あっちから変なの出てきた

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第九章 【 夢は夜ひらく 】


 サイレンが鳴り響いていた。
 水無月市早乙女町周辺は戒厳令が敷かれ、バリケードに囲まれた立ち入り禁止区域となっていた。
 季節は九月下旬。朝の気温はそれほど高くない。
 突然のことに住民は驚いたであろうか。物々しいサイレンとともに住処を追い出され、市外の公共施設に設置された公民館や体育館などに避難させられた。
 早朝までに全ての住民の避難は完了し、現在は自衛隊の特殊車両や警察の巡回中のパトカーを目撃するくらいだ。
 奇妙な感覚。
 朝の生活音のない風景。
 奏は住宅街を歩く。
 背中にはナユタを背負い、傍らにはユーナとラナ・カンが歩調を合わせている。数歩後方に伊集院照子が続き、そして、奏の前方には武装した委員会の数人が案内役として歩いている。
 目的地は青空公園から程遠い住宅。青空公園各所に設置したセンサー類や監視カメラから送られてくる映像を受信できる機材を民家に持ち込んだらしい。奏たちはしばらくその民家で待機となる。
 サイレンとともに自衛隊ヘリが上空を飛び交い、報道ヘリの立ち入りを監視したり、上空から地上の異変を監視している。
 昨夜、伊集院照子は鳴音楽に連れられてイスカ領域調査の協力をしたらしく、あまり眠っていないらしい。ときどき大あくびが後方から聞こえてくる。
「まだ配備が完全でないようだ」
 ラナ・カンが口を開く。
 確かに何度も特殊車両が行き交い、自衛隊員や術師たちを降ろしては、何かを指示している場面を目撃した。
「来襲する正確な時間が分からないから急いでるみたいだけど」
 奏も口を開く。
 ラナ・カンは「ふむ」と頷いた。
「やはり、公園内だけでは済みそうにないな」
 ラナ・カンの言葉に答えたのは、先を歩く委員会の術師だった。
「公園の外に人外たちを出してはいけない。でも、もしものときのために封鎖されてる地域にはいたるところに人員を配置している。公園内部の整備はほぼ整っていますよ」
「人間の数は十分なのか?」
 ラナ・カンの問い。
「出動している人員は、自衛隊、警察、委員会を併せて一万人近い。自衛隊のCH-47Jといった輸送ヘリやUH-60といった通称ブラックホークと呼ばれる多目的ヘリも出動しています。地上では多目的の車両が配備されていますし、物理的な観点からの準備は万全でしょう」
「術師たちは?」
 今度は奏が訊ねた。
「術師たちは、こういった集団での作戦実行に不慣れなせいもあり、さすがに戸惑っているようです。ですが、各々作戦の把握は充分です」
「警察の人たちはなにをしてるんですか?」
「警察機関には周囲の警備、つまり住人の非難や地域の封鎖に尽力いただいています。自衛隊の物理作戦に、委員会の心的攻撃が噛み合えば必ず作戦は成功しますよ」
 噛み合えば。
 今まで敵対していた警察庁、防衛省との連携が突然うまくいったりするものなのだろうか。
「心配しなくて大丈夫。君たちの協力のおかげで、相手の勢力はほぼつかめているし、なんたってこっちは本拠地なんです。知ってるでしょう。相手の陣地に攻め込んで落城することは難しいことなんですよ」
 敗北はない。
 奏もそう思った。
 人間側が想定する最悪の事態は敗北ではなく、人外が封鎖地域を飛び出して人間たちを襲う事態の発生なのだ。

 

 奏は回想していた。
 いよいよ始まる。
 いや、終わるのか。
 ことの発端は、奏が自分でしていることについて疑問を持った瞬間からだった。青空公園で人外に出会った。それは人そっくりの人外で、少女と少年だった。名前をユーナとナユタといい、日本語を介する見たこともない不思議な人外だった。
 次に出会った猫のような人外も日本語を介した。日本語は、隔世のユベリア大衆国という地域では奴隷の言葉だという。
 そう教えてくれたのはラナ・カンという人外。
 奏はその三人の人外に出会ってから、彼、彼女らを隔世に戻すことが目的となった。それは軽口から始まった引き返せない旅となったが、いつしか奏にとってとても重要な使命となる。
 奏の胸に芽生えたのは、人外を抹消しなければならないという理不尽さ。なぜ罪もない、運悪く迷い込んでしまった人外を人間の都合で駆除しなければならないのか。
 奏はどうにか人外を殺さずに、隔世に戻す方法を検討した。
 結果、ラナ・カンから人外襲来の危機を知らされることになる。
 悪意を持った人外たちが、隔世より現世へ渡ってくるという。
 その情報を得た人間たちは、当然迎え撃つ準備を始める。
 物々しい厳戒態勢だ。
 自衛隊のヘリが、無人化した街の上空を飛び交い、自衛隊の戦闘服をまとった男たちが黒光りする銃器を背負って配置に付く。
 警官たちがパトカーの回転灯を光らせながら巡回している。
 一般人の姿など皆無で、この日本の閑静な住宅街が戦場になってしまったかのようだった。
 自然管理委員会の職員の案内を受けながら青空公園に向かって歩く中、奏は初心を思い返した。
 ――俺は、人外を殺したくなくて逃げ回っていたはずだった。
「まだ上手くいくと決まったわけではないが」
 伊集院照子が不意に声を上げる。
 無人の住宅街を歩いている最中のこと。
 低い上空を自衛隊の輸送ヘリが通り過ぎて行った後、ぼそりと口を開いた。
「人外襲来の混乱の最中、どうやってイスカ領域を通って隔世に渡るか。向こう側からはわんさか人外がやってくる。激流の河川を遡って山の頂上を目指すようなもの」
 奏も懸念に感じていた。
 イスカ領域を通れるのは、おそらく襲来する人外がすべて隔世に渡ってきた後。イスカ領域が閉じてしまう前に渡るしかない。それはすなわち、伊集院照子の行ったとおり「混乱の最中」となる。
「対策は講じています。心配ありません」
 先を歩く自然管理委員会職員がそう言った。
「そりゃ可能だろうが……」
 混乱状態、要するに激しい戦果が予想される戦闘の最中、果たしてラナ・カンとユーナ、ナユタが隔世に戻ろうとするだろうか。
 ラナ・カンは戦おうとするだろうし、ユーナはきっと罪の意識から、残って人間のために力を貸したいというはずだ。
「まあいい。それよりもひとつ懸念することがある」
 伊集院照子が気難しそうに口元を手でぬぐう。気になった奏は伊集院照子を振り返る。
「なんですか?」
「いや」
 伊集院照子の視線が奏で止まる。しばらく何もいわず膠着した。
「なんですか? ひょっとして言い辛いことなんですか」
「ちょっと来い」
 伊集院照子に手招かれて近寄ると、奏の首に腕を回して小声で言った。
「イスカ領域を人工的に開いて、自然の流れを歪める行為は、いわば神への冒涜行為だ」
 何を言い出すと思えば神様の話。
「神とは世界そのものという例え。現世と隔世という二つの世界があり、その間を隔てるように心的世界が存在する。両方の世界とも心的世界から精神エネルギーを供給されて生物は生きている。それなのに隔たれているということは、双方の世界が交わらないように世界がそういう形に安定させたということ」
 奏は伊集院照子の言葉を神妙に聞いた。
「神が選択し、あるべき形に均衡を整えた。にも関わらず無理やりにイスカ領域を作り出し、空間を捻じ曲げる行為は自然という重大な大きな流れに対する反逆行為だ。いわば神の意思への陵辱。人工のイスカ領域を渡った者たちが、大いなる自然淘汰の流れに罰せられても不思議はないと想像できる」
「そ、それはどんな罰ですか?」
「神の意思が分かれば苦労はしない」
 ちらり、と伊集院照子が奏を見やる。
 よほど不安そうな顔をしていたのか、伊集院照子は舌打ちひとつ鳴らすと「まあ、取り越し苦労かもしれん。気にするな」と奏の肩をぽんぽんと叩いた。
 気にするなといわれても。他ならぬ伊集院照子の言葉。気にならないわけがない。
 ――現世と隔世は隔たれている状態が一番良いと世界が判断したからこそ、その形になっていると思わない?
 誰かがそう言った。誰の言葉だったか。
 それを捻じ曲げようとすれば、当然、世界の復元力の渦に巻き込まれても不思議はない。
 世界の全ては予定調和で出来ている。
 世界にある全ての物質は、予定調和の流れに逆らうことは出来ない。
 ならば、世界が下す断罪には、誰にも抗えないということになる。
「考え込むな」
「伊集院さんは、隔世に行ってみたいと思ったことはないんですか?」
「なんだと?」
 急な質問に伊集院照子が片眉を吊り上げる。だがすぐに小さくため息を漏らすと返答した。
「それを考えるということは、局への反逆へと繋がる。隔世には干渉しない。それが術師たちの暗黙の掟だ」
「暗黙の掟? 掟で禁止にしなければ、誰かが隔世に渡ってしまうんですか? 渡ろうとしてもそんな技術も通力もなかったんじゃないんですか?」
「渡ろうと研究者が野心や執着を抱き続ければ、いずれ信念は実現へと向かう。そうなる前に戒めとして胸中にいつも心得ておく。決して隔世への干渉を考えるな。隔世からの来訪者に関わるな。イスカ領域を見つめるな」
「どうしてそんなに隔世を恐れるんですか?」
「人間が持つ危機回避の本能だろう。交わってはいけないと遺伝的記憶のように人間の本能に刷り込まれてるのさ。お前はその機能が備わってないようだが」
 確かに危機感はなかった。でも、元に戻そうと憂う行為が間違っているとも思わなかった。
「もうその話は終わりだ。問題の時間まで身体を休めておけ」
 青空公園の人員配備はおおよそ済んでいるようだ。奏たちは公園に程遠い委員会関係者の住まいに待機していた。
 正面の道路には輸送ヘリが待機しており、問題の時間になったら奏たちはヘリに乗って青空公園のイスカ領域に向かう。
「モニターの準備が出来ました」
 自衛隊の隊員が民家の居間に機材を持ち込んで、居間の28インチテレビに繋いだ。
 委員会の人間が奏と伊集院照子に説明する。
「奏氏が説明した箇所についてカメラを向けています。どうでしょう。イスカ領域は見えますか?」
 伊集院照子が頷いてみせる。
「便利になったものだ。こんな箱に遠くの風景を映し出す技術が開発されるとは。これもエレキの力だろう。お前らには当たり前だろうが、私にはまるで魔法に見える」
 モニターが用意されたのは、伊集院照子がこの場所で人外襲来の瞬間を報告するためだ。
 人外襲来の正確な時間は分かっていないが、前回にユーナが訪れた時間と同じという見解が有力だ。保証はないが、こうして早朝より伊集院照子がモニタリングし、監視を行う。
 世界で唯一イスカ領域を視認できる伊集院照子が、イスカ領域が開いたその瞬間にGOサインを出す。
 委員会の人間は恐る恐る伊集院照子に尋ねた。
「恐れ入りますが、伊集院様にはどのようにイスカ領域が見えているのでしょう」
 気難しそうな顔で委員会の人間を睨むが、特に機嫌が悪いわけではなさそうだ。証拠に質問に丁寧に答えていた。
「何色か発光しているのが見えるが、基本的に乳白色だな。ろうそくの炎のように揺らいでいる。イスカ領域が隔世よりこじ開けられる瞬間には、おそらくはここにいる奏も目視できるかもしれないが保証はない。間違いないのは我々以外におそらく誰も見ることは出来ないだろう。心配するな。居眠りせず監視してやる」
「申し訳ございません」
 委員会の人間が深々と頭を下げる。
 伊集院照子の人格について刷り込まれているのだろう。異常なまでに低姿勢である。
 モニターに映る映像は、公園内の小径からやや上方を映し出している。噴水が映っているその場所は、噴水広場といわれる青空公園のほぼ中央の開けた空間。今は空は晴れ渡っており、空の青、木々の緑を鮮明に映し出していた。
 伊集院照子が言うには、地面から五メートルほど上空から地面にかけてイスカ領域が漂っているらしく、カメラはイスカ領域の穴の正面にあるという。
 奏にはまったく見ることは出来ない。
 だが、あの夜。ユーナに初めて出会った夜に目撃したオーロラのような光の位置に間違いない。
 モニターの監視が続いて一時間もせず、伊集院照子が音を上げた。
「退屈だ」
 その一言で、傍に待機していた委員会の人間たちに緊張が走ったのが分かった。
「酒でも持ってこれないのか?」
「大変申し訳ございません。事が済むまではお酒はお控えいただけますでしょうか。変わりに現代の映画などご鑑賞なされては?」
「映画などさらに退屈だ。そうだな。現代の科学について分かりやすく解説した書簡など欲しいな」
「それならばDVDにてご鑑賞されては?」
「『でーぶいでい』とはなんだ?」
「映像データを収めたレコードのようなものです」
「よく分からんが持って来い。フィルムの連続写真のようなものだろう。とりあえず見てやる」
 などという調子でDVDやら食事やら書物やらマッサージチェアやらその他もろもろ娯楽を用意し、伊集院照子の正面に並べられた。
 最初の数時間は読書にふけっていた。三時間ほどで十五冊の小難しい本を読み終えた伊集院照子は「インターネットというものはここにあるのか?」と興味を示し、委員会の用意したモバイルにしばし興じた。
 キーボードを打てない伊集院照子は奏に命じてキーワードを検索させる。
「これほどまでに情報が氾濫し、よく世の中は混乱しないものだ」
「現代人は大きな情報量を処理する方法に慣れてるんですよ。アフリカの原住民が日本に来て車に乗ると、めまぐるしく移り変わる風景に目を回すそうですが、慣れてしまえば必要な情報だけ頭に入れるように出来るようになります」
「ふん。要するに量や種類が増えても、得る情報量は昔と変わりがないということだろう。さまざまな人間がさまざまな方向を向き、勝手な解釈で世界を捉えている。多思想の世界。要するにそれは『処理が出来ている』のではなく『混乱を認識できていない』だけだ。この日本が国家として成り立っているのか心配になってくる」
「グローバルっていう言葉が流行ってるんですよ。国際化ってやつです。海外との交流がより活発な世の中になったんです」
「馬鹿な。愚かになったものだ。表に出れば、それだけ厄介ごとも舞い込んでくる。自国のことだけ考えていればいいものを」
「国際化に反対なんですか?」
「平和について賛成なだけだ」
 言っている意味が分からない。
 きっと伊集院照子の生きていた時代より世界は狭くなった。世界のどこかで起こっていることを日本だけ見てみぬ振りをするような無責任なことは出来ない。
「日本の歴史については学んだつもりだ。歴史に関する書簡も一冊あった。全て信用するわけに行かないが、本は割と自国について批判的な内容だったな。まあ戦争責任の問題はあるものの、何より日本のアイデンティティの喪失が心配だ。日本人は腑抜けてしまったのではないか? この国は他の大国の一部になる日は遠くないように思える」
 伊集院照子が言うと真実になりそうで怖い。
「国が国たることを守る原則は、文化と誇り。明治の世で抱いていた懸念はまさに現代で実現されている。悲しいが、日本人は魂を世界に売ってしまったらしい」
「どういう意味ですか? 日本人は日本が好きだと思いますよ」
「好きな日本が現在どういう形を成しているかによる。愛国心はただの偏った執着だ。国を愛するということは、自分の家族を愛するのと同じ。親父が性犯罪を繰り返し、母親が人を騙して大金をせしめる詐欺師で、兄弟が快楽殺人犯であるならば、その家族を愛するということは妄信的な執着だ」
「日本を愛している人たちは、間違っているんですか?」
「少なくとも今の日本は貴重なパーツを剥ぎ落としながら先の見えない混沌を歩いている。最後には自分自身が消えてなくなるだろう。大富豪が目隠しをしながら貧民街を歩くかのように無邪気さで」
 なぜそんな不安になることばかりいうのだろう。
「伊集院さんはまるで戦争を否定しながら、それでも国には戦争が必要だといっているように聞こえます」
 奏がむくれてそう言ったとき、伊集院照子がまるで幽霊でも見たような顔で奏を見た。奏が戸惑っていると伊集院照子はやがて目を細め「なるほど。お前の言うとおりだ」と初めて奏の言葉に肯定した。
 それから口数も少なく、やがて夕暮れにラナ・カンが目を覚ました。
「様子は?」
 公園を映したモニターを気にしながらも読書にふけっていた伊集院照子と奏が顔を起こした。
「まだ動きはないよ」
「まあそうだろうな。動きがあったら声をかけてくれていただろうし」
 ラナ・カンは子猫サイズのまま、テーブルの上にひょいっと乗ると、散乱している書物を眺める。
「私のような獣族はあまり本を読まない。どうやら識字能力が欠けているらしいのだ。その代わり聴力に優れているため、一度聞いた音色は忘れないし、言語を操る能力も高い。視力は高いとはいえないが、嗅覚も鋭い。しかし私は本を読んでみたい。人族が物を書き、歴史を書きとめておける能力がとてもうらやましく思う」
「本をかけないのなら、獣族はどうやって知識や歴史を残していくの?」
「賢者が知識を球体の道具へ記憶させる。自然の仕組みや歴史を説話として延々と吹き込む。それを聴くのだ」
「へえ」
 伊集院照子の興味を惹いたらしい。
「確かのその風貌じゃ字は書けなさそうだ。大方、食事も調理などしないのだろう」
「馬鹿にしてくれるな。調理くらいできる。冬の前になれば保存食をこしらえる必要だってあるからな。ただし、住まいは人族の手を借りて建設する」
「人族に馬鹿にされたりしないのか?」
「されるわけがない。人族は確かに手先が器用だが、足も遅ければ腕力も低い。獣族と人族は長所と短所を補い合いながら共存している」
「お前の国ではだろ」
 伊集院照子が本を閉じてテーブルに置く。
「正直、文明が現世より発達しているとは思えない。かくいう私も文明力の低い百年も過去からやってきた異邦者だが。文明の高度化はモラルの高度化と言い換えても良い。私の印象では隔世は差別意識の高い、幼稚な世界に思える」
「それは言いすぎです、伊集院さん」
 奏がとがめると、ラナ・カンが「良い。伊集院氏の言うとおりだ」と奏を制する。
「今だから告白するが、初めて奏に出会ったとき、こちらの世界の人間とはなんと軟弱で腑抜けているのだろうと思った。すぐに印象は変わったが、平和な世とはある意味、とても複雑な世なのかもしれない。戦略を練って敵を駆逐することに翻弄する世とは奇想天外で混乱状態をイメージしてしまうが、もしかしたらとても単純な世の中で、生物が生まれながらに備わっている生存のために行う有害な敵を排除する生物の本能のまま行動しているだけだ。ところが平和とは本能を理性で制御し、理性を培うための倫理教育や、高速に移り変わっていく情報の制御が必要になる」
「ふん、私は反対意見だな。この世に本当の平和が訪れるためには、生物の持つ『意志』を断絶せねばならない。何かを行おうとすれば当然邪魔が入る。進もうと思えば前方に生い茂る雑草を刈るだろうし、地面に昆虫が張っていても進むためなら踏み潰すだろう。要するに人が争わなくなるためには意志を喪失するしかない。その場にとどまることさえ出来れば、成長を期待しなければ人の世は平和になるさ」
 なぜこんな話題になったのか。
 ふと、傍らにあったモニターの画像が乱れた。
 奏がモニターを見た。
 釣られて伊集院照子とラナ・カンがモニターを注視する。
 周囲に待機していた術師たちも覗き込んだ頃「画像がおかしいですね」と奏が声を上げた。
 周囲の人間たちが顔を見合わせる。
 伊集院照子がモニターから目を離さず言った。
「画面の乱れが見えているのはおそらく私とお前だけだ、奏」
「え? でも、イスカ領域が見えてるわけじゃないですよ。画面が乱れてるだけで」
 ラナ・カンに同意を求める。ところがラナ・カンは首を横に振った。
「普通に見えるが。特に変わった様子はない」
「本当に?」
 伊集院照子があごに指を当てて思案する。
「これは前触れか……。おい、お前」
 モニターを覗き込んでいた若い術師が伊集院照子を振り返る。
「そろそろ開くぞ。まだ開いていないが、画像の乱れは心的世界からの供給エナジーの変調が原因だ」
 伊集院照子は立ち上がると声を高くした。
「準備しろ、奏。人外どもも起こして来い。いよいよだ」
「伊集院さんはどうするんですか?」
「私は人外を隔世に帰すのを見送るつもりだ。なによりお前はそれが済まないことには私の問題を聞こうともしない。さっさと片付けるぞ」
 いよいよだと指先や下腹部がしびれた。
 祭りの夜の高揚感に似ている。不謹慎かもしれないが、男して戦闘とは何らかの快楽部室を分泌させる効果があるらしい。
 お膳立ては済んでいるが、本当にイスカ領域を越えて隔世にユーナたちを戻すことなど出来るのだろうか。
 ここまでいろいろ思案し、勘案し、全てが徒労に終わってきたが、決して裏目に出たわけではなかった。
 イスカ領域を自分で開こうとしたことで御札の力を増幅させる装置を作り出せたし、ユーナたちの力を圧縮する必要があると思い、伊集院照子を復活させた。結果、伊集院照子は多大な助力を与えてくれる。
 思惑は叶わなかったが、状況は良い方向へ進んだ。
 良い状態。
 良い状態が、これほどまでに不安を掻き立てるものだとは思わなかった。
 最後の最後で失敗に終わる。
 そんな結末になる気がしてならない。
 ラナ・カンがユーナを起こした。眠り続けるナユタを抱きかかえたユーナが居間に入ってきた。
 青白い顔。
 立っているのもつらそうだ。
「気分が悪そうだな。だがイスカ領域に近づけは、気分の悪さ程度なら和らぐだろう。とにかくもうすぐ帰れるのだ。最後の力を振り絞れ」
「はい」
 確かな表情でユーナはうなずいて見せた。
 
 いよいよやってくる。
 人外襲来のとき。
 想像もつかない未知との遭遇。
 青空公園は一体どうなるのだろう。
 映画で見るような凄惨な戦場になってしまうのだろうか。
 周囲は騒然となっている。一緒に待機していた術師たちが外部に連絡を取っている。
 騒々しさが緊張感に拍車をかける。
 狂おしいほど心臓に高値を打たせながら画面に集中する。
「イスカ領域から人外が出現したら、しばらく様子を見て移動していただきます。自衛隊と術師の護衛部隊が空き地で待機しています。作戦は前にご説明したとおり、戦闘が起こったら戦渦の少ないルートを選んで移動します。輸送ヘリは戦闘の混乱時では逆に危険です。戦闘が起こったら徒歩になると思ってください」
 付き添いの術師の話に対して真剣に耳を傾ける。
 伊集院照子は肩肘を付きながら微動だにせずモニターを注視している。
「奏、モニターの様子はどうなんだ?」
 ラナ・カンにそう尋ねられたとき、画面に変化があった。
 伊集院照子も同時に気づき、身体を乗り出してモニターを睨みつけた。
「くるぞ。連絡しろ。イスカ領域が七色に輝きだした。あっち側から穴を開けたんだ。いよいよ来るぞ、人外の群れが」
 奏は伊集院照子を見てからラナ・カン、ユーナと視線を移した。
 ユーナは恐怖に似た表情を浮かべながら奏を見ている。
 言葉が出ない。
 のどが渇いて張り付いて、呼吸さえ困難だ。
 大丈夫だ、ユーナ。きっと隠しに帰すよ。
 想いを込めて頷いてみせると、ユーナも神妙に頷いて見せた。
 このまま戦闘が始まれば、当然、怪我人が出るのだろう。死人が出るのか。
 本当に自分はこんな安全地帯から傍観していても良いのだろうか。
「伊集院さん」
 奏は意を決して話しかけた。
 声が震えていた。
「なんだ」
 伊集院照子が気難しそうな顔を向ける。
「僕らで……何か出来ないでしょうか。見ているだけなんて」
「阿呆をぬかせ。私と奏がこの特殊能力でどれほどの貢献をしていると思っている? 我々だけで多大な有利状況を作り出し、被害を8割は軽減しているに等しい」
 そうだとしても。
 理屈では割り切れない焦燥感とやりきれなさ。
「まったく甘っちょろい。これは組織的戦闘だぞ。それぞれが忠実に役割を全うすることが被害を最小限にとどめる最良の方法だ。お前がいま席をはずして前線に行くというのなら、変えがたい特殊能力者を失うということだ。それがどれほどのリスクだと思っている。そもそもお前には最優先する目的が――」
 長々と説教を食らうハメになった。
 首を竦めていると、モニターに再び変化。
 説教が止まった。
 イスカ領域の輝きが増した。
 伊集院照子と奏以外には見えていない。
 伊集院照子の一挙手一投足に周囲が注目し、緊張が走る。
 付き添いの術師たちが伊集院照子から発信される情報を、本部の諜報基地に伝え、現場の術師や自衛隊の要員たちに周知する。
 モニターに映る術師や自衛隊もイスカ領域を前に隊列を整えているのが分かった。
 外ではヘリコプターが飛び交う音で騒々しくなる。
 待つ。
 後は待つだけ。
 数分後か、数秒後か、訪れる人外の群れをひたすら待つ。
「奏さん……」
 何かを伝えようとユーナが声を上げたとき、伊集院照子が尻に針を突き刺されたかのように立ち上がった。
 周囲の人間たちが一斉に伊集院照子を見上げる。
 奏は寒気を覚え、全身を粟立てたのだった。
 血の気が引いて、恐怖で卒倒する思いだった。
 立ち上がった伊集院照子の顔に浮かんだ表情。
 そして、喉からもれた掠れた弱弱しい声。
「なんていうことだ……。これほどなのか」
「伊集院様、これは……」
 付き添いの術師が震える声を上げる。
 伊集院照子に声は届いていない。
「異界の住人とは、これほどまでに絶大な力を……」
「絶大な力?」
 まるでノイローゼ患者の視点の定まらない視線を浴びた気分だった。伊集院照子は顔だけ奏に向け、視線はあさっての方向に向けながら呆然とつぶやく。
「絶望的な力だ。感じないのか? この瘴気。一ツ目の比ではない。こんなのが群れでやってくる?」
 伊集院照子はゆっくりとモニターに視線を転じる。
 その表情は青く染まり、心なしか瞳がぬれている。
「残念だ……。人間の敗北かもしれん」
 伊集院照子はそうつぶやくと、ソファーに崩れ落ちた。
「奏さん……」
 ユーナの声。
 奏は分からない。
 絶望的な瘴気。
 それを感じることが出来ない。
 ゆっくりとユーナを見る。
 自分は今、どんな表情をしているのだろう。
 ユーナはひどく苦しそうに唇をわななかせた。
「ご、ごめんなさい」
 ユーナが謝ることはない。そう言ってやることが出来なかった。
「ごめんなさい、私……」
「まだなにも起こってない」
 奏は気丈に返事をする。ユーナの肩を掴み、「大丈夫」と声をかけた。
 ユーナはうつ向き、首を横に振っている。
 その隣では伊集院照子が絶望している。なによりそれが奏を動揺させた。
 ――どうすればいいのか。
 奏には分からない。
 これは甘い夢物語ではない。
 リアルが奏の全身を締め付ける。
 敗北と無数の死の予感が、目の前の風景やユーナの風貌をより鮮明に映している気がする。
 何か考えないと駄目だ。
 何か――。

 

「なんてことだ……!」
 緑眼の獅子と畏怖される父の声が遠くに聞こえた。
 イスカ領域がある(と伊集院照子に指示された場所)の最も近い場所、約百メートルほどの距離にいて、父の震える声と同様、鳴音弦の全身は意思に反して震えだす。
 いまだ、我々にはイスカ領域が目視できない。だが、伊集院照子が指定した場所からは確かにただならぬ瘴気が漏れ出してきているのが分かる。
 芝生の広大な広場に集結し、待機している術師たちからどよめきが上がる。
 無数などよめきは爆発的な動揺を生み、今にも体制は崩れ落ちそうだった。
 それでも緑眼の獅子は異常を諌めようともしない。
 絶望的である。
 一体、何体の人外がやってくるのか。
 この吹き荒れる死の宣告に等しい瘴気を浴びながら、我々人間たちはただの平等な虫けらに過ぎない。
 蟻の群れの中にリーダーがいようが、他の蟻の二倍の力を持つ強者がいようとも、人間の足の裏にとっては等しく弱者である。
「我々は神に楯突こうとしていたのか……?」
 まさしく、この場にいる人間たちの心境を表した言葉だった。
 イスカ領域を隔てた向こう側の未知の世界は、実は創造者である神の在る神界であったのか。
「と、父さん」
 強烈な吹雪を浴びる思いの中、ようやく声を上げた。
「父さん!」
 次には反抗するように大声を上げた。
「しっかりしてください。我々の背後には 一万人に近い人間たちが控えています! あなたが動揺しては集団が恐怖に食されてしまう!」
 呆然と弦を見る緑眼の獅子。
 弦は泣き出したかった。
 いままで雲の上の存在と畏怖してきた男の表情だとは思えなかった。
 いや、高い能力者、強者、手だれ者だからこそ分かる絶望的な真実があるのかもしれない。
 相手の力量を測り切れない弦より、立ち会えば相手の力量の読める父は、誰よりも絶望的な状況を理解しているのかもしれない。
 だからこそ、だれよりも恐怖し……。
 誰よりも孤独で、誰よりも悲しく狂おしい勇者。
 父に深い同情をして、謝りたい気持ちでいっぱいになった。
 弦は間違えば涙声になりそうになりながら、どうにか冷静な声を出す。
「我々に脅威に対する覚悟が足りなかった。ただそれだけのことです」
 そう言って、奏は背後に振り返った。
 そこには弦や緑眼の獅子を信じて集まった部隊が控えており、このただならぬ瘴気を浴びながら、誰もが子供のように不安げに声を上げていた。
 逃げ出そうとするものはまだいない。
 弦は現場に居合わせる一万人に迫る要員たちに周知のできる通信機をオンにして、背後に控える部下たちに向かって大声を張った。
「いいか、動揺を鎮めてよく聞いて欲しい。我々は今すぐに、改めて覚悟しなおさなければならない。居合わせた人間たちの心境は容易に想像できる。それは私も同様の心境だからだ。確かに感じる瘴気は計り知れない。我々の想像をはるかに超えたものであると告白しよう。だが動揺している時間はない。自分の家族、恋人、国を守る戦いだ。この戦いに参加できることを私は誇りに思う! もうすぐこの戦いが始まる! 準備はいいか!」
 弦は無我夢中に喋った。
 イスカ領域から吹き荒れる恐ろしい瘴気は、極寒の吹雪のように弦の心臓を止めにかかっているにもかかわらず。
 だが、絶大な効果を得たことを弦は気づかなかった。
 弦が想像するよりも、遥かに人間たちの気持ちを捉え、奮い立たせた。
 最前線にいる弦には視界に入らない場所で控えていた術師たちは恐怖を払拭するかのように怒号を上げ、お互いを叱咤激励しあった。
 瘴気を体感しにくい警官隊、自衛隊までも絶望的な瘴気は伝わっており、委員会の術師たちとの確執も忘れ、互いに肩を抱き合った。
 効果を生んでいるとは知らない弦は、頭を抱えて泣き出してしまいそうな心境の中、置き忘れている自分自身の覚悟を固めなければならなかった。
 奮い立たせてくれる仲間はいない。それはリーダーたる宿命。
 孤独の悲しみの中、それでも弦は前を向かなければならなかった。
「すまなかった」
 不意に父親が声を上げた。弦は十センチ以上身長の高い父親を見上げるように振り返る。父親の表情は幾分しっかりしているように見えた――が、暗い。
「俺は今まで、自分には無理だ、と思うような作戦を指揮してきた。自分だけではなく、どんな人間だって解決できやしない、そういう問題に頭から突っ込んできたが、今回ほど絶望的だと思ったことはない」
「今回だって同じです。僕らはどうにかできるはずです。考えるんです」
「考えてはいる。過去の経験を総動員してな。だが謝っておく。お前に俺の跡目を頼んでおきながら、初めての仕事がこれとはな」
「謝らないでください。僕だって決意が崩れそうです。本音では神にでもすがりたい気分なんですから」
 父親が「ふ」と微笑んだ。
「なるほど、神頼みか」
 父親は目を瞑った。
 しばしの沈黙。
 どうしたのかと様子を覗うと、父親の横顔は小刻みに震え、心配になるほど蒼白としていた。
 その瞑られた双眸から一筋の涙。
 父親は駄目になった。
 若き時分の猛々しさは失われ、絶望感に身をゆだねて、心が挫けてしまった。
 弦はそう思った。
 悲しみと失望を抱きながら、悲壮な覚悟で一万人を越える戦士たちに指示を送ろうとした。
 出来なかった。
 父親が突然、目を剥いて正面の見えないイスカ領域を睨みつけたと思うと、突然咆哮を上げたのだ。
 驚いて肩を竦めると、背後に整然と並ぶ術師たちや自衛官たちを振り返る。
 また父の初めて見る表情。
 言い表すのが難しい。
 間違えれば歓喜の表情と形容できそうな。
 寒気が全身を襲う。
 猛獣が獲物を見つけて、笑みを浮かべる事が出来たら、こんな感情を頂くかもしれない。
 父は低く、腹の底に響くような重低音で言った。
「これまでにできる準備は全て終え、人員の配置は完璧だ。突貫作業だったが作戦は充実し、最悪に備え予想し、我々は死をも覚悟した悲壮的な決意でここに集まった。誰一人いいかげんな気持ちでここにいる人間はいないし、君たちは命令があれば竹やり一本でも摘に立ち向かうような勇敢な人間ばかりだ。だが、ここでひとつ俺からの命令を追加する。自衛隊諸君、警官隊諸君も肝に銘じて欲しい。これから始まるのは人知を越えた戦いだ。君たちが今すぐにしなければならないのは、今までの常識や価値観を捨て去る作業だ。数分でやれ。頭の中を初期化しろ。数分与える。それまでに初期化できない奴は戦線離脱しろ。――いいか、重要なことだ。これより五分間の黙祷に入る。以降五分間、私が合図するまで誰も一言も喋るな。自衛隊、警察官諸君は賛同できなければそれで良いので、申し訳ないがご協力願いたい」
 異論は上がらなかった。
 不服のある者は居ただろうが、それでも緑眼の獅子の名声は偉大らしい。
 戦前の最中にあって、少なくとも自然管理委員会の所属する、ほぼ全ての人間は瞳を閉じたのだった。
 初期化作業。
 何の意味があるのか。
 これから人知を越えた事態が起こる。
 それは誰も予想しない事態。
 それに動揺しないための精神統一。
 
 
 
 ――町に静寂が訪れた。
 警官隊、自衛隊員も気を遣ってほとんどの車両や機材の稼動を止め、黙する。
 町から人が消え去ったかのような静寂。
 まさに異世界。
 イスカ領域から漏れ出した異世界が夜のとばりを敷く。
 息を潜めるような緊張感はない。あるのは無くなったかのような、失われてしまったかのような物悲しさ。
 長い長い五分間。
 まるで人生を最初から体験するかのような長さ。
 まさしく、おのおのの心中にあったのは自分自身の歴史だった。
 幼い頃を回想し、家族との道筋を想い、そして迫り来る未曾有の――。
 
 
 
 その五分間、奏たちが待機していた住宅では町の静寂に相反し、混乱が起ころうとしていた。
 最初に起こったのは、ユーナの奇っ怪な行動だった。
 動揺した伊集院照子が祈るように手を組んで、祈りを捧げるように一人ごりる横で、突然、ユーナが床に踞ったのだ。
 同時にラナ・カンが「ぐるるる」と唸り始め、酷く警戒したように全身の毛を立たせた。
 ラナ・カンはまるで手負いの獣のように、話し掛けても答えず、触れようとすると牙をむき出しにして融通が利かない。
 踞ったユーナを心配し、奏が抱き起こそうとすると、ユーナは抵むように身じろぎさせた。
 まるで深々とした土下座のようにひれ伏したまま、かたくなに動かない。
「どうしたって言うんだ、ユーナ」
 奏は一人、取り残されてい待ったかのような心境の中、周囲の術師を見ると、術師たちは一様に目を瞑り、微動だにしない。
 父親から五分間の黙祷の指示があったのは知っているが、この場所は重要な情報を司る重要な機関である。悠長に黙祷などしていていいものか。
 この五分間の間に人外が襲来したらどうする。
 伊集院照子やユーナ、ラナ・カンの異変に気づくものはなく、奏は戸惑いながらモニターに目を向ける。
 モニターは煌々とイスカ領域の虹色を映し出している。
 誰もが黙し、伊集院照子は殻に閉じこもり、ユーナとラナ・カンは人が摂わってしまったかのようだ。
 自分ひとりが、とつぜん異世界に取り残されたかのような悪寒。みんな眠ってしまい、自分だけ目を覚ましているかのようだ。
 みんなどうしてしまったのか。
 早く黙祷が終わって欲しい。
 長い五分。
 奏は再びユーナを気に掛ける。
「ユーナ、どうしたんだ。調子が悪くなったのか?」
 ユーナは答えない。
 ふと、ユーナが踞りながら何かを口遊んでいるのに気づいた。
 奏は耳を傾ける。
「私の全てはあなた様のもの。私の身も心もあなた様に捧げました。私の全てはあなた様のもの……」
「おい、ユーナ……」
 ユーナはなにも答えず、つぶやき続けている。周囲に答えを求めて見渡してみても、答えをくれそうな人はいない。
 ユーナの様子が心配でならない。
 自失呆然としている伊集院照子が答えをくれそうにもない。
 奏は時計を見た。一時間以上を思わせる五分間が終わる。
 まさに終わろうとしていたそのとき、画面が寄り一層輝きを増した。
 奏はモニターに釘付けになる。
 いよいよ現れる。
 奏は内臓が踊りだすのを感じた。
 
 
 
 ――黙祷やめ。
 幼い頃に聞いたことのある、子供の弦を寝かしつけるような穏やかな声で、一万人の戦士たちは眼を開いた。
 そこにあるのは別世界ではなかったが、明らかに今までの見えていた現実とは違う風景が見えていた。
 これが父の言う初期化……。
 目を開いたとき、あれほど吹き荒れていた凄まじい瘴気が一定の波に落ち着いている事が分かった。
 瘴気の大きさは変わらない。
 まるで我々と一緒に精神統一を行い、平静を取り戻したかのような瘴気。
 ところが一転、瘴気が今までよりもより強力に我々を襲った。
 行った精神統一により取り戻した平静をぶち壊すかのような突風が、周囲の要員たちをどよめかせる。
「うろたえるな!」
 父の一喝が効果あったのか無かったのか判断する間もないまま、強力な瘴気に中てられて一瞬、視界を失った。
 
 そして、午後11時23分。
 
 ――人 外 襲 来。

 

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