あっちから変なの出てきた

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第七話 【 ブルーシャトウ 】


 森の闇は濃い。
 星空の深い深いブルーの夜空に、くっきりと浮かび上がった漆黒のシルエット。
 周囲に連立する木々より高く、暗影だとしても分かる太く隆起した岩のような骨格。
 山のように聳えるシルエットが、火山の噴火のごとく咆哮をあげる姿に、まず人間が抱くのは絶望的な恐怖。
 術師ならこの極寒の吹雪のような瘴気の嵐に悲鳴を上げざるを得ない。
 ましてや立ち向かおうなどという者は皆無。
 それほどの絶望の訪れ。
 森の至る所から壮絶な悲鳴が聞こえ、逃げ惑う足音と、混乱を表すかのような縦横無尽に走る懐中電灯の光線。
 奏も立ち尽くしていた。
 前に現れたとき、立ち向かった自分の無力さを思い出す。
 一ツ目一体に、人間は何もすることが出来ない。
「どうしていまさら……」
 つぶやきは人外の咆哮と人々の悲鳴にかき消される。
 立ち向かえる人間は皆無。
 ――いや。
 奏の脳裏に藪北ファミリーがよぎる。
 大嫌いな連中であるが、あいつらならば倒せないまでも足止めくらいは可能なはずだ。
 当然、この園山にもやってきているはず。

 ずしいぃぃぃん
 ずしいぃぃぃん

 一ツ目が歩みを進めはじめた。
 どうする。
 一ツ目が突然出現した理由は分からない。
 だが、間違いなく一ツ目はキャンプエリアに向かっている。
 一ツ目は地響きを立てながら、奏のすぐ十メートル傍を通り過ぎていった。
 木々がなぎ倒される悲鳴を聞きながら、巨大な足がダンプカーの暴走のように通り過ぎていくのを呆然と眺める。
 以前と違い、一ツ目は奏に気づかなかった。
 いや、足元には奏以外にも沢山の人間が逃げ惑っている。
 目もくれていないだけだ。
 どうする!?
 攻撃の御札はいくつか持っている。
 戒具と合わせて増幅させた御札の力をぶつければダメージを負わすことが出来るかもしれない。
 どの程度のダメージだろう。子供のローキック程度だろうか。
 少なくとも注意を引き、キャンプエリアへの進行を阻止することは出来る。
 代償として、あの絶望的な巨大な恐怖に追い掛け回されることになるが。
 結界の御札がもう残っていないことが口惜しい。
 どうする。
 どうするべきか。

 

「どうしたというんだ!?」
 本部のテントは騒然としていた。
 直前まで妊婦のように肥えた腹を突き出し、足を投げ出しながらタバコを呑んでいた重役たちは、今はせわしく本部のテント内を駆け回り、騒ぎ立てている。
 奏の仕掛けた結界により、本部内にいた重役たちは誰一人としてテントの外に逃げ出すことが出来なかったのだ。
「大家君! どうなっている!? どうして外に出れない!? それになんだこの音は!」
 大家は大きく舌打ちをして怒鳴った。
「相馬! 外のカメラをモニターしろ!」
 茫然自失としていた相馬が我を取り戻すと、大慌てで本部テント内に備え付けてあったコンピュータを操作する。
 すると、コンピュータの17インチモニターに映し出された画像に、八名あまりの中年が殺到して注目した。
 映し出されているのは本部を中心にいくつか仕掛けてある監視モニター映像。そのひとつに問題の物体を映し出した映像があった。
 今いるキャンプエリアから東方向を十メートルほどの高さから映し出す映像だ。
 キャンプエリア内には投光器に照らしだされて明るいが、その向こう側にある森は暗闇に影を落としている。
 かすかである。
 かすかにであるが、森の木々の上方に遠くに聳える山のごとく、暗影が蠢いているのが見えた。画像は荒くしかも小さい。それが何かなど分からなかったし、鮮明であったところであんな巨大な暗影が何かなど、果たして理解できたであろうか。
「これはなんだ!」
 誰かが声を上げるが、相馬は「分かりません」と恐縮するしかない。

 ぎゃおおおおおおおうぅぅ

 建設重機の稼動音のような軋みがテントを痺れさせる。
「一ツ目か……」
 そうつぶやいたのは大家貴信だった。
 周囲の重役たちが一斉に大家貴信を見た。
 大家貴信は重たい視線に動じる様子もなく言った。
「これは思ったより早い人外来襲か……。いや違うな。ラナ・カンは少なくとも百対以上の人外が来襲とすると言っていた。感じる瘴気からして、敵はあの一体。先ほど逃がした人型の人外が何かしたとしか思えない」
「逃がした人外はどうしたんだ? ただ逃がしただけか!」
「いえ、追ってはつけています。藪北の二人を付かせましたが、真偽は報告を待つしかない。しかし、目の前の問題は出現したあの一ツ目をどうするかです」
「そういえば鳴音奏はどうした!? まさか逃がしたのか!」
 そう声を上げた制服を身にまとう重役を睨みつける大家貴信。
 睨み付けられたほうは必死に平静を装ったが、息苦しそうに襟口をいじって見せた。
「鳴音奏は放っておいても問題ないでしょう。ラナ・カンに監視を付けています。いずれ合流するはずですから、その時に捕らえればよい。それよりも、再度申しますが、目の前の問題です。アレが一ツ目であろうと別の人外であろうと、この瘴気を見れば明らか。人類史上、未曾有の人外の出現です」
 しゃべりながら大家貴信は深い思考世界に入り込んでいく。口から吐く言葉など呼吸するほどに無意識に紡ぎだされていく。
「皆さんも自然管理委員会の人間であれば、あの巨大な人外から発散される瘴気の大きさは感じ取っているはずです。あのレベルの人外が明日、百対以上襲来するのです」
「あれほどとは……! 対策室長、もちろん、あの人外をどうにかする算段は当然あるのだろう? 一体どうするつもりだ。どうやってあの人外を止めるんだ?」
 そう声を荒げる重役は明らかに取り乱している。
 それもそうだ。
 強大な人外がこちらめがけて迫ってくる。今にも逃げ出したいのに、鳴音奏の謀った結界により、表に出れないときている。
「海外からの術師がやってきて、完全に体制が整うまであと数時間かかります。現存の戦力で対応するしかない。とにかく今は現状を把握しましょう」
 大家貴信はそう言って振り返った。
 部屋の別のエリアには五名あまりのオペレータが、散らばった各地の術師の陣頭指揮を取るべく無線機により指示を送っている。その陣頭指揮を執っている新野辺という大家の腹心に声をかけた。
「外の連中の様子はどうだ?」
「術師の約三分の一が、鳴音奏の結界に閉じ込められて身動きが取れない状況です。園山に散らばった術師をいまキャンプエリアに集結していますが、全員集めるまでには十分ほど掛かります」
「こちらの体制が崩れたままか。あの小僧が現れるとろくなことがない。藪北ファミリーはどうしてる?」
「俵原孝司と川本クリスティーヌはラナ・カンを追跡しています。鳩谷多恵と佐々倉想平は術師寄宿舎にいますが、そこも外から結界に阻まれ、外に出来ることが出来ないようです。ただいま、キャンプエリアに残っている十数名の術師に結界の御札を探させています。解除は時間の問題でしょう」
 忌々しい小僧。
 これでこの危機に対する初動が大幅に遅れる。
「分かった。それでは術師全般にこう指示しろ。『S等級の人外が出現した。各位、Aランクの御札の使用を許可する。殲滅せよ』」
「wait!」
 アメリカ人と中国人の外交使節が同時に英語で声を上げた。
 待てと言うのだ。
 今のところ、海外勢は事態をあまり重く見ていないのか、金髪青年と中年女性の中国人の二人だけである。
 アメリカからやってきた若い金髪青年が英語でなにかをまくし立てたが、英語が堪能な大家貴信でも理解できたのは一部。通訳の翻訳を待った。
「殲滅は許さない。どうにか生け捕りにして欲しい、と言っています」
 通訳の女性が翻訳したが、本当はもっと刺々しい命令口調だった。
 アメリカも中国も、対する脅威に対して貴重な人外サンプルとしか思っていない。
 ここで出現した人外の脅威を説明している時間はない。
「心配しなくても、明日にはもっと大量の人外が出現します。いくらでも人外を採取すればいいでしょう。このままだとみんな死にます」
 通訳が訳したが、実際にはもう少しやわらかく訳した。
 この派遣された大して地位も高くなさそうなアメリカ人も中国人も、顕示欲を満たしたいために横槍を入れたに過ぎない。
 自国への体裁の為の口出しに構っている暇などなく、大家は続けて指示をした。
「Aランクの御札、および改良版の戒具の使用も許す。藪北の生徒たちに直ちに装備するよう指示をしろ」
 新野辺がオペレータに指示をして指令を送る。

 ずしぃいいいいいん
 めきめきめき
 ずしぃぃいいいいいいん
 ぎゃおおおおおおおおおうううっ

 重低音の足音、恐怖を煽る叫び声は確実に近づいていた。
 そのときだった。
 指令本部のテントに飛び込んでくる人間がいた。
「室長!」
 息切れ切れに飛び込んできたのは鳩谷多恵だった。
 その場にいた重役たちが一斉に出入り口を振り返る。
「結界、解除しました!」
 鳩谷多恵がそう声を上げた瞬間、恥さらしな委員会上層部連中は我先にと出入り口に殺到した。
 思わずうめき声を上げて額を撫で付ける大家。
 傍ではアメリカと中国の公使が嘲笑している。
 だが、笑ってなどはいられない。
 無能な外国からの外交使節は、そうやってファッキンジャップを見下して悦に入るしか能のない能無しだ。海外勢の体制が未だ完全ではないのは、間違いなくこの二人の愚鈍さが原因である。
 鳩谷多恵は押し寄せた重役たちから抜け出て大家の元までやってきた。
「先生……いえ、室長。指示は聞きました。藪北の二期生はすでに体制を整えて待機しています。他の術師たちはまだ集まっていませんが、私たちでどうにかできると思います」
「分かってる。想定外に早かったが、藪北ファミリーの力を見せ付けてやろうじゃないか。外国の連中を唖然とさせてやれ」
「はい!」
 嬉々として返事をして、深々と一礼すると鳩谷多恵は大急ぎで出入り口から表に出て行った。
 アメリカの外交使節が何か話しかけてこようとしたところを無視して、相馬の睨みつけるパソコンモニターに注視した。
「様子はどうだ?」
「どうやら、鳴音楽顧問が一役買ったようです。人外を足止めして体制を整える時間稼ぎをしたようです」
「とっくに引退した過去の英雄が……でしゃばりおって」
「しかし、藪北が体制を整えられたのも……」
 口答えしようとした相馬に一瞥をくれると、相馬は冷や汗を掻いて口を噤んだ。
「まあいい。鳴音楽顧問はどうやって一ツ目を足止めしたって言うんだ?」
「そ、それが……現在までの報告によると……」
 相馬は大家貴信の顔色を覗いながら、恐る恐る報告した。
 
 
 
「それえ! 気張れ!」
 拡声器も通さない鳴音楽の生声はその場にいた三十人余りの人間全ての鼓膜を痺れさせた。
 本部のキャンプエリアにどの部隊よりも早く戻ってきていたのは鳴音弦がチーフマネージャを務める『イスカ領域調査員』たちだった。
 どこよりも早く戻ってこられたのは、一ツ目の出現を見越してのことではない。奏がキャンプエリアの周囲に結界を張るだろうと予測した鳴音弦が、あらかじめ集結するように部下へ指示していたからだった。
 奏が仕掛けた対人間用の結界が早々に解かれたのも、また委員会上層部や海外からやってきたお偉方が集まる本部のキャンプエリアに一ツ目が襲撃する前に、こうして立ちはだかることが出来たのも、すべては弦の機転による偶然の産物だった。
 さすがの緑眼の獅子である鳴音楽も何も出来ず地団駄を踏んでいたとき、弦があらかじめ集結していた術師たちを発見するや否や、カリスマ性を発揮して当座の三十人の術師たちを仕切り始めた。
 弦は父親の現役時代を良く知らなかったが、初めて英雄の現場の指揮をお目にかかれると興奮し、父親の一挙手一投足に注目した。
 緑眼の獅子がまず指示したのは「ロープ」だった。
 周囲にいた術師たちに「ロープをある限りもってこい」と指示したのである。
 次に用意させたのは車だ。本部には特殊車両が数台止まっていた。
「父さん! 何をするつもりですか!」
 弦は父親に近寄って尋ねた。
 思わず「父さん」と口走ってしまった失態を咎められると思いきや、父親はにこやかに「出来る事をしている」と答えた。
「しかし、ロープと車で一体なにが出来るって言うんですか! 我々はAランクの御札を装備しています!」
「じゃあお前に尋ねるが、あの強大な瘴気と体躯の持ち主に、たかがAランクの御札や改良版の戒具がなんの役に立つ?」
「え?」
 父親はそう言い残して颯爽と駆け出した。
 追いかけていくと、車を運転してきた術師を誘導して、何の変哲もない森の一角に停車させる。
 続けてやってきた車を誘導し、先ほど車を停車させた場所からは離れた一角に停車させた。
 そんな調子で五分足らずで五台の特殊車両を配備した。
 用意されたロープを、配備した車のバンパーに縛り付け、縛り付けていないほうのロープの先端を父親が持った。
「有志を募る! 誰かこいつを持って、人外の足元を走り回れる勇敢な男はいるか!」
 父親がそう怒鳴ったとき、弦は鳴音楽の作戦の一端を悟った。
 父親が有志を募ると、七名ほどの男が集まった。
「時間がない。簡単に説明する。あの巨大な人外、意外と動きが鈍い。そこで君たちにはロープの端を掴んで、人外の足元を走り回って、奴の足にロープを絡み付けてもらう。絡みついたら特殊車両数台で思い切り引っ張れば、さすがに奴もすっころげるだろう」
「まさか!」
 弦は信じられなかった。
 仮にも我々は人外に対して殲滅すべく訓練されたスペシャリストである。なぜ情力や戒力に頼らず、いまさら物理作戦なのか。
 ところが誰もそんな疑問を口にしようとしない。
 それが父親のカリスマ。
 誰もが鳴音楽を無条件に信じて疑わない。
「弦も働け。そうだな、術に執着するお前には、それ相応の任務を命ずる。南に停めた車両の中に、持ってる御札を全て放り込め。そこらへんの術師から片っ端に回収して、詰め込めるだけ詰め込め」
 何をする気なのか。
 とにもかくにも従うしかない。
 弦は大声を上げて、そこら中の術師に持っている全ての御札を車に放り込めと指示した。

 ずしぃぃぃいいいん
 めきめきめき
 ずしぃぃいいいいいいん

 すべての準備が終わったのが、鳴音楽が指示を始めて十分足らず。
 なんたるスピード感。
 一ツ目の人外は、弦がいる場所から、その強大さが充分に視認できる位置まで迫っていた。
 つい先ほどまで罵声をぶつけ合って騒然としていた術師たちは森閑とし、文字通り森の一部に溶け込んでいるかのように気配を消していた。
 静寂が増せば、聞こえるのは人外の咆哮と足音のみ。絶望感を思い出し、全身に微電流が流れ続けるような緊張感が続く。
 そんな中、各自が装備している耳に装着した小型トランシーバに鳴音楽からの指示が伝わった。
『さて、君たちは私の愚息である鳴音弦によって、術師としての全ての装備を回収されたはずだ。君たちは今、術師であって術師ではない。装備を持たない君たちは一介のか弱き人間。頼りになるのは御札などではなく己の筋力と度胸のみ』
 なんだって?
 御札を回収したのは、このためか?
 御札を捨てさせ、術師たちの士気を高めるために後ろ盾を奪ったとでも言うのか。
 弦はまんまと嵌められた。
『作戦は伝えたとおり、人外が指示したポイントにやってきたら七人の有志が命がけでロープを奴の足に絡ませる』

 ずしいいいぃぃぃん
 めきめきめきめき

『俺が合図したら、指定の四台の車は一斉に北の方角へめいいっぱいアクセルを踏み込め。何も考えるな。ひたすら踏み込むことだけ考えろ』
 
 ずしぃぃぃぃいぃいいん
 めきゃめきめきゃめき
 ごるるるるるるるるるるるるっ

 静寂と轟音の奇妙な入り混じりが、弦の下腹部を殴りつけられるような緊張が走る。
 人外が近づくにつれて、見上げる首の角度が徐々に高くなっていく。
 見上げれば見えていた人外の頭部が、人外自身の体で遮られて見えなくなるくらい近づき、遠くの雷鳴のような人外の息遣いが聞こえてきたとき。
『いまだ!』
 鳴音楽の声。
 誰もが躊躇しなかった。
 消化ホースを掴んで火事場に立ち向かう消防官さながら、有志七人がロープを掴んで駆け出した。
 
 
 
 奏が森を駆け抜け、伊集院照子の元にたどり着いた。
「伊集院さん!」
 大声を上げて、息も絶え絶え駆け寄ると、耳の穴に指を突っ込んで顔をしかめる伊集院照子の傍に、子猫サイズのラナ・カンが佇んでいた。
「奏! 無事に戻ってきたか!」
 ラナ・カンがかわいらしい声を上げる横で、布団の上に静かに腰掛けているユーナを見つけた。
「ユーナ……」
「奏さん……」
「ユーナ……!」
「奏さん……!」
 お互いの名前を交互に呼び合う二人の横で、伊集院照子が「分かったから現状を報告しな」と声を上げる。
「一ツ目が! またあいつが現れたんです! 見てくださいこの瘴気! 一体なぜ今頃……!」
 伊集院照子は、まるで語り飽きた噂話を口にするかのように言い放った。
「なぜって、そこにいるユーナが出現させたからだよ」
「え!?」
 奏が固まった。
 固まったままユーナを見つめる。
 見つめられたユーナは今にも泣き出しそうに俯いた。
「騒いだり固まったり忙しい奴だな。いいから少し落ち着け。話してやるから」
「ごめんなさい、奏さん」
 申し訳なさそうに小さくなるユーナ。
 ラナ・カンが擦り寄るようにユーナに近づくと、ユーナを代弁した。
「奏がユーナを助けるためにキャンプに残ったと知ったユーナが、奏を助けるために取った最後の手段だ」
 次に伊集院照子が言った。
「擁護するわけじゃないが、言われてみれば納得いく理屈だ。レジスタンス側の引率役ならば、万が一捕らえられたとき、逃げ出せるための手段を用意していて当たり前だな。ユーナはお前がわざわざ助けに行かなくても、自力で逃げ出す手段を持っていたってことだ。いざとなればあの一ツ目を暴れさせて逃げ出せばいい」
「で、でも、一体どこに一ツ目を隠していたって言うんですか?」
 伊集院照子はあからさまに顔をしかめた。頭を掻き毟りながら「それを聞きたい? 話してやってもいいが、聞かないほうが良いこともあるぞ。旦那が女房の出産に立ち会うと、二度と女房を抱けなくなる奴がいるって話を聞いた事があるか?」とわけの分からないことを言う。
「お腹に隠していたんです」
 ユーナが告白した。
「もう、私がレジスタンスの人間だって、奏さんは知ってるんですよね。私はこっちの世界に来たとき、お腹の中に二体の一ツ目ボタン蟻を入れていたんです。一度目はあの夜に復元させました。二度目は今……」
「ユーナは自分で一ツ目を出現させておいて、踏み潰されそうになった俺をわざわざ助けたのか?」
「でも、今はお前を助けるために一ツ目を出現させた。それは間違いないぞ」
 伊集院照子がそう言った。擁護する、というよりも話の路線がずれていくことが伊集院照子には許せないようだ。
 伊集院照子は話題を軌道修正する。
「とにかくユーナの思惑通り、奏はうまく逃げ出せてきたようだ。ということで当面の問題だ」
 伊集院照子はユーナを凝視する。視線に気づいたユーナは伊集院照子を見返した。伊集院照子は指先をふらふらとゆすって尋ねる。
「出現させた一ツ目。さて、それを元の鞘に収める方法はちゃんと用意してるのかい?」
「再び私の体内に戻す方法ですか?」
「そう。あるいはおとなしくさせる方法。あるいは抹消させる方法」
「すみません。一度復元したものは制御できません」
 にっこり笑った伊集院照子が「だってさ」とボールを奏に投げてよこす。
「捕まった捕虜を助けるために、敵地に爆弾を投下したようなもんだ。そんなのは作戦とは言わない。ま、いまさらどうにならないが。現在の自然公安保全局のお手並み拝見といくしかないか」
「無理だよ」
 奏が言った。
「今の戦力じゃ一ツ目一体だって倒せない」
「そんなこと言ったって仕方がない。自然公安保全局の敗北は人類の敗北さ」
「そんなことはないです」
「残念ながら、重火器の類は人外に利きにくい。ユーナのような低級の人外ならば幾らかは有効だろうがな。倒すための一番効率的で唯一無二な攻撃が人間界の情力や戒力だ。その力の粋がここに集結していて、なおかつ敗北するようなら人類は終わりだ」
「違う。伊集院さんは知らないんです」
「ほほおう。私が知らなくて、小僧が知っていることがあると?」
 奏は確かなまなざしを伊集院照子に向ける。
「伊集院さんは知ってますか? ウランっていう鉱物を知っていますか? プルトニウムは? 原子力は? それだけじゃない。制御可能なら核に変わるエネルギーはあるんです」
「な、なんだそれは。わけが分からん」
「人類は敗北しないってことです。核を使えば敗北がなくても、勝利もないでしょうけど。要するに、現代の人間は地球を破壊できるほどのエネルギーを持つようになったんです。きっと未来には、きっともっと強力な破壊兵器が作られる。人類は敗北しない。だからって今の現状が回避できるわけじゃないのは分かってる」
 呆然としている伊集院照子。想像も付かないだろう。
 奏は再びユーナを見た。
「ユーナ。教えてくれ。元に戻せないのなら抹消する方法は? ラナ・カンはもう火を吹けないんだ。人間がどうにかするしかない」
「一ツ目を抹消する方法……」
「何でもいいんだ。たとえば、弱点のようなものはあるのか?」
「弱点……」
 ユーナは悲しそうに奏を見た。
 奏は不意に胸が痛くなる。
 奏は自分自身がユーナにぶつけている質問の本質を悟った。
 逆の立場ならどうだ?
 自分の仲間である「人間」を殺す方法を、人外に尋ねられて快く答えるものだろうか。
「ごめん、ユーナ。身勝手な質問だった」
「いいんです。私こそ身勝手です。奏さんを騙したり、助けようとして大変なものを復元させたり」
「俺の身勝手がそうさせたんだ。俺がもっとしっかりしてたらユーナだってこんなことしなくて済んだんだ」
「違います。奏さんは私に充分すぎるぐらいの親切をくれました。それなのに私は奏さんを困らせてばかり……」
「いや、俺がーー」
「ああ、もう!」
 伊集院照子が大きな声を出して天を仰いだ。
「面倒くさい奴らだな。いいから結論を出せ。一ツ目には弱点があるのか? 奏のような貧弱な人間でも倒す方法はあるのか?」
 ユーナは困ったように逡巡した。
 この様子は「弱点を知っている」ことを顕著に物語っている。
「一ツ目は弱点と呼べるものはありません。私たちの世界では一ツ目を捕らえたり、倒したりする場合、いったん退化の術でボタン蟻にするくらいですから」
 ユーナの答えは奏を落胆させた。
 このまま、一ツ目を好きなように暴れさせておくしかないのか。
「ただ……」
 ユーナが言葉を繋げた。
 俯きかけていた奏はユーナを見る。
「一ツ目ボタン蟻から復元した一ツ目は、ボタンのあった箇所、つまり脳天近くの組織が極端に弱くなってます」
「脳天?」
「はい。脳天に強い衝撃を加えて、脳を破壊できれば……」
 ラナ・カンが奏の傍に寄ってくる。
「奏、確かにそのとおりだ。私もすっかり忘れていたが」
「脳天ね」
 そう言って、伊集院照子が笑い声を上げた。
「あんな巨大な人外の上から岩でも落とすかい?」
 奏は考える。
 ヘリコプターを出動させるようなことは可能だろうか。ヘリから何かを落として一ツ目の脳天に向けて衝撃を加えることは? 今から作戦を立てて、ヘリを呼んでこの場所にたどり着くまでの時間は? そもそも、判明した弱点を委員会の人間に知らせる方法は?
 かつて、四重の結界にて短時間だけだったが一ツ目を足止めした。
 今回は奏一人ではない。奏より力も経験も上回る術師が無数に存在する。
 どうにか脳天を御札や戒具で攻撃できないのか。
「俺、キャンプに戻って弱点を伝えてきます」
 奏が言うと、伊集院照子が鼻先で一笑に付した。
「言うと思ったが、わざわざユーナがお前を助けるために一ツ目を出現させたのに、キャンプに戻ったら元の木阿弥だ」
「それでも伝えないと」
「さっきも言ったが、伝えてどうする? あいつの脳天に衝撃を与えるいい案でもあるのか?」
「ヘリを呼んで、一ツ目の頭上から何かを落とせれば。それが駄目でも、一斉に殲滅札を一ツ目に投げつければ転ばすことくらい出来るかもしれない。そこに藪北ファミリーの戒具で脳天を攻撃できれば」
「愚か者。相手は置物じゃないぞ。馬鹿とはいえ、知力のある生き物だ。頭上から何かを落としたって躱されるのが落ちだ。それにあの瘴気を見れば分かる。御札程度いくら投げつけても尻餅はついても、脳天をさらけ出すとは思えないし、一ツ目の奴だって自分の脳天が弱点だってことくらい分かっているだろうから必死に防御するだろう」
「じゃあ、どうしたらいいって言うんですか!」
 否定ばかりする伊集院照子に、思わず憤りをぶつける。
「ふん」
 伊集院照子は鼻を鳴らすと、異様に冷たい視線を奏にぶつけた。
「私なら」
 口の端がつりあがった。凶器のように思える笑みだった。
「奴の足元に落とし穴でも仕掛けるさ」
「落とし穴……?」
「いや、やめておこう。今の時代は私の時代じゃない」
 伊集院照子は会話を躱す。するとユーナがうな垂れ、消え入りそうな声を出す。
「奏さん……私、こんなつもりじゃ」
「ユーナのせいじゃない」
「お笑いだな。ユーナのせいじゃなかったら一体誰がこの現状を作り出したって言うんだ?」
「決まってる。大家貴信だ」
「大家貴信が悪者だというが、誰もが予想しなかった危機に一番人類に貢献しているのは奴だと思うが。やり方はお前たちに都合が悪かっただけで、奴は英雄にふさわしい判断力と決断力を併せ持っているぞ」
 まさか、伊集院照子が大家貴信を擁護するなどとは思わず、奏は絶句した。
「未熟者。この程度で何も言えなくなるとは。何も私は大家貴信が好きと言っているわけではない。少なくとも人間で今回の危機に準備し、現実に大部隊を統率して立ち向かっているのは大家貴信一人なのは間違いない。英雄とはそういうものだ。私もかつて英雄と呼ばれたが反面、恨みも良く買ったし、理解もされなかった」
 好かれていなかった、というのは良く分かる。幾度となく奏の感情を逆なでしてきた伊集院照子を思い起こせば。
「とにかく俺はキャンプに戻ります。何か役に立てるはず」
「勝手にしな。ただ、繰り返し言うが、お前には私を御札状態から復元した責任がある。そして、私にはお前に復元されたことの責任がある」
「責任、責任って一体何の責任ですか?」
「御札状態から復元した責任だ」
「だからそれは何の責任だと聞いてるんです」
「私の御札状態は誰にでも解除できるものではない。その証拠に、百年以上も御札状態のままだったんだからな。とにかく、行くのは勝手だが必ず戻ってこい。前にも言ったが、重要な話がある」
「分かりました。戻ってきます。そのときは責任について教えてください」
「いいだろう」
 奏はユーナを見た。
 ユーナは顔を伏せたまま起こさない。
「心配しないで、ユーナ。ユーナの仲間の一ツ目はどうにかしなけりゃいけないけど、戻ってきて必ずユーナを隔世に戻すから」
 ユーナは髪を振り乱して首を横に振った。
「奏さんに行かないで欲しい」
 ユーナが顔を起こす。
「私は一ツ目なんてどうでもいいんです。ただ、弱点を教えてしまったら奏さんはきっと戻るだろうと思って」
「知らなくてもきっと戻る。あっちには俺の家族もいる。俺のせいで迷惑をかけてしまった。委員会を追放されてもおかしくないかもしれない」
「家族が……?」
「強い家族だから心配は要らないだろうけど、少しでも誤解を解きたい。どうにかして親父や兄弟は俺とは関係ないことを知らせたい」
 伊集院照子がふいに手のひらを突き出した。
 突然のことに戸惑っていると、伊集院照子が「私は腹が減った」と言った。
「食べ物はなにも……キャンプに何かあれば持ってきます」
「いらん。お前の持っている御札を全部よこせ」
「御札を?」
「いいからよこせ。どうせそんな御札、一ツ目には通用しない」
 奏は不可解に思いつつ、バッグから残らず御札を取り出して伊集院照子に手渡した。すると、信じられないものを目撃することとなった。
 おもむろに伊集院照子は御札を口に放り込むと、硬い御札を難なく噛み砕き、食してしまったのだ。
 呆然としたのはラナ・カンもユーナも同じで、猛獣のように御札に齧り付く伊集院照子を眺めていると、最後の御札を飲み干した伊集院照子はゲップ一発かまして、口元を拭いながら立ち上がった。
「仕方ないな。付いていってやる。どうもお前は危なっかしい。お前に死んでもらっては困ると何度言っても聞きやがらないし」
「でも、伊集院さんは力が……。それに俺についてくると伊集院さんも立場が悪くなります」
「構わない。力なら今補給した。完全じゃないが、いくらか通力も使えるだろう。要するにお前は一ツ目をどうにかできればいいのだろう」
「出来るんですか?」
「私を誰だと思ってる。なぜ私が英雄と呼ばれたか、その目でしっかり見ておけ。現代の英雄である大家貴信やお前の父親など足元に及ばないことを証明してやる」
 愕然と明治の英雄を凝視する。
「それとな、お前の家族なら心配するだけ無用だ。とくにお前の親父は、お前の不祥事程度で潰れるほどやわじゃない」
 伊集院照子がそう言ったとき、ユーナがおぼつかない足取りで立ち上がった。
「私もーー」
 一緒に行きます。そう言おうとしたのは分かったが、奏はユーナの言葉を遮るように言った。
「ユーナはナユタを連れて、ラナ・カンと一緒に青空公園に向かってくれ。そこで待ってて。必ず行くから」
 ユーナはなおも食い下がろうとしたが、人型まで大きくなったラナ・カンが遮るように言った。
「承知した。ユーナとナユタは私が青空公園まで連れて行こう」
「ありがとう。人外は人には見えないから、普通に向かえばたどり着くと思う。くれぐれも術師には気をつけて」
 伊集院照子が「そろそろ行くぞ」と奏を促した。
 奏は、奏を引き止めようとするユーナの視線を振り切るように背を向けると、伊集院照子に向かって頷いて見せた。
「よし、じゃあお前は私を負ぶって一ツ目のところまで運べ」
「え? 運ぶ?」
 当然だ、と言わんばかりに伊集院照子が両腕を広げた。
 
 
 
 伊集院照子を背負って走り出してしばらくしてから、息切れ切れに伊集院照子に尋ねた。
「伊集院さん、聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
 何度も息をついて、呼吸を整える。
「どうして俺の親父のこと知ってたんですか? 親父のことは何も話してないのに」
「そうだっけか」
「どうして俺の親父が、こんな不祥事で潰れないと分かるんですか? 自分で言うのもなんですけど、俺は委員会の反逆者と思われてます。その父親ですよ」
「そんなもの大した問題じゃない。お前のようなヒヨッコには分からないだろうが、自然公安保全局はお前が思っているほど浅い組織じゃない。お前の親父が保全局に張った根は、引き抜くには根が深すぎるだろう」
「何か知ってるんですか? 伊集院さんが生きていた時代に親父は生きてませんよ」
「お前の親父がどんな人間なのか、話を聞いていれば想像にたやすい。とにかく心配するな。お前の親父は本質を捉えている。大家貴信とは間逆の思想を持っている」
 まるで父親を良く知っているような口ぶり。しかも未来を覗き見てきたような自信満々の口調。
「見えてきたな」

 ぎゃおおおおおおおおう

 巨大な人外の暗影。
 奏と伊集院照子は人外の背後にいる。
「どうするんですか」
「そろそろ降ろせ」
 伊集院照子を地面に降ろす。
 伊集院照子は近くに落ちていた枝を拾い上げると、残バラに乱れていた髪をひとまとめにし、かんざしの要領で髪を束ねた。
 容姿が明らかになる。
 本人の言う「美女」とは決して誇張したものではない。冷たい目や気の強そうな佇まいは明らかに人を簡単には寄せ付けない雰囲気を身に纏っているが。
 おもむろに歩き出した伊集院照子の後を付いていく奏。巨大な一ツ目を、伊集院照子は初めて目の前にするはずである。なのにこの物怖じしない歩み。
 なにか勝算があるに違いない。
「情力を発揮するには、二通りの方法がある。ひとつは御札に圧縮して封じ込めたものを炸裂させる方法。もうひとつは体内に蓄えられている情力を、直接発散する方法」
 実は現代には「戒具」と呼ばれる媒体を使用して、容易に情力を発揮する方法があることは、おそらく伊集院照子は知らないだろう。
「前者は奏のように情力を持たない人間でも、通力を使用することが出来る。後者は生まれ持った資質と、気の遠くなるような修行が必要だ。ところが稀に特殊な能力を持つ人間が生まれる」
 伊集院照子が振り返る。
「その力は正当な遺伝子の系統によって代々引き継がれるが、特殊能力者の子供が必ずしも特殊能力を授かるわけではないし、何世代も発生しないこともある。正当な血筋。それは残念ながら女子にしか遺伝が引き継がれず、男子の子孫には能力が引き継がれない」
「ミトコンドリアみたいなものですか?」
「水戸今度理亜なんてものは知らないが、女子の子孫にしか能力遺伝子は引き継がれない。理由は分からない。血統に女子が誕生しなければ、特殊能力者の血筋も絶え、この世に英雄は存在しなくなる」
「伊集院さんがその特殊能力を持ってるんですか?」
「そう。そのとおり」
 伊集院照子が腕をまくる。
「今見せてやる。しっかり見ていろ。見逃すんじゃないぞ」
 そう言って、伊集院照子は拳にした腕を振り上げる。
 そのときだった。

 ずずずずうううううんんん

 山脈のように見えていた人外の暗影が、徐々に森の中の木々に埋もれていったと思うと、地響きを立てて見えなくなったのである。
 こぶしを振り上げたまま、微動だにしない伊集院照子。
「すごい! 一体どうしたって言うんですか? 何をしたんですか!?」
 何も答えない伊集院照子。
「腕を振り上げただけに見えたのに! 一ツ目はどうしたって言うんですか? 何をしたんですか?」
「そのとおりだ。私は腕を振り上げただけだ」
「正直、驚きました。信じられない。口だけじゃなかったんですね」
「聞こえなかったのか?」
 伊集院照子がゆっくり振り返り、氷のような視線を向けてきた。
「私は腕を振り上げただけだ。まだ何もしちゃいない」
「はい?」
「だから、何もしていないと言っている。一ツ目の奴はなぜ倒れたんだ?」
 歓喜の笑顔だった奏の表情が、その形のまま凍りついた。
 
 
 
 弦は見ている現実が信じられなかった。
 巨大な塔が崩れるように、スローモーションにも思える動作で、一ツ目は前方に倒れこみ、立ってはいられない地響きを立てて、四つんばいになった。
「次は腕だ!」
 すぐ隣で緑眼の獅子の怒鳴り声がした。
 控えていたロープを掴む第二陣が茂みから出現した。
「よし、弦。付いてこい」
 第二陣がロープを掴んで、四つんばいになる一ツ目に駆け寄っていったころ、楽が弦の背中を叩いて立たせた。
 疾風のように駆けていく楽の後ろを必死に付いていく弦。
 楽が誰にも伝えなかった作戦の大詰め。
「お前がやるんだ、弦」
 立ち止まった楽は、呼吸切れ切れに付いてきた弦にそう告げた。
「やるってなにをです?」
「最後の大詰めだ。俺はもう引退した身。次世代はお前が担え」
「どういうことですか?」
「一ツ目を倒してリーダーとなれ。人外襲来を見事に解決して英雄となれ」
「人外襲来を?」
「とにかく乗れ」
「乗れって……」
 そのとき気づいた。
 楽と弦が居るのは、一台の特殊車両の傍だった。
 その特殊車両は、弦が術師たちに指示して、手持ちの御札を全て荷台に詰め込ませた車だった。
「どうするって言うんです?」
「勇気を示せ。お前の部下たちが命がけで一ツ目を四つんばいにした。今度は腕を取って完全にうつ伏せにするだろう」
「まさか」
 父親の言っていることを察した弦。全身の血の気が引いて眩暈がした。
「この御札の詰まった車で人外に突っ込めと?」
「そうだ。何も特攻して自爆しろと言っているんじゃない。一ツ目の頭めがけて突っ込んで、直前で車を飛び降りろ」
 まさかそんなこと。
 実の息子にやらせることか。
 
 ずずずううううぅん
 
 地響きがした。
 特殊車両の窓ガラスが痺れて音を立てた。
「お前の部下は見事に一ツ目をうつ伏せにしたようだ。あとはお前の決意」
 弦はなにも言わず、父親の緑眼を見据えた。
 緑眼。
 英雄たる証。
 その英雄たる重責を背負う宿命を生まれた瞬間から担わされた。
 弦が「いやだ」と断れば、父親は恐らく自ら車に乗り込んで、いまの作戦を実行するだろう。
 だが、父親は緑眼を通して言っている。
 お前の決意を示せと。
 やるもやらないも弦の自由。緑眼として生まれた宿命を背負うのか、捨て去るのか、今ここで決めろと言うのだ。
 弦は答えなかった。
 決意が固まらなかった。
 緑眼の後継者として父親と同じ「できて当然、やって当然」の重圧を受け続けて生きる決心などできるわけがなかった。
 だが、やらねばならない。
 今まさに、未曾有の人外が出現し、絶望的な瘴気を撒き散らしている。
 弦はなにも言わず特殊車両に乗り込んだ。父親は弦を視線で見送る。
 言葉はない。
 特殊車両のエンジンをかけると、エンジンの振動と一緒に、弦の全身が震えた。
 全身が心臓になってしまったかのように鼓動に併せて振動する。
 倍率の調整が壊れてしまったカメラのファインダーのように、目の前の風景が大きくなったり小さくなったりする。
 全身の筋肉が凍り付いていくのが分かる。精神が拒絶して身体の機能を奪っていく。
 できるのか、この俺が。
 きしむ音を立てて、弦はアクセルを踏み込んでみる。
 エンジンが唸る。
 まるで自身の強力さを鼓舞するように。
「まったく、俺の弟はあんな絶望的な奴に立ち向かって行ったというのに、俺のこの様はんだ」
 情けないったらない。手が震え、冷たい汗が背中を伝う。
「くそったれ」
 弦は悪態づくと、クラッチから足を離し、思い切りアクセルを踏み込んだ。
 柔らかい土の地面にタイヤがスリップする。
 構わず更にアクセルを踏み込むと、車が急発進した。背後に取り残した父親の行方は分からない。
 集中しろ。
 ヘッドライトが映し出す暗闇の森。暗闇からヘッドライトの明かりに照らされ、出現しては背後に消えていく木々。
 ギアチェンジするたびに速度が増す。
 幾度となく足がブレーキに掛かるが、踏み込まなかった。
 出現した。
 闇の中から姿を現したのは間違いなく一ツ目の頭部。
 弦の部下たち。『イスカ領域調査部』という実戦経験など皆無である調査員たちが命を掛けて、一ツ目をひれ伏させた。
 俺がやらず、誰がやる。
 弦は目をむいて絶叫した。
「やってやる!」
 急速に近づいてくる一ツ目の頭部。
 絶対にはずさない。
 必ず車を命中させることの出来る距離まで飛び降りずに我慢しろ。
 まだ。
 ――まだ。
 フロントガラス越しに、意外に近くまで迫っていた一ツ目の頭部に、弦は戦慄した。
 やばい!
 弦は慌てて車を飛び降りた。
 受身も取れず、身体は地面にもてあそばれ、視界がめまぐるしく変転する中、弦の耳に衝突音と、ほぼ同時に爆発音が聞こえてきた。
 地面を転がる弦に爆風が襲う。
 まるで洗濯機の中に放り込まれた人形のようだった。
 骨の一本や二本は砕け散っているかもしれない。もしかしたらこの先には死が待っているかもしれない。
 漠然とした恐怖の中、ようやく地球の蹂躙から開放される。
 意識があるのかないのか、自分ででも分からない。体中の骨がばらばらになっている恐怖に現実逃避しかけていた。
 ふと目を開ける。
 身体中痛みだらけである。
 恐る恐る、体中の器官を動かしてみる。
 右肩に激痛が走る。
 それ以外の箇所はどうにか動く。
 立ち上がろうとすると、全身にのしかかる重みに気づく。
 どうやら爆発に飛び散った土に埋もれていたようだ。
 立ち上がると身体からバラバラと落ちる土。
 右肩を労わりながら顔を起こすと、周囲にはきな臭さ。
 一ツ目は?
 疑問に思った瞬間だった。
 歓声がした。
 大勢の歓声とともに、弦は駆け寄ってきた部下たちによってふらつく身体を支えられる。
「さすがです! チーフマネージャ!」
 部下が耳元で歓声を上げている。
「一ツ目はどうなったんだ?」
「頭が吹き飛んで、ピクリともしませんよ!」
「やったのか?」
「やりました! 俺、感動しました! この部署に配属されて、今ほど誇りに思ったことはありません!」
 部下に連れられて問題の一ツ目の傍に寄った。巨大な体躯を残し、一ツ目の頭部はグロテスクにはじけ飛んでいた。
 周囲には脳漿であろう、直視に耐えない肉片が飛び散っている。
 車は燃えカスのようにいたるところが凹み、歪んでいたが火は出ていない。
「みんなを車から遠ざけろ。いつ車が爆発するか分からないぞ」
 そう言ったが、弦の姿に気づいた部下たちが周囲を取り囲み、一様に弦を褒め称えはじめた。
「いいから、ここから早く」
 弦がなにを言おうと聞く耳を持たない。
 それも仕方がないだろう。
 あれだけ絶望的だと思われた人外を、戦闘経験も術師としての人外駆除の経験も皆無の『イスカ領域調査部』が退治したのだから。
 弦は突然、直前までの恐怖を思い出して身震いした。
 興奮して歓声を上げる部下たちとは対照的に、弦の全身は凍りつくように冷たかった。
 これが英雄たる行為。
 なんて重責だ。
 果たして俺に勤まるのか。
 
 
 
「なにが起こっているというのだ」
 つぶやきに近い大家貴信の声。
 超音波のような声だろうと聞き取るだろう相馬が答える。
「瘴気が消えました……。どうやら一ツ目を駆除した模様」
「一体誰が? 藪北の連中か?」
 傍では英語で外国人の外交使節が説明しろと捲くし立てている。
 相馬が言った。
「藪北ファミリーは鳩谷多恵と佐々倉想平がここに居て、俵原孝司と川本クリスティーヌはラナ・カンに張り付いているはずです」
「鳴音楽がやったというのか?」
「それしか考えられません」
「一体どうやってだ?」
 鳩谷多恵が答える。
「報告では『イスカ領域調査部』の術師たちがロープで一ツ目の行進を止めたと……」
「ロープで足止めできたとしても、倒すことは出来ない。どうやって倒したというんだ」
 その問いには誰も答えなかった。
 すでに他の重役たちは逃げ出し、残っているのはオペレータたちと中米の公使とその通訳だけ。
 これではまるで……。
「とにかく、状況を確認しにいく」
 そう言って大家貴信は表に出ると、キャンプエリアにはおそらく千を越える術師たちが戻ってきて、ごったかえしていた。誰もが状況を把握できずにおり、口々に状況を説明しろと訴えている。
 暴動でも起きかねない雰囲気に、大家貴信は仕方無く本部に戻った。
 本部の新野辺に指示し、全員が持つ通信機に向けて「事態は収拾された」と周知した。
 どうやって? 何があった? 誰が倒した?
 通信がひっきりなしに入ってくる。
「先生。私が確認してきます」
 鳩谷多恵が言って大家貴信が頷くと、鳩谷と佐々倉想平が本部を出て行った。
 酷い混乱ようだ。
 完璧に組織として機能を失っている。
 一体なにをした、鳴音楽。
 大家貴信は戦慄する。
 ひょっとして、自分はとんでもない人間を敵に回しているのか。
 大家貴信は、人外襲来の危機に対し、世界でたった一人だけ策を持ち、事態を収拾できる能力を持っていると信じ込んでいた。
 ところがたった一匹の人外が出現しただけで、この混乱。
 明日、この状態で人外襲来を迎えたら……。
 そんな中、誰よりも冷静に事態を収拾した鳴音楽。
 大家貴信は傍のテーブルに置かれていた陶器の灰皿を手に掴むと、思い切り投げつけた。
 投げつけた灰皿はテントの布に跳ね返って、大した音も立てず地面に落ちた。その場に居たほとんどが、大家貴信が灰皿を投げたことに気づかなかったほどだ。
 屈辱だ。
 これほどまでの屈辱を受けたことはない。
 これではまるで。
「ピエロだ」
 大家貴信は食いしばった歯にひびが入ったことにも気づかなかった。
 
 
 
「なにが起こったんですか? 瘴気が消えました」
 奏の問いに答えない伊集院照子。
「伊集院さんが何かしたんじゃないんですか?」
「知らん。まったくもって分からん。分かっているのは、人類はとりあえず勝ったと言う事だ。方法は分からんが」
「一ツ目を倒す方法はなかったんじゃ」
「無かった。少なくともユーナとラナ・カンはそう言っていたが」
 伊集院照子は振り返ると、黙って歩き出した。慌てて付いていく奏。
「どこに行くんですか?」
「帰る」
「帰るって、どこに」
「とりあえず風呂に入りたい。それと布団の中で眠る」
 伊集院照子の態度は、この事態が終わったことを示唆している。
 奏はなにが起こったのか非常に気になったが、確認しに行く訳にもいかない。
「俺はこのまま青空公園に向かいます」
 伊集院照子は立ち止まる。その背中に向かってさらに言った。
「お願いがあります。一緒に青空公園についていってもらえませんか?」
 伊集院照子は答えない。
「俺は伊集院照子さんの話を聞いて、自信がなくなりました。もう、どうしていいか分からないんです」
 伊集院照子は振り返った。その顔には嘲るような笑みを賛えていた。
「甘ったれるな。お前はここまで一人でどうにかしてきたんだろう」
「でも、伊集院さんが居なかったら、人外襲来が青空公園だったなんて気づかなかった」
「そんなもの、明日になれば分かったことだ。一ツ目を倒せたんだ。気づかなくたって人間はどうにかしただろう。それよりも私はお前に伝える事がーー」
 伊集院照子がそこまで言って、突然表情に緊張が走った。
 視覚ではなく、別の感覚で何かを探るように視線が宙を漂う。
 何かに気づいたということには間違いない。
「――人外襲来が青空公園で起こる? それはどういうことだ」
 声がした。
 伊集院照子の声ではない。
 伊集院照子が向けた視線の先。暗闇の中から姿を現したのは俵原孝司だった。
「それは本当のことか?」
 俵原孝司は戒具を右手に掴んでいるが発動はしていない。
 奏は緊張した。
「本当のことかと訊いている。答えろ」
「答えてもいいが、礼儀がなってないな」
 伊集院照子は物怖じせず答える。
「あんたが誰だか知らないが、鳴音奏と一緒に居る以上、あんたも反逆者だ。素直に教えないと痛い目見るぜ」
「ほほおう。これはでかく出たもんだ。現代の術師は相手の力量も測れないのか」
「あんたが実力者だと? だが、それは関係ないぜ」
 そう言うと、俵原孝司は戒具の掴んでいない左手を上げる。するともう一人、姿を現した。
 知っている。川本クリスティーヌ。彼女は濁った紫色の水晶を持っている。
 確か彼女の力は結界能力。
 あの水晶は戒力が具現化したものである。そのため、すでに力は解放されていると言うことになる。
 だが、奏も伊集院照子も人間である。人間に有効な結界を作り出せるのだろうか。
「人外三体を捕らえた。はやり力を失い、人間の子供を捕まえるより簡単だったぜ」
「ユーナたちを?」
 奏が身を乗り出すと、手を突き出して伊集院照子が制した。
「慌てるな馬鹿者。まんまと乗せられおって。折衝の下手な奴だ。私が話す。私から学びたいというのなら大人しく見ていろ」
 奏は引き下がった。
 伊集院照子の言った通り、奏は伊集院照子から学びたいと思ったのだ。
「さて、ユーナたちを捕らえたというが、姿が見えないようだ」
「見せるまでも無い。特にあんたらと交渉するつもりも無いからな。とくかく痛い目を見る前に全部吐露することだ。青空公園に人外襲来があるとはどういうことだ」
「つまらん。これでは奏の勉強にもならん。言っとくがな、私にお前らと話するメリットなど微塵も無い。だから話してる気も全く無い」
「分かってないな」
 俵原孝司は戒力を発動した。
 右手に掴んだ棒状の戒具から、紫色のガラスのような戒力の剣が出現した。
 あの剣の強力さを知っている奏は慌てて口を開こうとしたが、その前に「黙ってろ」と伊集院照子に一括される。
「愚の骨頂とはこのことだ。お前の力量からすれば、おそらくお前にその剣以上の力は無い。ならば脅しで手の内を見せるなど素人とはなはだしい。武士は腰に帯刀している刀の柄に手を掛けるだけで、充分脅しになる。抜き身にして脅すなど、構えから力量を相手に知らせるも同然だ。この場合、力を見せるよりもナイフを取り出したほうが脅しとしては効果的だったぞ」
「ご教授ありがとうよ。それで? 俺の質問には答えてもらっていないが」
「さらに言えば、お前はやっぱりユーナたちをカードに使うべきだった。それも結界に閉じ込めるだけというのではなく、さらに奥の手を以ってな。愚かだ。力に頼る人間はいつの時代も愚かだ」
 俵原孝司は明らかに苛ついている。俵原孝司が相手を殲滅することに躇わないことは、先の委員会本部襲撃のときに思い知らされている。奏はひやひやしながら動向を覗う。
「教えてやっても良かったんだが、お前の態度は目に余る。もっと交渉術に長けた人間を連れてこい。そうすれば情報を提供してやろう」
 俵原孝司を小馬鹿にし続ける伊集院照子の態度は、相手の感情を刺激続ける。
 いつ、あの刃が伊集院照子を襲うのか。
「分かったよ。もう訊かないさ。その代わり、永遠に口を閉ざしてろ」
「孝司!」
 戒具をもつ手に力が篭った瞬間、川本クリスティーヌが制するように声を上げた。
「なんだよ、クリスティーヌ」
「殺せとの指令は受けてない。分かってるわね?」
 クリスティーヌがそう言った瞬間、伊集院照子は突然爆ぜるように高笑った。
「あんたが変わりに交渉に乗り出してくるのかと思ったら『殺せとの指令は受けてない』だって? もうそんなに笑わせないでもらえるかな。お前らはどうして私たちの目の前に姿を現した? それは『人外襲撃が青空公園で起こる』と私たちが口にしたからだろう。その時点でお前らは命令を無視し、身勝手な行動に走ったことになる。今更命令違反を気にしてどうする。愚かさに拍車を掛けた愚か者たちだ」
 挑発している。明らかに相手の怒りを煽っている。
「さて、もうお前らガキどもの相手はしていられない。『ユーナたちを捕らえている』という情報をあまりにも簡単に私たちに漏らしたお前らの馬鹿さ加減に免じて、今すぐ人外三人を解放すればお前らの名誉は守ってやってもいいぞ」
「馬鹿にするのも今のうちだぞ。俺はそんなに気が長くない」
「脅してるつもりか? ヒヨコがピヨピヨ喋っているようにしか聞こえん」
「このクソアマ……!」
 もう俵原孝司が躇うことは無いと思われた。事実、俵原孝司は剣を振り上げた。
 俵原孝司と伊集院照子の間合いはかなり離れていたが、それは保証にならない。俵原孝司の振り上げた剣は間合いを潰すだけの充分の長さに伸びたからだ。
「その程度か」
 不意に、伊集院照子は手を振り上げた。
 力のこもっていない手つきは、まるでピアノの奏者がいざ鍵盤を叩こうと腕を持ち上げたときの仕草だ。
 風を送るかのように、あるいは赤子の頬を撫でるかのように、伊集院照子が空中をひと撫でして見せると、理解不能な事態が起こった。
 俵原孝司の振り上げていた紫色の剣がチリとなって消え失せた。
 俵原孝司は、剣を振り下ろしたときにようやく自分の剣が消えうせていることに気づいた。
 俵原孝司は不可解そうな表情で川本クリスティーヌを振り返った。
 クリスティーヌは戸惑ったように俵原孝司を見返す。
 そう。
 その場に居た誰もが、なにが起こったのか理解できていない。
 その不可解な現象が、伊集院照子がしでかした事実ということさえ気づかない。
 俵原孝司は再び剣を具現化する。
 具現化した瞬間、塵となって消えうせる剣。
 エンジンの掛からない自動車のセルを幾度も回すように、俵原孝司はむきになって何度も剣を作り出すが、作るたびに消え失せる。
「何度でも消し去ってやるのは構わないが、そろそろ気づけ。具現化の能力は力を消費する。転じて、力を無効化する術はそれほど力を必要としない。この堂々巡りを反復せば、どちらが先に力を使い果たすかは明白」
 驚愕の表情で俵原孝司は伊集院照子を睨みつけた。
「あんたがやってるというのか?」
「この状況で、他の誰がやるというのだ」
「こんな力など聞いたこともない」
「愚か者が。現代にも御札の効力を無効にする御札は存在するのだろう。御札の効力の種類は、人間がもつ能力の種類となる。通力を解除する能力者が居ると考えてしかるべきだろうに。お前はそんなことも知らないのか?」
 俵原孝司の歯軋りが奏の耳まで届いた。
「お前は私には勝てない」
 その言葉が決め手になった。
 俵原孝司は苦々しく、戒具を降ろした。
「人外を殺すぞ」
 俵原孝司が口走るのを、伊集院照子は一笑に付する。
「それは、お互いの手の内が分からないうちに有効なカードだ。敗北したお前は黙って人外三人を引き渡せ。今度は悠長に交渉などしない」
 そのとき、川本クリスティーヌが手に持っていた水晶を掲げて見せた。
「もう一度あなたの能力を見せてください。私の具現化した戒力はこの球体です。これを消し去れば、結界も消えるでしょう」
「まだ信用していないということか。まあいいだろう」
 そう答えた瞬間、水晶が手のひらから塵となって消えうせた。
 目を丸くする川本クリスティーヌ。
 ゆっくり手を下ろすと、その手をゆっくり持ち上げて、森の暗がりを指差す。
「あちらの方向に人外がいます。私たちの敗北を認めます。どうぞ、行かれてください」
 クリスティーヌが避けて道を譲る。
 俵原孝司はうつ向いたまま顔を起こさない。
「なかなか素直でよろしい。その素直さに免じて教えてやるが、人外来襲は青空公園に出現するのは間違いない」
「青空公園とは、鳴音奏さんがユーナたちと始めてあった場所ですね」
「そう。もう説明しなくても分かってそうな顔をしてるな」
「この園山はユーナが仕掛けたスケープゴートだと?」
「その通り。ユーナもその旨、白状した。この愚か者の代表である奏も、そのことを伝えに本部へ行ったんだが、見事に伝えられなかったらしい。とにかく証明する手段は無いが、理屈が青空公園が人外襲来の場所だと指し示している」
 伊集院照子は「行くぞ」と言って歩き出した。あとを付いていく奏に、川本クリスティーヌが声を掛けた。
「奏さん。藪北はあきらめませんよ。あなたは反逆者であることは間違いない。このままだと思わないでくださいね」
 淡々たとした口調で脅してくるクリスティーヌ。
 奏はそれがただの負け惜しみだとは思えなかった。
 必ず、またあいまみえることがあるだろう。そのとき、伊集院照子が傍に居るとは限らない。
 果たして、藪北ファミリーをそう何度も出し抜けるとは思えなかった。
 
 
 
「自信過剰な馬鹿は怒らせるだけ怒らせて、天狗になった鼻をへし折ってやるのが一番効果的だ、ということを実践して見せてやったわけだが」
 伊集院照子は歩きながら気難しい顔をする。
「女のほうはなかなかいけ好かないな。最後に私の能力を試しやがった。目の前で一度観察したかったのだろう。ひょっとしたらあの女は次に会うとき、何らかの対策を講じてくるかもしれないな」
 奏は返事をする前にラナ・カンとユーナ、ナユタを見つけて駆け寄った。
「奏!」
 奏を見つけたラナ・カンが声を上げた。
「すまない。不覚にもまた結界に捕まってしまった」
「いいんだ。もう結界は解除したから」
「この権を消失した身体が恨めしい。奏に助けてもらってばかりだな」
 ユーナが奏の腕を掴んだ。
 見ると、ユーナが睨みつけるように奏を見上げていた。
「奏さん……もう、無理をしないでください。私やナユタのために、危険な目に遭うことなんてないんです」
「今さら引き返せないよ。それにユーナたちのためだけに危険な目にあうわけじゃないんだ。俺は術師なんだ。人間を守らなくちゃいけないんだよ」
「でも、奏さんに何かあったらと思うと……」
 ユーナが胸を抑えて、辛そうに眉をひそめる。
 奏の胸がずきんと疼く。
 想ってくれているのが分かる。
 火を吹き、腹の中にモンスターを飼う人外少女である。それでも容姿も声も、心の中でさえ人間と代わりのないユーナ。
 ふと、奏の手が伸びる。
 手のひらがユーナの頭に触れる。
 柔らかい髪。体温も伝わってくる。
 ユーナが顔を起こして、奏を見上げた。
 引き寄せたい。
 引き寄せて、両腕で抱きしめたい。
 どうしてこんな感情が沸き起こるのか。
 いつからユーナに触れると、こんな気持ちになるようになったのか。
「絶対にユーナとナユタを隔世に戻す。それが俺の正しいと思う行いなんだ。ユーナが帰りたくないと言っても、俺はきっとユーナたちを隔世に戻すよ」
 ユーナがすがるように奏の両腕を掴んだ。
「なら、私も隔世に帰ります。絶対に帰りますから」
 白い顔。明らかに力を失っている。
 ――それが正しい行いだから、ユーナとナユタを隔世に戻すんだ。
 はたしてそれは本心だろうか。
 本心ではない。
 ささやかな思春期の嘘。
 そんなわけがないじゃないか。
 自分で自分自身の想いに初めて気づく。
 ただ俺は、君に消えて欲しくないだけだ。
 奏は労わるようにユーナを宥めると、ラナ・カンを見た。
「もちろん、ラナ・カンも戻す。これは絶対だからな」
 ラナ・カンに表情は無い。
 ただこう言い返した。
「それについての回答は前と同じだ。もしまた私が家族に会えるのならば、心から貴殿に感謝しよう」
 改めて奏の胸に確かな決意が芽生えた。
 様子を見ていた伊集院照子がぼそりと口を開く。
「お前ら、本当にむずがゆい奴らだな」
 そう言われると、とても恥ずかしい気持ちになってくる。
「とにかく、あとは明日の人外襲来をどうやって乗り切るかだな。まったく、目覚めた途端に波乱尽くめだ。私が目覚めるときは、いつだって激動の時代だってことは分かってるんだけどな」
 伊集院照子の言葉に、奏の緊張感も蘇ってきた。
 明日だ。
 明日、人外襲来は起こる。
 今日出現した一ツ目が無数に現れる。
 想像は付かない。
 それは地球上の誰も想像し得ないのだ。
 過去に経験のしとことが無い未曾有の危機なのだから。

 

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