そんなことは言っていない。僕が言っているのは、君の好きにすればいいっていう事だよ。みんな運命の流れの中に生きてるんだ。君の行動は全て定められたもの。君が思った通りに動けばそれでいい。結果はその後分かる」
 タモンは歯がゆい思いで鉄格子に頭をぶつける。乾いた音がして鉄格子が痺れた。
「……マリィは死ぬのか?」
「死ぬよ」
「自警団長も?」
「ああ、死んじゃう」
「俺は?」
「さあ」
「あんたの説明は曖昧で不利益で……ああ、苛々する。もっと希望があるような事が言えないのか?」
「言うだけなら出来るよ。町の人間は誰一人死なず、帝国旅団もしっぽを巻いて逃げて、マリィもカイヤも一生幸せに生きました」
「頭に来る奴だ」
「そうだね。自分でも自分に腹が立つ」
 タモンはその場に蹲る。どうしていいのか分からない。ルウディの言う通り、自分という人間のちっぽけさを思い知らされるだけ。
 マリィが死ぬ。
 マリィは子供たちを連れ去るという要求を頑なに反対し、その結果殺されるのだろうか。
 タモンは押し殺したような、苦しむような声を上げる。
「これだけ教えてくれ。最後の質問だ。一時間後に大講堂に全ての人間が集まる。そこで多数決を採るんだ。子供たちを一人残らず帝国旅団に差し出すことに賛成か反対か。町の人間に決めさせる。それで町の人間はどちらに手を挙げるんだ?」
「運命は変わらない。答えがどちらにしても」
「教えてくれ。どちらだ」
「知ってどうする?」
「教えてくれ」
 ルウディは笑っていなかったし、断りもしなかった。
 ルウディは立ち上がる。
「いいだろう。教えてあげよう。僕はもうここから離れる事にした。君が何か聞きたくてここに来ても僕はいない。最後の答えだ」
 ルウディはタモンに顔を近づけ、静かに言った。
「……町の人間は、帝国旅団の要求を受け入れるだろう」
「受け入れる!? 町の子供を全て差し出すというのか!?」
「……ルウディの未来講座はこれで終わりだ。君のわがままは大分聞いてやった。さあ行け。自分の思った通りの行動をしろ。それが運命というものだ」
 そう言うとルウディは一人、牢屋を出ていった。タモンは慌ててルウディを追いかける。
 小屋を出ると、タモンはルウディの名を呼んだ。まだまだ聞き足りない。だが、小屋の外にはすでにルウディの姿はなかった。
 そこには最初から何も無かったかのような空虚な空き地が広がっていた。
 

 再び大講堂にやってきた。
 一時間経ったかどうか分からないが、大講堂には確かに全ての人間が集まっているようだった。ほぼ満席の状態だ。講堂の後ろの方には、立っている者もいる。
 講壇の上には、自警団長が神妙な面持ちで立っていた。
 誰もが思い詰めた顔で、運命の時が訪れるのをひたすら待ち続けている。
 タモンはマリィの姿を探した。マリィは大講堂の端の方に集まっている、ヒンミンガイの人間らしき者たちの中にいた。戸惑っているように挙動不審に辺りを見渡している。
 自分の事を怨んでいるだろうか。迎えにいかなかった事を怨んでいるだろうか。
 カイヤの姿はなかった。カイヤは恐らく十三歳以下の「子供」なのだろう。この場には呼ばれなかったのだ。
 ヒンミンガイの人間は、肩身の狭い思いをして隅に密集している。彼らは帝国旅団よりも、そこにいる町の人間達を恐れているようだった。
 その時、自警団長の背後から、例の初老の男が姿を見せた。
 ――もう、来ていたのか。
 そう思いながら、初老の男に注目する。
「皆さん、揃ったね。じゃあそろそろ要求の内容を説明しよう。私どもの要求は、十三歳以下の男女の子供を全て貰い受ける事。見返りは『もう二度と現れない』だ。我々は今日を最後に町に訪れる事はないだろう。もう現れないと理由は、方針が変わったという事だけ。深い意味はない」
 誰も一言も喋らず、初老の男の言う事を黙って聞いている。
「約束しよう。これが最後だ。我々は約束を守るし、これまでも約束を破った事はない。しかし要求を受けたなら、我々に受け渡した子供に会いたがってはいけないし、探してもいけない。我々は存在を明るみに出される事を嫌う。だから秘密を守れるあなたがたを助け、そして無理なお願いをしている」
 初老の男の言葉が、静かに講堂内に響く。
 タモンはマリィを見た。マリィは取り憑かれたように講壇の上に立つ男を凝視していた。
「我々は強奪する気も脅迫する気も無い。全てはあなたがたの意志だ。あと一時間もすれば夜明けが来る。それまでに決めたい。だからこれから三十分間だけ私は席を外す。その間、ここにいる人間でもう一度話し合うといい」
 初老の男は講壇を降りる。そして静かに玄関を出た。タモンは玄関のほうを見る。玄関を出た初老の男は、道でひたりと立ち止まって天を見上げた。
 そしてタモンを見た。タモンはギョッとして硬直した。初老の男は、にこりと笑顔を一つ残すと闇の中に溶け込んでいった。
 ――俺の存在に気づいていたのか?
 タモンは息苦しい鼓動を感じながら気を取り直し、再び大講堂内を窺う。
 重苦しい雰囲気が外にいるタモンまで漂ってくる。誰も口を利かないでいる。
 そんな中、自警団長が重々しく口を開く。
「帝……いや、ディストート旅団の人間が再び戻ってくるまでに町の人間、ヒンミンガイの人間も含めて、全員で話し合っておきたい。俺が旅団の男に頼んで時間を貰ったんだ」
 自警団長顔を伏せたまま喋る。疲れ切っているようだ。
「俺の意思は伝えたな? 俺にはみんなの意思は分からない。だが要求は滅茶苦茶だ。町の子供を全て連れて行くなんて……。軍の徴兵だって、子供たちをみな連れて行ったりはしない。……提案があるんだ。誰でもいい。なにか意見を言いたい奴がいたら、いま俺が立っている場所まで来て、意見を言ってくれないか」
 自警団長がそう言うと、すかさず手を挙げた男がいた。壇上に上り、男は群集を見渡す。ニック・ケイシーだ、と自己紹介すると、男は語りだした。
「俺は……賛成だ。俺に子供はいないし、子供を持った事も無い。でもディストート旅団の要求を飲めば、見返りに必ず町の発展に繋がるものを残してくれた。四年前、この町にディストート旅団が訪れなかったら、間違いなくこの町は全滅していただろう。汚染されたままの井戸水を飲み続け、いずれは身体を蝕まれ、廃人になっていただろう。……独身男の勝手な言い分かもしれない。でも俺は思うんだ。子供は殺されるわけじゃない。今だって、どこかで元気でやっているはずだ。これが最後なんだ。明日からは何のわだかまりもない生活を送ることが出来るようになるんだ」
「子供を失った気持ちなどお前に分かるか」
 群衆から非難が上がる。
「ああ、分からないさ。でも町の為なんだぜ? 彼らに逆らったらどうなるんだ? 井戸は? 病気は? 政府の脅威は? 今の生活がなくなるんだぜ? 町が全滅するんだぜ?」
 ニック・ケイシーは自警団長を見た。自警団長は自分の爪先を睨みつけている。彼は「以上だ」と言って講壇を降り、自分の席に戻った。
 次に講壇に上がってきたのは栗色の髪の女だった。三十代後半くらいの痩せた女だった。涙を堪えたような声で話し始める。
「私は以前に子供を連れて行かれています。そして、いま私に子供はいません。でも最近、夫のクリスと話しをするようになったんです。子供はまた作ればいい。いま傍にいるクリスがいなくなったら、私は生きてはいけないでしょう。クリスは一人です。何にも代えることが出来ません。でも子供はまた作れます。私は何よりクリスを失いたくない。だから賛成です」
 話し終えると、講壇の上まで旦那のクリスが女を迎えに来た。涙を流しながら抱き合うと、旦那が女の肩を抱きながら講壇を降りた。
 次に上がったのは若い女。まだ十代に見える女は、ここにいる誰よりもしっかりとした意志を表情に称えていた。
「ここで話し合わなければいけないのは、なにより町の人間の結びつきだと思います。私たちは、どの町にも負けない結束力を持っています。それは数々の困難を私たちはともに力を合わせて切り抜けてきたからです。だから私は信じています。この町の人となら、きっと明るい未来が気づける事を。私の意見は賛成です」
 ルウディの言った通りになっている。群衆は賛成の方向に流れている。
 しかし、次に壇上に上がった老人は違った。
「俺は、反対だ」
 初めての反対意見だ。
「俺は、今年89になる。そろそろお迎えも近い。結局のところ、どうでもいいんだ。子供が連れていかれようと、どうだろうと。それなら、あんな旅団の言う事なんて訊きたくない、と言うのが俺の意見だ。みんなは好きにするといい」
 言いたい事を言うと、さっさと講壇を降りる老人。
 次に上がってきたのは中年の男。丸々と太った男で、脂肪が邪魔をして、うまく階段を登れないようだった。
 べっとりと脇や背中、額に汗しながら男は震えた声を上げた。
「俺は今、一人娘がいる。今年四歳だ。可愛い盛りで、あの子が俺の全てだ。家内は四年前の疫病で死に、俺は酷い苦労をして娘をどうにか育てている。それは俺の努力だし、旅団になにかしてもらったなど微塵も思っていない。でも旅団の要求を断ったらどうなる? それが一番の問題だろ? 多分ディストート旅団の要求を拒めば井戸水を浄化する薬を失うだろう。ドロレスに去られて疫病がまた流行ったら、俺達はたちまち全滅だ。どの道、娘は助からないし俺も助からない。……だから……」
 男の声が、突然苦しげに掠れた。
「だから……俺は町の為に娘を差し出そう! 苦渋の選択だ。くそ! こんなこと俺が喋っているなんて信じられない! これから言う事が、俺の言葉だと思いたくない! ああ、賛成だよ! 俺には大事な大事な娘が居るが、賛成だ! くそったれ!」
 男はその場で泣き崩れた。タモンは呆然とその様子を見ているしかなかった。
 町の未来のため。
 その男の元に、一人の女がやってくる。
 講壇に登ったのは、リンダ・マーカディだ。
 講壇に崩れて泣く男をなだめると、リンダ・マーカディは言った。
「みなさん、私は自分が嫌われていることを知っています。私はお金持ちだし、町の懇談会でも生意気なことを言っています。私はたまたま商売が上手くゆき、稼いだお金のおかげで今の裕福な立場があります。それを鼻に掛けていたことに間違いはありません。でも、こんな私にも二人の息子がいます。何よりも大切な宝物です。皆さんと同じです。もう私の立場も、お金も関係ありません。私は町のために皆さんと同じ選択をします。皆さんと同じ立場で、同じ苦しみを味わう覚悟です」
「リンダ!」
 マーカディの旦那が席を立ってそう叫んだ。その目には涙が滝のように流れ、鼻水が顎から糸を引いている。
 リンダはついに破顔し、男のような声を出して大泣きを始めた。
 覚束無い足取りで講壇を降りようとしたとき、足を踏み外し、階段から豪快に落ちた。落ちたまま動かなくなり、マーカディの旦那が駆け寄ると叫び声をあげた。
 大男が集まり、マーカディ夫人を介抱した。
 動揺が会場内を襲う。
「リンダが!」
 マーカディの旦那が絶望的な声を上げた。
「リンダが死んでしまった!」
 その時、絶叫しながら壇上に上がってくる女がいた。喚き散らしながら講壇に立つと叫んだ。
「もう耐え切れない! こんなの無意味だわ! こんな話し合い辛いだけだわ! もう止めましょう! 今すぐ、この場で採決を取るべきよ!」
 女は釣り上げられた魚のように暴れていたが、すぐに自警団員に取り押さえられ、強制的に席に戻された。
 確かに無意味かもしれない。運命は変えられない。だとしたら全ての足掻きも、抵抗も無駄だと言う事になる。
 その時、リンダが立ち上がった。死んではいなかったようだ。大男達に運ばれて、部屋の奥に横になるリンダ。
 それから講壇に立とうという者がいなくなったので、悲痛な面持ちで自警団長が講壇に立った。しばらく眉間に皺を寄せて黙り込んでいた。言葉が見つからなそうな様子。
「……俺はこの町のためを思い、この町が良くなるためと尽くしてきた。しかし今夜で全てが無駄になる。……それでは、挙手で答えてくれ。ディストート旅団の要求に反対の者」
 自警団長が群集にそう言葉を投げかける。自警団長は苦しそうだった。
 挙手するものはいなかった。
 タモンは信じられなかった。
 一人もいない。
 マリィを見た。
 マリィは黙って自警団長を見据えている。マリィにだって分かっているはずだ。この事実の意味を分かっているはずだ。どうして誰も反対しないんだ。
「……それでは……」
 自警団長はようやく声を絞り出す。酷く辛そうな自警団長を、講壇から降ろしてあげたかった。
「要求に賛成の者」
 
 
 タモンは大講堂の玄関を蹴破っていた。豪快な音を立てて両開きの扉が勢い良く内側に開いた。
 気づいたら、群衆の注目を浴びていた。そこにいる全ての人間が、タモンの事を見ていた。自警団長も、講壇から目を丸くしてタモンを見ていた。
「反対の者が、ここにいるぞ!」
 タモンは飛び跳ねるような勢いで講壇に登っていく。タモンは目深に帽子を被っていたし、服装も町の人間に合わせている。正体がすぐにばれるような事はないだろう。
 講壇に上がると、自警団長と目が合った。
「何のつもりだ。牢屋にいろと言っただろう」
 自警団長は声を押し殺して訴えたが、タモンは無視をして群集を見渡した。
「何で反対しない! 子供が連れて行かれるんだぞ! 自分の子供がだ!」
「止めろ。降りるんだ」
 自警団長が事を荒立てないように、神妙な態度でタモンの肩を掴む。自警団著の腕を殴るかのように振り払って、自警団長に向き合った。
「あんただって分かってるはずだ。どうして何も言わない。町の幸福? 町の未来? そんなの子供がいなければ、有り得るわけが無いじゃないか! 子供を犠牲にした未来などに何の意味がある! どうして戦おうとしないんだ! 何を恐れてる! 自分の子供のためにどうして命を懸けられない!?」
「止めろ!」
「子供が無事に済むわけが無いだろう! 連れて行かれた子供が生きているなんて、本気で思っているのか? お前達はそう納得したいだけだ! そうやって自分を慰めて納得したいだけだ! 井戸がなんだ! 疫病がなんだ! 戦えよ! 未来とかさ、子供のためにさ!」
「無理よ!」
 群衆の中から、女の声がした。
「どうやって逆らえっていうの! この町は、あの旅団のおかげで今があるのよ。彼らに見放され、ドロレスを連れて行かれたら私たちはみんなのたれ死ぬわ!」
「自分達で努力すればいいじゃないか! この町の幸せなんて全部偽りだ。みんなで秘密を共有して、傷の舐め合いをしてるだけだ! 本当に大切な事を分かっているのに目を背けて、犯した重大な罪をみんなで見ないようにしてるんだ。一人の罪人は寄ってたかって非難するくせに、それがみんな共有するものになると、途端に手のひらを返しやがって。裏切られた子供は、どんな気持ちで連れて行かれたか考えろ! 死ぬその瞬間まで助けに来てくれると信じていたかもしれない! 最後まで両親の名前を呼んでたかもしれない!」
「止めろ! 俺達はこうしなければ生きていけないんだ!」
 どこからかそう声がする。どこから聞こえたか分からないが、タモンは答えた。
「だから、どうしてもっと他の事を考えない!?」
「俺達にどんな力があるって言うんだ。逆らえるだけの力がどこにあるって言うんだ! 帝国旅団が居なくなれば、外の世界は三ツ目族や四ツ目族の世界だぞ! もっともっとひどい世界だ!」
「どうして自分たちに力が無いと思うんだ!? 足りないのは意志の力だ。戦おうという意志の力が足りないんだ。みんな、戦おう! 旅団が大きな力を持っているなんて幻想だ。思い込みだ! ここまで政府の目を逃れて生きてこれたのは自分たちの力なんだ! 自分たちを信じるんだ!」
「取り押さえろ!」
 自警団長が叫んだ。
 次の瞬間、自警団員達にタモンは押しつぶされた。あっさりと身体の自由を奪われ、押さえつけられながらタモンはぐうの音も出せなかった。
 そのまま講壇を降ろされ、大講堂の隅まで運ばれると、三人の男に全体重をかけられる。
 すぐ脇にマリィがいた。
 マリィは目を丸くしてタモンを見下ろしていた。タモンと数秒間だけ目が合ったが、自警団員に頭を押え込まれて視界は床だけになった。
「おかしいぞ! お前ら絶対おかしい!」
 タモンの声はもう誰の胸にも届かなかった。自警団長の声が聞けてくる。
「時間が無い。もう一度訊く。要求に賛成のものは挙手で答えてくれ」
 タモンは唸り声をあげながら、自警団員に逆らおうとしたが、腕力が違った。
 タモンはかろうじて顔だけを上げる。
 そこには絶望的な光景があった。
 全ての人間が挙手していた。
 自警団長も手を挙げている。
 タモンはマリィを見た。
 マリィもタモンを見下ろしていた。挙手はしていなかった。
「マ、マリィ……戦うんだ。君は、あの子供たちを失うなんてーー」
「裏切ったくせに……」
 マリィが冷たく言い放った。
「来てくれなかったくせに……」
 マリィはそれだけ言い残すと、まるでタモンの存在を、その瞬間に忘れ去ってしまったかのように無関心に顔を逸らした。
「マリィ!」
 タモンは自警団員に頭を殴られ、目の前に火花を散らした。
 ――そんなのってあるか……。そんなことが有り得てたまるか……。
 意識はぼんやりして繋ぎ止められない。床が魔法の絨毯のように波打っている。
 ――子供をなんだと思ってるんだ……。発展のための道具じゃないんだぞ。……マリィ……君は子供を見てあんなに優しく笑ってたじゃないか。それなのにどうして……。
 薄れ行く意識の中、マリィが確かに右腕を高く掲げているのが見えた。
 
 
 意識が回復してきた時、床だけの視界の中で声を聞いた。
「後三十分で夜明けになる。そろそろ答えが聞きたい。要求が通れば私どもはすぐに町を出て行き、二度とは訪れないだろう。もちろんドロレスはすでにこの町の住人だ。永住してもらうことになるだろう」
 タモンは自警団員にうつ伏せに押え込まれながら、顔だけを持ち上げた。
 壇上には初老の男が立っている。
「それでは、我々の要求を受け入れてくるのなら、挙手してもらいたい」
「……止めろ! 考え直せ! 今なら間に合うぞ! みんな間違ってる!」
 タモンの悲痛な訴えも、すでに耳を貸す者はいなかった。
 タモンはこの世に生を受け、これまでこれほど絶望的な光景を見た事が無かった。これほどまでに未来に絶望した事はなかった。
 全会一致で、運命が決まった。
 この町から子供たちはいなくなる。
「ありがとう。君たちの恩恵に感謝する」
 初老の男がにっこりと笑って持っていた杖を振り上げた。
 瞬間、馬の鳴く声がした。
 地面を蹴るひづめの音。
 何事だと、群衆が一斉に立ち上がった。
 自警団の男達は、タモンを抑えるのを止めて立ち上がった。
 大講堂にいた全員が窓に目掛けて殺到する。
 呆然と立ちあがったタモンも目撃した。
 大講堂の前に馬車がやってきていた。その大きな馬車の中から、窓にへばり付いてこちらを見ている子供たちの姿があった。
 馬車は子供たちを運ぶために大きかったのか。
 口々に子供の名前を呼ぶ群衆。混乱の中、タモンは見た。
 馬車の中にいる子供は、みな笑顔だった。日が差したかのような笑顔だった。安らかな顔で大講堂にいる大人達に「さようなら」と手を振っている。
 嘘だ。あれは幻だ。連れ去られる子供があんな顔をするわけが無い。
 大混乱を縫って、タモンは講壇に近づいた。
 講壇には満足げに微笑む初老の男と、その場にしゃがみ込んでうな垂れている自警団長が残されていた。
「これで、私の仕事は終わりだ」
 初老の男が満足げにコートを翻す。
 優雅に講壇を降りる初老の男。タモンは血肉が沸騰するかのような憤怒を覚えた。これほどまでの怒りが自分に眠っているなど、自分でも信じられなかった。
 タモンは自警団長を見た。正確には自警団長が肩に掛けているライフルを見た。
 タモンは考えるより早く動いていた。力なくうな垂れる自警団長からライフルを奪い取った。驚いた自警団長は立ち上がり、事体を悟ると目を剥いて怒鳴った。
「よせ! 馬鹿な真似は止めろ!」
「馬鹿はあんただ!」
 タモンはライフルを自警団長に向ける。自警団長を金縛りにさせた後、その銃口を帝国旅団の男に背中に向けた。
「おい!」
 タモンが怒鳴ると、立ち去ろうとしていた黒いコートがくるりとタモンを振返る。ライフルを構えるタモンの姿を見ても、全くうろたえる様子も無く、初老の男は澄ましている。
「それで私を撃とうとでも?」
「そうだ。今すぐ子供たちを馬車から降ろすんだ」
 自警団長がタモンに飛び掛かろうとしていた。しかし、すばやく銃口を自警団長に向けると「動くな」と怒鳴りつける。
 自警団長は「分かったからそれを降ろすんだ」とタモンを諭したが、もちろんライフルを降ろすつもりなど毛頭無い。
 再び銃口を初老の男に向ける。
 周りの人間は、混乱の最中で何も気づいていない。
 この事体に気づいているのは、目の前の初老の男と自警団長だけ。
「もう一度言う。子供を馬車から降ろすんだ」
「君に、それを決める権限はない。第一、これは町の意志が決めた事だ。君個人の主張など関係ない」
「うるさい。これが正しいんだ。子供たちを降ろせ。それから、この町から消えて失せろ」
「やめておくんだな。そんなもので抵抗など出来やしない。忠告しておこう。今すぐその銃口を降ろしたら、この事は忘れてやる。綺麗さっぱりな。下げないのなら、この町は我々に敵意を表したと受け取るが、それでもいいかな?」
「たのむ、銃を下げてくれ」
 自警団長の哀願するような声がする。どんな声だろうと、もうタモンの耳には届かない。
「俺も最後の忠告だ。子供たちを馬車から降ろせ」
 初老の男は澄まして立ち尽くしている。タモンは油断なく初老の男を睨み付けていた。
 ――ゆらり。
 初老の男が揺れた。
 次の瞬間だった。
 足音もさせず、初老の男はタモンの目の前まで来ていた。その表情はこの世のものと思えないほどに怒りに歪んでいた。
 タモンは驚愕とした。その一瞬に、今まで味わった恐怖をすべて足したくらいの恐怖が一挙にタモンを襲った。
 引き金を引いた。
 破裂音がした。
 硝煙の臭い。
 目の前には、まだ初老の男がいた。
 ――当たってない?
 盲目に放った銃弾がどこに飛んでいったのか、タモンには判断つかなかった。
 戸惑っていると初老の男はその場で膝を突き、前のめりに倒れ込んだ。
「……なんて事を……!」
 自警団長の震えた声が聞こえてきた。震えているのは、タモンの全身も一緒だった。
 悲鳴がした。
 タモンは飛び上がって驚くと、一人の女がタモンを指差して絶叫している。
 その悲鳴に気づいた他の人間が悲鳴を上げ、たちまち連座反応で群衆全体に広がった。
 壮絶な騒ぎの中、群衆はタモンを見て驚愕し、恐れおののき、指を差して絶望的な悲鳴を上げている。
 ――どうしてそんな顔で俺を見る? 俺は化け物じゃないぞ!
 タモンは自警団長に銃を向ける。自警団長は倒れた男の首筋に手を当てていた。自警団長は一度うな垂れて見せると、ゆっくりと顔を起こして淀んだ瞳でタモンを見上げた。
「終わりだ……」
 ――終わり?
 ――何が終わるって?
「なにが終わりだ!」
「これを見て分からないのか」
「戦えばいいだろう! いつまでビクビク暮らしているつもりだ!」
 タモンは銃口を群衆に向ける。群衆が銃口を避けるように左右に分かれて道を開いた。
 その先に玄関が見える。
「俺が助ける」
 タモンはそう言葉を残して玄関に走っていった。
 マリィがいた。マリィはこの世の終わりを見ているような顔でタモンを見ていた。
 ――そんな目で見るな……。
 タモンは千本の針で胸を刺される痛みを、振り払うかのように玄関を飛び出した。
 
 
 大講堂を出ると、今まで目の前に見えていた馬車が忽然と消え去っていた。
 タモンは唖然として通りに立ち尽くす。大講堂を振返ると、そこには群衆がタモンを恐れおののいた様子で見ている。
 ――おかしい。さっきまであったのに。
 タモンは銃口を向けながら大講堂に戻る。悲鳴を上げながら散る群衆。講堂内から、改めて大講堂前の通りを見た。
 馬車が見えた。馬車の窓からは子供たちがにこやかに手を振っている。
 一歩玄関から出た。
 刹那のうちに馬車が消え失せた。
 理解が出来ない。何が起こっているというのか。
 タモンが唖然としていると、突然背後から悲鳴が上がった。
 大講堂を振返ると、悲鳴の原因がそこにいた。
「……まさか……そんな……」
 撃ったはずの初老の男が、のそりと立ち上がった。
 初老の男は周りに睨みを利かせている。口の端からは赤い液体を垂れ流し、顎から滴り床に落ちた。
 何かを探している。怒りに満ちた眼光で何かを探している。
 ――タモンを探している。
 やがて玄関に一人で立ち尽くすタモンが、その視界に捉えられた。
 背筋が凍りつく思いがした。
 初老の男が唸り声をあげると、出し抜けに走り出した。タモンに向かって猛獣のごとく掛けてくる。
 タモンは悲鳴を上げながら、ライフルの引き金を引いた。
 それは狙いを外れ、男の足元の床を抉る。
 タモンは銃の横についたトリガーを引き、銃弾を装填すると再び狙いを付けた。
 初老の男の顔面が思いのほか間近にあって、驚きと恐怖と悲鳴とともに引き金を引いた。
 銃弾が初老の男の顔面に炸裂する。
 初老の男は顎を蹴り上げられたみたいに仰け反ると一瞬宙に浮き、派手な音を立てて後頭部から床に落ちた。
 タモンは愕然とする。
 大講堂内は大パニックで、十キロは先まで届きそうな悲鳴が空間をしびれさせている。
 気を緩めると、発狂してしまいそうな状況の中、タモンは仰向けに倒れる初老の男の様子を窺った。
 大口を開けて倒れる男の眉間に、確かに黒い穴が空いている。
 本当に死んでいるか疑わしかった。
 タモンは銃口で男の顎を突付いてみる。
 ――柔らかい……。
 死んでいる。
 タモンは顔を起こして周囲を見渡した。タモンの視界に入るだけで悲鳴を上げる群衆。
 ――一体何だこれは……。
 この大講堂内ほどに、タモンの頭は混乱していた。
「落ち着け」と自分に言い聞かせ、目の前に転がる男の事を頭から追い出した。
 タモンは自警団長を探した。
 講壇の近くにいる。
「どういうことだ?」
 タモンが語りかけた時、自警団長の表情が見る見る変化していった。目を縦に大きく見開くと大口を開けた。自警団長の周りにいた人間も同じような顔をする。
 タモン全身の神経に針を突き刺されたかのような悪寒を覚えた。
 まさか、と思い、頭を打ち抜いたはずの初老の男を見下ろす。
 初老の男は変わらず、その場に横たわっている。
 タモンは顔を上げた。
 次の瞬間。
「どういう事だ」
 タモンのすぐ背後で声がした。もしかしたらタモンの耳元でそう言ったのかもしれない。タモンは驚いて無様に転がり、四つん這いになって声の主を振り返った。
 そこには三人いた。
 黒いマントのようなコートを羽織った三人が、冷たくタモンを見下ろしていた。
 先頭にいるのは長身の男。頭を坊主に刈っており眉が無い。
 目と瞳が大きく、愛らしい、とも表現できそうな目でタモンを睨んでいる。
 その後ろに控えるのは肌の黒い男。もう一人は女だ。黒い服と同化して、黒い肌の男は影のようにしか見えない。
 大講堂に詰め掛けていた群衆が、一斉に玄関に雪崩れ込んだ。狭い玄関に後ろから押し潰され、前の方にいる人間が苦しそうに悲鳴を上げている。
 タモンは動けなかった。
 眉なしの男に睨まれたまま、全身が硬直して微動だに出来なかった。自分がライフルを持っているという事実さえ忘れていた。
 ――どうして群衆は旅団を恐れる?
 そんな疑問も、何となく理解できるようになった。
「貴様がやったのか?」
 眉なしの男がタモンにそう尋ねた。タモンは喉が潰れたみたいに声が出なかった。
 眉なしの男は振り返ると、後ろにいる黒人二人に呟いた。
「予定通りだ。町にいる人間を皆殺しにしろ」
「止めろ!」
 タモンは銃口を眉なしの男に向ける。
 しかし、どういう訳か、あっさりとライフルを奪われて逆に眉なしの男に銃口を突きつけられていた。
 狐に抓まれたような顔をしているタモンの鼻先に銃口が近づいた。
「ありがとう」
 眉なしの男がそう言った。
 タモンは撃たれる。
 鼻先から撃たれて、一秒後に死ぬ。
 死ぬ瞬間を知りたくなくて、タモンは硬く目を閉じた。
 暫時、こう着状態が続いた。銃声はタモンの耳に届く事はなかった。
 タモンは恐る恐る眼を開く。見えるのは地獄だろうかと思いながら眼を開くと、目の前にいたのは地獄でも銃口でもなかった。
 そこに見えたのは、眉間に空いた穴から赤い液体を垂れ流す、初老の男だった。
「やってくれるな」
 初老の男が狂気の笑顔を見せた。
 撃ったはずだ。
 眉間に開いた穴は、間違いなく弾痕。
 初老の男は眉なしの男に言った。
「ここは俺に任せてくれ。あんたは他を頼む」
 眉なしの男は返事もせず、黙って背を向けると大講堂から出ていった。
 タモンに向き直る初老の男。その顔は興奮ぎみに痙攣している。
 タモンは毛穴という毛穴から汗を噴き出させた。この目の前にいる常識はずれの男は、胸を撃っても眉間を撃っても死ぬどころか、意識さえ失わない。
 大講堂内には誰もいなくなった。初老の男とタモンが対峙しているほかは、自警団長が呆然とタモンを見詰めているだけ。
 玄関の前には、逃げ出す際に押しつぶされて絶命した人間が、数人横たわっているのが見えた。
 タモンに反抗する術はなかった。大講堂の外からは絶叫が聞こえてくる。窓の外に逃げ惑う人の姿が見える。タモンは逃げられない。
 初老の男が、不意に手を挙げる。
 確認できたのはそこまでで、後はきな臭さが鼻の奥でしたと思うと、視界が出鱈目に移り変わり、床に叩き付けられた。どこから床に叩き付けられたのかも分からない。
 立ち上がろうとした。
 立ち上がれなかった。
 どこが床なのか分からない。
 ――不意に嫌な予感がした。
 タモンは顔面の前に腕を交差させた。
 交差させた腕に何かがぶち当たった。腕に激痛が走る。
「よく防いだな。大したもんだ」
 頭上から声が聞こえる。
 どうにもならない。命乞いする暇も無い。
 風を切る音。
 タモンは腕で腹を抑える。
 腹を抱えた腕の上に、硬いものが激突した。
 腕の骨が軋み、割れるような痛みが脳まで突き抜ける。
「見えているのか? どうやら……偶然じゃないようだな」
 タモンの平衡感覚が回復してきて、視界の回転が収まってきた。
 自分が馬のように四つん這いになっているのに気づく。いま見えているのは床の上。
 タモンは顔を起こして、肉眼で初老の男を確認した。
 冷たく見下ろす初老の男の顔があった。
「立て」
 初老の男はただ、そう言い放った。
 タモンは立とうとした。膝が馬鹿みたいだった。間接が三つくらい増えたかのように、うまくバランスを保てない。
 膝に手を付いてようやく身体を起こすと、初老の男がタモンを手招いた。
「ほら、攻撃してみろ」
 初老の男が拳を握り、体術の構えをしてみせる。タモンは攻撃する気など全く無かった。すでに闘争心などというものはどこかへぶっ飛んでいる。殺される時を待つばかりだ。
 眉間を撃っても死なない男を殴って何になる。タモンはうな垂れた。
 それを見た初老の男は溜息混じりに言った。
「興ざめな……。つまらん」
 その言葉がタモンに対する餞になる事は間違いなかった。
「逃げろ!」
 別の声がした。
 タモンは顔を上げる。
 そこには首に腕を回され、身動きを封じられた初老の男があった。
 初老の男は首に巻きついた腕を外そうと、身体を振り回している。
 男の首に巻きついていたのは、自警団長だった。
「じけーー」
「逃げろ!」
 自警団長は再び叫んだ。
 ――自警団長が死ぬ。
 ルウディの言葉が蘇る。
「うるさい!」
 タモンは口に出して叫んだ。
 初老の男と、自警団長は縺れ合いながら倒れ込んだ。
 初老の男は首に巻きついた腕を外すと、仰向けに倒れた自警団長に馬乗りになる。
 拳を振り上げた。
 ――自警団長は死ぬ。それが運命だ。
「うるさいぞ、ルウディ!」
 タモンは振り上げられた初老の男の腕を、背後から抱かかえるように掴んだ。驚愕した初老の男の顔が振返る。
 タモンは渾身の拳を、その顔面に叩き込んだ。
 一発では終わらない。男の腕を掴んだまま、何度も何度も殴り付けた。
 初老の男は自由な側の手で、タモンの胸を殴り付ける。酷い力でタモンは後方に吹っ飛ばされる。
 タモンは蒸せ込んで、肺に空気を吸い込めなくなった。
 普通の人間の力ではない。馬の後ろ足で蹴り上げられたような衝撃だった。
 初老の男がゆっくりとした動作で立ち上がり、タモンの元まで歩いてくる。
 初老の男の足が上がった。タモンの顔面めがけて脛が飛んでくる。それを屈んで躱すと、タモンは尻餅を搗いた。体勢を立て直した初老の男は再びタモンに蹴り込んでくる。
 ところが、初老の男は体制を崩して片膝をつく。背後から自警団長に椅子で殴り付けられたのだ。忌々しそうに自警団長を振返る初老の男。
 ――隙。
 その一瞬を逃さなかった。
 タモンは男の脇の下に自分の腕を通す。
 一瞬の勝負だ。少しでも遅れれば相手が力を込める。力を込められたら終わりだ。腕力で勝てる相手ではない。
 タモンは初老の男の脇に腕を通すと、自分の腕を軸ににして男の肘を曲げ、背中で捩じ上げた。次に男の軸足に自分の足を掛け、前方に押し倒した。
 うつ伏せに倒れた初老の男の腕を捻り込んだまま、自分の膝を男の首筋に乗せて全体重を掛ける。
「折れ! 折るんだ!」
 自警団長の声が引き金となって、タモンは男の右腕を折った。
 折れる音。確実に折れた手応え。それでも初老の男は呻き声一つあげない。腕を折ったタモンが不気味さに寒気を覚えた。
「そのままでいられるか?」
 自警団長が尋ねてきた。タモンはこくりと頷く。
「少し待ってろ」
 自警団長は大慌てに、大講堂を駆け出していった。残ったのはうつ伏せに倒れる初老の男と、その上に乗るタモン。
 タモンは恐怖に身体の震えを抑える事が出来なかった。眉間を撃っても死なない人間など、存在するわけが無い。
 ――どうしてこの男は死なないんだ?
 表から聞こえる悲鳴がすっかり止んでいる事に気づいた。窓の外を見ると、誰の姿も確認できない。妙に静かだ。何も聞こえない。
 それは唐突な静けさの訪れに思えた。町全体に蓋を落とされたかのような静けさ。異様とも表現できる。
 強烈な不安を覚える。
 ――自警団長は死ぬ。
 タモンは自警団長が出ていった玄関を見た。
 そこには数体の屍体が転がっている。逃げ惑う最に押し潰され、圧死した町の人間だ。
「やるなあ。俺が床にひれ伏してるなんて、信じられんよ」
 初老の男が身動き取れない状態で口を開く。
「お前は、その体術をどこで覚えたんだ?」
 タモンは無視をした。油断させる気だと思った。
 ほどなく自警団長が戻ってきた。
 タモンは安堵する。
 自警団長はロープを抱えていた。
 まず初老の男の足を縛った。初老の男は暴れたりもせず、大人しく縛られる。
 これでもか、というくらいに足をきつく縛り上げると、足を縛ったロープを延長して、今度は腕を縛る。タモンが慎重に身体をずらすと、両腕を腰のあたりで縛り付けた。これで腕と足は繋がれる。最後にロープの延長を首に回した。身体は仰け反った状態になり、手や足に力を入れると首が絞められる仕組みに縛った。いくらこの化け物でも、こうすれば身動きは出来ないはずだった。
 タモンは初老の男から離れると、安堵に胸を撫で下ろした。
 この男の言った通り、転がっているのが自分で無い事が奇跡のように感じられた。
「一体これは……」
 タモンが呆然と呟くと、自警団長はタモンを睨み付けて言った。
「俺は牢屋から一歩も出るなと言ったはずだ。どうしてお前はことごとく俺の言う事を無視するんだ」
 タモンに言葉はない。
 自分のした事が正しいのか、そうでないのか、もう分からない。
 玄関に転がる屍体を見る。
 胸が苦しくなった。
「最後の忠告だ。これが本当に最後の忠告だ。お前は今すぐこの町を出て行け。俺はお前のした事を許せるとは思えない。その顔を二度と俺の前に見せないでくれ」
「でも、俺は……」
「いいって言ってんだよ。お前は何もかも忘れろ。お前はこの町に立ち寄っていないし、荒野に足を踏み入れてもいない。幸運にも、俺はお前の名前も知らないしな」
 タモンは目の前の男を見下ろしていた。
「酷い奴だなあ。君のせいで一体何人の人間が死ぬんだろう。君が私を撃ったせいで一体何人が死んで、何人の子供が連れ去られるんだろう」
 初老の男は悪戯っぽく笑う。
「君一人のせいだよなあ。他の人は要求に同意したんだ。君一人が逆らったおかげで、人がたくさん死ぬ。そして君のした事は何の意味も無い」
「黙れ」
 そう言ったのは自警団長だった。
 自警団長は、ロープを猿ぐつわにして、初老の男の口を塞いだ。
 タモンは身体の震えを止める事が出来なかった。この震えはどこから来るものなのか。
 自警団長がタモンを見る。
 タモンも自警団長を見た。
 自警団長は物言わず、その視線を逸らす。
 タモンは鼻の奥から込み上げてくるものに耐え切れなかった。
「俺は……」
 ――間違っていたのか?
 タモンは涙を流しながら、呆然と初老の男の胸座を掴んだ。
「お前らは一体何者だ! どうしてこんなことを!」
 猿ぐつわをしている男に、答える事は出来ない。
 初老の男は、答える代わりににっこりと笑ってみせた。
 ――マリィ。
 タモンの胸にマリィの顔が浮かんだ。
 タモンは走り出した。
 自警団長は、もう引き留めなかった。
 
 
 ――俺のせいなのか?
 ――こうなったのは俺のせいなのか?
 ――子供を救おうと思っただけだ。
 タモンは走っていた。
 大講堂の前に人影はない。
 人影の代わりに、地面に倒れる人々が目に映った。
 ――これは俺のせいなのか?
 倒れている人の近くによる。目を剥いて一点を見詰めたままぴくりとも動かない。
 タモンはぞっとした。
 自分が殺したも同然だった。
 その屍体の目は、タモンを睨み付けて言った。
 ――なんでお前のせいで俺が死ななくちゃならないんだ。
 遠くから悲鳴が聞こえる。
 悲鳴を耳にする度に、苦しみがタモンの頬を伝った。
 生きている人間は見る限り見当たらない。
 呻き声をあげながらタモンは走る。
 通りを駆け、裏路地を抜け、正門前の大通りに来た。
 地獄絵図。
 地獄を現実に呼び覚ましたような光景が目の前に出現する。
 血の臭い。臓物の臭い。汚物の臭い。
 そこにはそれだけだった。
「……なんだよ、これ……」
 逃げ惑う人の姿はあった。
 それでも地面にひれ伏している数のほうが圧倒的に多い。
 大通りにほとんど隙間なく人が横たわっている。
 タモンは一番近くにうつ伏せに倒れている人間を仰向けにした。
 タモンは絶叫した。
 肺の中の空気が無くなると、もう一度空気を吸い込んで再び絶叫した。
 そこら中に横たわっている人間を一人一人確認していく。
 タモンはマリィの姿を探した。
 マリィも生きている人間も見つからない。
 屍体はどれも鋭い刃物で首を切られるか、胸を一突きにされている。苦悶の表情が断末魔を物語っていた。
 遠くに人影が見えた。
 逃げ惑う男を悠然と追いかげる黒い影。絶望的な悲鳴を上げながら、逃げ惑う男の背中に何の躊躇いもなく刃物を突き立てた。動けなくなった男の髪を持って頭を持ち上げると、そのまま首を掻き切った。
 その痛みはタモンに伝わり、タモンは頭を抱えて蹲った。
 黒い影は新たな獲物を発見すると、嬉々と標的に向かって走ってゆく。
 瞬く間に、これほどまでの人間が殺されてしまうなんて。
 相手は四人じゃないか。
 タモンは傍にあった屍体を仰向けにした。
 見たことのある顔だった。
 アルバート。
 アルバートはただの水風船のようになってしまった。
「……こんなことって……」
 タモンはアルバートの屍体にしがみ付き「ごめんなさい」と何度も謝った。
 タモンは子供のように泣きながら、人間の絨毯が敷かれた大通りを夢遊病者のように歩いていく。
 足を掛けて転んだ。
 転んだ先で倒れている人間と目が合った。
 驚愕の表情を残したまま息を引き取った「それ」は、かつてリンダ・マーカディと呼ばれていた女だった。
 ――俺のせいだ。
 みんな死んでいる。
 生きている人間はいない。
 この中にマリィもいるのか?
 それは絶望的な想像だった。
 ――マリィが死ぬ。
 ――おいルウディ。それは俺がマリィを殺すっていう意味だったのか?
 ――そうだったのか!?
 タモンは絶叫した。
 喚き散らしながら、屍体の上を跳ね回った。
 まるでダンスでもしているかのように。
 タモンは誰かに怒っている。やりどころのない怒りを天にぶつけた。
 その時。
 悲鳴がした。
 女の悲鳴。
 タモンのダンスが中断する。
 ――マリィ?
 タモンは覚束無い足取りで、悲鳴の元へ歩いていった。
 もう一度悲鳴がした。
 路地裏からだった。
 タモンは暗い路地裏に入り込んでいく。
 涙も鼻水も拭き取らず、一心不乱に歩みを進める。
 そこには長身と、女のシルエットがあった。
 シルエットが動く。
 長身のシルエットのひじが曲がり、それが伸びたと思うと、女のシルエットが「う」と呻いた。
 それだけだった。
 それだけで、女のシルエットはその一生を終えた。
「……マリィ……?」
 呟きに気づいたシルエットが、ゆっくりとタモンの方に顔を向ける。タモンは神でも見たような潤んだ眼で長身のシルエットを眺めていた。
 長身のシルエットが、ゆっくりとタモンに近づいてくる。
 ――……マリィなのか……?
 タモンは訊ねようと、倒れた屍体に近づいていく。
 シルエットが間近まで迫ってきた時「しゅ」と空気を切る音がした。その音を出している物体をタモンは掴んだ。
 手に激痛が走った。
 手を見ると手の平がぱっくりと切れている。
 再び空気を切る音。
 タモンは腹に激痛を覚えた。腹から走った激痛はたちまち全身を駆け巡り、身体が動かせなくなった。
「マリィは?」
 タモンは呟いた。
「栗色の髪をした使用人の女の子だ」
 シルエットの動きが止る。
「ああ、知ってる。多分、屋敷だ」
 シルエットがそう答えると、再び「しゅ」と、息を呑むような音が聞こえた。
 タモンはそれを掴む。
 掴んだのはシルエットの腕だった。
「……さっきも掴んだな? どうして分かった?」
「屋敷にいるのか? マリィは屋敷にいるのか?」
 タモンがそう尋ねると、シルエットが「ふふ」と笑った。
「そんなに会いたければ案内してやる」
 シルエットは掴まれた腕を振り解くと、タモンの横を通り過ぎていった。
 タモンはシルエットを振返る。
 シルエットが遠ざかる。
 タモンは置いていかれまいと、シルエットを必死に追っていく。
 月明かりの元までやってきて、シルエットの風貌が明らかになった。
 ――ルビウス。
 タモンは心の中でそう呟いた。
 
 
 タモンの心は、タモン自身が分からないところまで飛んでいた。
 あるいは出血のせいかもしれない。
 ルビウスは屍体で出来た通りを歩いていく。
 その後を呆然と付いていくタモン。
 ルビウスに付いて屋敷の前まで来ると、馬車が目に入った。巨大な馬。馬が興奮気味に何かを食っている。食われているのは人間だったが、馬は不味そうにしていた。
 馬の正面を横切って、屋敷の玄関にやってくる。
 玄関をくぐると、正面の玄関や客間が見渡せた。屋敷内は静かで、表の惨状が嘘のような平常の風景。
 懐かしい、とタモンは思った。
 マリィはどこだろう。首を回して探すが見つからない。
 ルビウスは歩いていく。
 タモンはよろめきながら付いていく。
 悲鳴が聞こえた。
 男の悲鳴だ。
 窓の外を見ると、通りを駆け抜けていく男の姿が見える。それを追う闇の風。
「ぎゃああ」と悲鳴がすると、引き返すように男が窓の外を横切っていた。ただ、反対だった。足が上、頭が下の状態で、男が窓を横切っていった。その光景がタモンには理解できなかったが、興味もなかったので気にしなかった。
 気づくと地下室の扉の前だった。
 ルビウスは扉を開くと、向こう側の闇へ溶け込んでいった。
 続いていくタモン。
 悲鳴が聞こえた。
 きん、と耳に響く悲鳴。女の悲鳴だった。
 ――マリィ?
 階段が終わった。
 廊下を歩く。
 前に来た時は、廊下の途中の部屋に猫背の男二人がいたが、今はいない。
 歩いていく。
 廊下の突き当たりに来た。
 この先が拷問室だ。
 拷問室に入った。
 無数の蝋燭が燃え盛っている。
 部屋は明るい。
 悲鳴がした。
 マリィの悲鳴?
 間近からした。
 続いて弱々しい悲鳴。
 タモンは辺りを見渡した。
 全裸のドロレスがいた。
 ドロレスは振返ってタモンを見た。
 嬉しそうに舌なめずりをするドロレス。
 その向こうに、マリィがいた。
 マリィは虚空を見詰めている。
 呆けたように空中を見詰めている。
 そのマリィの視線の先に何があるのか気になって、タモンも見たが何も無かった。
「あああ、一足遅かったね」
 ルビウスが可笑しそうに言った。
 タモンはマリィを見た。
 相変わらず、呆けたように虚空を見詰めている。
 何だか、色が少し赤くなったようだ。
 マリィに下半身が無かった。
 腹のあたりから、管みたいなものが見えたが足はなかった。
「足は?」
 タモンはドロレスにそう尋ねた。
「そこよ」
 ドロレスはタモンを通り過ごして、彼の背後を指差す。
 マリィの下半身があった。
 胡坐を掻いて座り込んでいるみたいに、壁に足が立てかけてあった。
 タモンはマリィの上半身を見る。
 鼻の奥から炎が溢れてきた。
 焼けるような雫が頬を焦がす。
「ごめんな、マリィ。助けてあげる約束だったのに」
 声を出すと、余計にあふれ出す。
 全身の筋肉が意思に反して硬直する。石膏のように硬直した筋肉に血液が回らず、意識が遠のいていく気がした。
 後頭部を、すうっと引かれるような感覚。
 タモンはマリィの上半身に踏み寄った。
 頬を触る。
 暖かい。
 タモンはマリィの唇に自分の唇を当てた。
 それから抱きしめる。
「気持ちの悪い奴だな」
 ルビウスの声がした。
 タモンが振返る。
 ドロレスがはにかんだ笑みを浮かべている。
 タモンは立ち上がる。
 傍に立っていたドロレスの鼻先に、拳をめり込ませた。
 
 
「あああああああ!」
 タモンは絶叫した。
 喉が張り裂けてしまう事を願って絶叫した。
 ドロレスが床に転がる。
「しゅ」と音がした。
 音が鳴り終る前に、タモンの拳がルビウスの顔面にめり込んでいた。
 ルビウスは少しよろめいただけで倒れなかった。
 ドロレスが立ち上がる。
 ドロレスに踏み寄ろうとした時「しゅ」と音がした。
 左肩に痛み。
 見るとナイフが刺さっている。
 ナイフを引き抜くと、今度は右胸にナイフが刺さった。
 引き抜こうと思ったが、今度は下っ腹に刺さったので、抜く暇が無かった。
「しゅ」と音がした。
 タモンはでたらめに手を振り回す。
 手を振り上げて功を奏した。
 喉を掻っ切ろうとしたナイフは、タモンの右肘辺りを切り裂く。
 電気のような痺れが走って、タモンの右腕が動かなくなった。
「しゅ」
 タモンは屈んだ。
 ナイフが空を切ったのか、それとも身体のどこかを切り裂いたのか全く分からない。夢中でタモンは目の前にあった足を掴むと、それを引き上げた。
 背中に鈍痛が走る。
 構わず、そのままルビウスを押し倒した。
 足を諸手で刈られて背中から床に落ちるルビウス。
 タモンはルビウスの上に馬乗りになる。
「しゅ」と音がして、自分の頬の肉を突き破り、歯にナイフが当たる嫌な感触がした。
 タモンは自由な左腕を振り上げて、ルビウスの顔面目掛けて打ち下ろした。
 しかし拳はルビウスの顔面には当たらず、石の床を叩いた。
 拳が砕ける音。
 でも痛くなかった。
 痛くなかったから、タモンは肘を立て、体重かけてルビウスの顔面に落とした。
 今度は当たった。
 ひどく、おかしな音がした。
 肘を離してルビウスの顔を見ると、片方の目玉のあたりが冗談みたいに陥没していた。
「しゅ」
 太股に痛み。
「しゅ」
 続けて、太股に痛み。
「しゅ」
 今度は視界を失った。左目に激しい鈍痛。泣きたくなるほどの激痛。
 やめたくなった。こんな痛い思いをして何になる。
 それでも、体は動いた。
 タモンは再度、肘をルビウスの顔面に落とそうとする。
 出来なかった。
 ルビウスが、落とそうとしたタモンの肘を掴んでいる。
「しゅ」
 腹部あたりの痛み。
 だが、引き換えに肘を抑えるルビウスの手が離れた。
「何なんだ、お前は!」
 ルビウスが叫んだ。
 その口を目掛けてもう一度肘を落とすと、ルビウスはもう何も言わなくなった。
 タモンは顔を起こす。
 視界が掠れた。
 闇を落としたような世界。
 頭を振ろうと思ったら、いつの間にか床の上に倒れていた。
 ――あれ?
 と思いながら体を起こす。
 右腕が全く動かない。
 自分の腕ではないみたいだ。
 立とうとしたが、なぜか立てない。
 一番力が入らないのは腹筋だ。
 タモンは顔を起こして、右目だけを使って部屋の中を眺めた。
 ――いた。
 ドロレスは驚愕の表情を浮かべている。
 ドロレスの元に行こうとしたが叶わず、前のめりに倒れた。
 顔面が床にぶち当たる。
 派手な音が聞こえたのに、全く痛くない。
 自分が生きているかさえ分からなくなった。
 タモンは這うようにして、ドロレスに近寄っていった。
 ドロレスは呻き声を上げながら、尻で後退りする。
 タモンは足に刺さっているナイフを砕けた左手で抜き取った。
 ドロレスの足元まで来る。
 ナイフを振り上げた。
 ドロレスが首を振りながら「止めてくれ」などと言っている。
 ――やめるわけないのに。
 背中に痛み。
 すごい痛みだった。
 これは耐え切れない。
 その場から全く動けなくなった。
 振返る。
 振返ると、ルビウスがタモンと同じように四つん這いになり、タモンの背中にナイフを突き立てていた。
 ルビウスすぐに意識を失い、仰向けに倒れ込む。
 タモンは再びドロレスを見た。
 もうあまり良く見えない。
 それでも、そこにドロレスがいない事は分かった。
 足音がする。
 タモンは足音のするほうに、這いながら進んだ。
 ずっとずっと這って行った。
 どこまで来たか、全く分からない。
 それからも、ずっと、ずっと這っていった。
 階段があった。
 それから、途方も無い時間を掛けて階段を登っていた。
 何年も何年も費やし、階段を登っていった。
 階段を抜けて、廊下に出た。
 今度は廊下を這っていった。
 タモンが這っていった後は、ナメクジみたいに後がつく。
 もしかしたら、立ち上がれるかもしれないと思って挑戦したが駄目だった。
 再び途方も無い時間を掛けて廊下を這っていくと、百年目に自警団長と出会った。
「やあ」
 と、タモンが声を掛けると、なぜだか自警団長は悲痛な面持ちでタモンを見下ろしていた。
 自警団長も怪我をしている。
 喉を抑える手からは血が絶えず流れ出している。
 自警団長に挨拶を済ますと、タモンはまた這っていった。
「どこにいくつもりだ?」
 自警団長にうがいでもしているような声で訊かれたが、声が出なかったので返事が出来なかった。
 ばたん、と自警団長が倒れた。
 タモンのすぐ脇に倒れた。
 自警団長の顔面がすぐ傍にあった。
 タモンを笑わそうとしているのか、おかしな表情でタモンを見ている。
 もう血は止ったようだ。
 玄関を出た。
 馬車が無かった。
 人がたくさん倒れていた。
 タモンと同じだ。
 もう、立ちあがれない人。
 静かだった。
 あれほど煩かった悲鳴も一切聞こえてこない。
 タモンは大通りに出て、人々の上を這っていった。
 何かが落ちてきた。
 熱いもの。
 水だ。
 自分の目から落ちてくる。
 際限無く落ちてくる。
 マリィ。
 返事が欲しい。
 マリィ。
 もう駄目だ。
 タモンはその場に力尽きる。
 うつ伏せは何となく嫌なので、仰向けになった。
 白んだ空が見えた。
 薄ら白い。
 何かが落ちてきた。
 タモンの額に落ちてきた。
 額だけじゃない。
 頬にも、唇にも落ちてきた。
 そのうち、たくさん落ちてきた。
 タモンの耳に、砂を流すような音が聞こえてきた。
 物凄い振ってきた。
 空が泣いてる。
 地鳴りのような声を上げ泣いている。
 タモンは、これからどうしようかな、と思った。
 寝ようかな、もう少し起きてようかな。
 荷物はどうしたっけ。
 ルウディ。
 ルウディに預けた気がする。
 ルウディ。
「呼んだかい?」
 ルウディがそう答えた。
 タモンはもう何も見えない。
「分かった? これが運命の流れ。何をしようと結果は同じだ。何も変えられない」
 みんな死んだよ。
「そういうことだ。君は誰も救えなかった」
 なんでこんなことに……。
「帝国旅団は、君を利用したのさ。旅団は秘密を知りすぎているこの町を消去したかったんだ。それには口実がいるだろ? だからドロレスが君を招き入れたんだ。そして町の現状を見せ、図ったように帝国旅団が現れる。そして、君が逆らうように仕向けたんだ。それを言い掛かりに、町を壊滅。帝国旅団を知るものはいなくなる、って寸法だ」
 俺は思惑通りに動かされてしまったのか。でも、どうしてそんな面倒で回りくどいことを……。
「要因はいろいろある。この町は帝国旅団にとって大きな実験場だった。最後の締めくくりも、ある実験をしたのさ。実際は、その実験を子供たちに見せるため」
「子供に見せる為だ」
 子供?
「そうだ。帝国旅団の最大の目的。三ツ目族、四ツ目族の支配を逃れ、世界を新しい秩序を持って整備しようとしている。要するに千年前に滅んだ帝国の復興こそが彼らの目的。帝国旅団は二ツ目族による二ツ目族だけの理想郷を作り出そうとしてるのさ。そのためには子供たちに教育しなければならない」
 どこで子供たちが見てるって言うんだ。
「どこでって、町の中でさ。ヒンミンガイの子供たち。そのほとんどは帝国の子供だ。君の良く知ってるカイヤも帝国旅団お抱えの子供の一人。君をうまく誘導する役割を担ってた。子供たちは実際に町に住むことで、帝国旅団の支配工程から人間操作、実験終結まで段取りを間近で観察することが出来た」
 まさか……カイヤが……駄目だ。考えがまとまらない……。
「ようするに額面どおりの言葉や理屈や数式ではなく、エピソードとして子供たち見せ、実感として人の操り方、人の愚かさを理解させる。帝国旅団は史上最高の指導者、あるいは救世主を作り出したいのさ。世界の平和を守る、完全無欠の救世主を誕生させたいんだ。救世主教育のためにこんな面倒を演じた。人の支配方式の実演。そして、それがこの町の悲劇さ」
 ああ、うまく理解できない。
 要するに俺は、いいように操られたって事なのか?
「そうだ。これが運命と言うものだ。君がどんな選択をしようと、結局この町はこうなる運命だったんだ。マリィも自警団長も、君も死ぬ」
 ああ、そうか……。
「四年前のこの町を恐怖に貶めた疫病は、実は帝国旅団がばら撒いたんだ。この町は知っての通り政府の目から逃れた閉ざされた町だった。利用するには最適な町だったんだ。帝国旅団は自分で疫病を振りまいておいて、後からまるで救世主のように現れ、ワクチンを与えた」
 支配するために?
「それもあるが、一番の目的は子供を得るためだ。助けてやるために子供を差し出せってね。閉鎖的な町は、町の人間に共通の罪の意識を与えることによって結束力を増し、秘密を死守しようとするんだ。秘密を共有することで結束し『町のため』という一体感を生み、歪んだ正義を生み出した。帝国旅団はそれを利用し、自分達の存在を秘密にさせ、進んで帝国旅団の実験に参加させ、しかも子供を得た。最初から子供を後で回収するために、町を繁栄させて出産を促した。しかし、その限界を感じた帝国旅団は町を壊滅させたかった。全員殺して町を焼き、帝国旅団が存在した証拠を隠滅したかった。それには理由が要る。子供たちが見てるからね。お手本になるやり方で町を壊滅させたかった。そのために町に誰か余所者が入って来るのをじっと待ち、君が入ってきたのを契機に申し合わせたように帝国旅団が現れる。そして君に自分達を攻撃させる仕向け、敵意を最初に向けたのは町の人間だという言い掛かりを付けた。でも、それで納得してしまうんだよね。不思議なもんでさ。自警団長が言ってたろ? お終いだって。反抗した時点で町の人間は都合よく絶望してくれて大人しく殺されてくれる。諦めてくれるんだ。これが強攻策だったらそうもいかない。わずかながらも町の人間は反発し、帝国旅団の人間にも被害が出ただろう。もっとも、君の暴れっぷりは帝国旅団にとって予想外だったらしく、ルビウスは重傷を負ったみたいだけどね。――こうして帝国旅団は予定通り、町の人間をみんな殺して子供を全員連れ去った。君は見事にしてやられたね」
 マリィ……俺のせいで……。
「マリィもそうだよ。マリィは帝国旅団の人間ではなかったが、ドロレスが仕組んで君と巡り合わせた。マリィは誰からも愛される。もちろん君からも愛されると思ったんだよ」
 ……眠い。
「……もう、お別れするかい?」
 ああ。
「これで会話が終わってしまうのはさびしいな。なにせ、僕は君を千年も待っていた。君がこの町に現れて、僕に出会う。この瞬間を千年も熱望してきたんだ」
 千年だと……あんたは一体何者なんだ……。
「最後の会話だ。もっと面白い質問をして欲しかったけどな。まあいいか。そうだね。もう死ぬんだから教えてあげるよ。僕は帝国旅団お抱えの占い師だよ。それに生命を止められた最初の人間。僕は君の想像できないくらい長生きをしているよ。それに、ドロレス、ルビウス、ルフィも帝国旅団の人間だ。あと、あの地下室で研究している双子、なんて名前だっけ……。まあいいか、あれも帝国旅団の人間だね。あの人たちは、なかなか死なないよ。特別な薬を飲んでるんだ。双子が研究している。伝説の『万能薬』をさ」
 ……分からないよ。
「そうだね。わからないよね。それじゃあ、最後に僕が聞いていいかな」
 ……ああ、手短に……。もう意識が……。
「前に運命は変えられないものだと言ったよね。でも、僕はその運命を知る事が出来る。君はここで死ぬ。それは間違いない。僕の占いに間違いはない。必ず死ぬ。でもここに『万能薬』なるものがある。これは何を隠そう僕が作り出して、千年以上も大事に保管していた薬だ。帝国旅団はそれを知らずに、これを作るために日々研究を重ねている。これはね、飲むとたちまち怪我が治って生き返ってしまうという、なんとも都合のいい薬だ。これを君に与えようと僕は考えている。そもそも、その為に千年も待っていたんだけどね。でも君の意志に任せたいとも思ってるんだ」
 万能薬? ……駄目だ。考えられない。そもそも、何で俺なんかに……。
「僕の占いでは、君ほど運命に抗おうとする人間は他にいなかった。今より一年後に、異界から現れる少年も君のように心が強い人間だが、なにより彼は資格がない。君しか居ないのさ。君が飲まないのなら、僕は永遠にこの万能薬を封印する。君ほどの人間はこの先現れないからね」
 ……本当に考えられないんだ。
 それに……生き返ったって……。
「僕は基本的には君にこれを飲ませたい。だけど君の意思を無視するのはいやだ。だから君がこの薬を飲みたくなるような話しをしてあげよう。そうだね、君はとんでもない罪を犯したね。君が何もしなければ、この町は豊かに暮らせていたものを、君が騒いだせいでマリィも自警団長も、町の人全員死なせてしまった。一体何百人の人の命を奪ったんだろうねえ。――罪を償いたくない?」
 償いたい。
「飲む?」
 飲む。
「じゃあ、飲め」
 タモンは何も感じない。
 でも、ルウディは何かをやってる。
「飲ませたよ。でも一つだけ言っとくね。君は死ぬ、という運命だった。この世の大きな流れはそれを望んでる。だから、もしかしたら、そのまま死んじゃうかもね。生き残る可能性は、万に一つ。いや、憶に一つ。いやいや、もっともっとだ。でも、これは賭けなんだよ。運命通りに君が死んでしまえば、まあ、それだけだけど、もし復活を遂げた時、それは運命が変わるかもしれない、という可能性を意味する。何が起ころうと全ては世界の意志の流れに沿っているが、君はそれに逆らったと言う事になる。それは同時に、運命は変えられるかもしれない、っていう希望をもたらすんだよ。これは運命を知る事の出来る僕にだけしか出来ない賭けだ。君が生き返る事を願うよ」
 ……それは……あまりにも無責任……。
「そうさ。世界そのものを敵にまわそうって言うんだから、それくらい当たり前だ。それと言い忘れた。もし、生き返れたとしても、それは大いなる流れに生じた歪みだから、生きている限り君は巨大な復元力、つまりしっぺ返しに遭うだろう。生きている事体が歪みだから、生きている限り大いなる流れは君を殺そうとするわけだ。どんなしっぺ返しに遭うかは、生き返ってからのお楽しみだ。君の想像も付かないような方法で、世界は君を抹消しようとしてくるよ。でも、この薬は死ねなくなる薬だから、こうなると矛盾しているね。その矛盾が味噌なんだよ。大いなる流れは君を殺そうとするのに、君は死ねない身体だ。何だかわくわくしてこないか?」
 ……。
「あれ? 死ねない身体になっちゃうって言わなかったって? ……ん? ああ、もう意識が無いんだね。それじゃあ、最後かもしれないから、さよならを言っておくよ。死んでも怨まないでね。君が生き返った時、君には過酷な人生が待っている。だけど、それは同時に世界の希望をもたらす事になる。運命は変える事が出来るかもしれないっていう希望だ。僕の占いでは君は生き返り、一年後に異世界からやってくる少年に出会うと出ている。その少年は君のように決して変えることの出来ない運命という神様にさえ、抗おうとする意志を持っている。君と少年が出会うことで、この世界は大きく動揺することだろう。僕は早くそれが見てみたい。そして運命は仕組まれた予定調和ではなく、不確定要素だらけの楽しい世界だと証明して欲しい。もっといえば、絶対的な的中率を誇る僕の占いを君と少年の力で外して欲しいのさ。僕の占いを上回る運命を見せて欲しい」
 ……。
「もう聞こえていないかな。じゃあ最後に聞いて欲しい。僕は君に何も強制しない。無数に存在する選択肢のうち、君は好きな道を選ぶといい。君は生きたいように生きるといいよ。もし、君が再び目を覚ます事ができたら、帝国旅団も知らない僕の本当の目的を教えてあげよう。誰にも話したことのない僕だけの秘密を、君だけにこっそり教えてあげる。そして、この三ツ目族と四ツ目族が支配する世界の行く末もすべて教えてあげよう。――それじゃあね。期待して待ってるよ。今、この時が君にとっての長い長い物語の始まりだ」
 

 【第二部 隔世編(眷族と帝国の章) 完了】


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