あっちから変なの出てきた

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第三章 【 君のひとみは10000ボルト 】


「とうとう来ちまったか」
 弦が一人ごちたとき、隣に居た秘書の遊里が「なにが来たんですか?」と聞いてきた。
「いや……」
 弦は本部の命令で、現場の視察に訪れていた。
 昨晩、山火事のあった現場はすっかり焼け野原で、黒く煤けた山肌が周囲五百メートルに渡って広がっている。
 今は消防員もいなくなり、周囲には自然管理委員会本部の連中が疎らにうろついているのみだ。
 火事の被害はふもとの住宅までは及ばなかったものの、この現場に弟の奏がいたことはほぼ間違いなかった。
 実況検分を取り仕切っている遊里の報告を聞くところに寄れば、火事後から推定十五メートルほどの人外の亡骸が見つかったという。現場を見たところ、ほとんどは煤けた巨大な痕が人型に残っているだけだったが、確かに瘴気の後は残っていたし、巨大な人外を囲むように三角形の結界が張られた痕もあった。
「遊里君。君が想像するに、この巨大な焼け跡を残したのが人外だったとして、どれほどの瘴気を持っていたと推測する?」
 遊里は術師としての弦のサポート役である。術師として役職を得るとパートナーが組まれることがある。もちろん任意であるが、弦の妹、琴も現場で活躍する若きエリート術師(かなり美形)の下で補佐役をしている。
「そうですね。周囲の動植物は触れるだけで腐っていったでしょうね」
 遊里の分析。背が低く、幼い顔立ちに似合わず優秀な秘書で、なにより頭の回転が速い。弦も訊かずとも分かる事柄でも、彼女との会話のやり取りが心地よく、無意味だとわかっていてもしばしば質問をぶつける。
「それじゃあ、実際に人が触れたらどうなる?」
「変わりはありません。心の弱い人間なら近づくだけで瘴気に中てられて卒倒するでしょう」
「それじゃあ結界に閉じ込めるとして、どのくらいの力が必要だと思う?」
「そうですね。通常の術師に支給されているのCランクの結界札が四隅にそれぞれ百から百五十あれば動きくらいは封じれるでしょうか。Bランクであれば五十から百。Aランクの御札に限っては現存しませんのでここでは考えません。ただし、百五十だろうと五十だろうと、それだけの出力を耐えうる御札もまた存在しませんし、力を重ねると持続力が失われ、やはり封じれたとしても一瞬ですね」
 明快で活舌のよい解説は心地よかったが、胃袋が縮まる思いを抱いたのもまた、事実。
 弦は再び疑問をぶつけてみる。
「結界を多重に出来るとしたら、幾つくらいまで御札の強度がもつ?」
「Cランクで四重が限度でしょうね」
「要するに……」
「この人外を結界で抑えることは不可能――ですね」
 不可能なのだ。この事態に対する防衛や戦闘のマニュアルは委員会に存在しないし、武器も準備もない。だからこそ、とうとう来てしまったのである。
 あの、狂人である自然科学技術研究所の大家貴信の時代が。
 おそらく、この窮する事態に対して予測、あるいは準備し、対策を併せ持っているのは委員会でただ一人、あの狂った老人だけであろう。
「来ては欲しくなかった」
 弦の呟きに、遊里は聞こえたものの、口を閉ざしていた。
 一等級以上の人外の出現。
 それは平和的な出現ではない。
「それにしても結果、人外をこのとおり退治したってことなんですよね」
「ああ」
「主任の弟さんですかね。でも、言葉は悪いですが、奏さんは」
「奏でなくても、こんな人外を抹消できる人間も技術もない」
「じゃあ、一体誰が?」
「それが分かれば苦労はしない」
 奏の遺体は見つかっていない。
 ここでなにが起こったのか。
 イスカ領域でもないこの山奥で、なぜ人外が出現したのか。それも歴史上において最強の人外が。
 そして誰が倒したのか。
 奏の連れていた人外だろうか。
 いや、それほどの力を持っていれば、青空公園で捕らえられたとき、たやすく結界を破っていたはずだ。
 謎は深まるばかりである。
 だが、明確なことが一つある。
「これで委員会は動かなければならなくなった。来るべき人外危機に予算を費やし、準備しなければならない。委員会本部と技術会の力関係が逆転するぞ。それは大家貴信の下克上から始まるだろう」
 いずれにしても、もう遅いかもしれないが。
 
 弦の予言どおり、山奥で出現した歴史上類を見ない最強の人外の出現が証明されてからというものの、来るべき人外災害の防衛準備が自然管理委員会の急務となった。
 人外災害本部という特別組織が作られ、そのトップとしてオファーされたのが大家貴信だった。
 嬉々としてその立場と地位を受け入れると思われたが、大家はここで大博打を打つ。
 そんなもの知るか、とオファーを蹴ったのである。いままで誰も自分の声を聞かず、むしろ厄介者を見る目つきで後ろ指差してきたにもかかわらず、都合の良いときだけ頼るとは何たることか。
 委員会の予測した事態であるが、大家に変わる人材は存在しない。仕方無く大家の出した条件を飲まざるを得なかった。
 技術会の開発予算は大家の言い値になり、人外災害対策本部の人事も大家に一任された。
 大家は技術会のお抱えの技術者で上層部を固め、全ては自分の思い通りの運営が可能な環境を作り出した。
 対策本部は、こうして自然科学技術会を従属するものとなり、大家貴信はほぼ、実権をその手に収めたのである。
 考えられない予算の増大と、対策本部の名を借りた技術者の要員も大幅に増やし、いよいよ大家の時代が訪れたのだ。
 人間がシステムや技術に支配される時代である。
 自然管理委員会本部の重役たちは、一等級以上の人外の出現に対しての軽視による準備の不足の責任を問われ、多くはその椅子を失った。叩き上げにタカ派の若い人間が役員を任され、人体を冒す病魔のように大家の息の掛かった人間が本部にも蔓延し始めた。
 古き良き伝統や思想の時代は瞬時に失われ、一ヶ月という短期間に自然管理委員会は根底から様変わりを果たしたのである。
 生き残った鳴音弦の部署は奇跡と言ってよかった。唯一、大家貴信の影響を受けず、息の掛かった人間が入ってくることもなかった。
 それは部署の統括マネージャーである鳴音弦にある程度、大家からの信頼を受けていたからであるし、大家の息の掛かった人間の一人として、鳴音弦は大家に勘定されていたのかもしれない。
 この自然管理委員会の変動と、タカ派への変貌は周囲の不安を煽り、カルト集団の評価さながら他の行政機関、とくに警察庁から強烈な警戒心を抱かせることとなる。
 それは警察庁と自然管理委員会の力関係の均衡が崩れることの危惧と連動し、「人」ではなく「人外」に対して権力を持っていたはずの自然管理委員会が、自分たち警察機関にも影響を与える推進派になってきたことで、大きな歪が生まれつつあった。
 このことは、後に大きな問題と発展していく。
 大家貴信は、本質として自然管理委員会と警察庁の闇に潜んだ関係までは把握していなかったといえる。
 自然管理委員会が、なぜ大家貴信の言い分を、ほぼ鵜呑みすることになったのか。
 このとき、大家貴信はそれに気づいていなかった。
 
 
 
 山奥の事件から一ヶ月経って、奏たちは廃村近くの川べりにいた。
 日の暮れた宵の口。
 誰も訪れないこの場所は、奏の住む場所から遠く外れ、近くに人の町も住むこともない森の奥だった。
「なにをしている」
 ラナ・カンと名乗る大きな猫の人外が、焚き火の傍で作業をする奏に声を掛けてきた。
 ラナ・カンは一ヶ月前に見たときより、ふた周りほど身体を縮小し、横たわる懐にユーナとナユタを抱きかかえながら大人しくしていた。
 ユーナは一ヶ月前より衰弱し、あれから二度だけ目を覚ましたが、ナユタの姿を見るとなにも語らず、再び眠りに落ちていった。ナユタも二週間ほど前から元気を失い、やはり眠り続けている。
 奏が周囲を結界で覆い、強力な瘴気を持つラナ・カンの傍にいることで、ユーナとナユタはどうにか命を繋げていた。
「なにをしている?」
 答えないでいた奏に、再び問いをぶつけるラナ・カン。
「まあ答える義務はないが。これまでに奏と行った情報交換で、ある程度は現状を把握できたしな」
 ラナ・カンは人外境の住人である。
 様々な話を聞いた。
 そして、現世に来るべき未曾有の危機を奏は知ったのである。
 ラナ・カンは訪れるべくして、現世にやってきたのだ。
 以下は隔世での話である。
 隔世での反乱組織が、隔世から現世に移動する手段を発見した。それは一点に瘴気を集中させ、瞬間的に爆発的な力を発動させることで心的世界に穴を開けて、現世との連絡路を人工的に開ける装置の開発だ。
 隔世では過激派の二ツ目族が存在するという。隔世の世界で迫害を受けている一ツ目族、二ツ目族が組織したレジスタンスだという話だ。
 隔世での一部の国では目の数で位が決まるとされ、三ツ目族、四ツ目族が他の二ツ目、一ツ目族を支配しているという。
 ただし、それは一部での話である。種族は多種様々でラナ・カンのような獣族も居れば、世界には思想も考え方も違う様々な種族が存在し、平和と平等を重んじる日本のような国も存在する。
 軍事大国「ユベリア大衆国」。それがラナ・カンから出てきたユーナが住んでいると思われる国である。現世で言うところの共産主義の社会体制の国であるらしい。
 ユベリア国内で迫害を受け続ける一ツ目、二ツ目族は自身の解放のため、解放軍を組織し、世界中の主要地域で爆破や拉致などのテロリズムを反復した。
 隔世での国際連合が、反乱組織が現世への穴を開けることに成功したという情報を得て、それを阻止すべき国際連合は動き出した。
 現世には、隔世にない技術や考え方があり、先に現世に行き着いたほうがその技術を手に入れ、争いに勝つとレジスタンスは妄信していた。
 いよいよ、現世への旅が実現されようとしていたとき、国際連合も同等の技術を手に入れ、レジスタンスの組織員が現世へ渡って技術を手にするのを阻止するために、ラナ・カンを含める十三の人外が現世へ派遣された。
 ただし、現世へ空けられる穴はとても小さい。そのために力を抑え、退化する必要があった。
 それがネジマキ猫の存在である。
 力を極限まで小さく抑え圧縮し、ネジマキ猫となったラナ・カンと他の十二人の仲間たちだが、結局現世に渡ってこれたのはラナ・カン一匹だけだった。
 一ツ目族も同様の手段をとった。一ツ目族は「一ツ目ボタン蟻」となり瘴気を退化させ、現世にやってきた。一体何匹の一ツ目族が派遣されたのは分からないし、二ツ目族もいたのかどうかは分からないが、結局現世で形を成せたのはあの巨大な一ツ目族の一匹だけだったようだ。
 ここで注意しなければならないのは、退化した一ツ目族も「一ツ目ボタン蟻」として現世に渡ってきた。「一ツ目ボタン蟻」は、額にあるボタンを誰かに押されない限り、現世で再びもとの姿を取り戻すことは出来ないという事実。
 つまり、「一ツ目ボタン蟻」の額のボタンを押した者が存在するという事実。だが、ラナ・カンは「偶然、谷を落ちたりしてボタンが押されたのかもしれない」と言う。楽観的に思えるが、ラナ・カンの鋭い感覚に他の人外の存在を感じなかったというのが一番の根拠らしい。
 退化して、他人に頼らないと元の姿に戻れない状態で渡ってきた人外。どうしてそんな不便な方法しか取れなかったのか。それは単純に技術力の問題だった。そのことについては後述することがあると思われるので割愛する。

 ラナ・カンは助けられた(ゼンマイを回してもらった)ことに恩義を感じ、こうして命を長らえるためにずっとユーナとナユタの傍にいた。
「帰る方法はないんだろ?」
 来れたのなら帰れる。そう思った。
 ラナ・カンは隔世から無理矢理人工的に空けた穴で渡ってきたのだ。現世側に同じような技術、装置をもって隔世へ穴を開けない限り、やはりユーナとナユタ、ラナ・カンさえ帰れない。
 ユーナとナユタが現世に出現した理由も、ラナ・カンが分析した。ユベリア大衆国の研究機関で実施された現世へのテレポート。研究施設の傍にいたユーナとナユタは、時空の渦にたまたま飲み込まれ、現世へやってきてしまったのだろうと説く。ラナ・カンが現世にやってきた時期も重なっているのが一番の理由だ。
 だが、そのことでラナ・カンを責めることも出来なかった。ラナ・カンも一方通行覚悟の現世への旅を実行したのである。それも、どちらかといえば現世に対して友好的な目的で。
「戻る方法は諦めている」
 ラナ・カンは淡々と日本語を喋る。
 人外は、みなこのように潔い人種なのか。
「この二ツ目族の二人も、あと数日の命だろう。命が消えれば、私の恩義も忠義も尽きる。遠慮なく行かせてもらうぞ」
「どこに行くつもりだよ」
 ようやく声を出す。こんな強力な瘴気を発する人外を世間に出したら、様々な悪影響を及ぼす。
 すでに、一ヶ月そばに居る奏自身も体の変調を感じていた。
「ラナ・カンごと、ユーナとナユタを隔世に戻す。それまでお前はここにいろ」
「新たな脅威がある。一ヶ月前の一ツ目族で終わると思うな。次はもっと技術力を上げて派遣されてくるだろう。私は貴殿の世を守ってやると言っているのだ。どうして反対する?」
「現世の世界のことは、現世で解決する」
「力のない人間がか? 私は争いごとを好まないし、それは私の世界での大きな意志でもある。私は貴殿の敵ではない。それに、こちらの世界の技術力では、心的世界に穴は空けられない」
「話を聞いた感じじゃ、科学に限っては現世のほうがはるかに進んでる。例えばこうだ」
 相馬先生より譲り受けた中に戒具も幾つか存在した。ナイフ形の戒具を掴み、上空に向けると、まるでイカヅチのような電撃が天空に舞い上がり、轟音を轟かせながら夜空に消えていった。
「驚いたな。それだけの出力があれば、あのとき一ツ目族にダメージを負わせることも出来ただろうに、なぜ使わなかった?」
「あの時点では、人間これだけの出力を発揮する技術力がまだ存在してなかった」
「ならば、今どうして実現できた?」
「出力の高い情力や戒力は、人間は体に溜め込むことができない。だから御札に力を圧縮して溜め込んで、炸裂させることにより大きな力を生み出す。でも御札にも強度があって、今出力したくらいの力は溜めることはできない」
「でも実現した」
「御札を直列につなげたんだ。四重の結界を作ったとき、もしかしてって思ったんだ。電池と一緒だよ。直列に繋げて、周囲に力が漏れないように結界の御札でコーティングする。絶妙なバランス感覚が必要だけど、その力を戒具に通して発揮すれば、好きなタイミングで爆発的な力を生み出せる。この構造をもっと理想的に組み立てられれば、もっと高出力の術具を作り出せる。今は術具の強度からいって、さっきの出力が限界かな」
「驚いたな。その発想がありながら、なぜこちらの世界では今まで強力な術具が開発されなかったのだ?」
「必要がなかったからだよ。こんな力が必要な人外が、何千年も訪れたことがなかった。でも現れたんだ。すぐにこれくらいの術具は開発されると思う」
 この力を、心的世界に穴を開けることに使えれば。
 そう考えた結果、生まれた技術だったが、今もっている装備ではどうにもならない。ほとんど使い切ってしまっているし、やはり力は小さい。
 また一ツ目族、それより強力な人外が現れたら。
 今はそれより一刻も早く、ユーナとナユタを……。
 ラナ・カンの柔らかい毛の中に身体を沈め、眠り続ける二人を見た。
 一ツ目族にやられそうになったとき、戻ってきたユーナを見た瞬間。あの、必死な瞳を見た瞬間。
 あのときから、この一ヶ月、ユーナだけを想っていた。
 死なせるものか。
「ラナ・カン、次にいつ来る?」
「私の世界からの来訪者のことか?」
「そう」
 ぐるる、とラナ・カンは一度唸ってから言った。
「貴殿のその発想力。それがあれば、来訪者を撃退することも可能かもしれない。ならば教えるのもやぶさかではないな」
 振り返ってラナ・カンを見る。
「なんだよ、その口ぶり。知ってるのか?」
「知っている。次の来訪は七日後。出現場所はこの前と同じ山」
「なぜ言わなかった」
「人間が群がっては私が戦いづらくなるからだ。ただし、私も覚悟を決めた。貴殿に付いていこうと思う」
「付いてくるって、どこにだよ」
「これから貴殿が向かおうとしているところだ。貴殿は分かってないと思うが、私の聴覚は貴殿の数倍はあってな。貴殿が時々、小さな機械で遠くの誰かと会話しているのを聞いている」
 そう。潮時を感じていた。
 ユーナとナユタの命を永らえさせる方法は、残り一つしかない。
 相馬先生の力を借りる。
 ラナ・カンはあくびひとつ挟むと言った。
「人間が余りにも不甲斐なく感じていたが、今の発想力をもってすれば撃退も可能だろう。よって私は人間と協力関係を結ぼうと思う。それには貴殿の紹介がいるし、貴殿の発想力が理想的な形でこれから向かおうとしている場所で利用されなければならない」
 ラナ・カンのような人外が訪れて大丈夫だろうか。
「リスクも感じている。貴殿は良い人間だが、そのほかの人間が良い人間とは限らない。私はもしかしたら監禁され、実験道具にされるかもしれない」
「そしたら、俺が助けてやる」
「そう信じよう。正直、次の来訪者があった場合、戦闘に長けない私の実力では少々心許ないのだ。人間の力を借りなければ、次の来訪者は撃退できないだろう」
「ラナ・カンの仲間は来ないのか?」
「来ないだろう。私以外の十二人の仲間たちは、みな世界から選抜された優秀な人材だった。それだけこちらの世界に渡ることを重要視した結果だろう。だが、戻って来れない現実を考えると失われる優秀な人材は多大な痛手だ。これ以上の派遣はありえない。それに国際連合も、まさか残ったのが私一人だとは思っていないはずだ。通信手段がない以上、応援も頼めないしな」
「ラナ・カンは孤独じゃないのか? 誰も仲間のいない、こっちの世界に一人でやってきて戻れないかもしれないんだ。寂しくはないのか?」
 ラナ・カンが笑ったように見えた。
「寂しいな。家族にも会いたいしな。ただ、戻れない覚悟を決めてこちらの世界に来た。ただそれだけだ。悲しんでいる暇はない」
 ひどく残酷な話だ。
 戻れないのを分かっていて、こちらの世界に来るなんて。
「お前も一緒に、向こうの世界に戻してやるからな」
「ありがたい話だが、貴殿にそれが出来るとは思えない」
「やる。そのために戻るんだから」
 奏がそう言うと、しばらく間を空けた後、ラナ・カンは特有の低い声で言った。
「期待しよう。また家族に会えたら、そのときは心から感謝しよう」
 まるでラナ・カンの言葉は慰めのように聞こえた。
 
 翌朝、相馬先生が迎えに来た。
 一台の乗用車と、三台のワゴン車だった。
 乗用車からは相馬先生が降りてきて、ワゴン車からは物々しい警備員と白衣の男たちが降りてきた。
 相馬先生はラナ・カンを見て、一瞬驚いた様子を見せたが、事前に話してあったのでいさかいが起きることはなかった。
 ラナ・カンは身体の大きさを自由に変えられるそうだ。一番小さくして、最初に見た子猫サイズまで縮小できるそうだ。だが、ラナ・カンの提案で、他の人間との初対面は大きめのサイズとしようと言われた。インパクトを与えて交渉の主導権を握りたいらしかった。
 遠巻きに眺めていた警備員や白衣の男たちは、恐々と遠巻きにラナ・カンを眺めてはどよめいている。効果があったのかどうかは分からない。
「先生、ありがとうございます」
「いや、いいんだ。良く連絡してくれたね。用意は出来てる。ユーナさんとナユタ君をワゴンのほうへ」
 白衣の男たちが担架で二人を運ぶ。
 現在、奏の傍に立つラナ・カンは人の大きさほどである。そんなラナ・カンが傍にいるせいで、相馬先生以外の人間は誰も近寄ってこない。
「ユーナとナユタはどうなるんですか?」
「延命について様々な検討を行ったが、どうやら情力や戒力を一切遮断する環境におくしかない。それに強力な瘴気をもつ君の友人に力を貰い、分け与えることが出来ることの最善だ」
 それしかないと思っていた。情気や戒気を完全に遮断できる環境が作れるならば、ここよりは環境が良いはずだ。
 数日の延命処置。
 たったそれだけだ。
 その猶予期間に、必ず送り返す方法を考え出してやる。
「君の友人についてだけど……」
「分かっている」
 ラナ・カンが初めて口を開く。
「私は軟禁されても構わない。奏に事情は知らされている。私の放つ瘴気は人間に悪影響を与えるのだろう。悪影響の与えない場所に入れてくれて構わない。ただし、戦いのときは私も参加するし、いつでも奏と連絡が取れる場所に限る」
「心得ています。私どもはラナ・カン氏を丁重に歓迎いたします。ご不備はないものと思います」
 恩師であるが、完全に信用はしていない。この先、奏も監禁されてしまったら、全ての想いはそこで途切れる。
 警戒を怠るな。
 自分を戒めると、車に乗り込んだ。
 ラナ・カンはさらに小型になり、最初見たときの子猫サイズまで小さくなると、後部座席に乗った。
「これは何の種族だ?」
 ラナ・カンはサイズが小さくなると、声まで幼児のように可愛くなるらしい。笑っては悪いので心情はひた隠しにして「種族?」と訊ね返すと「いま私が乗っている生き物は、体内に我々を納めて走るんだろう?」とラナ・カンは分析したが、鋭いのか鈍いのか微妙な発想だ。
「これは自動車って呼ばれる機械だよ」
「機械? なるほど」
 妙に愛らしい声でごろごろと頷くラナ・カン。あまりの愛らしさに撫でてやりたいと思ったが、馬鹿にするなと怒られそうだ。
 車が走り出してから、山道を終えて平坦な道に入ると、相馬先生が口を開く。
「これから行く場所は研究所だ。自然科学技術会ではなくて、大家氏が個人経営する研究所」
 大家。聞いたことがある。戒具を開発した日本の英雄だ。
「電話でも話したが、君たちを素直に組織に戻すわけにはいかない。組織に戻せば、間違いなくユーナさんもナユタ君もラナ・カン氏も有無を言わさず監禁され、研究のモルモットになる恐れがある。それは避けたい」
 そうかもしれない。
 その後、相馬先生に山奥で起こった、一ツ目族との戦闘の真相を聞かれ、話して聞かせると相当に驚いていた。
「四重の結界か。それはスクールで習わないな。結界を三角形にする方法も教えない。君はやはり、僕の見込みどおりの人間だ」
 スクールでは相馬先生にそう励まされながら喜びを感じていた。だが今は嬉しくともなんともない。ただユーナとナユタが気掛かりで仕方がなかった。
 施設にたどり着いた。たどり着いた頃には前もって言われていたとおりユウナやナユタの乗っていた救急車を思わせるワンボックスカーやそれ以外の車の姿はなく、奏やラナ・カンの乗った国産乗用車だけになった。
 施設は奏の思い描いていた想像を強かに裏切って、まるで昭和中期の古びた長屋の様相だった。
 相馬先生に促されて車を降りると、やはり古びた長屋に入っていく。
 ラナ・カンは子猫のサイズのまま、奏の肩に乗って「これが研究所か?」と愛らしい声を上げるので、緊張感がそがれる。
「研究施設は地下にある。この長屋は近隣の家庭からクレームを避けるためのカモフラージュ。ただの入り口だよ」
 相馬先生が解説する。
 靴を履いたまま土足で今に入ると、居間の中央にぽっかりと穴を開けた地下への階段が、暗めの蛍光灯に照らされて口を空けていた。
 相馬先生の後をついて、地下に入っていくと生体認証のセキュリティーの付いた防火扉を越え、見えた風景に奏は絶句した。
 まるで巨大な倉庫を思わせる広い空間が広がっている。高い位置から望むその空間は優にサッカーの競技場ほどあるように思われた。
「地下だからね。封鎖的な環境を嫌ったのだろう。大家氏の趣味だろうけど、研究セクションごとに壁で区切ることを嫌った形になっている。一個の巨大な空間に全ての部署がそれぞれ研究を行っているのさ」
 白衣を着た無数の人々が、さまざまな機材を操作しながら忙しく動き回っている。いま奏のいる場所は、それらを高い位置から望む談話室のような空間。
「個室はあるけどね。瘴気の研究や、大きな音を発するような実験は、特別に部屋を設けられている。全容はもっと広い敷地面積を誇ってる」
「個人経営だって」
「もちろん。個人経営だっていても、収入源のない研究ばかりだから、沢山のスポンサーは居るけどね。さあ、こちらへどうぞ。ラナ・カン氏の部屋は用意されてるよ」
「ユーナとナユタは?」
「二人は早急な対処が必要だったからね。専用口からすでに特別な部屋で休んでもらってる。大丈夫。後で案内するよ。まずは君たちからね。それに、疲れているところ悪いけど、色々訊きたいこともあるんだ。協力して欲しい」
 奏の肩に乗ったラナ・カンをちらりと見る。ラナ・カンは「承知のこと」と頷いてみせた。
 ラナ・カンはサイズを人の大きさまで拡大する。
 奏は割り当てられたベッドつきの部屋に案内されると、呼ばれるまで待機していて欲しいと告げられ、ラナ・カンと相馬先生は部屋を出て行った。
 真っ白な壁。真っ白なシーツの掛かったベッド。清潔なイメージが、病室のように窮屈な印象を与える。
 テレビやラジオなどというエンターテイメントは存在しない。枕元に聖書と内線用の電話機が置かれているのみだ。
 天井を見上げると、監視するかのようにカメラが奏を睨みつけている。
 独りになった部屋で眠るには心配事が多く、静かな部屋に耐え切れなくなって部屋を出ることにした。
 歩いていると、様々な白衣の人間とすれ違う。白衣の研究者たちはみな奏のことを知っているようで、じっとりと視線を貼り付けていくと、なにも言わずすれ違っていく。
「あ、奏!」
 突然、名前を呼ばれて振り返ると、手を振りながら駆け寄ってくる女がいた。
 呆然と立ちすくんでいると、傍まできた女は息を弾ませて「奏、元気だった?」と肩を叩いてきた。
 知り合い? 頭をめぐらせて考えてみたものの、思い浮かばない。
「ひょっとして、忘れたとか? ショック! 本当に忘れたの?」
「誰だっけ?」
 スクール時代の誰かだろうか。それなら覚えているだろうし、スクールの同級生ならもっと若いはず。でも、そんな人間がどうしてこんなところに。
「名前を言えば思い出すかな。私、鳩谷多恵です」
「鳩谷……」
 ぴんと来る。
 鳩谷は鳴音の遠い親戚の姓である。
「そっか、奏はまだ子供だったもんね。琴ちゃんは元気?」
「元気だけど……もしかして、正月とかお葬式で会ったりしたのかな」
「昔、琴ちゃんとスクールが同じだったとき、良く家に遊びに行ったんだよ。テレビゲームとかで遊んであげたのに、覚えてないなんて薄情だね」
 そんなこといわれても、琴がスクール生だったのは八年も前だ。八年前はまだ奏は七歳である。
「私はすぐに分かったよ。それにすっかり業界で有名人だしね」
「ちょっと待った。まさか、俺のこと姉ちゃんに言ったりは」
「しないわよ。こっちも仕事だしね。大家派にいる以上、秘密は部外者に漏らせないしね。安心して」
 心底ホッとした。またあの悪夢のような姉ちゃんが追いかけてくると思うと夜も眠れない。
 それにしても、多恵が口走った「大家派」という言葉が引っかかった。
「それより奏、その辺を案内してあげるよ。私のいる部署は『新規戒具開発セクション』だから、ちょっと面白いもの見せてあげられるよ」
「面白いもの?」
「せっかくお仲間になったんだし、私の仲間も紹介してあげるよ」
「あの……鳩谷さんは戒具を研究してるの?」
 先を歩こうとしていた鳩谷多恵が振り返った。無表情の多恵がつかつか詰め寄ってきたと思うと、顔を間近に近づけて「多恵ちゃんって昔は読んでくれたじゃない」と奏の鼻先を指で弾いた。
「まあいいよ。でも、私は技術者じゃないの。新規戒具開発セクションでちょっとした実験があるから出向して手伝ってるだけ」
「じゃあ、鳩谷……多恵ちゃんは術師?」
「そう。それもね――まあいいや。行った先で話す。おいで」
 手招かれるがまま付いていく。
 ちょっと待ってくれ。
 色々気になることがある。
 お仲間になった?
 いつ俺が大家貴信の仲間になったんだ?
 それになにより、俺はまだ鳩谷多恵を思い出していないぞ。
 お構いなしな年上の女の子は、早くと促して奏を引っ張っていくのであった。
 
 
 
「なるほど……衝撃的なお話です」
 相馬は額に溜まった汗をぬぐいながら何度も頷いて見せた。
 ガラス窓越しに会話するのは、お互いの瘴気や情気に影響しあわないように防護するためだろう。
 ラナ・カンの傍にはユーナとナユタ。ベッドに横たわり、様々な管を取り付けられて眠り続けていた。ラナ・カンは二人に寄り添うようにしながら、窓の向こうにいる男二人と会話していた。
「もう一度訊きますが、ラナ・カン氏はあくまで来訪者を撃退する目的で現世にやってきたと?」
 窓の外の相馬という男は、マイクに向かってそう発する。
 部屋の高い位置に取り付けられたスピーカから聞こえる相馬の声。これも、ラナ・カンのいた世界にはなかった技術。
 人間は自らの心的能力――ようするに通力に頼らず、様々な自然界の現象を解釈することにより、様々な作用を起こす力を利用することに長けるようになったようだ。
 なるほど、人間は高度な技術力を持つというテロリストどもの妄信もあながち間違っていたわけではなさそうだ。
 ラナ・カンの世界では、力は通力が頼りである。さまざまな鉱物の素材の特性に頼ることはあっても、加工したり、工夫する力は小さいように思える。
 ラナ・カンは慎重に口を開く。
「我々の世界での解放軍は、恐らく第一陣として一ツ目族と二ツ目族を送り込んだ。交渉などという穏やかな乗り込み方ではなく、一ツ目族を暴れさせて人間の能力や技術を観察し、技術を盗む目的だろう」
「一ツ目族は知能が低いというお話でしたが」
「いかにも。中には言葉を介するものもいるが、おおよそ野生に近い」
「二ツ目族の知能レベルは如何なのでしょう」
「高い、と言える。こちらの世界にいる二ツ目の人間同様、知能レベルは高いが、同じように心的能力は低い。せいぜい小さな火を吹く程度のことしか出来ない」
 相馬と言う男は小言で隣にいる男と会話する。内容は聞こえてこない。
「一週間後、さらなる来訪者がやってくるとして、再びあの山にやってくると言う理由はなんですか?」
「どこまで貴殿らが心的世界を理解しているのかは知らないが、心的世界に開いた穴は同じ場所であれば再び空けやすいというもの。ただそれだけの理由」
「なるほど。ですが、心的世界に空けた穴を通ってやってくるためには一端力を小さくするために退化の必要があるとのことでしたが」
「その通りだ」
「元の姿に戻る前に殲滅することは可能でしょうか」
「可能であると言えるし、不可能であると言える。理由は次も力を小さくして来訪するとは限らないからだ。次に解放軍が現世に渡ってくる場合、一度穿たれた穴はもっと大きくなるだろうし、技術も改善されるだろう。それに未知の領域に何の知識もなく乗り込んでくる連中だ。命を惜しんで逃げ出すような連中では決してない。その辺を十分に理解し、前回と同じようには行かないと言うのが私の持論を尊重し、それ相応の最悪の事態を想定して準備すべきだ」
「はあ……」
 相馬と言う男は曖昧な返事をする。信じていないのだろうか。
 すると、満を持したかのように、隣に座っていた男がマイクに向かって発言した。
「ラナ・カン氏。始めまして、大家貴信と申します」
 大家と名乗った男は優雅に御辞儀した。
 表情、というものもラナ・カンには多少読み取れるが、その男の思惑までは読み取れない。いや、隠している。
「ラナ・カン氏。率直に申しましょう。我々には前に現れた一ツ目族一体を殲滅する能力も技術力もない」
「奏に聞いて知っている」
「ええ。ラナ・カン氏にアドバイスを頂きたくとも、こんな拙い人間の技術力でさえ、隔世よりはマシと来ている」
 大家は少し斜に構えたようにラナ・カンを見た。大家の瞳が怪しく光ったように思えて、ラナ・カンは全身の毛がざわつくのを感じた。
「単刀直入に言いましょう。人間は非常にしがらみに支配されます。あなたが現世の危機を訴えたところで、鉛のように重い腰を持つ上層連中が素直に信じて動くとも思えない。そこで提案なんですが」
 大家はまるで臆することもなく言った。
 それは破天荒で、ラナ・カンにとっても常識外れはなはだしい提案だった。
「ちょっくら、ラナ・カン氏の力を持って委員会を攻撃してもらえませんかね。本部の建物まで出向いて、建物なんかを破壊してもらえれば一番なんですが……。もちろん、その後のラナ・カン氏の身柄は私が責任を持って保護いたします。如何でしょう」
「意味が良く分からないが……。大家殿の味方を攻撃しろと言っているように聞こえたのだが」
「その通りです。いい加減、危機感を上層部にも抱いてもらわなければならない。もし、ラナ・カン氏が本当に現世のことを思ってくれているのならば、ヒール役を買って出てはもらえませんかね」
 味方を攻撃して、危機感を煽れと言っている。どうやら現世でも様々な思想を持つ者がいるようだ。保守派もいればタカ派もいる。
 国が本腰を入れて行動するには明確な「敵」である隔世の来訪者が、誰にも分かりやすい形で攻撃してきたと言う証拠が必要なのだろう。
 これには言葉を詰まらざるを得ないラナ・カン。
「まず、奏に相談させてもらう。返事はそれからだ」
 大家がにやり、と笑ったのが分かった。
「もちろん、いいですとも。隔世からの攻撃は七日後。それまでは待っていられませんが、一両日中とは言いません。四十八時間で結論を出してください」
「いいだろう」
 相馬と大家は席を立った。お礼を言って立ち去ろうとした大家が不意に振り返り、戻ってきたと思うと最後に言葉を残した。
「ラナ・カン氏。まだまだ様々なお話を覗いたいが、ゆっくり交流している時間がない。七日後に来るべき危機に対して、どれほどの規模を想像されているか」
「勢力、ということか?」
「はい。ご想像でかまいません。一等級以上、一ツ目族クラスの来訪者が、どれほどやってくるのでしょうか」
「貴殿の言うとおり、想像の範疇でしかないが、ざっと見積もって百」
「二ツ目族は?」
「百から二百」
「それらを撃退する方法で、もっとも有効だと思われるものは?」
「言うまでもない。心的攻撃だろう」
 ふうむ。と大家は唸ってみせる。
「貴方の世界には、剣と言うものは存在しますか? 弓などは?」
「存在するが、あくまで心的通力を発揮するための媒体としてだ。物理攻撃を考えているのなら、やめたほうがいい」
「なるほど。物理攻撃が利きにくいのはよく存じております。どうもありがとうございました」
 
 
 
「どうして訊かなかったのですか?」
 部屋を出るなり、相馬は開口一番に訊ねた。
 大家は溜め込んだ白黒のひげをなでつけながら相馬を見やる。
「なにか不満かな?」
「私はてっきり、現世と隔世に穴を開ける方法を訊ねるものかと」
 ふふん、と大家は一笑に付した。
「イスカ領域の人工生成法は訊ねない。無駄だからだ。あの人外は自分の世界、隔世に悪影響を及ぼすようなことは一切口を割らないだろう。今はそんな愚かな質問をして奴の信頼を損ないたくない」
「しかし、我々には人工的なイスカ領域の実現が何よりも急務ではないですか」
「その通りだ。だが心配するな。大体、隔世のことは分かってきた。確かに人外が表層的な攻撃に対して耐久力があるのは認めよう。だがラナ・カンも、他の人外も知らないのさ。ウランU-235やプルトニウムU-239の存在を。核融合、核分裂も知らんだろう」
 相馬はぞっとした。
 大家が発した言葉の内容ではない。
 話す大家の表情にだ。
「それにな。イスカ領域に穴を開ける方法なら、ラナ・カンに聞かずとも別の人外に聞けばいい」
「誰ですか? まさか、ユーナやナユタですか。彼らは体力を喪失し、意識を失ったまま――」
「眠っている理由まあ、体力の喪失ばかりが原因ではないだろう。目覚めようと思えば目覚めるさ。その話はおいおいな。それよりやらなければならないことは山ほどある。いそがしくなるぞ」
 相馬は手を揉みしだきながら歯をむき出すように笑った。
 喜んでいる――。
 相馬はその横顔を見ることが出来ず、溜まらずうつ向いた。
 もしかしたら、人類存続を脅かしかねない事態の開幕かもしれないこの現状。
 そんな中、獲物を見つけた獣のように笑うこの老人の心中が読み取れず、空恐ろしかった。
 一体、何を考えている。
 自分の想像の及ばない事態の懸念が、相馬の胸に混沌のように広がっていった。
 
 
 
 鳩谷多恵に連れられてやってきたのは宣言されたとおり「新規戒具開発セクション」と呼ばれる部署。
 そこは大きな空間を持っていたセントラルセクターと呼ばれる場所ではなく、戒具の実験が執り行われる実験室だった。
 コンクリートの打ちっぱなしのスカッシュのコートのような空間に奏と多恵以外に三人の若者がいた。
 若者は談笑していたが、手には戒具を持っている。
 戒具は人の情力、戒力といった力を発散するための媒体になる道具だ。個性が色濃く分かれる術具であるともいえる。
 電撃のような性質を持つ力が一般的であるが、中には炎を発したり、刀のように具現的な通力を発するものもいる。結界を作り出せる者がいたり、ただ臭いにおいを発したりする者もいる。
 個性が分かれるのが、この戒具。自分がどの属性を持つのかは使ってみないと分からない。スクールで最初に試験を受けるのも、この属性だ。
 言うまでもなく、奏は何の力も発しなかったわけだが。
「これが私の仲間。藪北ファミリーって呼ばれているの」
「お茶みたいだな」
 奏がうっかり口を滑らせると、談笑していた四人が、無表情でこちらを睨んだ。
 気に触ったことを言った。そう思って、慌てて謝罪の言葉を口にしようとしたとき、中でも一番体格のいい、二十台半ばくらいの男が「がっはっは」と豪快に笑った。
「その通り。お茶みたいな名前だな!」
「実際お茶の名前でしょ、藪北って」
「誰が言い出したのか。上手っていえば、上手な表現だが、お茶だからな」
 そう言い合って、和やかに笑みを溢す。
 そこにいる誰もが、奏より頭一つ大きい。威嚇的だが、それほど悪い人間たちでもないようだ。
「よろしく、藪北ファミリーです。北の藪の中から選抜された雑草たちです」
 女性かと思っていた長髪の男がそう言いながら手を差し出してきた。
 少女漫画からそのまま飛び出してきたかのように長いまつ毛の美男子である。
 握手を返しながら「鳴音奏です」と自己紹介した。
 多恵が美男子の腕に手を回しながら「この人は佐々倉想平さん。琴ちゃんの上司だよ」と言った。
「まさか、隣町の……」
「君の事はよく知ってるよ。琴さんによく聞かされるからね」
 顔から火が出そうになった。どうせろくなことは言われていない。
 しかし、イケ面とは訊いていたが、これほどまでとは。
 もう一人、筋肉隆々の体育会系の男は「俵原孝司」だと名乗った。藪北ファミリーのリーダーだと言う。
 もう一人の女性がいた。この人も若い。四人とも押しなべて二十台半ばくらいの男女だが、物静かなもう一人の女性は「川本クリスティーヌ」と自己紹介した。やはり思ったとおりハーフらしい。
「この人はいま業界で空前の話題になってる鳴音奏くん。なんと人語を話す人外を連れて逃亡中です」
 そんな紹介の仕方があるか。
 指摘しようとしたが、多恵は意に介さず改めて言った。
「自己紹介が済んだところで、約束どおり面白いもの見せてあげるね」
 多恵は奏の胸を押して、壁際まで追いやると「そこを動かないでね」と言って他の三人のところへ戻っていった。
 突然、けたましい警報が空間に鳴り響いたと思うと、部屋の奥の壁が開いて、何かがせり出してきた。
 人外に模った模型だ。見た事のある人外。過去に現れた一等級の人外の模型である。
 すると、多恵が一歩前に踏み出す。手には仏教で言う金剛杵に似た戒具を手にしている。
 多恵が意識を集中したのが分かった。
 不意に多恵が戒具を横なぎにすると、白くぼんやりと発光する帯が戒具から伸びた。
 奏は注目した。
 自分にはない能力。
 戒力を発揮しようとしている。
 ちりちりと音が聞こえてくる。
 多恵は鞭を打ち付けるかのように、模型に向かって戒具から伸びた帯をひと薙ぎすると、戒力を食らった模型が爆発したかのように粉々になって、模型の原料である石膏が白い粉になって舞った。
 すごい破壊力である。
 奏は目を見張った。Bランクの御札並みの出力である。
 これまで、戒具によりこれほどまでの破壊力を発揮した例は存在しない。
 次に身を乗り出したのは俵原孝司という体格のいい男。部屋の奥からも新しい人外の模型が出現する。
 俵原が持っている戒具はとても小さい。二十センチほどの棒状のものだ。
 ところが俵原が意識を集中させたかと思うと、棒状の先端から紫色の水晶を思わせる光沢のある刃物が出現した。
 長い。俵原自身の身長ほども伸びている。
 具現された剣。
 俵原が雄叫びをあげて人外の模型めがけて突進していった。
 持っていた剣を振りかぶると、まるで叩き割るように模型を一刀両断した。
 斜め四十五度に切り込みを入れられ、二つに分かれた模型は、一瞬遅れて空中で四散して破裂した。
「これは……」
 奏でなくても感嘆の声を上げたくもなる。
 この出力に耐えうる戒具もそうだが、その出力を産み出すこの人間たち。
 多恵が振り返って、奏を見ながらニヤニヤしていた。
「すごいでしょ、奏!」
 痙攣するように頷く奏。
「御札なんかより強力でしょ、奏!」
 再び頷く奏。
「大家先生がいつも言ってるの。御札の時代は終わるって。これからは戒具の時代。誰もがこの未開発の力を持ってる。発揮の仕方を知らないだけ。大家先生は何十年も掛けて、この力の研究を行ってきた。もうすぐ来るよ、戒具の時代が。この力は誰でも持ってるの。もちろん、奏もね」
 俺も……?
 奏の手が震えた。
 誰もが持っている。
 発揮の仕方が分からないだけ。
 こうして、今まで御札以外に不可能といわれていた高出力の力を戒具により発揮している。
 まさか、こんなことが。
「ようこそ。歓迎するよ、奏!」
 多恵の声がやけに遠くに聞こえた。
 
 
 
 研究所の巨大な空間であるセントラルセクターの一部で、どよめきが起こった。
 それはすぐにセクター内に伝播し、野次馬を呼んだ。
 人だかりが出来たのは「御札開発セクション」である一角。
 壁に埋め込まれた大きなガラス張りの向こう側に奏と数人の研究技師が立っている。ガラスに群がるように人が集まって、奏の行動に注目している。
 奏が御札を直列に繋げることによって産み出せる、高出力の情力を発揮して見せたのである。ラナ・カンとの最後の夜にやって見せたものと同じだ。
「まさか、我々が何ヶ月も研究していたものを、こんなにあっさりと」
 もう一度やってくれと頼まれ、奏は人外殲滅用の御札を直列に繋げ、周囲に漏れる情気を押さえつけるように結界用の御札を並べた。
 電池から電流を取り出すかのように、戒具を直列に繋げた御札の噴出し口にあてがうと、稲妻に似た情力が轟音をあげて、空間に走りぬけた。
 歓声が上がった。
 奏が背後を振り返ると、ガラス窓の向こうに無数に並んだ研究者たちの顔。
 傍にいる数人の研究技師たちは唖然と口を空けているばかりだ。
「一体、どうやって……。計算も実験もなく、これだけの緻密なバランスをとる作業をあっさりと……」
「理屈じゃ分からないんです。感覚だけだから、この状態を分析して、誰でも出来るように出来ないでしょうか。これが理想的に完成できれば、きっとやってくる一等級以上の人外に対しても戦力になると思うんです」
 隣で多恵がにこやかに親指を突き出していた。照れくさくなって首筋を掻く。
 なおも不可解そうにしている研究技師を置いて実験室を出ると、ぜひ我々の研究も見てくれと研究者たちが殺到したが、掻き分けるようにセントラルセクターを脱出すると、また会う約束をして多恵と別れた。
 割り当てられていた部屋に戻ると、備え付けの電話を手に取り、案内メモの通りに相馬先生へのHOTラインをダイヤルした。
 程なくして相馬先生が電話に出る。
『やあ、身体は休まったかい?』
「まだ来たばかりなので落ち着かないです。ユーナとナユタの様子はどうですか?」
『変わりはないよ。ラナ・カン氏が傍で付いているが、目を覚ますような予兆もない』
「ラナ・カンと話できますか?」
『今かい?』
「はい」
 しばらくの沈黙が流れた後、相馬先生は『今は無理かもしれない』と暗い声を出す。
『いま研究者たちがラナ・カン氏の話を聞いている。それから色々実験にも参加してもらおうと思ってるんだ。今日中は無理かもしれない』
「ユーナとナユタには?」
『ラナ・カン氏は二人の傍にいる。いずれにしてもラナ・カン氏との対話が終わるまでは我慢して欲しい』
「いつくらいになりますか?」
『そんな長くはないよ。明日には面会できるように調整しよう。明日の十時はどうだい?』
「問題ありません。よろしくお願いします」
『了解した』
 電話を切ると、しばらく電話機を睨みつけた。
 不安が胸を締め付ける。
 まさかラナ・カンやユーナ、ナユタが実験材料としての酷遇を受けてはいないだろうか。
 まさか、相馬先生はこのままラナ・カンたちに会わせないつもりではないだろうか。
 考えすぎか。
 不安は募る。
 相馬先生に針の先ほどの悪意があれば、奏をこの部屋に監禁することなど容易なのである。
 あの扉をロックすればいいだけだ。
 
 
 
 翌日も、様々な研究について多恵の案内のもとに紹介された。
 午前中の間、多恵にいいように連れ回され、結局ラナ・カンに会うことが出来なかった。
 一度、相馬先生に電話をしたが、午後はラナ・カンのスケジュールが開かないという。
 また明日に面会を行う約束をして、その日の午後は再び空き時間となった。
 午後になって多恵に頼んで、ある研究セクションに案内してもらった。
「CTMPセクション」と呼ばれる、イスカ領域を人工的に作り出そうと試みる研究部署だった。
 イスカ領域を人工的に作り出す研究は中国の北京で行われた
サミットで禁止が決定された。全ての国が条約を承諾した。日本も例外ではない。「北京条約」にてイスカ領域を作り出す、あるいは作り出す技術を研究する行為を禁じたのである。
 連盟国には北京議定書に書かれた制約事項を遵守しなければ、厳罰を持って国際連盟より罰せられる。
 禁止、制約事項は北京議定書によりこと細かに録されているものの、奏はその多くを知らない。Aランクの御札の製造禁止、一等級以上の人外の出現による、国連での情報共有化の義務、などなど。
 CTMP(A crossbill territory making project)は時代の最先端を行く、新鮮かつナウい条約違反なのである。
「イスカ領域の人工生成ね。やっぱり奏、本気で人外を元の世界に戻そうとしてるんだ」
「そうだよ。悪いかよ」
 見学するために、研究セクションの端で大人しくパイプ椅子に腰掛けている。
「人外を元の世界に戻して、何のメリットがあるの?」
「メリット?」
「そう。メリット。奏にとってどんなお得なことがあるの? 誰か幸せになるの?」
「ユーナやナユタは帰りたがってる」
「でも、所詮は人外の言ってる事でしょ?」
 多恵の何気ない言葉に、奏の胸が痛んだ。
 そう。所詮は人外。
 改めて思い知る。
 人外は自然管理委員会にとって、出会えば喜ばしいお友達などではない。
 押しなべて、全ての人間にとって人外は「疫病神」あるいは「病原体」なのである。
 身体に深刻なダメージを負わせるウイルスを誰が好んで体内に招き入れようと思うものか。ましてやウイルスに好意を抱いたり、愛でたりする者など皆無なのだ。
 おかしいのは奏のほう。
「いくら人外が言葉を喋るからって、命の危険をおかしてまで助ける意味があるの?」
「命の危険って、大袈裟だな」
「大袈裟? だって奏、でっかい人外に殺されそうになったんでしょ。それに委員会に逆らって人外と逃亡してたら、いずれテロリスト認定されて、抹消されたっておかしくないよ。表立った組織じゃないんだから、暗い部分だってあるのよ」
 確かに。言われてみて、初めて実感が沸いた。
「俺、おかしいのかな」
「おかしいよ」
 人語を話す人外がいた。その人外は兄弟で、お互いを思いやっている。平和ではなかったかもしれないが、突然故郷を追い出されて訳の分からない世界に飛ばされた兄弟を、悪だと決め付けて殺してしまうことが、果たしておかしいことなのか。
「俺、助けられたんだ」
 ぼそりと呟いた。小さな声だった。多恵に届いてなくても良いと思ったが、声は多恵の鼓膜を震わせていた。
「助けられたって?」
「あの人外、ユーナに。俺が一ツ目族に踏み潰されそうになったとき、ユーナは命がけで俺を助けてくれた。死んでもおかしくなかった」
 多恵はなにも答えない。
「俺はユーナとナユタを助けてあげたかったけど、命まで掛けようなんて思ってなかった。うっかり口が滑って言ってしまった『隔世へ送り返す』っていう言葉を嘘にして、責められるのが嫌で意地を張ってただけなんだ。だけど」
 ちらりと多恵を見た。多恵はなにも言わず正面を見ている。
「ユーナは自分が死ぬかもしれないって分かってて、俺を助けてくれた」
「だから、奏も助けてあげたいって言うの? イスカ領域に穴を空けてまで? もし、その技術が完成されたとして、悪用されたらどうするの?」
「悪用って?」
「隔世に通じた穴を作り出して、人間が軍隊を送り込んで侵略したら? 有り得ない話じゃないでしょ」
「そんなこと、誰もしない」
「保証はないよ。奏は安易すぎるよ。もっと大きな視点でものを考えないと駄目だよ。奏がやろうとしていることは、ひょっとしたら現世と隔世の大きな戦争の引き金になるかもしれないんだよ」
「ユーナとナユタを助けることが、やっぱり悪いことだって言うのかよ」
「そう。なんの意味もなくて、しかも沢山の危険を孕んでる。隔世と現世は隔てられてるから均衡が保たれてる。この世界を構成する何かが――自然の摂理とか神様とかいったものが、それが一番バランスの取れている形だと判断したからこそ、この形になっていると思わない? そのバランスを崩す行為は、人間が環境破壊して摂理を乱す行為と同じ」
 全くの正論に聞こえた。反論する術を持たない奏は黙り込むしかない。
 命を掛けてユーナとナユタを助ける。とてつもなく美談に聞こえるけど、ひょっとして自己中心的な考えの影に、とんでもない悪が潜んでいるのかもしれない。
 黙って研究者たちが行っている実験を眺めた。何らかのヒントになればと思ったが、気が付けば意識は集中できていない。
 多恵が口を開く。
「ちょっと会いにいってみようか。ユーナとナユタ。本当にリスクをおかしてでも隔世に戻してあげる価値があるかどうか」
「でも、今は会えないって」
「こっそり行けば大丈夫。どうせ見つかったって怒られるだけ。命まではとられないってね」
 多恵はそう言って可愛らしく笑ってみせた。
 
 研究セクターを出て、多恵の案内のもとについていくと、人気の少ない長い廊下を歩いていく。
 突き当たりにカードリーダーがあり、多恵の首から掛けていたIDカードをあてがった後、扉の脇に備え付けてあるボックスに手を差し込んだ。
「鳩谷多恵様。認証されました。どうぞお通りください」
 女の声でカードリーダーから返答があり、程なくして施錠が解かれる音がした。
 無言で扉を開くと、後を付いていく奏。同じような扉を幾つか通過したのち、事前宣告もなかった奏の視界に、ベッドに横たわるユーナとナユタの姿が飛び込んできた。
 ここは小部屋だ。大きなモニターのようなガラス越しに二人の姿。ガラスの手前にはテーブルと椅子。テーブルの上にはマイクスタンドが一台置かれていた。
 思わず窓際に駆け寄る奏。ガラスに手を張り付かせて、向こう側にいるユーナとナユタを見た。様々な機材に囲まれ、体中に管を通されている。
「ふうん、あれが奏のお熱の二人ね」
 背後で呟く多恵。奏は必死にユーナとナユタの様子を覗う。確かに目を覚ましそうな雰囲気はない。
「ラナ・カンはどうしたんだ」
「ラナ・カン氏は実験に付き合ってもらっている」
 不意に背後で多恵とは違い声がして、殴られたように振り返った。
「あなたは……」
 スーツの上に白衣を着込んだ、まるで英国の貴族のような髭を畜えた老人が立っていた。
「大家貴信……さん」
「知っていてくれたか。名前ばかりが先行しててね」
「知ってます。スクールの教科書には顔写真も載ってましたし」
 大家貴信の傍では、黙って深々と頭を下げている鳩谷多恵。そちらのほうに一切視線を向けようともせず優雅に近づいてくると、奏の隣に立って、憂いそうにユーナとナユタを眺めてた。
「だいぶ弱ってしまっている。人型の人外についてはなにも分かっていないため、手の施しようがない。レントゲンと血液検査で分かったのは、身体の各主要器官は人間に酷似していて、人間の薬も有効なのではないかと言う仮説のみ。一発本番で薬剤投与をしてみるわけにもいかず、こうして情気を遮断するような稚拙な延命措置しか取れない」
「感謝してます」
「いいんだ」
 大家貴信がユーナとナユタを引き受け、面倒を見ているのは貴重な研究材料だからに他ならない。生きている間は丁重に扱うだろうが、死んだらきっとユーナとナユタは研究者たちに切り刻まれ、体中の組織をばらばらにされることだろう。
 そうなる前に。
「ラナ・カンに会わせてもらえませんか?」
「ラナ・カン氏には瘴気による攻撃をプロテクトするための実験に参加してもらっている。ラナ・カン氏に火を吹いてもらい、それを防げるだけの強度を持った結界を早急に作らなければならない」
 六日後の人外境からの来訪者。そのために準備しなければならない。
「本部には知らせているんですか?」
「実は奏君の知らない間に、人外災害特別室が設置されてね。そこの本部を取り仕切っているのが私なんだ。ようするに、私が最高責任者。今回の件は私の一存に任されている。もちろん、自然管理委員会への報告もしなければならないが、まだ我々はラナ・カン氏を信用しかねている」
 ふと、大家貴信が奏を見た。
「そして、君の事もね。我々は君を全面的に信用したわけじゃない」
 大家貴信の背後に、野獣の猛々しさを見た気がした。奏は絶句する。この老人から漏れてくるエネルギーはなんだろう。無条件にひとをひれ伏させるような、威圧的なエナジー。
「無断こんなところに侵入して、まずは子供らしくばつの悪そうな顔をしてもらいたいもんだが、いや、堂々としたものだ」
 皮肉を言われている。大家貴信は奏が思っているほど友好的ではないと気づく。
 恐ろしさを感じ、足が震えるのが分かった。
「君はもっと我々の信用を得るために努力するべきだとは思わないかね。ちょっと研究にアドバイスをして、感謝された程度で慢心しているんじゃないのか。自分が貴重な情報提供者だと思って厚遇されていると思っているのなら考えを改めることだ」
 この大人は甘くない。有無を言わさぬ強制力がある。
 奏はゲストではないと思い知らそうとしている。この大家貴信の研究所にいる限り、奏はもっと研究所に貢献しろということだろう。奏が増長して傲慢になろうものなら、大家貴信は躇いもなくユーナとナユタと奏を施設から放り出しても良いと脅しているのだ。
「とはいうものの、私は案外君を買っていてね。君のお兄さんや相馬にも話を聞いていて、非常に興味があった。君は技師よりも術師の道を歩んだようだが」
「兄さん?」
「鳴音弦氏にはいろいろ世話になった。私が冷遇を受けていた頃にもいろいろ親切にしてもらってね。せめてもの礼として彼の部署には対策本部の仕事も手伝ってもらっている」
「先生。申し訳ありませんでした。今回のことは私が言い出したことです」
 背後で多恵が頭を下げ続けながら発言した。
「もういい。こうして奏君と会話する機会にも恵まれたしな」
 大家貴信はふふふと笑って、奏の肩に手を置いた。
「君に会ってもらいたい人間がいる。ちょっと付き合ってもらえるかな?」
 断れる理由も、意志もなかった。
 
 
 
 ラナ・カンは、来るべき六日後の隔世からの来訪者に対して、瘴気を帯びた攻撃から結界にて身を守る手段の実験に参加していた。
 人間の大きさ程に身体を拡大させ、研究者たちが御札というもので作成した結界に向かって火を吹くだけだ。
 結界はもろかった。最初の数回は力を抑えた小さな炎でも結界はすぐに崩壊し、防壁の「ぼ」の字にもならなず、人間の防衛力の低さに落胆したものだが、すぐに工夫して前回より強度の高い結界を用意して来た。
 実験を繰りかえすうちに分かってきたのは、結界の強度、というよりは質の問題のようだった。研究者たちが用意してくる結界は、いつも感じが違った。パズルを組み合わせるのに、いろんな形のものをあてがって徐々に瘴気の攻撃に対して抵抗性の高い「質」の結界を選りすぐってきた。
「今日のところは瘴気の攻撃を、普遍的に防御できる一番質の高い性質を持った結界を選び出す作業です。データは取れました。後は机上実験で行えます。次からは今回のデータから得られた情報を吟味して、強度を強化した結界を用意します。ご負担は軽減すると思いますので、ご安心ください」
 実験が終わった後の相馬の言葉に、ふむ、と頷いてみせる。
 こちらの世界では、心的世界から供給される瘴気が得られない。あまり力を消費すると寿命を縮める結果に繋がるし、六日後の来訪者のために力も残しておかなければならない。
「私の炎だけで、いろんな質の違う攻撃を防ぐことが出来るのか」
 ラナ・カンは素直に疑問を口にした。相馬は何度も頷きながら答える。
「質は変わっても、瘴気の共通する性質を見つけ出して、万能な結界を作るしか我々に道はないんです。時間もないですしね。でも、研究は芳しいです。今までは想像の範疇での思想実験でしたから、こうして実際に物理実験が出来ること自体、革新的な進歩です」
 予測の範囲では、今までも研究はしていたらしい。
 相馬とともにユーナとナユタが眠る部屋に戻る道すがら、相変わらずな研究者たちの物好きそうな視線を交わしながらラナ・カンは訊ねる。
「相馬殿、奏に会いたいのだが、いつぐらいに都合できそうか」
「そうですね。奏君はいま、貴重な研究に参加してもらってます。今日中は無理かもしれませんね。明日、時間を作ってみましょう」
 ラナ・カンから発せられる瘴気による研究者たちの影響を考え、普段、奏たちのいる研究施設には立ち入り出来ないでいる。簡単には面会できず、幾度となく相馬に奏との面会を打診してきた。
 明日か。
 時間はあまりない。
 相談しなければならないこともある。
 こちらの世界での倫理観は、ラナ・カンには想像付かない部分も多い。
 大家貴信という人間の提案。
 味方を攻撃して、危機感を煽ることで、こちらの世界の人間たちに統一意識を持たせることが、危機意識の向上に繋がる。様々な思想家が存在する中で、共通の敵を作ることが統一意識への最短であることは確かに正論に聞こえるが、少々破天荒ではないのか。
 
 
 
 奏は大家貴信に会わせたい人間が居ると促され、鳩谷多恵の案内でラウンジまでやってきた。中央セクターを高い位置から望める広いラウンジには他にも人が沢山おり、研究者たちがコーヒーとともに憩いのひと時を過ごしている。
「げ、弦兄さん……」
 ラウンジで待っていたのは、奏の兄である鳴音弦だった。弦は平気な顔して「よお」と片手を挙げている。
 ラウンジに入った瞬間に全身を凍りつかせ奏は、すぐさま踵を返して逃げ出したくなったが、背後に控えていた多恵に阻止された。
「お兄さんでしょ。何で逃げるの?」
 事情を説明する暇はない。慌てふためいていると、背後から「怒らないからこっちおいで」と弦の声。
 血の気の引く思いで振り返ると、最近良く目にするようになった薄ら笑いを浮かべた弦が手招いている。
 昔のように触れるものみな傷つけるナイフのような印象はなくなったが、今の弦のほうが空恐ろしく、奏は苦手に感じた。
 仕方無く弦と同じテーブルに付くと、多恵は付いてこなかった。周囲を覗ってみると知っている顔は一つもなく、万が一のときに助けを求められるような人間は一人もいなかった。
「一ヶ月ぶりだなあ。見ないうちに精悍な顔つきになったもんだ」
「なんだよ。何でこんなところにいるんだよ」
「大家さんから連絡を貰ったんだ」
「なんで弦兄さんが」
「大家さんとは昔から親睦があってね」
 奏がうつ向いて、膝の上に置かれた自分の手の甲ばかり睨みつけていると、弦が心なしか声のトーンを落として言った。
「琴はお冠だが、親父はことのほか怒ってはいない。階は相変わらず無関心だがな」
 家族の話。家出少年にとっては、家族の話が何よりも恐ろしくダメージが多い。
「大家さんから話を聞いて、俺も戸惑っている。かなり大掛かりな話になってきたからな。まさか、その渦中に俺の弟が絡んでるなんて信じられないくらいだ。確かに奏のしたことは愚かなことだが、結果的には奇跡的に好転している。お前が人外を連れて逃げなければ、来るべき六日後の人外の来襲を予知できていなかったし、最初の一ツ目族の襲来のときにも多大な被害をこうむっていただろう。残念ながらお前の功績は愚行と相殺して評価されないが、お咎めもなしだ。今ならお前も多少は胸を張って家に帰れるだろう」
「家に帰る?」
 やっぱりそうか。
 弦は奏を連れ戻しに来たのだ。
「俺は帰れないよ」
「そう言うと思っていたが、現状はお前が思っているような甘いもんじゃないぞ。お前はまだ高校生だ。ここはお前がいていい場所じゃない。そろそろ普通の生活に戻るんだ」
 奏はうつ向いた顔を起こせない。
 弦に説得は通じない。
 だからって、承諾するわけには行かない。
「約束したんだ。絶対に隔世に送り返すって」
「二人の人外をか? 言っては悪いが、あの人外は後どれくらいもつんだ? 三日? 一週間? 仮に奇跡的に一ヶ月命を永らえさせたとしても、お前は本当に隔世へ通じる穴を開けることなんて出来るのか? もし、何らかの糸口を見つけているのなら説明してみろ」
 答えられない。黙り込んでいる奏の様子を見た弦が、溜息一つ吐いてから言った。
「軽口を叩いて約束しまった自分を悔いている。そうだな。そんな実現できないことを約束して、お前は苦しんでいる。でもいいんだ。誰も責めやしない。お前の逃がした人外二人もな。誰もが知ってる。お前がどれだけ苦心したか。でも、不可能なんだ。いずれは実現できるかもしれない。でも、すぐには無理だ」
 無理。出来ない。隔世への穴を開けるなんて不可能だ。
 分かってた。そんなこと誰よりも。
 だけど、そう言えなかった。
 俺は、ユーナとナユタを瞞し続けていたのだろうか。
 いま、二人は命を失おうとしている。
 ひょっとして生半可な期待を抱かせて余計に苦しめたのだろうか。
「お前は二人の人外を助けたことで、少なくとも二人の人外は委員会に幽閉されて残酷な最後を迎えることなく、手厚い看護のもとで安らかに逝こうとしている。しかも、お前の行動のおかげで、無数の人間の命も救われたんだ。そう考えろ。正直、俺はお前のことをこれほど誇りに思ったことはない」
 弦がそんなことを言うなんて。
 俺の行動は間違っていなかったと。
 弦はそう言ってくれている。
 気休めだったとしても。
「最後に、二人の人外に会うか」
 弦が提案した。
 最後。
 最後か。
 弦が席を立つ。
「行こうか」
 弦の言葉に、黙って後を付いていった。
 
 弦と一緒に、ユーナとナユタの病室に向かった。
 先ほどまで居た一室。
 窓越しに横たわるユーナとナユタ。
「俺も見るのは初めてだが、確かに人間そっくりだ。起きている姿を見たかったが、確かにこの二人を抹消するには忍びないものがあるな」
 弦の奏を思いやった言葉。
「中に入る許可を得ている。これを付けろ」
 弦が御札を手渡した。
 瘴気から身を守る御札である。
 ガラス窓の脇に扉があり、そこからユーナとナユタの病室に入って行った。
 真っ白な清潔なイメージのある一室。機材が静かな部屋で電子音を響かせている。
 奏は二人が横たわるベッドの間に立った。
 間近でユーナとナユタの顔を見る。
 生気のない顔。
 命が短いことを物語っている。
 突然、二人と過ごした一ヶ月を思い起こした。数々の二人の素朴な表情が思い起こされる。
 無邪気に川に飛び込んでいたナユタ。
 いろんな生物を捕まえては嬉しそうに奏に報告していたユーナ。
 ユーナが一ツ目族から奏を救うために、自らの命を顧みず結界を発動した。
 あのときのユーナの顔。
 気品さえ感じた。
 これほど。
「ごめんな」
 奏はそう口にしたとたん、涙があふれ出た。
 立っていることもままならず、その場に踞ると「ごめん」と繰り返しながら涙を流し続けた。
 なんて情けない。
 絶対に隔世に戻すと約束したのに。
 結局、なんの方法も見つけることが出来なかった。
 ごめん。
 約束を守れなくてごめん。
「奏さん……」
 不意に声がして、涙と鼻水で濡れた顔を起こした。
「嘆かないで……」
 ユーナの声だった。
 もう一度、もう一度だけでも訊きたいと願っていたユーナの声。
 奏は慌てて立ち上がるとユーナを見た。
 ユーナはうっすら目を開け、視線を泳がせていた。
「ユーナ」
 声をかけると、ゆっくりとユーナの視線が奏で止まった。
「奏さん……」
 ユーナの掛け布団に収まっていた腕が動く。這い出てきた細い腕が宙を泳ぐのを見て、奏は慌ててその手を掴んだ。
「ナユタは……」
 ナユタを捜している。もう、ナユタも眠り続けている。その事実を伝えるのが苦しかった。
「ナユタは横に居るよ」
 ユーナがゆっくりと横を向く。そのユーナの顔が歪み、涙が伝った。
「ごめん、ごめんな、ユーナ」
「いいんです。いいんです」
 ユーナが必死に声を出す。
 ナユタを守れなかった。
 約束を守れなかった。
 このまま、二人は死に行こうとしている。
「私は奏さんに感謝しています。きっとナユタだって一緒の気持ちです」
 嘘だ。
 奏が隔世に戻してやるといったとき、あんなに喜んでいたじゃないか。
「本当です。楽しかった……。森の生活。それに、奏さんを一ツ目族から守れて良かった……」
 胸を突き破るように、慟哭が奏を襲った。
 俺が救ってやるといったのに、結局救われて、ユーナは消え去ろうとしている。
 奏の口から「まだ諦めるな」と軽口が出そうになる。だがこれ以上、罪を重ねてはならなかった。また奏の軽口がユーナを苦しめてしまう。
「泣かないでください。私は悲しんでいません。本当に感謝の気持ちで……」
 言葉の最後のほうは聞き取れなかった。
 ユーナの意識が薄れて行く。
「し……」
 口を開こうとして、噤んだ。
 死なないでくれ。
 そう言うことで、ユーナを苦しめてしまうかもしれない。
 なにも言えない。
 最後かもしれないのに。
 失われようとしている意識の中で、ユーナが必死に口を動かす。
 耳を近づけて聞き取ろうとする。
 ユーナの口から漏れてくるのは「ありがとう」ばかりだった。
 ありがとう、ありがとう、ありが……。
 そして、再びユーナは眠りに付いた。
 ユーナの手を自分の額に当てながら、奏はひたすら呻き続けるしかなかった。
 ごめん、ごめん、ごめん……。
 いつまでそうしていただろうか。
 記憶は断片的だ。
 ユーナとナユタの元を引き剥がされた奏は弦に連れられて、気づくと弦の運転する車の後部座席でうな垂れていた。
 もう家族にどんなに責められようが、父親にどれほど殴り飛ばされようが、そんなことはどうでも良かった。
 この耐え切れない感情が、いつまでも消えない気がして、奏は絶望感に打ちひしがれながらもう一生笑うことはないのだろうと、漠然と想像した。
 
 
 
 弦は幾度となくバックミラーで奏の様子を覗いながら車を走らせた。
 ――よりによって、大家のところに逃げ込むとは。
 弦は奏に聞こえないように舌打ちする。
 どうやら大家にとって奏は邪魔だったようだ。こうして重大な秘密を明かすリスクを負ってまで、弦に奏を引き取らせに来させるくらいだ。
 大家、何を考えている。
 不安で堪らない。
 なぜ、奏とともに居たラナ・カンのことを自然管理委員会に報告しない? 何か良からぬことを考えているのか。
 弦は大家にラナ・カンの存在を堅く口を閉ざしているように釘を刺された。
 おおよそ、自然管理委員会の実権を握るようになった大家の言うことは、一介の組織の一員である弦には逆らえない。
 言われたとおり口を噤んでいるしかなかったが、せめても大家の大いなる悪意の渦から奏を救い出さなければならなかった。
 何かを企んでいる。それは分かる。だが、何を企んでいるか分からない以上、奏を一刻も早くあの場から連れ出すことが最優先だった。
 どうする。
 今頃は大家から本部へ、ラナ・カン以外の情報が提供され、弦が奏を保護したことも伝えられているはずだ。
 この通り、奏は精神的に参っている。しばらくは家に居させて、本部の召集命令も拒否しなければならない。
 弦に心労が降りかかってくるが仕方がない。奏は自然管理委員会からすれば反逆行為を犯したテロリスト同然の評価なのだ。家族が守らずに誰が守る。
 全く、昔から世話の焼ける弟だったが……。
 後部座席で、時々思い出したかのように慟哭する弟。
 今回は褒めてやるか。
 情力を持たない、術師としての経験も皆無であった奏にしては、色々工夫をして立ち回ったといえる。なによりこの兄を出し抜き、史上最強であるかもしれない人外、一ツ目を撃退した。歴史や表舞台からは抹消されるだろうが、事実は現代の英雄的評価を受けてもおかしくないのだ。
 俺と親父の力があれば、奏の進退についてもどうにかできるだろう。
 弦は溜息を付く。
 ――これほど奏を誇りに思ったことはない。
 奏を気遣って吐いた弦の言葉。
 半分は本音だった。
 
 
 
「さて、これで舞台は整ったな」
 奏が研究所を後にした二日後、来るべき人外災害を四日後に控えた研究所の所長室での会話。
「シナリオは思ったとおりに運んでいる。後はラナ・カンの説得だが……」
 白黒の髭を畜えた老人が煙草を燻らせながら低い声を出す。
 メガネをかけた細身の男が、同じく煙草を燻らせながら答えた。
「それなら問題ないでしょう。ラナ・カンという人外。やはり獣の類。思考回路は単純に出来ています。依存的だった鳴音奏の存在がなくなれば説得は容易でしょう。実験にも不満ひとつ漏らさず参加し、質問すれば律儀に答えます。従順なものです」
「そうか。苦労をかけるな」
「いえ。それより、ことが済んだら鳴音奏は……」
「約束どおり、お前の元で働かせるように取りはからおう。彼の提案したこれまでにない御札の高出力の理論。最低ランクの御札でBランクの御札と同等以上の出力を持たせるとは。彼は見込みがあるよ」
「ありがとうございます」
「私の育てた藪北ファミリーと、君の育てようとしているファミリーが理想的に組み合わされば、これほど頼もしいものはない。藪北の連中も奏を気に入ったようだしな」
「ありがとうございます」
 髭を畜えた老人は、咥えていた煙草を叩きつけるように灰皿に押し付けると、ふうむ、と唸りながら髭を撫でた。
「それでは、まずは御札を主役の座から引きずり落とすことから始めようか」
「はい。ほぼ準備はできております」
 髭を畜えた老人は満足そうに頷いた。
「これからは、私の産み出した戒具の時代がやってくる。自然管理委員会は身をもって知ることになるだろう。自らの信仰する古い風習がいかに愚かで、消極的だったことがな」
 その言葉に静電気のような刺激的な悪意が帯びている気がして、メガネの細身の男は恐縮して頭を下げた。
「さて」
 髭面の老人は身体を労わるように、高級チェアから腰を上げると、怪しく光る眼光で宙を睨みつけながら呟いた。
「はたして何人死ぬかな……」


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