あっちから変なの出てきた

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第六章 【 戦争を知らない子供たち 】


 人外襲来の前日から大家貴信も山のふもとにある人外特殊災害対策室の特設本部に訪れていた。
 山のふもとにある地域の公民館を貸しきり、自然管理委員会の重役たちと肩を並べていた。
 公民館の会議室に当たる部屋で、白い壁にプロジェクターより映し出された映像は立体的な3Dにて解析された「園山」の全容だった。
 分かりやすいように山にある洞窟は赤い星マークが点滅している。
 映し出された映像に向かって教鞭を指し講じているのは大家の腹心、相馬だった。
「以上のように、ユーナという人外から聞き出した『虹色の洞窟に』というキーワードからしらみつぶしに探し出した六つの洞窟に、虹色という言葉を連想させるものはなくーー」
「まだ見つけられない洞窟の存在の可能性は?」
 どこからともなく声が上がるが、相馬にはプロジェクターの逆光により、暗い室内の錚々たる発言者たちを見ることは出来ない。出来なくともこの場にいる人間はすべて相馬の目上の人間であることは間違いない。相馬はよどみなく答える。
「なんともいえません。急務でしたので人海作戦で探させましたが、見落としの可能性はあります。ただいま二回目の洞窟捜索と地元の文献を漁って洞窟を洗い出しています」
「ユーナという人外と、もう一匹の人外がいるそうだが、そちらのほうからは何も情報は得られなかったのか?」
「得られませんでした。衰弱もひどく、まともにしゃべることの出来ない状態だったもので」
「本当かな?」
 誰かが声を上げる。
 相馬からは見えないが、その場にいた半数近くの人間が発言者を振り返った。
「何か隠してるんじゃないのか? そのユーナという人外にしろ、われわれは一目たりとも見たこともないしな」
 誰だろう。発言者を確認できないまま、相馬は答える。
「何も隠蔽は行っていません。そんな状況でもありませんし」
「心配せずともーー」
 相馬の発言を遮るように声を上げたのは大家貴信だった。
「ユーナという人外も、もう一匹の人外もすぐにお目にかけていただくことになります。もう皆さんもご存知でしょうが、園山で不審な爆発が起こったとの報告が入っています。その場には人外の瘴気の気配が残っていたとのこと。これはユーナとナユタという二匹の人外と逃亡劇を繰り広げ、本部を襲い、未曾有の危機を招いた上、その少年と逃亡した猫型の人外がそこにいたという可能性を物語っています。目的ははっきりとはしませんが、明確な敵である少年と猫型の人外がその場にいた以上、よからぬことを考えていることは間違いないでしょう。結論としては『来るべき人外襲来の手引きにやってきた』と考えるのが妥当」
「そうだとして、ユーナという人外を我々にお披露目することとどう関係すると言うのだ」
「ユーナという人外を森の中に放ちます。もちろん逃がすわけではない。目的は人外襲来を阻止する我々の目的を妨害する少年と人外を捕らえる、あるいは殲滅することです。少年と人外は仲間であるユーナを助けに姿を現すでしょう。この考えに異存はないと思っていますが、いかがでしょう」
 その場がどよめいた。
 プレゼンターであった相馬の立場はまるでない。話題はすべて大家貴信に持っていかれてしまった。というよりは大家貴信の機転で、向けられた疑惑の視線を見事そらしたと言ったほうが良いだろう。
 冷酷な男である。
 何の罪もないただの少年を悪の反逆者として仕立て上げる。ただ、自分に向けられる疑惑の目を回避するという、それだけのために。
「その少年、鳴音奏と言ったか。鳴音奏には親と兄弟が委員会に所属していたはずだが、彼らの処遇はどうなっている?」
 鳴音奏には上に鳴音弦と鳴音琴、下に鳴音階がおり、いずれも優秀な術師である。中でも鳴音奏の父親は生ける伝説として語り草だ。二十五年も前になるアメリカで起こった一部の術師による大規模な反乱行為をほぼ一人で収拾し、解決に導いたとされる緑眼の獅子。
 大家は動揺するそぶりも見せず答える。
「彼らの処遇は考えています。実は彼ら一家を今回の作戦に召集しています。作戦にも参画させます。われわれは鳴音奏を捕らえることになるでしょう。そこで鳴音奏の親兄弟である彼らの反応をうかがおうと思っています。もし彼らが鳴音奏の肩を持つようなことがあれば、即刻委員会を追放しようと思っています」
「なるほど。追い出すなら早々に失敗してくれたほうが良いと言うことか」
「おっしゃるとおりです。委員会を追放するにはいかんせん、父親の名声が強すぎます。明確な反逆性を見せていただかなければ、緑眼の獅子を追放する理由には足りません」
 現役を離れてからも委員会に強力な発言力を持つ緑眼の獅子と畏怖される鳴音楽を忌み嫌うものは多い。ついでに彼をつぶせるなら方法など問わない人間は、多少こじつけであっても容赦するだろう。
 鳴音一家は大家貴信の大いなる野望の一番最初の犠牲者なのである。

 

 奏が事情を話し始めて、最初のうち絶望的な表情をしながら額を撫でていた伊集院照子は、奏が話しているうちに徐々に顔を上げ、そのうち興味津々そうに瞳を輝かせ始めた。
 最後には冒険談を聞く子供のように大きくうなずきながら「それでそれで」と話の続きを促し始める始末。
 人語を解する人外であるユーナとナユタを同情して逃がしてしまったことから味方に追われるハメになった。逃亡生活は一ヶ月以上にわたり、山に逃げ込んだ際に巨大な一ツ目の人外に襲われ、ユーナとラナ・カンに助けられた。
 ラナ・カンは隔世より人工的にやってきた人外で、来るべき人外襲来の危機を阻止するべく渡ってきた人類の味方であるが、大家貴信という現代の英雄と言うべき男に貶められ、悪者に仕立て上げられたが、それを助けた奏も再び味方である自然管理委員会と敵対するハメになってしまった。
 掻い摘んで説明すると伊集院照子は「面白い!」と自分の膝を叩いた。
「お前らが私を局に連れて行けない理由も理解した。なるほど、現代はそんな面白いことになってたか!」
「面白いって……渦中の本人の身にもなってください」
「自分で招いた事態だろうが。しかし、奇特なやつだな。かつてないぞ、公安保全局に逆らって人外の味方をするなど」
「分かってますよ、そんなこと。誰よりも」
 それより、こんなところで悠長に話をしている場合ではない。
 先ほどのS級の御札が炸裂したときの爆音はしゃれにならなかった。森のいたるところに配備された術師たちが聞きつけて集まってくるのは時間の問題に思われた。
「伊集院さん、説明したとおりこの山に隔世から人外が襲来します。そのせいで山中に術師が配備されてるんです。事情を話したとおり、俺たちは見つかるわけには行かない。一緒に付いて来てもらえませんか?」
「付いて来いって言われたって、私は局員だ。今の自然公安保全局の敵は私の敵でもある。しかも最悪の奴を逃がしやがって。私がどんな思いであいつをーー」
「事情は説明したじゃないですか。俺は人外を隔世に戻したいだけなんです」
「さすが反逆者の発想は奇想天外だな。そんなことが実現できると思っているのか?」
「そう信じていなければ、今こんなところで人外と一緒にはいません」
「まったく身勝手極まりない奴だ。お前の勝手な行動で起こされた私は立腹して、お前を蹴飛ばしたっていいんだ。それをしないのはお前の話がちょっとは面白かったからだ。いいか、お前は責任がある。あいつを逃がした責任と、私を起こした者の責任だ」
「どうしろっていうんですか。時間が――」
「一度退化して御札になってから時間が経ち過ぎている。私はいま力を失っている。一過性のものだと思うが、お前の望む御札化の術もしばらくは使えないだろう。ましてや明日など絶対に回復しない。それどころか私はいま立ち上がることもままならない」
 間に合わないか。
 これで可能性がひとつまた失われた。
 今からまた新たな可能性を模索している時間はない。
 やはり、隔世へ外を戻すなど夢物語なのだろうか。
「ということだ。お前には責任があるのだから、お前は私を運べ」
「運ぶ?」
「どこでもいい。とにかく、私を起こしたお前には責任がある。私にはお前に起こされた責任がある。だからお前は私を運べ」
「それは、俺たちと一緒に逃げてくれるという……」
「お前の現状はこの際どうでもいい。とにかく私が転化した御札状態を解除したお前には私の言うことを聞く義務がある。詳しいことは話してやってもよいが、時間がないのだろう?」
 奏は肩に乗っているラナ・カンを見た。ラナ・カンもほとんど力を残していない。大きくはなれないし、なったとしても目だってしまって自殺行為だ。
「分かりました。背負って行きます」
 子供のように両手を広げる伊集院照子に背を向けて、背中に乗ってきた英雄を背負い込む。
「どこに逃げると言うんだ?」
 背中から伊集院照子が尋ねてくる。
 分からない。
 迷っていると、伊集院照子が「迷っているのなら、私の言うとおりに行け」というので、背後から指を指されるとおり歩いていくと、やがてユーナやナユタと魚とりをした小さな沢にたどり着いた。まだ奏の作ったダムが残っている。
「その沢を渡った先に、おそらく立ち入ることが困難な場所がある。当座、そこに身を潜めようか」
 言うとおり行ってみると、そこは倒木が折り重なるように山積みになり、地面も激しく隆起して簡単には立ち入れない場所があった。
「どうしてここが立ち入るのに困難な場所だって分かったんですか? 百年ぶりに目を覚ましたばかりなのに」
「お前にその質問をされると、現代の術師がいかに質を落としたか痛感させられる。聞けばお前が私の転化した御札を見つけ出したのも、因果な事情がなければ有り得ない偶然だった。私が転化した御札は本来おおくの術師に崇められる場所に保管され――」
 話が長い。どうして分かったのか理由を聞いただけなのに。
 奏は倒木が作り出した洞窟のような場所に身を潜めると、伊集院照子を下ろした。
 じめじめしており、長い間日のあたらない場所であったことを物語る苔がいたることころに生えている。
 奏は一息つくと言った。
「本当に勝手なことを言うようですけど、俺が伊集院さんを復活させたのは人外を御札に転化して欲しかったからなんです。でも、力を失っているのならそれもかなえられない。俺たちが伊集院さんを引き止める理由は何もありません。それに俺たちと一緒にいたら、伊集院さんを余計な面倒に巻き込んでしまう。自然管理委員会に保護してもらったほうが」
「本当に身勝手な言い分だな。もちろん、お前らの望みを叶えるつもりがあろうがなかろうが私は自分の意思で行動する。それに、力が戻れば私はすぐにでも奴を追わなければならないしな。とにかく、今の私はお前に付いていく選択をした」
「付いていくって、俺はこれから行くところがあるんです。付いてこないほうが良いところですよ」
「大家貴信という現代のイカサマ英雄のところだろう。話を聞いていれば分かる。だが、私の予想では人外を助けに行く必要はないぞ」
「どういう意味ですか? 何か知ってるんですか?」
「ふん、私が英雄たる英雄でいられたのは力ばかりじゃない。頭が良いのだ。もうだいぶ事情も理解した。これから起ころうとしていることも大体予想が付く。結末までは分からないが、お前の想い人はここにいればあっちからやってくるさ」
「あっちから? ユーナとナユタがここに来るって言うんですか?」
「そうだ」
「なぜそんなことが分かるんですか?」
「ここが立ち入れないような険しい場所で、術師がいない場所であると分かったのはなぜだと思う? お前には想像すら出来ないだろう。それはお前の想像力がまだまだ足りないからだ。ようするにすべてはお前の徒労だってことだ。お前はいろいろ悩んでアイデアをひねり出しているようだが、すべては無意味だ。お前が何をしようが、結局なるようにしかならない。因果とはそういうものだ」
「まったく意味が分からないですよ。無駄だと言われようと俺はやります。ユーナとナユタを隔世に戻すと約束したんです」
「だから、それが無意味だと言うんだ」
「どうしてですか」
 多少、感情的になって声が大きくなった。
 伊集院照子は残バラに乱れた髪を掻き上げると、顔を持ち上げた。
 やはり若い。奏の姉である琴とあまり変わりないように見える。
「よく考えろ。相手の気持ちになってな。経緯と現状をよく考察しろ。この山に術師が大勢配備されているのなら、恐らくラナ・カンの瘴気を悟られ、お前たちがこの山にいることはすっかり知られている」
「そんな……」
「お前らは反逆者だ。事実はどうあれ、私もお前を反逆者だと思う。たとえ正義を論じようとも大きな流れに逆らうような奴はいつだって反逆者だ。反逆者だということは、これから起こる人外襲来によからぬ形で関与しようとしていると、相手は想像するだろう。その不安要素を排除するにための大家貴信の手持ちカードはなんだ? お前がユーナとナユタという人外を助けようとしているのを大家貴信が知っているのなら、当然ユーナとナユタをお前らをおびき出す釣り餌に使うはず」
 奏は言葉を失う。百年間も眠っていた人間が、目覚めて少し事情を聞かれただけでこうまで想像できるものか。
 なにより、本当に伊集院照子の言うとおりになるのだろうか。
「ユーナとナユタはこの山に現れる。だがな、お前が助けに行くというのなら止めはしないが、重要な事がある。よく聞け。そして経緯をよく理解して、一番可能性のある事実を導き出せ」
 伊集院照子は不思議な光を放つまなざしで奏を睨みつけた。
「人外襲来が起こるのは、恐らくこの山ではない」
 その言葉に反応したのはラナ・カンだった。
「そんなはずはない。われわれの手に入れた情報は正確だ。必ず明日に人外襲来は起きる。もちろん、この山でだ」
 伊集院照子が怪しげに口の端を吊り上げた。
「ラナ・カンがどうしてこの山で人外襲来が起こると考えたのが重要だ。説明してみろ」
「あちらの世界からこちらの世界に穴を開けるには莫大なエネルギーが必要だ。もう一度同じ穴を、最初から開けることはレジスタンスの資金力、保有エネルギーからして不可能だ。ならば一度空けた穴から再びやってくるしかない」
「正論だ。確かにそうかもしれない」
「何が腑に落ちないというのだ」
 伊集院照子は再び髪を掻き揚げる。
「もう一度訊く。なぜラナ・カンの世界のレジスタンスとやらが『この山にイスカ領域を築いた』と思うのか」
「それは……」
 とっさに答えようとしたラナ・カンの言葉が詰まる。
 一拍の沈黙。
 ラナ・カンが慎重に口を開く。
「まさか、穴が空いたのはこの山で無いと?」
「イスカ領域を気配や視覚で捉えることは出来ない。ラナ・カンがこの山にイスカ領域の穴が空いていると考えたのは一ツ目の人外がこの山に出現したからだ。違うか?」
「違う場所だったといいたいのか?」
「その通りだ」
「根拠はなんだ。どうしてそんな事が分かる?」
「ここまでの経緯を考えれば結論は出る。一ツ目が退化し、現世にやってきたあと、復元するためには額のボタンを押さなければならない。ならば、こう考えるのが自然だと思わないか? 圧縮して知能も小動物並みに退化する必要のない人外。要するに力は小さいが、知能レベルはある程度高く、圧縮する必要がなく人工的に開けたイスカ領域を通ってこれる人外。そいつに押させる」
 奏はそれを聞いた瞬間、寒気を覚えた。
 ラナ・カンが反論を試みる。
「そんな方法があれば、我々も同じ方法を取る」
「ラナ・カンがこの山に居た理由は? この山に一ツ目が現れると知っていてこの山を選んだのか?」
「……そうではない。厳密にはレジスタンスがこちらの世界のどこに出現するのかは分からなかった。我々だって、蓋を開いて見なければ自分がどこに降り立つのかも分からなかった。なにより、こちらの世界のことなんて何一つ分かっていなかったしな」
「そんな状態で同じ山に、レジスタンスとラナ・カンが出現した。この確率は?」
「……まず、有り得ないだろう」
「ならば、穴を開けたのはこの山ではない。一ツ目は退化した状態で『この山に運ばれた』んだ」
 奏が悪寒を覚えながら、最悪な結論を導き出そうとしている伊集院照子に反論を試みた。
「運ばれなくちゃならない理由が無いです」
「理由ね。理由を考えるのは二番目だ」
「二番目?」
「起こってしまったことについて原因を考えるとき、感情は捨てることだ。意味が無いからな。もし、同じことを再発させたくないのなら、初めて理由を考えろ」
「意味が分かりません」
「分かるように説明してやる。ユーナとナユタはレジスタンスの人間だ。一ツ目と同じ穴を通って現世にやってきたんだ。一ツ目を復元させる役割を担ってな」
 奏が何か言おうと口を開いた途端、制するように手を突き出した。
「いいから訊け」
 訊けといわれても。
 ユーナとナユタの無邪気なはしゃぎようも見た。なにより、ユーナは一ツ目から俺を救ってくれたじゃないか。それが本当は一ツ目の仲間だった?
 伊集院照子は奏の表情を見て、再び「感情を捨てろ」と言った。
「そうとしか考えられない。そう考えないと、ユーナとナユタの出現理由が説明できない」
「でも、どうしてユーナとナユタが現れてから、一ツ目の出現まで時間が掛かったんですか?」
「相手の気持ちになれ。お前はさっき理由がないといったな。その理由を説明してやる。レジスタンスはただの馬鹿の集まりじゃない。人間と同等の知性があるとすれば、当然こう考える。『二回目の現世への渡航を考えると、一度開けた同じ穴を通る必要がある。穴を開けた場所で一ツ目を復元すれば、とうぜんその場所に空けられた穴があると知られてしまう』」
「わざと別の場所で出現させたということか」
 ラナ・カンが伊集院照子を肯定している。
 奏はなおも食い下がった。
「でも、ラナ・カンがこの山に居た理由は? ラナ・カンがこの山で出現したってことじゃないのか?」
「ラナ・カンも別の場所だろう。この山にイスカ領域は存在しないからな」
「どうしてです? イスカ領域は視覚も気配も無いのなら誰にも証明できないはず」
「見れるさ。イスカ領域は」
「さっきと言っている事が矛盾します」
「視覚で捉えられず、気配も察知できないと言っているのは、一般論だ。だが、イスカ領域を見ることの出来る能力者は確かに存在する」
「……まさか、そんなの聞いたこともない」
「なぜ現代の人間にその事が隠蔽されているのかは分からない。だが事実だ。その能力者が目の前にいるのだから信じろ」
「伊集院さんが?」
「そう。見る事が出来る。だから英雄なのさ。でもそれはいい。この山にイスカ領域は存在しない」
「ラナ・カンは? どうしてこの山に?」
「ラナ・カンには退化した状態での記憶は無いのか? 無いのだろう」
「確かに無い」
「ラナ・カンは人外の気配を悟って付いてきたのかもしれない。残念ながらラナ・カンについては確かなことは言えないな」
「でも」
 奏は必死に伊集院照子の矛盾点を指摘しようとした。
 だが、全て分かってはいなかっただろうか。
 視界の片隅に、燻っていた真実に気づきながらも目を逸らし続けてはいなかっただろうか。
 目を逸らし続けたユーナとナユタの出現の理由。
「ユーナは一ツ目から俺を救ってくれた。ナユタはいつも無邪気に遊んでいた。それが」
「感情を捨てろと言っているだろうが。そんなに感情にすがりたいなら、話してやろう。全て想像の域を出ないが、恐らくナユタはなにも知らないだろう。ユーナが手引き役として選ばれ、ナユタはその担保。いや、人質と言うべきか。ユーナ一人を現世に送ったら、ひょっとしたら現世の人間に感化され、裏切ることを懸念したレジスタンスは、ナユタを人質にして一緒に現世に送った。送ることでユーナはナユタをつれて再び隔世に戻る必要が出来た。それには任務を完遂しなければならない。人外来襲の手引き役を熟し、成果を認められる必要がな」
 伊集院照子は忌々しげに話を続けた。
「だがユーナは悪人ではない。最初にお前に助けられたことに恩義も感じただろう。助けてくれたお前を裏切り、見捨てるような事が出来なかっただけだ」
 奏は怒りにも似た感情を抑えられなかった。なおも食い下がろうと伊集院照子に詰め寄ろうとすると、ラナ・カンが水を差した。
「奏、もういい。伊集院照子氏の話は実に整然と論理的だ。今はユーナとナユタの正体より、重要な事がある」
 求めるようにラナ・カンを見た。
 俺は今、どんな顔をしているのだろう。
「私の勘違いだ。人外が来襲するのはこの山ではない。今の話を信じるならば人外が来襲するのは奏がユーナとナユタに始めて会った場所」
 ――青空公園?
 あんなところで?
 住宅の密集地。
 しかも奏の住処であるあの場所には、奏の家族はもちろん、同級生も沢山いる。
 奏の思考が、ようやく今の危機を捕らえ始めた。
「さて、どうする? 人外襲来は明日。それが間違いないのなら、こんなところで油を売っている暇は無い」
 人外が青空公園に襲来する。
 自分の住んでいる場所。
 自分が術師として担当している区域。
 奏は立ち上がった。
 立ち上がると、頭上に会った倒木に頭をぶつけ、踞る。
「慌てるな。まだ一日ある」
 頭を抱えて踞りながら「でも、いまの俺が何を言ったって誰も信じてくれない」と訴える。
「じゃあなにもしなければ?」
 伊集院照子が冷たい声を出す。
 奏が答えないでいると、伊集院照子はやれやれと口遊みながら頭をかいた。
「お前はもっと頭を鍛える必要がありそうだ」
 伊集院照子が気難しそうにそう言った。


 悲鳴が聞こえたのは、くどくどと伊集院照子が奏に説教を始めて五分ほどしてからだった。
 伊集院照子が声を潜め、奏とラナ・カンが声のした方向を見た。
「……今のは?」
「悲鳴だな」
 ラナ・カンが答える。
「ほら、私の言ったとおりじゃないか」
「言ったとおりって、今の悲鳴は……」
「想像通りだ」
「あれがユーナの悲鳴だって言うんですか?」
「違うのか? 明らかに悲鳴の方向から人外の瘴気を感じる。今まで感じたことのないような特殊な瘴気だ。間違いないと思うけどな」
 瘴気。
 奏の瘴気を感じる感度は低い。思わずラナ・カンを見る。
「私も同属の気配を感じるのは得意なほうではない。本来わたしは科学者で戦闘員ではないしな」
 ユーナの悲鳴。なぜ悲鳴なのか。奏やラナ・カンをおびき出すために、ユーナに何かの危害を加えたのだろうか。
「色々問題をかかえて大変そうだな。私は歩けないのでしばらくここにいるが、お前はどうするんだ」
「あなただって自然管理委員会の人間でしょう」
「そうだが、百年も前の話しだしな。誰も私を覚えていないだろうし」
 どうする。
 行くのか。
 いま訊いたばかりではないか。
 ユーナとナユタは現世に来襲する人外たちの仲間であると。
 行ったとして、罠とわかっている渦中へ飛び込むなんて無謀な……。
「行きます」
 奏が答えを出すと、ラナ・カンが奏の肩に乗ってきた。
「しかたない。私も付き合おう。私もあの二人に助けられた恩義もあるからな」
「もうそんな力は残ってないだろ」
「少なくとも知恵は貸せる」
「俺が捕まったら、ラナ・カンも捕まるんだぞ」
「ふん」
 ラナ・カンは一笑に付しただけで、なにも言わなかった。
 奏も言わなかった。
 気持ちは振るわない。
 今の感情を表すなら『悲壮』。
 もう、気力が底を付きかけようとしているのだろうか。
 俺は一体、何のために、何をしようとしているのか。
「疑問を抱くな。少なくとも今は」
 伊集院照子が言った。
「お前が無事戻ってきたら伝える事がある。重要なことだ。知りたかったら戻ってこい。知りたくなかったらそのままトンずらしても構わないがな」
 振り返って伊集院照子を見る。
「少し寝る」
 そう言って、汚く湿った土の上だろうと構わず伊集院照子は横になった。
 
 
 
 日が暮れ始める。
 日暮れは奏に味方するのだろうか。
 最初にユーナとナユタに会ったとき、御札の作り出した結界に閉じ込められているのを発見したとき、俺はやはり抹消すべきだったのだろうか。
 ユーナが来るべき人外来襲の手引き役だと分かっていたら、あの場で間違いなく抹消していただろうし、抹消していればこんな現状にはなりはしなかった。
 家族にだって迷惑をかけることも無かったし、ひょっとしたらユーナとナユタをもっと早く委員会に引き渡していれば来るべき人外来襲を未然に防ぐ事だって出来たかもしれない。
 俺は一体何をやってるのだろう。
 ほんの小さな、その場限りの出来心で人外を二人逃がしてしまったばかりに。
 この世を守るべき立場であったはずなのに。
 全ては俺の招いた事態。
 全ては俺が悪いのか。
「考え込むな、奏」
 暗い山を、周囲に注意しながら歩く途中、肩に乗ったラナ・カンがそう言った。
「考えていることは分かる。だが、少なくとも私は貴殿が間違っていないと思っている」
 奏は答えなかった。
 答えられなかった。
 こうして目的に向かって歩みを進めているにもかかわらず、気持ちは後退し続けている。
 そんなときだった。
 ラナ・カンが気づいた。
 気づいたときには遅く、ラナ・カンが「来たぞ」と口遊んだときには、自然管理委員会の術師に囲まれていたのである。
 薄暗がりの山の中、視界に黒い影が走った。
「おそらく三人。力は強くないようだが」
 ラナ・カンの耳打ちに、奏は立ち止まる。
 すでに相手は奏に気づき、周囲を囲み始めている。
「俺がユーナとナユタを助けられたとして、それってどういうことなのかな」
 奏が目の前に巻き起こる事態とは別のことを口にする。
「どういう意味だ」
 奏は襷掛けしたバックから御札を取り出した。
「俺は反逆者扱いされてるけど、それでも人間たちに危害を加えたかったからじゃない。でも、ユーナとナユタを助け出すことは、きっと反逆者って言葉どおりに、人間たちに危害を加えることと同じじゃないのかな」
 奏は御札を発動する。
「今はなにも考えるな、奏。術師が囲んでいる。どうやって回避するつもりだ」
「いま、俺たちの周囲に結界を張った。ある程度の攻撃は防げると思う」
 周囲を取り囲む三人以上の術師は一定の距離を置き、攻撃してくるような様子はなかった。
 奏は歩き出す。
「作戦はあるのか、奏」
「作戦?」
 奏の歩調が早くなる。
 周囲の術師は同じペースで奏のあとを付いてくる。
 不穏な様子に気づいたのか、ラナ・カンが声を大きくする。
「おい、奏。まさか」
「作戦なんて無い。俺たちが山に潜んでいることはもう知られてるんだ。ユーナやナユタは俺たちをおびき出す囮ってことだろ。いま取り囲んでいる術師が攻撃してこないってことは、あいつらの都合のいい場所までい俺たちをおびき出したいんだ」
「わざわざ正面から突っ込むと言いたいのか? 私の力は高が知れてるぞ」
「ラナ・カンの力は借りないよ」
「何を考えてる、奏」
 奏は答えなかった。
 変わりに走り出す。
 周囲の木々が前方から後方にスライドして行く。
「増えたぞ、奏。六人だ」
 ラナ・カンから伝えられる情報を聞きながら正面に向かって走る。
 ユーナの悲鳴が聞こえた方向に向かって。
「この状況で無策は自殺行為だぞ。分かってるのか?」
 やはり答えないで走り続ける。
「奏! 増えたぞ! まさか、貴殿は捨てたのか? 自暴自棄になったんじゃないだろうな!」
 答えない。
 目の前に密集していた空間が急に開けた。
 瞬間、暗かった周囲が昼間のように明るくなる。
 四方八方から扉を開くような音がして、ライトが照らされたのが分かった。
 まるで脱獄囚を発見したサーチライトのように光線が奏を囲む。
 明るいが無数の逆光により視界は失われた。
「こんな無謀なことをするやつだとは思わなかったぞ」
 ラナ・カンの声。
「もう逃げるのは終わりだよ」
 そう言うと、ラナ・カンが肩口で溜息を付いたのが分かった。
「だって、誰がなんて言おうと、俺は人外から人間を守る術師なんだから」
 
 
 
 奏と人外が発見されたと無線機で全体周知されたと同時に、園山と言われる山に配備された術師たちは騒然となった。
 やはり奏はこの山に居たか。
 弦は誰にも聞こえないように一人後散る。一ツ目が出現して焼け野原になった場所に無数の仮設テントを張ったエリアがある。その一つを弦のチームが使用していた。
 季節は夏に近い。日暮れを迎え、気温は若干下がったが、額から頬に伝う汗は流れ続けている。
「大丈夫ですか?」
 弦の独り言を聞きつけた遊里が弦を気遣った。
 弦は今回、園山で洞窟を見つけるための人海作戦の指揮を任命されていた。
 かなり重要な役割である。なぜ、家族である奏が反逆者の汚名を着せられた中、弦が考えられないような任務を得たのか。大家貴信の狙いは良く分かっていた。
 重要な役割にて、弦が失敗することを狙っている。弦だけではない。人海作戦には琴や階も参加している。それどころか別の仮設テントには父親である鳴音楽が作戦のアドバイザーとして召集されている。
 あからさまな人事に、上層部の意図に気づかないわけは無い。あわよくば失敗でもして鳴音家を自然管理委員会から追い出す目的だろうが、失敗しなくてもこれは無言の通告である。
 お前らは自然管理委員会から必要とされていない。
 自ら身を引くことを望まれている。
「酷ですね。この人事は」
 事情を悟っている遊里。だが、全てではない。遊里は鳴音弦の弟である奏が反逆者であると信じて疑っていないし、なによりラナ・カンによる本部襲撃を目撃した張本人である。
 大家貴信の野望を知る人間は鳴音一家と大家貴信の一部の腹心のみである。
 奏はいまや、人外の味方をする悪意のある反逆者に他ならないのだ。
「陣頭指揮、私が変わりましょうか? チーフマネージャーはアドバイザーとして」
「いや、大丈夫だ」
 弦が自然管理委員会を去る事があろうとも、この部署は遊里が立派に引き継ぐだろう。その点では弦に懸念は無い。
「弟さんと人外は多少道に迷っているようですが、確実にこの場所――ユーナとナユタという人外が露しに遭っている場所に向かっています。まるで見つかってしまうのも構わないように。大量の追っ手を引き連れながら」
「あるいは気づいたのかもしれないな、奏は」
「なににです?」
 ユーナとナユタが人外来襲の手引き役であるという事実に。
 遊里の問いには答えず、弦は現状を確認した。
「二体の人外の様子は?」
「ユーナと呼ばれる女の人外は意識があるようです。戒具を使って術師がダメージを与え、悲鳴を上げさせています。ナユタという男の人外は衰弱が酷く、命も風前のともし火と言ったところでしょうか」
「二体の人外に張った結界の強度は?」
「A級札の結界です。一ツ目レベルなら分からないですが、あの二体を封じるには余りある結界です」
「分かっていると思うが、二体の人外を助け出そうとしているのは人間だ。結界の中に入られてしまうリスクに対する用意は万全なのか?」
「残念ながら結界としては万全ではありません。我々には人間に対して有効な御札はありませんし、防衛するとしたら直接的な……」
 奏という子供一人、どうにでも出来るのだろう。人の行動を制限する武器など、人間界に山ほどあるのだから。
「我々には対人間用の御札を作る技術力はありません。弟さんの利点はただその一点。ですが、武装された組織の人間たちにたった一人で立ち向かえるとは到底思えません」
「その通りだろう。上層部も奏をそんなに重要視はしていない」
 奏の負けだ。
 その結果に変わりはない。
 それよりも重要なのはその次に起こる人外来襲の危機だ。
「チーマネ! 来たようです!」
 遊里の緊張した声が仮設テント内に響いた。近くに居たスタッフがいっせいに弦に注目した。
 内心の逡巡をひた隠しにして弦は声を荒げる。
「我々の任務は園山の把握と調査だ。人海作戦の司令部だ。間違えるな。鳴音奏は別の部署がどうにかする」
 確かにその通りだけど……。
 遊里が目を伏せる。
「チーフマネージャーだけでも、様子を見に……」
「駄目だ。俺がこの場を放れるわけには行かない」
 弦がそう言ったとき、仮設テントの外が騒然となった。
 サーチライトが一斉に焚かれた音が聞こえ、仮設テントの布越しに表が明るくなったのが分かった。
 ――親父。
 どうしたらいい?
 親父は今なにを考えている。
 自分の息子の危機に、どうしようと言うんだろう。
 ふと、弦は違和感を覚えた。
 なぜだ。
「遊里、奏はラナ・カンと一緒にいるといったな?」
「ええ、そのようです。ですが、ラナ・カンは本部襲撃で致命的なダメージを受け、たいした脅威とは――」
「道に迷ったとも言ったな?」
「え、あ、はい」
「その道のりは分かっているのか?」
「正確なところはなんとも……」
 弦は口の周りに生えた無精ひげを撫で付ける。
 そうか。
「遊里、ここの本部エリアにいる術師の数は?」
 遊里は不振そうにしながらもよどみなく答える。
「ほとんど出払っていますので、十四名かと。ですが、弟さんとラナ・カンの背後には百名以上の術師があとをつけているはずですので」
 何を懸念しているのだ。そう遊里は目で訴えている。
「やはり、俺たちは奏を過小評価しすぎているようだ」
「何だって言うんです?」
 弦は一瞬、迷った。だが一瞬だけ。
 すぐに意を決すると遊里に言った。
「いいか、おそらく出払っていた術師から一斉に連絡が入るはずだ。そうなったら慌てずこう指示しろ」
 遊里は神妙にうなずいた。
 
 
 立ち尽くしたまま、奏は相手の動向を覗っているようだった。
 肩に乗りつつ、ラナ・カンは静かに奏の動向を覗う。
 無数のライトの逆光で周囲の状況は全く分からない。
 必死に気配を探る。
「分かるかぎり、力のある術師はそれほどいないようだが……」
「人間は自身の力より、御札の力に頼るんだ。個人的な力量は参考にならないよ」
 確かにその通りだ。奏を見れば分かる。これまでどれほど絶望的な危機があっただろう。工夫と発想で乗り切ってきた奏。
 この場もどうにかすると言うのだろうか。
 無数の足音が聞こえた。
 奏とラナ・カンの周囲を取り囲む音だ。
「ラナ・カン。ユーナとナユタがどこにいるか分かるか?」
「この先、二十メートルと言ったところか。ライトの逆行が無ければ視覚で確認が可能な距離だ」
「どう思う? どうしてすぐに捕らえたり、攻撃してこないんだと思う? 俺なんかその気になればすぐ捕らえられるのに」
「そう言えばそうだな。妙だ。相手はそれだけ奏を警戒してるんじゃないのか?」
「そうかな。多分、ラナ・カンの力を警戒してるんだよ。本部ビルで散々アピールしたからね」
 奏は懐から御札を取り出しつつ言った。
「それだけじゃないよ。ここに来るまでの間、誰も攻撃してこなかったのはこの場所に俺たちをおびき出すためかな。余り傷つけずに」
「でも、大家貴信にとって我々は真相を知る厄介者だろう。居なくなってくれたほうが都合が良いはずだ」
「そうじゃないんだよ。策士って言うのは。いろんな状況を判断して、一番都合の良い方法を取るのが大家貴信って男なんだ」
「要するに、なんなんだ」
「俺たちは人外襲来について重要な情報を握っている、と上層部は思ってる。できれば無傷で捕らえたいんだ。大家貴信は真相を知っているが、それ以外の上層部はそうじゃない。大家貴信は周囲の目があるから理由が無くては俺たちに簡単に手が出せない。この状況は逆に言えば俺たちを守ってるんだよ。俺たちが手を出さなければ、向こうから手は出さない」
「だが、我々の不利に変わりはないぞ。完全に周囲を取り囲まれた。この場を逃げるには策がない」
「大丈夫」
 なにが大丈夫なものか。
 いざとなれば残り少ない力を振り絞って、巨大化するしかない。
 そう覚悟を決めたとき、奏が言った。
「作戦を説明するよ」
「作戦? やはり無策ではなかったのか、奏」
「無策だったよ。さっきまで。何も考えてなかった。でも、なんとなく相手の出方が分かったんだ。ラナ・カン。頼みがある」
「何でも頼め。どうせ私にはたいした策は浮かばない」
 奏は少し笑ってから、手に持った御札をラナ・カンに突き出した。
「結界の御札。最後の結界の御札。俺がどうにかしてラナ・カンを自由に動けるようにするから、ラナ・カンはこの御札をこっそり仕掛けて欲しい」
「いいだろう」
「対人間用の御札だからラナ・カンが発動しても害はないよ」
 奏がそう言ったとき、ラナ・カンは改めて疑問を抱いた。
 これは「対人間用」の御札なのに、どうして奏が発動しても、奏はダメージを負わない? そもそも、どうして奏にだけ「対人間用」の御札を作ることが出来るのか。
「結界を張って閉じ込めてほしいのはあの二つのテント。ひとつはあの大きなテント。たぶん、術師とか戦闘員みたいな人間が待機しているテントだと思う。もうひとつは『本部』って馬鹿正直に書かれているテント」
「なるほど。確かに大々的に本拠地を宣伝してる。人間はだいぶ平和ボケしているらしい。戦争って物を知らないと見える」
 とはいえ、良くこの状況で冷静に観察できるものだ。
「一度対人間用の結界は使って見せてるから、きっと効果は一時的だと思う。でも、ラナ・カンとユーナやナユタの逃げる時間ぐらい稼げると思う」
「だが、居ってきている無数の連中がいるぞ」
「大丈夫。このエリア全体を結界で覆った。攻撃してこないみたいだから、自由に歩き回れたろ。そのとき二重に結界を張ったんだ。しばらくは外の術師は入ってこれない。それに集団で追ってきた術師たちもまとめて一箇所に閉じ込めてる。すべて封じたわけじゃないけど、相手の戦力はだいぶ縮めたよ。逃げ切れるはず」
「なんと……」
 気づかないうちにそこまで準備しているとは。
 伊集院桜子は奏を愚か者扱いするが、ラナ・カンにも想像の及ばない賢明な人間ではないか。
 作戦を伝え終えた奏は、一度ラナ・カンに目で合図を送ると大声を上げた。
「話がしたい! 大家貴信! 出て来い!」
 周囲は騒がしかったが、その声は良く通った。
 見える限り、二十名に少し満たない程度の人間が奏を取り囲んでいた。
 一定の距離を置いている。
 誰かが交渉してくるような気配はなく、こちらの出方、あるいは誰かの指示を待っているようだ。
「大家貴信! この場で色々喋られたくなければ出て来い!」
 奏はなおも叫ぶ。
 奏は取り出した御札の安全シートを引っぺがす。
「何の御札だ?」
「炸裂札。戒具の攻撃があるようならこれで防ぐ」
 だからってこの人数相手に、手持ちの御札だけでは……。
 危惧を抱くラナ・カンを他所に、どこからとも鳴く声が聞こえてきた。
『私は人外特殊災害対策室の新野辺というものです』
 どこからか機械で拡張された声が周囲に轟く。
『君の話を聞こう。我々はすぐに君に対して危害を加えるつもりはない』
「俺は大家貴信に用があるんだ。大家貴信を出さないのなら、どんなことになろうと俺は構わないぞ」
 はったりか。
 ラナ・カンは緊張する。
 ラナ・カンに巨大化して以前のような強力な炎を吹く力は残っていない。
 少なくとも周囲を取り囲む術師たちを一蹴するような力はもう残っていないのだ。
『君の望みは、二体の人外か?』
「大家貴信以外と話する気はない!」
 震えてるじゃないか、奏。
 そんなに恐ろしいのに、どうしてわざわざこんなところまで。
 奏は怒鳴りながら周囲に御札で結界を築く。以前、戒力を飛ばす能力者が居た。それを警戒しているのだろう。それでも、人間が対人間用の通常武器で攻撃すれば奏など意図も簡単に捉えることが出来る。
 それをしないのは、通常武器の通じにくいラナ・カンに警戒してのことだろう。
「ここで大声で色々話してもいいんだぞ! 大家貴信! 出て来い!」
 もうこうなれば奏に任せるほかない。ラナ・カンは自分の仕事に集中した。
 周囲の気配を必死に探る。
 人数。力。ユーナとナユタの位置。
 ふと疑問に思った。
 周囲に取り巻く術師たちが、ある一定の距離から、このテントの連なる空間に近づいてこない。
 もしや。
『私が大家貴信だ、鳴音奏。用とは一体なんだ?』
 拡張された声が空間に響き渡った。
 大家貴信が対話に応じた。
「応じるしかないよな。たぶん、もう相手は気づいてるんだ。この本部の周りに結界が張られてることを。結界もとの御札が発見されて解除されたら終わりだけどね。結界解除は時間の問題。だから時間稼ぎに大家貴信は登場する。ここまでは予想通り」
 ラナ・カンは改めて奏に対して恐ろしさを感じた。
 つい直前までは、慌てふためき無謀な特攻をしたことは間違いないのだ。
「大家貴信! 取引だ!」
 奏が大声を上げる。
 その肩で、ユーナとナユタの居場所を正確に把握する。
「明日の人外襲来についてだ! 重要な情報だ!」
 そうか。
 人外襲来はこの場所ではない。
 その情報をカードに使うつもりか。
『人外襲来の情報だと?』
 大家貴信の疑惑の声。自然管理委員会は鳴音奏を「反逆者」あるいは「人外襲来の手引き者」と考えている。だからこそ、鳴音奏が重要な情報を持っていると考えているだろうが、唯一の真相を知っている大家貴信は「鳴音奏は人外襲来に対する情報など持っていない」と思っているし、事実先ほどまではそのとおりだった。
 だが、人外襲来がここではなく、別の場所であることは確かだ。
 ――確かだが……。
「奏、そのことを言えば、なぜ知っているのかと問われる。誰も知らない事実を喋れば、貴殿への疑惑の目はいっそう強まるぞ」
「構わないよ。俺は術師だ。知らせなくちゃいけないんだよ」
 奏は決意の篭った瞳で訴える。
「人外襲来が起こるのはこの森じゃない! 別の場所だ!」
 奏が声を上げる。
『別の場所? 笑止。偽情報を掴ませて、こちらを混乱させるつもりか?』
「そんなつもりはない! 取引をしにきた! 変わりにユーナとナユタを返せ!」
『そんな話、信じろと? もし事実なら根拠を示せ』
 根拠。
 重要だ。
「奏。伊集院照子のことを話すのは愚かだぞ」
「分かってるよ」
 奏には相手を信じ込ませるだけのシナリオが出来ているのだろうか。
 聡明な人間だということはこれまでに痛いほど分かっているが、これほどの疑惑を持たれ、敵視された状況の中、相手を信じ込ませることなど。
 奏の熱気が伝わってくる。
 大量の汗。
 身体の振るえ。
 純粋ゆえか。
 なぜそんなに献身的になる。
 逃げようとは思わないのか。
「取引に応じるか応じないか! ユーナとナユタを返せば、人外襲来の場所を教える!」
『ユーナとナユタを引き渡したら、そのまま逃亡しないという保証は?』
「俺はここに残る! ユーナとナユタが安全な場所まで逃げ切れたとき、全部教える!」
 残る?
「こっちはユーナとナユタさえ助かればいいんだ!」
『貴様はこの場に残ると? そのラナ・カンもか?』
「ラナ・カンはユーナとナユタと同行する! 残るのは俺だけだ!」
「おい、奏」
「黙ってて」
 制されて口を噤むラナ・カン。
 言われればもっともではないか。
 先ほど奏が口にした作戦。
 ラナ・カンとユーナ、ナユタが逃げるための作戦としては最善と思えたが、肝心の奏がどうやって逃げ出そうというのか。その部分に関して、まったく欠落しているではないか。
 まさか奏、もう帰るつもりなどないというのか。
 しばらく、向こう側で沈黙が続いた。
 ぼそぼそと何か相談する声が聞こえてくるが、内容までは聞こえない。
 どういうつもりだ、奏。
 相手がそんな取引に応じるか。
 奏の状況は最悪だ。
 相手にとってはユーナとナユタを開放せずとも、奏を捕らえる方法など幾らでもあるだろう。
「どうする! 答えを聞かせろ!」
『いいだろう。ユーナとナユタを開放する。その代わり、君の知っている情報は全て提供すると約束しろ』
「約束する!」
 どういうことだ。
 なぜ承諾した。
「ラナ・カン」
 声を掛けられて奏を見ると、奏は微笑んでいた。
「無理は言わないけど、ユーナとナユタを運ぶことは出来る?」
「そのくらいなら出来るが、本気で言っているのか? 本気で奏をここにおいて私たちだけ逃げろと?」
「ユーナとナユタとラナ・カンが無事なら、俺はどうにでも出来るんだ。分かるだろ」
 我々が足枷になっているというのか。
 それとも詭弁か。なにか奏には考えがあるのだろうか。
「なぜ大家貴信は要求を受け入れた?」
「大家貴信は弱ったラナ・カンやユーナ、ナユタより俺の持ってる情報が欲しいんだ」
「だが、人外襲来が別の場所で起こるなどと、大家貴信が信じたとは思えない」
「大家貴信が欲しがってる情報はそんなことじゃない。大家貴信は俺の技術力を欲しがってる。例えば人間に有効な御札の造り方とかね。これは俺の命は保証されているようなものなんだよ。ラナ・カンたちが安全なところにさえ逃げてくれれば」
 よく考えている。
 よく考えているが、本当に奏の思い通りになるのか。
 考えている暇はない。
 時間が立てばたつほど、状況は奏に不利になる。
 ラナ・カンは奏の肩を降りると、奏と同じくらいの大きさに膨張した。
 ユーナとナユタを運ぶくらいのことなら出来る。
「どこに逃げればいい? 待ち合わせの場所は?」
「伊集院照子のもとへ。彼女にアドバイスを貰って、その場所に逃げて」
「その場所を、どうやって奏に教えればいい?」
「伊集院照子に聞く。とにかく早く。もし何かあれば大きな声を上げて。聞こえなければ安全に逃げたと判断するから」
 仕方無い。
 ラナ・カンは走り出した。
 ラナ・カンはいま、ほとんどの心的能力を失い、大きくなれたとしても今の大きさが精一杯。
 だが、それを知らない人間たちはラナ・カンに慄いて道を開いた。
 場所は分かっている。
 分かっているが迷うふりをして奏に指示された建物の周囲に御札を設置し、結界を張った。
 ユーナとナユタの気配を辿って、無数に設置された仮設テントを越えると、幾つかの大型の車が囲うようにして、ユーナとナユタがベッドに寝かされていた。
 周囲には白衣の人間が二人。
 ラナ・カンの姿に気づくと、白衣の人間は悲鳴を上げて立ち退く。
 周囲に注意する。
 幾人かの術師が警戒して取り巻いているが、攻撃してくるような気配はない。
 攻撃されたら最後、今のラナ・カンに反撃する力はない。
 二つのベッドに寝かされたユーナとナユタを見る。
 二人とも眠っている。
「人間よ」
 遠巻きで怯えて様子を覗う白衣の人間に声を掛ける。
「周囲に張られた結界を解除しろ。次にユーナとナユタをベッドから降ろし、ベッドの下敷きと布団で二人の身体を巻きつけてロープで固定しろ」
 白衣の人間二人は顔を見合わせている。
「人間、早くしろ。少しでも妙な動きを見せたら炎で貴様らを焼き殺すぞ」
 脅してみると、人間二人は大慌てでラナ・カンの指示に従った。
 ラナ・カンは振り返る。
 幾重のテントが邪魔をして、奏の居た場所は覗えない。
 本当に大丈夫なのか。
 ラナ・カンにさえ及ばない奏の考えは、今迄は功を奏してきたが、今回ばかりは奏でも状況を打破できるとは思えない。
 自ら犠牲になってラナ・カンとこの二人を助けたのか。
 それもおかしい。
 奏は我々を隔世に戻したがっていた。
 それは奏がいなければ成し得ない。
 どうすればよい。
 伊集院照子。
 あの者に訊ねるか。
 少なくとも、奏の味方である(完全に信用できないが)唯一の人間に思えた。
 口惜しい。
 この身体にもう少し力が残っていれば。
 こんな状況を打破することなど容易であるはずなのに。
 本部ビルからの脱出。
 あの時だって絶望的だった。
 どうにかできるのか、奏。
 
 
 時間の問題だ。
 奏は額に溜まった汗をぬぐった。
 このエリアの周囲に張られた結界が破られるのも、奏がこうして生かされているのも。
 そのとき、遠くの建物の影からラナ・カンが姿を現した。ラナ・カンは口にロープを咥え、布団にくるまれたユーナとナユタを引きずっていた。
 良かった。
 ラナ・カンは奏に向かって一度うなずいてみせると、森の中に消えていった。
『ラナ・カンと二人の人外を無事逃がしたぞ。お前の持っている情報とやらを提供してもらおうか』
 大家貴信の声。
 大家貴信は本当ならばこの場で奏を殺してしまいたいに違いない。
 だが、それができないのは周囲の人間への体裁のためだ。
 奏は重要な情報を持っている。と、大家貴信以外は信じているだろう。
 だが、ここで大家貴信の悪行をばらしたところで信じるとは思えないし、話した瞬間に有無を言わさず奏は命を絶たれる危険がある。
 全身が恐怖で凍りつき、のどが詰まってしまいそうなのを必死にこらえながら言った。
「さっきも言ったとおり、人外が襲来するのはこの園山じゃない。別の場所だ」
『それはどこだと聞いている』
「その前に、俺が安全にここを抜け出せる保障をして欲しい」
『人外三体を逃がしたんだ。お前までも取り逃がすと思っているのか? 甘ったれるな小僧。忌々しい結界など張りおって。本部のテントの周囲にも張ったな? すぐに結界は解かれるだろうし、今すぐにお前を射殺する事だって出来るんだぞ』
「ならやればいい。明日、人外が別の場所に現れたときに指を咥えて人間が襲われるのを見ていればいい。そうなったら世界の笑いものだぞ」
『まだお前を信用していない。別の場所に人外襲来があるというのなら根拠を示せ。お前が条件を示せるとしたら、話の信憑性を証明してからだ』
 もっともだ。
 そして、もう俺はここで終わるのだろう。
 伊集院照子。
 彼女は人外が隔世に戻る方法を知っているように感じた。
 もう、彼女に望みを繋ぐ方法しか。
 周囲に取り巻く術師たちも、奏の言葉に注目しているのが分かった。
 彼らにとっても、それ以外の術師たちにとっても奏は反逆者として信じられている。
 奏は人外の味方。
 そう思われている。
 せめて最後に、術師として人類を守るための力になることが出来れば。
「質問をするけど、そっちはどうして人外襲来の場所がここだと思ったの?」
 伊集院照子に聞かされたのと同様、理詰めに説明しようと思った。
 ところが、説明できなかった。
 奏が杞憂する自分の将来の不安など、跡形もなく吹き飛ばしてしまう事態が起こったのだ。
 だれも予想だにしない事態。
 奏も同様。

 ごうあああああっ!

 突然、雷鳴にも似た轟音が周囲に響き渡った。
 周囲にいた術師が何事だと空を見上げた。
 星空。
 雷鳴では決してない。

 うぎゃあああああっ!

 再び轟音。
 聞いたことがある。
 紛れもなくこの場所で。

 ずしぃぃぃぃん

 重低音の音とともに、地面が微動する。
 まさか。
 人外襲来は明日のはずだし、しかも襲来はこの場所ではない。
『小僧! これはどういうことだ! あの音は何なんだ!」
 覚醒された大家貴信の怒鳴り声が聞こえた。
 答えられない。
 奏にも想像していなかった事態。
 ようやく口が開く。
「一ツ目だ!」
 奏が叫んだ瞬間、周囲の術師が一斉に奏を見た。
 その絶望的な表情。
『ひ……一ツ目だとう……』
 明らかに動揺している大家貴信の声。
『謀ったな! こぞう!』
「違う! 俺にもわからない! なぜ一ツ目が!」
『そいつを捕まえろ!』
 大家貴信の声。
 周囲にいた術師は一瞬戸惑った。
 それは紛れもなく『隙』であったが、戸惑ったのは奏も一緒だった。
 我に返ったのは奏も、周囲の術師たちも同様で、術師たちの瞳に光が戻った瞬間、奏は慌てて一つの御札を発動した。
 周囲が昼間のように明るくなる。
 夜になじんだ視界が一瞬失われたはず。
 周囲の術師たちが悲鳴を上げるのをよそに、奏は走り出した。
 夜は今のところ味方になってくれたようだ。
 だが、あの声。
 一ツ目。
 本当に出現したのだろうか。
 だとしたら、なぜ?
 どこかに潜んでいた?
 どこに?
 取り留めのない疑問が脳裏をよぎる。
 キャンプエリアを抜けて森の中を走った。
 追ってくる様子はない。
 誰もが一ツ目の出現に慌てふためいているのだ。
 だが、どこに出現したのか。
 声はどこから聞こえる?
 奏は伊集院照子のいたはずの場所へ走った。

 


 ラナ・カンはキャンプエリアを出た後、伊集院照子の潜む場所へ向かって走っていた。
 確かに追いかけてくる気配はない。
 ラナ・カンは走るスピードを緩める。
 行き先を知られないようにランダムな方向に走っていたが、追いかけてくるものはいないようだ。
 ラナ・カンは方向を伊集院桜子が潜む場所へと向ける。
 伊集院照子のいた場所に戻ると、すっかり日は暮れて周囲は黒に染まっていた。
 伊集院照子は変わらない場所で寝息を立てている。
 同じ場所に簀巻き状に包まれたユーナとナユタを寝かした。
 簀巻きは解かない。まだどこかへ運ぶ必要がある。
「戻ったか」
 伊集院照子がゆっくり身体を起こした。
「奏は?」
「戻らない」
 ラナ・カンが答えると、伊集院照子は頭をぐしぐしと掻き毟った。
「やっぱり残ったか」
「伊集院照子嬢。奏は我々がどうしたらいいか、貴女に聞けと言っていた。とくにいいアイデアがなければ、ここで貴女と別れようと思うが」
「別れて青空公園に行くのだろう。だが、ユーナとナユタを連れて行くことは許さん。こいつらは手引き役だからな」
「連れて行くつもりだ。それが奏との約束だからな」
「まあ、今の無力な私に止める術はないけどな。だが、ラナ・カンにとっても都合の悪い二人ではないのか?」
「手引き役といってもこの有様。不都合はないだろう」
「そいつ、狸ね入りしてるぞ」
 伊集院照子がそう言ってユーナを指差した。
 まさか、と思ってラナ・カンはユーナをみやる。
 眠っている。
 目を覚ますとは思えない。
「まったく、若い女に初心というか、なんというか」
「奏は貴女にイスカ領域を越え、隔世に戻る方法を尋ねろといっていた。知っているか?」
「私の仕事じゃない。あの小僧が勝手に従っていたことだ。私にご教授願おうなど十年早い。勝手にどこへでも行ってのたれ死ね」
「そうしよう。悪いがユーナとナユタは連れて行く。連れて行った先で命を失おうが、それが約束だ。奏は後で追いつくといっていた以上、私はそうするしかない」
 伊集院照子がうんざりしたように、あっちいけと右手をはためかせた。
 まるで落胆とも取れる態度だとラナ・カンは思った。
 おそらく、伊集院照子は奏が戻ってくることを期待していたのだろう。戻ってきたら重要なことを伝えるといっていたくらいだ。
「貴女はどうするのだ。こんな森の中で。人外襲来のために青空公園とやらには向かわないのか? 必要であれば運んでやることもやぶさかではない」
「私には人外襲来などどうでもいいのさ。それよりも重要なことがある」
「御札を開放したときに出現したもう一人の男のことか」
「そうだ」
「あの男は何者なのだ?」
「最悪を絵に描いたような男だ。ラナ・カンよ、いつの時代でもこの世の中では敵は人外などではない。人間の敵は人間以外には有り得ないんだよ。思い知るだろう。ラナ・カンが守ろうとしている人類が、如何に共食いの種族なのかを」
 伊集院照子は動きそうにない。
 仕方なくラナ・カンはユーナとナユタに撒きつけているロープを咥えた。
「それでは、もう会うこともないだろう」
 そう別れを告げて、伊集院照子に背を向けたときだった。
「ロープを……」
 声がした気がして、ラナ・カンは振り返った。
「ロープを解いてください」
 ラナ・カンは注目した。
 簀巻きにされているユーナが目を覚ましていた。
「おきていたのか」
「だからそう言っただろう」
 伊集院照子が興味もなさそうに言う横で、ラナ・カンはユーナの傍による。
「ロープを解けとはどういう意味だ」
「ロープを解いて自由にしてください……」
 おぼろげなまなざしで、消え入りそうな声を上げるユーナ。
「一人で歩けるような状態ではない。現状を理解しているのか?」
「分かってます……また……奏さんがまた……私を助けてくれた……私なんかのために」
 ユーナの瞳から一筋の涙が伝う。ユーナはあえぐように訴えた。
「今度は……私が奏さんを助けます」
「奏を助ける? 何か良い策があるというのか」
「ロープを解いてください。私を自由にしてください」
「奏の望みは、お前たちを青空公園に連れて行くことだ。どうしてかは説明しなくても分かるな?」
「分かります……奏さんが私を元の世界に戻してくれるといったから……私は使命など放棄しようと……あんな使命……」
 ラナ・カンはぐるるとのぞをならして逡巡する。
 沈黙が続くと、伊集院照子がおもむろに立ち上がって「ああ、まどろっこしいな」と声を上げると、ユーナのロープを解き始めた。
 ラナ・カンは口を出さない。伊集院照子がやらなくても、いずれはラナ・カンが奏していただろうからだ。
 伊集院照子がロープを解き終え、「ほら、自由にしてやったぞ人外」と言うと、ユーナはゆっくりと半身を起こす。
 死人のように白い顔。
 体力をほとんど残していないのは明らかである。
「ラナ・カン、いろいろありがとうございます。私がラナ・カンの敵だと知った後でも、こうして助けてくれて……」
「お前が悪人には見えないからな。いずれにしろ、おぬしなどいざとなれば炎のひと吹きで消し去れる、という算段もあるがな」
「ありがとうございます。私が奏さんを助けることが出来たら、ぜひそうしてください。私をナユタごと焼き去ってください。私はもうあんな組織のいうことなど聞きたくありません」
「ああもう、人外のくせにしみったれやがって」
 ユーナが悪態づく伊集院照子に注目した。
「あなたは……人間ですか?」
「そうだよ。人間界の英雄様だ。術師の英雄が、どうしてこんなところで人外二匹と楽しく談笑していなけりゃならない。私は人間界でお前ら人外を沢山殺すことで英雄になったんだ」
「へえ、すごい。私、あまり奏さん以外の人間の方と話したことがないんですが、あなたも私と変わらない容姿……」
「ああ、日本語を話す人外などうんざりだ。見た目はそっくりでも人間と人外ではまったく性質が違う」
「そうですね。私は人間と違って火を吹くことが出来ます」
「ひ、火を吹くのか?」
 伊集院照子がいまさらながら、信じられないものを目撃したような視線をユーナに向ける。
「はい。火も吹けるし、体内に別の生命を宿すことも出来ます」
「別の生命を宿す? なんだそれは。妊娠のことを言っているのか?」
「違います。私はお腹に別の生き物を保管できるんです。一体目の一ツ目もそうして現世に運んできました」
「なんだと?」
 そう言ったのはラナ・カンだ。ユーナはラナ・カンを見ると言った。
「イスカ領域と呼ばれる穴を通ってくるとき、離れ離れにならないためには奏するしかなかった。私は一ツ目をお腹に入れて、こっちの世界にやってきたんです。しかも、お腹の中にいれば私という肉の壁に守られて、退化した一ツ目は長い間命を永らえます」
 伊集院照子が「おい」と低い声を上げ、ユーナの意識を自分に向けさせた。
「なぜ、今そんな話をする? お前は奏を助けたいのではなかったのか。だから私はロープを解いてやったんだ」
「ありがとうございます。自由になれないと吐き出せないものですから」
「は、吐き出すだと? まさか!」
 ラナ・カンが警戒したように毛を逆立てさせてうなり声を上げた。
「はい。私はこっちの世界に来るときに『二体』の一ツ目をお腹に収めてやってきました」
 伊集院照子が驚愕の表情で立ち上がると、ユーナから距離を置くように後ずさった。
 ユーナがにっこりと笑った。
「大丈夫です。私の傍にいてください。そうすれば一ツ目はあなた方に危害を加えません」
「やめろ。そんなことをしたら、私はお前を本当に殺さなくてはならなくなる!」
 ラナ・カンの訴えにユーナは弱弱しく微笑んだだけだった。
「ううっ!」
 出し抜けにユーナがうずくまったと思うと苦しみだした。
 唾液と吐しゃ物を地面に吐き出す。
 確かに腹から食道を通り、何かを吐き出そうとしている。
「うっ、うっ、うええええっ」
 ユーナが開けた大口から、こぶし大の塊がめり出してきた。
 それはユーナの吐しゃ物の中に音を立てて落下すると、まるで羊膜に包まれた胎児のように産み落とされた『それ』は刺々しい黒光りする足で膜を突き破り、グロテスクな様相をあらわにした。
 巨大な蟻。確かに額部分にはボタンがつけられている。その名のとおり、目はひとつしかない。
 ユーナは涙を流しながらむせこみつつ、一ツ目ボタン蟻に震える手を伸ばした。
 かちり。
 意外と乾いた音がして一ツ目ボタン蟻の額のボタンが凹んだ。
「ほら、行きなさい。あっちの方向に人間が集団でいる場所があります。あそこを襲うんです」
 ユーナが一ツ目ボタン蟻にそう問いかけると、一ツ目ボタン蟻は信じられないスピードで六つの足を動かし、森の暗がりに消えていった。
 呆然と成り行きを見つめていたことに気づくラナ・カン。
 それは伊集院照子も同様だった。
 それからだれも言葉がなく、ただ一ツ目ボタン蟻のいなくなった森の暗がりを見つめていたのだった。

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